スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
瀧山 久志(たきやま ひさし、1983年8月24日 - )は… 瀧山 久志(たきやま ひさし、1983年8月24日 - )は日本で活動するミュージカル俳優および元オペラ歌手である。山口県萩市見島出身。劇団四季所属。 萩市立見島小学校から萩市立見島中学校を経て山口県立萩高等学校進学と同時に本州へ移住する。高校時代は合唱部に所属し後に部長を務め、卒業後は大阪芸術大学音楽学科演奏研究コース(現・演奏学科)へ入学し、大学卒業後はバリトンオペラ歌手として活動していた。2007年に劇団四季随時オーディションに合格し演目契約でオペラ座の怪人アンサンブル役で初出演を果たした。その後も四季の作品への出演を重ね、2014年11月に『アラジン』のジーニー役でオーディション合格し、翌2015年4月より劇団四季へ正式入団した。
長安 智子(ながやす ともこ、1980年9月22日 - )は… 長安 智子(ながやす ともこ、1980年9月22日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 山口県萩市出身。趣味は映画とゴルフ。血液型はB型。 山口県立萩高等学校を経て学習院大学文学部を卒業。大学在学中には日本テレビ『恋のから騒ぎ』第8期生として2001年10月6日放送分に出演したことがある。 卒業後は事務職を経て2004年に山口放送 (KRY) にアナウンサーとして入社。ラジオ番組のリポーターを担当していた。 2007年にKRYを退社、以後、サガテレビ (sts) にて1年、四国放送 (JRT) にて2年、テレビ熊本 (TKU) にて2年、それぞれアナウンサーとして活動の後、2012年にTKUを退社。
松本 実(まつもと みのる、1974年3月1日 - )は日本… 松本 実(まつもと みのる、1974年3月1日 - )は日本の俳優。山口県萩市出身。山口県立萩高等学校、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻卒業。同専攻科修了。蜷川幸雄の指導を受ける。身長161cm。所属はウィーズカンパニー。
阿武 美和(あんの みわ、1973年4月5日 -)は、山口県… 阿武 美和(あんの みわ、1973年4月5日 -)は、山口県阿武郡福栄村出身の日本の柔道家。現役時代は56kg級の選手。身長158cm。妹の阿武教子は2004年アテネオリンピック柔道の78kg級チャンピオン。現姓は澤田。 幼少の頃に萩道場で柔道を始めて、2歳年上の兄である貴宏や3歳年下の妹である教子とともに全国各地の小学生大会で活躍していた。福川中学2年の時には無差別の全日本選手権に出場するが、3回戦で日体大3年の持田典子に内股で敗れた。強化選手選考会では2位となり、中学2年ながら福岡国際に出場すると、初戦で前年の世界チャンピオンであるイギリスのアン・ヒューズ、準決勝で世界チャンピオンであるフランスのカトリーヌ・アルノーをそれぞれ破る健闘を見せるが、決勝で韓国の鄭善溶に効果を取られて敗れた。
七瀬 葵(ななせ あおい、1967年6月12日、女性)は、日… 七瀬 葵(ななせ あおい、1967年6月12日、女性)は、日本の漫画家・イラストレーター・キャラクターデザイナー・同人作家。山口県萩市出身。血液型はA型。成人向け作品を手がける際には、ながせ まゆという別名義を使うこともあるが、2008年頃からはアダルト作品も七瀬名義で手がけるようになっている。 ホビージャパン刊行の『餓狼伝説』アンソロジーコミックでデビュー。プロデビュー当時から同人誌で積極的に取り上げるほど、『サムライスピリッツ』及びその登場キャラクターであるナコルルとシャルロットの熱狂的なファンである。後には商業作品で同作品を題材にした商品の原画を担当したり、その原画を集めた画集も出版された。
