スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
鈴木 みのり(すずき みのり、2001年9月18日 - )は… 鈴木 みのり(すずき みのり、2001年9月18日 - )は日本のカーリング選手。 中部電力カーリング部所属。 長野県軽井沢町出身。長野県野沢北高等学校出身。中部電力に勤務。 鈴木はわずか12歳で、北澤育恵、中嶋星奈、荻原詠理、谷本文子と組んだジュニアチーム「軽井沢ファイヤーボンバー」で初めて日本カーリング選手権に出場。 2年後、彼女は再び中嶋星奈と、江並杏実と山本冴の2人の新しいチームメイトと一緒に日本カーリング選手権に出場。日本選手権では、チーム中島は予選5勝3敗という成績でプレーオフの出場権を獲得。その後、小穴桃里のチームに3対4で敗れ、3位決定戦で小笠原歩のチームに敗れ、総合4位となった。
山本 冴(やまもと さえ、2001年5月2日 - )は、日本… 山本 冴(やまもと さえ、2001年5月2日 - )は、日本のカーリング選手。北海道銀行女子カーリング部に所属。日本女子大学卒業。 佐久市立浅科中学校、長野県野沢北高校卒業、日本女子大学在学中。 2011年、小学4年生の時に長野県で実施している冬季オリンピックメダリストを育成するSWANプロジェクトに合格したことをきっかけにカーリングを始めた。 2015年11月、日本ジュニアカーリング選手権決勝で軽井沢ジュニアに敗れ準優勝となり世界ジュニアカーリング選手権への出場権を逃す。しかし、その後の中部選手権で中部電力を破り、日本カーリング選手権への出場権を獲得する。 2016年2月、日本カーリング選手権に出場。
菊池 萌水(きくち もえみ、女性、1992年4月6日 - )… 菊池 萌水(きくち もえみ、女性、1992年4月6日 - )は、日本のショートトラックスピードスケート選手。長野県野沢北高等学校卒業。早稲田大学社会科学部を経て、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に在学中。KHネオケム株式会社所属。 長野県南佐久郡南相木村出身。南相木小学校、小海中学校、野沢北高校、早稲田大学出身。五人姉妹の四女で、二女は平昌五輪スピードスケートチームパシュート金メダリストの菊池彩花。三女の菊池悠希、五女の菊池純礼もショートトラック選手というスケート一家で育つ。なお、全日本ショートトラックスピードスケート選手権の女子総合優勝は、2016/17シーズンが萌水、2017/18シーズンは悠希、2018/19シーズンは純礼と、3期連続で菊池家が総合タイトルを手にしている。
土屋 尚史(つちや なおふみ、1983年8月3日- )は、日… 土屋 尚史(つちや なおふみ、1983年8月3日- )は、日本の起業家。株式会社グッドパッチ(Goodpatch Inc.)代表取締役社長兼CEO。 長野県佐久市に生まれる。長野県野沢北高等学校を経て2006年関西大学社会学部中退。ネクシィーズ(現・NEXYZ.Group)の子会社イデアキューブ株式会社(現・株式会社ブランジスタ)に入社。その後、株式会社フィードフォースで働いた後に大阪のWebデザイン会社に入社、Webディレクターに転身。 2011年3月にサンフランシスコに渡米。btrax Inc.にてスタートアップの海外進出支援などを経験し、2011年9月に株式会社グッドパッチを設立。UI/UXデザインを強みにしたプロダクト開発でスタートアップから大手企業まで数々の企業を支援。
ハタタケル(1978年3月17日 - )は作家、イラストレー… ハタタケル(1978年3月17日 - )は作家、イラストレーター、占い師。 長野県小諸市生まれ。長野県野沢北高等学校を卒業後、神奈川大学工学部(専攻は電気工学)進学のため神奈川県に移住し、卒業後、サラリーマン生活を送る。一年後退職し、その間、自分探しを初め、東京ディズニーシーのオープニングスタッフを経験。半年後、東京コピーライター養成講座を経て、2002年1月28日、渋谷駅の忠犬ハチ公像の前にすわり、人々の悩みや話を聞き、最後に言葉と絵を残す道を歩み続ける。その数は現在、20000人とも30000人とも言われている。 2003年ファミリーマートの年賀状で約50万枚のヒットとなりその名を全国に広げる。
御影 倫代(みかげ みちよ、1977年9月4日 - )は、長… 御影 倫代(みかげ みちよ、1977年9月4日 - )は、長野県と東京都で活動していた元アナウンサー。元長野放送および元セント・フォース所属。
尹 美亜(ゆん みあ、1975年 - )は、日本で活動する韓… 尹 美亜(ゆん みあ、1975年 - )は、日本で活動する韓国国籍の映画監督。在日韓国人3世。 長野県佐久市生まれ。長野県野沢北高等学校、津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。デザインの勉強や広報関係の仕事を経て映画界へ入る。2010年から株式会社平成プロジェクトに参加している。
