中西 聖輝(なかにし まさき、2003年12月18日 - )… 中西 聖輝(なかにし まさき、2003年12月18日 - )は、奈良県橿原市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 智辯和歌山高校では3年夏にエースとして学校の21年ぶり選手権優勝に貢献。プロ志望届の提出は見送り、青山学院大学へ進学。 青山学院大学入学直前にトミー・ジョン手術を経験し1年生はリハビリに専念。3年春からは主戦として登板。2025年7月には日米大学野球選手権大会の日本代表に選出。2025年の明治神宮野球大会決勝では立命館大学相手に17奪三振完封勝利で2年連続の優勝に貢献した。大学の同級生には小田康一郎がいる。 2025年10月23日のプロ野球ドラフト会議にて、中日ドラゴンズよりドラフト1位指名を受け、11月27日に契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1600万円で仮契約を行った(金額は推定)。
西川 史礁(にしかわ みしょう、2003年3月25日 - )… 西川 史礁(にしかわ みしょう、2003年3月25日 - )は、和歌山県日高郡日高川町出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学校1年生の時に川辺ウィンスターズで野球を始め、日高川町立丹生中学校在学時は硬式野球クラブチームの和歌山日高ボーイズでプレーしていた。3学年上には泉口友汰がおり、西川の兄を通じて面識があった(泉口とは青山学院大学でも一緒になった)。 龍谷大学付属平安高等学校に進学し、2年春の第91回選抜高等学校野球大会で公式戦初出場。背番号16ながら遊撃手で先発出場し、ベスト8進出に貢献した。3年夏は新型コロナウイルスの影響で公式戦が中止となったが、京都府で行われた独自大会に出場し、ブロック決勝で京都成章に勝利した。
佐々木 泰(ささき たい、2002年12月24日 - )は、… 佐々木 泰(ささき たい、2002年12月24日 - )は、岐阜県大垣市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 大垣市立小野小学校で1年生の時に野球を始め、大垣市立東中学校在学時は硬式野球のクラブチームである岐阜ボーイズでプレーしていた。 岐阜県立岐阜商業高等学校に進学し、1年夏から4番を務めた。3年春の第92回選抜高等学校野球大会への出場が決定していたが、新型コロナウイルスの影響により同年の公式戦が全て中止となった。その後、2020年甲子園高校野球交流試合で明豊と対戦し、9回にソロ本塁打を放った。高校通算41本塁打。1学年下に高木翔斗がいた。 高校卒業後は青山学院大学に進学。
泉口 友汰(いずぐち ゆうた、1999年5月17日 - )は… 泉口 友汰(いずぐち ゆうた、1999年5月17日 - )は、和歌山県御坊市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 中学時代は和歌山日高ボーイズに所属。3学年下には西川史礁がおり、西川の兄を通じて面識があった(西川とは青山学院大学でも一緒になった)。 大阪桐蔭高等学校では2年秋からベンチ入りし、遊撃手のレギュラーを務めた。3年春の第89回選抜高等学校野球大会では優勝を果たした。同年夏の第99回全国高等学校野球選手権大会では3回戦で仙台育英にサヨナラ負けを喫した。2度の甲子園出場で通算打率は.538(13打数7安打)を記録した。高校時代は2学年上に青柳昴樹、福田光輝、1学年上に高山優希、同学年に徳山壮磨、1学年下に藤原恭大、根尾昂、柿木蓮、横川凱、2学年下に中田惟斗がいた。
鈴木 駿輔(すずき しゅんすけ、1998年6月12日 - )… 鈴木 駿輔(すずき しゅんすけ、1998年6月12日 - )は、東京都練馬区出身のプロ野球選手(投手)。CPBLの富邦ガーディアンズ所属。 練馬区立中村小学校2年の時に野球を始め、練馬区立中村中学校在学時はボーイズリーグの麻生ジャイアンツボーイズに所属。 中学卒業後は、福島県にある聖光学院高等学校に進学。2年秋から外野手としてベンチ入りし、冬からは投手を兼任するようになる。3年夏には第98回全国高等学校野球選手権大会に出場し、4番打者としてベスト8入りに貢献。3回戦の東邦戦ではぶっつけ本番で投手として先発し、藤嶋健人と投げ合い、9回2失点で完投勝利をおさめた。 高校卒業後は青山学院大学に進学し、同校硬式野球部に入部。
吉田 正尚(よしだ まさたか、1993年7月15日 - )は… 吉田 正尚(よしだ まさたか、1993年7月15日 - )は、オリックス・バファローズに所属する福井県福井市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。
