千代虎 大樹(ちよとら だいき、2003年4月15日 - )… 千代虎 大樹(ちよとら だいき、2003年4月15日 - )は、佐賀県佐賀市出身で、九重部屋所属の現役大相撲力士。本名は江島 大樹(えじま だいき)。身長175.0cm、体重132.8kg。最高位は西幕下10枚目(2024年11月場所)。 佐賀市立高木瀬小学校1年時から佐賀市相撲クラブで相撲を始めた。小学校3年時に九重部屋を見学して13代九重(元横綱・千代の富士)から勧誘を受けており、これ以降何度か九重部屋に遊びに行ったことがあるという。相撲と並行して小学校3年時からは柔道も習い、佐賀市立昭栄中学校2年時と3年時に90kg超の佐賀県代表として全中に出場した。 中学校卒業後は九重部屋に入門し、2019年5月場所で初土俵。
一木 隆冶(いちき りゅうや 、1993年11月13日 - … 一木 隆冶(いちき りゅうや 、1993年11月13日 - )は、佐賀県唐津市出身で、玉ノ井部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。身長171.0cm、体重120.4kg、血液型はA型。最高位は西幕下6枚目(2020年9月場所・11月場所)。 唐津市立田野小学校2年次に、地元の肥前相撲クラブで相撲を始めた。唐津市立肥前中学校3年次には全国中学校相撲選手権大会と全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場した。希望が丘高校を経て九州情報大学に進学し、大学1年次に全国学生相撲個人体重別選手権大会85kg未満級で3位入賞、4年次に全国学生相撲選手権大会で団体戦ベスト8、個人戦ベスト32の経験を持つ。 大学卒業後は、東龍ら九州情報大学出身者も所属する玉ノ井部屋に入門し、2016年1月場所で初土俵を踏んだ。
唐津海 誠二(からつうみ せいじ、1988年8月3日 - )… 唐津海 誠二(からつうみ せいじ、1988年8月3日 - )は、佐賀県唐津市西唐津出身で玉ノ井部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐々木 誠二(ささき せいじ)。身長182cm、体重189kg、血液型はO型。最高位は西幕下12枚目(2011年11月場所)。 地元の中学校を卒業して2004年3月場所に玉ノ井部屋(関脇・栃東)から初土俵。初土俵時から四股名は出身地の名前に因んだ「唐津海」を名乗っている。同期生には豊真将、木村山、磋牙司、里山、白乃波、益荒海、大岩戸、出羽鳳らがいる。 入門時の体重は137kgであり、体重の増加とともに番付が上がる傾向にある。初土俵から4年後の2008年5月場所で幕下に初昇格しているが、心臓の不整脈治療のため2009年5月場所から3場所連続全休をすると、復帰した同年11月場所は序二段の下位。
6代 式守 鬼一郎(ろくだい しきもり きいちろう、1974… 6代 式守 鬼一郎(ろくだい しきもり きいちろう、1974年7月17日 - )は、大相撲の幕内格行司である。本名は和智 修(わち おさむ)。追手風部屋所属。血液型はA型。 佐賀県佐賀市出身。中学卒業後の1990年5月場所で大鳴戸部屋から初土俵を踏んだ。1995年1月場所直前に大鳴戸部屋が閉鎖になったため桐山部屋に引き取られ、2011年1月場所後の同年1月27日に桐山部屋が閉鎖になったため追手風部屋に移籍した。 2006年3月1日付で十枚目格に昇進し、式守鬼一郎を襲名した。鬼一郎の名跡は約46年ぶりの復活になった。2018年12月25日付で幕内格に昇進した。 大坂相撲の流れを汲む朝日山部屋の分家である大鳴戸部屋出身である。
栃栄 篤史(とちさかえ あつし、1974年6月27日 - )… 栃栄 篤史(とちさかえ あつし、1974年6月27日 - )は、佐賀県佐賀郡富士町(現在の佐賀市、出生地は東京都中野区)出身で春日野部屋所属の元大相撲力士。本名は岡本 篤(おかもと あつし)、身長184 cm、体重158 kg。得意技は突き、押し。最高位は西前頭筆頭(2001年1月場所)。趣味は演劇鑑賞、釣り、アウトドア。血液型はB型、愛称はアツシ。現在は年寄・三保ヶ関。 埼玉栄高校出身で、高校横綱にもなった。また、史上初の大学に進学しなかった高校横綱でもある。高校時代、当時の幕下付出基準である全日本相撲選手権大会ベスト16に進出し物議をかもしたが、「幕下付出は20歳以上」という下限を設けたことで決着した。
