石田 嵩人(いしだ たかと、1990年〈平成2年〉2月5日 … 石田 嵩人(いしだ たかと、1990年〈平成2年〉2月5日 - )は、日本の政治家、元外交官(ノンキャリア専門職)。福井県知事(公選第21代)。福井市出身。 1990年(平成2年)、福井県福井市に生まれる。外科医である父の英国留学に伴って、小学6年の1年間をロンドンで過ごす。同年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件の報道を見て、国際関係に興味を持つようになる。帰国後、福井大学教育地域科学部附属中学校、北陸学園北陸高等学校へ進学。高校まで福井県内で暮らす。 2008年(平成20年)、高校卒業後、関西外国語大学国際言語学部に入学。この頃までには、英語を使って何か大きな仕事がしたいとの志を持つ。
服部 則夫(はっとり のりお、1945年(昭和20年) - … 服部 則夫(はっとり のりお、1945年(昭和20年) - )は、日本の外交官。ベトナム駐箚特命全権大使などを歴任した。 福井県福井市出身。1968年(昭和43年)東京大学法学部を卒業し、外務省入省。1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)までフランス共和国に留学し、フランス語研修を受ける。1975年在フィリピン日本国大使館一等書記官、1977年在ジュネーブ日本政府代表部一等書記官、1980年外務省経済協力局政策課企画官、1983年外務省外務大臣官房国内広報課長、1985年外務省欧亜局西欧第一課長、1986年在中華人民共和国日本国大使館参事官、1989年在フランス日本国大使館公使、1990年外務省経済協力局審議官、1996年在インドネシア日本国大使館公使、1997年在インドネシア日本国大使館特命全権公使、1999年外務省軍備管理・科学審議官(大使)、2001年(平成13年)外務報道官、2002年(平成14年)から2008年(平成20年)まで、ベトナム駐箚特命全権大使を務めた。
田中 三郎(たなか さぶろう、1941年 - )は、日本の外… 田中 三郎(たなか さぶろう、1941年 - )は、日本の外交官。内閣情報調査室次長や、シドニー総領事、駐キューバ特命全権大使等を歴任した。 東京生まれ。福井県立武生高等学校、東京外国語大学外国語学部英米学科を経て、オックスフォード大学哲学・政治・経済学部(Philosophy, Politics and Economics)卒業。外務省欧亜局大洋州課首席事務官、外務省情報文化局報道課外国プレス室長、外務大臣官房総務課査察室長、外務大臣官房領事移住部領事第二課長、在ハンガリー日本国大使館参事官、在英国日本国大使館参事官、在ルーマニア日本国大使館参事官、在プレトリア日本国総領事館首席領事、在ハンガリー日本国大使館公使、在英国日本国大使館広報文化センター所長、在タンザニア日本国大使館公使などを経て、1989年岐阜県国際交流センター理事長、岐阜県理事。
平泉 渉(ひらいずみ わたる、1929年11月26日 - 2… 平泉 渉(ひらいずみ わたる、1929年11月26日 - 2015年7月7日)は、日本の政治家、外交官。衆議院議員・参議院議員、科学技術庁長官・経済企画庁長官を歴任。 1929年に福井県勝山市で生まれる。父は当時東京帝国大学助教授で後に教授となる国史学者の平泉澄。旧制東京高等学校を経て、1952年に東京大学法学部政治学科を卒業後、外務省入省。フランス語研修員として、フランスのグルノーブル政治学院、エクス=マルセイユ大学などに学んだ。その後、在フランス大使館に勤務し、1954年に訪仏した鹿島守之助を案内したことがきっかけで守之助に見込まれ、その三女・三枝子と結婚。やがて国連代表部二等書記官、在イラン大使館一等書記官を経て、1965年、守之助に日本に呼び戻されて鹿島建設の専務取締役となり、同年、第7回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から立候補し、初当選。
田村 秀治(たむら ひでじ、1904年 – 1988年10月… 田村 秀治(たむら ひでじ、1904年 – 1988年10月2日)は、日本の外交官。アラブに長く勤務し、日本とアラブ諸国の友好関係樹立に貢献したとされる。 福井県大飯郡高浜村(現・高浜町)和田で生まれる。 旧制小浜中学校を経て、1927年3月に、大阪外国語学校(後の大阪外国語大学、現・大阪大学外国語学部)を卒業した。外務省留学生試験に合格し、エジプトへ派遣され、エジプト大学(現・カイロ大学)でアラビア語を学んだ。そのまま現地にとどまり、1930年4月よりアレキサンドリア総領事館に勤務した。ギリシャ人の女性と結婚。エジプトで田村は、日本とは大きく異なる気候・風土の中で土地を愛し、現地人になり切って友好関係の樹立を図った。
栗山 茂(くりやま しげる 1886年〈明治19年〉10月6… 栗山 茂(くりやま しげる 1886年〈明治19年〉10月6日 - 1971年〈昭和46年〉2月3日)は、日本の外交官、最高裁判所判事(任期は1947年8月4日 - 1956年10月5日)。 福井中学、東京府立一中、第一高等学校(旧制)を経て、1913年(大正2年)東京帝国大学卒業。 1913年(大正2年)外交官領事官試験に合格し、1914年(大正3年)外務省入省。在フランス日本国大使館一等書記官としてフランス駐在。フランス語が堪能で、鋭い国際的視野を持っていたが、辛口の論客として知られていた。1919年(大正8年)パリ講和会議と1921年(大正10年)ワシントン会議で全権委員随員を務める。 1933年(昭和8年)に外務省条約局長、1937年(昭和12年)に駐スウェーデン大使、1939年(昭和14年)に駐ベルギー大使兼ルクセンブルク公使に就任。
江戸 千太郎(えど せんたろう、1884年5月17日 – 1… 江戸 千太郎(えど せんたろう、1884年5月17日 – 1938年4月7日)は、日本の外交官。 福井県三方郡三方町横渡、江戸勘四郎家の長男として出生。 1904年(明治37年)3月、旧制小浜中学校卒業、明治40年度に早稲田大学高等師範部歴史地理科を卒業し、さらにその翌年に東京帝国大学選科(国史)を卒業し、旧制志布志中学校、旧制水戸中学校に教諭として勤務する。 1918年(大正7年)、外交官補試験に合格、外務省入省。1919年(大正8年)領事館補。1925年(大正14年)より領事として青島、漢口(中国)、リバプール(イギリス)、バンクーバー(カナダ)等に勤務。1931年(昭和6年)より外務省文化事業部第二課長、第一課長兼文部書記官歴任。
斎藤 修一郎(さいとう しゅういちろう、1855年8月24日… 斎藤 修一郎(さいとう しゅういちろう、1855年8月24日〈安政2年7月12日〉- 1910年〈明治43年〉5月6日)は、日本の外交官、農商務官僚、実業家。農商務次官。号・半狂学人、談笑門人。「斉藤」と表記する場合がある。 越前国南条郡武生で、福井藩越前府中領主本多家家臣・眼科医、斎藤策順の息子として生まれる。沼津兵学校付属小学校、大学南校で学ぶ。1873年(明治6年)、大学南校が開成学校と改称して、1875年(明治8年)に卒業し、同年7月、文部省第一回海外留学生として渡米し、1878年(明治11年)6月、ボストン大学法科を卒業した。 1880年(明治13年)9月に帰国し、同年11月、外務省権少書記官に任じられ公信局勤務となる。