大和富士 充(やまとふじ みつる、1984年12月19日 -… 大和富士 充(やまとふじ みつる、1984年12月19日 - )は、広島市西区出身で阿武松部屋所属の元大相撲力士。本名は大和 充(やまと みつる)。現役時代の身長は188cm、体重は146kg、血液型はB型。最高位は西幕下2枚目(2014年3月場所)。 小学校時代は1年時より柔道に勤しみながらも父の仕事の関係で「7,8回転校」する生活を送り、住居が宮崎県日向市に落ち着いたのは中学時代になってからであった。 地元の中学校を卒業した後進学した後はスポーツが盛んな宮崎県の延岡学園高等学校に進学した。高校時代も柔道部に所属し、インターハイでベスト8に進出している。高校時代にはまた全日本ジュニア大会で3位になるなどの活躍も果たした。
池田 敏樹(いけだ としき、1984年7月29日 - )は、… 池田 敏樹(いけだ としき、1984年7月29日 - )は、地方競馬の笠松競馬場栗本陽一厩舎に所属していた、広島県庄原市出身の元騎手。地方競馬教養センター騎手課程第75期生。 2002年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得。同年4月13日第1回福山競馬1日目第5競走アラブ系3歳条件戦ナタリーサンダーで初騎乗(9頭立て3番人気6着)。同日第8競走アラブ系C2条件戦をタッカーコトワで優勝(10頭立て2番人気)し、3戦目で初勝利。 2003年NARグランプリ2003、地方競馬優秀新人騎手賞受賞。同年第36回内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞地方競馬新人賞受賞。 2004年地方競馬通算100勝達成。同年3月22日第18回全日本新人王争覇戦出場(12人中4位)。
安芸ノ州 法光(あきのしゅう のりみつ、1969年1月17日… 安芸ノ州 法光(あきのしゅう のりみつ、1969年1月17日 - )は、広島県広島市出身で井筒部屋に所属した元大相撲力士。本名は今田 賢二(いまだ けんじ)。身長179cm、体重121kg。最高位は西前頭9枚目(1998年1月場所)。十両昇進まで10年近く同部屋の寺尾の付け人を務めた。血液型はB型。音羽山部屋に所属する光星竜光星は長男。 広島商業高校では野球部に所属していたが半年で退部し、兄の入門を勧誘しにきた井筒部屋へ、志願して入門した。 1984年9月場所、最後の本場所を迎えた蔵前国技館で初土俵を踏んだ。出世に差がつき、幕内上位まで上がりながら安芸ノ州が下位で長く相撲を取っていた頃には廃業していたが同期生には後の元幕内・南海龍がいる、他に、後に新入幕を果たし、勝ち越しながら場所後に急死した龍興山一人が番付外に落ち、再出世している。
安芸の嶺 良信(あきのみね よしのぶ、1968年11月25日… 安芸の嶺 良信(あきのみね よしのぶ、1968年11月25日 - )は、広島県呉市出身で三保ヶ関部屋所属の元大相撲力士。本名は永瀬 良信(ながせ よしのぶ)。現役時代の体格は身長179cm、体重133kg、得意技は左四つ、寄り。最高位は十両11枚目。血液型はO型。 1984年3月に初土俵を踏む。三段目で壁に当たり幕下に上がるのに5年ほどの時間が掛かったが、幕下へ上がってからは順調に番付を上げ、1991年11月場所には十両に昇進した。その場所は5勝10敗と負け越して1場所で幕下に陥落。その後は幕下中位で低迷し、1995年9月場所は三段目まで陥落した。幕下へ戻った1996年1月場所限りで廃業した。
