大迫 希(おおさこ のぞみ、1990年11月27日 - )は… 大迫 希(おおさこ のぞみ、1990年11月27日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。登録ポジションはミッドフィールダー(MF)。 川内市(現薩摩川内市)出身。鹿児島市立桜島中学校を経て高校は鹿児島城西高校に進学した。高校3年生の時に、同級生の大迫勇也と「ダブル大迫」で注目されたが、勇也との血縁関係は無い。 高校3年生時の第87回全国高等学校サッカー選手権大会では右サイドの攻撃的MFとして全試合に先発出場した。準々決勝の滝川第二高校との試合中に左膝の靭帯を負傷。前橋育英高校との準決勝ではフル出場したものの、広島皆実高校との決勝戦では前半のみの出場となった。 高校サッカー選手権では通算2得点2アシストを記録。
中原 秀人(なかはら しゅうと、1990年10月29日 - … 中原 秀人(なかはら しゅうと、1990年10月29日 - )は、鹿児島県阿久根市出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 同じくプロサッカー選手の中原優生は実弟。 福岡教育大学在学中、2011年と2012年の2年連続でギラヴァンツ北九州に特別指定選手として登録される。2012年、5月3日のFC町田ゼルビア戦でリーグ戦デビューを果たすと、同月12日の愛媛FC戦で初ゴールを記録。同年は5試合に出場した。 大学卒業後の2013年、アビスパ福岡に加入。福岡では加入1年目から開幕節の東京V戦のスタメンに抜擢されると、その後も主にボランチとしてレギュラーに定着した。しかし井原正巳が監督就任した2015年と翌2016年に出場機会を大きく減らした。
黄 順旻(ファン・スンミン、韓国語: 황순민、英語: Hwa… 黄 順旻(ファン・スンミン、韓国語: 황순민、英語: Hwang Soon Min、1990年9月14日 - ) は、韓国出身の元プロサッカー選手。元U-23韓国代表。現役時代のポジションはMF。 2011年8月4日、Jリーグの湘南ベルマーレに加入。 2011年11月30日、Kリーグドラフト2位指名により大邱FCへの移籍が発表された。 2025年3月10日、自身のInstagramアカウントで現役引退を表明。
大迫 勇也(おおさこ ゆうや、1990年5月18日 - )は… 大迫 勇也(おおさこ ゆうや、1990年5月18日 - )は、鹿児島県加世田市(現:南さつま市)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。ポジションはフォワード(FW)。元日本代表。 2014年、2018年W杯メンバー。全国高等学校サッカー選手権大会における大会最多得点記録(第87回・10得点)保持者。2023年のJ1最優秀選手賞受賞者、得点王(22得点)。 3歳から加世田市の万世サッカースポーツ少年団でサッカーを始め、主にトップ下でプレーしていた。中学進学前にプロを目指すことを決意。鹿児島城西高等学校の提携校である鹿児島育英館中学校へ進学した。 鹿児島城西高校では1年からレギュラーで活躍し、高校入学と同時にU-16日本代表にも選出された。
堂園 彩乃(どうぞの あやの、1990年3月27日 - )は… 堂園 彩乃(どうぞの あやの、1990年3月27日 - )は、鹿児島県日置郡市来町(現いちき串木野市)出身の女子サッカー選手。ポジションはディフェンダー。スペインのUDタクエンセ(スペイン語版)に所属。 2008年、神村学園高等部から浦和レッドダイヤモンズ・レディースに加入。2010年にはU-20日本女子代表としてFIFA U-20女子ワールドカップに出場している。頭脳的なプレーでチームを支え、2度のリーグ優勝を経験。しかし、世代交代や希望と異なるポジションでのプレーに悩むようになり、2014年シーズン限りで現役を引退。 2015年6月、オルカ鴨川FCで現役復帰。ボランチとしてチームの中核となったが、秋頃にはサッカーをやっていることがきつくなり、チャレンジリーグ昇格を果たしたら辞めることを決める。
