兼次 映利加(かねし えりか、1985年 - )は、日本のジ… 兼次 映利加(かねし えりか、1985年 - )は、日本のジャーナリスト。主に沖縄に関する問題についての執筆活動を続ける。 沖縄県那覇市生まれ。6歳から琉球舞踊を習い、2006年琉球古典芸能コンクール優秀賞受賞。那覇国際高等学校卒業後、進学のため上京。拉致被害者奪還のための街頭署名活動や、主に沖縄について基地問題や反対運動、沖縄における情報環境等についての執筆活動や講演活動を続ける。
仲新城 誠(なかしんじょう まこと、1973年〈昭和48年〉… 仲新城 誠(なかしんじょう まこと、1973年〈昭和48年〉 - )は、日本のジャーナリスト。八重山日報編集長。石垣島を拠点にし、沖縄県八重山地区の政治・経済・社会問題に関する取材編集活動を行なっている。 沖縄県石垣市生まれ。1999年3月琉球大学卒業。同年4月八重山日報社へ入社。2010年八重山日報編集長に就任。自らも取材活動を行う。 2011年、八重山地区の中学校の公民教科書に育鵬社版が採択答申されてから沸き起こる八重山地区教科書問題では、教科書問題取材班のチーフとして最前線で取材活動を行う。この取材活動を通じて“沖縄世論”の異常性を問題提起する意味で『国境の島の「反日」教科書キャンペーン ―沖縄と八重山の無法イデオロギー―』を上梓。
前泊 博盛(まえどまり ひろもり、1960年 - )は、日本… 前泊 博盛(まえどまり ひろもり、1960年 - )は、日本のジャーナリスト、政治学者、経済学者。沖縄国際大学大学院教授。 沖縄県宮古島市生まれ。駒澤大学法学部政治学科卒業、明治大学大学院政治経済学研究科博士前期課程(経済学修士)修了。1984年琉球新報社入社。文化部、社会部、東京報道部、政経部などを経て、1998年編集委員。沖国大非常勤講師(1998年 - 2001年兼任)。2001〜2002年、九州大大学院助教授(国際政治学・日米安保論)。その後、編集委員・論説委員、編集局次長、経営企画局次長、論説副委員長、紙面審査委員長、2010年6月に論説委員長。2011年3月琉球新報社を退社し、同年4月から沖縄国際大学大学院教授。
高嶺 朝一(たかみね ともかず、1943年-)は、日本のジャ… 高嶺 朝一(たかみね ともかず、1943年-)は、日本のジャーナリスト。T & CT Office代表、前琉球新報社社長。沖縄県那覇市出身。 1943年那覇市に生まれる。西南学院大学文学部英文科、同文学専攻科を卒業後、1970年に琉球新報社に入社する。編集局長や論説委員長などを経て2008年に琉球新報社社長に就任。琉球新報社の100%子会社である週刊レキオ社の代表取締役会長(非常勤)も兼職。2010年6月に退任し、T & CT Office設立。軍事研究家でもあり琉球文化圏や沖縄の基地問題、戦争とメディア等に関して講演や著書などがある。 編集局長時代の2000年には沖縄サミットが開催された。沖縄県サミット推進県民会議主催のサミットフォーラムでは基地の整理縮小に関して「強者の安全保障政策という理屈は考えず、ストレートに米軍基地はノーということを外側に発信する必要がある」と意見を述べている。
瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6… 瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6月10日 - 2001年(平成13年)10月5日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。 1946年 - 1949年、米軍機関紙「うるま新報」(後の琉球新報)社長を務めた。復帰前に、那覇市長(1期)、立法院議員(3期)、沖縄人民党委員長、国政参加選挙で衆議院議員1期。本土復帰後、衆議院議員としては人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長をつとめた。 太平洋戦争後のアメリカ合衆国による沖縄統治(施政権下)において、沖縄人民党を組織し、米国による統治に対する抵抗運動を行った。返還前の沖縄において立法院議員や那覇市長を歴任、国政参加選挙において衆議院議員に当選した。
池宮城 秀意(いけみやぐしく(いけみやぐすく) しゅうい、1… 池宮城 秀意(いけみやぐしく(いけみやぐすく) しゅうい、1907年1月7日-1989年5月24日)は、日本のジャーナリスト、元琉球新報社社長。
