大高 幸子(おおたか ゆきこ、1940年1月2日 - )は、… 大高 幸子(おおたか ゆきこ、1940年1月2日 - )は、日本の元競泳選手。和歌山県伊都郡九度山町出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。 和歌山県伊都郡九度山町立九度山中学校、和歌山県立伊都高等学校卒。 1956年の日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会で200m自由形で2位、400m自由形では日本新記録を樹立して優勝し、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは400m自由形と400mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちだった。
高松 好子(たかまつ よしこ、1938年4月16日 - )は… 高松 好子(たかまつ よしこ、1938年4月16日 - )は、日本の元競泳選手。和歌山県出身。ローマオリンピック日本代表。100m平泳ぎ・200m平泳ぎ元日本記録保持者。 伊都高校時代の高校総体で100m平泳ぎで3連覇を達成した。高1・高3では200m平泳ぎで優勝。個人種目で高校総体3連覇したのは女子史上初。 日本選手権では1955年から1960年にかけて100m平泳ぎ・200m平泳ぎで2冠かつ6連覇を達成した。100m平泳ぎでの6連覇は7連覇の長崎宏子に次ぐ歴代2位、6回の優勝は8回の田中雅美・7回の長崎宏子の次ぐ歴代3位の記録。200m平泳ぎでの6連覇は8連覇の長崎宏子・7連覇の前畑秀子に次ぐ歴代3位、6度の優勝は8度の長崎宏子・田中雅美、7度の前畑秀子に次ぐ歴代4位の記録。
古川 勝(ふるかわ まさる、1936年(昭和11年)1月6日… 古川 勝(ふるかわ まさる、1936年(昭和11年)1月6日 - 1993年(平成5年)11月21日)は、和歌山県橋本町(現・橋本市)出身の水泳(競泳)選手。1956年メルボルンオリンピック200メートル平泳ぎ金メダリスト。独自の潜水泳法を編み出し、同時期に就役したアメリカ海軍の潜水艦になぞらえ「人間ノーチラス」の異名をとった。 1936年ベルリンオリンピック金メダリストの前畑秀子とは同じ町内の出身であった。古川は幼い頃から紀ノ川で水に親しみ、中学3年で全国大会3位、さらに和歌山県立橋本高等学校在学の頃から頭角を現わす。前畑の薦めにより、平泳ぎに専念するようになった。1952年ヘルシンキオリンピックには派遣されなかったが、同じ年に行われた全日本選手権でヘルシンキオリンピック第2位を上回る記録を出した。
青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9… 青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9日 - )は、日本の元競泳選手。現姓は東。 和歌山県伊都郡高野口町(現橋本市)出身。九度山町立九度山小学校卒業。 和歌山県立伊都高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子200m平泳ぎに出場したが予選落ちに終わった。 1954年アジア競技大会では女子200m平泳ぎに出場し優勝した。 高校卒業後は、帝塚山学院短期大学を経て三冷社に入社。1958年アジア競技大会では主将として出場し、女子100m平泳ぎで準優勝した。
田村 美佐子(たむら みさこ、1934年(昭和9年)4月8日… 田村 美佐子(たむら みさこ、1934年(昭和9年)4月8日 - )は、日本の元競泳選手。現姓は斉藤。 和歌山県伊都郡妙寺町(現かつらぎ町)出身。 和歌山県立伊都高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子400m自由形に出場したが予選落ちに終わった。女子4×100m自由形リレーでは6位に入賞した。1954年アジア競技大会では女子400m自由形に出場し優勝した。 のちに、天理短期大学保健体育科に進学。 現役引退後は、トータル・オリンピック・レディース会の会計監査を務めた。
橋爪 四郎(はしづめ しろう、1928年〈昭和3年〉9月20… 橋爪 四郎(はしづめ しろう、1928年〈昭和3年〉9月20日 - 2023年〈令和5年〉3月9日)は、日本の競泳選手、スポーツ指導者。ヘルシンキオリンピック競泳男子1500m自由形銀メダリスト。和歌山県和歌山市出身。日本大学卒業。 終戦直後の1946年、古橋廣之進に誘われて日本大学に進学。その後、世界トップレベルの記録を連発。1948年のロンドンオリンピックではメダル獲得が確実視されたが、日本の参加は認められなかった。ロンドン五輪の代わりとして日本水泳連盟が開催した全日本水上選手権大会では1500m自由形で当時の世界記録を上回る18分37秒8を記録した(当時の日本は敗戦国であったことから国際水泳連盟(FINA)から除名されていたため、世界記録としては公認されなかった)。
小島 一枝(こじま かずえ、1916年10月30日 - 19… 小島 一枝(こじま かずえ、1916年10月30日 - 1992年)は、日本の水泳選手。 和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身。紀の川で泳いだ。近代水泳黎明期を代表する名選手として知られた。ロサンゼルスオリンピック、ベルリンオリンピックの競泳日本代表として活躍した。ベルリンでは400メートル自由形で6位入賞。この順位は、自由形女子としては千葉すずが後に並ぶまで日本選手団の最高位だった(のちにアテネオリンピックにて柴田亜衣が800メートル自由形で優勝したことで最高位を更新)。 日本選手権では女学校時代に200メートル自由形で7-9回大会まで3連覇、100メートル自由形でも7回大会に勝っている。同郷の前畑秀子と親交が厚かった。
前畑 秀子(まえはた ひでこ、1914年〈大正3年〉5月20… 前畑 秀子(まえはた ひでこ、1914年〈大正3年〉5月20日 - 1995年〈平成7年〉2月24日)は、日本の水泳選手、日本初のオリンピック女子金メダリスト(1936年 ベルリンオリンピック)。位階は従四位勲三等、栄典は瑞宝章、紫綬褒章、文化功労者。和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身、結婚後は兵藤 秀子(ひょうどう ひでこ)として活動。戸籍名は「兵藤 ヒデ子」。橋本市名誉市民。 1914年(大正3年)和歌山県伊都郡橋本町で豆腐屋を営む家に生まれ、紀ノ川で泳ぎを覚える。尋常小学校5年生のとき女子50メートル (m) 平泳ぎで学童新記録を出し、高等小学校2年生のとき汎太平洋女子オリンピックに出場し100m平泳ぎで優勝、200m平泳ぎで準優勝した。