林 彦一(はやし ひこいち、1863年(文久3年9月) - … 林 彦一(はやし ひこいち、1863年(文久3年9月) - 1923年(大正12年)12月22日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 越前国大野郡田野村(のち福井県大野郡富田村、現・大野市)出身。漢学を学ぶ。訓導、連合町村会議員、富田村戸長、学務委員、県勧業諮問会員、富田村会議員、同村長、大野郡会議員、同参事会員、福井県会議員、福井県蚕糸業組合評議員、同議長、大野郡蚕糸業組合評議員、大野郡農会長となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において福井1区から自由党公認で立候補して当選する。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して当選した。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。
加藤 与次兵衛(與次兵衞、かとう よじへえ、1859年(安政… 加藤 与次兵衛(與次兵衞、かとう よじへえ、1859年(安政6年1月) - 1922年(大正11年)2月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。福井銀行重役。 越前国足羽郡(のち福井県足羽郡六条村→足羽村→足羽町、現・福井市)生まれ。1882年(明治15年)泊園書院に入塾し漢学を学ぶ。今立郡稲荷村外六ヶ村戸長、六条村長、福井県会議員、福井銀行取締役となる。 1892年の第2回衆議院議員総選挙において福井1区から弥生倶楽部所属で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1894年3月の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では無所属で立候補したが得票数が1票で落選した。
丹尾 頼馬(にお たのま、1858年10月15日(安政5年9… 丹尾 頼馬(にお たのま、1858年10月15日(安政5年9月9日)- 1928年(昭和3年)7月8日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、福井県丹生郡岡山村長。 越前国丹生郡下野田村(福井県岡山村、豊村を経て現鯖江市)で、丹尾兵馬の長男として生まれた。その後、大地主、農業、村役、馬売買を営む本家・丹尾清左衛門の養子となる。同郡家久村の木村塾で学び、1866年(慶応2年)福井藩立・立教館に入り漢学、数学、習字を修めた。1869年(明治2年)中學明新館(現福井県立藤島高等学校)に入学。その後上京し、築地のカロゾルス(クリストファー・カロザース)に師事し英語を修めた。1877年(明治10年)慶應義塾に入った。
小畑 岩次郎(おばた いわじろう、1858年3月22日(安政… 小畑 岩次郎(おばた いわじろう、1858年3月22日(安政5年2月8日) - 1936年(昭和11年)2月14日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員、福井県遠敷郡松永村長。 若狭国遠敷郡平野村(福井県遠敷郡平野村、松永村を経て現小浜市平野)で、小畑多四郎の長男として生まれた。1894年(明治27年)家督を相続した。漢学、算術を修めた。 1876年(明治9年)敦賀県属となり地租改正を担当し、滋賀県でも担って1881年(明治14年)に退官。若狭国敦賀郡人民総代となり復県の誓願を行う。福井県属となり勧業事務を担当し、養蚕、製糸、羽二重製造を奨励した。1890年(明治23年)農商務省に転じて大日本蚕糸会の設立に尽力し、同会幹事を務め、1894年(明治27年)に退官した。
山口 定省(やまくち さだみ、やまぐち ていせい、1858年… 山口 定省(やまくち さだみ、やまぐち ていせい、1858年3月18日(安政5年2月4日) - 1926年(大正15年)1月20日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 若狭国遠敷郡和久里村(のち福井県遠敷郡今富村、現・小浜市)に小浜藩士山口甚太夫の子に生まれる。農業を営み、学務委員、和久里村戸長、今富村長、福井県会議員、同参事会員、遠敷郡会議員、同参事会員、福井農工銀行取締役、若越新聞社長となる。また、朝鮮で貿易業に従事する。 1898年8月の第6回衆議院議員総選挙において福井4区から憲政党公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1926年に死去した。