出澤 剛(いでざわ たけし、1973年〈昭和48年〉6月9日… 出澤 剛(いでざわ たけし、1973年〈昭和48年〉6月9日 - )は、日本の実業家。LINEヤフー株式会社代表取締役社長CEO。 長野県佐久市出身。長野県野沢北高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部を卒業後、1996年に朝日生命保険入社。八王子での営業を経て、社外留学制度を利用してオン・ザ・エッヂに出向した。2002年に同社に移籍。モバイル事業に従事し、2003年に執行役員副社長に就任。2007年に会社分割により、ライブドア(現・NHNテコラス)代表取締役社長に就任。 NHN Japan(現・Aホールディングス)、ネイバージャパン及びライブドアの経営統合により、2012年にNHN Japan取締役に就任。
新海 誠(しんかい まこと、1973年2月9日 - )は、日… 新海 誠(しんかい まこと、1973年2月9日 - )は、日本のアニメーション作家・映画監督、小説家。本名は新津 誠[5](にいつ まこと[6])。妻は女優の三坂知絵子、娘は子役の新津ちせ。中央大学文学部卒業。 第6回 文化庁メディア芸術祭特別賞(2002年) 第59回 毎日映画コンクールアニメーション映画賞(2005年) アジアパシフィック映画祭“Best Animated Feature Film(最優秀アニメ賞)(2007年) イタリアフューチャーフィルム映画祭ランチア・プラチナグランプリ(2007年) 第八回中国国際動漫節「金猴賞」優秀賞(2012年) カナダファンタジア映画祭審査員賞“Satoshi Kon Award” 観客賞“Audience Award(最優秀劇場アニメーション)”(2013年) 第21回 ドイツシュトゥットガルト国際アニメーション映画祭長編映画部門 最優秀賞(2013年) 第40回 山路ふみ子映画賞 山路ふみ子文化賞(2016年)
油井 亀美也(ゆい きみや、1970年〈昭和45年〉1月30… 油井 亀美也(ゆい きみや、1970年〈昭和45年〉1月30日 - )は、日本のJAXA宇宙飛行士、元航空自衛官。長野県南佐久郡川上村出身。 油井亀美也は父・油井誧司と母・八重子の間に川上村で生まれた。川上村立川上第二小学校、川上村立川上中学校、長野県野沢北高等学校を経て、1992年(平成4年)3月に防衛大学校理工学専攻を卒業(第36期)。在学中は儀仗隊に所属。 大学卒業後、航空自衛隊に入隊。F-15戦闘機のパイロットとして飛行任務に従事したほか、テストパイロットとしても活躍する。航空自衛隊幹部学校指揮幕僚課程を経て、航空幕僚監部防衛課勤務。2009年2月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)第31期宇宙飛行士訓練生に選抜される。
栁田 清二(やなぎだ せいじ、1969年〈昭和44年〉12月… 栁田 清二(やなぎだ せいじ、1969年〈昭和44年〉12月19日 - )は、日本の政治家。長野県佐久市長(5期)。元長野県議会議員(3期)。元佐久市議会議員(3期)。 長野県佐久市野沢出身。長野県野沢北高等学校卒業。高校時代は応援団長をつとめた。1989年(平成元年)4月、衆議院議員の井出正一の秘書をつとめる。1993年(平成5年)3月、中央大学経済学部卒業。 1997年(平成9年)4月、佐久市議会議員選挙に立候補し、初当選。1999年(平成11年)4月、長野県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。2007年(平成19年)に3選。 2008年(平成20年)12月、任期満了に伴う佐久市長選挙に立候補する意向を表明。
稲垣 克臣(いながき かつおみ、1969年9月30日 - )… 稲垣 克臣(いながき かつおみ、1969年9月30日 - )は、日本の男性元総合格闘家。長野県佐久市出身。パンクラス大阪稲垣組主宰。 中学、高校時代は柔道を行っていた。長野県野沢北高等学校卒業、明治大学を中退し、プロフェッショナルレスリング藤原組に入団。練習生としてデビューを目指していたが、1992年12月の船木誠勝・鈴木みのるを筆頭とした選手大量離脱に帯同し、藤原組を退団。 1993年1月31日、第2回トーワ杯カラテジャパンオープンに出場、2回戦は勝利したものの、3回戦で正道会館の金泰泳に右バックブローでKO負けを喫した。 1993年9月21日、パンクラス旗揚げ戦の第1試合においてプロデビュー、鈴木みのると対戦。
倉石 真(くらいし まこと、1969年1月22日 - )は、… 倉石 真(くらいし まこと、1969年1月22日 - )は、日本のテノール歌手。 長野県長野市生まれ、長野県小諸市で育つ。小諸市立小諸東小学校、小諸市立小諸東中学校、長野県野沢北高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科卒業、同大学院オペラ科修了。藝大定期オペラ『コシ・ファン・トゥッテ』のフェランド役でデビュー。東京交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会、東京フィルハーモニー交響楽団のオペラコンチェルタンテ・シリーズなどに出演。2000年ロータリー財団国際親善奨学生としてイタリアに留学。ボローニャ国立音楽院にてパリデ・ヴェントゥーリに師事。2001年にはモンテプルチアーノ国際芸術祭に出演。