八反田 康平(はったんだ こうへい、1990年1月8日 - … 八反田 康平(はったんだ こうへい、1990年1月8日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー選手。日本フットボールリーグ・ジェイリースFC所属。ポジションはミッドフィールダー。 鹿児島中央高校時代にはU-17日本代表としてU-17ワールドカップに出場。筑波大学4年時にはユニバーシアード代表に選出されて優勝を経験。2011年12月、清水エスパルスへの来季加入の内定が発表された。大卒の同期入団に河井陽介がいる。 2014年、出場機会を求めベガルタ仙台へ期限付き移籍する。しかし、リーグ戦での出場は3試合にとどまる。 2015年、清水に復帰。リーグ開幕戦からスタメン入りする。後半戦こそ出場機会を減らすが、キャリアハイとなるリーグ戦15試合に出場した。
五領 淳樹(ごりょう じゅんき、1989年12月13日 - … 五領 淳樹(ごりょう じゅんき、1989年12月13日 - )は、鹿児島県国分市(現:霧島市)出身のプロサッカー選手。ポジションはMF 。 ドリブル突破とシュートを武器にしており、全国高等学校サッカー選手権大会において神村学園のベスト4入りに貢献した。2008年に宮崎産業経営大学へ進学。同期に島屋八徳がいる。 2011年10月18日、ロアッソ熊本への2012年シーズン加入が発表される。2012年シーズンJ2第3節・アウェイの京都戦にて途中出場ながらJリーグデビューを果たし、第6節の岐阜戦にてJリーグ初ゴールをあげるなど、チームの主力として活躍した。 翌2013年シーズンからは出場機会が減少し、2014年シーズンには層が薄かった左サイドバックにコンバートされたが、同ポジションでの出場機会はなく2列目での起用が主であった。
永畑 祐樹(ながはた ゆうき、1989年5月2日 - )は、… 永畑 祐樹(ながはた ゆうき、1989年5月2日 - )は、鹿児島県出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 神村学園高等部在学中に出場した第85回全国高等学校サッカー選手権大会で大会優秀選手に選出された。2008年に清水エスパルスに入団したが、所属した3年間のうち公式戦に出場することはなく、2011年からはギラヴァンツ北九州に完全移籍し、プレーすることになった。 2014年から地元鹿児島に本拠地を置く鹿児島ユナイテッドFCに加入。 2019年12月9日、クラブより現役引退およびクラブスタッフ(フットボール本部スカウト担当)に就任することが発表された。
谷口 堅三(たにぐち けんぞう、1988年12月22日 - … 谷口 堅三(たにぐち けんぞう、1988年12月22日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロサッカー選手。ポジションは、フォワード(FW)。 2人の兄の影響で4歳からサッカーを始め、中学からはアミーゴス鹿児島の中心選手として活躍。J1チームからのオファーもあったが、当時J2のサガン鳥栖に入団。 2007年は、4試合無得点という結果だった。 2008年、開幕戦に出場すると、続く第3節にプロ初ゴールを決めたものの、レギュラーの座を確保するには至らず。2010年7月より、当時鹿児島県社会人サッカーリーグのFC KAGOSHIMAへ移籍することとなった。 チームの九州リーグ昇格後、3シーズンで53試合75得点と驚異的な得点力をみせ、3年連続リーグ得点王を獲得、チームのJFL昇格に大きく貢献した。
屋宮 大地(おくみや だいち、1988年11月27日 - )… 屋宮 大地(おくみや だいち、1988年11月27日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手・サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 スピード、体力ともに兼ね備えたサイドアタッカー。 2014年よりFC琉球に完全移籍。一度退団したが、2018年より琉球に再入団した。チームがJ3優勝を果たした同年12月8日、現役の引退と、琉球アカデミースタッフへの就任が発表された。
磯金 みどり(いそかね みどり、1988年10月29日 - … 磯金 みどり(いそかね みどり、1988年10月29日 - )は、福岡県出身の元女子サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 門司中央小学校、門司中学校、鳳凰高校の各サッカー部でのプレーを経て吉備国際大学に進学。2009年には、ベオグラード大会に出場するユニバーシアード日本代表に選出された。 2011年、大学を卒業し福岡J・アンクラスに加入した。 2013年、INAC神戸レオネッサに完全移籍。チームの2013年シーズン3冠達成に貢献し、自身も日本代表に初選出された。 2015年1月14日、神戸を退団しジェフユナイテッド市原・千葉レディースに加入することが発表された。 2017年5月7日のアルビレックス新潟レディース戦でなでしこリーグ通算100試合出場を達成。