山口 嘉七(やまぐち かしち、1857年9月13日(安政4年… 山口 嘉七(やまぐち かしち、1857年9月13日(安政4年7月25日)- 1932年(昭和7年)12月17日)は、明治から昭和初期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員。 若狭国遠敷郡小浜酒井町(福井県遠敷郡小浜町を経て現小浜市酒井)で、小浜藩士・山口甚太夫の三男として生れる。 1886年(明治19年)代言人試験に合格し、1893年(明治26年)弁護士登録を行い、大津、京都で開業。その後、帰郷して1895年(明治28年)4月、小浜町会議員となる。遠敷郡会議員、同参事会員にも在任。1897年(明治30年)8月、福井県会議員に初当選し、1908年(明治41年)3月まで通算5期、10年6ヵ月在任した。
和田 維四郎(わだ つなしろう、安政3年3月17日(1856… 和田 維四郎(わだ つなしろう、安政3年3月17日(1856年4月21日) - 大正9年(1920年)12月20日)は、日本の鉱物学者、書誌学者、貴族院議員。号は雲村。 若狭国(現在の福井県)で小浜藩士和田耘甫の三男として生まれる。幼名は猪三太、または三吉。 明治3年(1870年)旧暦10月に小浜藩の貢進生として満14歳で上京し、大学南校に入学。明治5年(1872年)に大学南校が廃止されると和田は第一大学区第一番中学に入学し、ドイツ語コースを選択する。明治6年(1873年)に第一大学区第一番中学は開成学校と改称し、ドイツ語コースは鉱山学科となり、和田はカール・アウグスト・シェンクに鉱物学を学ぶ。
伊藤 淳(いとう あつし、1854年11月22日(安政元年1… 伊藤 淳(いとう あつし、1854年11月22日(安政元年10月3日)- 1903年(明治36年)5月29日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 越前国大野郡御領村(福井県大野郡阪谷村を経て現大野市御領)で、豪農・伊藤三郎左衛門の長男として生まれた。普通学を修めた。1874年(明治7年)8月に家督を相続した。 大区副区長、阪谷村五箇村組合長、大野郡会議員(2期)、同参事会員などを務め、明治初期に永昌社(金融機関)を創立して農家の便宜を図った。1885年(明治18年)11月、福井県会議員に選出され、1902年(明治35年)8月まで5期在任。この間、同常置委員、同参事会員などにも在任し、道路の整備などに尽力した。
4代 黒田 道珍(黑田、くろだ どうちん、1853年4月25… 4代 黒田 道珍(黑田、くろだ どうちん、1853年4月25日(嘉永6年3月18日)- 1904年(明治37年)9月6日)は、明治期の政治家。衆議院議員、福井県今立郡岡本村長。幼名・良哉。 越前国今立郡定友村(石川県今立郡定友村、福井県今立郡定友村、岡本村定友、今立町定友を経て現越前市定友町)で、漢方医・3代黒田道珍の息子として生まれた。吉田宗琢に師事し西洋医学を修め、4代道珍を襲名した。 自由民権運動に加わる。杉田定一を助け地租軽減、国会開設を目指して活動した。地方衛生会員、所得税調査委員、岡本村会議員、同村長、今立郡会議員、福井商法会議所議員、日本赤十字社正社員などを務めた。 1885年(明治18年)11月、福井県会議員に選出され1888年(明治21年)12月まで在任。
谷沢 竜蔵(たにざわ りゅうぞう、嘉永5年6月10日(185… 谷沢 竜蔵(たにざわ りゅうぞう、嘉永5年6月10日(1852年7月26日) - 大正7年(1918年)4月1日)は、衆議院議員(立憲革新党→山下倶楽部→帝国党→大同倶楽部)、弁護士。 若狭国遠敷郡西津村(現在の福井県小浜市)に小浜藩士渡辺瀬平の二男として生まれ、谷沢氏の養子となった。小浜藩校で学んでいたが、1868年(明治元年)に貢進生に選ばれ、東京に遊学して法学・経済学を学んだ。1871年(明治4年)、廃藩置県により小浜藩が廃止され、敦賀県が設置されると郷里に帰った。1876年(明治9年)に代言人規則が制定されると、免許を受けて事務所を開いた。同年、敦賀県が廃止され滋賀県に編入されると大津に事務所を移し、1880年(明治13年)より大津代言人組合会長を務めた。
