倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –… 倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –)は、日本の小説家・評論家・俳人・翻訳家。 環境経済学者の倉阪秀史は実弟。名字を「倉坂」と誤記されることが多い。 三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。三重県立上野高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。早稲田大学大学院日本文学専攻中退。 早稲田大学時代は「幻想文学会」に所属し、東雅夫、浅羽通明らと知り合う。東がのちに創刊した雑誌『幻想文学』には、レビュー等を大量に寄稿する。また、「幻想文学会」の分科会として「幻想短歌会」を主宰した。 大学事務員として就職したもののフリーライターを志望して退職する。しかし生計が成り立たず印刷会社に入社、文字校正係として11年間勤務の後、退職。
楠田 枝里子(、1952年1月12日 - )は、日本のフリー… 楠田 枝里子(、1952年1月12日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、テレビ司会者、エッセイスト、翻訳家、サイエンスライター、チョコレート研究家。元日本テレビアナウンサー。身長170cm。独身。日本ペンクラブ会員。 三重県伊勢市古市出身。三重県立伊勢高等学校、東京理科大学理学部第一部応用化学科卒業後、1974年、日本テレビにアナウンサーとして入社。同期には松永二三男と小池裕美子がいる。 1981年秋に退社、フリーアナウンサー、エッセイストに転身。『なるほど!ザ・ワールド』『世界まる見え!テレビ特捜部』などの海外情報系番組を多く担当した。日本テレビ『金曜娯楽館』とフジテレビの年末大型イベント『FNS歌謡祭』においては、芳村真理の後任として抜擢された。
松尾 大(まつお ひろし、1949年 - )は、日本の美学研… 松尾 大(まつお ひろし、1949年 - )は、日本の美学研究者、翻訳家。東京藝術大学名誉教授。文学修士(東京大学)。 専門は美学・西洋古典学。 芸術学、特に美学の分野において論文発表や翻訳を行っており、美学が成立する根拠を多角的に問い直している。 三重県に生まれる。1968年、三重県立四日市高等学校卒業。1968年、東京大学教養学部文科三類入学。1970年、同文学部第一類(文化学)進学。1972年、同文学部第一類卒業。1972年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程(美学芸術学専攻)入学。1975年、同課程修了。1975年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程(美学芸術学専攻)進学。1978年、同課程単位取得退学。
池田 雅之(いけだ まさゆき、1946年 - )は、日本の英… 池田 雅之(いけだ まさゆき、1946年 - )は、日本の英文学者、比較文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。専門はT・S・エリオットや小泉八雲(Lafcadio Hearn)研究を通じた比較文学・比較文化研究。 早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授、早稲田大学国際言語文化研究所所長を歴任した。 三重県尾鷲市生まれ。1950年、両親とともに上京して葛飾で育った。1970年、早稲田大学文学部英文科卒業。在学中、詩誌『ペガサス』に参加して窪田般弥の目に留まり、自ら創刊した『Epicure』は吉野弘から高く評価された。1968年から1年間、ブダペスト大学へ留学している。1976年、明治大学大学院文学研究科博士課程後期課程満期退学。
出口 保夫(でぐち やすお、1929年8月26日 - 201… 出口 保夫(でぐち やすお、1929年8月26日 - 2019年8月2日)は、日本の英文学者、英国文化研究家、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 三重県松阪市生まれ。1953年早稲田大学教育学部英語英文科卒業、同副手。1955年早稲田大学大学院修了。1963年早大教育学部講師、1966年助教授、1971年教授、2000年に退職後、名誉教授。2009年春、瑞宝中綬章受勲。 1963年、大英博物館研究員として渡英。その後も、オックスフォード大学キャンピオン・ホール(Campion Hall)上級客員教授などとして、たびたびイギリスに滞在する。 ジョン・キーツをはじめとするイギリス・ロマン派についての研究業績や、『キーツ全詩集』などの訳業も多い。
渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 20… 渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 2021年10月20日)は、日本の評論家(とくに演劇・映画)、フランス文学者、翻訳家。旧・東京都立大学名誉教授。本名は名前を「あつし」と読む。兄の渡辺仁は人類学者で、東京大学教授ほかを務めた。 三重県久居町(現津市)生まれ。三重県立宇治山田中学校(現三重県立宇治山田高等学校、3年まで)、長野県立松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、旧制富山高等学校を経て、1943年に東京帝国大学文学部仏文学科に入学したが、同年学徒出陣の対象者となる。1945年まで兵役(海軍)に就き、戦後に復学(渡辺一夫に師事)して1948年卒業。 戦後、まず現代フランス文学、とくにナチス・ドイツの占領を契機に変貌した文芸・思想の紹介、評論を各種新聞、雑誌、単行本上に発表してデビュー。
嶋田 青峰(しまだ せいほう、1882年3月8日 - 194… 嶋田 青峰(しまだ せいほう、1882年3月8日 - 1944年5月31日)は、日本の俳人・翻訳家・新聞記者・教員。本名は嶋田 賢平。姓の「しまだ」は「嶋田」と書くのが正式であるが、一般に「島田」の表記も用いられる。俳号の青峰は、故郷の山・青峰山(あおのみねさん、標高336m)に由来する。 三重県答志郡的矢村(現在の志摩市磯部町的矢)出身。大正時代末期に俳句雑誌『ホトトギス』において、池内たけし・篠原温亭・鈴木花蓑らと並び、活躍したが、晩年は新興俳句弾圧事件の犠牲となり、俳句史上に悲しい印象を残している。 1882年3月8日に、的矢村にて父・峰吉と母・りうの3男として生まれる。地元の的矢尋常小学校を卒業後、学を成そうと上京、旧制日本中学校(現在の日本学園中学校・高等学校)を出て1899年(明治32年)に東京専門学校予科に入学、卒業後は早稲田大学哲学科に進むが、後に英文科に転じる。