深沢 眞二(ふかさわ しんじ、1960年 - )は、日本の国… 深沢 眞二(ふかさわ しんじ、1960年 - )は、日本の国文学者。 山梨県甲府市生まれ。山梨県立甲府南高等学校卒業。1983年京都大学文学部国文科卒業、1988年同大学院博士課程満期退学。1989年国文学研究資料館助手、1993年和光大学人文学部講師、助教授、2007年准教授、表現学部教授。1991年柿衛賞受賞。2005年京都大学で文学博士取得。近世俳諧が専門。妻は深沢了子(のりこ、1965年 - 、聖心女子大学教授)。
小池 一夫(こいけ かずお、1949年〈昭和24年〉7月18… 小池 一夫(こいけ かずお、1949年〈昭和24年〉7月18日 - )は、日本の英語文学者。広島女学院大学教授。学校法人桜美林学園元理事長。桜美林大学名誉教授。山梨県北杜市(旧:大泉村)出身。 1968年3月、山梨県立峡北高等学校卒業。1972年3月桜美林大学文学部英語英米文学科を卒業後、1975年3月、日本大学大学院文学研究科修士課程英文学専攻修了(文学修士)。 1972年4月から2000年3月まで母校の桜美林大学で研究助手(1972年 - 1978年)、専任講師(1978年 - 1985年)、助教授(1985年 - 1992年。この間客員研究員としてUniversity of Edinburgh, Department of English Languageで英語史と英語学を研究)、教授(1992年 - 2000年。
川村 晃生(かわむら てるお、1946年〈昭和21年〉11月… 川村 晃生(かわむら てるお、1946年〈昭和21年〉11月4日 - )は、日本の文学研究者・国文学者。学位は、文学博士(慶應義塾大学・論文博士・1991年)。慶應義塾大学名誉教授。現在は市民運動家。「緑のイーハトーブ」代表。 山梨県甲府市生まれ。1965年山梨県立甲府第一高等学校卒業、1969年慶應義塾大学文学部文学科国文学専攻卒業。1976年同大学院文学研究科国文学専攻後期博士課程単位取得退学。同年慶應義塾大学文学部非常勤講師となり1979年同助手、1982年助教授、1992年教授。1995年文学研究科委員。2012年定年退任、名誉教授。 1981年 「僧正遍照-その詠歌の特質をめぐって」ほか過去の業績に対し第7回日本古典文学会賞受賞。
堀内 勝(ほりうち まさる、1942年6月21日 - )は、… 堀内 勝(ほりうち まさる、1942年6月21日 - )は、日本のアラブ文学者、元中部大学教授。専門は言語人類学、アラブ・イスラム世界の地域研究・民族誌。 山梨県甲府市生まれ。東京外国語大学アラビア語科卒業。カイロ・アメリカン大学大学院課程修了、同大学フェローとなる。1983年1月中部工業大学産業経済研究所教授に就任。1984年4月中部大学(前述大学が改称)国際関係学部教授。1986年『ラクダの文化誌』でサントリー学芸賞受賞。2013年3月に中部大学を定年退職、同年4月に名誉教授となった。 『夜の旅人 研究ブログ』 本人運営ブログ。アラブ世界における星ごよみに関する研究やアラブ文化にまつわる論考など。
深沢 秋男(ふかさわ あきお、1935年11月17日 - 2… 深沢 秋男(ふかさわ あきお、1935年11月17日 - 2021年1月15日)は、日本の国文学者。専門は仮名草子、特に如儡子『可笑記』。また『井関隆子日記』を再発見した功績でも知られる。 山梨県身延町生まれ。身延高等学校を経て、1962年法政大学文学部日本文学科卒。同年、桃源社編集部に就職。1969年誠文堂新光社事典部に転職。1983年昭和女子大学専任講師、1987年同助教授、1994年同教授。2005年定年退職、2008年同大学名誉教授。 鹿島則文旧蔵の桜山文庫、鈴木重嶺旧蔵の翠園文庫を昭和女子大学図書館に収めるにあたり尽力した。
石原 武(いしはら たけし、1930年8月3日 - 2018… 石原 武(いしはら たけし、1930年8月3日 - 2018年3月20日)は、日本の詩人、英文学者、翻訳家。文教大学名誉教授。 山梨県甲府市生まれ。明治学院大学文学部英文科卒業。1967年に詩集『軍港』を上梓、1974年『離れ象』で日本詩人クラブ賞受賞。1996年、英米詩の翻訳業績により第21回地球賞受賞。立正女子大学助教授、校名変更で文教大学教授、図書館長を務め、2001年定年。2007年『遠いうた 拾遺抄』で日本詩人クラブ詩界賞受賞。ほかブライアン・オールディスの翻訳、詩の翻訳がある。 2018年3月20日午後8時20分、誤嚥性肺炎のため、埼玉県越谷市のグループホームで死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中村 啓信(なかむら ひろとし、1929年(昭和4年)4月2… 中村 啓信(なかむら ひろとし、1929年(昭和4年)4月23日 - )は、日本の日本文学者。國學院大學名誉教授。 1929年、山梨県甲府市山宮町で生まれた。山梨県立甲府第一高等学校を卒業し、國學院大學文学部国文科に進学。1953年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1957年、博士課程を満期退学。 その後、國學院大學日本文化研究所研究員。1976年、同大学文学部教授に就き、日本文化研究所教授を兼ねた。1989年古事記学会代表理事に就任。また同年に日本学術会議推薦人となった。1993年、学位論文『荷田春満書入古事記とその研究』を國學院大学に提出して文学博士の学位を取得。2000年に國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。