久保 九兵衛(九兵衞、くぼ くへえ、1852年4月22日(嘉… 久保 九兵衛(九兵衞、くぼ くへえ、1852年4月22日(嘉永5年3月4日)- 1937年(昭和12年)1月23日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員。幼名・栄三郎。 越前国丹生郡風巻村(福井県丹生郡風巻村、天津村、清水町風巻を経て現福井市風巻町)で、斎藤(斉藤)清兵衛の三男として生まれ、1854年4月15日(安政元年3月18日)同郡三留村(三方村、清水町三留を経て現:福井市三留町)の大地主、庄屋、酒造業・先代久保九兵衛の養嗣子となり、1880年(明治13年)10月1日、家督を相続し九兵衛を襲名した。本保村(のち吉野村本保、現越前市)のたつみ(河野家屋号)塾などで漢学を修めた。
竹尾 茂(たけお しげる、1852年2月24日(嘉永5年2月… 竹尾 茂(たけお しげる、1852年2月24日(嘉永5年2月5日)- 1937年(昭和12年)1月16日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、福井県会議長、福井県大野郡上庄村長。旧姓・真柄(まから)。 越前国大野郡猪ノ島村(福井県大野郡上庄村を経て現大野市)で、真柄重右衛門の二男として生まれた。1873年(明治6年)7月、同郡稲郷村(上庄村を経て現:大野市)の旧家・故竹尾五右衛門の婿養子となり、その長女はま と結婚した。農業を営む。 1881年(明治14年)4月、福井県設置初の県会議員選挙で当選し、1899年(明治32年)9月まで通算6期在任した。この間、同議長(第5代1885年11月-12月)、同副議長(第6代1885年12月-1887年12月、第13代1892年11月-1893年9月)も務めた。
杉田 定一(すぎた ていいち、1851年6月30日〈嘉永4年… 杉田 定一(すぎた ていいち、1851年6月30日〈嘉永4年6月2日〉- 1929年〈昭和4年〉3月23日)は、日本の政治家。衆議院議長などを務めた。号は鶉山(じゅんざん)。越前国坂井郡波寄村(現在の福井県福井市波寄町)出身。 豪農の杉田仙十郎(1820-1893)・隆(りう、-1855)夫妻の長男として生まれる。1868年(明治元年)ごろ大阪に出て外国語や理化学を学び、その後東京の三崎嘯輔の塾でドイツ語・理化学を学んだ。1873年(明治6年)にいったん波寄村にもどり、再び各地を放浪したのち、1875年(明治8年)、東京で『采風新聞』を創刊するが、筆禍事件により収監を経験した(1876年3月禁獄6か月)。
中島 又五郎(なかじま またごろう、1851年(嘉永4年12… 中島 又五郎(なかじま またごろう、1851年(嘉永4年12月)- 没年不詳)は、明治期の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)、東京市会議長、東京弁護士会長。 越前国南条郡武生(福井県南条郡武生町、武生市を経て現越前市)で、福井藩越前府中領主本多家家臣・中島無二の二男として生まれる。1871年(明治4年)関義臣に随行して上京し、法律を修めた。 1877年(明治10年)3月、代言人試験に合格し、1878年(明治11年)8月、京橋区で法律事務所を開設した。1882年(明治15年)自由党に入党し、1883年(明治16年)福島事件で検挙された平島松尾の弁護人を務めた。また、東京代言人組合副会長、東京弁護士会長にも在任した。
永田 定右衛門(ながた さだうえもん、1851年(嘉永4年1… 永田 定右衛門(ながた さだうえもん、1851年(嘉永4年11月)- 1914年(大正3年)8月6日)は、明治時代の政治家。自由民権運動家。衆議院議員(1期)。幼名・湯浅善太郎。 越前国今立郡鯖江下深江町(福井県今立郡鯖江町を経て現鯖江市)の湯浅家に生まれ、丹生郡下氏家村(福井県丹生郡岡山村、豊村を経て、現鯖江市下氏家町)の永田家の養子となり定右衛門を襲名した。自由民権運動に傾倒し杉田定一らと関わり、北陸自由新聞の発刊や南越倶楽部の副会頭を務めるなど活動した。1882年(明治15年)には福井県会議員に当選し、議長および副議長を歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では福井県第3区から出馬し当選。