吾郎(ごろう、1964年4月26日 - )は、大相撲の呼出。… 吾郎(ごろう、1964年4月26日 - )は、大相撲の呼出。大嶽部屋所属。本名は赤山 正春(あかやま まさはる)。 1982年5月場所、16歳で初土俵。入門当初は押尾川部屋所属だった。入門した頃は一郎、次郎、三郎という3人の呼出がいたため、吾郎という名を与えられた。なお、押尾川部屋には吾郎の兄弟子に志朗(2023年現在は大嶽部屋所属の三役呼出)、弟弟子に禄郎(2023年現在は二所ノ関部屋所属の十両呼出)も所属していた。2005年3月場所後に押尾川部屋が閉鎖になったため、同じ二所ノ関一門所属の大嶽部屋に移籍した。 2021年9月30日に開かれた日本相撲協会の定例理事会で、同年12月24日付で三役呼出に昇進することが決定した。
佐賀昇 博(さがのぼり ひろし、1961年11月27日 - … 佐賀昇 博(さがのぼり ひろし、1961年11月27日 - )は、佐賀県藤津郡塩田町(現・同県嬉野市、出生地は杵島郡白石町)出身で、押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は林 博(はやし ひろし)。現役時代の体格は192cm、119kg。得意手は左四つ、下手投げ。最高位は東前頭14枚目(1988年11月場所)。 趣味は、音楽鑑賞と読書。血液型はO型。 幼い頃両親を亡くし、3歳年上の姉や5歳年下の弟と一緒に現在の嬉野市にある児童養護施設「済昭園」で育った。中学3年生の時には身長が184cmあり目立つ存在であった。中学校近くのラーメン店の店主が同郷の押尾川親方(元大関・大麒麟)と知り合いの縁で何度も入門を誘われた。
床中(とこなか、1960年10月27日 - )は、大相撲の元… 床中(とこなか、1960年10月27日 - )は、大相撲の元床山。本名は中山紀久雄。佐賀県嬉野市出身。所属部屋は押尾川部屋→錦戸部屋。最高位は特等床山。 高校を2年で中退して押尾川部屋に床山として入門。2005年に押尾川部屋が閉鎖された後は錦戸部屋に転籍し、床寿が入院中の代役および引退後(2009年1月場所以降)の後任として横綱朝青龍の大銀杏を担当した。2025年1月場所から最高位の特等床山に昇格。停年(定年)退職直前の同年9月場所が最終場所となった。
佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日… 佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日 - 1999年10月3日)は、佐賀県佐賀郡諸富町(現在の佐賀市)出身で、近鉄バファローズ所属の元プロ野球選手(投手)、井筒部屋(後に君ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。本名は土師 一男(はじ かずお)。大相撲時代は身長185cm、体重107kg、得意手は左四つ、寄り、上手投げ。最高位は西十両11枚目(1972年7月場所)。土師一夫の四股名でも関取在位がある。 佐賀県立佐賀工業高等学校を経て1964年に近鉄バファローズに入団。2年間在籍するも一軍登板なく退団した。 退団後すぐに力士に転向し、大相撲の井筒部屋に入門して1965年11月場所で初土俵を踏んだ。
楠ノ海 正治(くすのうみ まさはる、1944年3月13日 -… 楠ノ海 正治(くすのうみ まさはる、1944年3月13日 - )は、佐賀県佐賀市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は中村 正治(なかむら まさはる)。現役時代は身長173cm・体重75kg。最高位東十両16枚目。得意技は右四つ、上手投げ。 1959年7月場所初土俵。序ノ口を1場所で通過後に序二段中位〜下位で1年程停滞したり、初めて幕下に昇進した1961年11月場所で7戦全敗を喫したりしたが、以降は好成績を修め続け順調に番付を上げて、1965年5月場所に21歳で十両昇進。しかし場所前に左膝の関節を捻挫したために当場所及び翌場所を全休。以降は番付を幕下下位に落とし成績は振るわず、1966年5月場所に22歳の若さで廃業した。
