田鎖 大志郎(たくさり だいしろう、1942年 - )は日本… 田鎖 大志郎(たくさり だいしろう、1942年 - )は日本の作曲家。横浜国立大学名誉教授。 長野県松本市出身。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業、同大学院修了。作曲を石桁眞禮生に師事。 横浜国立大学教育学部教授を務めた。 作曲家の会《環》各会員。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
いで はく(本名・井出 博正(いで ひろまさ)、1941年〈… いで はく(本名・井出 博正(いで ひろまさ)、1941年〈昭和16年〉11月22日 - )は、日本の作詞家。日本音楽著作権協会(JASRAC)会長(2016年4月-2022年3月)。日本音楽作家団体協議会理事長、松尾芸能振興財団理事。 長野県南佐久郡南牧村海尻出身。長野県野沢北高等学校を経て1965年早稲田大学商学部卒業後、全国モーターボート競走会連合会の教官として活動。全国の競艇場(24場)を回って、選手のスタート試験や登録試験などを担当した。その後は友人と共に会社を起業し、幼児向け英語教材(カセットテープ)を大手の出版社と連携して販売した。最初は売れ行きも好調だったが、提携先企業が苦境に陥り、僅か2年で失敗に終わる。
伊藤 公介(いとう こうすけ、1941年〈昭和16年〉10月… 伊藤 公介(いとう こうすけ、1941年〈昭和16年〉10月23日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(9期)、国土庁長官(第29代)、衆議院国家基本政策委員長、外務委員長、法務委員長、文教委員長等を歴任した。三男は立憲民主党所属の衆議院議員である伊藤俊輔。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)生まれ。長野県伊那北高等学校、1964年法政大学法学部卒業。在学中は法政大学弁論部に所属した。オハイオ州立大学への語学留学を経て、神田外語学院講師を務める。その後、伊那毎日新聞創業者で自由民主党衆議院議員の向山一人の伝手で1969年、向山が経営する興亜電工に入社し、向山の個人秘書を務める。 1972年12月、第33回衆議院議員総選挙に旧東京7区から無所属で立候補したが、立候補者9人中得票数8位で落選。
海野 肇(うんの はじめ、1941年10月 - )は、日本の… 海野 肇(うんの はじめ、1941年10月 - )は、日本の工学者。長野県出身、名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了後、理化学研究所を経て、東京工業大学教授、2005年同大学名誉教授。 1941年10月 長野県諏訪郡川岸村(現・岡谷市)にて出生。 1960年3月 長野県諏訪清陵高等学校卒業。1964年3月 名古屋大学工学部卒業。 1966年名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了。 1975年7月23日 東京工業大学より博士(工学)学位取得
河野 實(こうの まこと、1941年(昭和16年)8月8日 … 河野 實(こうの まこと、1941年(昭和16年)8月8日 - )は、日本のジャーナリスト。『愛と死をみつめて』の筆者でもある。 大阪府大阪市に生まれる。太平洋戦争中、長野県伊那市に疎開した。自身は「長野の農家の息子」と称し、畑仕事は小学生時から嫌々ながら手伝わされたという。 長野県伊那北高等学校卒業後、浪人中に大阪大学医学部附属病院に入院する。中央大学商学部に進学後、3年生の時に実体験をもとにした『愛と死をみつめて』を出版し、150万部を超えるベストセラーとなった。のちに大学は中退した。 1965年(昭和40年)、ジャーナリストを目指して、東京写真専門学校報道写真科に入る。 その後、フリーカメラマン、自動車専門誌記者を経て、1976年(昭和51年)、経済界 (出版社)に入社。
小松 正幸(こまつ まさゆき、1941年8月6日 - )は、… 小松 正幸(こまつ まさゆき、1941年8月6日 - )は、日本の地質学者。前愛媛大学学長。専攻は岩石学、構造地質学。理学博士(北海道大学、1971年)。長野県諏訪郡下諏訪町出身。 2010年8月、小松が会長を務めるえひめ地域再生戦略研究会は、松山市が渇水対策として打ち出していた黒瀬ダム(西条市)からの「松山分水」について「分水は不要」と提言した。これに対し、分水を推進する松山市長の中村時広が反発。同年11月に行われる予定の愛媛県知事選挙で、中村は分水問題の争点化を避けて出馬を表明したが、小松は10月5日に「分水は不要」「大型公共事業は、これ以上やるべきでない」として出馬を表明した。しかし選挙では中村に敗れている。