一瀬 代蔵(いちせ だいぞう、1850年〈嘉永3年〉 - 1… 一瀬 代蔵(いちせ だいぞう、1850年〈嘉永3年〉 - 1920年〈大正9年〉)は、日本の政治家。福井県大飯郡青郷村長(第3代)。勲等は勲七等。 青郷村(現・高浜町)関屋生まれ。1884年(明治17年)7月に小和田村ほか8ヶ村の戸長となった。1891年(明治24年)5月1日から1894年(明治27年)2月16日まで青郷村助役を、同月17日から1906年(明治39年)2月22日まで第3代青郷村村長を務めた。在任中は小学校の建設をした。名誉職郡参事会員である。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
青山 庄兵衛(あおやま しょうべえ、1848年2月6日(嘉永… 青山 庄兵衛(あおやま しょうべえ、1848年2月6日(嘉永元年1月2日)- 1912年(明治45年)6月4日)は、明治時代の政治家、銀行家。自由民権運動家。衆議院議員(1期)。幼名は伝太郎。 先代青山庄兵衛の長男として越前国足羽郡東郷村(福井県足羽郡東郷二ヶ村、東郷村、足羽村、足羽町を経て現福井市東郷二ケ町)に生まれる。14、5歳にして儒学を志す。1873年(明治6年)戸長に就任し、在任中に発生した足羽川大洪水では飢餓に苦しむ農民を救うなど復旧に尽力した。1879年(明治12年)県制発布とともに石川県会議員に当選し、のち福井県会議員、足羽郡会議員と歴任した。1882年(明治15年)に杉田定一が北陸自由新聞を発刊すると100余円に及ぶ私財を投じ、1889年(明治22年)には南越倶楽部の代表となり自由民権を唱えた。
渡辺 洪基(わたなべ ひろもと / こうき、1848年1月2… 渡辺 洪基(わたなべ ひろもと / こうき、1848年1月28日〈弘化4年12月23日〉- 1901年〈明治34年〉5月24日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代の日本の官僚、政治家。帝国大学初代総長。幼名は静寿、のち孝一郎。号は浩堂、旦堂。 越前国南条郡府中(のち福井県南条郡武生町、現越前市)にて蘭方医渡辺静庵の長男として生まれる。母の名は蔦埜(つたの)。 府中の立教館、福井藩医学校済世館で学んだ後、下総国佐倉の佐藤舜海の下で医学を修め、江戸で開成所(箕作麟祥)、福沢諭吉の蘭学・英学塾(後の慶應義塾)等で英学を学ぶ。次いで幕府医学所の句読師となったが、戊辰戦争勃発で失職。会津藩へ赴き英学を教授したが、会津戦争の敗北に伴い庄内藩へ向かう途上、米沢藩に招かれ、洋学校開設に尽力した。
時岡 又左衛門(ときおか またざえもん、1848年(嘉永元年… 時岡 又左衛門(ときおか またざえもん、1848年(嘉永元年8月) - 1904年(明治37年)9月23日)は、明治時代の政治家、医師。衆議院議員(4期)。旧姓・樽木、幼名・嘉市。 若狭国遠敷郡大谷村(福井県遠敷郡宮川村を経て現小浜市)で樽木四郎左衛門の二男として生まれた。1876年(明治9年)福井県大飯郡、のちの本郷村(大飯郡大飯町を経て、現おおい町)の先代・時岡又左衛門の養子となり、又左衛門を襲名した。医師を務める傍ら、1879年(明治12年)滋賀県会議員に当選。1881年(明治14年)福井県会議員に転じ、同議長を務めた。 1894年(明治27年)3月の第3回衆議院議員総選挙では福井県郡部から自由党所属で出馬し当選。
5代 大針 徳兵衛(德兵衞、おおばり とくべえ、1847年3… 5代 大針 徳兵衛(德兵衞、おおばり とくべえ、1847年3月17日(弘化4年2月1日)- 1908年(明治41年)8月11日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、福井県坂井郡雄島村長。幼名・長之助。 越前国坂井郡安島浦(福井県坂井郡安島浦、雄島村安島、三国町安島を経て現坂井市三国町安島)で、回漕業・4代大針徳兵衛の長男として生まれた。明治のはじめに5代徳兵衛を襲名した。回漕業を営む。 里正、組合総代、敦賀県第53大区小2区戸長、第14大区23小区戸長、浦役人、学務委員、所得税調査委員などを務めた。1889年(明治22年)5月、雄島村会議員となり、1890年(明治23年)2月、雄島村長に就任し、安島道の改修に尽力した。
