奥村 頼人(おくむら らいと、2007年9月8日 - )は、… 奥村 頼人(おくむら らいと、2007年9月8日 - )は、滋賀県彦根市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 横浜高等学校では3年春の第97回選抜高等学校野球大会にエース兼4番打者として出場し、投手として全試合に救援登板、打者として全試合で4番を務め優勝に貢献。西日本短大附との準々決勝では3者連続3球三振を記録した。同年夏の神奈川大会では3本塁打を記録する活躍で優勝に貢献。春夏連覇を目指し出場した第107回全国高等学校野球選手権大会では準々決勝で県岐阜商にサヨナラ負けを喫した。 2025年10月23日に開催されたドラフト会議にて、千葉ロッテマリーンズから3位指名を受けた。
平田 大樹(ひらた だいじゅ、2005年8月25日 - )は… 平田 大樹(ひらた だいじゅ、2005年8月25日 - )は、滋賀県大津市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 滋賀県立瀬田工業高等学校では1年秋からベンチ入りし、2年春には4番を務めた。しかし、同年秋に新型コロナウイルスに感染すると、後遺症に苦しみ長期離脱。3年春の大会後から復帰した。同年夏は滋賀大会2回戦で彦根総合に敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。高校通算21本塁打。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから育成2位指名を受け、支度金300万円、年俸260万円で入団した(金額は推定)。背番号は112。 2024年はイースタン・リーグ38試合に出場。
山田 陽翔(やまだ はると、2004年5月9日 - )は、滋… 山田 陽翔(やまだ はると、2004年5月9日 - )は、滋賀県栗東市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 栗東市立治田西小学校1年生の時に野球を始め、栗東市立栗東西中学校在籍時では硬式野球のクラブチームである大津瀬田ボーイズでプレーした。 兄・優太も所属していた大阪桐蔭高等学校にスカウトされたが、近江高等学校に進学し、1年夏からベンチ入りした。2年夏には第103回全国高等学校野球選手権大会に出場し、背番号8ながら全試合で先発登板してベスト4進出に貢献。打撃でも3番を務め、神戸国際大附との準々決勝では本塁打を放った。同年秋から主将に就任したが、右肘を痛めて登板できず、近畿大会ではベスト8で敗退。
鈴木 豪太(すずき ごうた、2003年8月31日 - )は、… 鈴木 豪太(すずき ごうた、2003年8月31日 - )は、滋賀県長浜市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 長浜市立湯田小学校2年生のときに軟式チーム浅井西スポーツ少年団で野球を始め、長浜市立浅井中学校では滋賀ユナイテッドjboysに所属、中学時代は捕手。練習試合で東海大静岡翔洋中等部と対戦し大敗を喫して翔洋中等部の強さに衝撃を受け、強いところで一緒に野球をやりたいと思ったことを切っ掛けに、東海大静岡翔洋高校に進学した。東海大静岡翔洋高校では捕手として入部したが原俊介監督の勧めで投手に転向、1年生で夏の大会でベンチ入りし2年生秋から背番号1のエースとして活躍した。
土田 龍空(つちだ りゅうく、2002年12月30日 - )… 土田 龍空(つちだ りゅうく、2002年12月30日 - )は、滋賀県坂田郡米原町(現:米原市)出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 米原市立米原小学校2年時に米原野球スポーツ少年団で野球を始めた。米原市立米原中学校時代は硬式の湖北ボーイズに所属。 近江高等学校では、1年時から遊撃手のレギュラーを掴み、第100回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。準々決勝で吉田輝星擁する金足農業高等学校に敗れた。2年生の夏には、第101回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦でチーム全体で6失策、土田自身も2失策と精彩を欠き、東海大学附属相模高等学校に敗れる。秋の滋賀大会を制覇し、近畿大会の初戦では3安打と気を吐いたが初戦敗退を喫した。