青木 理(あおき おさむ、1966年10月26日 - )は、… 青木 理(あおき おさむ、1966年10月26日 - )は、日本のジャーナリスト、TVコメンテーター、元共同通信社記者、元ソウル特派員。身長は183cm。 長野県小諸市生まれ。父は元小学校教員。長野県野沢北高等学校、慶應義塾大学文学部卒業後、1990年共同通信社入社。 同社では大阪社会部、成田支局を経て東京社会部で警視庁の警備公安部門などを担当。オウム真理教事件、阪神大震災、種々の公安事件や経済事件を取材する。 1997年から1998年まで韓国の延世大学校韓国語学堂に留学し、外信部勤務を経て2002年から2006年までソウル特派員を務める。社会部在籍中の2000年1月に『日本の公安警察』を講談社現代新書から著した。
田村 智子(たむら ともこ、1965年〈昭和40年〉7月4日… 田村 智子(たむら ともこ、1965年〈昭和40年〉7月4日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の衆議院議員(2期)、日本共産党中央委員会幹部会委員長(第6代)。 参議院議員(3期)、日本共産党政策委員長、同副委員長、同中央委員などを歴任。 長野県小諸市生まれ。実家は紙と文具の卸商で、父親はキリスト教(プロテスタント)の信者だった。三人兄弟で、姉と弟がいる。旧姓は山崎。小諸市立野岸小学校5年生の時、NHK全国学校音楽コンクールに長野県代表として出場した。小諸市立小諸東中学校、長野県野沢北高等学校でも合唱に没頭。高校でもヴェルディやモーツァルトのレクイエムなどを歌い、文化祭では「愛の妙薬」「ノルマ」「真珠採り」などオペラを3年続けて開催した。
柳澤 安慶(やなぎさわ やすよし、1964年10月20日 -… 柳澤 安慶(やなぎさわ やすよし、1964年10月20日 - )は、日本の実業家。株式会社ファンコミュニケーションズ(東証一部 2461)の創業者で取締役(元代表取締役社長)。 1964年長野県佐久市生まれ。長野県野沢北高等学校、成城大学経済学部卒業後、広告代理店に勤務。1994年に個人向けプロバイダー「リムネット」の立ち上げに参画、その後ショッピングモールやレンタルサーバーなどインターネット黎明期のビジネスモデルに取り組む。 1999年10月にはアフィリエイトサービスプロバイダをメイン事業にした株式会社ファンコミュニケーションズを設立。成功報酬型広告の先駆者として、当時国内ではほとんど知られていなかったネットマーケティング手法の普及に努める。
木内 均(きうち ひとし、1964年8月3日 - )は、日本… 木内 均(きうち ひとし、1964年8月3日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、長野県議会議員(2期)、佐久市議会議員(2期)を務めた。 長野県佐久市生まれ。長野県野沢北高等学校を経て、法政大学法学部政治学科入学。在学中は、内田健三のゼミに所属。在学中に野田佳彦(当時は千葉県議会議員)の選挙を手伝ったことで本格的に政治家を目指すようになり、1988年3月に法政大卒業後、同年4月、松下政経塾に入塾。1993年2月、卒塾(第9期生)。 1993年4月の佐久市議会議員選挙で初当選。2000年、2期目の途中で辞職。2001年4月、佐久市長選挙に出馬したが、落選。同年5月から7月まで参議院議員・小山峰男の選挙スタッフを務める。
小泉 修一(こいずみ しゅういち、1963年10月 - )は… 小泉 修一(こいずみ しゅういち、1963年10月 - )は日本の神経薬理学者。山梨大学医学部・大学院総合研究部医学域教授。 長野県小諸市出身。長野県野沢北高等学校を経て、1987年九州大学薬学部卒業、1992年同大学院薬学研究科博士課程修了。学位は 博士(薬学)(九州大学)。
鷹野 義昭(たかの よしあき、1963年6月21日 - )は… 鷹野 義昭(たかの よしあき、1963年6月21日 - )は、日本のコンサルタント。株式会社テムズ代表取締役、ぐろ〜かるCM研究所所長を務める。 日本広告学会正会員。日本広報協会広報アドバイザー。長野県小諸市地域振興アドバイザー。 長野県小諸市に生まれる。長野県野沢北高等学校卒業後、電気通信大学電気通信学部経営工学科にてマーケティング・経営学・統計を学ぶ。 株式会社I&S(現・I&S BBDO)に入社。ストラテジックマーケティングプランナーとして、各種クライアントのテレビCMなどコミュニケーションにおけるマーケティング戦略を策定。また新規事業部「情報センター」に参画し、設立・計画と運営展開を担当する。