山田 裕也(やまだ ゆうや、1988年4月12日 - )は、… 山田 裕也(やまだ ゆうや、1988年4月12日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手。ポジションは、フォワード(FW)。 アルテ高崎や群馬教員サッカークラブなどでプレーした同表記の選手とは別人。 2007年にれいめい高校卒業後、ヴォルカ鹿児島に入団。当時、ヴォルカ鹿児島のエースだった西眞一と2トップを組むなど、入団一年目から活躍する。2013年には、九州リーグ最優秀選手に選ばれる。所属が鹿児島ユナイテッドFCとなってもコンスタントに活躍を続け、2015年にはチームトップの11得点を挙げる。 2018年1月、現役引退と鹿児島ユナイテッドFCのスクールコーチ就任が発表された。
村尾 龍矢(むらお たつや、1988年3月26日 - )は、… 村尾 龍矢(むらお たつや、1988年3月26日 - )は、鹿児島県姶良市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 利き足は左足であるが、利き手は右である。 2020年1月、現役引退とテゲバジャーロ宮崎のアカデミースタッフ就任が発表された。
赤尾 公(あかお あきら、1988年2月15日 - )は、鹿… 赤尾 公(あかお あきら、1988年2月15日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。ディフェンダー。 鹿児島実業高校時代には2度の全国高等学校サッカー選手権大会に出場。2年時の第83回大会には優勝を経験。キャプテンを務めた3年時の第84回大会には決勝に進出したものの、乾貴士・青木孝太・楠神順平を擁する滋賀県立野洲高校に延長戦の末に敗れ準優勝に終わる。 高校卒業後は鹿屋体育大学に進学。4年時にはキャプテンを務めるなどチームの中心選手として活躍。 大学卒業後の2010年から、ガイナーレ鳥取に入団。前期16節の金沢戦で交代出場によりJFL初出場を果たすと、その1分後に初ゴールを決めチームの勝利に貢献した。
松元 亮仁(まつもと りょうじ、1987年12月30日 - … 松元 亮仁(まつもと りょうじ、1987年12月30日 - )は、鹿児島県曽於市出身のサッカー選手。
諏訪園 良平(すわぞの りょうへい、1987年10月23日 … 諏訪園 良平(すわぞの りょうへい、1987年10月23日 - )は、鹿児島県指宿市 出身のサッカー選手。JFL・ホンダロックSC所属。 ポジションはMF。
山内 智裕(やまうち ともひろ、1987年9月5日 - )は… 山内 智裕(やまうち ともひろ、1987年9月5日 - )は、鹿児島県霧島市(旧・隼人町)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。サッカー選手の山内晴貴は実弟。 高校2年までは鹿児島城西高校のサッカー部でプレー、3年時にアミーゴス鹿児島U-18に移った。 東海学園大学在学中の2009年に、Jリーグ2部・FC岐阜の特別指定選手となる。Jリーグ出場は成らなかったが、翌2010年に正式加入した。 2011年7月、地元鹿児島のFC KAGOSHIMAへ期限付き移籍。2013年より同クラブに完全移籍。 2014年、中国サッカーリーグの松江シティFCへ移籍。2015年シーズン終了後、松江を退団。
佐々木香織 (ささき かおり 1987年6月8日 - )は、… 佐々木香織 (ささき かおり 1987年6月8日 - )は、京都府出身の女子サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 中学校時代は地元のクラブチーム、京都紫光サッカークラブの女子チームでプレー。同時に女子の年代別京都府トレセン・関西トレセンなどにも参加。2000年度の全日本女子ユース (U-15)サッカー選手権大会には、京都府の選手でありながら、兵庫県選抜チームの一員として大会に出場するという経験もしている。 中学校卒業後、単身鹿児島県にわたり、神村学園高等部に進学。同級生に園村奈菜がいる。2年時・3年時に全日本高等学校女子サッカー選手権大会で優勝を経験した。また2年時にU-18鹿児島県選抜チームにも選ばれ、全日本女子ユース (U-18)サッカー選手権大会にも出場した。
