芦屋真人(あしやまさと、1970年 - 2014年1月7日)… 芦屋真人(あしやまさと、1970年 - 2014年1月7日)は、日本の建築家。 静岡県静岡市生まれ。1992年、日本大学生産工学部建築工学科卒業。1992~1999年(株)黒川紀章建築都市設計事務所勤務。 2001年、AAスクール大学院修士課程修了。2002年、一級建築士事務所a-scopeを阿部泰道と共同設立。2006年、パックス(静岡県御殿場市)でグッドデザイン賞。2007年、相澤康子とアシヤアーキテクツ1級建築士事務所設立。横浜市と沼津市に事務所を構える。2008年NISCイソバンドデザインコンテストグランプリ。2011年、四国化成 内装材部門 優秀賞。ASJ厚木スタジオ「大野台の家」竣工。
田坂 好生(たさか よしお、1957年 - )は、建築家、デ… 田坂 好生(たさか よしお、1957年 - )は、建築家、デザイナー。一級建築士。クリスチャン。静岡市出身。 野村設計時代(1981〜1984) この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
宗田 好史(むねた よしふみ、1956年4月18日 - )は… 宗田 好史(むねた よしふみ、1956年4月18日 - )は、都市建築学者、京都府立大学教授名誉教授。関西国際大学教授。京都大学工学博士。 静岡県浜松市生まれ。法政大学工学部建築学科、1985年同大学院修士課程修了。イタリアのピサ大学・ローマ大学大学院にて都市・地域計画学を専攻、1997年「イタリアの歴史的都市部の再生を可能にした都市政策の研究」で工学博士(京都大学)。国際連合地域開発センターを経て、1993年京都府立大学助教授、2007年准教授、2012年教授。2016年4月-2020年3月副学長・和食文化研究センター長などを歴任し、2022年定年退職、名誉教授、客員教授となる。2022年4月から関西国際大学教授、国際コミュニケーション学部長。
望月 敬生(もちづき よしお、1951年 - 2017年11… 望月 敬生(もちづき よしお、1951年 - 2017年11月)は日本の建築家、日本伝統建築設計の泰斗。望月敬生建築設計室・有限会社歴史建築設計研究体代表。日本庭園協会常務理事。静岡市出身。 日本漆喰協会 第12回作品賞 (大本山巨福山 建長寺大徹堂新築工事 設計者) 息子:望月敬士(たかし) 有限会社望月敬生建築設計室・歴史建築設計研究体代表 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
岡部 憲明(おかべ のりあき、1947年 - )は、日本の建… 岡部 憲明(おかべ のりあき、1947年 - )は、日本の建築家。 岡部憲明アーキテクチャーネットワーク代表。神戸芸術工科大学教授、神戸芸術工科大学博士(芸術工学)。妻は美学者、キュレーターの岡部あおみ。 代表作に関西国際空港旅客ターミナルビル、小田急ロマンスカー「VSE」・「MSE」・「EXEα」・「GSE」・箱根登山鉄道「アレグラ号」がある。 静岡県富士宮市生まれ。東京都立両国高等学校を経て早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、フランス政府給費研修生としてフランスに渡りレンゾ・ピアノとともにフランスやイタリアで活躍。フランス政府公認建築家となる。帰国後は Renzo Piano Building Workshop Japan 代表取締役を務め、現在は岡部憲明アーキテクチャーネットワークを主宰している。
増田 千次郎(ますだ せんじろう、1945年7月1日 - )… 増田 千次郎(ますだ せんじろう、1945年7月1日 - )は、日本の建築家。芝浦工業大学工学部建築学科特任教授。静岡市出身。 1964年、静岡県立静岡高等学校卒業。芝浦工業大学工学部建築学科卒業。1978年に増田千次郎建築事務所を設立。専門分野は、伝統的建造物調査や木造建築の設計。2000年に日本建築学会業績賞、文化財保護法制定50周年記念文化功労文部大臣賞、静岡県都市景観賞、2005年にUNESCO太平洋アジア地区文化遺産保存賞を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
長谷川 逸子(はせがわ いつこ、1941年12月1日 - )… 長谷川 逸子(はせがわ いつこ、1941年12月1日 - )は日本の建築家。菊竹清訓事務所出身。静岡県焼津市出身。関東学院大学工学部建築学科卒業。東京工業大学研究生を経て、1979年長谷川逸子・建築計画工房設立。関東学院大学客員教授。 伊東豊雄とともに「野武士」世代と伝えられている(槇文彦が命名)。1984年竣工の眉山ホールでの日本建築学会賞作品賞受賞や1986年に槇文彦や磯崎新らが審査員を務めた湘南台文化センターの公開コンペで最優秀賞を受賞し一躍注目を浴びる。トウキョウ建築コレクション2020審査員長などを歴任。 1941年(昭和16年)、静岡県焼津町に生まれる。父親は、逸子の祖父が創業したいくつもの会社を継ぎ、練炭工場や鉄工所など複数の事業を営んでいた。
