松石 信八(まついし しんや、2005年12月18日 - )… 松石 信八(まついし しんや、2005年12月18日 - )は、佐賀県佐賀市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学校2年生のときに野球を始め、佐賀市立城南中学校では硬式野球の『佐賀フィールドナイン』に所属した。投手を始めたのは中学時代からであったが、2年冬に投球フォームを改善すると、最速135km/hに急成長。3年時は新型コロナウイルスの影響でほぼ全ての大会が中止となったが、6月の公式戦では最速142km/hを計測した。 藤蔭高校に進学すると、1年夏の大分大会で最速146km/hを計測。チームは明豊との準決勝に0-12で敗れたが、この試合に先発した松石は8回3失点に抑えた。
鴨打 瑛二(かもうち えいじ、2004年2月29日 - )は… 鴨打 瑛二(かもうち えいじ、2004年2月29日 - )は、佐賀県小城市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 小城市立砥川小学校1年の時に砥川少年野球クラブで軟式野球を始め、6年時の2015年にはホークスJr.に選出され、NPB12球団ジュニアトーナメントに出場して準優勝している。小城市立牛津中学校時代は、硬式野球(ボーイズリーグ)の黄城ボーイズに所属。 高校は長崎県の創成館高等学校に進学し、1年夏からベンチ入り。2年夏にはチームが甲子園球場での交流試合に出場したが、自身はベンチ外だった。3年夏の長崎県大会は3回戦で大崎と対戦。先発して8回を1失点に抑え3点差でリードするも、9回に無死一・二塁のピンチを作り降板。
加藤 晴空(かとう そら、2003年4月28日 - )は、佐… 加藤 晴空(かとう そら、2003年4月28日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 鳥栖市立鳥栖小学校2年の時に「今泉町少年野球」で野球を始め、鳥栖市立鳥栖中学校時代は軟式野球部で主将を務めた。 東明館高等学校では1年夏に左翼手の定位置を掴み、秋から本職の捕手に戻った。2年秋の佐賀県大会では背番号1を付け、決勝では2番手でマウンドに上がり、4回1失点でチームを優勝に導いた。3年春の佐賀県大会は捕手として先発出場し、中盤以降は投手としてチームを引っ張る「二刀流」でチームを優勝に導いた。3年夏の佐賀県大会は決勝で佐賀北を下して優勝し、同校春夏通じて初の甲子園大会出場を果たした。
木村 愛(きむら まな、2002年10月19日 - )は、福… 木村 愛(きむら まな、2002年10月19日 - )は、福岡県出身の女子ソフトボール選手(内野手)。SHIONOGIレインボーストークス所属。 兄の影響で7歳からソフトボールを始める。佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校を卒業後、2021年に日本リーグ1部のホンダリヴェルタに入団。 ホンダリヴェルタでは、ルーキーイヤーに9試合に出場して打率.333・本塁打1の成績を残すと、翌2022年からレギュラーに定着した。 2025年、SHIONOGIレインボーストークスに移籍。 ホンダリヴェルタでは主にサードを守っている。 広島カープファンである。子供の頃の夢はバスケットボール選手で、目標としているアスリートはステフィン・カリー。
吉田 聖弥(よしだ せいや、2002年5月23日 - )は、… 吉田 聖弥(よしだ せいや、2002年5月23日 - )は、佐賀県東松浦郡相知町(現:唐津市)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 佐賀県唐津市出身。小学3年生のときに相知レインボーで野球を始め、相知中学校時代に投手に転向。 伊万里農林高校では、当時身長170 cm、体重60 kgの細身ながらエースであった。高校3年生の夏の大会は伊万里実業高校、伊万里商業高校との連合チームで登板したが、初戦でコールド負けを喫した。 高校監督の野崎政人の息子である野崎大地が在籍する西濃運輸硬式野球部の練習に参加し、入団。当時1年目で近江高校のエースの林優樹に惹かれ、一緒に野球がしたいと話した。