大麒麟 將能(だいきりん たかよし、1942年6月20日 -… 大麒麟 將能(だいきりん たかよし、1942年6月20日 - 2010年8月4日) は、佐賀県佐賀郡東川副村(のち諸富町、現・佐賀市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は堤 隆能(つつみ たかよし)。最高位は東大関。現役時代の体格は181cm、140kg。得意手は右四つ、寄り、吊り、うっちゃり。 1942年6月20日、整骨院を経営していた父・善治と母・かつの3男として生まれる。出生時で3600gという大柄な体格で、東川副小6年の時には健康優良児に選出されている。 諸富中学では柔道の選手として活躍。また生徒会長を務めるなど人望もあり、体力のみならず学力にも秀で、将来は防衛大学校を目指していたといわれ、後に理論、頭脳明晰として知られる人物の片鱗を見せていた。
荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日 - … 荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日 - 2010年9月2日)は、佐賀県東松浦郡鎮西町馬渡島(※現役当時、現・唐津市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は牧山 通雄(まきやま みちお)。得意手は左四つ、吊り、突っ張りなど。最高位は西前頭4枚目(1965年3月場所)。現役時代の体格は184cm、106kg。 同じ東松浦郡鎮西町出身で、小結まで昇進した松浦潟達也(本名・牧山強臣、錦島部屋→立田山部屋)とは、血縁関係にあった。 カトリック教徒でもあった。 日本相撲協会から離れ、その後、故郷に程近い長崎県で造船業に従事していた。造船会社を辞めてからは福岡市に移り住み、相撲料理店「ちゃんこ荒波」を経営したが、2004年頃に閉店したという。
10代式守錦太夫(じゅうだい しきもりきんだゆう、1940年… 10代式守錦太夫(じゅうだい しきもりきんだゆう、1940年8月6日 - 2007年2月10日)は大相撲の元三役格行司。二所ノ関部屋所属。佐賀県出身。本名:中島忠雄。 1957年11月場所に木村忠雄の名で初土俵。序ノ口格で14代木村玉光 (のちの25代木村庄之助) の付け人になった。 若手時代は行司としての評価は芳しくなく、1958年5月場所では序ノ口格から見習いへの格下げ、翌7月場所で序ノ口格に戻るも木村弘行(のち幕下格)に抜かれ(1959年7月場所で抜き返す)、幕下格時代の1974年1月場所に黒星(差し違え)数の関係で木村孔一(のちの三役格・木村一童)に抜かれ(1975年3月場所に抜き返す)、十両格に昇進するまで初土俵から22年掛かった。
荒川 文夫(あらかわ ふみお、1940年1月1日 - )は… 荒川 文夫(あらかわ ふみお、1940年1月1日 - )は、現在の佐賀県武雄市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。176cm、94kg。最高位は東十両8枚目。得意技は左四つ、寄り。 1956年5月場所初土俵、1964年3月場所十両昇進。しかし十両中位の壁を破れず、1966年9月場所を以て廃業した。 2024年8月20日に放送された『開運!なんでも鑑定団』(テレ東)のコーナー「出張!なんでも鑑定団」(岡山県矢掛町)に、依頼人の大伯父(依頼人の祖母が荒川の妹)として観客席で出演。それによると引退後は佐賀でちゃんこ鍋料理店を2014年頃に畳むまで経営していたという。その際、同期で後に横綱となった大鵬とは仲が良く、荒川の引退の時に大鵬から餞別として贈られた、大鵬が大関時代に使っていた化粧廻しの一つが出品された。
小城ノ花 正昭(おぎのはな まさあき、1935年11月29日… 小城ノ花 正昭(おぎのはな まさあき、1935年11月29日 - 2006年12月16日)は、佐賀県小城郡三日月村(現・同県小城市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は本村 正昭(もとむら まさあき)→小岩井 正昭(こいわい -)。最高位は西関脇(1962年11月場所、1963年1月場所、同年3月場所)。現役時代の体格は174cm、124kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。 小城中学校を卒業後は、実家の佐賀新聞販売店を手伝っていた。 父が大の相撲好きだった事もあり、以前よりその勧めで度々、地元の村相撲に参加していたが、そこで飲食店を営んでいた元十両・佐賀ノ山の目に留まり、角界入りを打診される。