藤田 健斗(ふじた けんと、2001年10月18日 - )は… 藤田 健斗(ふじた けんと、2001年10月18日 - )は、滋賀県長浜市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。阪神タイガース所属。 長浜市立高月小学校2年で「高月スポーツ少年団」に入団し野球を始め、長浜市立高月中学校時代は「滋賀ユナイテッドジェイボーイズ」に所属。 中京学院大学中京高校では1年春からベンチ入りし、同秋より「4番・捕手」に定着。新チームとなった2年秋には主将に就任した。3年時の4月にはU-18日本代表の1次候補合宿に参加。同年夏の甲子園大会に出場し、捕手として完投数が0と戦略的継投策を徹底したチーム方針の下で投手陣を支え、4番打者としても15打数7安打、打率.467の活躍で同校初のベスト4進出に貢献した。
横川 凱(よこがわ かい、2000年8月30日 - )は、滋… 横川 凱(よこがわ かい、2000年8月30日 - )は、滋賀県坂田郡山東町(現:米原市)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 野球を始めたきっかけはWBCで、小学2年生から野球を始め、米原市立大東中学校時代は湖北ボーイズに所属、ボーイズリーグ選抜「野茂ジャパン」に選ばれるほどの逸材だった。ボーイズ時代の後輩に土田龍空がいる。 高校は強豪校である大阪桐蔭高等学校に入学。1年秋からベンチ入りし、2年春夏~3年春夏に計4試合に登板。3年時には同級生の根尾昂、藤原恭大、柿木蓮らとともに甲子園春夏連続優勝に貢献した。投手として、柿木、根尾に次ぐ3番手であった。高卒後の進路をプロ志望か大学進学か悩んでいるときに高校に母校訪問していた先輩に相談し金言をもらって迷いは消えた。
増居 翔太(ますい しょうた、2000年5月25日 - )は… 増居 翔太(ますい しょうた、2000年5月25日 - )は、滋賀県彦根市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 彦根東高校では2年夏に出場した第99回全国高等学校野球選手権大会では初戦で波佐見高校の隅田知一郎と投げ合い同校の甲子園初勝利に貢献した。3年春に出場した第90回記念選抜高等学校野球大会でも同校の選抜高校野球大会初勝利に貢献した。 高校卒業後は慶應義塾大学へ進学。3年春には最多勝を記録した。4年秋にも最多勝を記録したが、ドラフトでは指名漏れとなった。 大学卒業後は愛知県のトヨタ自動車へ入社。入社2年目の日本選手権ではチームの優勝に貢献し最高殊勲選手賞を受賞。
九谷 瑠(くたに りゅう、1999年11月5日 - )は、滋… 九谷 瑠(くたに りゅう、1999年11月5日 - )は、滋賀県草津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 滋賀県立堅田高等学校では2年夏からエース。3年夏は、準々決勝で近江高校相手に9回2失点完投の力投を見せるも敗れ、県大会ベスト8に終わった。 大阪大谷大学では1年秋から主戦投手として通算35試合に登板し、10勝8敗、防御率2.22の成績を残したが、チームとしては2年春のリーグ2部優勝が最高成績で、在籍中の1部昇格および全国大会への出場は無かった。 大学を卒業した2022年に矢場とんに入社し野球部に入部。味噌カツ店のホールスタッフとして働きながら練習を重ね、2023年の全日本クラブ野球選手権大会ではチーム史上最高成績となる準優勝に貢献した。
水口 創太(みなくち そうた、1999年8月9日 - )は、… 水口 創太(みなくち そうた、1999年8月9日 - )は、滋賀県大津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 大津市立晴嵐小学校時代から「晴嵐スポーツ少年団野球部」で軟式野球を始め、大津市立北大路中学校では同校の軟式野球部に在籍する。 高校は市内の滋賀県立膳所高等学校に進学。2年生の秋からエースとなり、3年生の夏は第99回全国高等学校野球選手権滋賀大会でベスト16に進出するも、滋賀県立水口高等学校に10対2で敗れた。 1年間の浪人を経て京都大学医学部人間健康科学科に進学。3年生時の2021年10月13日に行われた関西学生野球連盟秋季リーグ戦、対同志社大学戦において、自己最速の152km/hの速球を計測し注目される。
