楠瀬 康璽(くすのせ こうじ、1942年 - )は、高知県高… 楠瀬 康璽(くすのせ こうじ、1942年 - )は、高知県高知市出身の植物モチーフを得意とする日本の水彩画家、イラストレーター。本名は、楠瀬 浩二(くすのせ こうじ)。
高知県:7人
楠瀬 康璽(くすのせ こうじ、1942年 - )は、高知県高… 楠瀬 康璽(くすのせ こうじ、1942年 - )は、高知県高知市出身の植物モチーフを得意とする日本の水彩画家、イラストレーター。本名は、楠瀬 浩二(くすのせ こうじ)。
小池 暢子(こいけ のぶこ、1937年 - )は、日本の銅版… 小池 暢子(こいけ のぶこ、1937年 - )は、日本の銅版画家である。 1937年に高知市で生まれた。父は医師であった。1941年に士別市に引っ越した。上京して女子美術大学に進学し、一時期は安保闘争のデモ活動に参加していた。1961年に女子美術大学を卒業した。その後、壁画を作成する会社で働くようになり、1964年6月頃から東京オリンピックの準備として国立競技場の壁画制作作業の現場監督として働いた。1960年代頃までは油絵を描いており、油絵の個展も行っていた。 1972年、35歳の時に東京では制作に没頭できないと考え、渡仏してパリで活動するようになった。ローマなどにも滞在した。ヨーロッパ在住中は「アラプペ」と呼ばれる一版多色刷りの銅版画を多数制作した。
依光 隆(よりみつ たかし、1926年(大正15年)5月1日… 依光 隆(よりみつ たかし、1926年(大正15年)5月1日 - 2012年(平成24年)12月18日)は、挿絵画家・イラストレーター。高知県生まれ。父親の死去に伴い、隆の兄が働いていた満州に呼ばれ、1940年(昭和15年)から1944年(昭和19年)12月まで中国の大連で過ごす。帰国後、高村光太郎に師事。共同通信社社会部画信室を経てフリーになる。SFから児童書まで幅広い分野の挿絵で活躍。ハヤカワ文庫SFの「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズは、第1巻から第367巻を38年間にわたり担当した。 「白旗の少女」の挿絵と装幀で1990年度児童福祉文化賞を受賞。日本出版美術家連盟理事、創作集団プロミネンス(旧・少年文芸作家クラブ)会長を務めていた。
正延 正俊(まさのぶ まさとし、1911年(明治44年) -… 正延 正俊(まさのぶ まさとし、1911年(明治44年) - 1995年(平成7年))は、日本の画家。具体美術協会の結成メンバーであり、抽象絵画を手がけた。 1911年(明治44年)、高知県高岡郡須崎町(現在の須崎市)に生まれる。1933年(昭和8年)、高知県師範学校(現在の高知大学教育学部)専攻科を卒業。 1935年(昭和10年)に東京に移り、また1940年代半ばに神戸市に移った。この間、高知県内、東京、神戸市内で小学校の図工教員として勤務し、1968年(昭和43年)まで教員生活を送った。 戦前期から具象的な絵画を制作し公募展に出品を行っていた。1948年(昭和23年)頃に神戸で吉原治良に出会い、師事するようになると、急速に抽象絵画に展開。
石川 寅治(いしかわ とらじ、明治8年(1875年)4月5日… 石川 寅治(いしかわ とらじ、明治8年(1875年)4月5日 - 昭和39年(1964年)8月1日)は、明治時代から昭和時代にかけての洋画家、版画家。 高知県高知市において石川義忠の長男として、明治8年4月5日生まれる。まず旧制中学時代に上村昌訓について洋画を教わった。明治24年(1891年)に上京し、小山正太郎の不同舎という私画塾に学び、明治26年(1893年)、第5回明治美術会展に「野鴨」を初出品した。明治33年(1900年)のパリ万博にも作品を出品した。翌明治34年(1901年)には明治美術会の組織改革により、新会務委員となって吉田博、満谷国四郎とともに太平洋画会を結成し、水彩画のほか、油絵、素描、木版画、彫刻などを制作し続けた。
公文 菊仙(くもん きくせん、1873年 - 1945年)は… 公文 菊仙(くもん きくせん、1873年 - 1945年)は明治時代の口絵画家、日本画家。 久保田米僊の門人。明治6年、高知市に生まれる。本名は時衛。明治25年(1892年)に東京へ上京し、日本画家の米僊に師事している。明治35年(1902年)頃から『やまと新聞』に挿絵を描いたほか、明治36年(1903年)から明治45年(1912年)まで村上浪六の小説の口絵を描いている。明治40年(1907年)には『国民新聞』に雇われていたようである。また、坂本龍馬や中岡慎太郎らの肖像画を描いている。昭和4年(1929年)に描いた龍馬の肖像画が大流行し、2000部が頒布販売された。昭和20年、太平洋戦争により千葉県へ疎開、同地で72歳で没した。
山本 昇雲(やまもと しょううん、明治3年11月9日〈187… 山本 昇雲(やまもと しょううん、明治3年11月9日〈1870年12月30日〉 - 昭和40年〈1965年〉5月10日)は、明治時代から大正時代にかけて制作した浮世絵師で日本画家、石版画家で報道画家。名は茂三郎といい、昇雲のほか小斎、松谷と号す。 出身は高知県長岡郡後免町(現・南国市)、生家の古物商は江戸時代、旧土佐藩の郷士であった。二男として生まれた山本茂三郎が6歳頃から師事した柳本圭吾(号「洞素」)は駿河台狩野家・狩野洞白の門人で、元は山内家の御抱絵師も勤めた絵師である。9歳になる明治12年(1879年)に、柳本の斡旋で狩野永岳門人である河田小龍にも絵を学び、入門3年目に小龍から「小斎」の画号を受けた。