西田 友是(にした ともゆき、1949年1月4日 - )は日… 西田 友是(にした ともゆき、1949年1月4日 - )は日本の工学者、東京大学名誉教授。日本におけるコンピュータグラフィックス (CG) のパイオニアである。 広島県出身。1970年から広島大学工学部電気機器研究室で中前栄八郎教授に師事し、隠線消去、隠面消去、陰影表示などのCGの研究をはじめた。光の相互反射光まで計算してリアルな画像を生成するラジオシティ法の開発者の1人である。また、影の計算法、特に境界のやわらかい影であるソフトシャドーの表示法を最初に開発した。 3次元コンピュータグラフィックスに関しての主な業績としては、3次元物体のリアルな表現法、照明シミュレーション(種々の光源、相互反射光の計算、天空光)、景観予測、自由曲面(ベジェ曲面など)の表示法、雲などの自然物の表示、CGアニメーション、インタラクティブレンダリング等の先駆的な研究がある。
岩井 壽照(いわい よしてる、1949年〈昭和24年〉 - … 岩井 壽照(いわい よしてる、1949年〈昭和24年〉 - )は、日本の画家、日本美術家連盟会員。妻は絵画修復師(英語版)の岩井希久子。
藤岡 洋保(ふじおか ひろやす、1949年 - )は、日本の… 藤岡 洋保(ふじおか ひろやす、1949年 - )は、日本の建築学者・建築史学者。東京工業大学。名誉教授。専門は、建築史。 広島県広島市出身。1973年、東京工業大学工学部建築学科を卒業、1975年、同大学院修士課程建築学専攻修了、1979年同博士課程建築学専攻修了、工学博士。明治大学工学部助手(建築学科)、東京工業大学工学部附属高等学校教諭を経て、1984年、東京工業大学工学部助教授(建築学科)、1996年同教授(建築学科)、2000年同大学院理工学研究科教授(建築学専攻)、2015年に定年退職。 神奈川大学、ワシントン大学大学院(シアトル)、明治大学大学院、北海道大学大学院で非常勤講師。2015~18年明治神宮特任研究員(非常勤)。
城田 安紀夫(しろた あきお、1949年 - )は、日本の外… 城田 安紀夫(しろた あきお、1949年 - )は、日本の外交官。ノルウェー駐箚特命全権大使。 広島県坂町出身。広島学院中学校・高等学校を経て、1974年東京大学法学部卒。同年外務省入省。 アラビア語研修(レバノン、シリア、連合王国)を経て、在外ではイラク、クウェート、スウェーデン、エジプトなどに勤務。本省では中近東アフリカ局、調査企画部、国際連合局、中近東アフリカ局中近東第二課長、大蔵省関税局監視課長、衆議院国際部長、外務省大臣官房審議官(文化交流部担当)などを歴任。2001年カタール特命全権大使。2004年国際テロ対策・イラク復興支援担当大使。2007年イラン駐箚特命全権大使。2010年からノルウェー兼アイスランド駐箚特命全権大使。
木舩 憲幸(きふね のりゆき、1949年 - )は、日本の特… 木舩 憲幸(きふね のりゆき、1949年 - )は、日本の特殊教育学者、大谷大学特別任用教授。
若山 裕昭(わかやま ひろあき、昭和24年(1949年)‐)… 若山 裕昭(わかやま ひろあき、昭和24年(1949年)‐)は、広島県出身の日本の金工芸術家。日本現代工芸美術展現代工芸賞、日展特選など受賞。日展審査員等も務める。広島市立大学芸術学部名誉教授。
上野 忠美(うえの ただみ、1948年12月9日- )は、広… 上野 忠美(うえの ただみ、1948年12月9日- )は、広島県出身のプロゴルファーである。ミズノ所属。 崇徳高等学校卒業。15歳の時からゴルフを始める。1973年4月7日にプロ転向、中四国オープン優勝、以来今大会は3連覇を果たすなどレギュラーツアー7勝を挙げ、プロ転向5年目にして初のシード入りを果たす。その後2年間シードを保持したが、あるトーナメントの練習ラウンド中に、ちょっとしたイタズラが原因で調子を落とし、4年間シード落ちを経験。1983年に再びシード入りを果たすが、翌年から2年間は再びシード落ちとなる。この時期の本人談では、「正直いってツアーをやめようと思った」と語っている。1986年に三度目のシード入りを果たし、1991年のJCBクラシック仙台の優勝以降、極度のスランプに陥り、一時はトーナメントをあきらめていたが、シニアとなって再挑戦する。