小泉 俊博(こいずみ としひろ、1963年〈昭和38年〉4月… 小泉 俊博(こいずみ としひろ、1963年〈昭和38年〉4月18日 - )は、日本の政治家、行政書士。長野県小諸市長(3期)。 小諸市立美南ガ丘小学校、小諸市立小諸東中学校卒業。1982年(昭和57年)3月、長野県野沢北高等学校卒業。1987年(昭和62年)3月、駒澤大学法学部法律学科卒業。 1993年(平成5年)1月、井出正一衆議院議員の秘書。1997年(平成9年)2月、行政書士事務所を開設。小諸商工会議所青年部会長・長野県商工会議所青年部連合会長や長野県行政書士会理事を歴任した。 2004年(平成16年)4月の小諸市長選挙に立候補するも落選。12年後の2016年(平成28年)の市長選に再び立候補し初当選した。
滝澤 秀之(たきざわ ひでゆき、1959年10月5日 - )… 滝澤 秀之(たきざわ ひでゆき、1959年10月5日 - )は、日本の実業家。相模鉄道株式会社代表取締役社長を経て、相鉄ホールディングス株式会社代表取締役社長。 長野県出身。長野県野沢北高等学校を経て、1984年横浜国立大学経済学部卒業、相模鉄道入社。相鉄ビルマネジメント第一営業部長を経て、2007年相模鉄道取締役に昇格。2008年常務取締役。2010年専務取締役。2011年相鉄ホールディングス執行役員。2012年相鉄ホールディングス取締役。2015年相模鉄道専務取締役。 2016年から相模鉄道代表取締役社長を務め、創立100周年にあたり知名度向上のため駅や服装、車両等のデザインリニューアルを進め、2018年には東京急行電鉄との相互直通運転による都心乗り入れに向け新車両相鉄20000系電車の投入を行った。
髙見澤 將林(たかみざわ のぶしげ、1955年〈昭和30年〉… 髙見澤 將林(たかみざわ のぶしげ、1955年〈昭和30年〉9月4日 - )は、日本の防衛官僚。長野県南牧村出身。軍縮会議日本政府代表部大使。 長野県野沢北高等学校卒業後、東京大学法学部を経て防衛庁採用。米国国防総合大学に留学した米国通で、日米弾道ミサイル防衛を推進した。 第30代防衛事務次官の西正典は東京大学の同期。 自衛隊の部隊運用を担当する防衛局運用課長、防衛政策課長や防衛政策局長を務めるなど有力な事務次官候補であった。 姓の「髙」は「高」の異体字かつ「澤」は「沢」の旧字体、また名の「將」は「将」の旧字体であるため、「高見沢 将林」「高見澤 将林」「高見沢 將林」などの表記も見られる。
川手 洋一(かわて よういち、1951年4月28日 - )は… 川手 洋一(かわて よういち、1951年4月28日 - )は、日本の実業家。富士器業株式会社の取締役会長。 長野県生まれ、佐久地方で育つ。1975年に立教大学経済学部を卒業後、報知新聞社(スポーツ報知)に入社する。入社後の3年間は一般スポーツに配属され、大相撲、バスケットボール、レスリングなどの取材担当者となる。入社4年目からはプロ野球担当となり、読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズの専任となる。読売ジャイアンツを担当した7年間は、監督として長嶋茂雄、王貞治、藤田元司、選手として中畑清、原辰徳、篠塚和典、江川卓などの取材を行った。中日担当時は星野仙一とも親交が深かった。 1990年に、後述の理由により報知新聞社を退社し、義父が創業した家庭用品の金物問屋であった富士器業株式会社に入社する。
杉山 重雄(すぎやま しげお、1949年7月9日 - )は、… 杉山 重雄(すぎやま しげお、1949年7月9日 - )は、長野県小諸市出身の元プロ野球選手(投手) 野沢北高校では1967年夏の甲子園長野県予選で準々決勝に進出するが、辰野高に敗退。この大会では屋代高との対戦で、完全試合を記録した。駒澤大学へ進学。東都大学野球リーグでは1968年春季リーグで優勝を経験するが、自身の活躍の場はなかった。1年生からベンチ入りし、4年時の1971年にはエースとして春秋季リーグとも7勝をあげた。秋季リーグでは日大に優勝を譲るが最優秀投手、ベストナインに選出される。リーグ通算31試合登板、15勝5敗。同じ年齢の左腕投手である亜大の山本和行とは格好のライバルであり、リーグ戦で何度も投げ合っている。
大井 篤(おおい あつし、1949年1月14日 - )は、日… 大井 篤(おおい あつし、1949年1月14日 - )は、日本の経産官僚、防衛官僚。防衛参事官を経て、三井物産中国董事長、日本デザイン振興会理事長などを務めた。 長野県出身。長野県野沢北高等学校を経て、一橋大学経済学部卒業後、通商産業省に入省。1996年にサンフランシスコで行われた日米自動車・同部品合意の初の点検会合に自動車課長として出席、米国側に対日輸出目標などの期待値を示した。また同年、バンコクで記者会見を行い、通産省と日本の自動車業界が、カンボジア、ラオス、ミャンマーの三カ国の自動車産業の整備に、東南アジア諸国連合とともに協力することを明らかにした。 1999年には資源エネルギー庁公益事業部長に就任。
小林 宏(こばやし ひろし、1947年5月9日 - 2016… 小林 宏(こばやし ひろし、1947年5月9日 - 2016年2月18日)は、長野県出身の日本のカーリング選手、富士急行の女子カーリングチーム「チームフジヤマ」の元ゼネラルマネージャー兼ヘッドコーチ。株式会社スポーティングカナダの元代表取締役社長。 長野県野沢北高等学校時代は、スピードスケートで活躍。中央大学商学部卒業。 1979年にカーリングに出会い、1986年と1987年にチーム「東京MAX」のメンバーとして日本カーリング選手権優勝。 1992年アルベールビルオリンピックでは公開競技として行われたカーリングの日本代表監督を務め、1998年当時はオリンピック正式種目として初めての実施とされた1998年長野オリンピックではカーリングの競技委員長を務める。
