スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
日高 大(ひだか まさる、1995年3月14日 - )は、広… 日高 大(ひだか まさる、1995年3月14日 - )は、広島県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ジェフユナイテッド千葉所属。ポジションはミッドフィールダー。 流通経済大学から2017年にHonda FCに加入した。 2018年にJFLベストイレブンに選出された。 2019年より当時東北リーグ1部のいわきFCに移籍。 2021年10月3日の松江シティFC戦でJFL通算100試合出場達成。 2022年11月26日、ジェフユナイテッド市原・千葉への完全移籍が発表された。
塚川 孝輝(つかがわ こうき、1994年7月16日 - )は… 塚川 孝輝(つかがわ こうき、1994年7月16日 - )は、広島県広島市出身のプロサッカー選手。タイ・リーグ1・PTプラチュワップFC所属。ポジションはミッドフィールダー(DMF)、ディフェンダー(CB)。 サンフレッチェ広島のジュニアユースチームから、広島県立広島観音高等学校を経て流通経済大学に進学。在学中は2014年に総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント、全日本大学サッカー選手権大会を制するなど、タイトル獲得に貢献。4年次には主将を務めるなど、チームの中心選手として活躍した。また、2014年から2016年に掛けて、3年連続でデンソーカップチャレンジ関東選抜の一員として選出。2016年度の同大会ではベストイレブンを受賞するなど、関東大学リーグを代表するディフェンダーとして名を馳せた。
江本 一真(えもと かずま、1993年4月27日 - )は、… 江本 一真(えもと かずま、1993年4月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ラジオDJ、ローカルタレント。広島県広島市西区出身。 子供の頃から、学芸会では指揮者、体育祭のリレーではアンカーと目立ちたがり屋で、喋り過ぎで喉にポリープができたほど喋り倒し、「西区の明石家さんま」と言われたほどのおしゃべりだったという。 5歳からシーガル広島でサッカーを始め、小学校、中学校ではキャプテンを務めた。サッカー選手の野津田岳人は幼馴染。広島県立広島観音高等学校に進学し、畑喜美夫が指導していたサッカー部に入部。高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグへの出場経験もある。高校での2学年上に元サッカー選手で現在は競輪選手の竹内翼、1学年下にサッカー選手の塚川孝輝がいる。
原田 直樹(はらだ なおき、1991年8月5日 - )は、広… 原田 直樹(はらだ なおき、1991年8月5日 - )は、広島県出身の元サッカー選手。VONDS市原所属。現役時代のポジションはゴールキーパー。 広島観音高校を経て、阪南大学へ進学。1年時終盤から正GKに定着し、3年時には関西学生サッカーリーグ1部と総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントの2冠を獲得した。 2014年より、ツエーゲン金沢へ入団。 2019年より、関東サッカーリーグ1部のVONDS市原に完全移籍 2024年を以て現役引退 2025年より、VONDS市原フロントスタッフに就任
岡﨑 和也(おかざき かずや、1991年7月28日 - )は… 岡﨑 和也(おかざき かずや、1991年7月28日 - )は、広島県広島市東区出身の元サッカー選手。現在は野菜農家。現役時代のポジションは、ディフェンダー、ミッドフィールダー。 サンフレッチェ広島ジュニア、サンフレッチェ広島ジュニアユースから広島観音高校を経て、2010年ファジアーノ岡山FCへ加入。同年4月よりネクスト所属となる。2014年、アルビレックス新潟シンガポールへ期限付き移籍。2015年、ヴェルスパ大分へ期限付き移籍。 2016年、地元である広島県を本拠地とするSRC広島へ完全移籍。 2018年4月から安芸区で農業を営む。