茶野 篤政(ちゃの とくまさ、1999年8月4日 - )は、… 茶野 篤政(ちゃの とくまさ、1999年8月4日 - )は、滋賀県八日市市(現:東近江市)出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 東近江市立八日市南小学校(現:東近江市立箕作小学校)1年生から野球を始める。八日市ビクトリーを経て、東近江市立聖徳中学校時代は竜王ジャガースの10期生としてプレーした。中学3年生春には一塁へのヘッドスライディングで左腕を複雑骨折する怪我を負うも、片手で練習を続け、夏の大会にも出場した。 岐阜県にある中京高等学校に進学したが控え選手に甘んじ、3年夏は代打出場したのみであった。1年先輩に、今井順之助と加藤壮太がいる。 愛知大学野球連盟2部リーグ所属の名古屋商科大学では1年秋からレギュラーの座を掴んだ。
京山 将弥(きょうやま まさや、1998年7月4日 - )は… 京山 将弥(きょうやま まさや、1998年7月4日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。背番号48 。
加藤 徹(かとう てつ、1997年10月26日 - )は、滋… 加藤 徹(かとう てつ、1997年10月26日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(外野手)。 大津市立真野中学校卒業後に進学した滋賀県立膳所高等学校時代は投手としてプレー。3年夏、滋賀大会の初戦で大津商相手に6番・投手として先発出場するも、投手としては打ち込まれて1回2/3で降板、打者としては2打数無安打で、結果的に14対3で5回コールド負けを喫した。 高校卒業後は筑波大学体育専門学群に進み、野球部に所属した。大学入学時も投手だったが、のちに外野手に転向した。首都大学野球連盟のリーグ公式戦への出場は3年の春季リーグ戦のみで、2試合に代打で出場してノーヒットだった。それでも野球部ブログの文章に「プロ野球選手志望」を記し、4年生の10月にプロ志望届を提出する。
福永 裕基(ふくなが ひろき、1996年9月16日 - )は… 福永 裕基(ふくなが ひろき、1996年9月16日 - )は、滋賀県八日市市(現:東近江市)出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 八日市市立布引小学校(現:東近江市立)2年時に野球を始め、布引ハンターズでプレー。近江兄弟社中学校在学時は竜王ジャガーズの7期生としてプレーした。 高校は最初慶應義塾高等学校を受験するも不合格で、「慶應がだめだったらここにしよう」と決めていたという天理高等学校に入学。高校では1年時秋よりベンチ入りするも、2年時夏は奈良県大会3回戦で敗退し、3年時夏には決勝戦で岡本和真擁する智辯学園高等学校に敗れたため、甲子園出場経験はない。1学年下に姫野優也、2学年下に森浦大輔がいた。
古澤 勝吾(ふるさわ しょうご、1996年9月5日 - )は… 古澤 勝吾(ふるさわ しょうご、1996年9月5日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)。名前が文献などによっては「古沢」の記述も見られる。
片岡 篤志(かたおか あつし、1996年8月2日 - )は、… 片岡 篤志(かたおか あつし、1996年8月2日 - )は、滋賀県出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。日本海リーグのSHIGA HIJUMPS所属。かつては四国アイランドリーグplus、関西独立リーグの球団に所属していた。 軟式チームから高校は大津商業高校に進学。主戦級の投手であったが3年生の夏前に股関節を故障し、夏は登板できずに高校野球を終えた。大学は滋賀を離れ、千葉県の国際武道大学に進学。しかし、硬式野球部では全く目立つ存在でなく、球速は最速140km/h程度で、調子が悪いときは130km/hにも満たない程度だった。結局、ベンチ入りを一度も果たせないまま野球部を引退した。1年後輩に勝俣翔貴がいる。
植田 海(うえだ かい、1996年4月19日 - )は、阪神… 植田 海(うえだ かい、1996年4月19日 - )は、阪神タイガースに所属する滋賀県甲賀市出身のプロ野球選手(内野手)。