岡野 圭一(おかの けいいち、1941年7月5日 - 201… 岡野 圭一(おかの けいいち、1941年7月5日 - 2012年10月7日)は、日本の歴史学者。専修大学名誉教授。専門は西洋美術史。ミドルネームはHeinrich(ハインリッヒ)。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1965年上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業。1971年ケルン大学哲学部美術史学科卒業、Ph.D.取得。1968年ケルン市美術館勤務、1969年在ケルン日本文化会館勤務を経て帰国し、1976年政府関係特殊法人国際交流基金課長補佐に就任。1978年専修大学文学部専任講師、1986年教授。図書館情報大学、多摩美術大学、明治大学、明治学院大学、東京芸術大学などの兼任講師も務めた。
山田 作衛(やまだ さくえ、1941年6月11日 - )は、… 山田 作衛(やまだ さくえ、1941年6月11日 - )は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。国際リニアコライダーの物理研究責任者。元KEK素粒子原子核研究所所長。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1964年東京大学理学部物理学科卒業。1969年、同大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了、理学博士。東京大学理学部助教授を経て、東京大学原子核研究所教授。小柴昌俊のもとで電子・陽電子衝突実験に従事。長年、DESY研究所の国際実験、HERAに貢献してきた。2007年より、国際リニアコライダーの物理研究責任者を担当している。2022年、瑞宝中綬章受章。
土屋 浩子(つちや ひろこ、1941年5月16日 - 200… 土屋 浩子(つちや ひろこ、1941年5月16日 - 2008年11月1日)は、日本の歌人。 長野県佐久市出身。1973年(昭和48年)3月、「短歌新潮」入会、丸山忠治に師事。その後同人となり、歌誌編集と後進の指導に携わった。1985年(昭和60年)12月、第一歌集「風花」を出版。2007年(平成19年)6月、第二歌集「水辺の秋」を出版。元シンガーソングライターの土屋竜一は長男。2008年(平成20年)11月1日没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
古厩 忠夫(ふるまや ただお、1941年5月11日 - 20… 古厩 忠夫(ふるまや ただお、1941年5月11日 - 2003年2月28日)は、日本の歴史学者。専門は、中国近代史・日本近代史。長野県東筑摩郡筑摩地村(現塩尻市)出身。
渋木 綾乃(しぶき あやの、現在の姓は八重樫、1941年3月… 渋木 綾乃(しぶき あやの、現在の姓は八重樫、1941年3月29日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト。
荻上 紘一(おぎうえ こういち、1941年2月11日 - )… 荻上 紘一(おぎうえ こういち、1941年2月11日 - )は、日本の数学者。大学評価・学位授与機構特任教授。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校卒、東京大学理学部卒。元東京都立大学教授・第10代総長、公立大学協会長。元中央教育審議会委員。趣味はテニス、俳句。「国家の品格」の著者である藤原正彦とは非常に親しい。大学セミナーハウス館長も務める。2021年、瑞宝中綬章受章。旧都立大学の廃校が決定された時の総長であり、石原慎太郎都知事ら当時の都幹部と廃校をめぐり対立した。2012年から2016年まで大妻女子大学学長を務めた。