竹内 翼(たけうち つばさ、1991年5月20日 - )は、… 竹内 翼(たけうち つばさ、1991年5月20日 - )は、広島県広島市安佐南区出身の競輪選手。日本競輪学校第109回生。日本競輪選手会広島支部所属。元サッカー選手(FW)。 原南アイオロスFC、安芸FCから広島観音高校へ進学する。高校時代は、広島県選抜選手にも選出され、2009年第88回全国高校サッカー選手権では、ベスト8進出に貢献した。また、U-18日本代表候補として、トレーニングキャンプへ参加している。2010年、高校の同期である岡崎和也と共にファジアーノ岡山FCへ加入。同じ高校から一度に2人のプロ選手が誕生するのは広島県では初の出来事であった。同年4月から2011年、2012年とネクストへ所属する。
代 健司(だい けんじ、1989年3月27日 - )は、広島… 代 健司(だい けんじ、1989年3月27日 - )は、広島県広島市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 広島市立大芝小学校でサッカーを始め、中学年代は名門広島大河FCでプレーする。 その後広島県立広島観音高等学校へ進学。高校3年ではキャプテンを務め、選手だけでゲームプランを決める観音独特のやり方の中で中心人物として活躍、同校のインターハイ初優勝に貢献した。 大学は福岡大学へ進学する。同期に永井謙佑。同校の2009年総理大臣杯初制覇および2009年インカレ準優勝に貢献した。大学4年では福岡大でキャプテンを務め、2010年デンソーチャレンジカップ九州選抜メンバーに選ばれている。
竹内 雄悟(たけうち ゆうご、1987年12月17日 - )… 竹内 雄悟(たけうち ゆうご、1987年12月17日 - )は、将棋棋士。森信雄七段門下。棋士番号は292。広島市出身・大阪市在住。奨励会二段時代までの名は大悟(だいご)。 幼少期に母方祖父に教わり、将棋を覚えた。本格的に将棋を始めたのは小学3年生のときで、その後は地元の広島将棋センターに通って腕を磨いた。広島観音高校在学中に、村山聖九段を偲んで広島で開催されている「怪童戦」を2連覇して注目を集める。 2004年9月、高校2年生の時に3級で奨励会に入会。同期入会者の中では2番目に年長であった。奨励会に入会したのは、将棋を全く知らない祖母から「そんなに将棋が好きだったらプロ目指してみないの?」と言われ、学校の勉強も好きではなかったことから「好きな将棋をして生きていけたら最高」と思ったのがきっかけ。
左山 晋平(さやま しんぺい、1987年5月4日 - )は、… 左山 晋平(さやま しんぺい、1987年5月4日 - )は、広島県広島市出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。
長谷川 博一(はせがわ ひろかず、1986年10月20日 -… 長谷川 博一(はせがわ ひろかず、1986年10月20日 - )は、広島県広島市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。 サンフレッチェ府中サッカースクール から、広島ジュニアユースへ昇格。ユースには昇格できずその後、広島観音高校へ入学、広島県内でもあまり強い高校ではなかった同校を強豪高にしたメンバーの一人である。2003年には高円宮杯初出場、翌2004年と連続出場を果たした。 その後、広島経済大学へ入学。2006年には広島県代表として天皇杯出場。2007年夏にサガン鳥栖と広島経済大が練習試合を組んだ際に、その活躍が目に留まりそのままチームの練習へ参加。2008年から特別指定選手として鳥栖へ登録。
国光 文乃 (くにみつ あやの、1979年〈昭和54年〉3月… 国光 文乃 (くにみつ あやの、1979年〈昭和54年〉3月20日 - )は、日本の政治家、医師、医学博士。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、外務副大臣。 厚生労働技官、総務大臣政務官、自由民主党女性局長代理、厚生労働部会、文部科学部会、国土交通部会、農林部会、外交部会副部会長などを歴任。 議会登録名等では「国光あやの」の名義を用いている。 山口県の屋代島(行政区分は周防大島町)に生まれる。家は代々続くみかん農家であったが、父親が建築系の会社員で転勤族であったため、小学校入学前に島を出る。母親は薬剤師。 岡山県岡山市立宇野小学校、広島県立広島観音高等学校、長崎大学医学部医学科を卒業。国立病院機構災害医療センター、東京医療センター等に勤務し、2005年に厚生労働省に入る。
