長谷川 孝士(はせがわ たかし、1926年(大正15年)2月… 長谷川 孝士(はせがわ たかし、1926年(大正15年)2月6日 - 2011年(平成23年)11月3日)は、国語教育学者、国文学者、愛媛大学名誉教授。 広島県生まれ。広島文理大学文学部卒業、広島大学附属高等学校教諭、1966年愛媛大学教育学部教授、1991年定年退官、名誉教授、兵庫教育大学教授、松山東雲女子大学教授、1996年 - 2002年松山市立子規記念博物館館長。 2011年11月3日、肺癌のため死去。
田中 隆荘(たなか りゅうそう、1925年8月20日 - 2… 田中 隆荘(たなか りゅうそう、1925年8月20日 - 2008年7月14日)は、日本の生物学者。 広島県広島市出身。広島高等師範学校・広島文理科大学卒業後、広島大学理学部教授。理学部生物学科の植物形態学講座の研究を引っ張った。植物の染色体研究のほか、広島大学附属植物遺伝子保管研究施設では、植物の組織培養(クローン)の研究を行った。その後、1989年から1993年まで広島大学学長、広島市立大学初代学長となった。2000年、勲二等旭日重光章受章。 2008年7月14日午前1時43分、呼吸不全のため広島県東広島市の病院で死去。82歳没。
谷口 澄夫(たにぐち すみお、 1913年9月30日- 20… 谷口 澄夫(たにぐち すみお、 1913年9月30日- 2001年1月15日)は、日本の歴史学者・教育者。 岡山県牛窓町(現・瀬戸内市)に生まれる。1940年に広島文理科大学を卒業。1949年岡山大学教育学部助教授、1953年同教授となる。岡山藩の研究で大きな成果を残した。 1969年には前学長の退任を受け学長代行(学長事務取扱)に選ばれ、同年岡山大学の第7代学長となる。学園紛争期の難局を乗り切った。退任し名誉教授。後の1978年には、新たに開学した兵庫教育大学の初代学長に迎えられる。1986年まで同大学学長を務めた後、倉敷芸術科学大学学長、就実女子大学学長を歴任。その他、数々の教育・文化関連団体の要職に就いた。
柳生 亮三(やぎゅう りょうぞう、1905年(明治38年)1… 柳生 亮三(やぎゅう りょうぞう、1905年(明治38年)10月26日 - 2013年(平成25年)3月31日)は、日本の動物学者。専門は原生動物学。位階は従四位。 1905年10月26日、現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町出身。父親が税関職員であった為、日本国内やその当時の日本の領土であった朝鮮を転々とする幼年時代を過ごした。旧制岐阜中学校、旧制福井中学校、鎮南浦公立中学校(朝鮮)と転校を繰り返す。 1924年、教育者を志して高等師範学校の受験を決意し、東京高等師範学校と広島高等師範学校で悩んだ結果、広島高師に決め、第一志望の物理化学は外れたが第二志望の生物で広島高等師範学校理科第三部に合格した。 1928年、広島高等師範学校を卒業後、徳島女子師範学校、徳島県立徳島高等女学校、関東州公立高等女学校(大連市)で教師を務めた後に、旧制広島文理科大学生物学科で生物学を学び、天津日本高等女学校、天津日本商業学校教諭を経て、旧制広島文理科大学助手、広島高等師範学校教授などを歴任した。
丸山 学(まるやま まなぶ、1904年(明治37年)10月2… 丸山 学(まるやま まなぶ、1904年(明治37年)10月26日 - 1970年(昭和45年)2月27日)は、日本の英文学者、民俗学者。小泉八雲の研究、九州の民俗学の研究において知られる。 熊本県和水町に生まれる。熊本県立中学済々黌に進学し、国文学者の蓮田善明とは親友であった。英語英文学を専攻し、広島文理科大学文学科英語英文学専攻を卒業後、広島文理大学助手、広島高等師範学校教授。広島文理大学在学中よりコンラッド研究に励み、1932年(昭和7年)には『文学研究法』を出版し、研究者・教育者としての地位を確固としたものにする。翌1933年(昭和8年)には柳田國男を訪ね、これ以降は徐々に民俗学に転じ、1936年(昭和11年)に『小泉八雲新考』、『英吉利年中行事の研究』を出版。
吉田 賢龍(よしだ けんりゅう、1870年2月5日 - 19… 吉田 賢龍(よしだ けんりゅう、1870年2月5日 - 1943年1月5日)は、日本の教育者、元広島文理科大学学長。