西村 凌(にしむら りょう、1996年2月21日 - )は、… 西村 凌(にしむら りょう、1996年2月21日 - )は、滋賀県甲賀郡甲西町(現在の湖南市)出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。右投右打。 湖南市立三雲小学校在学中に三雲スポーツ少年団で軟式野球を始める(詳細後述)と、甲西中学校の在学中には、滋賀野洲ボーイズに所属していた。中学校の同級生に奥村展征がいる(奥村は草津リトルシニアパンサーズに所属)。 青森山田高等学校への進学後は、2年時の秋と3年時の春に青森県大会を連覇したが、3年時夏の全国高等学校野球選手権青森大会では、準決勝で弘前学院聖愛高等学校の前に敗れた。2学年上に山崎晃大朗、1学年上に京田陽太、木浪聖也がいる。 捕手としての肩の強さや、高校時代に対外試合で通算23本塁打を記録したほどの長打力をスカウトから注目されたことを背景に、高校3年時(2013年)の秋にはプロ志望届を日本学生野球協会に提出。
奥村 展征(おくむら のぶゆき、1995年5月26日 - )… 奥村 展征(おくむら のぶゆき、1995年5月26日 - )は、滋賀県湖南市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)。コーチ。 小学校1年生の時に「三雲東スポーツ少年団」で野球を始め、甲西中学校時代には「リトルシニア草津パンサーズ」に所属していた。中学校の同級生に西村凌がいる。 中学卒業を機に地元の滋賀県を離れ、日本大学山形高校へ進学。1年生の春から正二塁手に起用された。主将を務めた3年夏には、1学年後輩の中野拓夢と二遊間を組み、第95回全国選手権大会に出場すると準決勝にまで進出。自身は全4試合で4番・遊撃手で先発出場、11打数3安打3打点・打率.273という通算成績を残したほか、日大三高との2回戦では本塁打を打っている。
瀧中 瞭太(たきなか りょうた、1994年12月20日 - … 瀧中 瞭太(たきなか りょうた、1994年12月20日 - )は、滋賀県高島市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 高島市立新旭北小学校3年時に新旭スポーツ少年団で野球を始め、高島市立湖西中学校では軟式野球部に所属。 滋賀県立高島高等学校進学後、2年秋からエースとして活躍。3年の夏の滋賀県大会1回戦の滋賀県立長浜農業高等学校戦では9回2安打無四球の完封勝利を収め、107球中変化球は僅か1球のみという投球だった。2回戦の近江高等学校戦では0-4で敗れた。 龍谷大学進学後、1年の5月に右肘靭帯の手術を行い、2年春からリーグ戦に登板。2年春はリリーフとしてリーグ優勝。
坂本 工宜(さかもと こうき、1994年8月19日 - )は… 坂本 工宜(さかもと こうき、1994年8月19日 - )は、読売ジャイアンツに所属する滋賀県出身のプロ野球選手(投手・育成選手)である。
則本 佳樹(のりもと よしき、1994年5月14日 - )は… 則本 佳樹(のりもと よしき、1994年5月14日 - )は、滋賀県犬上郡多賀町出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。プロでは育成選手だった。実兄は読売ジャイアンツ投手の則本昂大。 多賀町立大滝小学校3年時に、「多賀少年野球クラブ」で野球を始める。滋賀県立北大津高等学校3年時の夏には、第94回全国高等学校野球選手権全国大会に出場。滝川第二高校との初戦で先発したが、チームは敗退した。 高校卒業後に進学した近畿大学では、右肘を痛めた末に手術。関西学生野球のリーグ戦では、4年春の対関西大学戦で1イニングを投げただけにとどまった。4年時のエースは同期の畠世周で、在学中に硬式野球部の寮の一室で同居していた。
鶴田 圭祐(つるた けいすけ、1994年5月12日 - )は… 鶴田 圭祐(つるた けいすけ、1994年5月12日 - )は、滋賀県守山市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。左投左打。 守山市立守山小学校3年生の時に物部少年野球団で軟式野球を始め、守山市立守山南中学校時代は軟式の野洲ブレーブスに所属した。中学校卒業後は寒川高等学校に入学、硬式野球部に投手として所属したが1年秋に外野手に転向した。 高校卒業後は指定校推薦で帝京大学へ入学し、準硬式野球部に入部し投手に再転向した。スーパー銭湯でアルバイトをするなど普通の学生生活もおくりながら、限られた時間・場所の中で練習してきた。 2015年(大学3年)春の東都大学準硬式野球連盟2部リーグ戦では青山学院大学との対戦でノーヒットノーランを達成したが、準硬式2部の投手への注目は低かった。
西野 颯(にしの はやて、1992年4月16日 - )は、プ… 西野 颯(にしの はやて、1992年4月16日 - )は、プロ野球選手(内野手)。ベースボール・チャレンジ・リーグの滋賀ユナイテッドベースボールクラブに所属している。
