合田 団地(ごうだ だんち、1987年 - )は、日本の演出… 合田 団地(ごうだ だんち、1987年 - )は、日本の演出家、劇作家、脚本家、俳優。大阪府高槻市出身。努力クラブ代表。 高校入学とともに演劇を始め、佛教大学の劇団 紫では団長になる。2011年3月、立命館大学の劇団 西一風で座長をしていた佐々木峻一と共に「努力クラブ」を結成する。 2012年、第18回 日本劇作家協会新人戯曲賞で作・演出「よく降る」が一次選考通過作品となる。 2016年、北海道戯曲賞で作・演出「船の行方知らず」が最終選考作品となる。 2019年、第25回 日本劇作家協会新人戯曲賞で作・演出「どこにも行きたくないしここにもいたくない」が第一次選考を通過する。 2023年、第6回 人間座田畑実戯曲賞で作・演出「涼しい。
益山 貴司(ますやま たかし、1982年4月11日 - )は… 益山 貴司(ますやま たかし、1982年4月11日 - )は、日本の劇作家、演出家、俳優。元劇団子供鉅人代表。現劇団焚きびび代表。 所属事務所はレプロエンタテインメント。 大阪府出身。6人兄弟の長男。同じ劇団子供鉅人に弟の益山寛司、益山U☆︎Gがいる。次男はアニメーション監督をしている益山亮司。 大阪市立工芸高校時代より演劇活動を開始し、卒業後、本格的に劇団活動を始める。 2005年、劇団子供鉅人を結成。ほぼ全作の作・演出を務める。 大阪では10年間 BARを経営し、様々なアーティストやミュージシャンなどと交流。 2014年より東京在住。 役者としての出演作に、NODAMAP『ザ・キャラクター』『南へ』『エッグ(再演)』などがある。
丸尾 丸一郎(まるお まるいちろう、1977年5月1日 - … 丸尾 丸一郎(まるお まるいちろう、1977年5月1日 - )は、日本の劇作家、俳優。劇団鹿殺し代表。 1977年5月1日、大阪府豊中市出身。関西学院大学経済学部卒業。2000年1月、つかこうへい作品を上演することを目的に、演劇サークルの後輩であった菜月チョビとともに「劇団鹿殺し」を旗揚げ。同年4月にJTBに入社するが、翌年退社。2005年より東京進出。第四回公演『愛卍情』以降、劇団鹿殺し全作品の脚本を手がける。2011年、『スーパースター』で第55回岸田國士戯曲賞最終候補。
中野 菜保子(なかの なおこ、1976年8月19日 - )は… 中野 菜保子(なかの なおこ、1976年8月19日 - )は日本の女優、劇作家、演出家。大阪府出身。大阪府立清水谷高等学校、愛知大学文学部卒業。現在、日本劇作家協会会員。日本演出者協会会員。劇団上海自転車を主宰。
大野 裕之(おおの ひろゆき、1974年9月27日 - )は… 大野 裕之(おおの ひろゆき、1974年9月27日 - )は、日本の劇作家・脚本家・映画プロデューサー・演出家・作曲家・俳優・映画研究者・振付師。チャップリン研究家として知られ、日本チャップリン協会会長を務める。大阪府生まれ。劇団とっても便利で脚本・演出・作曲を担当。 1974年、大阪府寝屋川市で生まれ、高槻市で育つ。桜台小学校、高槻市立第十中学校、大阪府立茨木高等学校に通う。その後、京都大学総合人間学部に入学し、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程を修了した後、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位取得。1995年に 劇団とっても便利を旗揚げし、演劇活動を始める。2003年にミュージカル「美しい人」でアリス賞受賞。
奈須 崇(なす たかし、1973年12月22日 - )は、日… 奈須 崇(なす たかし、1973年12月22日 - )は、日本の小説家で喜劇俳優で劇作家。大阪府八尾市出身。門真市在住。NSC13期生(吉本総合芸能学院大阪校第13期生)。身長175cm。体重75kg。血液型:O型。 元々は吉本興業で「G.V.」という演劇ユニットを、元ハリガネロックのユウキロック・大上、中川家の剛・礼二、元みのながの長岡・美濃、元シンドバット(のちにザ・プラン9)の鈴木・森、元おはよう。の功刀・芦澤、2丁拳銃の小堀・川谷、野性爆弾の川島・城野、次長課長の河本・井上、元はないたちの花井・館といったメンバーで活動をしていた。「G.V.」とは「グリーンベレー」の略で、必ず売れる精鋭と言う意味があった。
きだ つよし(1969年〈昭和44年〉8月3日 - )は、日… きだ つよし(1969年〈昭和44年〉8月3日 - )は、日本の脚本家、劇作家、演出家、絵本作家、ライター。主な作品に特撮「仮面ライダー」シリーズ、嵐・大野智の舞台「(風)プーシリーズ」、NHK Eテレのテレビアニメ「クラシカロイド」など。俳優として、劇団TEAM 発砲・B・ZINを主宰していた。 大阪府出身。大阪府立清水谷高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒業。 1992年(平成4年)に日本大学芸術学部の卒業生が中心に「TEAM 発砲・B・ZIN」を結成、全作品の作・演出を手掛ける。そのほか、テレビドラマの脚本や舞台の作・演出も数多く手掛けている(詳細は後述の主な作品リスト項目を参照)。 1996年、Vシネマ『ジャスキス』で映像作品の脚本家としてデビュー。