加藤 匠馬(かとう たくま、1992年4月29日 - )は、… 加藤 匠馬(かとう たくま、1992年4月29日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(捕手)。
渡邉 雄大(わたなべ ゆうた、1991年9月19日 - )は… 渡邉 雄大(わたなべ ゆうた、1991年9月19日 - )は、新潟県三条市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 三条市立四日町小学校出身。三条市立第一中学校1年生の時から、同校の軟式野球部で野球を始める。 長岡市の中越高校に進学し、3年生の時に背番号1を付けエースとなる。3年生の春の春季北信越大会において決勝に進出。3年生の夏の第91回全国高等学校野球選手権新潟大会において、4回戦は完封勝利、準々決勝は完投勝利と好投をみせ、決勝に進出するが、決勝戦で日本文理高校に敗れ、甲子園出場はならなかった。 青山学院大学に進学し、2年生の時に投手としての特長を出すために、それまでのスリークォーターの投球フォームからサイドスローに変更する。
東條 大樹(とうじょう たいき、1991年8月15日 - )… 東條 大樹(とうじょう たいき、1991年8月15日 - )は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は千葉ロッテマリーンズに所属。
杉本 裕太郎(すぎもと ゆうたろう、1991年4月5日 - … 杉本 裕太郎(すぎもと ゆうたろう、1991年4月5日 - )は、オリックス・バファローズに所属する徳島県阿南市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。
中村 晃(なかむら あきら、1989年11月5日 - )は、… 中村 晃(なかむら あきら、1989年11月5日 - )は、埼玉県朝霞市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校2年生の時に岡ファイターズという少年野球チームに所属し、野球を始めた。朝霞市立朝霞第二中学校では軟式野球部に所属し、髙島祥平とは中学時代から同じチームに所属していた関係がある。一つ下の学年であった。帝京高校入学時は内野手兼投手だったが、同級生に大田阿斗里(横浜ベイスターズに入団)や垣ヶ原達也(青山学院大学→日立製作所)といった好投手がおり、投手としての自分に限界を感じて野手を志したという。子どもの頃は埼玉西武ライオンズのファンだった。 帝京高等学校入学後1年夏からベンチ入り。
小池 翔大(こいけ しょうた、1988年6月24日 - )は… 小池 翔大(こいけ しょうた、1988年6月24日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 葛飾区立高砂小学校1年から投手兼捕手として野球を始める。 修徳学園中時代は、軟式野球部に所属し3年時に第25回全国中学校軟式野球大会で準優勝を果たす。 常総学院高では、1年時の秋から正捕手となり2年時の春、3年時の夏と2度の甲子園出場を果たす。高校通算7本塁打。当時から、ドラフト候補に挙げられていた。 青学大に進学すると、1年時の春季リーグからレギュラーとして出場。開幕の駒大戦でリーグ史上初となる満塁本塁打を放ちデビューを飾ると、リーグ10位となる打率.289をマーク、ベストナインを受賞した。
下水流 昂(しもずる こう、1988年4月23日 - )は、… 下水流 昂(しもずる こう、1988年4月23日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 兄の影響で野球を始め、横浜市立鴨志田第一小学校から横浜市立鴨志田中学校に進学。中学時代に所属した緑中央シニアで本格的に野球に打ち込んだ。 横浜高時代は、1年時春からベンチ入り。2年秋になって中堅手のレギュラーに定着。3年時春の第78回選抜高等学校野球大会では、準決勝から4番に座り、同校8年ぶりとなる優勝を達成した。夏の第88回全国高等学校野球選手権大会では、1回戦で大阪桐蔭高に6-11で敗れた。高校の同期に福田永将や佐藤賢治や西嶋一記、2学年先輩に涌井秀章や石川雄洋、1学年後輩に髙濱卓也、2学年後輩に土屋健二や倉本寿彦がいる。
山室 公志郎(やまむろ こうしろう, 1987年7月14日 … 山室 公志郎(やまむろ こうしろう, 1987年7月14日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。