西島 大介(にしじま だいすけ、1974年10月5日 - )… 西島 大介(にしじま だいすけ、1974年10月5日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、ライター、映像作家、音楽家。 東京都出身で広島県広島市育ち。既婚者で二児の父。2011年から第2の故郷である広島市に再転居。 1990年代中盤から、「コミッカーズ」(美術出版社)などでイラストレーターとして活躍。2004年に『凹村戦争』で漫画家デビュー。以降、「SFマガジン」「ファウスト」など、サブカル系の文芸誌を仕事の舞台にしている。2015年3月に公開した映画『世界の終わりのいずこねこ』の共同脚本を手がけ、自らの手でコミカライズした同名作『世界の終わりのいずこねこ』がwebマガジン「ぽこぽこ」にて連載された。
河村 優(かわむら すぐる、1974年4月13日 - )は、… 河村 優(かわむら すぐる、1974年4月13日 - )は、広島県出身のサッカー指導者。 広島県立広島観音高等学校、神戸学院大学を卒業後、母校の神戸学院大学や神戸のサッカーチームであるFCフレスカなどでコーチを歴任。2003年から4年間はイタリアに渡って語学と指導の経験を積み、ペルージャ外国人大学監督や少年チーム監督、通訳などをした。2007年に日本帰国してからは、TASAKIペルーレFCヘッドコーチや姫路獨協大学サッカー部の男子部ヘッドコーチや女子部監督を歴任。2013年は1年間、アルテリーヴォ和歌山監督を務めた。 イタリア語を習熟した経験を活かし、2014年から2015年にはマッシモ・フィッカデンティらイタリア国籍の指導者、選手を抱えるFC東京で通訳を担った。
松ヶ下 宏之(まつがした ひろゆき、1973年12月13日 … 松ヶ下 宏之(まつがした ひろゆき、1973年12月13日 - )は、日本の歌手。ピアノ、ギター、ベース等の楽器演奏以外に作詞、作曲、編曲、サウンド・プロデュース、打ち込みも行う。妻はタレントの斉藤雪乃。 公式のプロフィールのプロデュース一覧には元々miwaも掲載されていたものの、別名義Quatre-Mについて明かされていなかったが、miwaのスタッフ(@miwastaff)によってQuatre-Mと改めて紹介されている。 CDアルバム発売作品(全国流通盤) CDシングル発売作品(全国流通盤) DVD発売作品(全国流通盤)
津原 泰水(つはら やすみ、男性、1964年9月4日 - 2… 津原 泰水(つはら やすみ、男性、1964年9月4日 - 2022年10月2日)は、日本の小説家。広島県広島市西区己斐出身。別名義に津原 やすみがある。 広島県出身の被爆二世である。弟はイラストレーターの村田修。 1989年のデビューから1996年まで、津原やすみ名義で少女小説を執筆した。 津原泰水と名義を変えてのちは主に、幻想小説、怪奇・ホラー小説、SF、ミステリなどの執筆活動を行っていた。 少年時代よりロック音楽に傾倒しており、近年でも大学時代から続けるアマチュアバンド「ラヂオデパート」のボーカル、各種弦楽器、作詞作曲担当としてライブハウスに出演している。著作においても音楽が重要なモチーフとして用いられることが多い。
棚田 徹(たなだ とおる、1961年11月7日 - )は、フ… 棚田 徹(たなだ とおる、1961年11月7日 - )は、フリーアナウンサー。元テレビ新広島(TSS)のアナウンサー。広島県大竹市出身。 広島県立広島観音高等学校(観音31期)を経て、広島大学を卒業し、1984年にテレビ新広島へ入社、主にニュースなど報道番組を担当。2022年4月現在、朝の生活情報番組『ひろしま満点ママ!!』のキャスターを務める。「棚ちゃん」の愛称で親しまれている。TSSアナウンス部長を務めていたが、2022年3月に定年退職でTSSを退社し、4月からフリーアナウンサーとなった。また、2017年頃、子会社・TSSプロダクションの非常勤取締役も務めていた。 アクターズスクール広島・広島校で講師を務め、定年退職後も継続している。