坂本 勇人(さかもと はやと、2002年4月15日 - )は… 坂本 勇人(さかもと はやと、2002年4月15日 - )は、佐賀県唐津市浜玉町出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 唐津市立浜崎小学校1年生のときに野球を始める。3年生から「はまゆう少年野球クラブ」に入り、本格的に野球に取り組むようになった。この頃から捕手のポジションを務めた。唐津市立浜玉中学校の軟式野球部では投手と捕手を兼務。中体連唐津地区大会の決勝、肥前中学校との試合で完全試合を達成する。全国中学校軟式野球大会の県大会で優勝を果たしたことで、プロ野球選手を意識するようになる。 県外の高校からのスカウトもあったが、「地元から甲子園に行きたい」という思いのもと、佐賀県立唐津商業高等学校へ進学。
古賀 輝希(こが てるき、2000年8月25日 - )は、佐… 古賀 輝希(こが てるき、2000年8月25日 - )は、佐賀県佐賀市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校3年生の時に野球を始め、佐賀市立思斉中学校では軟式野球部に所属。 佐賀商業高校3年時に夏の甲子園に4番として出場したが、1回戦で先発投手だった山田龍聖を擁する高岡商業高校に敗れた。進学した日本経済大学では2年時に右肩を脱臼し手術を経験するも、4年時に福岡六大学野球連盟でベストナインを受賞した。プロ志望届を提出せず、万全な状態でプレーができないことから社会人の企業チームへは進めず、大学コーチの紹介で長野県のクラブチーム・千曲川硬式野球クラブでプレーすることとなった。
柿木 蓮(かきぎ れん、2000年6月25日 - )は、佐賀… 柿木 蓮(かきぎ れん、2000年6月25日 - )は、佐賀県多久市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 多久市立北部小学校2年生の時に野球を始め、多久市立中央中学校進学後は佐賀東松ボーイズに所属し、全国大会に出場した。中学3年時には球速143km/hを記録し、世界大会の日本代表にも選出された。 中学卒業後、大阪桐蔭高等学校に進学(同期に根尾昂、藤原恭大、横川凱)。2年生の春からベンチ入りした。2年春の選抜では初戦(宇部鴻城戦)で登板し1イニングを投げた。その後は春の大阪府大会などでも登板し、夏の大阪大会では同志社香里戦で8者連続三振を奪うなど活躍。2年夏の全国選手権では、3回戦の仙台育英戦で先発を任されるも、サヨナラ負けを喫した。
大江 海透(おおえ かいと、2000年1月13日 - )は、… 大江 海透(おおえ かいと、2000年1月13日 - )は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町出身の元プロ野球選手(投手)。NPBでは育成選手であった。 小学校5年生のときに『三田川少年野球クラブ』で野球を始め、中学時代は『佐賀ドリームス』に所属。 神埼清明高校に進学し、3年夏の県大会では鳥栖商業との2回戦で敗れた。甲子園出場経験はなし。 久留米工業大学機械システム工学科に入学。九州地区大学野球連盟所属の硬式野球部では監督の平嶋千義に「プロに行く」と伝え、常に目的をもって練習していたが、卒業時に12球団から声はかからなかった。ただ、独立リーグなどの複数球団からは声がかかり、2年でNPBに入ると決めて、九州アジアリーグの福岡北九州フェニックス(当時)に入団した。
塚本 蛍(つかもと ほたる、1999年10月17日 - )は… 塚本 蛍(つかもと ほたる、1999年10月17日 - )は、佐賀県出身の女子ソフトボール選手(外野手)。ホンダリヴェルタ所属。ソフトボール日本代表。 13歳で競技を始め、2015年、神埼市立千代田中学校在学時に中学日本代表として台湾遠征に参加。佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校を卒業後、ホンダリヴェルタに入団。JDリーグ発足初年度となる2022年は4番打者として東地区首位打者、ベストナインに輝いた。翌年、日本代表に選出され2022年アジア競技大会に出場。主に4番・レフトを務め優勝に貢献した。 2023/24年にイタリアで開催されたワールドカップの日本代表メンバーに選出。2024年7月のファイナルズでは全体4位となる打率.462(13打数6安打)の成績を残し、ベストナイン(外野手)に選出された。
