スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
井上 沙恵(いのうえ さえ、1998年7月27日 - )は、… 井上 沙恵(いのうえ さえ、1998年7月27日 - )は、元広島テレビ放送のアナウンサー。広島県三原市出身。 広島県立尾道北高等学校卒業。高校の先輩に中国放送アナウンサーの青山高治がいる。 金沢大学在学中に、日本赤十字社 東海北陸ブロック血液センター主催「第8回献血ポスターコンペティション」石川県赤十字血液センター所長賞を受賞。 金沢大学アメフト部「EVERGREEN」マネージャーをしていた。 神戸大学大学院に進学。在学中に、医療的ケア児の施設で看護師の仕事を経験。 広島テレビ放送アナウンサーになる前は2年間、看護師をしていた。 2023年、広島テレビ放送に入社した。 2024年9月6日、広島東洋カープ対中日ドラゴンズ(マツダスタジアム)始球式で馬場のぶえアナウンサーがピッチャー、井上がキャッチャーを務め、馬場が投げた山なりの一球を井上はしっかりとミットで受け止めた。
鈴木 理加(すずき りか、1986年7月1日 - )は、舞夢… 鈴木 理加(すずき りか、1986年7月1日 - )は、舞夢プロに所属するフリーアナウンサーで、元・鹿児島放送アナウンサーおよびテレビ大阪の契約アナウンサー。 広島県三原市生まれ。血液型はAB型。広島大学附属三原幼稚園・小学校・中学校・広島県立尾道北高等学校・成城大学を経て、2009年に鹿児島放送へアナウンサーとして入社した。 大学時代には、東京アナウンスセミナーでアナウンス技術の研鑽を積んでいた。セミナーの同期に、北海道テレビ放送アナウンサーの依田英将がいる。また、大学では茶道部に所属。俳優の橋本一郎(役所広司の長男)は、同部の先輩に当たる。 愛称は「りか」「りっかん」「りかちん」で、 英語検定2級・ニュース時事能力検定3級の資格を保持。
青山 高治(あおやま たかはる、1972年3月5日 - )は… 青山 高治(あおやま たかはる、1972年3月5日 - )は、中国放送(RCC)のアナウンサー、ラジオパーソナリティ。広島県尾道市出身。 血液型はO型、身長181cm、星座はうお座。 尾道市立栗原小学校、尾道市立栗原中学校、広島県立尾道北高等学校、広島修道大学人文学部人間関係学科社会学専攻卒業。 広島ローカル局で、尾道北高校の後輩になる広島テレビ放送井上沙恵アナウンサーがいる。 1994年入社。入社当初はスポーツアナウンサーとして野球など各種競技の実況を担当したが、2年目以降は主に夜のラジオ番組『Coke Teens Club 青山高治のみんなノッてけHot Wave』『ラジON黒帯青山七段』を担当した。
金田 耕一(かなだ こういち、1957年 - )は、日本の政… 金田 耕一(かなだ こういち、1957年 - )は、日本の政治学者。日本大学経済学部教授。専門は政治思想。学位は、博士(政治学)(論文博士・1995年)(学位論文「メルロ=ポンティの政治哲学」)。 広島県生まれ。尾道北高等学校卒後、1980年早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1988年同大学院政治学研究科博士課程満期退学。1995年「メルロ=ポンティの政治哲学」で博士(政治学)の学位を取得。宇都宮大学教育学部助教授、同教授を経て、2016年現在、日本大学経済学部教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
桐島 聡(きりしま さとし、1954年1月9日 - 2024… 桐島 聡(きりしま さとし、1954年1月9日 - 2024年1月29日)は、1970年代の日本の新左翼過激派集団である東アジア反日武装戦線のメンバー。1975年に同派による連続企業爆破事件の被疑者として全国に指名手配された。逃亡から約49年後の2024年1月25日に偽名で入院中、自身の名前を名乗り、その4日後に死亡した。 広島県深安郡神辺町(現在の福山市)出身。広島県立尾道北高等学校卒業。明治学院大学在学中に黒川芳正や宇賀神寿一と出会い、東アジア反日武装戦線に「さそり」班として参加し、20歳から21歳の間に連続企業爆破事件の複数のテロ事件に関与した。 1975年4月18日、東京の銀座の韓国産業経済研究所の入口に手製の時限信管付爆弾を仕掛け翌日に爆発させた。
平谷 祐宏(ひらたに ゆうこう、1953年(昭和28年)3月… 平谷 祐宏(ひらたに ゆうこう、1953年(昭和28年)3月29日 - )は、日本の政治家、元教諭。広島県尾道市長(5期)。元尾道市教育委員会教育長。 広島県尾道市向島町岩子島出身。向島町立岩子島小学校(現:尾道市立三幸小学校)、向島町立向島中学校(現:尾道市立向島中学校)、広島県立尾道北高等学校卒業。1977年(昭和52年)、山口大学教育学部卒業。1984年(昭和59年)、尾道市立吉和中学校の教諭に就任。2003年(平成15年)、尾道市教育委員会の教育長に就任。 2007年(平成19年)4月22日執行の尾道市長選挙で元因島市長の岡野敬一を破り初当選。4月27日、市長に就任。 2019年(平成31年)、3人の新人候補者を破り4選。