佐藤 卓己(さとう たくみ、1960年10月9日 - )は、… 佐藤 卓己(さとう たくみ、1960年10月9日 - )は、日本の社会学者、歴史学者。上智大学文学部新聞学科教授、京都大学名誉教授。専門はメディア論。元「日本ナチ・カルチャー研究会」代表。 広島県広島市東区尾長出身。広島市立尾長小学校~広島市立二葉中学校~広島観音高等学校~京都大学文学部卒業。1995年に『大衆宣伝の神話::マルクスからヒトラーへのメディア史』で京都大学より博士(文学)を取得した。 当初の専門はドイツ現代史、特に社会主義宣伝の研究だったが、メディア史の研究者へと移った。2020年、メディア史研究者として初の紫綬褒章を受章した。
箕野 博司(みの ひろし、1955年〈昭和30年〉5月17日… 箕野 博司(みの ひろし、1955年〈昭和30年〉5月17日 - )は、日本の地方政治家。広島県北広島町長(4期)。 広島県山県郡千代田町(現・北広島町南方)出身。千代田町立千代田中学校、広島県立広島観音高等学校卒業。1979年(昭和54年)3月、広島大学理学部数学科卒業。同年4月、千代田町農業協同組合(後に広島北部農業協同組合→ひろしま農業協同組合広島北部地区)に就職。 2012年(平成24年)3月、広島北部農業協同組合を退職。同年6月、同組合理事を退任。東日本大震災で献身的にボランティアに励む学生たちの姿に刺激され、「自分も郷土のためできることをしなければ」と、翌年の町長選出馬を決意。 2013年(平成25年)3月10日に行われた北広島町長選挙に立候補し、現職の竹下正彦との一騎打ちを制し初当選した。
蒔村 三枝子(まきむら みえこ、1954年1月28日 - )… 蒔村 三枝子(まきむら みえこ、1954年1月28日 - )は、日本の女優、声優。広島県出身。 広島県立広島観音高等学校卒。以前は青山杉作記念俳優養成所、劇団《風》、演劇倶楽部『座』、劇団河(業務提携)に所属していた。
和田 慎二(わだ しんじ、本名:岩本 良文(いわもと よしふ… 和田 慎二(わだ しんじ、本名:岩本 良文(いわもと よしふみ)、1950年4月19日 - 2011年7月5日)は、日本の漫画家。広島県呉市出身。漫画原作者・挿絵画家としての仕事も手がけていた。
福田 幸雄(ふくだ ゆきお、1948年3月5日 - )は、日… 福田 幸雄(ふくだ ゆきお、1948年3月5日 - )は、日本の実業家。株式会社アスカネット創業者で同社の代表取締役会長兼CEOを務めた。 広島県広島市出身。広島県立広島観音高等学校を経て、大阪の私立大学経営学部を2年で中退。1971年に文化服装学院を卒業し、青山でファッションメーカーを立ち上げ一時は躍進するも、資金難により3年あまりで会社を解散。その後広島に戻り、趣味を活かしてフォトグラファーとなった。1982年飛鳥写真工芸社創業。1983年飛鳥写真館設立。1995年アスカネット設立、代表取締役社長就任。2005年東京証券取引所マザーズに上場。2007年アスカネット代表取締役社長兼CEO。2018年アスカネット代表取締役会長兼CEO。
香藤 繁常(かとう しげや、1947年8月2日 - )は、日… 香藤 繁常(かとう しげや、1947年8月2日 - )は、日本の実業家。昭和シェル石油代表取締役会長兼グループ最高経営責任者を務めた。 広島県生まれ。広島県立広島観音高等学校を経て、1970年中央大学法学部卒業、シェル石油(のちの昭和シェル石油、現出光興産)入社。昭和シェル石油変革推進本部部長を経て、2001年昭和シェル石油取締役に昇格。昭和シェル石油常務取締役、昭和シェル石油専務取締役を経て、2006年昭和シェル石油代表取締役副会長。2009年昭和シェル石油代表取締役会長。2013年から昭和シェル石油代表取締役会長兼グループCEOを務め、石油事業以外の事業の強化を図り、太陽電池事業の黒字化などを達成した。
河野 美代子(こうの みよこ、1947年4月2日 - )は、… 河野 美代子(こうの みよこ、1947年4月2日 - )は、日本の政治活動家・医師。ボランティア団体「広島エイズ・ダイヤル」代表。河野セクシャリティー医学研究所所長。 広島生まれ。1960年、広島市立観音小学校卒業。1963年、観音中学校卒業。1966年、県立観音高校卒業。 1972年、広島大学医学部卒業。同大学医学部産科婦人科学教室入局。1981年、医療法人あかね会土谷総合病院産婦人科部長。 1990年、河野産婦人科クリニック(広島市中区紙屋町)を開業。 2007年、第21回参議院議員通常選挙に無所属で広島県選挙区から立候補するも落選。
