水野潤一(みずの じゅんいち、1931年2月2日- )は、日… 水野潤一(みずの じゅんいち、1931年2月2日- )は、日本の海外旅行コンダクター。文筆家。 神戸市生まれ。姫路高等学校 (旧制)で、浦山桐郎の一年後輩だった。法政大学文学部史学科卒業。 日本航空に勤務、ジャルパック主任教官、ニュージーランド大使館観光広報部長、日本国際観光学会理事などを務めた。1974年トラベルマン・オブ・ザ・イヤー表彰。
旧制姫路高等学校:28人
※有名人ナビに登録されている28人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
水野潤一(みずの じゅんいち、1931年2月2日- )は、日… 水野潤一(みずの じゅんいち、1931年2月2日- )は、日本の海外旅行コンダクター。文筆家。 神戸市生まれ。姫路高等学校 (旧制)で、浦山桐郎の一年後輩だった。法政大学文学部史学科卒業。 日本航空に勤務、ジャルパック主任教官、ニュージーランド大使館観光広報部長、日本国際観光学会理事などを務めた。1974年トラベルマン・オブ・ザ・イヤー表彰。
松下 正美(まつした せいび、1928年1月20日 -200… 松下 正美(まつした せいび、1928年1月20日 -2004年1月12日)は、日本の衆議院法制局職員。衆議院法制次長、衆議院法制局長などを務めた。血液型はA型。 和歌山県出身(父は和歌山県、母は秋田県)。旧制姫路高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1950年 大蔵省入省(主税局税関部業務課)。同期に松下康雄、渡辺喜一、吉野実、福島量一、吉岡孝行らがいる。1956年7月 田辺税務署長。1957年6月3日:高松国税局総務部総務課長。1958年6月以降は衆議院法制局勤務となる。 1977年6月9日 衆議院法制局法制主幹。1981年10月2日 衆議院法制局第二部長。1984年3月26日 衆議院法制局第一部長。
瀬川治久(せがわ はるひさ、1927年1月27日 - )は日… 瀬川治久(せがわ はるひさ、1927年1月27日 - )は日本の大蔵官僚。全国信用金庫連合会ロンドン駐在員事務所長などを歴任。神奈川県鎌倉市西鎌倉1丁目在住。 香川県出身。旧制姫路高等学校(理乙)、京都大学農学部農林経済学科卒業。1950年 大蔵省入省。主計局配属。1952年3月 主計局総務課。1955年6月 高山税務署長。1973年7月 関東財務局総務部長。1974年7月 大阪税関長。1975年11月 アジア開発銀行理事。1978年7月14日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。同年7月17日 退官。同年8月 国際協力事業団理事。1984年 全国信用金庫連合会ロンドン駐在員事務所長。1990年3月 住友生命顧問。
橋本 健(はしもと けん、1924年 - 2007年2月22… 橋本 健(はしもと けん、1924年 - 2007年2月22日)は、日本の電気技術者、著作家。 「幸福科学研究所」設立者。日本超科学会を主宰し、超常現象に関する多数の著書を残した。 アルファ波発生装置「アルファコイル」などの発明者としても知られた。 仙台市生まれ。1943年に旧制姫路高等学校、次いで1945年に東京帝国大学に入学した。同年秋、第二次世界大戦終結後に『生命の實相』に触れ、大いに感化される。1948年、東京大学工学部電気工学科を卒業した後、生長の家の活動に入る。 その後、1955年に富士電工に入社して、諸々の発明に従事し、1982年には黄綬褒章を受章した。 1963年に『超心理学入門』を出版したのを皮切りに、超常現象などについての著書を多数刊行し、1973年に日本超科学会を創設した。