藤村 哲哉(ふじむら てつや、1953年2月6日 - )は、… 藤村 哲哉(ふじむら てつや、1953年2月6日 - )は、日本の実業家。ギャガ・コミュニケーションズ(現・ギャガ)創業者、元代表取締役社長。現「フィロソフィア・エンタテインメント・アライアンス」社長。広島県広島市中区出身。 父親は戦中、勤務先の三菱重工業広島造船所内で被爆。広島市立白島小学校5年12歳まで広島市にいて、喘息の持病のため、母方の実家のある尾道市に引越し山寺で療養しながら育つ。尾道北高校を経て一浪後、1976年慶應義塾大学法学部卒業。母親の希望で地元の東洋工業(マツダ)に就職を予定し、東洋工業の松田耕平社長も慶應義塾大学OBで常任理事だった関係で九分通り入社できる予定であったが、突然のオイルショックで新卒採用が中止される。
大亀 徹(おおかめ とおる、1951年10月 - )は、日本… 大亀 徹(おおかめ とおる、1951年10月 - )は、日本の元警視庁警察官。 現在は、サンデー毎日の全国高校別大学合格ランキングを毎年購入し、大学受験雑誌、大学学部別偏差値ランキングを把握し、母校明治大学の教職員、大学関係者、在校生の不甲斐無さを叱咤激励している。 1951年(昭和26年)10月、広島県尾道市に生まれる。1969年(昭和44年)3月、広島県立尾道北高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、明治大学農学部農業経済学科卒業。同年3月、警視庁に入り巡査拝命 (麹町署・第八機動隊) 。 上級職等の官僚機構に関する知識がなく、警視庁入庁後に公務員の身分制の壁に強いショックを受け、気力、体力もない東京大学法学部卒のキャリア官僚に伍する方法として、1978年4月、明治大学二部法学部法律学科に学士入学する。
恵谷 治(えや おさむ、1949年3月28日 - 2018年… 恵谷 治(えや おさむ、1949年3月28日 - 2018年5月20日)は、日本のジャーナリスト。早稲田大学地域・地域間研究機構アジア研究所客員教授。著作上の氏名表記の「恵」は旧字体の「惠」を用いている。 民族紛争、軍事情報、特に北朝鮮問題が専門。 東京都墨田区に生まれ、その後広島県尾道市向東町に転居。1967年、広島県立尾道北高等学校卒業後、早稲田大学法学部卒。 冷戦時代はソ連の領土拡張主義や軍事的プレゼンス(ソ連脅威論)を取り上げていたが、その後北朝鮮に焦点を移す。北朝鮮の長距離ミサイルや反体制運動等の事情に関して、「SAPIO」に寄稿している。また北朝鮮が拉致した日本人について、50人程度と推定している[要出典]。
かわぐち かいじ(本名:川口 開治、1948年7月27日 -… かわぐち かいじ(本名:川口 開治、1948年7月27日 - )は、日本の漫画家。 広島県御調郡向東町(現在の尾道市の一部)生まれ。広島県立尾道北高校、明治大学文学部日本文学科卒業。東京都小金井市在住。血液型AB型。 1968年に『ヤングコミック』(少年画報社)にて掲載された「夜が明けたら」でデビューした。代表作に『沈黙の艦隊』、『ジパング』、『太陽の黙示録』、『空母いぶき』など。1990年代以降、壮大な舞台で男達が活躍する大河ストーリーを得意としている。マンガジャパン会員となっている。 父親は戦時中に掃海艇の乗組員をつとめ、戦後は小型タンカーの船長となっていた。子供時代のかわぐちは、瀬戸内海を航行する父親の船によく乗せてもらっていた。
大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年(昭和13年)1… 大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年(昭和13年)1月9日 - 2020年(令和2年)4月10日)は、日本の映画監督。従四位、旭日中綬章。 倉敷芸術科学大学客員教授、長岡造形大学造形学部客員教授、尚美学園大学名誉教授、文化功労者。 広島県尾道市東土堂町生まれ。尾道市立土堂小学校、尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報学部情報表現学科名誉教授。2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。2014年(平成26年)4月から長岡造形大学客員教授。 妻は映画プロデューサーの大林恭子。長女の大林千茱萸は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加しており(映画「ハウス」の発案者である他、出演もしている)、その夫は漫画家の森泉岳土。