井出 亜夫(いで つぎお、1943年(昭和18年)11月20… 井出 亜夫(いで つぎお、1943年(昭和18年)11月20日 - )は、日本の通産官僚。経済企画庁国民生活局長、経済企画審議官などを歴任。長野県出身。
いで はく(本名・井出 博正(いで ひろまさ)、1941年〈… いで はく(本名・井出 博正(いで ひろまさ)、1941年〈昭和16年〉11月22日 - )は、日本の作詞家。日本音楽著作権協会(JASRAC)会長(2016年4月-2022年3月)。日本音楽作家団体協議会理事長、松尾芸能振興財団理事。 長野県南佐久郡南牧村海尻出身。長野県野沢北高等学校を経て1965年早稲田大学商学部卒業後、全国モーターボート競走会連合会の教官として活動。全国の競艇場(24場)を回って、選手のスタート試験や登録試験などを担当した。その後は友人と共に会社を起業し、幼児向け英語教材(カセットテープ)を大手の出版社と連携して販売した。最初は売れ行きも好調だったが、提携先企業が苦境に陥り、僅か2年で失敗に終わる。
岩間 辰志(いわま たつし、1939年〈昭和14年〉8月21… 岩間 辰志(いわま たつし、1939年〈昭和14年〉8月21日 - 2015年〈平成27年〉11月16日)は、日本の実業家。元サッポロホールディングス社長、名誉顧問。 長野県出身。長野県野沢北高等学校を経て1963年に早稲田大学政治経済学部を卒業。同年日本麦酒株式会社に入社(1964年にサッポロビールに社名変更)。 1998年3月に取締役、同11月常務取締役、1999年年11月代表取締役社長に、それぞれ就任。 2003年、サッポロビールの純粋持株会社化に伴い、サッポロホールディングス代表取締役社長に就任。2005年同社相談役、2007年同社名誉顧問。 2015年11月16日、慢性骨髄性白血病により76歳で死去。
井出 正一(いで しょういち、1939年6月20日 - 20… 井出 正一(いで しょういち、1939年6月20日 - 2018年9月2日)は、日本の実業家、政治家。橘倉酒造代表取締役会長。 衆議院議員(3期)、厚生大臣(第77代)、新党さきがけ代表(第2代)を歴任。 父は内閣官房長官や農林大臣、郵政大臣を務めた元衆議院議員の井出一太郎。作家の井出孫六は叔父。衆議院議員の井出庸生は甥。 長野県南佐久郡臼田町(現:佐久市)生まれ。長野県野沢北高等学校、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。大学では中国経済を研究していた。大学卒業後は、政治家である父・井出一太郎に代わって家業の酒造業の経営に携わる。 1986年、父・一太郎の引退に伴い、父の支持者から要請を受け、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧長野2区から立候補し、初当選した。
山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は… 山本文彦(やまもと ふみひこ、1937年2月16日 - )は、日本の洋画家、筑波大学名誉教授、日本藝術院会員、美術団体の一般社団法人二紀会常任理事である。茨城県牛久市在住。 1937年に東京で生まれる。疎開によって約10年間、現在の長野県佐久市で過ごした。長野県野沢北高等学校を経て、1961年東京教育大学 (現在の筑波大学) 教育学専攻科芸術専攻修了。1961年千葉県立長生高等学校教諭となる。1969年山口大学助教授となる。1985年筑波大学芸術学系教授となる。1996年NHK教育テレビ 趣味百科「油絵を描く」の講師となる。2000年定年退官し、筑波大学名誉教授となる。2010年日本藝術院会員となる。
関口 末夫(せきぐち すえお、1936年1月6日 - 201… 関口 末夫(せきぐち すえお、1936年1月6日 - 2017年7月25日)は、日本の経済学者。大阪大学社会経済研究所教授・成蹊大学経済学部教授を経て、成蹊大学名誉教授。国際経済学専攻。 長野県諏訪市出身。長野県野沢北高等学校を経て、1959年横浜国立大学経済学部卒。1968年日本経済研究センター研究員。1972年大阪大学助教授、74年日本経済研究センター主任研究員、81年大阪大学社会経済研究所教授、1986年成蹊大学経済学部教授、2001年名誉教授、東京経済大学教授。2006年退任。1972年日経・経済図書文化賞受賞(共著)。