赤木 須留喜(あかぎ するき、1923年10月30日 - 2… 赤木 須留喜(あかぎ するき、1923年10月30日 - 2000年4月16日)は、日本の政治学者。 兵庫県豊岡市出身。旧制姫路高等学校を経て、1950年東京大学法学部政治学科卒。1955年同大学院研究奨学生修了。旧・東京都立大学人文学部講師、助教授、1966年法学部教授。1987年定年退官、名誉教授、明治学院大学教授。1994年退職。 父は中筋村(現豊岡市)村長の赤木一雄、兄は画家の赤木蘇夫二(そぶじ)、叔父は農学博士・政治家で「砂防の父」と呼ばれる赤木正雄である。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中野 卓(なかの たかし、1920年 - 2014年)は、日… 中野 卓(なかの たかし、1920年 - 2014年)は、日本の社会学者、東京教育大学・千葉大学・中京大学名誉教授。 京都生まれ。父は中野忠八、叔父に久留島秀三郎(父・忠八の実弟)・中尾万三。(旧制)姫路高等学校を経て東京帝国大学文学部に入学、学徒出陣による年限短縮により1944年に社会学科卒。入営し中国・華北で軍隊生活を送る。 敗戦後、帰国ののち1949年東京大学文学部助手、東京教育大学文学部講師、1952年助教授(社会学)。1962年「暖簾内を中心とする家と家連合の研究」により、文学博士(東京教育大学)の学位を取得。1963年教授。1977年同大学名誉教授、千葉大学人文学部教授。1986年定年退官(1993年名誉教授)、中京大学社会学部教授。
三枝 康高(さいぐさ やすたか、1917年2月11日 - 1… 三枝 康高(さいぐさ やすたか、1917年2月11日 - 1978年3月27日)は、日本近代文学研究者、文芸評論家、元静岡大学教授。 神奈川県出身。静岡県立静岡中学校卒業。旧制姫路高等学校文科甲類卒業。東京帝国大学文学部卒業。在学中に亀井勝一郎、太宰治と相知り、『日本浪漫派』に参加。創作・評論活動をおこない、戦後静岡大学教育学部助教授、のち教授。 1959年「日本浪曼派の運動」のほか、太宰、川端康成、三島由紀夫など昭和期作家、および国学の研究・評論に幅広く活躍した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
渡辺 弥栄司(わたなべ やえじ、1917年(大正6年)1月2… 渡辺 弥栄司(わたなべ やえじ、1917年(大正6年)1月20日 - 2011年(平成23年)は、通商産業省官僚、弁護士。退官後、日中経済協会、国際ビジネスコミュニケーション協会(IIBC)、ビューティフルエージング協会(BAA)の設立のほか、通産省に関係する多くの公益法人の理事などを務めたが、財団私物化疑惑が2009年に週刊誌に報じられ、92歳で理事長などの重職から退いた。 新潟県北蒲原郡中条町(現・胎内市)で10人兄弟姉妹の5番目として生まれる(実家は新潟県関川村の豪農・渡辺家の一族)。新発田の中学を卒業後、姫路高等学校 (旧制)へ進学。1939年に東京帝国大学法学部法律学科卒業後、商工省(現・経済産業省)入省。
木村 三四吾(きむら みよご、1916年3月24日 - 20… 木村 三四吾(きむら みよご、1916年3月24日 - 2008年4月)は、日本の近世文学研究者。大阪樟蔭女子大学名誉教授。「餘二稿」「餘二庵」「佐保之不貞祢」と号した。 兵庫県姫路市生まれ。1933年、姫路高等学校入学。1939年、京都帝国大学国文科卒業、同大学院に進学。1945年、天理図書館司書研究員。天理図書館の名物司書として名声が高かった。1976年、天理図書館を停年退職し、同年大阪樟蔭女子大学教授に就任。同大学図書館長を勤め、1986年定年退職、同大学名誉教授。 若い頃は俳諧関係の研究を中心に行い、晩年は曲亭馬琴を中心に研究した。『木村三四吾著作集』全4巻がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木下 忠良(きのした ただよし、1916年〈大正5年〉1月1… 木下 忠良(きのした ただよし、1916年〈大正5年〉1月15日 - 1991年〈平成3年〉8月17日)は、日本の裁判官。