井上 雄介(いのうえ ゆうすけ、1986年9月5日 - )は… 井上 雄介(いのうえ ゆうすけ、1986年9月5日 - )は、千葉県茂原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 千葉経大附属高校では、シニア時代からのチームメイトである松本啓二朗と左右の投手の二枚看板を形成し、打線の中軸を担った。3年夏に甲子園に出場。3回戦ではダルビッシュ有を擁する東北高校を下し、その後ベスト4まで勝ち上がった。 進学した青山学院大学では野手転向を考えていたが、大学側は投手として評価しており、転向せず投手として活躍した。同期に高島毅、久古健太郎がいる。文学部史学科に在籍し、卒業論文のテーマは「承久の乱」だった。東都大学リーグ通算39試合登板、8勝11敗、防御率2.61、159奪三振。
小林 賢司(こばやし けんじ、1985年7月3日 - )は、… 小林 賢司(こばやし けんじ、1985年7月3日 - )は、山形県酒田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 酒田第二中学時代は軟式野球部に所属し、投手兼外野手として活躍。高校は酒田南高校へ進学。1学年上の先輩には福岡ソフトバンクホークスの長谷川勇也がいる。2年の春・夏に甲子園出場するも、いずれも初戦敗退。 青山学院大学では、3年次に春のリーグ戦で最優秀防御率を獲得。4年次には高市俊の抜けたあとのエースピッチャーとしてチームを牽引した。東都大学野球連盟のリーグ戦通算38試合登板し14勝9敗、防御率2.82、184奪三振。 2007年の大学生・社会人ドラフトでは、大場翔太、篠田純平と2度の抽選に外れたオリックスから1位指名を受けた。
横川 史学(よこがわ ふみのり、1984年12月3日 - )… 横川 史学(よこがわ ふみのり、1984年12月3日 - )は、千葉県千葉市(現:花見川区)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、指導者。右投左打。 愛称は「ヨコ」「ヨコやん」。 小学1年生で野球を始める。千葉市立朝日ヶ丘小学校時代は「千葉市リトル」で、千葉市立朝日ヶ丘中学校時代は「千葉北シニア」でプレーする。高橋悠太は中学時代の先輩である。また、横川の姉が「nano.RIPE」のきみコと小中学校のクラスメイトであり、横川が小学生の時まで同じマンションに住んでいた幼馴染の関係である。 常総学院高等学校へ進学後は、同級生の大﨑雄太朗と共に2001年の第73回選抜高等学校野球大会で優勝した。同大会では全試合「7番・一塁手」で出場。
大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 … 大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 - )は、茨城県つくば市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
円谷 英俊(つぶらや ひでとし、1984年9月17日 - )… 円谷 英俊(つぶらや ひでとし、1984年9月17日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)・コーチ。 横浜市立洋光台第一小学校1年の時から「洋光台キングタイガース」で投手、内野手として野球を始める。中学時代は中本牧リトルシニアに所属。 横浜高等学校では1年春からベンチ入りし、1年秋からレギュラー。2年夏に第83回全国高等学校野球選手権大会に出場した。 青山学院大学では1年春からベンチ入り。3年春に首位打者、3年春秋はベストナインを獲得。4年で大学全日本に選出。東都大学リーグ通算86試合出場、303打数87安打、打率.287、6本塁打、37打点。ベストナイン2回受賞。1年時に東都大学野球一部秋季リーグで優勝、3年春季から4年春季まで大﨑雄太朗、高市俊、横川史学、小窪哲也などとともにリーグ戦3連覇を達成し、戦国東都と言われる東都大学野球一部リーグで計4度の優勝を経験。
高市 俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千… 高市 俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 流山市立東小学校、流山市立東部中学校卒業。 帝京高校時代は松本高明、吉田圭らがチームメイト。自身はエースを務めたほか、高校通算12本塁打を記録するなど打撃も良く、登板しない際には三塁手としても出場していた。3年生時(2002年)には第84回全国選手権に出場し、最終的に準決勝まで勝ち進んだが、2回戦の光泉高校(滋賀県代表)戦以外はピリッとせず、伝令役の選手に「エースならしっかりしろ!」と一喝される一幕もあった。 青山学院大学では国際政治経済学部に在籍。山岸穣の卒業後にエースとなる。3年春から4年春にかけて同大学のリーグ3連覇に貢献し、東都大学リーグ史上初となる3季連続でのMVP、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝いた。
楠城 祐介(くすき ゆうすけ、1984年1月27日 - )は… 楠城 祐介(くすき ゆうすけ、1984年1月27日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(外野手)。