藤道 健二(ふじみち けんじ、1959年〈昭和34年〉8月2… 藤道 健二(ふじみち けんじ、1959年〈昭和34年〉8月24日 - )は、日本の政治家、銀行員。元山口県萩市長(1期)。 山口県萩市浜崎新町生まれ。萩市立明倫小学校、萩市立明経中学校(現・萩市立萩東中学校)卒業。1978年(昭和53年)3月、山口県立萩高等学校卒業。1983年(昭和58年)3月、一橋大学経済学部卒業。同年4月、日本長期信用銀行に入行。 1999年(平成11年)1月、同行を退職。同年2月、中小企業金融公庫(現・日本政策金融公庫)に入庫。 2016年(平成28年)5月に日本政策金融公庫を退職。6月、東京都内のプラスチック製品製造会社に転職するも萩市長選挙に向けて退職。9月に帰省。同年12月9日、次期市長選への出馬を表明。
兼原 信克(かねはら のぶかつ、1959年〈昭和34年〉1月… 兼原 信克(かねはら のぶかつ、1959年〈昭和34年〉1月22日 - )は、日本の元外交官。 外務省国際法局長を経て、2012年(平成24年)から安倍内閣(第2次安倍内閣~第4次安倍第2次改造内閣)で内閣官房副長官補。2014年(平成26年)から国家安全保障局次長兼務。2019年退任し、翌20年からは同志社大学で特別客員教授。現在、笹川平和財団常務理事。 山口県阿武町出身。山口県立萩高等学校を経て、東京大学在学中の1980年(昭和55年)外務公務員採用上級試験に合格する。1981年(昭和56年)東京大学法学部第二類を卒業して、外務省に入省する。 フランス語研修員として、フランス国立行政学院などで学ぶ。
佐伯 かよの(さえき かよの、本名:新谷 佳代乃(しんたに … 佐伯 かよの(さえき かよの、本名:新谷 佳代乃(しんたに かよの)、女性、1952年3月30日 - 2021年8月29日)は、日本の漫画家。山口県萩市出身。山口県立萩高等学校卒業。夫は『エリア88』等の作品で知られる漫画家の新谷かおる。新谷との娘に女優の新谷摩乃がいる。 代表作に『スマッシュ!メグ』、『口紅コンバット』、『燁姫(あきひ)』、『緋の稜線』など多数。 1972年にりぼん漫画賞佳作入選。同年、『りぼん春の増刊号』に掲載された「世界一幸福な男の話」でデビュー。 1973年に、同じく『りぼん』にて受賞歴のある新谷かおると結婚。 1980年、『少女コミック』で「スマッシュ!メグ」の連載を開始。
小田 芳男(おだ よしお、1949年4月11日 - )は、山… 小田 芳男(おだ よしお、1949年4月11日 - )は、山口県出身の元プロ野球捕手。右投右打。 山口県立萩高等学校から1967年ドラフト8位で巨人に入団。担当スカウトは木戸美摸。 高校時代は主将で捕手。通算打率3割8分。 「4年間大学に行ったつもりで」と気軽な気持ちで入団するがファームでもほとんど出番はなく、もっぱらブルペン捕手。1972年シーズン後「大学を一年落第したと思えば」と自ら退団を申し入れる。 退団後は家業の電気工事業を継ぐ。
田中 文夫(たなか ふみお、旧姓:河村、1948年〈昭和23… 田中 文夫(たなか ふみお、旧姓:河村、1948年〈昭和23年〉5月5日 - )は、日本の政治家。山口県萩市長(2期)。山口県議会議員を7期務めた。 山口県立萩高等学校、玉川大学教育学科卒業後、建設会社の社長を務める。 山口県議会議員を務めた父・河村定一、兄・河村建夫(後の衆議院議員)の仕事を手伝ったことがきっかけで政界入りし、自身も1995年の県議選で初当選し、以後7期務める。 2020年8月20日、翌年に予定される萩市長選挙への立候補を表明し、10月30日に県議の辞職願を提出(辞職は11月3日付)。 市長選では田中と現職の藤道健二との一騎討ちとなり、林芳正参議院議員や自民党県議、一部公明党議員や野党系団体などが支援する藤道に対し、田中は市内の自民全7支部から推薦を受け、自民党と公明党の県組織はいずれの候補にも推薦を出さなかった。
西村 不可止(にしむら ふかし、1946年 - )は、日本の… 西村 不可止(にしむら ふかし、1946年 - )は、日本の画家。 NPOひろしまインターネット美術館理事。 山口県立萩高等学校卒業。 会社に勤めていた35歳の時に絵画教室へ通い始めた。41歳になった頃、師の勧めで公募展に出品をすると初の入選をした。2度目の公募展では中国新聞社賞を受賞し、このころより創作活動に本腰を入れることになる。以来35年間連続で公募展に出品。故郷でもある萩市の「萩市美展」や「国民文化祭」、その他個展やグループ展にて作品を発表。搬入、搬出には有休を取って自ら参加している。 また、絵画教室の講師も仕事と並行して務めた。
