鈴木 あゆみ(すずき あゆみ、1985年10月14日 - )… 鈴木 あゆみ(すずき あゆみ、1985年10月14日 - )は、北海道出身の女子バスケットボール選手である。ポジションはセンター・フォワード。 札幌山の手高校在学中は全国大会で活躍し、ヤングウーメン日本代表にも高校生で唯一選出される。 筑波大学では、1年時から主力として活躍。関東女子大学リーグ戦では4連覇を達成(卒業後も連覇は続いており現在5連覇中)したほか、1年でインカレ優勝を経験する。ユニバーシアードにも出場した。 2008年、富士通に入社。 2009年にはウィリアム・ジョーンズカップ日本代表に選ばれる。 2010年も代表候補に選出され、ニュージーランドとの親善試合での活躍が評価され世界選手権で初のA代表に選出される。
宇佐美 里菜(うさみ りな、女性:1983年7月5日 - )… 宇佐美 里菜(うさみ りな、女性:1983年7月5日 - )は、愛知県出身の元バスケットボール選手である。ポジションはフォワード。177cm。ニックネームは「ライ」。 昭和ミニバスから猪子石中を経て、名門桜花学園高校に進み、ウィンターカップ6連覇など全国タイトルを多数獲得。ウィンターカップでは前年優勝校の主将が行う選手宣誓を2年連続で任された非常に珍しい選手でもある(2年次は主将の大神雄子が直前のアジア選手権出場で開会式に間に合わなかったため)。 その後、筑波大学に進学。ジュニア日本代表候補として海外遠征にも参加。国体にも出場した。 卒業後、富士通に入社。シックスウーメン要員として2007-08シーズンに富士通のリーグ優勝を経験。
田渕 明日香(たぶち あすか、現姓・長門、1982年12月1… 田渕 明日香(たぶち あすか、現姓・長門、1982年12月17日 - )は、埼玉県出身の元バスケットボール選手である。ニックネームは「セナ」。ポジションはガード。デンソーアイリスに所属していた。 児玉中でバスケを始め、高校は名門桜花学園(入学時は名古屋短大付属)に進み、同期の大神雄子らとともにインターハイ2度・ウィンターカップ3度の全国タイトルを手にする。ジュニア日本代表にも選出される。 筑波大学進学後も、4年時に主将としてインカレ優勝に貢献する。 卒業後、デンソーに入社。ルーキーシーズンより活躍を見せルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。 しかし、2008年に25歳で引退。 その後、地元に戻り埼玉県立皆野高等学校に勤務の傍ら指導にも当たっている。
瀬戸山 京介(せとやま きょうすけ、1982年7月16日 -… 瀬戸山 京介(せとやま きょうすけ、1982年7月16日 - )は、宮崎県日南市出身のバスケットボール選手である。2005年にアイシンシーホースに入部、2009年にはbjリーグの京都ハンナリーズと契約してプロ選手になり、2016年に引退した。 現役最後のシーズンとなった2015-16シーズン時点での身長187cm、体重76kgで、ポジションはガード、フォワードだった。 吾田中学校から小林高校に進学。1学年上には清水太志郎がいた。3年次に主将として挑んだインターハイ決勝で長澤晃一、新井靖明、山田謙治擁する能代工業に、ウィンターカップで志村雄彦、佐藤濯、宍戸治一擁する仙台高校と対戦したが、共に準優勝で終わった。
小畑 亜章子(おばた あきこ、1981年10月27日 - )… 小畑 亜章子(おばた あきこ、1981年10月27日 - )は、神奈川県出身の元バスケットボール選手。ニックネームは「テル」。ポジションはガード。 名門富岡高から、デンソーに入社。 2008-09シーズンには最多スティールを記録。 2005年には東アジア大会日本代表に選出。 2009年にもアジア選手権日本代表に選ばれた。 2011年度アシスト王(2年連続3度目)。 2012年4月引退。 引退後は筑波大学大学院で学んだ後、男子Bリーグ、三遠ネオフェニックススクールコーチを務めた。 2019年4月、デンソーアシスタントコーチ就任。
清水 太志郎(しみず たいしろう、1981年8月6日 - )… 清水 太志郎(しみず たいしろう、1981年8月6日 - )は、宮崎県日南市出身の元男子プロバスケットボール選手、現バスケットボール指導者である。現役時代のポジションはポイントガード、シューティングガード。 8歳でバスケットボールを始める。 日南市立吾田中学校から宮崎県立小林高等学校に進学し、3年生時の1999年、全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会(インターハイ)でベスト8、全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会(ウインターカップ)では準優勝。 2000年、筑波大学に進学。2004年、日本リーグの大塚商会アルファーズに入団。 2005年、bjリーグ発足に当たりトライアウトに参加。