脇田 義信(わきた よしのぶ、1945年1月27日 - 20… 脇田 義信(わきた よしのぶ、1945年1月27日 - 2005年3月29日)は、広島テレビの元アナウンサー。後に報道担当取締役を務めた。 広島県広島市出身。生後8ケ月足らずで原子爆弾によって被爆(後述)。 広島観音高等学校、広島商科大学(現在の広島修道大学)商学部では演劇活動に打ち込む。同大学を卒業後の1968年、広島テレビに入社。翌年アナウンス部に配属され、アナウンサーとして『ズームイン!!朝!』(以下『ズームイン!!SUPER』も含め、「ズームイン」と記す)など広島の朝の顔として親しまれる。 熱狂的な広島東洋カープのファンとして知られ、実況中継だけでなく『ミユキ野球教室』(全国送出)、あるいは広島情報番組にも出演したこともある。
山下 威士(やました たけし、1941年11月6日 - )は… 山下 威士(やました たけし、1941年11月6日 - )は、日本の憲法学者・法哲学者。新潟大学名誉教授。 広島県広島市出身。1945年広島市への原爆投下を経験し、その後の法学者としての思想に影響を与える。1960年広島県立広島観音高等学校卒業。1964年中央大学法学部卒業。1966年同大学院法学研究科修士課程修了。1970年早稲田大学大学院法学研究科公法学博士課程中退。 1987年「カール・シュミット研究 危機政府と保守革命運動」で法学博士(早稲田大学)の学位を取得。 1970年埼玉大学教養部講師(社会思想史担当)、中央大学法学部通信教育課程インストラクターを兼任。1971年教養部助教授、1982年新潟大学法学部教授(憲法・比較憲法学)、1993年同大学院現代社会文化研究科教授、1995年同法学部長、2000年同学長補佐、2004年同大学院実務法学研究科(法科大学院)長・同教授(法学概論・正義論など担当)、2007年同定年退官、同名誉教授。
山本 文男(やまもと ふみお、1937年9月20日 - )は… 山本 文男(やまもと ふみお、1937年9月20日 - )は、広島県広島市観音(現西区観音)出身のプロ野球選手、プロ野球審判員で、元セントラル・リーグ審判部長。審判員袖番号は28(1988年初採用から1996年引退まで、2001年以降牧田匡平がつけている。)。
蒔田 尚昊(まいた しょうこう、1935年〈昭和10年〉3月… 蒔田 尚昊(まいた しょうこう、1935年〈昭和10年〉3月13日 - 2024年〈令和6年〉12月26日)は、日本の作曲家、編曲家である。別名︰冬木 透(ふゆき とおる)名義を用いる。 満洲国の首都新京出身で、14歳で母の郷里広島県へ戻る。広島県北の高校から広島市内の広島観音高等学校へ転校。1952年創立のエリザベト短期大学作曲科に入学し、宗教音楽専攻科を修了。1956年、TBS(当時ラジオ東京)へ音響効果技師として入社。当初はラジオを担当していたが、途中から開局したばかりのテレビへ軸を移す。翌1957年、国立音楽大学作曲科に3年生として編入するが、TBSにも社員として在籍。1958年、連続テレビドラマ『鞍馬天狗』において、不足分の音楽を作曲して劇伴作曲家デビュー。
小倉 薫(おぐら かおる、1932年10月30日 - )は、… 小倉 薫(おぐら かおる、1932年10月30日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。 広島観音高校から1952年に大洋ホエールズへ入団。 観音高のワンマン投手、シュートが武器、26年国体で優勝した。 1954年に外野手へ転向。1955年に引退。
田中 純夫(たなか よしお、1930年〈昭和5年〉5月5日 … 田中 純夫(たなか よしお、1930年〈昭和5年〉5月5日 - )は、日本の元競泳選手。 広島市に生まれる。5歳頃から水泳を始めた。広島市立広瀬小学校、広島県立広島第二中学校を経て、1949年(昭和24年)早稲田大学に入学する。 大学在学中、1952年ヘルシンキオリンピックに競泳日本代表として男子400m自由形に出場し14位に終わった。