六反 勇治(ろくたん ゆうじ、1987年4月10日 - )は… 六反 勇治(ろくたん ゆうじ、1987年4月10日 - )は、鹿児島県霧島市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー (GK) 。元日本代表。 幼少時にサッカーを始め、熊本国府高校時代に本格的にゴールキーパーに転向。両親とも教師という家庭に育ち自身も教師となるため大学進学を考えていたが、Jクラブの練習に参加するうちにプロ入りへの意欲を持つようになり、2006年にアビスパ福岡に加入。 福岡に加入して4年目、2009年9月2日のJ2第37節ファジアーノ岡山戦でJリーグ初出場。それまで正GKだった吉田宗弘から定位置を奪い、このシーズンは15試合に出場した。 2010年も開幕戦から第7節まで先発出場。
豊満 貴之(とよみつ たかゆき、1987年4月2日 - )は… 豊満 貴之(とよみつ たかゆき、1987年4月2日 - )は、鹿児島県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
愛甲 光(あいこう ひかる、1986年12月6日 - )は、… 愛甲 光(あいこう ひかる、1986年12月6日 - )は、鹿児島県曽於市出身のサッカー選手。
新中 剛史(しんちゅう つよし、1986年11月28日 - … 新中 剛史(しんちゅう つよし、1986年11月28日 - )は、鹿児島県霧島市出身のサッカー指導者、元選手。ポジションは、FW、MF。 鹿児島城西高校からびわこ成蹊スポーツ大学を経て、2009年ファジアーノ岡山へ加入。同年4月よりネクスト所属となる、さらに経験を積むため同年6月から松本山雅FCへレンタル移籍するも、リーグ戦2試合出場に留まった。2010年よりチームに復帰し、トップチームに登録される。開幕戦でJリーグ初出場を果たし、計11試合に出場した。しかし、下腹部打撲、右大腿部肉離れと度重なる負傷もあり、同年8月より中野裕太と共にネクストへ登録変更される。2011年はネクスト所属、2012年は開幕前に左腸腰筋肉離れの負傷、ネクスト所属となる。
岩下 敬輔(いわした けいすけ、1986年9月24日 - )… 岩下 敬輔(いわした けいすけ、1986年9月24日 - )は、鹿児島県伊集院町(現:日置市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表。 鹿児島実業高等学校在学中の2005年に全国高等学校サッカー選手権大会で優勝を経験。この年、清水エスパルスに入団。中学年代までは攻撃的なポジションで鹿児島県選抜に選ばれた。足元の技術も高さを当時の監督長谷川健太に買われ、5月1日の大宮戦でボランチとしてデビューし、その後も本職のセンターバックだけでなくサイドバックなども任された。3年目の2007年J1第22節 対アルビレックス新潟戦に先発出場し、後半17分にCKからプロ入り初ゴールとなるヘディングシュートを決めた。
西田 剛(にしだ ごう、1986年9月14日 - )は、鹿児… 西田 剛(にしだ ごう、1986年9月14日 - )は、鹿児島県曽於郡末吉町(現:曽於市)出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 小学校からサッカーを始める。中学校時代に頭角を現し、地元では注目される選手になる。鹿児島県内のサッカー有名高校からも注目された。 鹿児島城西高校、阪南大学を経て2009年より横浜FCに入団。2012年からアビスパ福岡に完全移籍。2013年シーズン終了後、契約満了により福岡を退団し、愛媛FCへ移籍。 2021年シーズンをもって契約満了により愛媛FCを退団した。 2022年1月14日、現役を引退することが発表された。
柳村 彩乃 (やなぎむら あやの、1986年4月21日 - … 柳村 彩乃 (やなぎむら あやの、1986年4月21日 - )は、鹿児島県出身の元女子サッカー選手。サッカー審判員。現役時代のポジションはディフェンダー。 中学生時代は山川サッカークラブでプレー。在籍中の2001年、U-16全日本女子ユース選抜候補に選出されてトレーニングキャンプへ参加した。 中学校卒業後、鳳凰高等学校へ入学して女子サッカー部へ入部。同級生に福田友恵がいる。1年次に全日本高等学校女子サッカー選手権大会でベスト4、2年次には優勝を経験した。この年には皇后杯全日本女子サッカー選手権大会へ出場したり、U-18鹿児島県選抜チームの一員として、全日本女子ユース (U-18)サッカー選手権大会へ出場したりもしている。