新谷 尚紀(しんたに たかのり、1948年11月18日 - … 新谷 尚紀(しんたに たかのり、1948年11月18日 - )は、日本の民俗学者。国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学名誉教授。國學院大學大学院客員教授。専門は日本の葬祭史、信仰史。 広島県に生まれる。広島新庄中学・高等学校を経て、早稲田大学第一文学部史学科を卒業し、同大学院文学研究科史学専攻に進む。1977年に博士後期課程単位を取得する。1998年「死・葬送・墓制をめぐる民俗学的研究」で慶應義塾大学より博士(社会学)(乙種)の学位を取得した。 山村女子短期大学の助教授、国立歴史民俗博物館助教授、教授を経て、総合研究大学院大学教授となり、2010年に定年退官して、名誉教授となるとともに、國學院大学文学部教授に就任した。
清川 徹(きよかわ とおる、1948年11月15日 - )は… 清川 徹(きよかわ とおる、1948年11月15日 - )は、NHKの元チーフアナウンサー。 広島市立舟入高等学校を経て中央大学法学部卒業後、1971年入局。北は北海道から南は沖縄まで全国各地で勤務。趣味はゴルフ、映画鑑賞。定年後も広島放送局の番組に出演していたが、2021年3月限りで退職した。
大歳 卓麻(おおとし たくま、1948年10月17日 - )… 大歳 卓麻(おおとし たくま、1948年10月17日 - )は、日本の実業家。
大下 俊明(おおしも としあき、1948年10月16日 - … 大下 俊明(おおしも としあき、1948年10月16日 - )は、日本の経営者。フマキラー社長、会長を務めた。広島県広島市出身。父親は大下高明。 1971年に広島修道大学商学部を卒業し、同年に父親の配慮により、長野県にある日精樹脂工業に入社した。1973年にフマキラーの子会社である大下産業に転じ、1976年10月に取締役に就任し、1983年10月には社長に昇格した。一方で、1978年2月にフマキラー監査役に就任し、1991年2月には社長に昇格。2005年4月にはフマキラー社長の後任に弟の大下一明が就任したことにより、自身は会長に就任した。 2019年3月には第48回大倉喜七郎賞を授賞。 学生時代はジャズが好きで、ピアノに夢中で、プロのミュージシャンになることを夢見て、友人と演奏に明け暮れていた。
島田 荘司(しまだ そうじ、1948年10月12日 -)は、… 島田 荘司(しまだ そうじ、1948年10月12日 -)は、日本の小説家・推理作家。 広島県福山市に生まれる。広島県立福山誠之館高校、武蔵野美術大学商業美術デザイン科を卒業。ライター、ミュージシャンなどを経て、1981年に名探偵御手洗潔が登場する『占星術殺人事件』(投稿時の題名は『占星術のマジック』)が江戸川乱歩賞最終候補作品となり小説家としてデビューする。本作は2014年1月、イギリスの有力紙『ガーディアン』で「世界の密室ミステリーベスト10」の第2位に選ばれた。 主な作品には、この御手洗潔シリーズの他に、吉敷竹史シリーズがある。吉敷竹史シリーズはTBS系で『警視庁三係・吉敷竹史シリーズ』としてドラマ化されている。
中嶋 成博(なかじま しげひろ、1948年10月2日 - )… 中嶋 成博(なかじま しげひろ、1948年10月2日 - )は、日本の技術者、実業家。富士フイルムホールディングス代表取締役社長や、日本化学工業協会副会長を務めた。 広島県呉市出身。父は元大日本帝国海軍の技術者。聖光学院高等学校を経て、1971年に東京工業大学理学部化学科卒業後、同大学大学院理工学研究科化学専攻修士課程で光化学スモッグの研究に従事。 博士課程進学も考えたが進学希望者が多かったため、1973年に大学院修了後は、先輩の勧めで富士写真フイルム(現富士フイルム)に入社した。入社後は、企業の研究は自由度が低いと考えて工場勤務を志望し、足柄工場技術課に配属され薬剤設計を担当。1979年係長に昇格。
三村 敏之(みむら としゆき、1948年9月19日 - 20… 三村 敏之(みむら としゆき、1948年9月19日 - 2009年11月3日)は、広島県出身のプロ野球選手(内野手)、野球指導者、野球解説者。