柏倉 秀徳(かしわくら ひでのり、1980年8月6日 - )… 柏倉 秀徳(かしわくら ひでのり、1980年8月6日 - )は、宮城県出身のバスケットボール指導者、選手である。ポジションはポイントガード。選手として三菱電機、レラカムイ北海道、日立サンロッカーズ、パスラボ山形ワイヴァンズで2015-16シーズンまで競技生活を送り、2016年に引退。指導者の道に移った。 1980年、宮城県に生まれる。兄の影響でバスケットボールを始め、小学校2年生の時にクラブチームに加わった。仙台高校でインターハイ・ウィンターカップに出場し、筑波大学でもインカレなどで活躍、2001年に埼玉で開催されたヤングメン世界選手権では主将を務めアシスト王に輝く。 大学卒業後、三菱電機に入社。
齋藤 豊(さいとう ゆたか、1980年〈昭和55年〉6月29… 齋藤 豊(さいとう ゆたか、1980年〈昭和55年〉6月29日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。大阪府出身。ポジションはスモールフォワード。 大阪府立東住吉工業高等学校、筑波大学、ドイツ2部リーグのケムニッツ99ersを経て、2005年にトヨタ自動車アルバルクに加入。 2006年バスケットボール世界選手権では日本代表候補に選出されるが、最終メンバーから落選。 ケムニッツでは高校の1年後輩であり後に埼玉ブロンコスでプレーする清水耕介とチームメイトであった。また、同じく1年後輩に太田和利がいる。日立サンロッカーズの柏倉秀徳は大学の同期。 2010年トヨタを退団。クラブチームのエクセレンスに所属。
恩塚 亨 (おんづか とおる、1979年〈昭和54年〉6月5… 恩塚 亨 (おんづか とおる、1979年〈昭和54年〉6月5日 - ) は、日本のバスケットボール指導者。バスケットボール女子日本代表ヘッドコーチ、東京医療保健大学女子バスケットボール部ヘッドコーチ、東京医療保健大学准教授。 1979年、大分県生まれ。幼少期よりバスケットボールを始める。選手ではなく指導者を志し、筑波大学進学、バスケットボール部に入部。 大学で教員免許取得後、2002年から7年間渋谷教育学園幕張中学校・高等学校の教員として勤務し、女子バスケットボール部のコーチを務める。 2006年、東京医療保健大学が新設されるタイミングで大学に企画書を提出して女子バスケットボール部を立ち上げた。
金澤 篤志(かなざわ あつし、1978年4月2日 - )は、… 金澤 篤志(かなざわ あつし、1978年4月2日 - )は、千葉県出身のバスケットボール指導者である。 八千代市立八千代中学校、千葉県立佐倉高等学校、筑波大学で選手として活躍し、卒業後はヨルダンのアル・ジャリールスポーツクラブのアシスタントコーチと同クラブのU-14及びU-16チームヘッドコーチを2003年まで務める。 2005年、八千代市選抜チームのアシスタントコーチを務める。 2006年より母校・筑波大でアシスタントコーチを務める。 2007年から2シーズン、ライジング福岡アシスタントコーチに就任。 2009年、高松ファイブアローズアシスタントコーチに就任。福岡、高松時代いずれもヘッドコーチはカール・ジョン・ニューマン。
出口 実(でぐち みのる、1972年7月4日 - )は、兵庫… 出口 実(でぐち みのる、1972年7月4日 - )は、兵庫県出身の元バスケットボール選手である。ポジションはパワーフォワード。 北陸高校では1年次に3年生でキャプテンであった佐古賢一らとともにインターハイ優勝を経験し、さらに名古屋で開催されたアジアジュニア選手権日本代表に選ばれ、優勝に貢献。 その後、筑波大学に進学し在学中は2年から日本学生選抜に選出される。 社会人では河内敏光率いる三井生命に入社し2年目からは日本代表のスターターとして活躍。 高校時代から長身ながら柔らかいプレイと正確なミドルショットを得意とし、日本代表では3Pも放つ走れる大型長身フォワードとして活躍した。 1997年東アジア大会に出場。
江嶌 猛(えじま たけし、1970年4月26日 - )は、愛… 江嶌 猛(えじま たけし、1970年4月26日 - )は、愛知県豊田市出身の元バスケットボール選手。 現役時代のポジションはフォワード。 清水ナショナルトレーニングセンター・J-STEP、静岡市清水庵原球場、草薙総合運動場勤務を経て、駿府城公園管理事務所所長。 東海工業高校(現・愛知産業大学工業高等学校)から筑波大学を経て、トヨタ自動車に入社。 2003年、静岡国体に出場し準優勝。その後は選手兼コーチとして活動。