中塚 勝人(なかつか かつと、1941年2月2日 - )は、… 中塚 勝人(なかつか かつと、1941年2月2日 - )は、日本の資源開発工学者。東北大学名誉教授。東北大学副総長や、物理探査学会副会長、日本工学教育協会副会長などを務めた。 長野県生まれ。1959年長野県飯田高等学校卒業。1964年東北大学工学部鉱山学工学科卒業。1966年東北大学大学院工学研究科鉱山工学専攻修士課程修了、東北大学工学部助手。1974年東北大学工学博士。1976年東北大学工学部講師。1978年東北大学工学部助教授。1987年東北大学工学部教授。1992年紛体粉末冶金協会理事。1993年資源・素材学会理事。1994年東北大学評議員。1996年東北大学国際交流会館副館長、宮城県自然環境保全審議会委員。
三沢 今朝治(みさわ けさはる、1941年1月3日 - )は… 三沢 今朝治(みさわ けさはる、1941年1月3日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
百瀬 明治(ももせ めいじ、1941年1月2日 - 2016… 百瀬 明治(ももせ めいじ、1941年1月2日 - 2016年10月26日)は、日本の著作家。 長野県松本市生まれ。京都大学文学部国史学科卒。25歳で青春小説でデビュー。平凡社で『季刊歴史と文学』の編集長を務め、38歳から歴史作家として、会田雄次、邦光史郎との共著などを含めて活動を始める。仏教史、宗教史への関心が深い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
池田 魯參(いけだ ろさん、1941年〈昭和16年〉- )は… 池田 魯參(いけだ ろさん、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の曹洞宗の僧侶(長野県長野市豊野町柳原寺住職)・仏教学者。第30代駒澤大学総長。専門は中国天台教学。幼名は悟。 埼玉県北足立郡与野町下落合(現さいたま市中央区)生まれ。1944(昭和19)年、父の本籍地である長野県上水内郡の柳原寺に戦時疎開。1957(昭和32)年、長野県長野高等学校入学。1960(昭和35)年に駒澤大学仏教学部禅学科入学、魯参に改名。1964(昭和39)年、同大学卒業。1969(昭和44)年、同大学院博士後期課程満期退学、同学部助手に着任。1972(昭和47)年に同大専任講師、1977(昭和52)年に助教授、1983(昭和58)年に教授就任。
山岡 文彦(やまおか ふみひこ、1941年 -2019年 )… 山岡 文彦(やまおか ふみひこ、1941年 -2019年 )は、日本の植物学者、動物学者、キリスト教会牧師。 長野県岡谷市生まれ。麻布獣医科大学(現麻布大学)獣医学科卒業。聖書宣教会神学舎卒業。桜美林大学非常勤講師。相模聖書キリスト教会牧師。 植物学の研究の主要な部分は、帰化植物に関する研究である。その中で全国の帰化植物を調査するに当たっては、60年代よりの鉄道沿線の調査、高速道路の進展に伴う植物分布の拡大等の調査はもとより、大規模鶏舎等の飼料輸入に伴う侵入、米軍キャンプ地を通じての侵入、港湾周辺、輸入原料加工産業からの侵入等、独特の観点からの調査を行なって来ている。 動物学において、特筆すべきは、聖書の動物の研究である。
武居 俊樹(たけい としき、1941年 - )は、日本の編集… 武居 俊樹(たけい としき、1941年 - )は、日本の編集者。赤塚マンガのキャラクター「武居記者」として知られる。 1941年(昭和16年)、長野県岡谷市に生まれる。実家は諏訪で800年の歴史を持つ神社。長野県諏訪清陵高等学校を経て早稲田大学第一文学部を卒業、大学時代の親友に後の俳優の小林勝也、後の漫画原作者であるやまさき十三がいた。 1966年(昭和41年)、小学館に入社、第二編集部の『少年サンデー』に配属され、赤塚不二夫、古谷三敏、石井いさみ、あだち充などの担当編集者として数々のヒット作を手がける。 1975年からは少女漫画部門へ異動となり、『週刊少女コミック』副編集長に就任。新人編集者の都築伸一郎と共に、人気作家となる前のあだち充を粘り強く起用し続けた。
手塚 和彰(てづか かずあき、1941年 - )は、日本の法… 手塚 和彰(てづか かずあき、1941年 - )は、日本の法学者、千葉大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高校を経て、東京大学法学部政治学科卒業。同大学助手を経て、1970年千葉大学講師、1974年同大学法経学部助教授、1984年同大学教授。1985年~1987年ドイツケルン大学客員教授等を兼任。1999年4月より法経学部学部長。2007年定年退官、名誉教授となり、青山学院大学国際政治経済学部教授。2012年退職。2020年春、瑞宝中綬章受勲。専門は外国人労働者、ドイツ問題。