最高裁判所判事。兵庫県姫路市出身。 1934年(昭和9年)旧制姫路高等学校文科乙類卒業[要出典]。1937年(昭和12年)東京帝国大学法科を卒業。同年に司法官試補。裁判官生活は浦和、福岡、水戸、東京、大阪と各地に及び、大阪高裁判事、旭川地・家裁所長を経て、1970年(昭和45年)に大阪地裁所長に就任。その後、1975年(昭和50年)10月に仙台高裁長官、1977年(昭和52年)9月に大阪高裁長官に就任。 1979年(昭和54年)3月1日に最高裁判所判事に就任。裁判官出身の最高裁判事としては珍しく最高裁事務総局勤務が無かった。
寺田 治郎(てらだ じろう、1915年(大正4年)11月4日… 寺田 治郎(てらだ じろう、1915年(大正4年)11月4日 - 2002年(平成14年)3月17日)は、日本の裁判官。第10代最高裁判所長官。位階は従二位。 愛知県出身。旧制姫路高等学校を経て、1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部を卒業。 司法官試補となるも、すぐに大日本帝国陸軍に召集され、法務大尉として終戦を迎えた。復員後は1947年(昭和22年)に京都地裁に勤務した後、1949年(昭和24年)に最高裁民事局勤務、最高裁事務総務局長、大津地裁所長、東京高裁判事を経て、1974年(昭和49年)に最高裁事務総長に就任。1976年(昭和51年)5月に日本共産党スパイ査問事件が国会で取り上げられた時には国会に呼ばれ、「国政調査権が確定判決の当否、事実認定、罪刑の当不当などを調査するのは司法権介入になるか」とただしたのに対し、寺田は1948年(昭和23年)の最高裁裁判官会議の議決から「確定判決の当否を調べるため、国会が証人喚問を行うようなことは的確ではない」と答弁した。
宮崎 淳臣(みやざき きよおみ、1915年(大正4年)4月2… 宮崎 淳臣(みやざき きよおみ、1915年(大正4年)4月27日 - 没年不明)は、日本の陸軍軍人(軍医将校)、医師。最終階級は陸軍軍医少佐。かつて731部隊に所属していた。宮崎神経科嵯峨病院創立者。子に豊田潤多郎、孫に豊田剛一郎。紺綬褒章受章者。 兵庫県出身。宮崎伝治の長男として生まれる。旧制姫路高等学校理科乙類を経て、1939年(昭和14年)に京都帝国大学医学部を卒業後、近衛歩兵第1連隊付軍医中尉に任官。1943年(昭和18年)軍医少佐に累進後、陸軍軍医学校教官兼陸軍軍医学校中山出張所長を務める。1946年(昭和21年)千葉県血清製造初代所長となり、1948年(昭和23年)公職追放され医院を開業。
森川 晃卿(もりかわ こうきょう、1913年 <大正2年> … 森川 晃卿(もりかわ こうきょう、1913年 <大正2年> 9月2日 - 1989年 <平成元年> 11月23日)は、ドイツ文学者。位階は従三位。勲二等瑞宝章。 兵庫県生まれ。旧制姫路中学、旧制姫路高等学校を経て1936年東京帝国大学文学部独文科卒。1939年宇部工業専門学校教授、1946年姫路高等学校教授、1949年京都大学教養部助教授、1954年大阪市立大学教授、67年文学部長、71年学長、80年定年退官、名誉教授、相愛女子大学学長、相愛大学学長。1985年秋の叙勲で勲二等瑞宝章を受章。1988年流通科学大学学長。1984年大阪市民特別功労賞受賞。1989年死去。死没日付をもって従六位から従三位に進階した。
藤吉 次英(ふじよし つぐひで、1913年1月24日 - 1… 藤吉 次英(ふじよし つぐひで、1913年1月24日 - 1985年5月20日)は、日本の経営者。福岡県出身。 旧制姫路高校を経て1935年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社。1962年1に取締役に就任し、常務、専務を経て、1971年に社長に就任し、1980年6月には会長に就任した。 日本経営者団体連合会常任理事、経済団体連合会常任理事も務めた。 1978年4月に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 1985年5月20日心不全のために死去。72歳没。