中溝 優生(なかみぞ ゆい、1998年10月29日 - )は… 中溝 優生(なかみぞ ゆい、1998年10月29日 - )は、佐賀県出身の女子ソフトボール選手(内野手)。デンソーブライトペガサス所属。ソフトボール日本代表。 もともと野球をしていたが、13歳でソフトボールを始めた。2013年、佐賀市立東与賀中学校在学時に中学日本代表として台湾遠征に参加。佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校を卒業後、2017年に太陽誘電ソルフィーユに入団。初年度に野手部門の新人賞を受賞した。2024年にデンソーブライトペガサスに移籍。 日本代表にはU-23チームで出場した2019年の日仏交流戦「アチールチャレンジ」に出場。同年、女子TOP強化指定選手にも選出されている。2023年にはTOP代表としてワールドカップのメンバーに選出。
山田 遥楓(やまだ はるか、1996年9月30日 - )は、… 山田 遥楓(やまだ はるか、1996年9月30日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 3歳の時、右耳が先天性の難聴であることが判明(詳しくは後述)。 小学校2年生の時に兄の影響で野球を始めた。佐賀市立鍋島中学校に進むと、2年生の時から硬式の「藤本ベースボールクラブ」でプレーした。同チーム出身者のプロ入りは堤裕貴以来2人目。 佐賀県立佐賀工業高等学校では1年生の秋からレギュラー、3年時に主将になった。その年の第96回全国高等学校野球選手権大会・佐賀大会の佐賀県立佐賀北高等学校との決勝戦では安打を放ち同点のホームを踏んだ他、投手としてリリーフ登板もしたが、延長戦の末に敗れている。
髙濱 祐仁(たかはま ゆうと、1996年8月8日 - )は、… 髙濱 祐仁(たかはま ゆうと、1996年8月8日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。 実兄は元プロ野球選手の髙濱卓也。苗字については、報道やスコアボードなどで「高浜」と記されることがある。 小学校2年生のときに野球を始めると金田中学校時代に「飯塚ライジングスターボーイズ」でプレー。対外試合通算で30本塁打を記録し、3年時にはジャイアンツカップでの優勝を経験した。 実兄・卓也に続き、中学校からの卒業後に横浜高校へ進学。卓也と同じく、硬式野球部で渡辺元智の指導を受けた。同級生には、伊藤将司や渡邊佳明、在学中に祐仁とのコンビで「AT砲」と称され、プロ野球でも同僚となる淺間大基などがいる。
髙濱 祐仁(たかはま ゆうと、1996年8月8日 - )は、… 髙濱 祐仁(たかはま ゆうと、1996年8月8日 - )は、佐賀県佐賀市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。苗字は「高浜」と記述される場合がある。
久保 拓眞(くぼ たくま、1996年7月27日 - )は、佐… 久保 拓眞(くぼ たくま、1996年7月27日 - )は、佐賀県伊万里市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。 父親の草野球についていくようになったことがきっかけで、伊万里市立大坪小学校3年生の頃から野球に興味を持ち、伊万里市立伊万里中学校時代は硬式野球の「伊万里ボーイズ」に所属する。 チーム数が多く、競争が激しいところでやりたいとの理由から高校は福岡県北九州市の自由ケ丘高等学校に進学。エースピッチャーとなった2年生の夏には第95回全国高等学校野球選手権大会に出場を果たす。3年生の夏の第96回選手権福岡大会は準決勝で九国大付属高校に敗れ、2年連続の夏の甲子園出場はならなかった。 大学は九州共立大学に進学。
古川 侑利(ふるかわ ゆうり、1995年9月8日 - )は、… 古川 侑利(ふるかわ ゆうり、1995年9月8日 - )は、佐賀県武雄市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 高校野球の経験者である父親の影響で、武雄市立武内小学校の3年時に投手として野球を始め、武雄市立武雄北中学校在学中には、投手や三塁手として佐賀県の中学野球大会へ出場した。 佐賀県立有田工業高等学校への進学後は、1年夏からのベンチ入りを経て、2年秋からエースの座を確保。3年時の5月から6月にかけて開催された第60回NHK杯佐賀県高等学校野球大会では、決勝戦で敗れながらも、通算投球イニング40回2/3で40奪三振を記録した。夏の全国高等学校野球選手権佐賀大会では、決勝までの5試合(投球回数47イニング)通算で47三振を奪い、いずれの試合でも1点差の完投勝利を記録。