笠原 邦彦(かさはら くにひこ、1941年 - )は、日本の… 笠原 邦彦(かさはら くにひこ、1941年 - )は、日本の折り紙作家。長野県岡谷市生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒。 学生時代に「現代おりがみ」と禅僧で折り紙作家の内山興正に出会ったことが、折り紙にはまったきっかけとなる。日本折紙協会の前身、日本折り紙作家協会(1969 - 1973)では、事務局長を務めていた。1986年には国際交流基金によりブラジル、チリに講師として派遣された。 紙を切らずに何度も折り返したりすることで非常に緻密な作品を生み出す。作品によっては完成までに数時間を要するものもある。代表作は「かに」「うし」などで、これまで数多くの作品を創作している。ユニット折り紙や、秘傳千羽鶴折形の研究でも知られる。
工藤 かずや(1941年 - )は、日本の小説家、劇画原作者… 工藤 かずや(1941年 - )は、日本の小説家、劇画原作者。長野県上田市出身。 小説を書きながら『週刊漫画アクション』(双葉社)「恵子のチャンピオン」で原作デビュー。 「マグナム」で第1回集英社青年漫画大賞原作賞受賞。 劇画原作で数百編、小説で五十数編の発表作品がある。 『ゴルゴ13』の脚本を手掛け、「アルヘンティーノ・ティグレ」・「死闘ダイヤ・カット・ダイヤ」など約20話を執筆している[要出典]。 その他の代表作に小説「異形の者」「恨み葵」原作『イリーガル』・『危険なジル』・『信長』・『パイナップルARMY』等がある。 (暫定的に50音順。) この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。
下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本の… 下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本のノンフィクション作家、画家。沖縄県をテーマとした著作で知られる。 長野県上田市に生まれる。中学1年生の時に上京する。武蔵野美術大学油絵学科を中退。 1975年から約1年間石垣島に妻子とともに移住した。この移住で沖縄の歴史や文化への興味を抱く。 1983年、沖縄県の洞窟「チビチリガマ」の調査を地元住民らとともにおこない、沖縄戦時に壕内で集団自決があったことを明らかにした。下嶋はもともと、アメリカ合衆国施政下でおこなわれた沖縄本島からの移民の調査のために沖縄を訪れ、出会った読谷村出身の女性から聞いた断片的な話をきっかけに関係者への聞き取りを重ねて証言を引き出し、それをもとに壕内の調査で自決を裏付けた。
瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)… 瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)は、日本の実業家、ジャーナリスト。信濃毎日新聞社専務取締役、長野放送副社長を歴任。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東北大学文学部卒業。信濃毎日新聞社入社。同社松本本社代表、同社常務取締役、同社専務取締役、同社監査役を経て、長野放送副社長。長野県バレーボール協会会長。
富井 一(とみい はじめ、1940年〈昭和15年〉12月11… 富井 一(とみい はじめ、1940年〈昭和15年〉12月11日 - )は、日本のアルペンスキーヤー。日本楽器に所属。1964年冬季オリンピックに滑降、回転および大回転の3種目で出場した。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
中村 梧郎(なかむら ごろう、1940年12月8日 - )は… 中村 梧郎(なかむら ごろう、1940年12月8日 - )は、日本の報道写真家。敬愛大学・環境情報研究所客員研究員、現代写真研究所副所長、日本写真家協会会員。日本リアリズム写真集団代表理事。「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めている。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校卒業、中央大学工学部中退。 1970年以降のベトナム戦争の取材を通じて、枯葉剤による人体・環境被害を伝える作品を発表。土門拳らの推挙により、1976年の第1回JRP公募展「視点」大賞受賞を皮切りに、第8回伊奈信男賞など数々の賞を受賞。「母は枯葉剤を浴びた」(新潮文庫)は20年間に27万部余のロングセラーとなった。
鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)1… 鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)11月8日 - 2022年(令和4年)3月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は正五位。元長野県長野市長(3期)。 長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。大学在学中から生家が経営する炭平鷲澤(現炭平製作所)に入社し、1963年から代表取締役社長を務める。大学を卒業後、1965年長野陸送、1966年炭平運輸、1968年三国コンクリートの各代表取締役に就任。会社経営の傍ら、長野市及び長野県のPTA連合会会長、長野市教育委員会委員、長野商工会議所副会頭、東北信生コン事業協同組合理事長、長野市青年会議所理事長、長野県経営者協会常任理事などを歴任した。
田中 秀典(たなか ひでふみ、1940年(昭和15年)11月… 田中 秀典(たなか ひでふみ、1940年(昭和15年)11月5日 - 2011年(平成23年)4月28日)は、日本の政治家。長野県飯田市長。位階は正五位。旭日小綬章。 飯田市出身。青山学院大学経済学部中退。飯田市議会議員、飯田青年会議所理事長を経て、昭和63年(1988年)飯田市長選挙に当選し、4期務めた。2011年死去。死没日付をもって正五位に叙され、旭日小綬章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
田中 秀征(たなか しゅうせい、1940年〈昭和15年〉9月… 田中 秀征(たなか しゅうせい、1940年〈昭和15年〉9月30日 - )は、日本の政治家。福山大学経済学部客員教授。 衆議院議員(3期)、経済企画庁長官(第52代)、内閣総理大臣特別補佐(細川内閣)、新党さきがけ代表代行、学習院大学法学部特別客員教授等を歴任した。 1990年代前半の新党ブームの火付け役の一つ、新党さきがけの理論的指導者であった。 長野県更級郡篠ノ井町(現:長野市篠ノ井)生まれ。 早稲田大学第4代総長の田中穂積は一族にあたるという。長野県長野高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒業。哲学、歴史、経済、法律を一通り学びたいと考えていたが、ウィンストン・チャーチル、石橋湛山、吉田茂、緒方竹虎に関心を抱いていたことから、まず歴史から学ぼうと考え、東大在学中は林健太郎ゼミに所属し、近代ヨーロッパ政治史を専攻、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの「危機の20年」が最大の関心事だった。
中原 正純(なかはら まさずみ、1940年(昭和15年)9月… 中原 正純(なかはら まさずみ、1940年(昭和15年)9月11日 - 2016年(平成28年)11月10日)は、日本の政治家。長野県駒ヶ根市長。 現在の駒ヶ根市出身。長野県赤穂高等学校卒業。昭和46年(1971年)駒ヶ根市議会議員に初当選し、のちに議長を務める。昭和63年(1988年)駒ヶ根市長選挙に当選し、5期務めた。在任中は国道153号伊南バイパスの建設に尽力し、平成の大合併では、上伊那郡3町村との「中央アルプス市」構想を推進したが、反対多数の住民の意向を受けて断念した。 その他、長野県市長会長、全国市長会副会長、全国土地改良事業団体連合会副会長などを歴任した。平成10年(1998年)藍綬褒章、平成22年(2010年)旭日中綬章受章。
白井 汪芳(しらい ひろふさ、1940年8月9日 - )は、… 白井 汪芳(しらい ひろふさ、1940年8月9日 - )は、日本の化学者。専門は高分子化学。信州大学名誉教授、元公立大学法人長野大学理事長、元佐久大学信州短期大学部学長、元繊維学会会長。工学博士。長野県小県郡長瀬村(現上田市)出身。
清水 正教(しみず まさのり、1940年7月 - )は、日本… 清水 正教(しみず まさのり、1940年7月 - )は、日本の画家(油画)。皇學館大学名誉教授。