中澤 孝之(なかざわ たかゆき、1935年1月 - )は、日… 中澤 孝之(なかざわ たかゆき、1935年1月 - )は、日本のジャーナリスト、ロシア・ソ連研究家。 大連市生まれ。長野県南佐久郡佐久穂町に育つ。長野県野沢北高等学校を経て、東京外国語大学ロシア語科国際関係課程卒業。時事通信社入社、本社経済部記者、シンガポール、クアラルンプール、モスクワ特派員、モスクワ支局長、外信部次長、整理部次長、外信部長、県立新潟女子短期大学国際教養学科教授、長岡短期大学教授、長岡大学産業経営学部教授などを務めた。モスクワ勤務の期間は通算9年強。妻幸子(ゆきこ)との間に3人の子供がいる。長男は「なかざわひでゆき」の名前で、映画と音楽の評論執筆活動を行う(http://angeleyes.dee.cc/)かたわら、随時、TVチャンネル「WOWOWプライム」の木曜夕方の番組「ザ・プライムショー」に出演中。
田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本… 田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本の俳優、声優。 次男は俳優の岩田和樹、甥は作家の吉岡忍。 長野県南佐久郡臼田町(現・佐久市)出身。高校生時に替え玉試験で停学となった際、ラジオで田村秋子が出演した文学座公演「姫岩」の舞台中継を聞いたことで、役者の仕事に興味を持つ。 長野県野沢北高等学校を卒業後、東京大学文学部英文学科を卒業。 大学在学中の1955年、山本薩夫の監督映画『愛すればこそ』で銀幕デビューし、以後も多数の映画に出演。 1958年頃からはテレビ関係の仕事も増え、多くのドラマに出演。その一方、TBSの須子というプロデューサーに「口説かれた」ことを機に、吹き替えで声優としても活動するようになる。
由井 正臣(ゆい まさおみ、1933年1月10日 - 200… 由井 正臣(ゆい まさおみ、1933年1月10日 - 2008年4月4日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。専攻は日本近代史。近代日本における軍部の成立や田中正造についての研究で知られる。 長野県南佐久郡出身。長野県野沢北高等学校を経て、1956年早稲田大学第一文学部史学科卒業。1957年国立国会図書館職員、1963年国立国会図書館憲政資料室勤務、1968年国立国会図書館を退職し、駒澤大学文学部講師に着任。1971年同助教授。1973年早稲田大学文学部助教授。1978年同教授。2003年早稲田大学を定年退職、名誉教授。墓所は多磨霊園(10-2-10)。
小林 昭七(こばやし しょうしち、1932年1月4日 - 2… 小林 昭七(こばやし しょうしち、1932年1月4日 - 2012年8月29日)は、日本の数学者。カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。研究領域は、リーマン多様体、複素多様体およびリー群。小林久志 (計算機科学者)は弟の一人。 東京府で出生、父の故郷の山梨県甲府市で育つ。旧制長野県立野沢中学(長野県野沢北高等学校)を経て、旧制第一高等学校、1953年に東京大学理学部数学科を卒業。1956年、ワシントン大学で博士号を取得。論文は(Theory of Connections)。 1970年にニースで開催された国際数学者会議で招待講演を行った。
井出 孫六(いで まごろく、1931年9月29日 - )は、… 井出 孫六(いで まごろく、1931年9月29日 - )は、日本の小説家、ルポライター。
依田 憙家(よだ よしいえ、1931年4月3日 - )は、日… 依田 憙家(よだ よしいえ、1931年4月3日 - )は、日本の東洋史学者。早稲田大学名誉教授。 東京牛込生まれ。本籍長野県。長野県野沢北高等学校を経て、1957年早稲田大学日本史卒。1961年、同大学院商学研究科修士課程修了。1966年、早稲田大学社会科学研究所助手。1967年に専任講師、1970年に助教授を経て、1975年に教授。1992年、「日本帝国主義と中国」で中華人民共和国南開大学歴史学博士。1998年、移行により早稲田大学アジア太平洋研究センター教授。2002年定年退任、名誉教授。この間、北京大学客員教授、復旦大学研究員など。
岩井 重人(いわい しげと、1930年(昭和5年)4月25日… 岩井 重人(いわい しげと、1930年(昭和5年)4月25日 - 2018年(平成30年)1月6日)は、日本の実業家。住友不動産販売代表取締役社長、不動産流通経営協会理事長を歴任した。不動産協会不動産協会功労者表彰。 長野県佐久市出身。1949年長野県野沢北高等学校卒業、住友銀行(現三井住友銀行)入行。川崎支店長を経て、1982年代表取締役専務に昇格。1983年住友不動産取締役。1988年住友不動産代表取締役専務。1993年から14年間住友不動産販売代表取締役社長を務め、2000年には東京証券取引所市場第一部に上場を果たした。2003年不動産流通経営協会理事長、東日本不動産流通機構理事長、不動産協会理事。
三浦 大助(みうら だいすけ、1928年(昭和3年)3月27… 三浦 大助(みうら だいすけ、1928年(昭和3年)3月27日 - )は、日本の政治家、厚生官僚。元長野県佐久市長。 長野県南佐久郡野沢町(現・佐久市)生まれ。旧制長野県野沢中学校(現・長野県野沢北高等学校)を経て、東京慈恵会医科大学卒業。昭和27年(1952年)医学博士。同28年(1953年)同大学公衆衛生学教室に入り、同29年(1954年)旧厚生省入省。同38年(1963年)富山県厚生部環境課長、同44年(1969年)山形県衛生部長、同47年(1972年)厚生省環境衛生局食品衛生課長、同50年(1975年)保険局医療課長、同53年(1978年)統計情報部長、同54年(1979年)旧環境庁大気保全局長、同56年(1981年)厚生省公衆衛生局長、同58年(1983年)公害等調整委員会委員を歴任した。