佐賀光 健吾(さがひかり けんご、1934年4月29日 - … 佐賀光 健吾(さがひかり けんご、1934年4月29日 - 2011年3月30日)は、現在の佐賀県神埼市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。元若者頭。本名は太田 健吾(おおた けんご)。174cm、86kg。最高位は西十両5枚目。得意技は右四つ、寄り。 神埼中学校では砲丸投げや走り幅跳びで活躍し、相撲でも神埼郡大会で優勝する活躍を見せた。卒業を控えた1950年3月に校長室に呼ばれると佐賀ノ花が神埼市の有力者と共に訪ねて来ていて勧誘を受けた。しかし、相撲は好きであったが入門の意志は全く無く両親も反対していた。ところが、遂に父が断り切れずに入門が決まった。1950年5月場所に初土俵。1956年1月場所に十両昇進。
天津灘 福一(あまつなだ ふくいち、1932年8月2日 - … 天津灘 福一(あまつなだ ふくいち、1932年8月2日 - 2001年3月28日)は、佐賀県小城郡牛津町(現:同県小城市牛津町)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は田村 福一(たむら ふくいち)→田 福喜(でん ふくき(韓国名, 朝: 전호동))。現役時代の体格は183cm、100kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げなど。最高位は西前頭18枚目(1958年7月場所)。 18歳の時上京し、二所ノ関部屋に入門。1950年9月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ「田村」。 左四つからの吊り寄りを得意とし、闘志溢れる相撲を取った。3歳年下の羽子錦徳三郎(高嶋部屋→友綱部屋。後、前頭10枚目まで昇進)とは、所属する一門は違っていたが、親友同士であった。
佐賀ノ花 勝巳(さがのはな かつみ、1917年12月5日 -… 佐賀ノ花 勝巳(さがのはな かつみ、1917年12月5日 - 1975年3月28日)は、佐賀県佐賀市出身で二所ノ関部屋(入門時は粂川部屋)に所属した大相撲力士。本名は北村 勝巳(きたむら かつみ)。師匠の玉錦譲りの鋭い出足から「飛燕の出足」「サッと寄り切る佐賀ノ花」などと呼ばれていた。最高位は東大関。 1917年12月5日、佐賀市八戸町に生まれる。幼少期は西魚町で育った。日新小学校時代の地域の相撲大会での活躍ぶりは、現在も語り草になっているという。 高等小学校卒業後、苦しい家計を助けるため鹿島市の兄のもとで板前修業を始める。1934年、鹿島市へ巡業に来た玉錦三右エ門が佐賀ノ花が務めていた料亭に宿泊。
松浦潟 達也(まつらがた たつや、1915年5月27日 - … 松浦潟 達也(まつらがた たつや、1915年5月27日 - 1945年3月10日頃)は、佐賀県東松浦郡名古屋村馬渡島(現・唐津市鎮西町馬渡島)出身の大相撲力士。本名は牧山 強臣(まきやま つよみ)。 1930年1月場所に錦島部屋から初土俵を踏む。四股名は出身地の松浦潟(唐津湾)に由来する。1938年1月からは「大蛇潟(おろちがた)」の四股名で新入幕を果たすが、負け越して1場所で十両陥落となる。このままでは伸び悩むと判断したことから、四股名を「枩浦潟」に戻し、1940年1月場所で再入幕。このとき、独立した能代潟錦作と共に立田山部屋へ移籍した。 折しも時代は太平洋戦争へと突入し、若手の力士たちも次々に戦場へ召集されていったが、枩浦潟は大相撲に必要不可欠な存在として兵役を免除され、戦時中にあっても現役の力士として活躍を続けた。
平戸灘 常吉(ひらとなだ つねきち、1911年2月24日 -… 平戸灘 常吉(ひらとなだ つねきち、1911年2月24日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。山分部屋所属。本名は松本 政雄。最高位は十両6枚目。 佐賀県東松浦郡鎮西町(現唐津市)出身。山分部屋に入門し、1930年10月「白鷺」の四股名で初土俵を踏む。1937年5月十両に昇進。十両の中位から下位にとどまった。1941年5月に「平戸灘」と改名したが、翌1942年1月全休し、そのまま廃業した。