藤田 孫平(ふじた まごへい、1844年(弘化元年10月)-… 藤田 孫平(ふじた まごへい、1844年(弘化元年10月)- 1920年(大正9年)2月6日)は、明治から大正時代前期の政治家。衆議院議員(2期)。京都府加佐郡新舞鶴町長。幼名・幸助。 若狭国遠敷郡羽賀村(福井県遠敷郡国富村を経て現小浜市)で、藤田孫左エ門の長男として生まれる。農業を営む傍ら、戸長、国富村会議員、遠敷郡会議員を歴任し、1880年(明治13年)3月、滋賀県会議員に当選する。同常置委員、副議長を務めたのち、1881年(明治14年)2月の福井県設置に伴う嶺南4郡の滋賀県復県運動に活躍した。1884年(明治17年)福井県属に転じ三方郡長を拝命する。1888年(明治21年)遠敷郡長となった。
山田 穣(やまだ ゆたか / みのる、1842年(天保13年… 山田 穣(やまだ ゆたか / みのる、1842年(天保13年7月)- 1892年(明治25年)5月6日)は、明治期の地主、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・蒲、幼名・幸輔。 越前国今立郡東庄境村(福井県今立郡南中山村、粟田部町、今立町を経て現越前市)で素封家・蒲家に生まれ、文久2年(1862年)越前国坂井郡一本田村(坂井郡丸岡町を経て現坂井市)の同国屈指の豪農・山田穆斎の養子となる。 明治5年(1872年)足羽県坂井郡副長に就任し、敦賀県第57大区区長、第15大区副区長兼学区取締を務めた。1875年(明治8年)地租改正の総代人となりその事務に従事した。 1880年(明治13年)石川県会議員に当選し、福井置県後は福井県会議員に選出され同議長、同常置委員も務めた。
渡辺 徹(渡邉 徹、わたなべ とおる、1841年9月15日(… 渡辺 徹(渡邉 徹、わたなべ とおる、1841年9月15日(天保12年8月1日) - 1913年(大正2年)10月19日)は、幕末の勤王家、明治期の内務官僚、政治家、実業家。茨城県参事、御影町長、衆議院議員。幼名・政吉、後左衛門、又衛。 越前国南条郡武生で、福井藩越前府中領主本多家家臣・渡辺良右衛門の三男として生まれ、のち大坂の国学者・渡辺資政の養子となる。剣鎗銃砲の術を修めた。幕末の国事に奔走し、錦小路頼徳に仕え、七卿落ちの際にも随行し、錦小路死去後に東久世通禧に仕えた。 明治維新後、神奈川府巡察補に就任。以後、同巡察、神奈川県少参事、五條県大参事、甲府県権大参事、租税寮七等出仕、秋田県参事などを歴任。
関 義臣(せき よしおみ、1839年12月15日(天保10年… 関 義臣(せき よしおみ、1839年12月15日(天保10年11月10日) - 1918年(大正7年)3月30日)は、日本の武士・越前福井藩士、政治家。別名を山本龍二郎、関龍二。号は湘雲。正三位勲二等男爵。 1839年、福井藩の家老である本多家の越前府中(現在の越前市、旧武生市)領にて、本多家家臣・山本五郎の三男に生まれる。当初名乗っていた名前は山本龍次郎であった。嫡男ではないため、福井本藩の家臣であった山本家の分家で育つ。 藩校明道館に学び、幹事の橋本左内に認められて、文久2年(1862年)に昌平坂学問所に学んだ。1866年(慶応2年)、長崎の坂本龍馬を訪ねて亀山社中に加盟し、のちに海援隊に属した。
坪田 仁兵衛(仁兵衞、つぼた にへえ、1838年11月22日… 坪田 仁兵衛(仁兵衞、つぼた にへえ、1838年11月22日(天保9年10月1日)- 1896年(明治29年)7月10日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員(1期)。幼名・慎之丞。 越前国坂井郡大牧村(福井県坂井郡大石村、春江町を経て現坂井市春江町大牧)で、大地主、大庄屋・先代坪田仁兵衛の二男として生まれた。農業を営み、坂井郡会議員、石川県会議員、福井県会議員、同常置委員となる。 1894年の第4回衆議院議員総選挙において福井県第2区から自由党所属で当選。衆議院議員を1期務め、在職中の1896年に死去。
森 之嗣 は、日本の政治家、福井県あわら市長(2期)。ボード… 森 之嗣 は、日本の政治家、福井県あわら市長(2期)。ボードセンター森建材代表。
佐々木 康男 は、日本の政治家、農家。元福井県あわら市長(1… 佐々木 康男 は、日本の政治家、農家。元福井県あわら市長(1期)。福井県観光営業部長、福井県観光連盟専務理事等を歴任。
波多野 翼 は、日本の政治家、絵本作家。衆議院議員(1期)を… 波多野 翼 は、日本の政治家、絵本作家。衆議院議員(1期)を務めた。