梶山 季之(かじやま としゆき、1930年1月2日 - 19… 梶山 季之(かじやま としゆき、1930年1月2日 - 1975年5月11日)は、日本の小説家・ジャーナリスト。ルポライターとして梶 季彦、少年少女向け推理・冒険小説(ジュブナイル作品)の著者として梶 謙介のペンネームがある。 週刊誌創刊ブーム期に代表的なトップ屋として活躍、その後『黒の試走車(テストカー)』『赤いダイヤ』などの産業スパイ小説、経済小説でベストセラー作家となり、推理小説、時代小説、風俗小説、社会小説、痛快小説、SF小説、時代小説、実録小説、少年少女向けの冒険小説等とあらゆる分野に作品を残した多才・多作の作家であった。酒の飲み過ぎにより取材先の香港で45歳で客死。昭和一桁生まれの最後の無頼派的な文士といわれ、磯田光一は「戦後文壇の自爆者」と評した。
石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 -… 石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 - 2014年6月15日)は、日本の政治家、実業家。広島県沖美町議会副議長、広島県沖美町商工会長、広島県沖美町長を務めた。 広島県沖美町(現・江田島市)に生まれる。広島県立広島第二中学校(現・広島県立広島観音高等学校)を卒業後、外務省・文部省共同所管の南洋協会が運営する南洋学院に入学する。南洋学院在学中に終戦となり、その後内地の新制大学への転校を認められ、中央大学法学部に在籍する。 1977年から広島県沖美町議会議員選挙に5回連続当選を果たす。在任中に町議会の副議長を2度(1985年・1993年)務めた。1991年5月に広島県沖美町商工会長に就任し1998年11月の広島県沖美町長選挙で現職を破り第5代広島県沖美町長となる。
田中 隆荘(たなか りゅうそう、1925年8月20日 - 2… 田中 隆荘(たなか りゅうそう、1925年8月20日 - 2008年7月14日)は、日本の生物学者。 広島県広島市出身。広島高等師範学校・広島文理科大学卒業後、広島大学理学部教授。理学部生物学科の植物形態学講座の研究を引っ張った。植物の染色体研究のほか、広島大学附属植物遺伝子保管研究施設では、植物の組織培養(クローン)の研究を行った。その後、1989年から1993年まで広島大学学長、広島市立大学初代学長となった。2000年、勲二等旭日重光章受章。 2008年7月14日午前1時43分、呼吸不全のため広島県東広島市の病院で死去。82歳没。
木村 功(きむら いさお、1923年〈大正12年〉6月22日… 木村 功(きむら いさお、1923年〈大正12年〉6月22日 - 1981年〈昭和56年〉7月4日)は、日本の俳優。広島県広島市出身。 広島市千田町(現・中区千田町)生まれ。広島二中(現・広島県立広島観音高等学校)卒業後に上京し1941年、文化学院文学部に入学する。在学中より演劇運動に没頭し、様々な学生演劇に出演した。1943年、文化学院演劇部『華々しき一族』で邦枝梢と共演して見初める。入隊前に梢との結婚を申し込むが、この時は父で作家の邦枝完二の許しは得られなかった。また、東宝撮影所でアルバイトをしていた友人を訪ねたとき、山本嘉次郎監督にスカウトされ、『ハワイ・マレー沖海戦』に出演した。1943年、文化学院閉鎖に伴い1年繰上げで卒業後、召集され、1944年から1年間海軍生活を送る。
前田 豊(まえだ ゆたか、1915年9月25日 - 1997… 前田 豊(まえだ ゆたか、1915年9月25日 - 1997年1月11日)は、日本のバレーボール選手(日本代表)、指導者。バレーボール日本男子代表監督、バレーボール日本女子代表初代監督、日本バレーボール協会副会長、国際バレーボール連盟(FIVB)副会長、アジアバレーボール連盟会長、日本体育協会理事、日本文化出版創業・社長など多くの要職に就き“バレー界の天皇”とも言われた。戦後日本のバレーボールの、国際舞台での活躍と底辺の広がり、両輪の発展に大きな役割を果たしたバレーボール指導者、日本のバレーボール育ての親。広島県佐伯郡廿日市町地御前(現廿日市市)出身。 全国家庭婦人バレーボール連盟(ママさんバレー)名誉会長を務めた前田琴子は妻、JOCマーケティング副委員長などを務めた元電通社員・前田実は長男、イトーヨーカドープリオール監督などを務めた前田健は三男。