岡庭 博(おかにわ ひろし、1912年11月30日 - 20… 岡庭 博(おかにわ ひろし、1912年11月30日 - 2004年2月20日)は、日本の実業家、経営学者。日本興業銀行勤務を経て、三光汽船の代表取締役、会長を務めた。大阪産業大学名誉教授、経済学博士。 長男は評論家の岡庭昇。 兵庫県神戸市出身。姫路高等学校を経て、1935年に九州帝国大学法文学部に入学。在学中に高等文官試験に合格したが、官僚への道には進まず、卒業後、日本興業銀行に入行。調査部に配置され、大阪支店に勤務した。 1943年、姫路高校の先輩である河本敏夫に乞われて、三光汽船に取締役として入社。三光汽船の番頭格として河本を補佐し、財務担当役員として活躍した。 1949年、河本が第24回衆議院議員総選挙に兵庫県第4区から出馬し当選。
山本 定蔵(やまもと さだぞう、1912年11月29日 - … 山本 定蔵(やまもと さだぞう、1912年11月29日 - 1991年1月17日)は、日本の経営者。トヨタ自動車販売社長を務めた。静岡県湖西市出身。 旧制姫路高等学校を経て、1937年に京都帝国大学法学部を卒業し、1940年にトヨタ自動車工業に入社。 1950年にトヨタ自動車販売に転じ、1953年に取締役に就任し、1960年に常務、1967年に専務、1971年に副社長を歴任し、1979年6月に社長に就任し、1981年6月までに務めた。千代田火災海上保険会長も務めた。 1976年4月に藍綬褒章を受章し、1984年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1991年1月17日肺炎のために死去。78歳没。
尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 199… 尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 1994年1月18日)は、日本の英語学・アメリカ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 兵庫県姫路市生まれ。尾上作兵衛の六男。姫路高等学校を経て、1934年東京帝国大学英文科卒。1939年まで大学院に在籍し、大阪高等学校教授、武蔵大学教授、戦後1951年中央大学経済学部助教授、1953年文学部助教授、教授、1982年定年となり名誉教授。はじめアメリカ英語を研究し、のち文学研究、翻訳をおこなった。 1994年1月18日、急性心不全のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
高坂 好(こうさか このむ、1911年12月5日 - 197… 高坂 好(こうさか このむ、1911年12月5日 - 1971年8月17日)は、日本の教員、歴史家、郷土史家。 兵庫県飾磨郡荒川村(現在の姫路市)に生まれる。1930年、姫路高等学校文科甲類に入学し、1933年に卒業した。同年、東京帝国大学文学国史学科に入学した。同期入学に磯貝正義、井上清、奥田真啓、新城常三らがいる。卒業論文「中世に於ける地方寺院−特に寺領荘園の場合」をまとめ、1936年に卒業。兵庫県立龍野高等女学校教諭を経て、鹿児島県立第二鹿児島中学校に教諭として勤める。その傍ら、1939年9月から1941年9月まで鹿児島県史編纂のため臨時委員を委嘱された。同年11月から兵庫県立第一神戸商業学校教諭となるも病気のため1942年7月に退職した。