山岸 穣(やまぎし みのる、1982年8月17日 - )は、… 山岸 穣(やまぎし みのる、1982年8月17日 - )は、福井県鯖江市出身の元プロ野球選手(投手)。
金子 洋平(かねこ ようへい、1981年12月4日 - )は… 金子 洋平(かねこ ようへい、1981年12月4日 - )は、山口県山口市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投右打。 中学時代はボーイズリーグ・多摩ファイターズボーイズ(現・武蔵多摩ボーイズ)でプレー。国士舘高校では2年春の選抜大会に控え野手として出場。主将として臨んだ3年夏の東東京大会では一番を任され、3本塁打を記録するもベスト8で世田谷学園に敗れた。高校卒業後は青山学院大学へ進学。東都リーグでは2年春にリーグ6位の打率.353を記録しベストナインに選ばれている。4年秋には五番打者として3本塁打を放ち、8季ぶりのリーグ優勝に貢献した。大学4年間の通算成績は76試合出場、224打数56安打、打率.250、7本塁打、45打点。
石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )… 石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 NPBフランチャイズ投手として史上初となる1年目から24年連続勝利を挙げている(2002年 - 2025年)。また、大卒の投手として史上初となる1年目から24年連続安打を記録している(2002年 - 2025年)。 秋田市立下新城小学校、秋田市立秋田北中学校卒。秋田商では2年夏の県大会は2番手投手でベスト4。秋からはエースとなり、3年春は東北大会で初戦(7回コールド)から2戦連続で完封したが準決勝は先発せずに2番手登板も敗戦。3年夏の甲子園に出場した(石川とバッテリーを組んだ、主将で捕手の太田直は現在の秋田商硬式野球部監督である)。
志田 宗大(しだ むねひろ、1979年6月16日 - )は、… 志田 宗大(しだ むねひろ、1979年6月16日 - )は、岩手県大船渡市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は、中日ドラゴンズのアナリスト。 仙台育英高校では1年から3年連続で夏の甲子園に内野手で出場。青山学院大学時代は後に一緒にヤクルト入りする石川雅規と同期で、2年からは外野で4年時の2001年はセンターを守っていた。2年の大学選手権ではレギュラーで優勝。4年生の時には、翌2002年オフに読売ジャイアンツ(巨人)に自由枠で入団することになる木佐貫洋から本塁打を放つ活躍を見せている。東都大学リーグ通算95試合出場、326打数91安打、打率.279、4本塁打、34打点。ベストナイン2回受賞。
岡野 勝俊(おかの かつとし、1976年10月12日 - )… 岡野 勝俊(おかの かつとし、1976年10月12日 - )は、群馬県伊勢崎市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは捕手、内野手、外野手。 東京農大二高では3年夏に甲子園に出場し、1995年青山学院大学に入学する。大学では高校からの2年先輩である清水将海の卒業後に正捕手となり4年時は主将。3年春と4年秋にベストナイン受賞。2年上に井口忠仁、1年上に高須洋介、1年下に荒金久雄がいた。 大学卒業後は社会人野球のHondaのチームに入団する。主に捕手としてプレーしたが、2006年には三塁手部門で社会人ベストナインに選出された。2009年の都市対抗では、主将としてチームの優勝に貢献した。
中野 真博(なかの まさひろ、1976年6月8日 - )は、… 中野 真博(なかの まさひろ、1976年6月8日 - )は、石川県出身の元野球選手(投手、右投右打)、野球指導者。
高須 洋介(たかす ようすけ、1976年2月9日 - )は、… 高須 洋介(たかす ようすけ、1976年2月9日 - )は、佐賀県伊万里市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ。2015年より横浜DeNAベイスターズの二軍打撃コーチを務めている。
清水 将海(しみず まさうみ、1975年1月9日 - )は、… 清水 将海(しみず まさうみ、1975年1月9日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、コーチ。 小学生の時に正観寺町子供会のソフトボールを始め、小学5年から2年連続で投手として関東大会に出場。中学から野球部に所属した。 東農大二高2年から捕手となり、3年時、第64回選抜高等学校野球大会に出場したが、初戦で佐賀商の前に敗退した。 大学は東都大学リーグに所属する青山学院大学に進学 。1部リーグ通算77試合に出場、269打数65安打、5本塁打、30打点。ベストナイン受賞2回。 1996年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けて入団。当時の背番号は8(当初、大学時代と同じ背番号22となる予定であったが、定詰雅彦の阪神タイガースへの移籍で空き番となった8へ変更された)。