山下 真太郎(やました しんたろう、1986年4月2日 - … 山下 真太郎(やました しんたろう、1986年4月2日 - )は、東京都出身のサッカー選手。ポジションはFW。 2003年、鹿児島実業高等学校2年時に出場した全国高校サッカー選手権で2得点した。2004年、3年時にも同大会に出場し、得点王(4得点)を獲得する活躍で鹿児島実業の9年ぶりの優勝に貢献した。同期に岩下敬輔がいる。進学した駒澤大学ではなかなか出場機会に恵まれなかったが、4年次にリーグ戦初出場を果たした。 2009年に横河武蔵野FCに入団し、同年のリーグ戦5試合に出場した。 2013年に東京開催の国体の青年部のサッカーチームのキャプテンに任命される。
麻生 大治郎(あそう だいじろう、1986年3月31日 - … 麻生 大治郎(あそう だいじろう、1986年3月31日 - )は、鹿児島県出身のサッカー選手。ポジションは、フォワード(FW)。
吉井 孝輔(よしい こうすけ、1986年3月19日 - )は… 吉井 孝輔(よしい こうすけ、1986年3月19日 - )はサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはMF、DF。 2004年に鹿児島城西高等学校から湘南ベルマーレに入団。3シーズンに渡ってプレーするも退団となる。 2008年に練習参加していたロアッソ熊本への加入が決まる。当初は控えに甘んじていたが、持ち前の能力を発揮してスタメンを奪取。以後、熊本のボランチの大きな柱としてプレーを続けた。 2013年にはキャプテンに就任。また、本人の希望でセンターバックにコンバートされた。2014年は度重なる負傷で戦列を離れることが多く、手術を行うなどしたがコンディションが改善せず、同シーズン限りで現役を引退 した。
田上 裕(たのうえ ゆたか、1986年1月12日 - )は、… 田上 裕(たのうえ ゆたか、1986年1月12日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のローカルタレント、YouTuber、元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。 FC琉球などを経て、2010年に同年創設されたFC KAGOSHIMAに入団。2010シーズンから2012シーズンまで選手兼監督として活躍する。 2014年にチームがヴォルカ鹿児島と合併、鹿児島ユナイテッドFCとなった後も引き続き在籍し、2019年を以て現役を引退した。 2020年より所属していた鹿児島ユナイテッドFCの応援リーダーとして活躍し、テレビ解説やローカルタレント、YouTuberとして活躍。
中山 博貴(なかやま ひろき、1985年12月13日 - )… 中山 博貴(なかやま ひろき、1985年12月13日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 鹿児島城西高校在学中の2003年に九州プリンスリーグで優勝し、全日本ユース選手権に出場した他、U-18日本代表としてAFCユース選手権2004に出場した。 2004年より京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に入団し、新人ながらも3得点をあげる。2年目はユース代表の遠征中に怪我をして更にワールドユースの代表に漏れその直後に全治2ヶ月の重傷を負いシーズンの半分以上を欠場した。3年目の2006年はJ1初スタメンの浦和レッズ戦でJ1初ゴールをあげた。 2004年シーズン途中に柱谷幸一が監督に就任してからは4バックを採用することが多くなり、スタメンでの起用は少なくなり、ボランチにも挑戦した。
有薗 真吾(ありぞの しんご、1985年12月4日 - )は… 有薗 真吾(ありぞの しんご、1985年12月4日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 鹿児島城西高校・福岡経済大学では目立った成績は残せなかったものの、サッカーを続けるべくJサテライトリーグを主戦場としていたザスパ草津U-23(現・ザスパ草津チャレンジャーズ)にアマチュア登録で加入、草津温泉で働きながらプレーを続けた。1年後に九州のクラブのセレクションを受けるために退団するも、セレクションに不合格となり、当時のコーチの計らいで草津U-23に再入団。2009年8月にトップチーム(ザスパ草津)に昇格すると、2015年シーズン終了までの5年半、草津/群馬でプレーを続けた。