安芸乃島 勝巳(あきのしま かつみ、1967年3月16日 -… 安芸乃島 勝巳(あきのしま かつみ、1967年3月16日 - )は、広島県豊田郡安芸津町(現在の東広島市)出身で二子山部屋(入門時は藤島部屋)に所属した元大相撲力士。本名は宮本 勝巳(みやもと かつみ)。旧姓は山中(やまなか)。現役時代の体格は身長175cm、体重158kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東関脇。愛称は「アキちゃん」、趣味は日本刀鑑賞、血液型はA型、魚座。現在は年寄・高田川勝巳。夫人とは1994年に結婚。2児の父である。 安芸津町立安芸津中学校時代までは柔道を行い、極めて厳格な父や叔父から激しい稽古を課せられていたが、力士になろうと志して相撲を始め全国大会にも出場した。偶然にも広島に巡業で訪れていた大関・貴ノ花(12代藤島→11代二子山)に勧誘されたことがきっかけで卒業後に藤島部屋に入門した。
貴羽山 善之(たかばやま よしゆき、1954年3月31日 -… 貴羽山 善之(たかばやま よしゆき、1954年3月31日 - )は、広島県呉市出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は高間 義之(たかま よしゆき)、身長183cm、体重111kg。最高位は西十両10枚目(1981年5月場所)。得意技は右四つ、吊り。 中学校では野球部に所属し、ポジションは捕手と外野手を務めた。卒業後も野球を続けるために広島県のなかで野球の名門である私立呉港高校へ入学したが、兄が陸上部で活躍していたので誘われて陸上部に入部した。2年生になって体格が大きくなったので市民大会の砲丸投げに高校生の部で出場しようとした時は、前日に釘を踏んでしまって歩くのも大変だったが、出場を辞退するのも悔しいので強引に参加し優勝してしまった。
大納川 憲治(だいながわ けんじ、1949年5月17日 - … 大納川 憲治(だいながわ けんじ、1949年5月17日 - )は、広島県吉田町出身で木瀬部屋所属の元大相撲力士。本名は長本 憲治(ながもと けんじ)。最高位は幕下11枚目。力士時代の体格は身長180cm、体重120kg。得意手は右四つ、寄り。 1965年5月場所初土俵(同期には元大関貴ノ花)。1969年3月場所三段目優勝。 昭和40年代半ばより甚句を唄い始める。 昭和50年代は、相撲甚句のトリを務める。巡業中などは彼の甚句を聴きたいがために親方衆、関取衆がわざわざ出向いて聴き惚れたと云う伝説を持つ。 最終場所は1980年9月場所。現役時代より歌唱力の高さを評価され数社よりレコードを発売する。 現在は、全国大納川相撲甚句会の総師範として活躍中。
株本 義久(かぶもと よしひさ、1944年4月23日 - 没… 株本 義久(かぶもと よしひさ、1944年4月23日 - 没年不明 )は、広島県福山市出身で朝日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は株本 義輝。179cm、108kg。最高位は西十両9枚目。得意技は突き、押し。 1965年7月場所に21歳で初土俵。出世は早く、1970年1月場所に十両昇進を果たす。1971年5月場所に十両で4勝11敗と幕下陥落濃厚の成績となり、この場所限りで廃業した。
安芸の國 一典(あきのくに かずのり、1942年4月11日 … 安芸の國 一典(あきのくに かずのり、1942年4月11日 - 没年不明)は、広島県広島市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は真藤 和典(しんとう かずのり)。184cm、98kg。最高位は西十両9枚目。得意技は 右四つ、吊り。 1959年3月場所に初土俵。1965年5月場所の幕下優勝によって、翌7月場所に十両昇進。十両連続在位11場所目の1967年3月場所、東十両12枚目で8勝7敗と勝ち越したにもかかわらず、場所後に関取の人数を16人削減する方針のため、続く5月場所では東幕下筆頭に降格させられた。勝ち越したにもかかわらず幕下降格となった力士は安芸の國含め3人いた中、安芸の國が最高位であった。