長崎 重芳(ながさき しげよし、1914年 - 1997年)… 長崎 重芳(ながさき しげよし、1914年 - 1997年)は、日本のバレーボール選手、バレーボール指導者。元バレーボール全日本選手、元バレーボール日本男子代表監督。元日本バレーボール協会理事。 “重砲“と呼ばれた猛スパイクで、戦前最高の選手と謳われたバレーボーラー。“球神“とも“日本バレーの父“とも呼ばれた。広島県広島市出身。5寸9尺(約180センチ)、21貫(約80キロ)(中学4年時)。 広陵中学(現広陵高校)で野球をするつもりだったが、親の反対に遭い1927年、広島二中(現広島観音高校)に進学。陸上競技で大活躍したことで、排球部(バレーボール部)に勧誘された。多田徳雄下で黄金期を創った神戸高商(現神戸大学)の中心選手・高橋哲雄と鎔米二の指導を受け、中学上級生並みの体格と人並み外れた運動神経で、すぐに当時の9人制バレー、エースポジションである中衛左に入ると、2年時・14歳で早くも全日本候補となる。
近藤 芳美(こんどう よしみ、1913年〈大正2年〉5月5日… 近藤 芳美(こんどう よしみ、1913年〈大正2年〉5月5日 - 2006年〈平成18年〉6月21日)は、日本の歌人。男性。 本名は近藤 芽美(読み同じ)。戦後の歌壇を牽引する歌人として活動し、文化功労者に選ばれた。長年「朝日歌壇」(朝日新聞)の選者を務めたことで知られるほか、建築家としての顔も持ち、ゼネコンや大学に籍を置く。 東工大建築科卒。「アララギ」に入会、土屋文明に師事。1948年刊行の『埃吹く街』は戦後の短歌の方向を樹立したものといわれている。戦争経験をもつ知識人の立場から時代状況を鋭く歌いつづけた。ほかに『黒豹』(1968年)など。 1913年、慶尚農工銀行(後の朝鮮殖産銀行)に勤務する父の赴任先だった朝鮮・慶尚南道の馬山で出生。
宮本 正太郎(みやもと しょうたろう、1912年12月1日 … 宮本 正太郎(みやもと しょうたろう、1912年12月1日 - 1992年5月11日)は、日本の天文学者。荒木俊馬の弟子の一人で、惑星気象学の開拓者として有名。広島県出身。
佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月… 佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月9日 - 1983年1月5日)は、日本の美術史家・仏教学者・真言宗の僧侶。京都市立芸術大学名誉教授。嵯峨美術短期大学元学長。密教美術や仏像研究の第一人者。密教図像学会会長も務めた。 広島県生まれ。インドネシア、インド、アフガニスタンなど仏教美術の伝流経路、源流地を訪ね歩いた。 経済学者の佐和隆光(京都大学名誉教授、滋賀大学学長)は息子。
土井 修爾(どい しゅうじ、1909年10月1日 - 193… 土井 修爾(どい しゅうじ、1909年10月1日 - 1938年7月7日)は、日本の水球選手である。1932年に開催された夏季オリンピックの男子トーナメントに出場した。日中戦争中は陸軍に士官として召集されていたが、日本国内での訓練中の負傷がもとで病死(戦病死)した。 広島県広島市出身。父の土井與一は弁護士であった。広島市立袋町小学校、県立広島第二中学校(現在の広島県立広島観音高等学校)を経て、早稲田大学法学部に学ぶ。 早稲田大学在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックに出場。水球には4か国(ドイツ、アメリカ、ハンガリー、日本)が出場した。初出場の日本は国内の優秀選手を送り出したが、全敗を喫した。
津田 喜次郎(つだ きじろう、1888年7月11日 - 19… 津田 喜次郎(つだ きじろう、1888年7月11日 - 1959年)は、株式会社津田式ポンプ製作所の創業者であり、同社元社長、広島県立広島観音高等学校元PTA会長。紫綬褒章と紺綬褒章を受章。 明治21年(1888年)7月11日に広島県佐伯郡鹿川村に生まれる。その後、養子として親戚の津田氏に入籍した。 大正9年(1920年)10月、広島市広瀬町において、従来の手押しポンプを改良・考案し、合資会社・津田式ポンプ製作所を設立し「津田式ポンプ大臣號」と名付けたポンプの製造販売を行った。「菱形の中に大臣」の商標を使用した。 専売特許などを自身が持つ約30種以上の各種ポンプ製造に従事した。また地下水に含まれる塩分を薬品を用いずに完全に除去する機能を持つ浄水ポンプを発明、特許を取得した。