向 翔一郎(むかい しょういちろう、1996年2月10日 -… 向 翔一郎(むかい しょういちろう、1996年2月10日 - )は、富山県高岡市出身の日本の柔道家。階級は90kg級。身長178cm。組み手は左組み。得意技は内股。メイプル超合金のカズレーザー似とも言われている。 父親が柔道の指導者だったこともあり、4歳の時に姉の向奈都美に続いて柔道を始めた。小学校1年の時に新潟県へ移ると、白根柔道連盟凰雛塾の所属となった。小学校4年から本格的に取り組み始めると、この時期が一番強かったのではないかと思えるほど試合で勝ち続けていたという。 中学は上京して講道学舎の所属となった。講道学舎では非常にきつい練習を課せられたが、要領よく立ち回り先輩からも好意的に接せられたこともあって体重も10kgほど増えた。
佐野 賀世子(さの かよこ、1993年6月25日 - )は、… 佐野 賀世子(さの かよこ、1993年6月25日 - )は、富山県高岡市出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は63kg級。身長167cm。血液型はA型。組み手は左組み。段位は弐段。得意技は内股。趣味は音楽鑑賞と人間観察。 柔道は10歳の時に高岡西条スポーツ少年団で始めた。芳野中学に進むと、富山県からオリンピック選手を輩出する目的で設立された「さくら柔道塾」に入門して、そこで寮生活を送ることになった。1年の時には早くも全国中学校柔道大会の57kg級に出場すると、戸塚中学2年の武村綾華に大外刈で敗れるも3位となった。翌年には階級を63kg級に上げると、個人戦では準決勝で津島中学3年の木村輝美に横四方固で敗れて前年に続き3位となると、団体戦でも3位になった。
田知本 遥(たちもと はるか、1990年8月3日 - )は、… 田知本 遥(たちもと はるか、1990年8月3日 - )は、富山県射水市出身の日本人の女子柔道選手。階級は70キロ級。身長167cm。血液型はA型。得意技は大外刈、寝技。組み手は左組み。段位は五段。姉は78kg超級で活躍している田知本愛。現在は綜合警備保障に所属している。
海老 泰博(えび やすひろ、1989年2月27日 - )は、… 海老 泰博(えび やすひろ、1989年2月27日 - )は、富山県出身の、日本の柔道選手である。階級は81kg級。身長172cm。血液型はB型。段位は参段。組み手は左組み。得意技は背負投。現在は旭化成に所属。
田知本 愛(たちもと めぐみ、1989年1月27日 - )は… 田知本 愛(たちもと めぐみ、1989年1月27日 - )は、富山県射水市 出身の日本の女子柔道家。身長168cm、体重110kg。血液型はB型。組み手は左組み。段位は四段。得意技は大外刈、払腰。綜合警備保障所属。妹は70kg級で活躍している田知本遥。
澤田 大筰(さわだ だいさく、1979年2月14日 - )は… 澤田 大筰(さわだ だいさく、1979年2月14日 - )は、日本の柔道整復師、公認心理師、社会起業家、学士(柔道整復学)(独立行政法人大学改革支援・学位授与機構・2024年)、経営管理修士(専門職)(法政大学・2012年)、修士(医療政策学)(東京医科歯科大学・2016年)、博士(医学)(順天堂大学・論文博士・2023年)。澤田式治療システム(総合調整-澤田法、大転子法、指針術など)の開発者。プロフェッショナルメディック株式会社 代表取締役、巣鴨総合治療院グループ 総院長、Balance Stretchグループ 副社長・技術開発最高責任者、NPO法人睡眠健康研究所 代表理事、順天堂大学医学部 非常勤講師、駐日ハイチ共和国大使館 メディカルアドバイザー、デンマーク・オーフス大学生命医学部 客員研究員、元東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 2024年5月に、モンゴル国より近代スポーツ100周年記念国家勲章を授章、2024年10月には、モンゴルオリンピック委員会(MOC)よりオリンピックの栄光勲章を授章 2024年12月に、夕刊フジの紙面で世界の「整体王」として紹介され特集が組まれた 名前については、澤田が沢田、大筰が大作と記載されている場合もある
廣川 充志(ひろかわ みつし、1977年11月20日 -)は… 廣川 充志(ひろかわ みつし、1977年11月20日 -)は、富山県高岡市出身の日本の柔道家。現役時代は81kg級及び90kg級の選手。身長は183cm。趣味はギターと将棋。現在は桐蔭横浜大学の講師で柔道部の監督。妻は桐蔭学園高校の女子柔道部監督の廣川真由美。 小杉南中学から桐蔭学園高校へ進むと、2年の時にインターハイの軽重量級で5位になった。一方で、団体戦では1つ年下の井上康生率いる東海大相模高校に後一歩のところで阻まれ続けて、インターハイ団体戦と高校選手権には出場することができなかった。 1996年には中央大学へ進むと、2年の時には全日本ジュニアの決勝で国士舘大学2年の斎藤制剛に敗れるも2位となった。
高波 善行(たかなみ よしゆき、1966年6月27日 -)は… 高波 善行(たかなみ よしゆき、1966年6月27日 -)は富山県出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。身長176cm。得意技は内股。 現在は母校・小杉高校柔道部の監督を務めている。