三木 安正(みき やすまさ、1911年12月3日 - 198… 三木 安正(みき やすまさ、1911年12月3日 - 1984年5月31日)は、日本の教育心理学者。東京大学名誉教授。 東京出身。旧制姫路高等学校卒、1936年東京帝国大学文学部心理学科卒。1938年愛育研究所所員、文部省学校教育局、名古屋大学教授、1954年東京大学教育学部教授。1972年定年退官、名誉教授。1930年代に岩波書店刊行の雑誌『教育』を間にはさみ成立した児童学研究会に参加。のちに全日本特殊教育研究連盟を結成、旭出学園を創立。1980年朝日賞受賞。1982年勲二等瑞宝章受章。幼児教育、知的発達障害児の教育が専門。日本教育心理学会名誉会員。
水野 稔(みずの みのる、1911年4月15日 - 1997… 水野 稔(みずの みのる、1911年4月15日 - 1997年8月19日)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に山東京伝。 兵庫県姫路市生まれ。1920年に急逝した兄の影響を受けて、近世文学研究を志す。姫路高等学校文科甲類を経て、1933年東京大学文学部国文学科を卒業。1935年、同大学大学院を修了。1939年仙台陸軍幼年学校教授。1940年姫路高校時代の恩師だった原田虎男の長女と結婚。1942年陸軍予科士官学校教授。1946年兵庫県立姫路商業学校教諭、1949年兵庫県立姫路工業大学付属高等学校教諭と兵庫県立姫路工業大学講師を兼任。1955年、明治大学文学部助教授、1960年同教授。1982年同大学を定年退職。
岡田 武彦(おかだ たけひこ、1908年(明治41年)11月… 岡田 武彦(おかだ たけひこ、1908年(明治41年)11月22日 - 2004年(平成16年)10月17日)は、日本の哲学者・著述家。 兵庫県飾磨郡白浜村字中村(白浜町を経て、現在の姫路市白浜町)で生まれる。姫路高等学校を経て、1934年(昭和9年)九州帝国大学法文学部支那哲学史専攻(当時)を卒業した。富山県立神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)教諭を務め、1938年(昭和13年)に宮崎県立延岡中学校(現在の宮崎県立延岡高等学校)教諭、1939年(昭和14年)に福岡県立中学修猷館(現在の福岡県立修猷館高等学校)教諭を務めた。1943年(昭和18年)に長崎師範専門学校(現在の長崎大学教育学部)教諭、1945年(昭和20年)に熊本陸軍幼年学校教官、1946年(昭和21年)に福岡県立修猷館高等学校教諭を務めた。
福尾猛市郎(ふくお たけいちろう、明治41年(1908年)7… 福尾猛市郎(ふくお たけいちろう、明治41年(1908年)7月8日 - 平成2年(1990年)6月4日)は、日本の歴史学者、広島大学名誉教授。 明治41年(1908年)に兵庫県有馬郡三田町に生まれる。 旧制姫路高等学校を経て、昭和7年(1932年)京都帝国大学文学部国史学科の国史学専攻を卒業し、大学院へ進学。その間に『滋賀県八幡町史』の編纂主任などを務め、昭和15年(1940年)に刊行された。 昭和16年(1941年)に文部省に入省し、国史概説の編纂にあたった。 昭和21年(1946年)に旧制山口高等学校の教授となった後に山口大学教授となり、昭和29年(1954年)に広島大学文学部の教授に転じた。
内田 吟風(うちだ ぎんぷう、1907年(明治40年)6月2… 内田 吟風(うちだ ぎんぷう、1907年(明治40年)6月26日 - 2003年(平成14年))は、日本の東洋史学者、神戸大学名誉教授。 1907年、東京にドイツ語学者・内田新也の次男として生まれる。1931年京都帝国大学文学部東洋史学科卒。同助手、東方文化研究所研究嘱託。神宮皇學館大學助教授、(旧制)姫路高等学校教授、1949年神戸大学文学部教授。文学部長、1956年「古代アジア遊牧民族史の研究」で京都大学文学博士。1971年神戸大を定年退官、名誉教授、佛教大学教授、龍谷大学教授。1978年勲三等旭日中綬章受勲。