藤本 統紀子(ふじもと ときこ、1935年〈昭和10年〉2月… 藤本 統紀子(ふじもと ときこ、1935年〈昭和10年〉2月11日 - )は、日本のタレント、エッセイスト。作家・藤本義一の妻。義一との間に2女があり、次女はアーティストのフジモト芽子(まいこ)。 兵庫県神戸市須磨区生まれ。小学二年から商社マンだった父の赴任先、蒙古張家口で育つ。終戦後引き揚げ、父が故郷・広島県尾道市で事業を始めたため、中学一年から高校卒業まで尾道に住んだ。 広島県立尾道北高校を経て大阪女子大学(現・大阪公立大学)英文科に進学。高校、大学と演劇部に所属し、当時大阪府立大学の演劇部だった藤本義一と知り合う。 大学卒業後、スポーツニッポンの文化部記者として二年間勤務。藤本と結婚後退社。
多田 修人(ただ なおと、1934年2月1日 - )は、日本… 多田 修人(ただ なおと、1934年2月1日 - )は、日本の実業家。日本システムウエア株式会社創業者・名誉会長。同社元代表取締役会長兼社長。元東京商工会議所渋谷支部会長。 広島県尾道市出身。広島県立尾道北高等学校入学 1964年東京経済大学経済学部卒業、東洋計算センター入社。1966年事務計算センター(現日本システムウエア)設立、同社代表取締役社長就任。1976年ナカヤ代表取締役社長。1991年システムウエアリンケージ株式会社(現NSWテクノサービス)代表取締役社長就任。2004年タダ・インベストメント取締役社長就任。2005年日本システムウエア代表取締役会長就任。2007年日本システムウエア代表取締役会長兼社長就任。
藤原 宰太郎(ふじわら さいたろう、1932年 - 2019… 藤原 宰太郎(ふじわら さいたろう、1932年 - 2019年5月21日)は、日本の小説家、推理作家・研究者。広島県尾道市出身。本名は宰(おさむ)。広島県立尾道北高等学校を経て早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業。推理研究家として多くの著作を刊行、他にも様々な活躍を続けた。 1968年3月にKKベストセラーズから刊行した『探偵ゲーム』を始め同様の推理クイズ本を量産し、推理クイズブームを創りだした。内容は、いわゆる殺人のトリック、密室なのにどうやって殺せたか、凶器はどこに隠したか、というものだった。これを見て該当する作品を読むという、ガイドブックのようなものとしても使用できるものであったが、一方でトリックがあらかじめ分かってしまうことも事実であった。
三辺 信夫(みなべ のぶお、1931年1月16日 - 201… 三辺 信夫(みなべ のぶお、1931年1月16日 - 2019年8月1日)は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。専門は国際経済学、特に国際貿易論。 1931年に富山県高岡市で生まれた。1950年に広島県立尾道北高等学校を卒業し、大阪市立大学に進学。大学では名和統一の薫陶を受けた。1954年に卒業。その後は同大学大学院経済学研究科に進学し、1956年に修士号を取得。博士課程を単位取得退学。 その後は大阪市立大学助手に採用された。1961年には6月から8月の2か月間コロラド大学ボルダー校に留学し、マーティン・ブロンフェンブレンナー(英語版)の下で学んだ。その1か月後の1961年9月からはロチェスター大学大学院に進学し、、修士号(M.A.)と博士号(Ph.D.)を取得。
田坂 勝彦(たさか かつひこ、1914年5月28日 - 19… 田坂 勝彦(たさか かつひこ、1914年5月28日 - 1979年9月20日)は、日本の映画監督。広島県豊田郡沼田東村(三原市沼田東町)出身。兄は映画監督の田坂具隆。 尾道中学校(現広島県立尾道北高等学校)卒業後、百貨店勤務を経て、1937年に『明治一代女』のヒットで日活多摩川撮影所へ復帰した兄・具隆を追うように、日活京都撮影所監督部に入る。1942年に大映に移籍し、1952年に長谷川一夫主演の「勘太郎月夜唄」で監督デビュー。文芸作品を得意としていた兄とは違い、娯楽時代劇を多く撮った。 1964年の「夕日と拳銃」からテレビドラマの演出を手がけ、1965年に大映を退社。中小企業の経営の傍ら、1976年まで「銭形平次」「大岡越前」「水戸黄門」「伝七捕物帖(中村梅之助版)」など、テレビ時代劇の監督ローテーションに入っていた。
ユーキ あきらは、雑誌「りぼん」「週刊少年ジャンプ」を中心に… ユーキ あきらは、雑誌「りぼん」「週刊少年ジャンプ」を中心に活躍している日本の少女漫画家、少年漫画家。本名非公開。広島県尾道市出身、7月4日生まれ。血液型はA型。 プロデビュー前は、尾道市内の啓文社新浜店のコミュニティー冊子「KISS DAS」にイラストを投稿していた。その時に使用していたペンネームは「ジュッピーまさお」。プロデビュー後に凱旋ともいえるサイン会を新浜店で行いその模様も冊子に掲載されていた。 1997年、「りぼんオリジナル」6月号掲載の「ヴァンディーの魔女」でプロデビュー。多くの作品が「りぼん」等に掲載される。 その後「ユウキアキラ」のペンネームで少年誌にて再デビューし、主に『赤マルジャンプ』で活動。