貞岡 秀司(さだおか しゅうじ、1969年3月17日 - )… 貞岡 秀司(さだおか しゅうじ、1969年3月17日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家、演技講師。大阪府高槻市出身。Last Brand主宰。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
西田シャトナー(にしだシャトナー、1965年8月13日 - … 西田シャトナー(にしだシャトナー、1965年8月13日 - )は、日本の劇作家、演出家、折り紙作家、俳優。大阪府出身。大阪府立北野高等学校卒業、神戸大学教育学部美術科中退。 佐々木蔵之介、腹筋善之介などが所属していた劇団「惑星ピスタチオ」の座付作家演出家で、俳優としても多くの舞台に出演している。また、折り紙作家としても長く活動するなど、多彩な表現者として知られる。 名前の由来は、スタートレックのジェームズ・T・カークを演じるウィリアム・シャトナーから。 1990年、神戸大学在籍中に仲間と共に結成した劇団「惑星ピスタチオ」の脚本・演出担当として、脚本・演出家のキャリアをスタート。実験と娯楽の融合を標榜し、独自の表現手法を多く開発・命名した。
鈴江 俊郎(すずえ としろう、1963年 - )は、日本の劇… 鈴江 俊郎(すずえ としろう、1963年 - )は、日本の劇作家、演出家、俳優。office 白ヒ沼代表。 大阪府大阪市出身。大阪府立千里高等学校、京都大学経済学部卒業、京都大学大学院農学研究科農林経済学専攻修士課程中退。近畿大学文芸学部助教授、桐朋学園芸術短期大学演劇専攻准教授を歴任。 劇作、演出、役者、照明を手がける製作者。京都の舞台芸術活性化のため「京都舞台芸術協会」の設立に参加するなど積極的な活動を行っている。戯曲は英語、ドイツ語、ロシア語、インドネシア語に翻訳され海外でも上演されている。元日本劇作家協会」京都支部長。
関 秀人(せき ひでと、1961年7月4日 - )は、日本の… 関 秀人(せき ひでと、1961年7月4日 - )は、日本の劇作家、演出家、俳優。元劇団立身出世劇場の座長。大阪府豊中市出身。龍谷大学文学部卒業。ライターズカンパニー田畑冨久子事務所所属。 大学時代に始めたアクションショーのアルバイトをきっかけに、劇団“演劇群・翔”に入団。 同劇団を退団後、1987年、阪本武雄と共に、劇団立身出世劇場を結成。 2004年の劇団解散まで同劇団で46本の舞台に出演し、多くの公演で作・演出も手がける。 劇団解散の1年後、東京に移住。東京と大阪を行き来しながら、舞台、テレビ等で活動中。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
上田浩寛(うえだ こうかん、1960年〈昭和35年〉12月2… 上田浩寛(うえだ こうかん、1960年〈昭和35年〉12月2日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、プロデューサー。 大阪府池田市出身。本名は、上田浩人。長年にわたり松竹株式会社に勤務し、チーフプロデユーサーを務める一方、人情喜劇の脚本を執筆し、数多くの舞台作品の製作に携わっている。 大阪教育大学附属池田高校を経て大阪府立大学社会福祉学部を卒業した1985年、松竹株式会社に就職。入社以来、京都南座、大阪道頓堀の中座で企画宣伝を担当し、中村鴈治郎(1990年)、中村梅玉(1992年)、中村福助(1992年)、渋谷天外(1992年)などの襲名公演や、藤山寛美劇団葬(1990年)、ミヤコ蝶々の最後の舞台(1999年)等に携わる。
わかぎ ゑふ(わかぎ えふ、1959年2月13日 - )は、… わかぎ ゑふ(わかぎ えふ、1959年2月13日 - )は、日本の女優、劇作家、演出家、エッセイスト。旧芸名、若木え芙、わかぎえふ。 大阪府出身。劇団リリパットアーミーII所属、座長を務める。玉造小劇店主宰。所属事務所はオフィスPSC。夫はリリパットアーミーII所属の俳優・演出家の朝深大介。 作家としての代表作は『大阪の神々』(2003年,ISBN 978-4-08-747608-8)及び『小説リトル・チャロ』(2009年,ISBN 978-4-14-005564-9)。 大阪で、外国航路の船長であった明治生まれの父親とその後妻である母親の間の一粒種として生まれる。兄たちは父の先妻の子で全て戦前の生まれという特異な家庭環境にあり、「自分より年上の甥、姪がいる」という複雑な立場。
高取 英(たかとり えい、1952年1月17日 - 2018… 高取 英(たかとり えい、1952年1月17日 - 2018年11月26日、本名:非公開)は、日本の劇作家、演出家、マンガ評論家、編集者。男性。月蝕歌劇団代表。京都精華大学マンガ学部マンガプロデュースコース学科教授、大正大学表現学部客員教授を務めた。 大阪府堺市出身。大阪府立岸和田高等学校、大阪市立大学商学部卒業。 大阪市立大学の学生時代に白夜劇場を結成し、1974年に「白夜月蝕の少女航海紀」を作・演出。これが演劇のデビューとなる。 大学卒業後、寺山修司の取材・出版スタッフとなる一方、エロ劇画誌『漫画エロジェニカ』三代目編集長となり、『劇画アリス』編集長の亀和田武らと三流劇画ブームを起こす。『漫画エロジェニカ』は、最高12万部弱を売り上げた。
筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24… 筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24日 - )は、日本の小説家、劇作家、俳優。ホリプロ所属。身長166cm。大阪府大阪市出身。日本芸術院会員。 大阪市に生まれた。天王寺動物園長だった父の影響を受け、幼い頃から博物的な世界に憧れを持つ。同志社大学に入学し、美学・美術史を専攻。 1965年に東京に転居し、本格的な作家活動を展開、第一短編集『東海道戦争』(1965年)を刊行した。同年、『時をかける少女』『48億の妄想』では、現実と非現実をつなぐ幻想のリアリズムによる、無気味なナンセンスSFのジャンルを開拓。『ベトナム観光会社』(1967年)と『アフリカの爆弾』(1968年)で直木賞候補となる。
柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 20… 柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 2019年7月19日)は、日本の劇作家・舞台演出家。宝塚歌劇団専属として活躍した。兄は映画監督の松尾昭典。 大阪府大阪市出身。芝居好きの母に連れられて幼い頃から舞台に親しむ。11歳のときに父が病死、13歳のとき、父の墓参りに訪れた豊橋市で終戦を迎える。戦時中は手に職をつけるために、大阪府立今宮工業学校(現・大阪府立今宮工科高等学校)へ進学。 1950年、大阪府立高津高等学校を卒業後、関西学院大学文学部美学科に入学。大学卒業後に兄の松尾を頼り上京、劇作を志して東京で脚本を書き溜めていたが、26歳のときに宝塚のテレビドラマの脚本募集を知って応募したところ入選、1958年4月、演出助手として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。
橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年〈大正14年〉5月1… 橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年〈大正14年〉5月10日 - 2021年〈令和3年〉4月4日)は、日本の脚本家、劇作家、タレントである。本名:岩崎 壽賀子(いわさき すがこ)(旧姓:橋田)。位階は従三位。静岡県熱海市名誉市民。 1949年(昭和24年)、松竹に入社し、脚本部に配属される。1964年(昭和39年)『袋を渡せば』でテレビドラマの脚本家デビュー。同年、東芝日曜劇場のために執筆した『愛と死をみつめて』の脚本が話題となって以後、テレビドラマの脚本家として話題作・ヒット作の数々を世に送り出した。 代表作は『おんな太閤記』、『おしん』、『いのち』、『橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命』、『春日局』、『渡る世間は鬼ばかり』、『橋田壽賀子スペシャル 源氏物語 上の巻・下の巻(光源氏第1部・第2部)』、『おんなは度胸』、『春よ、来い』、『なるようになるさ。
森本 薫(もりもと かおる、1912年(明治45年)6月4日… 森本 薫(もりもと かおる、1912年(明治45年)6月4日 - 1946年(昭和21年)10月6日)は、日本の劇作家、演出家、翻訳家。代表作として『女の一生』や『華々しき一族』などがある。 1912年(明治45年)、大阪府西成郡中津町下三番(現・大阪市北区)に生まれる。中津第二尋常小学校、旧制北野中学校を経て第三高等学校文科へと進んだ。三高在学中は、ノエル・カワードやサマセット・モームなどのヨーロッパ近代戯曲を読みふけて過ごし、1932年(昭和7年)には処女作となる一幕ものの戯曲『ダムにて』を発表している。三高卒業後、京都帝国大学文学部英文科に進んだ森本は、入学から時を経ずして胸部疾患のために療養生活を余儀なくされた。
番匠谷 英一(ばんしょうや えいいち、1895年8月14日 … 番匠谷 英一(ばんしょうや えいいち、1895年8月14日 - 1966年6月17日)は、日本の劇作家、ドイツ文学者。立教大学名誉教授。 現在の大阪府泉佐野市にて運送業を営み、泉陽銀行取締役を務めた番匠谷平吉の長男として生まれる。旧制岸和田中学校、第三高等学校を経て1920年京都帝国大学独文科卒業。1924年懸賞戯曲『黎明』に当選し、劇作家として活動するかたわらドイツ文学の翻訳を行う。1928年立教大学教授、61年定年となり名誉教授。 シュニッツラーを中心にドイツ文学、またアンデルセンなどを翻訳した。また劇作家として、源氏物語、宇治十帖を扱った戯曲を残した。 立教大学で教鞭を執る傍ら、立教大学劇研究会の会長も務めた。