玉置 敬三(たまき けいぞう、1907年3月2日 - 199… 玉置 敬三(たまき けいぞう、1907年3月2日 - 1996年7月8日)は、日本の官僚。通産事務次官を最後に退官後、東京芝浦電気社長・会長。 和歌山県出身。旧制姫路高等学校を経て、1930年、東京帝国大学法学部卒業。同年、商工省入省。 1941年4月、総力戦研究所出向経験を経て、戦後、通商機械局長(のちの機械情報産業局長)、1952年から1953年にかけて通産事務次官を務める。岸信介らの「統制派」の流れを汲み、その他に山本高行、平井富三郎、徳永久次らがいた。朝鮮特需によりジョゼフ・ドッジらによる自由経済から方向転換、統制派が復権、通商産業省による戦後政策のはじまりだった。 事務次官就任までの経緯は、白洲次郎らの「白洲派」・「外交派」または「通商派」に属すると目された入省同期の始関伊平(旧資源庁長官)との争いであった。
赤木 健介(あかぎ けんすけ、1907年3月2日 - 198… 赤木 健介(あかぎ けんすけ、1907年3月2日 - 1989年11月7日)は、日本の詩人、歌人、編集者、歴史家。本名・赤羽 寿(あかばね ひさし)、別名・伊豆 公夫(いず きみお)。 青森市生まれ。九州帝国大学法文学部中退。姫路高等学校時代から『アララギ』に投稿、1928年の三・一五事件以来、左翼運動に挺身。1933年、検挙投獄。1935年、出獄ののち、渡辺順三らの『短歌評論』に参加。1932年、唯物論研究会に属し、日本共産党に入党するが、1938年、一斉検挙にあい、1944年に判決が下って下獄。この間、1940年に「在りし日の東洋詩人たち」で第4回透谷文学賞を受賞した。敗戦後、1945年10月に連合軍により解放される。
宮崎 一老(みやざき いちろう、1907年(明治40年) -… 宮崎 一老(みやざき いちろう、1907年(明治40年) - 没年不明)は、日本の水産学者。兵庫県生まれ。旧制姫路高等学校を経て、1932年に東京帝国大学農学部水産学科を卒業、農林省水産講習所(現東京海洋大学)金沢演習場、農林省水産局(現農林水産省)、宮崎県経済部水産課、鯨類研究所勤務。1962年「二枚貝の発生、特に浮游幼貝の識別に関する研究」で東北大学農学博士。日本捕鯨協会勤務。
小倉豊文(おぐら とよふみ、1899年8月20日 - 199… 小倉豊文(おぐら とよふみ、1899年8月20日 - 1996年6月10日)は、日本の日本史・日本文学研究者、広島大学名誉教授。 千葉県市川真間に生まれる。野田小学校から千葉師範学校を経て広島高等師範学校を卒業。奈良女子高等師範学校教官の後、広島文理科大学を卒業し、姫路高等学校教授を経て広島文理科大学助教授となる。1945年に広島市への原子爆弾投下により被爆、妻を失う。教授に昇任した後、学制改革に伴う大学の改組で広島大学教授に就任。1965年に定年退官し、名誉教授となる。広島大学を退いた後は親和女子大学教授を務めた。 被爆死した妻・文子への私信の形をとる被爆体験記『絶後の記録』を著したことで知られる。
片岡 良一(かたおか よしかず、1897年1月5日 - 19… 片岡 良一(かたおか よしかず、1897年1月5日 - 1957年3月25日)は、日本の日本文学者。日本の近代文学をアカデミズムで論じた初期の人物である。法政大学教授・北京師範大学教授を歴任。 神奈川県藤沢町生まれ。1925年、東京帝国大学文学部国文学科を卒業し、旧制姫路高等学校の教員となる。1926年刊行の『井原西鶴』で注目され、1929年『現代文学諸相の概観』で近代文学を論じて自我史観を示し、近代文学研究の基礎を据えたとされる。1930年、旧制府立高等学校の教員となる。府立高校時代の教え子に小田切秀雄がいる。小田切に自宅を会合の場として提供したとして辞職。1934年法政大学教授、1941年北京師範大学教授、1946年に再び法政大学教授となる。