幅 允孝(はば よしたか、1976年8月7日 - )は、日本… 幅 允孝(はば よしたか、1976年8月7日 - )は、日本の選書家・ブックディレクター・編集者・執筆家。有限会社BACH(バッハ)代表。愛知県立芸術大学非常勤講師。神奈川県教育委員会顧問。京都「鈍考/喫茶 芳」主宰。 愛知県津島市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。青山ブックセンター六本木店、建築・デザイン書の担当を経て、株式会社ジェイ・アイ入社。石川次郎に編集を学ぶ。その後独立し、2005年10月に選書集団・BACH(バッハ)を設立。社名は自分の名前と音楽家に由来する。選書、編集、執筆、企画、ディストリビューション、また展覧会のキュレーションなど、本をツールに幅広い分野で活動する。アーセナルFCのファンを公言している。
伊藤 雲峰(いとう うんぽう、本名:伊藤 隆(いとう たかし… 伊藤 雲峰(いとう うんぽう、本名:伊藤 隆(いとう たかし)、1974年2月14日 - )は、日本の書家。愛知県名古屋市出身。 伊藤隆の名で俳人としても活動中。 桑名西高校、皇學館大學文学部国文学科卒業。 2012年より伊藤雲峰カレンダーの制作開始。卓上、壁掛けの2種類を準備。 2016年より円頓寺クラフトマルシェで書のワークショップブースを出店。 2017年より、東京、名古屋、大阪で篆書のワークショップ「書会」を開催。 コミックスや新聞の題字など幅広く活動中 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
青山 浩之(あおやま ひろゆき、1968年 - )は、日本の… 青山 浩之(あおやま ひろゆき、1968年 - )は、日本の書写書道の教育者、書家。「美文字王子」の愛称で知られ、メディアなどでは「美文字研究家」として紹介されることが多い。横浜国立大学教育人間科学部教授。 愛知県岡崎市出身。小学校1年生のとき近所の書道教室に通い始める。この頃から文字を意識するようになったという。岡崎市立山中小学校、岡崎市立東海中学校卒業。中学高校時代は野球部に専念。6年間書道から離れる。 1990年3月、東京学芸大学教育学部特別教科教員養成課程卒業。1992年3月、同大学大学院教育学研究科美術教育専攻書道講座修了。同年4月、学習院高等科と東京学芸大学附属竹早中学校の非常勤講師となる。
石川 徳仁(いしかわ のりひと、1966年3月5日 - )は… 石川 徳仁(いしかわ のりひと、1966年3月5日 - )は日本の書家、国際中国書法国画家協会副会長。 愛知県半田市出身。小学校1年生から書道を始め6年生で書道師範となり、日展などで入賞。法政大学経済学部卒業後は経営コンサルタントを経て、2009年に表参道に書道教室を開業。
矢野 きよ実(やの きよみ、1962年2月25日 - )は、… 矢野 きよ実(やの きよみ、1962年2月25日 - )は、日本のタレント・ラジオパーソナリティ・モデル・書家。名古屋市中区大須出身。本名同じ。血液型A型。名古屋市及び中京圏を中心に活動するローカルタレントであり、名古屋弁を多用する語り口が特徴である。 市邨学園高蔵高校(現名古屋経済大学高蔵高校)卒業。1977年から地元中京圏を拠点に、雑誌や広告などでモデル活動を始める。 高校卒業後の1980年4月、名古屋テレビ『金曜奥様ワイド』でタレントデビュー。1983年には中京テレビ『5時SATマガジン』でアシスタントに抜擢され、その頃より中京圏を中心とするタレント活動を本格化させた。1989年にはフジテレビの情報番組『と〜んでもない』に出演し東京進出を果たす。