藤井 優(ふじい まさる、1948年8月20日 - )は、広… 藤井 優(ふじい まさる、1948年8月20日 - )は、広島県広島市西区出身の元射撃選手。ライフル射撃ナショナルチーム(全日本)コーチ、監督。日本ライフル射撃協会常務理事。デジタルスポーツ射撃連盟理事長。日本オリンピック委員会評議委員。早稲田大学商学部卒業。
有本 建男(ありもと たてお、1948年(昭和23年)8月1… 有本 建男(ありもと たてお、1948年(昭和23年)8月18日 - )は、広島県出身の科学技術官僚。文部科学省科学技術・学術政策局長、政策研究大学院大学教授などを務める。
桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )… 桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )は歌人。 広島県双三郡君田村大字泉吉田(現・三次市君田町)に生まれる。君田小学校、君田中学校を経て、広島県立三次高等学校卒業。中学時代は野球を始め、スポーツに親しむと同時に、芥川龍之介や太宰治などを読む。高校時代は、読書をよくするとともに、サッカー部と卓球部を兼部。高校一年のとき、授業で初めて短歌を制作する。 國學院大學文学部卒業、同大学院修士課程・博士課程修了。卒業論文は催馬楽の研究、修士論文は古代歌謡の研究。大学院修了後、立教高等学校の教諭となる。野球部の顧問を務め、教え子に長嶋一茂がいる。 1973年、歌誌「コスモス」に入会、宮柊二に師事。
平口 洋(ひらぐち ひろし、1948年〈昭和23年〉8月1日… 平口 洋(ひらぐち ひろし、1948年〈昭和23年〉8月1日 - )は、日本の政治家、建設・国土交通官僚。自由民主党所属の衆議院議員(7期)。法務大臣(第111-112代)、自由民主党広島県支部連合会長。 法務副大臣(第4次安倍第1次改造内閣)、環境副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、法務大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員長、同農林水産委員長、同法務委員長、自由民主党政務調査会副会長、同国土交通部会長、同厚生労働部会長、自由民主党副幹事長、同報道局長、国土交通省河川局次長、日本道路公団総務部長、秋田県警察本部長などを歴任。 広島県安芸郡江田島村(現:江田島市)生まれ。
田中 俊雄(たなか としお、1948年7月28日 - )は、… 田中 俊雄(たなか としお、1948年7月28日 - )は、中国放送(RCC)の元アナウンサー、フリーパーソナリティ。広島県大竹市出身。 日本大学芸術学部放送学科を卒業後、1971年RCCに入社。血液型はO型、星座はしし座。今までにレコードを三枚出しており、「大竹ひとり」「今が青春」はともに6,000枚以上の売上を記録した。「歌えるアナウンサー」というキャッチフレーズを持っている。2008年9月30日にRCCを定年退職したが、担当中の番組には引き続き出演していた。2008年10月1日から2012年9月30日まではRCC契約アナウンサー、2012年10月1日からはフリーパーソナリティ。2018年3月24日の放送をもって全てのRCCの番組から卒業した。
御藤 良基(みとう りょうき、1948年7月27日 - )は… 御藤 良基(みとう りょうき、1948年7月27日 - )は、元・毎日放送プロデューサーで、現在は光明寺住職、光明寺會舘オーナー。 広島県尾道市出身。実家は清浄山光明寺こと浄土宗西山禅林寺派光明寺。広島大学附属福山高等学校を経て、早稲田大学卒業後の1971年に毎日放送へ入社。同期にはアナウンサーの野村啓司(元専任局長チーフパーソナリティ、フリーアナウンサー)、平松邦夫(元大阪市長)、大学の同期生でもある近藤光史(現在はフリーアナウンサー)、アナウンサー以外の局員では河内一友(現在はMBSメディアホールディングス相談役最高顧問で、毎日放送元代表取締役社長・会長)、山田厚史(元ディレクター、後に朝日新聞社を経て、現在はジャーナリスト)がいる。