東 弘明(あずま ひろあき、1992年2月20日 - )は、… 東 弘明(あずま ひろあき、1992年2月20日 - )は、滋賀県近江八幡市出身のプロ野球選手(内野手)。
則本 昂大(のりもと たかひろ、1990年12月17日 - … 則本 昂大(のりもと たかひろ、1990年12月17日 - )は、滋賀県犬上郡多賀町出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。
田中 崇博(たなか たかひろ、1990年9月7日 - )は、… 田中 崇博(たなか たかひろ、1990年9月7日 - )は、滋賀県東近江市出身の元プロ野球選手(投手)。2010年の登録名は崇博。
小熊 凌祐(おぐま りょうすけ、1990年8月11日 - )… 小熊 凌祐(おぐま りょうすけ、1990年8月11日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。滋賀県大津市栗原(旧志賀町)出身。
石川 駿(いしかわ しゅん、1990年〈平成2年〉5月26日… 石川 駿(いしかわ しゅん、1990年〈平成2年〉5月26日 - )は、滋賀県草津市出身の元プロ野球選手(内野手)、元社会人野球・大学野球指導者。右投右打。現在は大学講師、研究者。 三人兄弟の第二子として育ち、草津市立草津第二小学校在学中に日の出ファイターズへ入団し軟式野球を始め、草津市立草津中学校では軟式野球部に投手として所属していた。 高校は滋賀県立北大津高等学校へ入学し、硬式野球に転向。入部後は野手転向し1年夏からレギュラーとなり主に7番打者で出場し、同年秋季大会準決勝で則本昂大擁する滋賀県立八幡商業高等学校に勝利するも決勝で小熊凌祐擁する近江高等学校に敗れ、準優勝で秋の近畿大会に出場してベスト4となった。
中西 健太(なかにし けんた、1986年4月10日 - )は… 中西 健太(なかにし けんた、1986年4月10日 - )は、滋賀県八日市市(現:東近江市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 小学校3年生から6年生まで滋賀県東近江市の玉緒レッドスターズに所属。中学では同県日野町にあるボーイズ、近江ボーイズに所属。 北大津高では1年生から正捕手としマスクを被り、3年夏に主将として母校を甲子園(86回大会)初出場に導く。1回戦でダルビッシュ有擁する東北高と対戦し0-13と力負けしたが、自身はダルビッシュから2安打するなど一人気を吐いた。50メートル6.0秒、遠投100メートルと高い身体能力を誇り、高校通算42本塁打。 2004年のドラフト4巡指名を受け、福岡ダイエーホークスに入団。
中川 裕貴(なかがわ ひろき、1985年4月26日 - )は… 中川 裕貴(なかがわ ひろき、1985年4月26日 - )は、滋賀県蒲生郡竜王町出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
桜井 広大(さくらい こうだい、1983年7月1日 - )は… 桜井 広大(さくらい こうだい、1983年7月1日 - )は、滋賀県野洲郡野洲町(現:野洲市)出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、コーチ・監督。 滋賀県野洲郡野洲町(現在の野洲市)で生まれる。小学校3年時に野球経験のある父の影響で野球を始め、三上スポーツ少年団で滋賀県大会優勝。小学6年生の時点で身長170cmに成長していた。野洲町立野洲中学校時代は滋賀野洲ボーイズに所属し、関西選抜として世界大会3位。3年時に陸上競技の3種競技A(走高跳、砲丸投、100 m)で県大会優勝。 1999年にPL学園高校へ入学。1年秋からベンチ入りすると、2年時には第82回全国高等学校野球選手権大会に出場。高校通算26本塁打。
松田 宣浩(まつだ のぶひろ、1983年5月17日 - )は… 松田 宣浩(まつだ のぶひろ、1983年5月17日 - )は、滋賀県草津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。プロ野球滋賀県人会会長。愛称は「マッチ」「熱男」など。
西川 純司(にしかわ じゅんじ、1983年5月12日 - )… 西川 純司(にしかわ じゅんじ、1983年5月12日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手(投手)。