安藤 豊邨(あんどう ほうそん、1951年2月1日 - )は… 安藤 豊邨(あんどう ほうそん、1951年2月1日 - )は、日本の書家。現愛知教育大学講師。 愛知県豊田市出身。本名は安藤重光。都留文科大学文学部卒業。1982年に毎日現代書展・会員賞受賞の審査会員となる。1986年に豊田市文化協会を奨励賞受賞。2002年に文化庁所管の国井誠海賞を受賞。2004年、豊田芸術選奨を受賞。2007年、第59回毎日書道展文部科学大臣賞を受賞。現在は日本刻字協会理事長・豊田書道連盟理事長・日本書道協会評議員・愛知教育大学の講師を務める。家族には、家族は妻と2男。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
橘 右太治(たちばな うたじ、本名:小田 幸広、1950年〈… 橘 右太治(たちばな うたじ、本名:小田 幸広、1950年〈昭和25年〉1月29日 - )は中京圏を中心に活動する橘流寄席文字書家。寄席文字橘会理事。愛知県蒲郡市出身・在住。家業として農業(ミカン・山椒の葉など)にも携わる。 1968(昭和43)年、東京農業大学短期大学部農業科に入学と同時に落語研究会に入部。芸名は「二束家三紋」。新宿末廣亭で橘右近の寄席文字を見てカルチャーショックを受け、入門。落研の先輩である橘右一郎と共に新宿末廣亭の10日ごとの看板の張り替えを手伝い、右近のビラ文字のコレクションを始める。看板の張り替え作業は、農大落研の後輩に50年以上経った現在も受け継がれている。 短大卒業後帰郷、1970(昭和45)年、関山和夫が主宰する「含笑長屋落語を聴く会」に参加、同年3月、関山の指導のもと「蒲郡落語を聴く会」をスタートさせる。
宇佐美 魚目(うさみ ぎょもく、1926年9月14日 - 2… 宇佐美 魚目(うさみ ぎょもく、1926年9月14日 - 2018年10月19日)は、愛知県出身の俳人、書家。本名は和男。名古屋市生まれ、愛知県第一中学校卒。19歳のとき父・野生の勧めで俳句をはじめ、翌年より「ホトトギス」に投句、高濱虚子、橋本鶏二に師事。また「牡丹」「桐の葉」でも学ぶ。1954年、愛知県愛知郡鳴海町(現、名古屋市緑区鳴海町)にて書道塾を開く。書は武市秀峰に師事。蜻蛉会、舟上会主宰(幹事長:宮川一水)。「桐の花」「鷹」「雪」を経て、1957年に鶏二の「年輪」創刊に参加、編集を担当。また野見山朱鳥に兄事。1958年、第1回年輪賞、第1回四誌連合会賞受賞。1963年、波多野爽波の「青」同人参加。
青山 杉雨(あおやま さんう、1912年6月6日 - 199… 青山 杉雨(あおやま さんう、1912年6月6日 - 1993年2月13日)は、書家。愛知県葉栗郡草井村大字村久野(現・江南市)生まれ。大東文化大学教授。号は杉雨、本名は文雄。
續木 湖山(つづき こざん、1911年2月11日 - 200… 續木 湖山(つづき こざん、1911年2月11日 - 2006年4月21日)は、書家。愛知県新城市黒田にて出生。本名は續木敏郎。 書家として数々の作品を発表。また書写書道の分野における教育者/研究者としての活動も多岐に渡る(略歴・著書を参照)。師は石田泉城・青山松亭。
日比野 五鳳(ひびの ごほう、1901年〈明治34年〉2月2… 日比野 五鳳(ひびの ごほう、1901年〈明治34年〉2月20日 - 1985年〈昭和60年〉1月27日)は、日本の書家。息子の日比野光鳳も書家。 岐阜県神戸町に日比野五鳳記念美術館がある。また神戸町役場の入口ロビーには、氏による山上憶良の子等を思う歌一首とその反歌を書にしたものが壁書として彫り込まれている。神戸町中沢の実家跡には碑が建っている。