野村 興兒(のむら こうじ、1944年(昭和19年)7月29… 野村 興兒(のむら こうじ、1944年(昭和19年)7月29日 - )は、日本の政治家、元大蔵官僚。山口県萩市長を新旧合わせて6期務めた。 2018年4月に至誠館大学の学長に就任。 山口県萩市出身。河村建夫は山口県立萩高等学校の2年先輩。 1967年、京都大学経済学部経済学科を卒業し、同年大蔵省に入省。主計局調査課に配属。同期に伏屋和彦、黒田東彦(日銀総裁)、山口公生(銀行局長)などがいる。
河村 建夫(かわむら たけお、1942年〈昭和17年〉11月… 河村 建夫(かわむら たけお、1942年〈昭和17年〉11月10日 - )は、日本の政治家。 山口県議会議員(4期)、自由民主党選挙対策委員長(第2代)、文部科学大臣(第3・4代)、内閣官房長官(第76代)、拉致問題担当大臣(麻生内閣)、衆議院予算委員長、議院運営委員長、衆議院議員(10期)を歴任した。 1942年〈昭和17年〉11月10日、山口県阿武郡三見村(現・萩市)に生まれる。山口県立萩高等学校を経て、慶應義塾大学商学部を卒業する。 1967年(昭和42年)の卒業後に、西部石油に入社。 1976年(昭和51年)、父・河村定一の死去に伴う山口県議会議員補欠選挙(萩市選挙区)に自由民主党公認で出馬し、初当選した。
羽毛田 信吾(はけた しんご、1942年4月5日 - )は、… 羽毛田 信吾(はけた しんご、1942年4月5日 - )は、日本の官僚。厚生省の事務次官、宮内庁次長を経て、2005年から2012年まで宮内庁長官を務めた。 山口県生まれ。京都大学法学部卒業。幼少の頃は貧しく、社会的弱者への関心を持ったことから、1965年(昭和40年)に厚生省(当時)にキャリア官僚として入省した。老人保健福祉局長や保険局長などを経て、1999年(平成11年)に厚生事務次官に就任。2001年に退官した。 同2001年に宮内庁に入庁、2005年に宮内庁長官に就任。宮内庁長官就任後は、内閣総理大臣(当時)小泉純一郎と同じく、女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範に関する有識者会議の結論を支持し、寬仁親王が結論を批判した際には、発言の自粛を求めた。
富恵 一(とみえ はじめ、1941年11月6日 - 1974… 富恵 一(とみえ はじめ、1941年11月6日 - 1974年6月5日)は、山口県出身のプロ野球選手(外野手)。右投げ右打ち。 山口県立萩高等学校では外野手、投手として活躍。1958年秋季中国大会県予選準決勝に進むが、岩国高に敗退。翌1959年夏の甲子園県予選は、準々決勝で防府高に延長11回の末に惜敗。 卒業後は関西大学に進学。関西六大学野球リーグでは在学中3回優勝。1年生の秋からベンチ入り、3年生の1962年春季リーグからレギュラーとなる。しかし1963年秋季リーグで、エース西川克弘を擁し優勝したものの、西川と内野手の雑賀幸男が広島カープと秘密裏に契約していたことが発覚。関大はリーグ終了後に出場停止、優勝取り消し処分を受ける。
三留 理男(みとめ ただお、1938年12月1日 - 202… 三留 理男(みとめ ただお、1938年12月1日 - 2022年3月22日)は、日本の報道写真家。国連から恒久IDカードを発行された世界でも数少ないジャーナリストの一人。 1938年、日本統治下の朝鮮北部・沙里院(現在は北朝鮮・黄海北道沙里院市)に生まれる。1948年に長崎県佐世保市に引き揚げる。山口県立萩高等学校在学中に、元朝日新聞のカメラマンであった角川政治に師事、写真を学ぶ。 1958年に日本大学藝術学部写真学科に入学。在学中の1961年には写真集「Document 小児マヒの記録」(法政大学出版局)を出版した。同年には初の個展「どんづまり―筑豊の女たち」を開催し、各方面より高い評価を得る。