濵口 遥大(はまぐち はるひろ、1995年3月16日 - )… 濵口 遥大(はまぐち はるひろ、1995年3月16日 - )は、佐賀県三養基郡基山町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 若基小学校1年生の時に軟式野球を始めると、5年生の時に投手へ転向。 基山中学校では軟式野球部に所属していたが、この時は体が小さかったことから、投手は通用せず断念、ポジションはライトで打順も6、7番だった。このようなことから、高校進学後は野球をやめるつもりでいたという。 しかし、佐賀県立三養基高等学校への進学後は中学時代の先輩に勧められて投手として硬式野球部へ入部。1年秋の大会から控え投手で公式戦に出場すると、3年春の県大会では、エースとしてチームの準々決勝進出に貢献した。
濵口 遥大(はまぐち はるひろ、1995年3月16日 - )… 濵口 遥大(はまぐち はるひろ、1995年3月16日 - )は、佐賀県三養基郡基山町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。
池田 隆英(いけだ たかひで、1994年10月1日 - )は… 池田 隆英(いけだ たかひで、1994年10月1日 - )は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 唐津市立成和小学校4年生のときに成和ライオンズで野球を始め、当初は捕手だったが、6年生のときに投手へ転向した。唐津市立第五中学校では硬式チーム東松ワンダーズに所属し、4季連続で全国大会に出場。2年時には全国準優勝も経験した。 創価高校では1年秋からベンチ入りし、2年秋から背番号1。3年夏は西東京大会直前の練習試合で右膝を痛め、テーピングとギプスで右膝を固めて実践学園との4回戦で同大会初登板となったが、バント処理の際に右膝を痛めて降板。右膝前十字靭帯断裂の大怪我であり、チームはベスト4まで勝ち進んだが、池田自身は前述の1試合のみの登板であった。
内藤 実穂(ないとう みのり、1994年4月26日 - )は… 内藤 実穂(ないとう みのり、1994年4月26日 - )は、大阪府出身の女子ソフトボール選手(内野手)。ビックカメラ高崎ビークイーン所属。ソフトボール日本代表。2021年開催の東京オリンピック金メダリスト。 小学1年からソフトボールを始め、岸和田市立岸城中学校時代は全国中学校ソフトボール大会で2年連続3位。進学した佐賀女子高校では2010年、2011年とインターハイ準優勝を果たした。2013年にルネサスエレクトロニクス高崎(現ビックカメラ高崎)に投手として入団。同年ジュニア代表に選出され第10回世界ジュニア選手権に出場し優勝した。 バントや小技の上手さや勝負強い打撃に定評があり、日本リーグでは2020年、2021年にベストナイン。
北方 悠誠(きたがた ゆうじょう、1994年1月25日 - … 北方 悠誠(きたがた ゆうじょう、1994年1月25日 - )は、佐賀県唐津市出身の元プロ野球選手(投手)。 友人の誘いで、小学2年時から遊撃手として軟式野球を始めた。唐津市立湊中学校時代には、軟式野球部で遊撃手と投手を務めた。 佐賀県立唐津商業高等学校への進学後は、1年時夏からのベンチ入りを経て、2年時の春からエースの座を確保。夏の選手権佐賀大会では初戦で敗れたが、秋の佐賀県大会では、全5試合で完投勝利を挙げてチームを優勝に導いた。3年夏の第93回全国高等学校野球選手権大会では、佐賀大会で通算57イニング(888球)を投げ抜いた末に優勝。準々決勝では、延長15回を完投したばかりか、引き分けで迎えた翌日の再試合も完投した。
田中 豊樹(たなか とよき、1993年12月1日 - )は、… 田中 豊樹(たなか とよき、1993年12月1日 - )は、佐賀県伊万里市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は北海道日本ハムファイターズに所属。
堤 裕貴(つつみ ゆうき、1993年9月21日 - )は、佐… 堤 裕貴(つつみ ゆうき、1993年9月21日 - )は、佐賀県佐賀郡久保田町(現在の佐賀市)出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 龍谷高1年時から遊撃手のレギュラーに定着した。3年生夏の選手権佐賀大会3回戦で佐賀北高に4-5で敗れるなど、在学中には春夏とも阪神甲子園球場での全国大会への出場経験はなかったが、2011年のNPBドラフト会議でオリックス・バファローズから6巡目で指名。契約金2500万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は62。 2012年は、二軍生活に終始した。 2013年は、ウエスタン・リーグ公式戦でチーム最多の100試合に出場。フレッシュオールスターゲームに、同リーグ選抜のメンバーとして初出場を果たした(詳細後述)。
