兼原 信克(かねはら のぶかつ、1959年〈昭和34年〉1月… 兼原 信克(かねはら のぶかつ、1959年〈昭和34年〉1月22日 - )は、日本の元外交官。 外務省国際法局長を経て、2012年(平成24年)から安倍内閣(第2次安倍内閣~第4次安倍第2次改造内閣)で内閣官房副長官補。2014年(平成26年)から国家安全保障局次長兼務。2019年退任し、翌20年からは同志社大学で特別客員教授。現在、笹川平和財団常務理事。 山口県阿武町出身。山口県立萩高等学校を経て、東京大学在学中の1980年(昭和55年)外務公務員採用上級試験に合格する。1981年(昭和56年)東京大学法学部第二類を卒業して、外務省に入省する。 フランス語研修員として、フランス国立行政学院などで学ぶ。
礒部 博昭(いそべ ひろあき、1955年〈昭和30年〉10月… 礒部 博昭(いそべ ひろあき、1955年〈昭和30年〉10月8日 - )は、日本の外交官。2013年(平成25年)10月11日から2016年までパナマ駐箚特命全権大使を務めた。 山口県防府市出身。1979年(昭和54年)東京外語大学英米語学科を卒業し、外務省に入省した。トゥール留学を経て、経済協力局、外務大臣官房海外広報課、中南米局、在ルーマニア日本国大使館、在ベルギー日本国大使館などで勤務。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
林 景一(はやし けいいち、1951年〈昭和26年〉2月8日… 林 景一(はやし けいいち、1951年〈昭和26年〉2月8日 - )は、日本の元外交官、最高裁判所判事。 アイルランド駐箚特命全権大使、外務省官房長、内閣官房副長官補などを歴任し、2011年から2016年6月まで英国駐箚特命全権大使を務めた。2017年4月、最高裁判所判事に就任。 山口県徳山市(現・周南市)出身。大阪市立島屋小学校、大阪市立天王寺中学校、大阪府立天王寺高等学校を経て、京都大学法学部卒業。 1974年外務省入省。1975年-1977年英語研修(スタンフォード大学政治学部修士課程修了)、在シンガポール大使館、在ソ連大使館、在米国大使館、アジア局南東アジア第二課長、条約局条約課、北米局外務参事官、在英国日本国大使館公使、外務省大臣官房審議官(条約局担当)、条約局長、国際法局長を経て、2005年から2008年まで駐アイルランド大使。
名井 良三(みょうい りょうぞう、1951年〈昭和26年〉 … 名井 良三(みょうい りょうぞう、1951年〈昭和26年〉 - )は、日本の外交官。2011年(平成23年)9月27日からアンゴラ駐箚特命全権大使。 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校卒業、1975年(昭和50年)東京外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科を卒業して、外務省に入省する。1985年(昭和60年)ブラジリア大学大学院に留学している。外務省大臣官房在外公館課現地職員管理官、シカゴ領事、参議院国際交流課長を経て、2009年(平成21年)4月ベレン総領事。2011年(平成23年)9月27日からアンゴラ駐箚特命全権大使。2015年(平成27年)10月1日から東京外国語大学社会・国際貢献情報センター副センター長。
渡辺 伸(わたなべ しん 1940年2月20日 - 2002… 渡辺 伸(わたなべ しん 1940年2月20日 - 2002年3月25日)は、日本の外交官。元駐アラブ首長国連邦・アルジェリア大使。
松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 … 松浦 晃一郎(まつうら こういちろう、1937年9月29日 - )は、日本の外交官、国連職員。公益財団法人日仏会館理事長、一般社団法人アフリカ協会会長、一般財団法人日本ウズベキスタン・シルクロード財団評議員、株式会社パソナグループ監査役、中国人民大学名誉教授、東邦音楽大学パフォーマンス総合芸術文化専攻客員教授。 過去に、駐フランス共和国特命全権大使やユネスコ(国際連合教育科学文化機関)第8代事務局長を務めた。山口県佐波郡島地村(後の徳地町、今の山口市)出身。 三井生命保険(現大樹生命保険)勤務の父親誠一と山口市の造り酒屋「松屋」の娘だった母清子の子として東京府荏原区(現東京都品川区)で生まれ、父の生地である島地村で幼少を過ごす。
松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月… 松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月4日 - 1946年(昭和21年)6月27日)は、日本の外交官、政治家。 南満洲鉄道(満鉄)総裁を務め、満洲国の実力者「弐キ参スケ」の一人とされた。第2次近衛内閣では外務大臣に就任し、日独伊三国同盟や日ソ中立条約締結を推進。しかしドイツのソ連侵攻後は南進論が大勢を占める政府で北進論を主張し、第3次近衛内閣発足を機に事実上外相を解任された。アメリカ合衆国外交官ジョセフ・グルーと親交があり、佐藤栄作は義理の甥にあたる(妹の娘婿で養子)。 1880年(明治13年)3月4日廻船問屋の四男として、山口県熊毛郡室積村(現:光市室積)で生まれた。 洋右が11歳の時に父親が事業に失敗し破産したことや、親戚が渡米し成功していたことから、1893年(明治26年)に留学のため13才で渡米する。
大野 守衛(おおの もりえ、1879年(明治12年)3月1日… 大野 守衛(おおの もりえ、1879年(明治12年)3月1日 – 1958年(昭和33年)7月18日)は、日本の外交官。神奈川県藤沢市長。錦鶏間祗候[3]。
梶山 鼎介(かじやま ていすけ、1848年11月15日(嘉永… 梶山 鼎介(かじやま ていすけ、1848年11月15日(嘉永元年10月20日)- 1933年(昭和8年)3月25日)は、幕末の長府藩士、明治期の陸軍軍人・外交官・政治家。最終階級は陸軍歩兵中佐。衆議院議員。初名・喜代三郎。 長門国豊浦郡(現山口県下関市)で、長府藩士・梶山伴右衛門栄作の長男として生まれる。慶応元年2月14日(1865年3月11日)に長府藩報国隊が結成され斥候兼応接役となる。同年3月25日(4月20日)同志2名と長府藩保守派、藩目付役・林郡平を自宅で暗殺し、同年11月(12月-1966年1月)に捕縛され角島に流罪となった。その後、赦免され戊辰戦争で北陸の戦闘に報国隊軍監として従軍した。
正木 退蔵(まさき たいぞう、弘化3年10月24日(1846… 正木 退蔵(まさき たいぞう、弘化3年10月24日(1846年12月12日) - 1896年(明治29年)4月5日)は、明治時代の教育者、外交官。旧萩藩士で、維新後ロンドンに留学し、開成学校講師で化学を教えた。その後、同校留学生監督として再び渡英し、帰国後東京職工学校初代校長に就任、晩年は在ハワイ王国総領事を務めた。正五位勲六等。 弘化3年(1846年)10月24日、長門国萩城外土原村渡り口筋で、萩藩大組士正木治右衛門の三男として生まれた。間もなく佐伯丹下の養子となったが、後に正木姓に復した。 安政5年(1858年)松下村塾で数ヶ月間吉田松陰に学んだ後、毛利元徳小姓として長州正義派に与し、大村益次郎の三兵学科塾で蘭学、兵学、三田尻海軍学校で英学を学んだ。