大池 晴嵐(おおいけ せいらん、1899年〈明治32年〉2月… 大池 晴嵐(おおいけ せいらん、1899年〈明治32年〉2月14日 - 1977年〈昭和52年〉9月29日)は、日本の書家。愛知県丹羽郡古知野村(現・江南市)生まれ。号は晴嵐、別号に一魯、田翁、魯翁。本名は一良(かずよし)。正六位勲五等双光旭日章受章。 大正時代から昭和初期に活躍した中部地方(尾張地方)の漢字書家。行草書を得意とした。父に伴い名古屋で書を、親戚に画を習った。書を志し上京、豊道春海に師事する。泰東書道院で活躍するも、戦災により帰郷する。帰郷後は中部書壇の高揚に努め会派の違いを結集した中部日本書道会の育成に貢献した。自会派平心社(後の東海書道芸術院)を創立した。日展・中部日本書道会脱退後はかえって中部日本書道会の方が全国展出品者が増え、主流となっていった。
鈴木 翠軒(すずき すいけん、1889年〈明治22年〉1月5… 鈴木 翠軒(すずき すいけん、1889年〈明治22年〉1月5日 - 1976年〈昭和51年〉9月26日)は、愛知県生まれの書家、文化功労者。旧姓は長尾、本名は春視(はるみ)、翠軒は号。 愛知県渥美郡堀切村(現在の田原市堀切町)に生まれる。1903年愛知県立第四中学校(現在の愛知県立時習館高校)を卒業後、1910年愛知県立第一師範学校へ進学。翌年卒業して地元の小学校の訓導となる。1916年文部省習字科検定試験に合格すると、1919年に上京して丹羽海鶴に師事した。この時、比田井天来にも教えを乞う。1932年、『国定甲種小学書方手本』の揮毫者となり、1938年に完成させる。この国定教科書の書風は、その明快な用筆と結体により絶賛され「翠軒流」として世の中に広まった。
服部 擔風(はっとり たんぷう、慶応3年11月16日(186… 服部 擔風(はっとり たんぷう、慶応3年11月16日(1867年12月21日) - 昭和39年(1964年)5月27日)は、明治・大正・昭和にかけて活躍した漢詩人・書家。「最後の漢詩人」とも言われる。 1867年(慶応3年)、尾張国海西郡鯏浦(現在の愛知県弥富市鯏浦)に生まれる。戦国時代の土豪服部友貞の子孫で、大地主の家の次男であった。幼名は粂之丞(くめのじょう)。1882年(明治15年)、尾張藩の儒者森村大朴に漢籍を学ぶ。大朴は粂之丞の熱心さに感心し、漢詩を作るように勧めた。1884年(明治17年)村田梅村の水月吟社に入る。ここで漢詩人の森春涛らの影響を受ける。粂之丞は、名を擔風と改め、詩の研究とともに詩作に励んだ。
山中 静逸(やまなか せいいつ、文政5年9月2日(1822年… 山中 静逸(やまなか せいいつ、文政5年9月2日(1822年10月16日) - 明治18年(1885年)5月25日)は、三河国碧海郡棚尾村東浦(現在の愛知県碧南市)出身の書家・政治家である。山中 信天翁(やまなか しんてんおう)として知られる。 幼名は松寿。諱(いみな、生前の実名)は献(まつる)。号を信天翁、静逸と称した。 三河国碧海郡棚尾村の豪農(素封家)の家に次男として生まれる。父の山中七左右衛門(山中子敏、しびん)は京都で学び、日本各地を歩いて地理を探求し、東浦で子弟の教育を行っていた。 早いうちから大坂の篠崎小竹に入門したが、嘉永元年(1848年)に父が死去すると、家業を継いだうえで寺子屋を開いた。
小野 道風(おの の みちかぜ/とうふう)は、平安時代前期か… 小野 道風(おの の みちかぜ/とうふう)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・能書家。参議・小野篁の孫で、大宰大弐・小野葛絃の三男。官位は正四位下・内蔵頭。 それまでの中国的な書風から脱皮して和様書道の基礎を築いた人物と評されている。後に、藤原佐理と藤原行成と合わせて「三跡」と称され、その書跡は野跡と呼ばれる。 小野葛紘が尾張国春部郡上条(愛知県春日井市松河戸町)に滞在中、里女を母に葛紘の三男として生まれたとされる。この説は史実としては確認できない伝承の類で、南北朝期の『麒麟抄』や江戸時代前期の天野信景らの考証によってこの説が広まった。 醍醐朝の延喜5年(905年)には弱冠12歳にして大嘗会の屏風の色紙形を書く。