井口 資仁(いぐち ただひと、本名:井口 忠仁〈読み同じ〉、… 井口 資仁(いぐち ただひと、本名:井口 忠仁〈読み同じ〉、1974年〈昭和49年〉12月4日 - )は、東京都田無市(現:西東京市)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、野球解説者・野球評論家。 NPB時代は福岡ダイエーホークス・千葉ロッテマリーンズ時代に日本シリーズ優勝を3度、MLB時代はシカゴ・ホワイトソックス、フィラデルフィア・フィリーズ時代にワールドシリーズ優勝を2度、それぞれ経験している。 2018年シーズンから2022年シーズンまでロッテの監督を務めた。 東京都田無市(現:西東京市)で生まれる。軟式野球チーム「ビクトリー」で捕手として野球を始め、小学6年時に硬式野球チームの「保谷リトルリーグ」に移り、内野手に転向。
澤﨑 俊和(さわざき としかず、1974年9月21日 - )… 澤﨑 俊和(さわざき としかず、1974年9月21日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。 東京都足立区で生まれ、後に千葉へ転居する。小学2年で野球を始め、千葉市立みつわ台中学校3年の時に北千葉大会で優勝する。志学館高等学校(現:志学館高等部)では2年秋からエースになるが3年夏は県大会4回戦で敗退し甲子園出場ならず。プロ入りを拒否して青山学院大学へ進み、同期の清水将海とバッテリーを組んで3年秋にリーグ戦5勝を挙げて優勝に貢献、明治神宮大会では準決勝で近畿大学を相手に完封。4年春のリーグ戦で7勝を挙げてMVPと最優秀投手に選ばれ、大学選手権では準決勝で東北福祉大学を相手に12奪三振の完投、決勝では先発した同期の倉野信次を序盤で救援すると、やはり同期の主将・井口忠仁が2本塁打を放って優勝。
澤﨑 俊和(さわざき としかず、1974年9月21日 - )… 澤﨑 俊和(さわざき としかず、1974年9月21日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は広島東洋カープ二軍投手コーチ。
倉野 信次(くらの しんじ、1974年9月15日 - )は、… 倉野 信次(くらの しんじ、1974年9月15日 - )は、三重県度会郡小俣町(現:伊勢市)出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。 宇治山田高校では2年夏の大会で県ベスト8、3年夏には同校史上77年ぶりの全国大会出場を狙って決勝まで進出するが、三重高校にサヨナラ負けを喫し甲子園には出場できず。東都大学野球リーグの青山学院大では同期の井口忠仁・澤崎俊和・清水将海や2学年下の高須洋介らと共に黄金時代を築く。3年秋の明治神宮大会では初戦で先発勝利、決勝の明大戦は先発したが途中降板し準優勝。4年春は大学選手権で準々決勝に先発して完封すると決勝の九州共立大戦で先発したが序盤で澤崎に交代し、井口の2本塁打もあって優勝。
川越 英隆(かわごえ ひでたか、1973年6月8日 - )は… 川越 英隆(かわごえ ひでたか、1973年6月8日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 小さい頃から野球に興味を持ち、幼稚園の時に駄々をこね父兄同伴で小学生の野球チームに参加を認められたことがある。その頃から投手を務め、相模原市立桜台小学校、相模原市立相模台中学校を卒業後、甲子園出場を目指して福島県の学校法人石川高等学校に野球留学した。娯楽の無い環境で野球に打ち込み、3年時には第63回選抜高等学校野球大会、第73回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場するも両大会共に2回戦敗退。 高校卒業後は、監督の河原井正雄から熱心な勧誘を受け東都大学野球連盟所属の青山学院大学に進学した。
中川 隆治(なかがわ たかはる、1972年10月12日 - … 中川 隆治(なかがわ たかはる、1972年10月12日 - )は、 埼玉県入間郡毛呂山町出身の元プロ野球選手(投手)。 越生高(現在の武蔵越生高)を経て、青山学院大へ進学。3年春に小久保裕紀主将の下、全日本大学野球選手権の決勝戦ではドラフト上位候補であった河原隆一を擁する関東学院大を相手に12奪三振の好投で優勝に導いたほか、4年時の1994年には日本代表として日米大学野球選手権大会で登板した。4年秋のリーグ戦では、7勝2敗という好成績でリーグ優勝に貢献するとともに、最優秀投手のタイトルを獲得したほか、ベストナインに選出された。明治神宮大会では2勝を挙げるも準優勝に終わった。東都大学野球リーグでの通算成績は19勝6敗。