出口 達也(でぐち たつや、1962年4月21日 - )は富… 出口 達也(でぐち たつや、1962年4月21日 - )は富山県出身の日本の柔道家。60kg級の選手。身長164cm。現在は広島大学の教授で、柔道部監督も務めている[4]。
津沢 寿志(つざわ ひさし、1948年6月8日 - )は、日… 津沢 寿志(つざわ ひさし、1948年6月8日 - )は、日本の柔道家(8段)。身長170cm。 富山県にて、警察官で柔道選手としても活躍した父親(講道館7段)のもと、5人兄弟(姉2人、兄1人、弟1人)として育った。幼少時はスポーツ万能で、走るのも早く、相撲も強かった。「当時はあまり玩具などもない時代で、近所の子供が集まって野山で駆けっこばかりして遊んでいた事で、自然に体力がついたのだろう」と津沢は語る。 南郷中学に入学と同時に柔道を始めたが、柔道部顧問が柔道の専門家ではなかったため、部活の練習は上級生が下級生に教えるというものだった。そのため、中学時代の主だった成績というのも、中学3年の時に個人戦で県2位に入賞した程度だった。
湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 20… 湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 2016年6月15日)は、日本の柔道家(講道館9段)。富山県出身。 1967年と1969年に開催された世界選手権大会の軽中量級覇者である。 富山県福野町(現・南砺市)で接骨院を営む家に、7人兄妹の末っ子として生まれる。父が道場を経営していた関係で5歳頃から柔道を始め、当時は幼心にもインターハイか国体への出場を目標に稽古に励んだ。なお、兄妹はいずれもスポーツマン・スポーツウーマンで、後に卓球のダブルスで日本一になった者もいる。 中学校を卒業すると、進学校であり柔道でも県立小杉高校らと共に当時富山県内の4強に数えられた県立福野高校(現・県立南砺福野高校)へ進学。
中村 良三(なかむら りょうぞう、1942年11月12日 -… 中村 良三(なかむら りょうぞう、1942年11月12日 - )は、日本の柔道家。講道館九段を取得している。 現役時代は全日本選手権出場等の実績を持ち、引退後は母校・東京教育大学および筑波大学にて教授や柔道部監督、国際柔道連盟教育理事等を歴任した。 富山県高岡市の生まれで、小学校低学年の時に母親の友人の女性から勧められて柔道を始めた。市立高陵中学校にて後々まで生涯の師と仰ぐ事となる向健三と出会い、中学3年次に県大会で団体戦・個人戦とも優勝。高校は県下有数の進学校である県立高岡高校へ進み、卒業後1961年に東京教育大学へ入学して稽古に励んだ。大学4年次の1964年には日本の柔道家にとっての檜舞台である全日本選手権に東京地区代表として出場を果たしている。
佐伯 弘治(さえき こうじ、1928年 - 2016年2月3… 佐伯 弘治(さえき こうじ、1928年 - 2016年2月3日)は、日本の法学者、柔道家。専攻は民法、法社会学。前学校法人国士舘理事長。学校法人日通学園学園長。流通経済大学名誉学長。学生柔道の振興にも寄与した。 富山県富山市生まれ。 富山県立富山商業学校、国士舘専門学校を経て、1951年、法政大学法学部卒。 1953年、法政大学大学院(旧制)修了。指導教授は薬師寺志光。 大学院修了後、法政大学短期大学部商経科講師(法政大学柔道部監督と兼任)を経て、1965年流通経済大学の開学に伴い経済学部助教授、1969年教授。 1974年、46歳の時、流通経済大学学長に就任し、2001年3月まで、9期27年務める。
伊藤 秀雄(いとう ひでお、1922年〈大正11年〉6月10… 伊藤 秀雄(いとう ひでお、1922年〈大正11年〉6月10日 - 2002年〈平成14年〉)は、日本の柔道家(講道館9段)、法務教官。旧姓大久保。 1922年、富山県富山市の富豪農家であった大久保家に生まれる。旧制神通中学校(現・県立富山中部高校)に入学すると、柔道か剣道が必須科目となっており、付き添いで来ていた父親が柔道の選択を即決したのが斯の道との出会いになった。身長173cm・体重72kgという大柄な体格に加え、2年生の時に寒稽古の納会試合で14人抜き達成したのが同校の柔道教師であった三鍋義三6段の目に付き、勧誘されて本格的に柔道を始めた。記録上の講道館入門は1938年10月4日付で、翌10月5日には初段を拝受。
工藤 一三(くどう かずぞう、1898年7月27日 - 19… 工藤 一三(くどう かずぞう、1898年7月27日 - 1970年7月2日)は、日本の柔道家(講道館9段・大日本武徳会範士)。 戦前の明治神宮競技大会等で活躍して古賀残星の選抜した“柔道十傑”の1人に数えられ、旧制浦和高校助教授を経てドイツに留学し柔道の普及に尽力。後には警視庁にて逮捕術制定の任に当たって講道館審議委員や全日本柔道連盟の理事を務めるなど、柔道界の大家として知られた。 青森県弘前市富田に生まれ富山県で育った。県立高岡中学校(現・県立高岡高校)在学中に磯貝一の実兄である誠三(のち6段)の手解きを受け、1916年に同校を卒業後は上京して東京高等師範学校体育科に進学し、生来の研究熱心も手伝い永岡秀一の指導のもとで以前にも増しその腕を上達させた。