柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 -… 柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家・YouTuber。 実家はイグサ農家で、母親は代用教員をしていたという家庭だった。4人きょうだいの第3子(姉、兄、妹がいる)。高校から本格的に野球を始め、八代東高校では3年次の1970年、春の選抜にエースとして出場。1回戦で日大三高の渡部良克(日大)と投げ合うも0-2で完封負けを喫した。同年の夏の甲子園県予選では、準々決勝で熊本一工に延長15回の末、敗退した。 同年のドラフトで南海ホークスから8位指名を受け、外野手として入団。当時は中央球界ではまだ無名の存在で、地元のファンがたまたま訪れていた南海のスカウトに紹介したことがそのままプロ入りに繋がったという。
江藤 省三(えとう しょうぞう、1942年4月29日 - )… 江藤 省三(えとう しょうぞう、1942年4月29日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。 元プロ野球選手・監督の江藤慎一は実兄。 慶應義塾大学では、2009年から2013年まで監督、2014年6月まで助監督を務めた。 父・哲美は戦前、 八幡製鐵で投手として活躍し、その後も省三が進学した西部中学校で監督を務めるなど、野球一色の人生であった。無類の野球好きで、現役引退後も野球三昧の日々であった父を見て、省三は子供心にその印象が強かったのか、大きくなったら野球をすると自然に思っていた。男ばかりの4人兄弟で長兄の愼一が既に野球をやっていて、体も大きく、とても上手かったことも大きく影響したが、幼少期に父から直接、球の投げ方ひとつさえ、野球の指導を受けたことは一度もなかった。
前田 益穂(まえだ ますほ、1939年5月24日 - )は、… 前田 益穂(まえだ ますほ、1939年5月24日 - )は、熊本県飽託郡託麻村(現:熊本市東区)出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
江藤 愼一(えとう しんいち、1937年10月6日 - 20… 江藤 愼一(えとう しんいち、1937年10月6日 - 2008年2月28日)は、熊本県山鹿市出身(福岡県北九州市生まれ)の元プロ野球選手(捕手、内野手、外野手)・監督、解説者。「愼」の字を新字体にした江藤 慎一の表記で広く知られる。
江藤 慎一(えとう しんいち、1937年10月6日 - 20… 江藤 慎一(えとう しんいち、1937年10月6日 - 2008年2月28日)は、熊本県山鹿市出身(福岡県北九州市生まれ)のプロ野球選手(捕手、内野手、外野手)・監督、解説者。 前妻は元宝塚歌劇団44期生の瀬戸みちる。次女のはやせ翔馬は74期生。プロ野球選手、コーチ、慶大の監督を務めた江藤省三は実弟。 北九州で生まれたが、太平洋戦争による集団疎開で各地を転々とし、幼少時より新聞配達やアイスキャンディー売りなどで家計を助けていた。八幡製鐵で外野手を務めていた父から野球を教わり、捕手となる。小学4年次の1947年に母の郷里である山鹿へ引っ越す。中学進学後の1950年から本格的に野球を始め、4番・捕手として県大会に出場するなど活躍した。
岡本 健一郎(おかもと けんいちろう、1933年2月16日 … 岡本 健一郎(おかもと けんいちろう、1933年2月16日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手)・解説者。 済々黌高では1950年、エース岡本和弘(明大-日立製作所)を擁し、夏の甲子園に一塁手として出場。準決勝に進むが大久保英男のいた鳴門高に敗退。高校同期に大学、プロ野球でもチームメートとなる遊撃手の片山嘉視がいた。卒業後は専修大に進学。東都大学野球リーグでは在学中に4回優勝。1954年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進出するが、秋山登らのいた明大に敗れる。1953年秋季リーグから2季連続でリーグ打撃成績2位を記録し、東都のスラッガーとして注目された。片山以外の大学同期に渡辺清がいる。
後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 201… 後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 2016年5月30日)は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。