小久保 裕紀(こくぼ ひろき、1971年10月8日 - )は… 小久保 裕紀(こくぼ ひろき、1971年10月8日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球監督。現在は福岡ソフトバンクホークスの一軍監督を務める。 現役時代は福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークス、読売ジャイアンツに所属し、両球団で主将を務めた。2005年から2009年まで社団法人日本プロ野球選手会の第10代理事長を務めた。バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。 引退後の2013年からはNHKの野球解説者を務める一方、同年より2017年まで、日本代表(侍ジャパン)の監督を務めた。2021年シーズンは福岡ソフトバンクホークスのヘッドコーチ、2022年シーズンからは同二軍監督を務め、2024年シーズンより一軍監督を務める。
髙山 健一(たかやま けんいち、1971年8月4日 - )は… 髙山 健一(たかやま けんいち、1971年8月4日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現広島東洋カープスカウト。 前橋市立南橘中学から東農大二高に進学。3年夏の群馬大会で3番・二塁手として打率.611を記録し、チームの第71回全国高等学校野球選手権大会出場に貢献した。群馬大会決勝で捕手と激突した際に左足の筋が切れており、しばらくはスパイクも履けなかったが、本大会での日向高校との初戦では先制点に繋がる長打を放つなどチームを牽引した。 高校卒業後は青山学院大学に進学し、小久保裕紀や清原幸治と同級生となった。3年春の東都大学野球リーグではリーグ6位の打率.318で初のベストナインに三塁手として選ばれた。
高山 健一(たかやま けんいち、1971年8月4日 - )は… 高山 健一(たかやま けんいち、1971年8月4日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は、広島東洋カープのスカウト。
清原 幸治(きよはら こうじ、1971年4月15日 - )は… 清原 幸治(きよはら こうじ、1971年4月15日 - )は、日本の野球選手(一塁手)。大阪府岸和田市出身。元プロ野球選手・清原和博の実弟。
木村 龍治(きむら りゅうじ、1970年9月1日 - )は、… 木村 龍治(きむら りゅうじ、1970年9月1日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、読売ジャイアンツの二軍投手コーチを務める。
桑田 泉(くわた いずみ、男性、1969年11月25日 - … 桑田 泉(くわた いずみ、男性、1969年11月25日 - )は、日本・大阪府出身のプロゴルファー、野球選手。現在は日本プロゴルフ協会のティーチングプロをつとめる。
松山 秀明(まつやま ひであき、1967年4月18日 - )… 松山 秀明(まつやま ひであき、1967年4月18日 - )は、和歌山県伊都郡九度山町出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。 PL学園高校では清原和博、桑田真澄のKKコンビと同期、3年時には主将を務め、ともにPL黄金期を築いた。1985年春の選抜に三塁手として出場。準決勝で渡辺智男を擁する伊野商に敗退。同年夏の選手権では二塁手に回る。この大会は順調に勝ち進み、決勝で宇部商を降し優勝を飾る。この試合でサヨナラヒットを放ち注目を集めた。同期では他に今久留主成幸、内匠政博がプロ入りした。 卒業後は青山学院大学へ進学。東都大学野球リーグでは同期のエース吉田直喜を擁し、1988年秋季リーグで創部以来106年で初のリーグ初優勝を経験翌1989年は1年下の奈良原浩と二遊間を組み活躍。
南渕 時高(みなみぶち ときたか、1965年10月29日 -… 南渕 時高(みなみぶち ときたか、1965年10月29日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手(内野手)。
斉藤 学(さいとう まなぶ、1963年8月12日 - )は、… 斉藤 学(さいとう まなぶ、1963年8月12日 - )は、茨城県下館市(現在の筑西市)出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 2019年以降の登録名は齋藤 学(読み同じ)。姓については一部報道で「斎藤」と表記されることもある。 下妻一高では1年夏からアンダースローの投手になる。2年夏にエースで県大会準優勝、3年夏はノーヒットノーランも達成してベスト4。1982年、青山学院大学に進む。東都大学リーグでは3年生の1984年春に2部リーグでMVP、最優秀投手となり、1年上の小川博投手とチームの1部昇格に貢献。4年次の1985年春季1部リーグ戦では8勝3敗で最優秀投手とベストナインに選出された。
