覚 和歌子(かく わかこ、1961年9月1日 - )は、日本… 覚 和歌子(かく わかこ、1961年9月1日 - )は、日本の作詞家、詩人、シンガーソングライター。夫は落語家の入船亭扇辰。覚和歌子名義となる前には蓮田ひろか名義でも作詞家として多数の詩を提供していた。 山梨県山梨市に生まれ、中学生の頃より千葉県松戸市で育つ。小学校3年から高校まで合唱部に所属する。千葉県立東葛飾高等学校を経て、早稲田大学第一文学部を卒業。大学ではミュージカル研究会に所属し主に作曲を担当する。 1985年、前衛ロックバンド「ショコラータ」に作詞提供してデビュー。その後、沢田研二、ムーンライダーズ、FAIRCHILD、オルケスタ・デル・ソル、平原綾香、SMAP、夏川りみ、クミコ、新垣勉などに作詞提供。
帷子 耀(かたびら あき、本名:大久保 正博、1954年2月… 帷子 耀(かたびら あき、本名:大久保 正博、1954年2月14日 - )は日本の詩人。山梨県甲府市出身。 山梨大学教育人間科学部附属中学校、山梨県立甲府第一高等学校卒業。 1968年にわずか13歳(執筆時。掲載号の発売時は14歳)で「現代詩手帖」に初掲載を飾り、同誌1970年1月号にて、第10回現代詩手帖賞を寺山修司の強い推薦もあり受賞した。1969年ごろから金石稔主宰の同人誌「騒騒」などで活動を行い、1973年には映画評などの分野でも活動。「映画芸術」1973年12月号に『仁義なき戦い』の批評「ふかまる秋に」を寄せ、在日韓国人が登場しないことを批判したのを受けて、笠原和夫は『やくざの墓場 くちなしの花』で在日問題に踏み込んだ。
石原 武(いしはら たけし、1930年8月3日 - 2018… 石原 武(いしはら たけし、1930年8月3日 - 2018年3月20日)は、日本の詩人、英文学者、翻訳家。文教大学名誉教授。 山梨県甲府市生まれ。明治学院大学文学部英文科卒業。1967年に詩集『軍港』を上梓、1974年『離れ象』で日本詩人クラブ賞受賞。1996年、英米詩の翻訳業績により第21回地球賞受賞。立正女子大学助教授、校名変更で文教大学教授、図書館長を務め、2001年定年。2007年『遠いうた 拾遺抄』で日本詩人クラブ詩界賞受賞。ほかブライアン・オールディスの翻訳、詩の翻訳がある。 2018年3月20日午後8時20分、誤嚥性肺炎のため、埼玉県越谷市のグループホームで死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
堀内 幸枝(ほりうち さちえ、1920年9月6日 - 202… 堀内 幸枝(ほりうち さちえ、1920年9月6日 - 2021年10月11日)は、日本の詩人。 山梨県東八代郡御代咲村(現笛吹市)生まれ。本姓・千葉。大妻専門学校卒。 22歳で甲府在住の千葉幸男と結婚するが、姑とあわず、3ヶ月で婚家を出て、夫を誘い東京に出て二人で生活する。 神保光太郎、深尾須磨子らの知遇を得て『四季』などに詩を発表する。詩誌『葡萄』発行人。中田喜直、田中隆司の作曲により歌曲となった作品も多数ある。 現代詩人会会員。101歳で死去。 夫の千葉幸男は、上野精養軒に勤め、社長、会長、のち相談役。
米倉 壽仁(よねくら ひさひと、1905年(明治38年)2月… 米倉 壽仁(よねくら ひさひと、1905年(明治38年)2月19日 - 1994年(平成6年)3月18日)は、日本のシュルレアリスムの洋画家、詩人。 山梨県甲府市にて甲陽館米倉旅館を営む両親のもとに、次男として生まれる。 1922年、山梨県立甲府中学校(現山梨県立甲府第一高等学校)を卒業。1923年、名古屋高等商業学校(現名古屋大学)経済学部に入学し、後に日本にシュルレアリスムの紹介をおこなう詩人、山中散生と親交を結ぶ。1926年、名古屋高等商業学校を卒業する。 1928年、伯母が経営する伊藤学園甲府女子商業学校および甲府湯田高等女学校(現甲斐清和高等学校)の教諭となる。1930年、甲府市において辻葦夫、中村宗久、小柳津経広、田中常太郎、小宮山堅次とともに六人社を結成し、第1回展を開く。
権藤 花代(ごんどう はなよ、1899年(明治32年)4月1… 権藤 花代(ごんどう はなよ、1899年(明治32年)4月13日 - 1961年(昭和36年)11月3日)は、唱歌「たなばたさま」作詞者・童謡詩人。本名は権藤はなよ。結婚前は伊藤はなよの旧姓で作品を発表、結婚後はペンネーム権藤はな子を使っていた。2008年頃までは、「権藤花代」という漢字名が使用されていたが、その後は本名の「権藤はなよ」が一般的になっている。実兄の伊藤生更はアララギ派の歌人であり、短歌結社「美知思波」を創立している。 1899年(明治32年)山梨県北巨摩郡穴山村(現・韮崎市穴山町)に、父・伊藤友重(ともじゅう)、母・やよの次女として生まれる。 1919年(大正8年)山梨県師範学校(現・山梨大学)を卒業。
木々 高太郎(きぎ たかたろう、1897年〈明治30年〉5月… 木々 高太郎(きぎ たかたろう、1897年〈明治30年〉5月6日 - 1969年〈昭和44年〉10月31日)は、日本の大脳生理学者・小説家・詩人。医学博士。本名は林 髞(はやし たかし)。山梨県出身。 1937年、直木賞受賞。主に推理小説・探偵小説で知られたほか、詩歌や評論も手掛けた。イワン・パブロフ門下の生理学者でもあり、母校の慶應義塾大学医学部で教鞭を執った。戦後はアメリカの穀物メジャーの支援を受けて小麦食を推奨し、「頭脳パン」、「米食低脳論」を提唱した。長男は医学博士で精神衛生学者の林峻一郎。 山梨県西山梨郡山城村下鍛冶屋(現・甲府市下鍛冶屋町)に生まれる。生家は医家。甲府市湯田町へ移り、甲府市立湯田尋常小学校へ通う。
保阪 嘉内(ほさか かない、1896年〈明治29年〉10月1… 保阪 嘉内(ほさか かない、1896年〈明治29年〉10月18日 - 1937年〈昭和12年〉2月8日)は、日本の詩人。宮沢賢治の親友として知られ、賢治の代表作とされる『銀河鉄道の夜』のカムパネルラのモデルとも言われる。 山梨県北巨摩郡駒井村(現:韮崎市)出身。父は郡役所書記であった。韮崎高等小学校から1910年に山梨県立甲府中学校(現:山梨県立甲府第一高等学校)に進む。星の和名に詳しい野尻抱影に英語を教わり、また文芸同人誌に作品を発表していた。中学入学の年にハレー彗星の最接近を観察しスケッチをつけた。 1915年に甲府中学を卒業すると、東北帝国大学札幌農科大学(現:北海道大学)を受験するが不合格となり、翌1916年に盛岡高等農林学校農学科第二部に入学する。