田中 俊廣(たなか としひろ、1949年(昭和24年)9月 … 田中 俊廣(たなか としひろ、1949年(昭和24年)9月 - )は、日本の詩人。活水女子大学文学部現代日本科教授。早稲田大学教育学部卒業。長崎県長崎市在住。長崎県五島市生まれ。 長崎新聞の「新春文芸」短篇小説部門選者や五島列島小中・高校生短歌・俳句コンクールの俳句選者などを務める。毎日新聞西部本社の文芸時評を担当。長崎原爆平和祈念「詩の夕べ」に参加。長崎県立長崎図書館「郷土文学資料収集に関する会議」の助言者でもある。詩集『時の波打際』にて2008年、第8回日本キリスト教文学会賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山田 かん (やまだ かん、1930年(昭和5年)10月27… 山田 かん (やまだ かん、1930年(昭和5年)10月27日 - 2003年(平成15年)6月8日)は、日本の詩人。長崎市出身。本名は山田 寛 (ひろし)。 1930年10月27日、キリスト教プロテスタント信者山田好雄を父として、八人兄弟の長男として長崎市に生まれる。1945年8月9日、旧制長崎中学校3年のとき、長崎市下西山町で被爆。1948年7月、父が川に転落死し、貧窮のため長崎高等学校 (旧制)3年のとき自主退学、長崎県立長崎図書館の出納手となる。この頃、一年ほど日本共産党党員として活動するとともに詩作をはじめる。長崎県立長崎図書館に勤務。西彼杵郡長与町に住む。 1952年6月21日に創刊した雑誌「芽だち」に参加、作品を発表していく(1959年、38号で終刊)。
有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日… 有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日 - 2012年3月11日)は、日本の詩人、翻訳家、仏文学者。専門はフランス詩。西南学院大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 長崎県佐世保市出身。海軍主計将校だった父の転勤に従って鎌倉、台湾、再び佐世保と転々とした。長崎県立佐世保中学校、第五高等学校を経て、1953年九州大学文学部仏文科卒業。1958年九州大学大学院第二期修了、九州大学文学部助手。1963年北九州大学講師、1964年同助教授、1968年同教授。1975年西南学院大学教授。1999年同大学を退職。 シャルル・ボードレールらの詩が専門だが、ヴィクトル・セガレンの全訳やサン=ジョン・ペルスの翻訳でも知られる。
伊東 静雄(いとう しずお、1906年(明治39年)12月1… 伊東 静雄(いとう しずお、1906年(明治39年)12月10日 - 1953年(昭和28年)3月12日)は、日本の詩人。京大の友人と同人雑誌『呂』を創刊し、毎号、詩を発表した。保田與重郎を通して萩原朔太郎の知るところとなり、その詩を激賞された。作品に『わがひとに与ふる哀歌』(1935年)、『夏花』(1940年)など。 長崎県北高来郡諫早町(現 長崎県諫早市)出身。魚屋の丁稚の子として生まれる。父の惣吉は、魚屋の後に家畜仲買業で成功し、木綿商に転業した。四男の静雄は、兄たちの早世により嗣子として裕福に育った。 長崎県立大村中学(現:長崎県立大村高等学校)から旧制佐賀高等学校(現:佐賀大学)を経て、京都帝国大学文学部国文科に学んだ。
藤浦 洸(ふじうら こう、1898年9月1日 - 1979年… 藤浦 洸(ふじうら こう、1898年9月1日 - 1979年3月13日)は、昭和時代の作詞家、詩人。長崎県北松浦郡平戸町(現在の平戸市)出身。 長崎県北松浦郡平戸町(現在の平戸市)に生れる。長崎県立中学猶興館(現長崎県立猶興館高等学校)、私立岡山県興譲館中学卒業(現岡山県興譲館高等学校)。同志社大学神学部に入学してほどなく中退、3年の放浪を経て慶應義塾大学文学部に入る。在学中は児童小説を書いたり、尾崎士郎らと共に雑誌「令女界」や「若草」に少女小説、音楽物語などを執筆していた。その他、ピアノ演奏のアルバイトをするなどしていたという。 大学卒業後は、音楽評論家伊庭孝に師事し、浅草オペラの俳優等を経て、1930年から、コロムビアレコード文芸部のエドワードの私設秘書となり、ジャズソングの訳詞などを手掛けていた。
カール・サダキチ・ハートマン(英語: Carl Sadaki… カール・サダキチ・ハートマン(英語: Carl Sadakichi Hartmann, 旧暦慶応3年10月13日〈新暦1867年11月8日〉 - 1944年11月22日)は、日本出身のアメリカ合衆国の美術家、批評家、詩人。定吉ハートマン、サダキチ・ハルトマンなどの表記もある。写真評論では、シドニー・アラン(Sydney Allan)名を使用することもあった。 ドイツ人の貿易・武器商人カール・ヘルマン・オスカー・ハルトマンと日本人女性さだの次男として、長崎の出島に出生。幼くして母を亡くしたため父がドイツに連れて行き、兄と共にドイツの親戚に引き取られ、ハンブルクで教育を受けた。裕福な一族だったため、私立校へ通うなど当地の最高の教育を受けたが、ドイツに帰国した父親の再婚に伴って転校し、キール海軍兵学校に通う予定だったが、フランスのパリへ家出。