永江 恭平(ながえ きょうへい、1993年5月7日 - )は… 永江 恭平(ながえ きょうへい、1993年5月7日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投左打。 小学校1年生の時に野球を始め、中学生時代は「小郡リトルシニア」でプレーした(その時の監督は広島東洋カープなどに在籍、特に西武ライオンズの1980年代の黄金期に左のワンポイントリリーフとして名を馳せた永射保)。 海星高等学校では1年生の時に遊撃手のレギュラーになった。主将として迎えた3年生時の夏の長崎大会では投手としても3試合に登板した。第93回全国高等学校野球選手権大会では初戦で東洋大姫路高校と対戦。3番・遊撃手として先発出場し、エースの原樹理相手に4打数1安打だった。
豊福 晃司(とよふく こうじ、1991年5月17日 - )は… 豊福 晃司(とよふく こうじ、1991年5月17日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 中学校時代には、鳥栖リトルシニアに所属。3年次には、遊撃手兼投手の1番打者としてジャイアンツカップに出場。 鳥栖高校では、1年次から公式戦に出場。2年秋からは主将を務める。チームとしては2年夏県大会での準優勝が最高成績で甲子園出場経験は無いが、50m5秒8、100m11秒1の俊足と遠投110mの強肩を誇り、同じ鳥栖高等学校出身で同じ平野國隆監督の指導を受けた緒方孝市二世との評価を受けていた。高校通算13本塁打。 2009年のプロ野球ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスの5位指名を受けて入団。
髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、… 髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 実弟は元プロ野球選手の髙濱祐仁。苗字については、報道やスコアボードなどで「高浜」と記されることもある。 福岡県で出生後に佐賀県佐賀市へ転居。佐賀市の北小ジュニアソフトボールクラブでソフトボール、小学校4年時に北川副少年野球団で軟式野球を始める。佐賀市立城南中学校では軟式野球部で主に投手を務め、打撃でも硬式球より飛びにくいとされる軟式球で推定飛距離130 mの本塁打を打つなど活躍した。小学校・中学時代のチームメイトには、のちに2007年夏の第89回全国選手権大会決勝で野村祐輔から逆転満塁本塁打を放った副島浩史(2018年11月から唐津工業高野球部監督)らがいた。
髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、… 髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
副島 浩史(そえじま ひろし、1989年5月31日 - )は… 副島 浩史(そえじま ひろし、1989年5月31日 - )は日本の元アマチュア野球選手(内野手)・高校野球指導者。 北川副小学校4年生のときから野球を始め、城南中学校では軟式野球部に所属し、全国大会3位となる。小中学校時代のチームメイトに髙濱卓也がいる。 佐賀北高校の1年秋にレギュラーを勝ち取り、2007年の3年時に第89回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3番・三塁手を務める。決勝戦では8回裏に対戦相手であった広陵高校の野村祐輔から左翼席へ逆転満塁本塁打を放ち、佐賀北高校の夏の甲子園初優勝に大きく貢献した。 また同年の日米親善高校野球大会の代表選手にも選出された。 高校卒業後は福岡大学に進学し、2012年に同大学のスポーツ科学部スポーツ科学科を卒業した。