熊谷 弘(くまがい ひろし、1940年6月25日 - )は、… 熊谷 弘(くまがい ひろし、1940年6月25日 - )は、日本の政治家、通産官僚。 参議院議員(1期)、衆議院議員(6期)、通商産業大臣(第55代)、内閣官房長官(第57代)、保守新党代表(初代)を歴任した。 静岡県磐田郡水窪町(現・浜松市天竜区)出身。長野県飯田高等学校を経て、1964年に一橋大学社会学部を卒業し、通商産業省に入省。同期に渡辺修、細川恒、中田哲雄、藤原武平太、川田洋輝(資源エネルギー庁長官、電源開発副社長)、久禮彦治(駐連合王国公使、日本産業デザイン振興会理事長)、横田捷宏らがいる。 1966年企業局産業資金課、1972年繊維雑貨局繊維製品課長補佐、機械情報産業局情報処理振興課補佐、1974年10月大臣官房秘書課補佐、1974年11月ハーバード大学留学、1975年5月中小企業庁官房施策普及室長などを経て、1977年、第11回参議院議員通常選挙に自由民主党から立候補し当選する。
倉島 今朝徳(くらしま けさのり、1940年6月24日 - … 倉島 今朝徳(くらしま けさのり、1940年6月24日 - 2013年7月3日)は、長野県出身のプロ野球選手(捕手・内野手)。 長中3年生の時に野球を始め、上田松尾高では1年生の時、神津進投手とバッテリーを組み、1957年夏の甲子園に捕手、六番打者として出場。前年度優勝校の平安高を降し準々決勝に進出するが、この大会に優勝した広島商の山中英明(法大)に完封負けを喫した。同年秋の静岡国体は1回戦で 早実高を降すが、準々決勝で法政二高の延藤謙吉(三重交通)らに抑えられ完封負け。翌1958年春季北信越大会に進むが、準決勝で小松実に敗退。1959年夏は県予選準々決勝で小諸商に敗れる。 卒業後は明治大学へ進学。
熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 202… 熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 2024年9月21日)は、日本のポプリ研究家、エッセイスト。夫は映画監督の熊井啓。 日本にポプリを紹介し、1980年代前半に起きたブームの火付け役。現在でもポプリの研究においての第一人者。実妹のハーブ研究家の桐原春子とともにハーブなどの香草にも造詣が深い。愛猫家として、猫に関するエッセイも多い。日本ペンクラブ会員。
塩原 明(しおばら あきら、1940年5月30日 - )は、… 塩原 明(しおばら あきら、1940年5月30日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27… 依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27日 - )は、日本の男性実業家で、ドリーミュージック代表取締役会長、エイベックス元会長兼社長。元日本レコード協会(RIAJ)会長、元音楽産業・文化振興財団理事長。業界、政界や海外への強い影響力を持っている。エイベックスの実質的な創業者として経営の中心を担ってきたが、同じく創業者である松浦勝人との経営方針の確執が深刻化、2004年8月3日付けで会長兼社長を辞任。同日、日本レコード協会の会長も辞任し、エイベックス名誉会長に(2004年中に退任)。
岩崎 信子(いわさき のぶこ、1940年5月26日 - )は… 岩崎 信子(いわさき のぶこ、1940年5月26日 - )は、日本のディレクター、プロデューサー、俳人、元アナウンサー。 東京府生まれ。長野県茅野市育ち。1959年長野県諏訪清陵高等学校卒業。信越放送テレビアナウンサー第一期公募試験に合格し入社。アナウンサーとしてテレビ草創期のテレビ・ラジオ番組(「日曜教室」、「暮らしのターミナル」等)担当。1981年上田放送局に転勤し、ディレクター・プロデューサーとして「カクテルトークかるいさわいろ」、「ヒーリングラジオ木の子守唄」、「ぷらっとほーむ小海線」、「里枝子の窓」等の番組を手がける。1994年俳句結社「梟」入会、矢島渚男に師事。2000年信越放送定年退職。
小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、… 小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、日本のジャーナリスト。NHK記者を務めた。専門はロシア情勢。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1963年に東京外国語大学ロシア語学科を卒業。 同年にNHK入局後、神戸放送局で新人時代を送る。東京に異動後は外信部(現在の国際部)に配属され、1970年から1972年までモスクワ特派員を務めた後、ウィーンを拠点とする東欧移動特派員として活動した。 東京に戻ってからは、1982年より野中ともよと共に『海外ウィークリー』(現在の『NHK海外ネットワーク』のルーツにあたる)のキャスターとして活動。番組終了後、再び現場に戻り、1984年から1987年まで、1989年から1995年までの2度に渡ってモスクワ支局長を務める。