小林 徹(こばやし とおる、1962年4月29日 ‐ )は、… 小林 徹(こばやし とおる、1962年4月29日 ‐ )は、日本の高校野球指導者。千葉県出身。現役時代は投手。 習志野市の生まれ。習志野三中で野球を始め、習志野市立習志野高等学校では石井好博の指導を受けた。1年時の6月に不祥事が発覚して、7月から1年間の対外試合禁止処分を受けた経験がある。1980年、3年生の時に4番エースとして第62回全国高等学校野球選手権大会に出場した。青山学院大学でも投手を務めた。 1985年に商業科教諭として船橋市立船橋高等学校に赴任し、同校の野球部コーチとなった。1990年からは監督に就任。1993年に甲子園春夏連続出場し、1996年からは3年連続で選手権大会出場を果たした。
小川 博(おがわ ひろし、 1962年4月2日 - )は、栃… 小川 博(おがわ ひろし、 1962年4月2日 - )は、栃木県足利市出身、群馬県育ちの元プロ野球選手(投手)。現役引退後の2004年、強盗殺人事件を起こして無期懲役の判決を受け、現在は受刑者となっている。 出生は栃木県であるが、1歳時に子供に恵まれなかった群馬県在住の大工・清掃作業員夫婦の養子となり、以後養父母の元で育つ。栃木県足利市の足利市立第一中学校から前橋工高に進学し、同高ではエースとして活躍、甲子園に3回(1979年の春・夏、1980年の夏の選手権)出場した。1979年春の選抜では、1回戦で田辺商を6回3分の1を零封、3投手完封リレーの勝利をするが、続く2回戦で川之江高の鍋島博(駒大-電電東京)に抑えられ完封負け。
高田 博久(たかだ ひろひさ、1961年7月16日 - )は… 高田 博久(たかだ ひろひさ、1961年7月16日 - )は、千葉県市原市出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉商業高では、2年秋の県大会決勝で千葉工の関根浩史と投げ合って完封勝利したが、関東大会は初戦敗退。1979年夏の千葉県大会準々決勝に進出。エース銚子利夫を擁する市立銚子高と対戦するが、延長16回の熱戦の末、銚子にサヨナラ本塁打を喫し敗退。 高校卒業後は、青山学院大学に進学。しかし東都大学野球リーグでは、1981年春季リーグでチームが二部リーグに降格。以後も低迷が続き、一部昇格はならなかった。1983年秋季リーグで二部優勝に貢献、MVP、最優秀投手を受賞した。1学年下に小川博がいる。 大学卒業後は、社会人野球の日本楽器に入団。
吉田 幸夫(よしだ ゆきお、1958年7月23日 - )は、… 吉田 幸夫(よしだ ゆきお、1958年7月23日 - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 和歌山県田辺市出身。南部高校でアンダースローとなり、卒業後は青山学院大学経営学部に入学し硬式野球部に所属する。入部時は東都大学リーグ2部リーグであったが、大学3年次の1979年春の入替戦で専修大学に勝利。1部に昇格すると最優秀投手、1学年上の藤倉一雅とともにベストナインを受賞。4年次は主将も務めた。 大学卒業後の1981年に社会人野球のプリンスホテルに入社する。同期に川村一明、高山郁夫がいた。1984年にエースとしてロサンゼルスオリンピック野球日本代表に選ばれ、伊東昭光や宮本和知とともに投手陣の一角として活躍し、オリンピックでの金メダル獲得に貢献した。
藤倉 多祐(ふじくら かずまさ、1957年8月31日 - )… 藤倉 多祐(ふじくら かずまさ、1957年8月31日 - )は、栃木県足利市丸山町出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 1983年までの登録名は藤倉 一雅(読み同じ)。学生野球指導においても変更後の藤倉多祐の名義を用いている。父は、元西鉄の藤倉平三郎。 足利学園高では投手としてプレーし、3年次の1975年には夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で鹿児島商業高に完封勝利するが、3回戦では習志野高のエース小川淳司に完封負けを喫した。高校卒業後は1976年に青山学院大学に進学し、内野手に転向。東都大学リーグでは4年次の1979年に春季二部リーグで優勝し、入替戦で専大を降して5年ぶりの一部昇格を果たす。
藤倉 一雅(ふじくら かずまさ、1957年8月31日 - )… 藤倉 一雅(ふじくら かずまさ、1957年8月31日 - )は、栃木県足利市丸山町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。