森 洋介(もり ようすけ、1985年7月25日 - )は、鹿… 森 洋介(もり ようすけ、1985年7月25日 - )は、鹿児島県出身のサッカー選手。ポジションはDF。 鹿児島実業高校出身で高校時代には伊野波雅彦らと共に、第82回高校サッカー選手権でベスト4に進出した。 2008年8月、FC岐阜SECONDからJ2・FC岐阜に加入。FC岐阜がJリーグ加入して以降初めてBチームから昇格した選手である。 2009年はFC岐阜SECOND(2012年に行われる岐阜国体を目指して編成されたチーム)に所属し、2010年からヴォルカ鹿児島に移籍したが、2012年シーズン限りで退団。
佐藤 健太郎(さとう けんたろう、1984年8月14日 - … 佐藤 健太郎(さとう けんたろう、1984年8月14日 - )は、三重県出身のプロサッカー選手。レノファ山口FC所属。ポジションはミッドフィルダー(MF)。
柳崎 祥兵(やなぎざき しょうへい、1984年6月11日 -… 柳崎 祥兵(やなぎざき しょうへい、1984年6月11日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
村口 良平(むらぐち りょうへい、1984年4月28日 - … 村口 良平(むらぐち りょうへい、1984年4月28日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションは、GK。
徳重 健太(とくしげ けんた、1984年3月9日 - )は、… 徳重 健太(とくしげ けんた、1984年3月9日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・愛媛FC所属。ポジションはゴールキーパー。 元々は鹿児島実業高校への進学を希望していたが金銭面の問題で両親に説得され国見高校へ進学した。 在学中の先輩に大久保嘉人、松橋章太などが、後輩に平山相太、渡邉大剛などが、同級生には徳永悠平などがそれぞれいる。2年時に高校タイトル3冠を達成し、3年時には主将として全日本ユースと高校選手権を制した。また、その活躍が認められU16代表から各年代の代表に選出されていた。 2002年に浦和レッズに入団したが、都築龍太と山岸範宏の前に在籍3年間で出場機会を得ることができずにいた。
登尾 顕徳(のぼりお けんとく、1983年11月30日 - … 登尾 顕徳(のぼりお けんとく、1983年11月30日 - )は、鹿児島県出水郡長島町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはディフェンダー。 鹿児島実業高校出身。高校では1学年上に田原豊、上本大海、同級生に赤嶺真吾、松下年宏らがチームメイトにいた。福岡大学時代には2005年夏季ユニバーシアードの日本代表に選出された。 2006年に京都パープルサンガに加入。2006年は、ルーキーながら、リーグ戦20試合に出場。2008年、当初は京都に登録されていたが、2月に徳島ヴォルティスに期限付き移籍。2009年、徳島に完全移籍した。 2012年より、ギラヴァンツ北九州へ完全移籍。 2013年より、選手兼任コーチとしてヴォルカ鹿児島に加入。
船津 佑也(ふなつ ゆうや、1983年11月22日 - )は… 船津 佑也(ふなつ ゆうや、1983年11月22日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。ポジションはゴールキーパー。 鹿児島城西高校出身。2年生時には正GKとして同高校初となる全国高等学校サッカー選手権大会出場に貢献。卒業後は高校のチームメイトであった挽地祐哉と共にジュビロ磐田へ入団。 2003年に湘南ベルマーレへレンタル移籍。翌年、完全移籍 するも同年限りで戦力外となる。2005年にロッソ熊本へ移籍するが公式戦開幕前に退団。2006年にニューウェーブ北九州(現・ギラヴァンツ北九州)に移籍。 2011年はHOYO AC ELAN大分でプレー。2012年01月10日にH大分を退団、現役を引退した。