かわぐち かいじ(本名:川口 開治、1948年7月27日 -… かわぐち かいじ(本名:川口 開治、1948年7月27日 - )は、日本の漫画家。 広島県御調郡向東町(現在の尾道市の一部)生まれ。広島県立尾道北高校、明治大学文学部日本文学科卒業。東京都小金井市在住。血液型AB型。 1968年に『ヤングコミック』(少年画報社)にて掲載された「夜が明けたら」でデビューした。代表作に『沈黙の艦隊』、『ジパング』、『太陽の黙示録』、『空母いぶき』など。1990年代以降、壮大な舞台で男達が活躍する大河ストーリーを得意としている。マンガジャパン会員となっている。 父親は戦時中に掃海艇の乗組員をつとめ、戦後は小型タンカーの船長となっていた。子供時代のかわぐちは、瀬戸内海を航行する父親の船によく乗せてもらっていた。
佐々木 衞(佐々木 衛、ささき まもる、1948年7月25日… 佐々木 衞(佐々木 衛、ささき まもる、1948年7月25日 - )は、日本の中国学者。専門は社会学。神戸大学名誉教授。 広島県広島市生まれ。1971年山口大学文理学部文学科卒業、1978年九州大学大学院文学研究科博士課程社会学専攻単位取得退学、財団法人九州経済調査協会研究員。1979年九州大学文学部助手、1981年講師、1983年助教授、1994年教授。1995年「中国民衆の社会と秩序」で東北大学より博士(文学)の学位を取得。1999年神戸大学文学部教授、2013年定年退任、名誉教授となる。
本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、ア… 本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、アマチュア野球監督、近畿大学野球部監督として1990年代後半に黄金期を築いた名将。広島県東広島市高屋町出身。 広陵高等学校出身だが異色の軟式野球部出身。速球派投手として活躍し国体で無安打無得点試合を達成した。近畿大学(大阪府)に進みプロ野球を目指したが肩を壊し卒業後は同大職員となり野球部コーチとなる。1972年広島六大学野球連盟所属の近畿大学工学部硬式野球部(広島県呉市、現在は東広島市)に就任。直後の部員は10数人、また自前の練習場も持たないジプシー弱小チームを、卓越した指導で同リーグでは無敵の強力チームに育て上げた。また一学部の小野球部ながら全日本大学野球選手権大会でも1980年から三年連続ベスト4に進出、1984年明治神宮野球大会では佐々木修を擁して広島六大学野球リーグ所属チームとして初の決勝進出に導いた(準優勝)。
藤野 公孝(ふじの きみたか、1948年〈昭和23年〉5月2… 藤野 公孝(ふじの きみたか、1948年〈昭和23年〉5月29日 - )は、日本の政治家、運輸官僚。 国土交通大臣政務官(第1次安倍内閣)、参議院議員(1期)、全日本シティホテル連盟代表理事、国際観光文化交流協会理事長兼会長、流通科学大学特任教授、ツーリズム・マーケティング研究所研究員などを歴任。妻は料理研究家で衆議院議員を務めた藤野真紀子。 広島県佐伯郡廿日市町(現:廿日市市)生まれ。広島学院中学校・高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業後、運輸省にキャリア官僚として入省(入省時の配属先は大臣官房情報管理部)。衆議院議員の平口洋とは中学から大学までの同級生。1973年に金坂真紀子と結婚。ニューヨーク、パリ勤務時代に真紀子は後に料理研究家となる手法を身に付けることとなる。
光藤 和明(みつどう かずあき、1948年5月12日 - 2… 光藤 和明(みつどう かずあき、1948年5月12日 - 2015年10月18日)は、日本の医師。倉敷中央病院循環器内科主任部長で副院長を兼任。日本心血管カテーテル治療学会理事長。京都大学循環器内科臨床教授。 広島大学附属高等学校を経て、1974年(昭和49年)、京都大学医学部卒業、倉敷中央病院に勤務。 カテーテル治療の一つで狭心症や心筋梗塞を治療する経皮的冠動脈形成術 (PTCA) の第一人者。スイス、アメリカでの実績を知り、1982年(昭和57年)より導入。一万九千例以上の実績がある。CTO(慢性完全閉塞)の治療手技で著名。また血管を傷をつける可能性が高くまだ誰も成功していない世界一硬い30gのガイドワイヤーを使ったカテーテル治療に世界で初めて成功している。