椙本 勝(すぎもと まさる、1931年7月1日 - )は、山… 椙本 勝(すぎもと まさる、1931年7月1日 - )は、山口県萩市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、外野手。 萩北高校では、速球とドロップを武器に、エースとして1950年春の選抜に出場。1回戦で八幡高のエース渡辺雅人(法大-三重交通)に抑えられ敗退。八幡高には松永怜一、森下正夫がいた。 1951年に松竹ロビンスへ入団。1952年には開幕から先発陣の一角として起用され、4勝を挙げる。しかし同年には6ボークを記録、これは2003年に広島東洋カープのクリス・ブロックが更新するまでセ・リーグのシーズン記録だった(2007年に阪神タイガースのエステバン・ジャンがブロックの記録を更新したので椙本の記録は現在リーグ3位)。
村上 允俊(むらかみ まさとし、1929年 - )は、俳優、… 村上 允俊(むらかみ まさとし、1929年 - )は、俳優、レポーター。
井上 章(いのうえ あきら、1929年〈昭和4年〉 - 20… 井上 章(いのうえ あきら、1929年〈昭和4年〉 - 2017年9月30日)は、日本の映画美術監督、造形家。 東京都出身。子供の時に、米国RKOの特撮映画『キング・コング』を観て、夢に見るほど強烈な印象を受ける。しばらくして雑誌で『キング・コング』の紹介があり、スクリーン・プロセスの技法の特集を見て、映画の道を選ぶ。 1945年(昭和20年)、山口県萩中学校(現:山口県立萩高等学校)3年の折に日本の敗戦を経て、旧制山口高校で演劇の舞台装置を志す。1953年(昭和28年)、映画会社大映に入社。大映東京撮影所で、主に下河原友雄の美術助手を務める。1959年(昭和34年)、『氷壁』(増村保造監督)で美術助手。
三輪 壽雪(みわ じゅせつ、1910年(明治43年)2月4日… 三輪 壽雪(みわ じゅせつ、1910年(明治43年)2月4日 - 2012年(平成24年)12月11日)は、日本の陶芸家。第11代三輪休雪。1983年に人間国宝に認定された。位階は従五位。本名は節夫。 山口県萩市出身。代々萩焼を家業とし、旧萩藩御用窯であった三輪窯の九代休雪・三輪雪堂の三男として誕生する。1927年旧制萩中学校卒業後、兄である十代休雪(隠居後は休和)を助けながら伝統技法を学んだ。1941年に三重県津市に工房を構えていた川喜田半泥子に師事し、茶陶の制作技法を身につける。独立までの約30年間ひたすら修練に打ち込み、召集令が出された1944年以外は作陶の手を休める事はなかった。 1955年に雅号を「休」と称し作家活動を開始。
阿武 巌夫(あんの いずお、1909年12月2日 - 193… 阿武 巌夫(あんの いずお、1909年12月2日 - 1939年12月18日)は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。山口県出身。 1909年12月22日、山口県阿武郡大井村字市場(現・萩市大井)に、大井八幡宮宮司の阿武四郎の長男として生まれる。 生家の大井八幡宮は阿武郡18郷の総社で参道が100メートル (m)を超える長さだったため、幼少期から参道をトラックに見立てて走り込んでいた。母校、大井尋常高等小学校(現 • 萩市立大井小・中学校)の運動会では俊足過ぎてトラックのカーブを曲がりきれなかったという 1922年(大正13年)4月、旧制山口県立萩中学校(現・山口県立萩高等学校)に進学。萩中時代では従兄弟のいる萩市椿町の金谷天満宮に下宿し、当地から学校まで毎日走って登校していた。
吉武 恵市(吉武 惠市、よしたけ えいち、1903年2月25… 吉武 恵市(吉武 惠市、よしたけ えいち、1903年2月25日 – 1988年2月3日)は、昭和期の政治家、官僚。衆議院議員(3期)、参議院議員(3期)、労働大臣(第6代)、厚生大臣(第21代)、自治大臣(第8-9代)、富山県知事(官選第32代)。 山口県萩市に生まれる。萩中学、旧制五高を経て、1928年東京帝国大学法学部政治学科を卒業、内務省に入省する。東京府属。京都府保安課長、東京都官房人事課長を経て、1945年官選富山県知事となる。この間、労働問題について勉強を重ね、戦後はその努力を買われて1946年厚生省労政部長、1947年労働省初代事務次官となる。 1949年、第24回衆議院議員総選挙に民主自由党から旧山口1区(定数4)にて立候補し初当選。