松下 年宏(まつした としひろ、1983年10月17日 - … 松下 年宏(まつした としひろ、1983年10月17日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー及びディフェンダー。 兄の影響でサッカーを始める。 1999年に鹿児島実業高校に進学。3年時のインターハイ及び選手権では、同期の赤嶺真吾、立石飛鳥、登尾顕徳と共にベスト4入り。同年、明治大学サッカー部のセレクションを受け合格していたが、ガンバ大阪からオファーを受け、高校卒業後の2002年、G大阪に入団。主に右サイドバックとしてルーキーイヤーから多くの試合にベンチ入りし、Jデビューも果たした。 2005年には自己最多の14試合に出場するも、2006年は右WBに加地亮が加入したことなどにより出場機会に恵まれず、公式戦の出場機会確保と気持ちをリセットするために 同年6月から2007年12月までの1年半という長期の期限付き移籍でアルビレックス新潟へ移籍した。
木下 健生(きした たつき、1983年10月13日 - )は… 木下 健生(きした たつき、1983年10月13日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー選手。JFL・ホンダロックSC所属。
立石 飛鳥(たていし あすか、1983年6月9日 - )は、… 立石 飛鳥(たていし あすか、1983年6月9日 - )は、鹿児島県枕崎市出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。現在は大阪市内の焼き肉店「飛牛」店長。
挽地 祐哉(ひきち ゆうや、1983年5月2日 - )は、鹿… 挽地 祐哉(ひきち ゆうや、1983年5月2日 - )は、鹿児島県出身のサッカー選手。登録ポジションはMFだが、守備的なポジションならどこでもこなせるユーティリティープレイヤー。本職はボランチだが、徳島では主にDFとしてプレーしていた。 2002年にジュビロ磐田に入団。2004年に湘南ベルマーレ、2005年に徳島ヴォルティスへ移籍。 2010年にJFLの金沢にレンタル移籍していたが、2010年シーズンでの現役引退を発表したが、2014年から徳島県社会人1部リーグのイエローモンキーズでプレーしている。
諏訪園 一吉(すわぞの かずよし、1983年3月4日 - )… 諏訪園 一吉(すわぞの かずよし、1983年3月4日 - )は、鹿児島県指宿市出身のサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー。 中学時代から年代別日本代表に招集され、1998年に鹿児島実業高校へ進学。1999年度の全国高校選手権では準優勝に入った。 2001年に高校を卒業しJリーグ・FC東京へ加入したが、リーグ開幕直後に長年苦しんでいた左肩の脱臼を再発し、半年近くをリハビリに費やした。シーズン終盤に復帰し、翌2002年にかけてU-18 及びU-19日本代表候補に選出された。高校の先輩である藤山竜仁からはマッチデープログラム誌上において「(自身が着けている)背番号8は将来、諏訪園に譲りたいから相応しい選手になって欲しい」と期待を寄せられていた。
久留 貴昭(ひさどめ たかあき、1982年12月22日 - … 久留 貴昭(ひさどめ たかあき、1982年12月22日 - )は、鹿児島県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 上背はあまりないが、センターバックとしてディフェンスを統率している。 2006年から2年間は養護学校の臨時教員を務めた。2008年にはV・ファーレン長崎とプロ契約を結んだ。また、2007年はチームの主将を務めた。 2010年、シーズン終了後、契約満了となりプロを引退。創成館高校(長崎)の保健体育教諭とサッカー部監督に就任。長崎県サッカーリーグ1部、多良見ドランカーズで選手生活を継続中。岐阜国体成年男子サッカー長崎代表。
税所 義博(さいしょ よしひろ、1982年11月20日 - … 税所 義博(さいしょ よしひろ、1982年11月20日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダーだが、センターフォワードでプレーするときもある。 チームのスポンサーである親和銀行の行員である。 2010年2月11日付けの長崎新聞の報道によると、2009年をもって引退することがチームより発表された。なお、今後もチームの地域活動には関わる模様。