樽本 照雄(たるもと てるお、1948年3月31日 - )は… 樽本 照雄(たるもと てるお、1948年3月31日 - )は、日本の中国文学者。専門は清末小説。妻は中国文学者澤田瑞穂の娘。 広島県広島市生まれ。1970年大阪外国語大学外国語学部中国語学科卒業、1972年大阪外国語大学大学院修士課程修了、大阪経済大学教養部助手。1979年同助教授、1986年同教授。1996年第6回蘆北賞受賞、1999年第9回蘆北賞受賞。2002年、大阪経済大学人間科学部教授。2003年「初期商務印書館研究」で、大阪外国語大学・博士(言語文化学)。2011年に大阪経済大学を退職、同大学名誉教授。 1977年から「清末小説研究会」を主宰。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
野地 澄晴(のじ すみはれ、1948年3月9日 - )は、日… 野地 澄晴(のじ すみはれ、1948年3月9日 - )は、日本の発生生物学者であり生物工学者。理学博士。徳島大学名誉教授・前学長。徳島大学・学長補佐。アカデミスト起業学会を設立(2023年10月)、愛媛県出身、広島育ち。 1948年に愛媛県松山市平井の母親の実家にて誕生。父の野地潤家は、広島大学の教員であったので、広島市基町に18才まで住む。父は言語の発達のメカニズムに興味を持ち、澄晴の言葉の発達について、0才から5才まで記録した。当時は録音装置などないため、カードに筆記する方法で記録。話す速度が増すと、速記法を勉強して記録した。その記録は『幼児期の言語生活の実態』全4巻として発表されている。内容は「Sumihare Database」として研究に使用されている。
福田 幸雄(ふくだ ゆきお、1948年3月5日 - )は、日… 福田 幸雄(ふくだ ゆきお、1948年3月5日 - )は、日本の実業家。株式会社アスカネット創業者で同社の代表取締役会長兼CEOを務めた。 広島県広島市出身。広島県立広島観音高等学校を経て、大阪の私立大学経営学部を2年で中退。1971年に文化服装学院を卒業し、青山でファッションメーカーを立ち上げ一時は躍進するも、資金難により3年あまりで会社を解散。その後広島に戻り、趣味を活かしてフォトグラファーとなった。1982年飛鳥写真工芸社創業。1983年飛鳥写真館設立。1995年アスカネット設立、代表取締役社長就任。2005年東京証券取引所マザーズに上場。2007年アスカネット代表取締役社長兼CEO。2018年アスカネット代表取締役会長兼CEO。
梅川 昭美(うめかわ あきよし、1948年3月1日 - 19… 梅川 昭美(うめかわ あきよし、1948年3月1日 - 1979年1月28日)は、日本のシリアルキラー。大竹市強盗殺人事件と三菱銀行人質事件の犯人。 1948年(昭和23年)3月1日、広島県佐伯郡小方村(現・大竹市)で父親の勤務する三菱レイヨンの社宅で生まれる。父親46歳、母親42歳の高齢出産であった。姉がいたが夭折している。1954年(昭和29年)4月、小方町立小方小学校(現・大竹市立小方小学校)に入学。8歳の時、父親が椎間板ヘルニアとリューマチの悪化で働けなくなり、10歳の時、両親が離婚。梅川は父親の故郷の香川県大川郡引田町(現・東かがわ市)に引き取られるものの、父の実家を継いだ叔父夫婦や従兄弟からは冷遇された。
高田 豊治(たかた とよはる、1948年2月12日 - )は… 高田 豊治(たかた とよはる、1948年2月12日 - )は広島県広島市出身の元サッカー選手(MF・DF)・指導者(JFA 公認S級コーチ)。 実父は、高校物理の教師で、母校広島大学附属高校で教壇に立っていった高田平八郎。 サッカーを本格的に始めたのは中学1年から。広島大学附属高校卒業。高校時代は福原黎三から指導を受けた。東京教育大学(現:筑波大学)に入学後は蹴球部に入部し成田十次郎から指導を受け、関東大学サッカーリーグ戦1968年および1969年2連覇、1968年インカレ優勝、全日本学生選抜代表に選出される。 1971年に東洋工業(現マツダ)に入社。以降JSL1部所属の東洋工業サッカー部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)でミッドフィルダーあるいはディフェンダーとして活躍し、1978年に引退する。
