蔵 琢也(くら たくや、1963年 - )は、日本の生物学者… 蔵 琢也(くら たくや、1963年 - )は、日本の生物学者、動物評論家。 京都大学動物学教室教務補佐、京都学園大学非常勤講師、同志社大学ITEC研究員などを務めた。蔵研也は弟。 富山県生まれ。富山県立氷見高等学校をへて、京都大学理学部で数学を学んだあと、文学部心理学科に転じ卒業。1999年同大学大学院理学研究科博士課程修了、「動物の競争への連続ゲーム理論の応用」で博士(理学)。
坂東 眞理子(ばんどう まりこ、1946年8月17日 - )… 坂東 眞理子(ばんどう まりこ、1946年8月17日 - )は、日本の婦人問題評論家、元官僚。 第5代学校法人昭和女子大学総長。朝日生命保険相互会社役員。社団法人農山漁村女性・生活活動支援協会会長。 富山県出身。富山県立富山中部高等学校を経て、東京大学文学部心理学科卒業後、1969年総理府に入省。1975年総理府婦人問題担当室(男女共同参画室の前身)に入室、当時最年少の担当官だった。1978年に日本初の「婦人白書」の執筆を担当した。1980年よりハーバード大学へ留学。帰国後、統計局消費統計課長、埼玉県副知事、在豪州ブリスベン総領事(女性初の総領事)、総理府男女共同参画室長などを歴任。2001年には内閣府男女共同参画局の初代局長を経て2003年に退官。
中野 謙二(なかの けんじ、1931年9月12日 - 200… 中野 謙二(なかの けんじ、1931年9月12日 - 2004年11月19日)は、日本のジャーナリスト、中国問題評論家。現代中国学会会員。 富山県高岡市生まれ。1954年、東京外国語大学中国語科卒業。 1954年毎日新聞社入社。1970年ソウル支局長、1973年香港支局長、東京本社外信部副部長を経て、1976年北京支局長、1979年論説委員。 1986年高岡短期大学教授に就任。1989年東海大学教授、2002年定年退職。 2000年、アジア人口・開発協会評議員。
久水 宏之(ひさみず ひろゆき、1931年3月7日 - )は… 久水 宏之(ひさみず ひろゆき、1931年3月7日 - )は、日本の経済評論家。
玉川 信明(たまがわ のぶあき/しんめい、1930年6月29… 玉川 信明(たまがわ のぶあき/しんめい、1930年6月29日 - 2005年7月6日)は、日本の評論家。玉川しんめいの表記も用いた。 富山県富山市旅籠町に生まれる。神通中学校に入学し、学制変更で富山県立富山中部高等学校となり、卒業。 在学中、日本青年共産同盟(青共)に加入。富山市の臨時職員ののち、群馬県の工場で勤務。のち、法政大学第二経済学部に進学し、黒田寛一らを知るが、退学して帰郷する。 文通により竹内好に師事し、29歳で上京して、東京都立大学の中国文学科の特別聴講生として二年半をすごす。雑誌社に二年半勤務したのちに、結婚・退社してふたたび帰郷する。 33歳、34歳のころ、辻潤に熱中してアナーキズムに傾倒し、40歳をすぎてから著作活動をはじめる。
東川 清一(とうかわ せいいち、1930年1月2日- )は、… 東川 清一(とうかわ せいいち、1930年1月2日- )は、日本の音楽学者であり音楽評論家、東京学芸大学名誉教授。 富山県滑川市生まれ。1957年東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。1965~67年アレクサンダー・フォン・フンボルト財団給費留学生としてケルン大学音楽学研究所に留学。東京学芸大学助教授、教授、93年定年退官、名誉教授、東海大学教授。2010年退任。バッハ研究の権威として名高い。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
堀田 善衛(ほった よしえ、1918年〈大正7年〉7月7日 … 堀田 善衛(ほった よしえ、1918年〈大正7年〉7月7日 - 1998年〈平成10年〉9月5日)は、日本の小説家、評論家。
野村 尚吾(のむら しょうご、1912年1月2日 - 197… 野村 尚吾(のむら しょうご、1912年1月2日 - 1975年5月15日)は、日本の編集者、作家、評論家。本名・利尚。 富山県富山市生まれ。早稲田大学英文科卒業。在学中から『早稲田文学』の編集に携わる。早稲田大学卒業後、毎日新聞社出版部に勤務。1940年、『嫩葉の木立』を刊行して作家デビュー。以後、『早稲田文学』を中心に作品を発表。戦後、谷崎潤一郎の担当となり、1949年、毎日新聞への「少将滋幹の母」連載、1962年、「サンデー毎日」連載の「台所太平記」を担当する。1950年、「遠き岬」で、1960年、「花やあらむ」で芥川賞候補、1962年、『乱世詩人伝』で直木賞候補、1963年、『戦雲の座』で直木賞候補、小説新潮賞受賞。
菊盛 英夫(きくもり ひでお、1909年2月14日 - 20… 菊盛 英夫(きくもり ひでお、1909年2月14日 - 2001年12月12日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、映画・文芸評論家、翻訳家。中央大学教授を歴任。 富山県富山市生まれ。1933年東京帝国大学独文科卒業。1980年まで中央大学教授。 多くの著書、翻訳があり、トーマス・マンを専門とした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
瀧口 修造(たきぐち しゅうぞう、1903年(明治36年)1… 瀧口 修造(たきぐち しゅうぞう、1903年(明治36年)12月7日 - 1979年(昭和54年)7月1日)は、近代日本を代表する美術評論家、詩人、画家。戦前・戦後の日本における正統シュルレアリスムの理論的支柱であり、近代詩の詩人とは一線を画す存在。 1903年、富山県婦負郡寒江村(のち呉羽町、現:富山市)大塚に3人姉弟の長男として生まれる。家は祖父の代から医者であり、長男の修造は当然家業を継ぐものとして期待されていた。だが、それに反するかのように本人は子供の頃から大の学校嫌いで、よく家の大黒柱につかまっていたという。小学5年生のある日、父の勤めている病院に連れて行ってもらい、実際の手術の現場を見せてもらったところ、あやうく卒倒しかける。