大宇根 弘司(おおうね ひろし、1941年 - )は、日本の… 大宇根 弘司(おおうね ひろし、1941年 - )は、日本の建築家である。社団法人である日本建築家協会(JIA)会長、東京理科大学の非常勤講師などを歴任した。静岡県生まれ。 1960年静岡県立藤枝東高等学校卒業。1965年東京大学工学部建築学科卒業、前川國男建築設計事務所入所。山梨県立美術館の設計を担当。1982年大宇根建築設計事務所設立。代表作に(仮称)麻布子ども中高生プラザ等複合施設(設計プロポーザルで選定)。東京エレクトロン仙台事業所研究開発施設2号棟、芸術の森公園・山梨県立文学館、夢の島熱帯植物館など。
樋口 裕康(ひぐち ひろやす、1939年 - )は、日本の建… 樋口 裕康(ひぐち ひろやす、1939年 - )は、日本の建築家。静岡県静岡市生まれ。 1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。1965年、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。1965年から1971年までU研究室。1971年に富田玲子や大竹康市らと象設計集団を設立。同年、返還前の沖縄子供の国マスタープラン策定、今帰仁中央公民館、名護市庁舎で芸術選奨文部大臣賞、都市計画学会賞、日本建築学会賞などを受賞。1986年より台湾北東部の宜蘭懸冬山河風景区開発計画に着手。1990年、事務所を十勝に移し、全国各地で学校、公共施設、福祉施設をはじめとする地域性に根差した建築を進める。
長谷川 房雄(はせがわ ふさお、1922年(大正11年)1月… 長谷川 房雄(はせがわ ふさお、1922年(大正11年)1月 - 2020年(令和2年)12月29日)は、日本の建築学者。専門は建築環境工学、建築計画学。東北大学名誉教授。工学博士。 1922年(大正11年)、静岡市生まれ。1934年(昭和9年)3月、静岡市立安西小学校卒業。1939年(昭和14年)3月、静岡県立静岡中学校卒業。1942年(昭和17年)9月、静岡高等学校 (旧制)理科一類卒業。1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学第二工学部建築学科卒業。同年11月、財団法人建設技術研究所に就職。1951年(昭和26年)3月、同退職。4月、東北大学工学部建築学科助教授、1961年(昭和36年)9月、『建築壁体の熱伝導計算法に関する研究』により工学博士(東京大学)。
竹山 謙三郎(たけやま けんざぶろう、1908年 <明治41… 竹山 謙三郎(たけやま けんざぶろう、1908年 <明治41年> 1月8日 - 1986年 <昭和61年> 3月13日)は、日本の建築家、建築構造学、建築防災学の研究者。位階は従四位。 静岡県浜松市出身。1932年に東京帝国大学工学部を卒業。同年大蔵省営繕管財局に嘱託技師として入局。1945年工学博士(東大、木構造)。1946年、戦災復興院第二技術研究所技師、建設省建築研究所、1955年、同所長。1961年に退職。東京都立大学教授。1963年、鹿島建設技術研究所4代目所長に就任、1966年、所内に電子計算センターを新設し日本初の超高層「霞が関ビル」の建設に大きく貢献した。1968年退職、日本女子大学教授。
置塩 章(おしお あきら、 1881年(明治14年)2月6日… 置塩 章(おしお あきら、 1881年(明治14年)2月6日 - 1968年(昭和43年)10月20日)は、大正から昭和初期に関西で活躍した建築家である。公共建築物を多く手がけ、ネオ・ゴシック様式を好んだ。 1881年(明治14年)に、置塩藤四郎の長男として静岡県志太郡島田町(現・島田市)に生まれる。静岡県静岡尋常中学校から、第三高等学校 (旧制)へ進んだ。中学時代は野球部(現在の静岡高校野球部)に所属し、ピッチャーを務めた。 1910年(明治43年)に東京帝国大学工科大学造家学科(建築学科)を卒業、陸軍技師として陸軍省に入る。第四師団(大阪市)経理部に配属となり、第四師団管轄下の営繕全てにたずさわる。
中村 與資平(なかむら よしへい、1880年2月8日 - 1… 中村 與資平(なかむら よしへい、1880年2月8日 - 1963年12月21日)は、明治から昭和にかけて活躍した建築家。朝鮮・旧満州及び静岡県などにおいて多くの銀行や公共建築の設計を手がけたことで知られる。 中村与資平は、1880年に静岡県長上郡天王新田村(現在の浜松市中央区天王町)に中村貞一郎の長男として生まれた(中村は慶長年間からの庄屋(官号:与左衛門)で,与資平は第14代にあたる)。1889年に下堀学校(現・浜松市立与進小学校)を卒業し、1893年には浜松高等小学校(現・浜松市立元城小学校)を卒業した。1899年に静岡県浜松尋常中学校(現静岡県立浜松北高等学校)を卒業し、その後、1902年に第三高等学校を卒業した。
鈴木 禎次(すずき ていじ、明治3年7月6日(1870年8月… 鈴木 禎次(すずき ていじ、明治3年7月6日(1870年8月2日) - 昭和16年(1941年)8月12日)は、日本の建築家。静岡県静岡市出身。夏目漱石の相婿(妻同士が姉妹)で、漱石の小説の中にも登場する。[要出典] 1870年(明治3年)駿河国静岡に旧旗本で大蔵官僚の鈴木利亨の長男として生まれる。1896年(明治29年)に帝国大学工科大学造家学科を卒業。翌年、三井銀行に入り建築係に勤務する。1898年(明治31年)夏目漱石の妻である夏目鏡子(旧姓:中根)の妹(時子)と結婚し、1903年(明治36年)、文部省の命を受けイギリスとフランスに留学。1906年(明治39年)名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)の建築科教授・同科長となり赴任。