宮田 幸典(みやた ゆきのり、1968年8月20日 - )は… 宮田 幸典(みやた ゆきのり、1968年8月20日 - )は、千葉県出身のバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。 柏市立柏高等学校から筑波大学を経て、三井生命に入社。 1994年には広島アジア大会に出場する日本代表に選出される。 1999年の休部後は引退し、社業に専念していたが、2002年にクラブチーム「neoうめや」が発足されると、初代メンバーに加わった。
祐木 毅(ゆうき たけし、1968年7月6日 - )は、新潟… 祐木 毅(ゆうき たけし、1968年7月6日 - )は、新潟県出身の元バスケットボール選手である。ポジションはパワーフォワード。200cm。今は松山高校「天下の松高、比企の東大」体育教師を務めている 新潟南高校、筑波大学から熊谷組に入社。 休部後は、アイシン、ボッシュと渡り歩く。 全日本のメンバーとして1994年アジア競技大会や1998年世界選手権に出場。 ボッシュ休部を機に第一線から退き、埼玉県立浦和北高等学校の教諭を務め、教員連盟の大会にも参加している。
金子 寛治(かねこ ひろはる、 (1967-11-22) 1… 金子 寛治(かねこ ひろはる、 (1967-11-22) 1967年11月22日(49歳) - )は、日本の元バスケットボール選手、指導者。東京都出身。身長193cm。
東 英樹(ひがし ひでき、1966年10月5日 - )は、青… 東 英樹(ひがし ひでき、1966年10月5日 - )は、青森県青森市出身のバスケットボール選手・指導者・解説者である。現在はWリーグ・新潟アルビレックスBBラビッツのヘッドコーチ。息子はバスケットボール選手の東宏輝である。 青森県立青森高等学校から筑波大学に進み、シックスマン(スーパーサブ)として活躍。全日本学生選手権2位の成績を残す。卒業後は、三井生命ファルコンズ。 当時の監督は後のbjリーグコミッショナーの河内敏光。河内監督の下、大学時代同様シックスマンとして活躍し、1992年度全日本実業団選手権大会優勝、1993年度全日本総合選手権大会2位、 1994 年度全日本総合選手権大会3位の成績を残す。
加藤 三彦(かとう みつひこ、1962年5月5日 - )は、… 加藤 三彦(かとう みつひこ、1962年5月5日 - )は、秋田県横手市(旧平鹿郡大森町)出身のバスケットボール指導者である。
池内 泰明(いけうち やすあき、1960年1月12日 - )… 池内 泰明(いけうち やすあき、1960年1月12日 - )は、福島県郡山市出身のバスケットボール選手・指導者である。現役時代のポジションはフォワード。現在は拓殖大学オレンジクラッシャーズヘッドコーチ。 福島県立郡山商業高等学校から拓殖大学に進学。在学中、1979年と1981年のユニバーシアード2大会出場。3年時には全日本のメンバーにも選ばれアジア選手権にも出場した。以降9年間全日本で活躍し1982年アジア大会で銅メダル獲得、主将も務めた。 卒業後の1982年、住友金属に入社。1試合40得点を挙げるなどの活躍を見せ、岡山恭崇とともに住友黄金時代を築く。日本リーグでは新人賞、優秀選手賞に7回、フリースロー賞2回の個人タイトルも獲得した。
小野 秀二(おの しゅうじ、1958年1月31日 - )は秋… 小野 秀二(おの しゅうじ、1958年1月31日 - )は秋田県出身の元バスケットボール選手、指導者。
野口 昌三(のぐち しょうぞう、1930年5月31日 - 2… 野口 昌三(のぐち しょうぞう、1930年5月31日 - 2017年4月14日)は、佐賀県出身の日本のバスケットボール選手。 旧制佐賀中学(佐賀西高校)在学中に学徒動員される。終戦後米軍に接収された学校の体育館でバスケットボールを楽しむ米軍兵を見て競技を始め、学制改革により佐賀第一高校(翌年佐賀高校に改称)となった母校に3年生として編入すると第3回国民体育大会高校の部で準優勝。進学した東京教育大学(現・筑波大学)では吉井四郎の指導を受け、主将として臨んだ4年次に関東大学選手権、関東大学リーグ戦、インカレの3冠を制し、全日本選手権大会では大学チームを準優勝に導いた。 卒業後の1954年、バスケットボールの縁で田辺製薬に入社。
吉井 四郎(よしい しろう、1919年3月20日 - 199… 吉井 四郎(よしい しろう、1919年3月20日 - 1992年10月20日)は日本のバスケットボール指導者である。埼玉大学教授。日本バスケットボール協会理事。勲三等瑞宝章。