島崎 望(しまさき のぞみ、1988年12月18日 - )は… 島崎 望(しまさき のぞみ、1988年12月18日 - )は、佐賀県出身の女子ソフトボール選手(外野手)。元Honda所属。 中学時に全国中学校ソフトボール大会で3位、佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校では2006年にインターハイ優勝。 卒業後の2007年に、高校のチームメイトであった又吉薫と共にホンダに入団。日本リーグでは2010年にベストナイン、2014年からは3年連続で盗塁王に輝いた。 日本代表には2013年に初招集。東アジアカップやUSAワールドカップなどに出場した。 2016年のシーズン終了をもって現役引退した。
宮﨑 敏郎(みやざき としろう、1988年12月12日 - … 宮﨑 敏郎(みやざき としろう、1988年12月12日 - )は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 小さいころから父とキャッチボールをし、長松小6年生のときから本格的に野球を始める。硬式でのプレーを望み、小学6年生のときからボーイズリーグに所属する唐津スカイヤーズに入団し、唐津第一中時代も同チームでプレーした。 佐賀県立厳木高等学校在学中には、1年生の春から投手でベンチ登録。2年生の夏から「4番・投手」を務めるとともに、公式戦で通算24本塁打を記録したが、春夏秋を通じて全国大会と縁が無かった。 日本文理大学への進学後には、1年生の秋から三塁手のレギュラーに定着。
宮﨑 敏郎(みやざき としろう、1988年12月12日 - … 宮﨑 敏郎(みやざき としろう、1988年12月12日 - )は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は横浜DeNAベイスターズに所属。
又吉 薫(またよし かおる、1988年8月28日 - )は、… 又吉 薫(またよし かおる、1988年8月28日 - )は、佐賀県伊万里市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。元ホンダリヴェルタ所属。ソフトボール日本代表。 佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校で2006年にインターハイ優勝。 高校卒業後、2007年に日本リーグ1部のホンダに入団。2013年-2015年にはキャプテンを務めた。2015年にはチームとして初の決勝トーナメント進出を果たした。 2015年-2016年には日本代表にも選出。2016年の世界選手権で準優勝を経験した他、ジャパンカップ(2015年・2016年)、USAワールドカップ(2016年)、日米対抗ソフトボール(2016年)などに出場した。
宮﨑 祐樹(みやざき ゆうき、1986年11月29日 - )… 宮﨑 祐樹(みやざき ゆうき、1986年11月29日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称は「タイソン」。
宮﨑 祐樹(みやざき ゆうき、1986年11月29日 - )… 宮﨑 祐樹(みやざき ゆうき、1986年11月29日 - )は、佐賀県唐津市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。愛称は「タイソン」、「ゴリ」。 長崎日大高時代は捕手を務め、2年時の夏に1番捕手として第85回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たす。2安打1打点と活躍は見せたが1回戦で敗退。3年時の夏は長崎大会ベスト4で敗退。 亜細亜大学へ進学するも、度重なる故障に苦しみ1部リーグ通算11試合出場で僅か5打数1安打に終わる。同期の岩本貴裕や1年下の中田亮二らが早くから出場するなど層が厚かった。 大学卒業後は、セガサミーに入社。捕手としての入部だったが、同期に捕手が2名入部したこともあって外野手に転向すると、打力を買われて春から指名打者としてスタメン起用されるようになり、3番・センターとして定位置を確保した。
川頭 秀人(かわず ひでと、1985年3月26日 - )は、… 川頭 秀人(かわず ひでと、1985年3月26日 - )は、佐賀県出身の元プロ野球選手(投手)。 三日月町立三日月小学校4年時から地元の軟式野球クラブで野球を始める。三日月町立三日月中学校では軟式野球部に所属、投手を務めた。 佐賀県立小城高等学校進学後は投手兼外野手としてチームを引っ張るが、最高成績は3年時の全国高等学校野球選手権佐賀大会2回戦止まりと大舞台には全く縁が無かった。 福岡大学進学後に再び投手専任になる。ここで頭角を現し4年間の通算成績は18試合4勝1敗、防御率1.93と安定した成績を残す。また、69.2回を投げて62奪三振と脅威の奪三振率を誇った。1年後輩のエース白仁田寛和が注目を浴びる中で常に縁の下の力持ちとしてチームを支えた。