井出 源四郎(いで げんしろう、1920年9月7日 - 20… 井出 源四郎(いで げんしろう、1920年9月7日 - 2008年11月28日)は日本の医学者。専門は病理学。第8代千葉大学学長。 長野県南佐久郡臼田町(現佐久市)生まれ。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)、旧制松本高等学校理科乙類を経て,、1944年旧制千葉医科大学卒業。母校助手を経て、1956年同助教授。1957年医学博士(千葉大学)。論文の題は「潰瘍性関節症の病理学的研究 」。1965年教授、1978年医学部長、1982年学長を歴任。1988年退官、名誉教授。1993年勲二等旭日重光章受勲。 1961年刊行の『中日英医学用語辞典』の編集委員長を務めた他、著書に『喫煙と肺癌』、『最新病理組織学』などがある。
川上 保雄(かわかみやすお、1914年1月4日 - 2015… 川上 保雄(かわかみやすお、1914年1月4日 - 2015年7月28日)は、日本の医学者。昭和大学(現・昭和医科大学)学長を務めた。 長野県南佐久郡川上村生まれ。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、昭和14年(1939年)東京帝国大学医学部医学科卒業。同年海軍中尉、同16年(1941年)大尉、同19年(1944年)少佐。同21年(1946年)復員除隊。 同22年(1947年)東京大学医学部助手、同30年(1955年)講師、同34年(1959年)昭和医科大学教授、同47年(1972年)医学部長、同53年(1978年)理事長、同58年(1983年)学長を歴任した。同61年(1986年)退任、名誉教授。
井出 一太郎(いで いちたろう、1912年1月4日 - 19… 井出 一太郎(いで いちたろう、1912年1月4日 - 1996年6月2日)は、日本の政治家。内閣官房長官(第39代)、農林大臣(第23-24代)、郵政大臣(第29代)。衆議院議員(16期)。 長野県(旧南佐久郡臼田町、現佐久市)出身。家は元禄時代(1688年~1704年)から続いた古い造り酒屋の橘倉酒造。県会議員を務めた今朝平の長男。 旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)を経て、1931年旧制松本高校文科甲類卒業。10年間家業に専念した後、1941年京都帝国大学農学部入学。すでに3人の子持ちで、家業をみながらの大学生活だった。 1946年、第22回衆議院議員総選挙に旧長野2区から初当選。連続当選16回。
田中 文雄(たなか ふみお、1910年7月29日 - 199… 田中 文雄(たなか ふみお、1910年7月29日 - 1998年1月6日)は、日本の経営者。王子製紙社長、会長を務めた。 長野県南佐久郡平賀村(現佐久市)出身。旧制野沢中学を経て、1935年に九州帝国大学農学部林学科を卒業し、同年に王子製紙に入社した。1956年に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1968年に社長に就任。社長在任中は、北日本製紙、日本パルプ工業との合併を実現させ、紙パルプ業界の国際化に尽力した。1981年に会長に就任し、1989年から取締役相談役を務めた。1982年には病気療養中の市村修平社長に代わり、社長を一時代行した。 1979年から1987年までに日本経営者団体連盟副会長を務め、1981年には日本製紙連合会会長に就任した。
阿部 憲一(あべ けんいち、1909年11月30日 - 19… 阿部 憲一(あべ けんいち、1909年11月30日 - 1989年3月28日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、公明党)、学校法人創価学園理事長を歴任。 長野県北佐久郡岩村田町(現・佐久市)出身。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)、旧制水戸高等学校を経て、1933年東京帝国大学経済学部卒。卒業後は海運会社に勤務し、1949年栗林商船取締役から1961年飯野海運取締役を経て、1965年渋沢海運社長に就任。また、創価学会理事を務める。 1967年の東京都知事選に無所属(公明党・推薦)で立候補したが、得票数3位で落選(当選者は美濃部亮吉)。 1968年の第8回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(改選数4)から公明党公認で立候補して、第1位で初当選。