海野 和三郎(うんの わさぶろう、1925年10月2日 - … 海野 和三郎(うんの わさぶろう、1925年10月2日 - 2023年11月7日)は、日本の天文学者(理論天体物理学)。理学博士(東京大学・論文博士・1955年)。東京大学教名誉教授。埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身。 旧制松本高等学校時代より、東京帝国大学を目指す。松本高等学校では物理の向井正幸教授の影響を受け、物理学者を志したが、戦時中入試のできない年にぶつかり、入学の比較的容易な天文学科に志望を変更した。ここで、師となる萩原雄祐と出会い、理論天文学分野での活躍を始める。特に、萩原に薦められて、旧来の天文学に量子力学視点を取り入れた研究及び講義は難解という評価がなされている。 1955年、東京大学理学博士。
市古 貞次(いちこ ていじ、1911年5月5日 - 2004… 市古 貞次(いちこ ていじ、1911年5月5日 - 2004年3月25日)は、日本の文学者(中世日本文学)。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1954年)(学位論文「中世小説の研究」)。元日本学士院院長。1973年紫綬褒章受章、1984年文化功労者。日本文学研究者として初めて文化勲章を受章。 1911年、山梨県甲府市で生まれた。旧制巣鴨中学校(現巣鴨中学校・高等学校)、第一高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学文学部国文学科に進学。1934年に卒業した。 1936年、東京帝国大学文学部副手に採用された。1939年、第一高等学校講師を命じられ、1940年に同教授昇格。1950年、東京大学教養学部助教授に就いた。
今井 福治郎(いまい ふくじろう、1901年7月2日 - 1… 今井 福治郎(いまい ふくじろう、1901年7月2日 - 1968年1月23日)は、歌人、国文学者。 山梨県甲府市生まれ。号・白水。1927年ころから作歌。1935年に國學院大學文学部国文科を卒業。1961年「万葉集の地名と伝承」で國學院大學文学博士。和洋女子大学教授。
小野 政方(おの まさかた、1885年(明治18年)8月3日… 小野 政方(おの まさかた、1885年(明治18年)8月3日 - 1945年(昭和20年)1月19日)は、日本の児童文学者・編集者。 妻は小説家の小野美智子。 山梨県東八代郡境川村(現:山梨県笛吹市)出身。山梨県師範学校を卒業後、八代尋常小学校に訓導として勤務した。その後、上京して巖谷小波に師事し、『少年世界』『少女世界』に童話を発表した。執筆活動初期には、故郷を流れる笛吹川にちなみ「小野小峡」の筆名を名乗った。1912年に山内秋生、竹貫佳水、蘆谷蘆村、大井冷光らと、日本初の児童文学団体である少年文学研究会を設立。1920年には、研究社『小学少女』の編集に当たっている。のちに、小川未明、楠山正雄、鹿島鳴秋、蘆谷蘆村、浜田廣介が創立準備をした童話作家協会に参画。
中村 星湖(なかむら せいこ、1884年(明治17年)10月… 中村 星湖(なかむら せいこ、1884年(明治17年)10月14日 - 1974年(昭和49年)4月13日)は、日本の文学者。星湖は筆名で、本名は中村 将為(なかむら まさため)。 山梨県南都留郡河口村(後の旧同郡河口湖町、現富士河口湖町)に生まれる。8人兄弟の長男。河口村は河口湖に面し、江戸時代から富士参詣者への宿坊を提供する御師の町で、中村家も御師業を営みつつ農業や養蚕を行っていた。 1890年(明治23年)に村立河口小学校へ入学する。両親の影響で幼少時から文学に親しみ、回覧雑誌などを製作している。1897年(明治30年)中学進学のため一時上京するが、翌年に甲府の山梨県立尋常中学校(現山梨県立甲府第一高等学校)に入学。
永峯 秀樹(ながみね ひでき、嘉永元年6月1日(1848年7… 永峯 秀樹(ながみね ひでき、嘉永元年6月1日(1848年7月1日) - 昭和2年(1927年)12月3日)は、英文学者、翻訳家。 甲斐国巨摩郡浅尾新田(山梨県北杜市明野町)出身。本姓は小野で、父は蘭方医の小野通仙。永峰家の養子となる。父に従い甲府に居住し、甲府徽典館を卒業後、沼津兵学校で英語を学ぶ。1871年(明治4年)、東京築地の海軍兵学寮(海軍兵学校)で英語、数学教師。ギゾーの『欧羅巴文明史』の翻訳で、福地源一郎がソサエティの訳語として作った「社会」の語を広めた。ほか、『アラビアン・ナイト』を「暴夜物語」として初めて邦訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。