濱家 輝雄(はまいえ てるお、1948年2月7日 - )は、… 濱家 輝雄(はまいえ てるお、1948年2月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー。山陽放送(RSK)元アナウンサー。倉敷芸術科学大学客員教授。
堀口 照幸(ほりぐち てるゆき、1948年-)は、広島県広島… 堀口 照幸(ほりぐち てるゆき、1948年-)は、広島県広島市南区似島出身の実業家。元サッカー選手。 広島でもサッカーの盛んな土地だった似島出身。その後、立教大学に進学し、1969年には天皇杯に出場。1971年卒業。 その後東洋工業(現マツダ)へ入社、東洋工業サッカー部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)に所属した。攻撃的なミッドフィルダーあるいはウイングとしてチャンスメーカーとして活躍。選手を引退後はマツダを退社し、現在は、堀口海産(株)社長。
門 眞一郎(かど しんいちろう、1948年 - )は、日本の… 門 眞一郎(かど しんいちろう、1948年 - )は、日本の児童精神科医。 1948年(昭和23年)、現在の広島県広島市南区向洋本町生まれ。母親は被爆者であり、自身は被爆二世にあたる。1961年に広島市立青崎小学校を卒業。1967年、広島学院中学校・高等学校を卒業。政治家で現・法務大臣の平口洋とは中高の同級生。1973年9月に京都大学医学部を卒業後、大学病院での研修を経て、兵庫県の公立豊岡病院精神科に勤務。ここで石坂好樹とともに児童精神科外来を立ち上げた。 1980年から1年間、ロンドン大学精神医学研究所(Institute of Psychiatry)にてマイケル・ラター(Michael Rutter)のもとで児童精神医学を学ぶ。
中川 信子(なかがわ のぶこ、1948年 - )は、日本の言… 中川 信子(なかがわ のぶこ、1948年 - )は、日本の言語聴覚士である。小児の言語発達遅滞に対する支援を専門として、相談・指導活動に従事するかたわら、講演・執筆活動などを行っている。 1948年に東京都で生まれ、福岡県・広島県で育つ。ノートルダム清心中学校・高等学校を卒業。三木安正に惹かれ、東京大学教育学部教育心理学科に進学。在学中に、交通事故の後遺症で失語症になった子どもの家庭教師を引き受けたことをきっかけに、言語聴覚士を志す。1972年、国立聴力言語障害センター付属聴能言語専門職員養成所(現・国立障害者リハビリテーションセンター学院)に入学。1973年、卒業と同時に神奈川県総合リハビリテーションセンターに入職するも、健康を害し、1975年に退職。
水野 節夫(みずの せつお、1948年 - )は、日本の社会… 水野 節夫(みずの せつお、1948年 - )は、日本の社会学者、法政大学教授である。 広島県呉市出身。1972年東京大学文学部卒業。1978年東京大学大学院社会学研究科博士課程後期中退。埼玉大学教養学部非常勤講師、東京水産大学非常勤講師、カリフォルニア大学バークレー校パーソナリティー評価・調査研究所客員研究員、東京大学教養学部非常勤講師などを経て、現在は法政大学社会学部教授。
清水 啓典(しみず よしのり、1948年 - )は、日本の経… 清水 啓典(しみず よしのり、1948年 - )は、日本の経済学者。専門分野は経済理論、財政学・金融論。商学博士(一橋大学)。 1948年、広島県尾道市生まれ。1970年、一橋大学商学部卒業。1974年、一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。宮澤健一に師事した。1977年、一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。在学中、シカゴ大学に留学し、ミルトン・フリードマンに師事した。 1977年、一橋大学商学部専任講師、1981年、同助教授。1986年、シカゴ大学 経済学部客員研究員。1989年、一橋大学商学部教授。1996年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員研究員。1996年、ハーバード大学経済学部客員研究員。