長野 久義(ちょうの ひさよし、1984年12月6日 - )… 長野 久義(ちょうの ひさよし、1984年12月6日 - )は、佐賀県三養基郡基山町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 妻はテレビ朝日アナウンサーの下平さやか。 基山町立基山小学校1年生の時に地元の少年軟式野球チーム「基山バッファローズ」に入部。6年生時に主将を務める。基山町立基山中学校時代は九州硬式少年野球協会フレッシュリーグ所属の「筑紫野ドリームズ」に在籍。筑陽学園高校へ一般入試で入学し、2002年の春季九州大会では準決勝に進むが本多雄一のいた鹿児島実業高校に敗退。同年夏の甲子園県予選も準々決勝で柳川高に敗れ、甲子園には出場できなかった。 プロの誘いはあったが、日本大学生産工学部マネジメント工学科へ進学、硬式野球部(東都大学野球連盟加盟)へ所属。
大原 淳也(おおはら じゅんや、1984年6月26日 - )… 大原 淳也(おおはら じゅんや、1984年6月26日 - )は、佐賀県東松浦郡玄海町出身の元プロ野球選手(内野手)。
野中 信吾(のなか しんご、1983年9月24日 - )は、… 野中 信吾(のなか しんご、1983年9月24日 - )は、佐賀県神埼市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投両打。 佐賀県神埼市出身。2001年に第73回選抜(2回戦敗退)・第83回全国選手権(3回戦敗退)と春夏連続出場。遊撃での高い守備力とセンスと脚力、高校通算19本の本塁打を放った思い切りのいい打撃を評価されプロのスカウトの注目を浴びることになる。2001年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから5巡目指名を受けて入団。このとき横浜も野中を指名予定であったが、直前で攫われたことから、当時の監督の森祇晶に「ドラフト失敗」とまで言わしめた。 2002年にルーキーながらも終盤に一軍へ昇格し、9月23日の対ロッテ戦で、代走としてプロ初出場を果たす。
佐藤 吉宏(さとう よしひろ、1983年6月20日 - )は… 佐藤 吉宏(さとう よしひろ、1983年6月20日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 小学3年の時に野球を始める。鳥栖高3年春の選抜に出場。夏は県大会決勝で2本塁打を放つが、同期でプロ入りする野中信吾のいた神埼高に敗れる。高校通算40本塁打。打撃力を評価され、2001年にドラフト4巡指名で日本ハムファイターズに入団。2年目の2003年から二軍でレギュラーを掴んだが、一軍に昇格する事は出来ず長い二軍生活を送っていた。 2007年は北京プレオリンピック野球日本代表に選出され、主に二番打者として打率.500の成績を残した。 2008年4月15日、プロ入り7年目にして初めて一軍選手登録され、4月19日の福岡ソフトバンクホークス戦に初先発出場し、第一打席でプロ入り初安打となる本塁打を打った。
鬼﨑 裕司(おにざき ゆうじ、1983年4月7日 - )は、… 鬼﨑 裕司(おにざき ゆうじ、1983年4月7日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ、野球解説者。 3歳年上の実兄は社会人野球のかずさマジックに1期生として在籍した鬼崎智史。 小学1年生のとき、兄の影響を受けて野球を始める。 1999年、佐賀県立佐賀工業高等学校へ進学し、遊撃手に転向。高校時代は甲子園出場はなかった。 2002年、関東学院大学へ進学すると、春からベンチ入り。秋からレギュラーをつかんだ。 2003年、全日本大学野球選手権大会に出場するなど大舞台の経験を積んだ。 2005年、春季リーグでMVPを獲得し、巧守のドラフト候補として名前が挙がった。しかしこの時点では指名されなかった。
鬼﨑 裕司(おにざき ゆうじ、1983年4月7日 - )は、… 鬼﨑 裕司(おにざき ゆうじ、1983年4月7日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
