尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 199… 尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 1994年1月18日)は、日本の英語学・アメリカ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 兵庫県姫路市生まれ。尾上作兵衛の六男。姫路高等学校を経て、1934年東京帝国大学英文科卒。1939年まで大学院に在籍し、大阪高等学校教授、武蔵大学教授、戦後1951年中央大学経済学部助教授、1953年文学部助教授、教授、1982年定年となり名誉教授。はじめアメリカ英語を研究し、のち文学研究、翻訳をおこなった。 1994年1月18日、急性心不全のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
水野 稔(みずの みのる、1911年4月15日 - 1997… 水野 稔(みずの みのる、1911年4月15日 - 1997年8月19日)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に山東京伝。 兵庫県姫路市生まれ。1920年に急逝した兄の影響を受けて、近世文学研究を志す。姫路高等学校文科甲類を経て、1933年東京大学文学部国文学科を卒業。1935年、同大学大学院を修了。1939年仙台陸軍幼年学校教授。1940年姫路高校時代の恩師だった原田虎男の長女と結婚。1942年陸軍予科士官学校教授。1946年兵庫県立姫路商業学校教諭、1949年兵庫県立姫路工業大学付属高等学校教諭と兵庫県立姫路工業大学講師を兼任。1955年、明治大学文学部助教授、1960年同教授。1982年同大学を定年退職。
大賀 小四郎(おおが こしろう、1910年(明治43年)11… 大賀 小四郎(おおが こしろう、1910年(明治43年)11月3日 - 1991年(平成3年)2月24日)はドイツ文学者、外交官。兵庫県西宮市の甲陽中学校出身(七回卒)。妻はヴァイオリニストの諏訪根自子。 1934年京都帝国大学文学部独文科卒。1937年からドイツのライプツィヒ大学に学ぶ。1939年に、帰国し外務省に入り、結婚するも、その後、外交官補としてベルリンに赴任。ドイツ留学中は朝永振一郎とも交流があった。 1945年、ドイツの敗戦とともに、アメリカ軍に捕らえられて、アメリカに拘留。この一連の出来事では、前田陽一、諏訪根自子が一緒だった。 帰国後、1949年、一高教授を経て、東京大学教養学部助教授、教授を1969年まで歴任した。
薮内 清(藪内 清、やぶうち きよし、1906年(明治39年… 薮内 清(藪内 清、やぶうち きよし、1906年(明治39年)2月12日 - 2000年(平成12年)6月2日)は、日本の天文学者・科学史学者(中国科学史)。京都大学名誉教授。初めは天文学の研究者であったが、新城新蔵の影響を受けて古代中国の暦法の研究へ転じた。 兵庫県神戸市生まれ。甲陽中学校、旧制大阪高等学校(現大阪大学)理科丙類を経て、昭和4年(1929年)京都帝国大学理学部宇宙物理学科卒業。 1929年、京都帝国大学副手、1935年(昭和10年)東方文化学院(現京都大学人文科学研究所)京都研究所嘱託、後に同研究員。1948年(昭和23年)京都大学研究員、1949年(昭和24年)同大人文科学研究所教授として、共同研究などにより中国科学史研究を世界的水準で進め高めた。
吉川 幸次郎(よしかわ こうじろう、1904年3月18日 -… 吉川 幸次郎(よしかわ こうじろう、1904年3月18日 - 1980年4月8日)は、日本の中国文学者。文学博士(京都大学)。芸術院会員、文化功労者、京都大学名誉教授。