折出 健二(おりで けんじ、1948年 - )は、日本の教育… 折出 健二(おりで けんじ、1948年 - )は、日本の教育学者、愛知教育大学名誉教授。 1948年、広島市生まれ。広島県立国泰寺高等学校卒業、1972年広島大学教育学部卒、76年同大学院教育学研究科博士課程中退、愛知教育大学助手となり、講師、助教授をへて、教授、副学長を務め、2014年定年退官、名誉教授、人間環境大学看護学部特任教授となる。日本生活指導学会代表理事、全国生活指導研究協議会常任委員。
辻原 康夫(つじはら やすお、1948年 - )は、日本の地… 辻原 康夫(つじはら やすお、1948年 - )は、日本の地理研究家、情報編纂シンクタンク「見聞録」主宰。ノンフィクションライター、地誌研究家、流通経済大学社会学部教授。広島市生まれ。明治大学文学部卒業。
あきびんご(1948年 - )は、日本の絵本作家。
中川純男(なかがわ すみお、1948年―2010年4月9日)… 中川純男(なかがわ すみお、1948年―2010年4月9日)は、日本の哲学研究者。
大西 義久(おおにし よしひさ、1948年(昭和23年) -… 大西 義久(おおにし よしひさ、1948年(昭和23年) - 2024年3月4日)は、広島県出身の銀行家。日本銀行人事局長、セントラル短資代表取締役社長等を務めた。2024年3月4日夕刻、入浴中に急逝。 広島県広島市生まれ。1971年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。1977年香港大学留学。1981年外務省在中華人民共和国日本国大使館出向。1988年日本銀行ロンドン駐在参事付パリ駐在。1991年日本銀行国際局為替課長。1993年日本銀行岡山支店長。1995年日本銀行国際局次長。1996年日本銀行香港駐在参事。1999年日本銀行情報サービス局長。2000年日本銀行人事局長。2001年金融情報システムセンター理事。
別所 キミヱ(べっしょ キミヱ、1947年12月8日 - )… 別所 キミヱ(べっしょ キミヱ、1947年12月8日 - )は、日本のパラ卓球選手(クラス5)。パラリンピックには2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロの4大会連続で出場。リオデジャネイロ大会時の年齢は68歳で、これは日本人パラリンピック選手の最高齢記録である。 試合時に蝶の髪飾りをつけていることから、「バタフライ・マダム」または「マダム・バタフライ」の愛称でも呼ばれる。 1947年12月8日、広島県安芸太田町で8人きょうだいの末っ子として生まれる。広島県立加計高等学校卒業後に敷島製パンに入社。20歳の時に結婚して兵庫県明石市に移住する。 1987年9月、夫が突然くも膜下出血で倒れ死別する。
戸野広 浩司(とのひろ こうじ、1947年11月25日 - … 戸野広 浩司(とのひろ こうじ、1947年11月25日 - 1972年12月11日)は、日本の俳優。 父は病院の事務長。広島県立三原高等学校時代は演劇部に所属し、地元の劇団にも参加していた。上京して早稲田大学の受験に失敗したのち、劇団青俳の研究生となる。 1972年、オーディションでテレビ番組『快傑ライオン丸』のライバル「タイガージョー」こと虎錠之介役に起用されて注目される。主役であるライオン丸を上回る人気を集めた。 同年12月11日夜、同番組のロケの宿泊先である滋賀県彦根市の国民宿舎湖城荘でスタッフと酒席を交わしたのち、風呂場(女湯)に迷い込んだところ誤って転倒、ガラス戸に突っ込んで脇腹を切り、湯船に落ちて出血多量で死亡した。