迎 祐一郎(むかえ ゆういちろう、1981年12月22日 -… 迎 祐一郎(むかえ ゆういちろう、1981年12月22日 - )は、佐賀県西松浦郡有田町出身の元プロ野球選手(外野手)。
吉川 輝昭(よしかわ てるあき、1981年11月13日 - … 吉川 輝昭(よしかわ てるあき、1981年11月13日 - )は、佐賀県唐津市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 厳木高では1年の夏からベンチ入りし、2年生の秋からはエースとして44年ぶりの九州大会出場に貢献。3年夏の佐賀県大会ではベスト4進出。 日本文理大では2003年の第52回全日本大学野球選手権大会では日本文理大初の優勝に貢献し、最優秀投手賞を獲得。第32回日米大学野球選手権大会の日本代表にも選出。脇谷亮太と同期だった。 2003年のドラフト会議を前に、同年10月30日には自由獲得枠で横浜ベイスターズに入団することが決まり、同年11月19日のドラフト会議で契約締結内定を確認、同年12月1日に契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1500万円の契約条件で横浜と契約した。
末永 真史(すえなが まさふみ、1981年6月8日 - )は… 末永 真史(すえなが まさふみ、1981年6月8日 - )は、元プロ野球選手(外野手)。現在は広島東洋カープ九州地区担当スカウト。 小学4年の時に野球を始める。 佐賀県立佐賀東高等学校では第81回全国高等学校野球選手権大会に出場するも初戦敗退。高校通算で18本塁打を放った。1999年のドラフト会議において、広島東洋カープから4位で指名され、入団。 2003年9月27日の対読売ジャイアンツ戦(広島市民球場)で、上原浩治からプロ初安打を本塁打で飾った。しかし一軍に定着することが出来ず、2007年は一軍出場すら無い年となった。ウエスタン・リーグでも三振が増加し、思うような成績を残せなかった。 2008年はウエスタン・リーグで22盗塁を記録し、盗塁王を獲得するなど存在感を示した。
實松 一成(さねまつ かずなり、1981年1月18日 - )… 實松 一成(さねまつ かずなり、1981年1月18日 - )は、佐賀県佐賀市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は読売ジャイアンツに所属。
鬼崎 智史(おにざき ともちか、1980年11月9日 - )… 鬼崎 智史(おにざき ともちか、1980年11月9日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元社会人野球の選手(外野手)。かずさマジックに所属していた。実弟は鬼崎裕司。
梶原 和隆(かじはら かずたか、1979年7月29日 - )… 梶原 和隆(かじはら かずたか、1979年7月29日 - )は、佐賀県伊万里市出身の元プロ野球選手(投手)。
河野 昌人(かわの まさと、1978年5月7日 - 2017… 河野 昌人(かわの まさと、1978年5月7日 - 2017年6月16日)は、プロ野球選手(投手)。佐賀県佐賀市出身。 小学3年次に野球を始め6年次には全国大会に出場。 龍谷高校では2年時に夏の第77回全国選手権大会に出場。当時は外野手兼控え投手で、初戦の越谷西高校戦にリリーフで2/3イニングの登板のみで、試合は1対7で敗れた。3年生の時の夏は佐賀大会で初戦敗退。 1996年度ドラフト会議にて広島東洋カープから3位指名を受けて入団。 2000年にはシドニーオリンピック野球日本代表に選出され、予選リーグで3試合に登板し4イニングを無失点に抑えた。この年はシーズン9セーブを挙げストッパーとして活躍も、翌年以降は右肘の故障・手術の影響もあり成績不振に陥る。
高須 洋介(たかす ようすけ、1976年2月9日 - )は、… 高須 洋介(たかす ようすけ、1976年2月9日 - )は、佐賀県伊万里市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ。2015年より横浜DeNAベイスターズの二軍打撃コーチを務めている。
福地 寿樹(ふくち かずき、本名:福地 和広(ふくち かずひ… 福地 寿樹(ふくち かずき、本名:福地 和広(ふくち かずひろ)、1975年12月17日 - )は、佐賀県武雄市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。