村西 哲幸(むらにし てつゆき、1981年8月6日 - )は… 村西 哲幸(むらにし てつゆき、1981年8月6日 - )は、滋賀県愛知郡秦荘町(現:愛荘町)出身の元プロ野球選手(投手)。
松村 豊司(まつむら とよじ、1981年6月5日 - )は、… 松村 豊司(まつむら とよじ、1981年6月5日 - )は、滋賀県草津市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・監督・コーチ。 滋賀県出身。滋賀県立玉川高校では1年の夏からベンチ入りし、2年の秋からはエースとしてチームを支えた。140km/hを超える速球を投げる本格派右腕だったが、3年夏の県大会では1回戦で12個の三振を奪うも延長戦の末に能登川高校に敗れた。 高校卒業後は立命館大学に進み、3年までは登板機会に恵まれなかったが、4年の春からエースとして15試合に登板して6勝を挙げ、防御率2.01の成績を残している。リーグ通算24試合に登板、6勝6敗、防御率2.22を記録。 2003年のドラフトでオリックス・ブルーウェーブに6巡目指名され入団。
木谷 寿巳(きたに ひさし、1980年10月15日 - )は… 木谷 寿巳(きたに ひさし、1980年10月15日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。
村西 辰彦(むらにし たつひこ、1978年10月8日 - )… 村西 辰彦(むらにし たつひこ、1978年10月8日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手(外野手)。
本郷 宏樹(ほんごう ひろき、1976年9月14日 - )は… 本郷 宏樹(ほんごう ひろき、1976年9月14日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(内野手)。
柴田 博之(しばた ひろゆき、1976年7月8日 - )は、… 柴田 博之(しばた ひろゆき、1976年7月8日 - )は、滋賀県栗東市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学2年の時に野球を始める。滋賀県立栗東高等学校では3年春県大会優勝、夏はベスト4。東北福祉大学では4年春に首位打者、盗塁王、最優秀選手となり大学選手権ベスト8、また秋の明治神宮大会では準優勝。3年秋から3季連続ベストナイン。1998年のドラフト4位で西武ライオンズに入団。 1年目の1999年は、中堅手として5試合の先発出場を含む26試合に出場し、3盗塁を記録した。2001年は113試合に出場してレギュラーに定着。規定打席到達には惜しくも13打席足りなかったものの、20盗塁・リーグ最多の三塁打8本を記録した。
竹岡 和宏(たけおか かずひろ、1975年1月25日 - )… 竹岡 和宏(たけおか かずひろ、1975年1月25日 - )は、滋賀県栗東市出身の元プロ野球選手(投手)。
田島 俊雄(たじま としお、本名:田島 敏雄(読み同じ)、1… 田島 俊雄(たじま としお、本名:田島 敏雄(読み同じ)、1965年10月1日 - )は、日本の滋賀県長浜市出身の元プロ野球選手(投手)。 滋賀県立長浜北高等学校では3年春に第55回選抜高等学校野球大会に出場、夏は県大会決勝で順風秀一のいた比叡山高に敗れた。社会人野球の日本生命では1985年の都市対抗野球で初戦に先発したが2回途中で降板、以降は登板がなかったが優勝を経験。1986年の日本選手権では初戦で河合楽器の水沢薫と投げ合うが5回途中で降板し、敗戦。 1986年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスより1位指名を受け入団。入団1年目の1987年から先発ローテーションの一角を担うも、以降は右肩の故障のため一軍登板は無かった。
西崎 幸広(にしざき ゆきひろ、1964年4月13日 - )… 西崎 幸広(にしざき ゆきひろ、1964年4月13日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は野球解説者、野球指導者、タレント。長女は女優の西崎あや、次女はタレントの西崎莉麻。 滋賀県立瀬田工業高等学校に入学し、1年夏にチームは第62回全国高等学校野球選手権大会に出場。県大会ではベンチ入りするが、本大会ではメンバー外となっている。この時、2学年先輩には橘高淳(元阪神捕手ならびにプロ野球審判員)がいた。3年の時に第54回選抜高等学校野球大会に出場し、この大会は背番号「10」ながらも投手の2本柱としてマウンドを踏んでいる。 当初は就職(社会人野球)を希望していたが愛知工業大学へ進学。