近藤 忠義(こんどう ただよし、1901年11月10日 - … 近藤 忠義(こんどう ただよし、1901年11月10日 - 1976年4月30日)は、日本の日本文学者、法政大学名誉教授。専門は日本近世文学、特に近松門左衛門などの歌舞伎研究。樋口一葉などの近代文学も論じた。 兵庫県神戸市生まれ。県立神戸第一中学校(現・兵庫県立神戸高等学校)、第六高等学校を経て、1927年に東京帝国大学文学部国文科卒業。同年、府立第六中学校(現・都立新宿高校)の講師となる。1929年、智山専門学校教授。1930年、東京音楽学校・東京女子大学兼任講師。1931年、師である藤村作の娘美耶子(近藤宮子)と結婚。1932年、思想問題により東京音楽学校講師を解任される。1933年、法政大学および日本体育専門学校(現・日本体育大学)講師。
浜田 政二郎(はまだ まさじろう、1898年1月 - 198… 浜田 政二郎(はまだ まさじろう、1898年1月 - 1981年1月24日)は、日本のアメリカ文学者。 神戸市生まれ。1930年東北帝国大学英文科卒、宮城県立女子専門学校専任講師。1931年広島女学院専門学校教授、1934年米国南メソジスト大学大学院入学、1936年修士課程修了、1942年神戸高等工業学校専任講師、同教授、1949年神戸大学教授、1960年定年退官、甲南大学教授、1972年「アメリカのユートピア文学」で東北大学文学博士、1974年甲南大退職、名誉教授。 マーク・トウェインとウィラ・キャザーを研究した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
野溝 七生子(のみぞ なおこ、1897年〈明治30年〉1月2… 野溝 七生子(のみぞ なおこ、1897年〈明治30年〉1月2日 - 1987年〈昭和62年〉2月12日)は、日本の小説家・比較文学者。兵庫県姫路市出身。 父の野溝甚四郎は陸軍軍人で、父の赴任先である姫路にて1897年に生まれ、鳥取・金沢・丸亀・大分などで育つ。 香川県立丸亀高等女学校、大分県立大分高等女学校を経て同志社女学校英文科専門部予科に入学。在学中、辻潤・宮島資夫と知合う。彼らは野溝をゲアハルト・ハウプトマンの『沈鐘』(泉鏡花『夜叉ヶ池』の元ネタと言われる)のラウテンデラインに因んで「ラウ」と呼んだ。卒業後、東洋大学専門学部文化学科で西洋哲学を学ぶ。
岡田 利兵衞(おかだ りへえ、1892年(明治25年)8月2… 岡田 利兵衞(おかだ りへえ、1892年(明治25年)8月27日 - 1982年(昭和57年)6月5日)は、国文学者。号は柿衞。聖心女子大学名誉教授。伊丹市長、伊丹市名誉市民。柿衞文庫設立者。逸翁美術館元館長。位階は従五位。 1892年、兵庫県伊丹市生まれ。生家は江戸時代より続く酒造業を営む岡田家であり、22代目当主として利兵衛を襲名。1918年、京都帝国大学文科大学国文科を卒業。 卒業後は梅花女子専門学校で教鞭をとる。1937年10月から1939年7月まで伊丹町長をつとめた。戦後の1945年12月17日、第4代伊丹市市長に就任。1946年11月26日に退任するまで、戦後復興に尽力した。市長退任後は公職追放となった。
中村 白葉(なかむら はくよう、1890年11月23日 - … 中村 白葉(なかむら はくよう、1890年11月23日 - 1974年8月12日)は、ロシア文学者。
塩井 雨江(しおい うこう、1869年2月13日(明治2年1… 塩井 雨江(しおい うこう、1869年2月13日(明治2年1月3日) - 1913年(大正2年)2月1日)は、日本の詩人、国文学者、翻訳家。本名・正男。 兵庫県豊岡市出身。豊岡藩士の子。1886年(明治19年)7月、第一高等中学校に入学。1892年(明治25年)7月、第一高等中学校文科を卒業。同月、東京帝国大学に入学。 1895年(明治28年)7月、東京帝国大学文科大学国文科卒。落合直文に師事。同年『帝国文学』の創刊とともに編集委員となり、擬古文で名を知られた。詩人として新体詩の普及に貢献する一方で、国文学者としても活躍。 1895年(明治28年)9月、立教学校(現・立教大学)の教授に就任し、国文国語を講じた。
福山 薫(ふくやま かおる)は、日本の気象学者・天文学者。学… 福山 薫(ふくやま かおる)は、日本の気象学者・天文学者。学位は、理学博士(京都大学)。国立大学法人三重大学名誉教授。 子供は一男(なぎさ・ナギサ・ さんずい 者 日の上横棒に左上から右下に丶)一女。 阪神タイガースのファンで、後年は年間シートを購入して観戦した。 地理情報システム学会 理事