原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長… 原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長野県諏訪市出身の画家・グラフィックデザイナー。シンガーソングライターのさだまさしと親交が深く、原田の絵を題材にしたさだの楽曲もある。
宮坂 真也(みやさか しんや、1940年3月30日 - )は… 宮坂 真也(みやさか しんや、1940年3月30日 - )は、日本の実業家。旭化成副社長執行役、日本環境安全事業(現・中間貯蔵・環境安全事業)初代代表取締役社長を務めた。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1963年一橋大学法学部卒業、旭化成工業(現・旭化成)入社。1973年同社住宅事業部資材室長。1985年同社住宅事業部東京営業部長。1991年同社住宅事業部営業統括部長。1993年同社取締役住宅事業部門長補佐。1996同社財務部長。1998年同社常務取締役経営計画管理部長。2001年同社専務取締役機能樹脂・コンパウドカンパニー社長。2003年旭化成取締役専務執行役員。2004年同社取締役兼副社長執行役、日本環境安全事業(現・中間貯蔵・環境安全事業)初代代表取締役社長。
横川 紀夫(よこかわ のりお、1940年3月21日 - )は… 横川 紀夫(よこかわ のりお、1940年3月21日 - )は日本の実業家。 すかいらーく創業者の一人であり、現在はヴィア・ホールディングスで代表権の無い会長職を経て代表取締役社長を務めている。 横川家の四男として長野県諏訪市に生まれる。1958年(昭和33年)3月に長野県諏訪清陵高等学校を卒業し、1962年(昭和37年)に兄弟と共に設立した、ことぶき食品有限会社の取締役になる。 1974年(昭和49年)11月にすかいらーく常務取締役に就任、その後、すかいらーく代表取締役副社長、代表取締役会長、最高顧問を歴任。 2002年(平成14年)6月、あかつきビーピー(現・ヴィア・ホールディングス)取締役会長に就任、一時はヴィアホールディングス代表取締役会長を務めていた。
上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年〈昭和15年〉3… 上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年〈昭和15年〉3月7日 - 2025年〈令和7年〉7月22日)は、日本の歌手、俳優、声優。長野県東筑摩郡朝日村出身。生前はケイセブン中村屋に所属していた。ひげと眼鏡の風貌で親しまれた。 長野県東筑摩郡朝日村の農家の出身。朝日村立朝日中学校(現:松本市山形村朝日村中学校組合立鉢盛中学校)を経て、長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業後、1958年4月に上京。 大森の雑貨品問屋の住み込み店員を手始めに、新聞配達、サンドイッチマン、新宿のうたごえ喫茶「灯」で週6日、1日に50曲以上を歌ってバリトンの歌声を鍛えるなど、約15種類の職業を経験する。1964年3月、初めて労音で勤務し、のちに歌手としてデビューするきっかけとなる。
平沢 彰(ひらさわ あきら、1940年〈昭和15年〉3月3日… 平沢 彰(ひらさわ あきら、1940年〈昭和15年〉3月3日 - 1984年〈昭和59年〉1月1日)は、日本の俳優。長野県伊那市出身。本名:古村 彰(こむら あきら)。 1958年(昭和33年)、長野県辰野高等学校を卒業。東京で薬品会社や日通品川に勤務していたが、新聞で目にした吉田義夫のインタビュー記事に感銘を受けて俳優を志し、会社を辞めて吉田に弟子入り。その後、1960年(昭和35年)5月に東映京都撮影所に大部屋俳優として入社。ヤクザ映画のチンピラ役や時代劇の斬られ役などの脇役で数多くの映画やテレビ時代劇に出演。東映京都に籍を置きながら1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)までは京都の劇団くるみ座にも研究生として在籍し、演技を学んだ。