山下 春江(やました はるえ、1901年(明治34年)8月9… 山下 春江(やました はるえ、1901年(明治34年)8月9日 – 1985年(昭和60年)3月19日)は、昭和期の政治家。日本初の女性国会議員の一人で、元自由民主党衆議院議員・参議院議員。 山口県阿武郡の出身。 1921年二階堂体操塾(現・日本女子体育大学)を卒業(1期生)。体操講習会で見た塾長・二階堂トクヨの脚が憧れのアンナ・パヴロワ(バレリーナ)のようにすんなりとしていたことが入塾理由である。柔道2段のほか、空手・薙刀術の心得もあった。広島県の呉高等女学校で教師となるが、当時の校長と不正入試問題で対立し辞職、大阪毎日新聞記者に転職する。その後山下悌三と結婚、病弱の夫に代わり東京で「富士アスベスト工業所」の経営にあたる。
志賀 義雄(しが よしお、1901年(明治34年)1月12日… 志賀 義雄(しが よしお、1901年(明治34年)1月12日 - 1989年(平成元年)3月6日)は、日本の政治家、共産主義運動の活動家。衆議院議員、日本共産党中央委員、「日本共産党(日本のこえ)」委員長などを務めた。ソ連共産党から資金援助を受けていた。 福岡県門司市(現・北九州市門司区)生まれ。旧姓、川本。1906年、母方の祖父の養子となって山口県阿武郡萩町(現・萩市)へ移り、志賀姓となる。 旧制萩中学校(現・山口県立萩高等学校)から一高を経て東京帝国大学文学部に入学する。帝大在学中に学生運動に参加し、在学中の1923年(大正12年)には、前年に非合法政党として結成された日本共産党へ入党。1927年(昭和2)1月には、モスクワに赴任した福本和夫から党中央常任委員・政治部長の要職を引き継いだが、1928年(昭和3年)の三・一五事件において検挙され、1934年(昭和9年)に治安維持法により懲役10年の有罪判決を受けた。
三輪 休和(みわ きゅうわ、1895年4月20日 - 198… 三輪 休和(みわ きゅうわ、1895年4月20日 - 1981年10月24日)は、日本の陶芸家。第十代三輪休雪。1970年に人間国宝に認定。本名は邦広。 1895年(明治28年)山口県萩市の旧萩藩御用窯三輪家の9代雪堂の次男として生まれる。1908年(明治41年)、明倫館の流れを汲む萩中学校に入学し、優秀な成績で2年に進むが、祖父雪山の「職人に学問は要らぬ」という説得により、同校を2年で退学、作陶を父の九代雪堂に学び、家業に従事する。また、祖父の勧めから江戸千家流の阿部直彦について茶道を学び、また宝生流の渡辺蒿蔵に謡曲を習うなど、諸芸の修業を積んだ。1937年(昭和2年)三輪窯を継承して10代休雪を襲名した。
阿武 天風(あぶ てんぷう、1882年〈明治15年〉9月8日… 阿武 天風(あぶ てんぷう、1882年〈明治15年〉9月8日 - 1928年〈昭和3年〉6月22日)は、日本の海軍軍人、小説家、編集者。雑誌『冒険世界』の主筆を務めるなどして、冒険小説を多く発表した。代表作に『太陽は勝てり』など。 本名は阿武 信一(あんの しんいち)。別名義に「髭の少尉」、「虎髯大尉(こぜんたいい)」、「阿武激浪庵」、「怒濤庵少尉」、「黒面中尉」、「黒面魔人」などがある。ただし、これら別名義に関しては、河岡潮風など阿武の周囲の人物が用いていた場合もあり、これらの名義で執筆された文章の全てが阿武のものであるというわけではない。1928年(昭和3年)6月に、松野に改姓し松野 信一となる。
野坂 正隆(のさか まさたか) は、日本の機械工学者。宇宙航… 野坂 正隆(のさか まさたか) は、日本の機械工学者。宇宙航空研究開発機構ロケットエンジン研究開発センター長や、東京大学大学院工学系研究科教授、IHI技術顧問などを歴任した。 山口県萩市出身。山口県立萩高等学校を経て、1970年広島大学工学部精密工学科卒業。1972年広島大学大学院工学研究科精密工学専攻修士課程修了、科学技術庁航空宇宙技術研究所宇宙研究グループ第9研究グループ研究員。2001年航空宇宙技術研究所角田宇宙推進技術研究所ロケット推進研究センター長。2003年宇宙航空研究開発機構総合技術研究本部宇宙推進技術共同センターロケットエンジン研究開発統括ユニット長。2004年宇宙航空研究開発機構総合技術研究本部ロケットエンジン研究開発センター長。