秋山 晴夫(あきやま はるお、1909年2月1日 - 198… 秋山 晴夫(あきやま はるお、1909年2月1日 - 1980年11月23日)は、日本のフランス文学者であり、中央大学名誉教授である。 長野県北佐久郡岩村田町(現在の長野県佐久市)に生まれた。旧制野沢中学校(現在の長野県野沢北高等学校)を経て、1933年に東京帝国大学仏文科を卒業した。卒業後は司法省調査課に勤務した。1941年には軍の命令により広州湾フランス租借地に出張した。1943年には一兵卒として北支に出兵した。戦後の1949年に中央大学教授に就任し、1980年に定年退任、名誉教授となった。 ボードレール、ランボーをはじめとするフランス文学の翻訳を多数手がけた。
山室 静(やまむろ しずか、男性、1906年(明治39年)1… 山室 静(やまむろ しずか、男性、1906年(明治39年)12月15日 - 2000年(平成12年)3月23日)は、日本の詩人・文芸評論家・翻訳家。 教師であった父茂次郎、母いまの第5子として、赴任先の鳥取県鳥取市に生まれる。兄に中部日本新聞社社長となった山室次郎、九州大学教授・中国哲学者の山室三良がいる。母も断続的に教師として勤務していた。7歳から父母の郷里である長野県北佐久郡岩村田町(現佐久市)で育ち、旧制野沢中学(現在の長野県野沢北高等学校)卒業後、代用教員などを務め) 1927年に岩波書店に入社、東洋大学夜間部、日本大学夜間部に通い、1930年に労働争議により岩波書店を退社、アンドリュウス商会に勤めたが、1937年に同社の解散により失業している。
山室 三良(やまむろ さぶろう、1905年1月23日 - 1… 山室 三良(やまむろ さぶろう、1905年1月23日 - 1997年1月15日)は、日本の中国哲学者。兄に山室次郎(中部日本新聞社社長)、弟に作家の山室静がいる。 長野県北佐久郡志賀村(現在の佐久市志賀)生まれ。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)を経て、九州帝国大学法文学部選科支那哲学科修了。1933年九州帝大副手を経て、1934年外務省留学生として北京に赴き、1936年北京近代科学図書館初代館長、銭稲孫に委嘱して日本文学の中国語訳をさせる。帰国し、1947年九州帝大法文学部助教授、1960年九州大学文学部教授、1968年定年退官、名誉教授、1970年から1977年まで福岡大学教授、福岡県文化財専門委員、九州管区警察学校講師を務め、1980年から1983年まで東海大学教授。
桜井 和市(さくらい わいち、1902年(明治35年)7月1… 桜井 和市(さくらい わいち、1902年(明治35年)7月11日 - 1986年(昭和61年)1月12日)は、日本のドイツ語学者。 明治35年7月11日長野県南佐久郡岸野村(現佐久市)生まれ。 1919年 旧制野沢中学(現長野県野沢北高等学校)卒業。 1922年(大正11年3月31日) 旧制松本高等学校文科乙類卒業。 1925年(大正14年3月31日) 東京帝国大学独文科卒業 1925年(大正14年9月30日)旧制静岡高等学校教授。 1937年 (昭和12年3月31日)文部省在外研究員として独逸語独逸文学及び語学教授法研究のためドイツ出張(昭和13年11月30日まで) 1939年(昭和14年4月1日) 学習院教授 1944年(昭和19年1月10日)学習院高等科独語科主任 1947年(昭和22年3月31日)組織変更により学習院は財団法人学習院となる学習院教授、学習院高等科長 1947年(昭和22年4月1日)日本独文学会理事(46年5月8日まで) 1947年(昭和22年10月7日)学習院理事(26年5月31日まで) 1949年(昭和24年3月31日)法の定めるところにより財団法人学習院は学校法人学習院となる 1951年(昭和26年6月1日)学習院評議員(45年8月31日まで) 1956年(昭和31年4月1日)学習院大学文学部独文学科主任(37年4月30日まで) 1957年(昭和32年7月12日)学習院理事(45年8月31日まで) 1959年(昭和34年4月1日)文部省大学基準等研究協議会委員(35年3月31日まで) 1963年(昭和38年4月1日)学習院大学文学部長(45年5月31日まで) 1964年(昭和39年5月1日)財団法人ドイツ語学文学振興会理事長(52年7月19日まで) 1965年(昭和40年3月22日)ゲーテ・インスティトゥート(西独)からゲーテ牌(銀)受賞 1968年(昭和43年6月23日)私立学校教職員共済組合運営審議会委員(45年6月22日まで) 1968年(昭和43年7月1日)文部省国立高等専門学校ドイツ語教員選考および高等専門学校教員資格認定委員(50年3月31日まで) 1970年(昭和45年9月1日)学習院長(理事長)(56年8月13日まで) 1972年(昭和47年4月1日)私立大学懇話会副会長(52年6月9日まで) 1972年(昭和47年10月1日)文部省私立大学審議会委員(53年10月31日まで)
桜井 和市(さくらい わいち、1902年(明治35年)7月1… 桜井 和市(さくらい わいち、1902年(明治35年)7月11日 - 1986年(昭和61年)1月12日)は、日本のドイツ語学者。長野県南佐久郡岸野村(現佐久市)生まれ。