小田 栄(小田 榮、おだ さかえ、1904年〈明治37年〉3… 小田 栄(小田 榮、おだ さかえ、1904年〈明治37年〉3月24日 - 1994年〈平成6年〉7月11日)は、日本の社会主義者、政治家、ジャーナリスト。衆議院議員。別名・天界。 広島県賀茂郡川尻村(川尻町を経て現呉市)で菓子製造業の家に生まれる。父の事業が失敗し、叔父からの勧めで1912年に一家で沖縄に移住。一家で飴屋を始め、小田も行商を行う。1918年、沖縄県立第一中学校に入学。4年次の学芸会で社会批判の演説を行い放校となった。 沖縄出身の先輩、アナキストで労働運動社にいた泉正重を頼り上京。同志と雑誌創刊を計画するも当局に検挙された。1922年、中浜哲、古田大次郎らのギロチン社に加わったが、1923年の関東大震災により沖縄に戻った。
井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月… 井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)。 沖縄県那覇市出身。1912年(大正元年)鹿児島一中を卒業、1916年(大正5年)慶應義塾大学部予科に入学し、卒業。1918年(大正7年)同大学部理財科に進む(後に中退)。在学中に、「日本社会主義同盟」、山川均らが主宰していた水曜会で活躍。1921年(大正10年)12月より翌年11月まで一年志願兵として鹿児島歩兵連隊に入隊。24年春から秋頃まで大阪の『関西日報』の記者となる。 1923年(大正12年)に日本共産党に入党。
仲吉良光(なかよし りょうこう、1887年(明治20年)5月… 仲吉良光(なかよし りょうこう、1887年(明治20年)5月23日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、沖縄県出身のジャーナリスト、政治家。後半生を沖縄の日本復帰運動に挺身し、「復帰男」「沖縄復帰の父」と呼ばれた。 首里儀保村に生まれる。1908年、沖縄県中学校を卒業し、早稲田大学英文科に入学する。大学在学中はキリスト教と文学に傾倒した。1912年、早稲田大学を卒業し、『琉球新報』記者となり、のちに『沖縄朝日新聞』を創設した。1919年に上京し、『東京日日新聞』記者となる。1921年にはアメリカ合衆国に移住し、1923年、ロサンゼルスの羅府新報社に入社し、1925年には帰国し、東京日日新聞社に再入社する。
佐藤 緑葉(さとう りょくよう、1886年7月1日 - 19… 佐藤 緑葉(さとう りょくよう、1886年7月1日 - 1960年9月2日)は、日本のジャーナリスト、小説家、翻訳家。本名は佐藤利吉(さとう りきち)。群馬県吾妻郡東村生まれ。
当真 嗣合(とうま しごう、1884年(明治17年)11月1… 当真 嗣合(とうま しごう、1884年(明治17年)11月10日 - 1946年(昭和21年)8月24日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、ジャーナリスト。
伊波 月城(いは げつじょう)として知られた、伊波 普成(い… 伊波 月城(いは げつじょう)として知られた、伊波 普成(いは ふせい、1880年(明治13年)12月27日 - 1945年(昭和20年)5月30日)は、沖縄県のジャーナリスト、琉歌の歌人。「沖縄学の父」と称される伊波普猷の弟。 1880年(明治13年)12月27日に、当時の那覇西村(後の那覇市西)で、父・伊波普済、母・マツルの間に生まれた。 兄・普猷とともに、沖縄県尋常中学校(後の沖縄県立第一中学校などを経て、沖縄県立首里高等学校に系譜が繋がる)に学び、1895年(明治28年)から1896年(明治29年)にかけて、普猷ら上級生が主導した尋常中学校ストライキ事件の際には、下級生としてこれに加わったが、最終的に学校に残り、1899年(明治32年)に卒業した。
真境名 安興(まじきな あんこう、1875年5月20日〈同治… 真境名 安興(まじきな あんこう、1875年5月20日〈同治14年4月15日〉 - 1933年〈昭和8年〉12月28日)は、ジャーナリスト、歴史学者、沖縄学の研究者。伊波普猷、東恩納寛惇とともに、戦前の沖縄学における「御三家」と呼ばれる。著書に「沖縄一千年史」、「琉歌大観」など。 五大姓の一つ、毛氏池城殿内(元祖・新城親方安基)の支流・毛氏真境名家(系祖・玉城里之子親雲上安暉)の分家13世。父・真境名安布、母・毛氏真牛の次男として首里桃原村(現・桃原町)に生まれる。唐名は毛居易、童名は樽金(タルガネ)。長兄・安宏が真境名本家の養子となったため、安興が父・安布の家督を継いだ。 首里小学校を経て、沖縄県師範学校附属小学校に学び、1891年(明治24年)に沖縄県尋常中学校(のちの県立一中、現・沖縄県立首里高等学校)へ進学した。