橘髙 淳(きったか あつし、1962年12月17日 - )は… 橘髙 淳(きったか あつし、1962年12月17日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(捕手)、元プロ野球審判員。審判員袖番号は9。 瀬田工業高では、捕手として布施寿則(豊橋技科大)とバッテリーを組み、3年次の1980年夏の甲子園にチーム初出場を果たす。3回戦でエース高山郁夫を擁する秋田商を降し、準々決勝では浜松商に大勝。しかし準決勝で早実高の荒木大輔に完封を喫する。 同年オフに、ドラフト外で阪神タイガースに入団。しかし、一軍公式戦に出場のないまま1983年オフに戦力外通告を受け、現役を引退。ブルペン捕手として球団に残るが、1年で退団。 1985年からブリンクマン審判学校を経て、セントラル・リーグ審判部入局。
橘高 淳(きったか あつし、1962年12月17日 - )は… 橘高 淳(きったか あつし、1962年12月17日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球審判員(クルーチーフ)。旧名は橘高 敦。
藤高 俊彦(ふじたか としひこ、1959年4月18日 - )… 藤高 俊彦(ふじたか としひこ、1959年4月18日 - )は、元社会人野球選手(投手)。右投右打。 伊香高校では、3年時に1977年春の選抜に出場。1回戦で桜美林高に敗退するが、好投手として注目を集める。同年夏は県大会準決勝で長浜商工をノーヒットノーランで降す。しかし決勝では比叡山高に敗れ、福滋大会には出場できなかった。 卒業後は社会人野球の新日本製鐵広畑へ入社。1981年の都市対抗に西村基史と投の二本柱として出場。1完封1完投を含む3勝をあげ、東芝との準決勝でも先発するが、佐々木二三男(清工建設から補強)、黒紙義弘の継投に抑えられ敗退。1981年ドラフト5位で西武ライオンズと阪急ブレーブスの2球団から重複指名を受け、抽選により西武が交渉権を獲得したが、藤高本人は入団を拒否。
都 裕次郎(みやこ ゆうじろう、1959年2月25日 - )… 都 裕次郎(みやこ ゆうじろう、1959年2月25日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(投手)、スコアラー、野球指導者。 当時の滋賀県滋賀郡堅田町(現大津市)真野で出生し、農業を営む父が映画スターの石原裕次郎ファンであったため、「裕次郎」と命名された。当人によると、最初は祖父が名付けた「定成」(さだなり)に決まっていたが、役所に届ける寸前で父が独断で急遽、裕次郎に変えたという。 大津市立真野小学校時代は野球は近所の仲間と遊びでやったり、町内会でソフトボールをやったりする程度だったが、大津市立堅田中学校時代に本格的に野球を始め、滋賀県立堅田高等学校時代は、硬式野球部に所属しエースとして活躍。
森谷 昭(もりたに あきら、1955年7月18日 - )は、… 森谷 昭(もりたに あきら、1955年7月18日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手(内野手)。
高橋 俊春(たかはし としはる、1955年4月4日 - )は… 高橋 俊春(たかはし としはる、1955年4月4日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手(投手)。 伊香高では2年生の時、エースとして1973年秋季近畿大会に出場。しかし肩を故障し一塁手に転向する。1973年の夏の甲子園に出場。1回戦で原田末記、平田恒雄のいた中京商に敗退。 高校卒業後は、中京大学へ進学し硬式野球部に入部し再び投手に復帰。愛知大学リーグでは2回優勝。リーグ通算6勝3敗を記録した。 大学卒業後は、社会人野球の日本通運名古屋に入団。1981年の都市対抗に三菱重工名古屋の補強選手として出場。1回戦で先発を任され、東芝の黒紙義弘と投げ合うが惜敗。 同年オフに、ドラフト外で広島東洋カープに入団。
間柴 茂有(ましば しげくに、1951年11月15日 - )… 間柴 茂有(ましば しげくに、1951年11月15日 - )は滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。旧名は富裕。愛称は「ケロヨン」。