瀬戸錦 年光(せとにしき としみつ、1924年2月2日 - … 瀬戸錦 年光(せとにしき としみつ、1924年2月2日 - 没年不明)は、広島県尾道市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 年覚(たかはし としかく)。190cm、104kg。最高位は西十両9枚目。得意技は突っ張り、右四つ、寄り。 1941年1月場所に初土俵。三段目の頃に戦争で召集されたが、サイズの合う軍靴がなかったので、即日で帰郷を命じられた。1947年11月場所に十両昇進するも2勝9敗と大きく負け越して1場所で幕下に陥落。十両に在位したのはこの1場所のみであった。1951年1月場所限りで26歳の若さで廃業。幕下で相撲を取っていた1950年1月場所から、廃業する1951年1月場所まで弓取りを務めたことがある。
大熊 宗清(おおくま むねきよ、1920年1月15日 - 1… 大熊 宗清(おおくま むねきよ、1920年1月15日 - 1991年2月11日)は、広島県大竹市元町出身で熊ヶ谷部屋に所属した大相撲力士。本名は和田 宗清(わだ むねきよ)。現役時代の体格は182cm、100kg。最高位は西前頭6枚目(1947年11月場所)。 実家は農家で、地元に住んでいた大相撲の世話人に勧められて、16歳の時に熊ヶ谷部屋へ入門。1937年1月場所で、初土俵を踏んだ。 幕下時代は、神風正一や輝昇勝彦とともに「幕下三羽烏」と呼ばれた。番付に初めて付いて以来1度も負け越しなしで、1941年1月場所にて十両に昇進した。 この地位でも勝ち越しを続け、1942年5月場所にて、22歳で新入幕を果たした。
安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお、1914年5月30日 -… 安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお、1914年5月30日 - 1979年3月25日)は、広島県広島市南区宇品海岸出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第37代横綱。本名は永田 節男(ながた たかお)。 双葉山定次の70連勝を阻止した「世紀の一番」で知られる。四股名は「せつお」だが、本名は「たかお」と読む。 広島県広島市南区宇品海岸の食料品商の家に生まれ、宇品尋常高等小学校を卒業後は家業を手伝う。1931年に市内で開催された関西中学校相撲選手権を観戦したところ、藤嶌にスカウトされて角界入り。1932年2月場所に出羽海部屋から“永田”の四股名で初土俵を踏む。序二段で「安藝ノ海」と改名すると、順調に昇進して1936年1月場所に新十両、1938年1月場所では、23歳で新入幕を果たした。
呉錦 三郎(くれにしき さぶろう、1906年4月6日 - 1… 呉錦 三郎(くれにしき さぶろう、1906年4月6日 - 1944年5月16日)は、広島県呉市出身で出羽海部屋に所属した昭和時代の元大相撲力士。本名は金谷 三郎。最高位は十両6枚目。 出羽ノ海部屋に入門し、1922年1月で初土俵を踏む。1931年1月十両に昇進したが、2勝9敗と負け越し、同地位にあった翌3月も2敗9休と連続で負け越して幕下に落ちた。1933年5月十両に復帰し6勝5敗と勝ち越し、翌1934年1月は全休で再び幕下に落ちてからは十両に復帰できなかった。1940年1月に廃業。1944年死去。 1933年に沖ツ海福雄がフグ中毒で急死したとき同席していたが、彼は一命をとりとめた。
緋縅 力弥(ひおどし りきや、緋縅力彌、明和9年(1772年… 緋縅 力弥(ひおどし りきや、緋縅力彌、明和9年(1772年) - 文政13年2月22日(1830年3月16日))は、江戸時代の大関。安芸国山県郡川戸(現・広島県北広島町)出身。本名、森脇 勝五郎。身長177cm、体重116kg。 幕内生活21年という、驚異的な長期間の活躍が記録されている。上位陣にはあまり通じなかったが、下位には順当に取りこぼし少なく、かつ運良く1場所だけ大関に昇進した。引退後は「赤翁」と称し、養子であった錦幸太郎改め、2代目緋縅力弥(緋縅力弥)の活躍を楽しみとした。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。