堀本 裕樹(ほりもと ゆうき、1974年8月12日 - )は… 堀本 裕樹(ほりもと ゆうき、1974年8月12日 - )は、日本の俳人、文筆家。所属事務所はアドライフ。東京経済大学・二松學舍大学非常勤講師、実践女子学園生涯学習センター講師、杉並区立角川庭園・すぎなみ詩歌館講師、俳人協会幹事。俳句結社「蒼海俳句会」主宰。 和歌山県出身。和歌山市生まれだが、両親はともに熊野本宮の出身。中高生時代は陸上部の長距離走選手だった。和歌山県立向陽高等学校、國學院大学法学部卒業。 大学在学中に、國學院俳句(師範・鎌田東二)に入会。19歳から作句を始める。出版社勤務、コピーライターを経て角川春樹が主宰する俳句結社「河」に参加。所属中に結社賞の河新人賞、河賞、銀河賞、角川春樹賞を受賞した。
小黒 世茂(おぐろ よも、1948年 - )は、日本の歌人… 小黒 世茂(おぐろ よも、1948年 - )は、日本の歌人。 大阪市在住。玲瓏編集委員。大阪歌人クラブ理事。現代歌人協会、現代歌人集会、日本文藝家協会会員。 1948年和歌山市加太生まれ。1989年玲瓏入会、塚本邦雄に師事。 1999年に「隠国(こもりく)30首で第10回「歌壇賞」を受賞。以降、高野山や熊野を主題とし、独特のアニミズム感覚にもとづく作歌活動をつづける。 歌集に『隠国』『猿女』『雨たたす村落(むら)』『やつとこどつこ』『小黒世茂歌集』『舟はゆりかご』、エッセイ集に『熊野の森だより』『記紀に游ぶ―日本のわすれもの』などがある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
道浦 母都子(みちうら もとこ、1947年9月9日 - )は… 道浦 母都子(みちうら もとこ、1947年9月9日 - )は、日本の歌人。『未来』選者。 全共闘世代の心情を歌った歌集『無援の抒情』(1980年)で現代歌人協会賞受賞。他の歌集に『水憂』(1986年)、『夕駅』(1997年)、『はやぶさ』(2013年)など。 和歌山県和歌山市生まれ。大阪府吹田市在住。祖父・道浦若八は、部落解放運動にも縁のあった和歌山県議会議員。父は大阪工業大学土木工学科卒の土木技師で、日本窒素(後のチッソ)の関連会社・朝鮮窒素に勤務して、戦後に日本に引き揚げた。 中学まで和歌山で暮らした後、父が千里ニュータウン開発に携わることになり大阪に移住。大阪府立北野高等学校を経て、早稲田大学第一文学部演劇学科に進学。
平松 小いとゞ(ひらまつ こいとど、1916年(大正5年)9… 平松 小いとゞ(ひらまつ こいとど、1916年(大正5年)9月26日 - 1944年(昭和19年)6月7日)は、日本の俳人。 和歌山県新宮市出身。父・竈馬の影響下、高濱虛子に師事、時にユーモアを交えた繊細で家庭的な温もりを持つ作風であったが、学徒動員で出兵、中国河南省での作戦に従軍、戦闘中に敵軍の銃弾に斃れた。《紙白く書き遺すべき手あたゝむ》は、出兵に際しての遺書とも取れ、命日は「白紙忌」と名付けられた。 1916年(大正5年)9月26日、父・平松竈馬(「ホトトギス」俳人、本名義彦、俳号はいとどとも、いとゞとも記される)、母・おとえの長男として、和歌山県東牟婁郡新宮町磐盾に生まれる。本名は一郎。
平畑 静塔(ひらはた せいとう、1905年(明治38年)7月… 平畑 静塔(ひらはた せいとう、1905年(明治38年)7月5日 - 1997年(平成9年)9月11日)は、日本の俳人、精神科医。和歌山県出身。 本名は富次郎。海草郡和歌浦町(現・和歌山市)に生まれる。父は銀行員で静塔は三男。和歌山県立和歌山中学校、第三高等学校を経て、1931年に京都帝国大学医学部を卒業。大学時代は精神医学を専攻した。1932年結婚。1937年兵庫県立精神病院に赴任。1944年応召し南京陸軍病院に勤務。1946年京都帝大医学博士。戦後は大阪女子医学専門学校(現関西医科大学)教授、阪本病院(布施市 現・東大阪市)院長、京阪病院院長(守口市)、を歴任。1961年に宇都宮市に移り、宇都宮病院の顧問となった。
大亦 観風(おおまた かんぷう、1894年(明治27年)9月… 大亦 観風(おおまた かんぷう、1894年(明治27年)9月27日 - 1947年(昭和22年)10月22日)は、日本画家、南画家、歌人。本名は新治郎(しんじろう)。和歌山県和歌山市出身。はじめ洋画を学び、のち日本画に転向。寺崎広業、のちに小室翠雲に師事。大東南宗院の設立に参加。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
川端 龍子(かわばた りゅうし、1885年〈明治18年〉6月… 川端 龍子(かわばた りゅうし、1885年〈明治18年〉6月6日 - 1966年〈昭和41年〉4月10日)は、日本画家、俳人。弟(異母弟)は『ホトトギス』の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も『ホトトギス』同人であった。本名は川端 昇太郎。 現在の和歌山県和歌山市で生まれる。幼少の頃、空に舞う色とりどりの鯉のぼりを見て、風にゆらめく圧倒的な鯉の躍動感に心引かれた龍子は、職人の下に通いつめると、その描き方を何度も真似をした。自分もこんな絵を描けるようになりたい、とこのとき思ったのが、画家龍子の原点であった。1895年(明治28年)、10歳の頃に家族とともに東京へ転居した。 城東高等小学校から東京府立第一中学校入学。
宇井 可道(うい よしみち、天保8年8月26日(1837年9… 宇井 可道(うい よしみち、天保8年8月26日(1837年9月25日) - 1922年(大正11年)12月10日)は日本の国学者、歌人、民俗学者。紀伊国牟婁郡上三栖村庄屋・村長、紀伊田辺藩貧院頭取、和歌山県西牟婁郡職員、田辺銀行支配人。熊代繁里に国学を学び、晩桜社を主催し、郷土の民話を採取した。 天保8年(1837年)8月26日紀伊国牟婁郡上三栖村に生まれた。弘化4年(1847年)5月坂本弥平や兄勝之助に習字、児島熊仙に漢籍を学んだ。安政4年(1857年)8月兄が死去すると、10月嗣子となり、文久元年(1861年)4月上三栖村庄屋に就任した。 慶応3年(1867年)1月紀伊田辺藩士熊代繁里に入門し、明治5年(1872年)4月まで田辺まで2里の道程を通学し、国学・和歌を学んだ。
山本 康夫 は、広島県で活動した日本の歌人。1930年より広… 山本 康夫 は、広島県で活動した日本の歌人。1930年より広島で短歌結社「真樹」(しんじゅ)を主宰。日本歌人クラブ中国地区幹事や、広島県歌人クラブ会長も務めた。「真樹」の活動で第2回(1981年度)広島文化賞を受賞。短歌の理念として「内面客観」の理論を唱えた。