小野 正嗣(おの まさつぐ、1970年11月27日 - )は… 小野 正嗣(おの まさつぐ、1970年11月27日 - )は、日本の小説家・比較文学者・フランス文学者。早稲田大学文化構想学部教授。 大分県蒲江町(現佐伯市)出身。大分県立佐伯鶴城高等学校から一浪した後、東京大学文科I類に入学するも法学部には進まず、教養学部比較日本文化論専攻に進学、卒業。同大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得退学。マリーズ・コンデを論じた博士論文でパリ第8大学よりPh.Dの学位を取得。 1996年、新潮学生小説コンクールでデビュー。2001年、「水に埋もれる墓」で第12回朝日新人文学賞受賞。2002年、『にぎやかな湾に背負われた船』で第15回三島由紀夫賞受賞。2003年、「水死人の帰還」で第128回芥川龍之介賞候補。
平井 正則(ひらい まさのり、1943年9月24日 - )は… 平井 正則(ひらい まさのり、1943年9月24日 - )は、日本の天文学者。専門は、恒星分光学。 大分県別府市出身。1966年九州大学理学部物理学科を卒業後、東京大学大学院理学系研究科天文学専攻に進み、藤田良雄のもとで恒星天文学を学ぶ。赤色巨星の大気に多原子分子を観測的に発見したことにより、1973年理学博士号を取得した。1974年、福岡教育大学講師に着任した。翌年の1975年に同大学の助教授、1988年には教授、2007年に定年退職し、現在は福岡教育大学名誉教授。 1998年、第3回東洋天文学史国際会議(ICOA-3、FUKUOKA)を主宰。2003年、世界小惑星センターより、小惑星(9333)を「hiraimasa」と命名される。
原 好男(はら よしお、1940年3月14日 - )は、フラ… 原 好男(はら よしお、1940年3月14日 - )は、フランス文学者、立教大学名誉教授。18世紀フランス文学・思想が専門。 東京都生まれ。1958年に大分県立日田高等学校を卒業後、電気通信大学に入学するも退学し、1960年に東京大学文科2類に入学し、1964年に東京大学を卒業。1971年同大学院人文科学研究科仏文科博士課程単位取得退学、立教大学助教授、教授、2006年定年退職。
直野 敦(なおの あつし、1929年3月18日 - )は、日… 直野 敦(なおの あつし、1929年3月18日 - )は、日本の翻訳家・東欧・ロシア文学者。東京大学教養学部名誉教授。 大分県大分市生まれ。1954年東京大学文学部仏文科卒、1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。金子幸彦ゼミ出身。1958年からルーマニア・ブカレスト大学に学び、1963年同文学部卒業。1965年同大学院修士課程修了、帰国。翻訳を幾つか出し、1969年東京大学教養学部専任講師、1971年11月助教授、1976年12月教授、1989年定年退官し名誉教授、文化女子大学教授、1990年文学部長。2004年退職。 主としてルーマニア語、ルーマニア文学の教育、翻訳を行なった。かつては社会主義思想を信奉していたが、後年は、宗教学者ミルチャ・エリアーデが、初期に書いた小説作品の翻訳で知られる。
大内 初夫(おおうち はつお、1928年(昭和3年)8月16… 大内 初夫(おおうち はつお、1928年(昭和3年)8月16日 - 2003年(平成15年)9月13日)は、日本の国文学者。鹿児島大学名誉教授。専門は俳文学。 大分県日田市生まれ。九州大学国文科卒業。同大学院、佐賀龍谷短期大学(現・九州龍谷短期大学)助教授を経て、1958年、鹿児島大学教養部助教授、のちに教授。1982年、「近世九州俳壇史の研究」で、九州大学より文学博士の学位を取得。1994年、定年退官、名誉教授、ノートルダム清心女子大学教授。1999年、退職。 2003年9月13日、脳出血のため死去。75歳没。没後正四位勲三等旭日中綬章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
江河 徹(えがわ とおる、1926年 - )は、英文学者、立… 江河 徹(えがわ とおる、1926年 - )は、英文学者、立教大学・フェリス女学院大学名誉教授。 大分県日田市生まれ。1962年東京都立大学 (1949-2011)大学院英文学専攻博士課程修了。立教大学助教授、教授、1992年フェリス女学院大学教授。2002年定年、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
野上 豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 -… 野上 豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 - 1950年2月23日)は、日本の英文学者、能楽研究者。「臼川」(きゅうせん)と号した。法政大学総長を務め、能研究の発展にも多大な寄与をした。レジョンドヌール・オフィシェ勲章受章者。 1883年、大分県臼杵市生まれ。臼杵中学、第一高等学校を経て1908年に東京帝国大学文科大学英文科を卒業。同級生に安倍能成・藤村操・岩波茂雄がいて、共に夏目漱石に師事した。 東京帝大卒業後、国民新聞社の文芸記者となる。1909年に法政大学講師となり、1920年に同大学教授となる。予科長・学監・理事を歴任し、森田草平・内田百閒・井本健作など漱石門下の文学者を教授陣に招聘するが、1933年に学内紛争(法政騒動)で辞職(1941年復職)。
久留島 武彦(くるしま たけひこ、1874年6月19日 - … 久留島 武彦(くるしま たけひこ、1874年6月19日 - 1960年6月27日)は、日本の児童文学者。 大分県玖珠郡森町(現・玖珠町)出身。童謡『夕やけ小やけ』の作詞者でもあり、中野忠八や忠八の弟で久留島の娘婿の久留島秀三郎らとともに日本のボーイスカウト運動の基礎作りにも参画した。運動の一環として訪れたアンデルセンの生地などでアンデルセンの復権を訴え、心を動かされたデンマークの人々から「日本のアンデルセン」と呼ばれた。出身地の玖珠町では、「くるしま童話名作選」をモチーフとしたクッキーが販売されている。 村上水軍の末裔である来島通総の子孫で、森藩9代の藩主・久留島通容の孫でもある。父・久留島通寛(みちひろ)(森藩10代藩主・久留島通明の弟)、母・恵喜の長男として森町に生まれた。
吉丸 一昌(よしまる かずまさ、1873年(明治6年)9月1… 吉丸 一昌(よしまる かずまさ、1873年(明治6年)9月15日 - 1916年(大正5年)3月7日)は、日本の作詞家、文学者、教育者。代表作は「早春賦」など。東京府立第三中学校教諭、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。大分県北海部郡海添村(現・臼杵市海添)出身。 日本基督教団の牧師で讃美歌第二編の委員長の藤田昌直の実父。 大分県の旧臼杵藩下級武士・吉丸角内の長男として生まれる。小学校尋常科から小学校高等科卒業までの成績は非常に優秀で、県から度々表彰を受けるほどだった。1889年、大分県立大分中学校(のち大分県立大分上野丘高等学校)を経て1894年、熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身)に進学する。