土屋 隆(つちや たかし、1940年2月9日 - )は、日本… 土屋 隆(つちや たかし、1940年2月9日 - )は、日本の実業家。東ソー代表取締役CEO(会長)。長野県松本市出身。
大野 しげひさ(おおの しげひさ、1940年1月15日 - … 大野 しげひさ(おおの しげひさ、1940年1月15日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者で、現在は番組制作会社・グリーンプロモーション の社長。本名は大野薫久(読み方は同じ)。血液型A型。身長170cm、体重68kg。3人兄妹(妹2人)の長男。 長野県松本市出身。中央大学高等学校中退。 バイタリティーあふれるキャラクターが持ち味。『走れ!ケー100』の伊賀山紋太、『がんばれ!!ロボコン』の大山新太郎(お父さん)役、『びっくり日本新記録』の司会などで一世を風靡した。CMでも活躍し、中でもシヤチハタは長年にわたって出演をした。その後芸能プロダクション『グリーンプロモーション』の面倒を見てくれないかという話があったことから、同社の業務に専念、水野美紀、宮澤寿梨(元ねずみっ子クラブ)を育てたが、1995年に事務所をいったん閉鎖し、休眠会社となる。
牧田 政彦(まきた まさひこ、1940年1月13日 - )は… 牧田 政彦(まきた まさひこ、1940年1月13日 - )は長野県出身の元プロ野球選手。左投左打。 長野県伊那北高等学校から1958年に阪急ブレーブスに入団。初登板の西鉄ライオンズ戦で初勝利を挙げ、1963年には初の完投勝利を記録したが、翌1964年に河野旭輝との交換トレードで、中日ドラゴンズに移籍、こちらでは勝利を記録することなく1966年限りで退団した。
吉江 忠男(よしえ ただお、1940年 - )は、日本のバリ… 吉江 忠男(よしえ ただお、1940年 - )は、日本のバリトン歌手。 長野県諏訪郡長地村(現岡谷市)出身。長野県岡谷南高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科、同大学院修了。学生時代から畑中良輔や中山悌一らに師事する。大学院在学中に「フィガロの結婚」の伯爵役及び「ドン・ジョヴァンニ」のタイトル・ロールでデビュー。二期会新人賞などを受賞。卒業後1969年、日独交換留学生としてデトモルト音楽大学(英語版)に留学。1975年より12年間、フランクフルト歌劇場の専属バリトン歌手として活躍。またヨーロッパ各地の音楽祭等で活躍した。 1987年活動の場を日本に移し、オペラ出演、リサイタルなどのほか、郷里の岡谷市でバッハを中心とした合唱団「カンタータ・コア」及び「チェンバー・オーケストラ信州」を発足させ、地域の音楽文化発展に貢献している。
太田 龍朗(おおた たつろう、1940年 - )は日本の医学… 太田 龍朗(おおた たつろう、1940年 - )は日本の医学者、精神科医。専門は精神生理学、睡眠学。名古屋大学医学部名誉教授。医学博士(名古屋大学・1988年)。
斎藤 信男(さいとう のぶお、1940年 - )は、日本の工… 斎藤 信男(さいとう のぶお、1940年 - )は、日本の工学者。工学博士。慶應義塾大学名誉教授。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ元学部長。日本UNIXユーザ会第2代会長。研究分野は、オペレーティングシステム、分散処理、ソフトウェア工学、デジタルメディア論など。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校卒業。
上條 謙二郎(かみじょう けんじろう、1940年 - )は、… 上條 謙二郎(かみじょう けんじろう、1940年 - )は、日本の航空宇宙工学者。東北大学名誉教授。紫綬褒章受章。 長野県下伊那郡松川町生まれ。1960年長野県飯田高等学校卒業。1964年名古屋工業大学機械工学科卒業。1969年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻博士課程修了、航空宇宙技術研究所研究員。1975年航空宇宙技術研究所角田支所ロケット流体機器研究室長。同年カリフォルニア工科大学客員研究員。1983年東京大学工学部非常勤講師。1992年航空宇宙技術研究所角田支所研究調整官。1993年航空宇宙技術研究所角田宇宙推進技術研究センターロケット推進研究部長。H-IロケットのLE-5やH-IIロケットのLE-7のターボポンプの開発を行い、1996年から東北大学流体科学研究所極限流研究部門極低温流研究分野教授を務めた。