萩原 達郎(はぎはら たつろう、1982年8月6日 - )は… 萩原 達郎(はぎはら たつろう、1982年8月6日 - )は、鹿児島県出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 2001年、鹿児島実高からJリーグ・ベガルタ仙台に加入。しかし高橋範夫・小針清允・高桑大二朗等実力者とのポジション争いに敗れ、長く第2・第3GKという立場で公式戦の出場機会はなかった。 高橋と高桑が退団し、小針の負傷でシュナイダー潤之介が加入しても控えが続いたが、2007年10月7日の天皇杯3回戦(対順天堂大学)でようやく公式戦初出場。2008年5月6日にはリーグ戦初出場を果たし、この年に圧倒的な成績で優勝したサンフレッチェ広島を好プレーの連続で完封、広島にこの年の初黒星をつけた。
米田 兼一郎(めた けんいちろう、1982年7月2日 - )… 米田 兼一郎(めた けんいちろう、1982年7月2日 - )は、鹿児島県霧島市(旧:国分市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。 鹿児島城西高校では同校初の全国高等学校サッカー選手権大会(第79回)出場に貢献。アビスパ福岡では3年目からレギュラーに定着。その後京都パープルサンガなどに在籍、主力として中盤のレギュラーを務めた。 2012年には地元のFC KAGOSHIMAに移籍。GM兼任としてプレーしていたが、2013年5月に退団。その後はV・ファーレン長崎の練習に参加をしたが、無所属期間が続いた。 2016年にテゲバジャーロ宮崎に入団。
上本 大海(うえもと たいかい、1982年6月1日 - )は… 上本 大海(うえもと たいかい、1982年6月1日 - )は、鹿児島県指宿市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。現在はJリーグ・大分トリニータの強化部スカウトを務める。 高校時代は鹿児島実業高校サッカー部で活躍。同期の選手に田原豊や萩原達郎、諏訪園一吉らがおり、2年次の1999年度には全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝を果たした。 高校卒業後の2001年にジュビロ磐田に入団。磐田では出場機会に恵まれず、2005年に大分トリニータに期限付き移籍で加入。移籍当初はプレーの不安定な部分が目立ったが、程なく大分にとって欠かせない選手の一人となった。 2006年より大分に完全移籍した。
田原 豊(たはら ゆたか、1982年4月27日 - )は、鹿… 田原 豊(たはら ゆたか、1982年4月27日 - )は、鹿児島県姶良市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 2008年の京都がJ1昇格後は大型CFとして期待されたが、好不調の波が大きいことなどからチームから戦力外通告を受けて同年限りで退団となった。 京都退団後にJリーグ合同トライアウトへ参加。2009年には韓国の大田シチズンやオーストラリアのアデレード・ユナイテッドのキャンプに参加するも契約には至らず。その後、J2・湘南ベルマーレの練習に参加。新たな攻撃の軸を探す湘南の思惑と一致し、開幕2日前になって入団が決定した。得点だけでなく、ポストプレーはもちろん、激しいチェイシングや相手コーナーキック時には高さに不安を抱えた湘南のディフェンスをカバーする[要出典]など、チームに欠かすことの出来ない選手として活躍。
長山 一也(ながやま かずや、1982年4月1日 - )は、… 長山 一也(ながやま かずや、1982年4月1日 - )は、鹿児島県南さつま市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。JFA公認S級コーチライセンスを保有する。 鹿児島市立桜島中学校出身で元サッカー日本代表の遠藤保仁は2学年上に当たる。帝京第三高等学校を経て、法政大学に進学。サッカー部では水沼貴史らから指導を受け、パサーとして所属リーグでアシスト王となるなど中核プレーヤーとして活躍。 大学卒業後、静岡FCを経てJFL所属のアローズ北陸に入団。2008年、所属チームとYKK APが合併し誕生したカターレ富山に加入。シーズン終盤にレギュラーを獲得すると、Jリーグに加盟した2009年は開幕からスタメンで起用され、チーム最多となる48試合に出場した。