仁井谷 俊也(にいたに としや、1947年11月14日 - … 仁井谷 俊也(にいたに としや、1947年11月14日 - 2017年10月2日)は、広島県尾道市出身の作詞家。69歳没。 29歳で演歌に目覚め、歌謡同人誌『こけし人形』に10年間の投稿生活を送る。1985年、38歳のとき第18回日本作詩大賞で新人賞を受賞。これを機に広島に妻子を残して単身上京。営業職のサラリーマンから「脱サラ」で作詞家に転身した。 1998年には天童よしみの「人生しみじみ」が藤田まさと賞を受賞。2005年、氷川きよしが「面影の都」で第38回日本有線大賞を受賞。2014年、氷川きよしの「ちょいと気まぐれ渡り鳥」が第47回日本作詩大賞を受賞した。 生前は日本音楽著作権協会評議員・日本作詩家協会常務理事・日本音楽作家団体協議会理事を歴任。
片岡 新之介(かたおか しんのすけ、1947年11月5日 -… 片岡 新之介(かたおか しんのすけ、1947年11月5日 - )は、広島県福山市生まれ、岡山県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
宮迫 千鶴(みやさこ ちづる、1947年10月16日 - 2… 宮迫 千鶴(みやさこ ちづる、1947年10月16日 - 2008年6月19日)は、画家・エッセイスト。夫は画家の谷川晃一。 広島県呉市出身。1970年、県立広島女子大学文学部卒業。1984年エッセイ集『超少女へ』で注目され、上野千鶴子との対談を刊行、絵のほかに多くの女性論などのエッセイを刊行した。一貫してオカルト、スピリチュアルへの関心を抱いていた。1996年には『婦人之友』の表紙絵を担当していた。 2008年6月19日午後11時57分、リンパ腫のため埼玉県川越市の病院で死去。60歳没。 1991年の朝日新聞夕刊に連載していたコラムで、「(女性の結婚相手の条件として)3高というと怒る男性がいる。
新川 登亀男(しんかわ ときお、1947年10月10日 - … 新川 登亀男(しんかわ ときお、1947年10月10日 - 2023年2月10日)は、日本の歴史学者。早稲田大学名誉教授。専門は日本古代史・アジア地域文化学。 1947年、広島県広島市生まれ。早稲田大学第一文学部で学び、1971年に卒業。早稲田大学大学院文学研究科史学専攻(日本史)に進学し、1973年に修士課程を修了。その後、同博士後期課程を満期退学。 卒業後は大分大学講師となった。1999年、学位論文『アジアの中の古代政治文化』を早稲田大学に提出して文学博士号を取得。日本女子大学助教授を経て、早稲田大学文学学術院教授を務めた。2018年に早稲田大学を定年退職し、名誉教授となった。趣味は「食べること」と語っていた。
新宅 冨士夫(しんたく ふじお、1947年8月31日 - )… 新宅 冨士夫(しんたく ふじお、1947年8月31日 - )は、広島テレビ(HTV)の元アナウンサー。広島県三次市出身。三次ケーブルビジョン社長。 広島県立三次高等学校(41年卒)を経て広島大学を卒業後、1969年に広島テレビへ入社。アナウンサーとしてスポーツ中継、報道番組を務め、のちにプロデューサー、福山支社長を務めた。同期に加藤進がいる。系列局の同期に日本テレビの吉田填一郎がいる。 定年退職後、地元三次市の三次ケーブルビジョンで常務、専務取締役を経て代表取締役社長就任。 趣味は登山と農作業。
香藤 繁常(かとう しげや、1947年8月2日 - )は、日… 香藤 繁常(かとう しげや、1947年8月2日 - )は、日本の実業家。昭和シェル石油代表取締役会長兼グループ最高経営責任者を務めた。 広島県生まれ。広島県立広島観音高等学校を経て、1970年中央大学法学部卒業、シェル石油(のちの昭和シェル石油、現出光興産)入社。昭和シェル石油変革推進本部部長を経て、2001年昭和シェル石油取締役に昇格。昭和シェル石油常務取締役、昭和シェル石油専務取締役を経て、2006年昭和シェル石油代表取締役副会長。2009年昭和シェル石油代表取締役会長。2013年から昭和シェル石油代表取締役会長兼グループCEOを務め、石油事業以外の事業の強化を図り、太陽電池事業の黒字化などを達成した。
豊田 憲司(とよた けんじ、1947年8月1日 - )は、広… 豊田 憲司(とよた けんじ、1947年8月1日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。