スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
星野 ひので(ほしの ひので、2005年4月18日 - )は… 星野 ひので(ほしの ひので、2005年4月18日 - )は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 桐生市立新里中央小学校在学時は大間々東小リトルジャイアンツ、桐生市立新里中学校在学時は硬式野球のクラブチームである桐生ボーイズでプレーしていた。 群馬県立前橋工業高等学校では1年夏から3番打者を務めたが、2年夏の大会後に右肘の手術を受けて離脱。リハビリ中は柔軟性アップと下半身の強化に努め、体重を69kgから84kgまで増量した。その後復帰し、3年夏の群馬大会では常盤との2回戦で2本塁打を放ったが、続く3回戦で関東学園大附に敗れた。3年間で甲子園大会出場はなかった。
篠田 幸希(しのだ こうき、1999年3月11日 - )は、… 篠田 幸希(しのだ こうき、1999年3月11日 - )は、群馬県出身の競輪選手。日本競輪選手会群馬支部所属。ホームバンクは前橋競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)123期生。師匠は北村貴幸(71期)。 小学校では陸上、中学時代は剣道・駅伝に打ち込む。中学2年生の時に赤城山ヒルクライムの大会に出るために練習を始めたのがきっかけで、自転車競技を始める。 群馬県立前橋工業高等学校時代は短距離と長距離がメインだったが、日本体育大学4年生の時に短距離に絞り競輪選手を目指すようになった。 2021年1月14日、養成所第121回選手候補生入所試験に技能試験で合格したが、養成所はその1期後となる123期生として卒業。
南 彩乃(みなみ あやの、1998年1月1日 - )は、群馬… 南 彩乃(みなみ あやの、1998年1月1日 - )は、群馬県出身の女子競輪選手。旧姓、小林(こばやし)。日本競輪選手会群馬支部所属(一時期は和歌山支部所属)、ホームバンクは前橋競輪場(和歌山支部時代は和歌山競輪場)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第112期生。師匠は櫻井学(84期)。 中学校時代は新体操をしていたが、父親が趣味で乗っていたロードバイクに憧れ、ロードバイクを買ってもらったことを機に本格的に自転車競技を始めた。 前橋工業高校に入学し自転車部に入部、2015年JOCジュニアオリンピックカップ自転車競技大会女子ジュニア 2km個人パーシュート2位などの実績を残した。 2016年1月14日、競輪学校第112回技能試験に合格。
静 まなみ(しずか まなみ、1994年9月14日 - )は、… 静 まなみ(しずか まなみ、1994年9月14日 - )は、日本のファッションモデル。群馬県前橋市出身。前橋工業高校建築科卒。テンカラット所属。テンカラット移籍前は静 麻波の名でプラチナムプロダクションに所属していた。夫は俳優の武田真治。1児の母。 デビューのきっかけは東京ガールズコレクションに行ってスカウトされたことから。 2012年、きものクイーンコンテストで東京クレープガール賞を受賞。 2014年、ミスiD2014でファイナリストになった。 2016年10月、2017年度トリンプ・イメージガールに選出され、スロギーブランドのアンバサダーとして1年間活動した。 2019年6月、「天使のブラ」誕生25周年記念イベントに他のトリンプ・イメージガールと共にファッションショーへ出演。
倉林 巧和(くらばやし たくと、1992年2月1日 - )は… 倉林 巧和(くらばやし たくと、1992年2月1日 - )は、群馬県前橋市出身の自転車競技選手 個人では2015〜2017アジア自転車競技選手権大会チャンピオン、2018年よりパラサイクリング男子タンデムパイロットとしてパラサイクリストの木村和平とペアを組む
星 秀和(ほし ひでかず、1986年11月10日 - )は、… 星 秀和(ほし ひでかず、1986年11月10日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手・捕手、右投左打)・コーチ。 前橋工業高時代は3年夏の全国高等学校野球選手権群馬大会で準優勝。高校通算39本塁打。2004年のドラフト会議で西武ライオンズに5巡目指名され、捕手として入団。「ほかのキャッチャーよりもバッティングがいい」と評価され、「伊東2世」と呼ばれるなど期待が高かった。 一年目の2005年は二軍で39試合に出場し、打率.203の成績を残した。捕手24試合・三塁手2試合・外野手1試合で起用された。 俊足と打力を生かすため、2006年より内野手へ転向。本人は引退後に出演した野球Youtuberトクサンの動画内で、「入団した翌年に炭谷銀仁朗が入ってきて、2秒で捕手をクビになった」と語っている。
木暮 安由(きぐれ やすよし、1985年2月23日 - )は… 木暮 安由(きぐれ やすよし、1985年2月23日 - )は、群馬県前橋市出身の競輪選手。日本競輪学校第92期生。師匠は須田知光(競輪学校第27期生)。 群馬県立前橋工業高等学校在学時の2002年に高知国体の自転車競技・少年エリミネーションレースで優勝。競輪学校の在校競走成績は第7位(28勝)。 2007年7月22日に前橋競輪場でデビューし、初戦は5着、翌日の同場で初勝利を挙げた。2008年には4月から8月にかけて19連勝を達成。2009年(失格)および2010年(5着)には2年連続でヤンググランプリに出場した。 2012年、地元前橋で開催された第55回オールスター競輪でG1初優参(落車失格)。
井野 卓(いの すぐる、1983年11月23日 - )は、群… 井野 卓(いの すぐる、1983年11月23日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 小学1年生の時から野球を始め、ポジションはよく入れ替わったが中学3年生の時から捕手一本となる。前橋工業高校3年生の時は2001年夏の群馬大会で優勝し、甲子園に出場。卒業後、東北福祉大学に進学する。仙台六大学リーグで通算64試合166打数56安打・打率.337。2004年には日米大学野球日本代表に選出された。 強肩とチームをまとめる統率力が認められ、2005年度ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから7巡目指名を受けて入団。東北福祉大学の同期である松崎伸吾も楽天から1巡目指名を受けて入団し、チームメイトとなった。
狩野 恵輔(かのう けいすけ、1982年12月17日 - )… 狩野 恵輔(かのう けいすけ、1982年12月17日 - )は、群馬県渋川市出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)、野球解説者、野球評論家、YouTuber。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 中学校では投手だったが、2年秋に主将となると同時に捕手に転向した。 前橋工業高校への進学後は、2年秋に関東大会へ進むが初戦で延長11回サヨナラ負け。3年夏の選手権群馬大会で4本塁打を放って大会新記録を達成。2017年に山下航汰が5本塁打を放つまで破られない記録だった。決勝で一場靖弘を擁する桐生第一高校と対戦したものの、チームが敗戦を喫し、自身も最後の打者になった。在学中には、高い打撃センスと大人びた風貌から、右打者ながら「上州の掛布」と呼ばれていた。
大須賀 允(おおすが まこと、1980年3月8日 - )は、… 大須賀 允(おおすが まこと、1980年3月8日 - )は、栃木県足利市出身の元プロ野球選手(内野手)。 足利市立小俣小学校で野球を始め、足利市大会で優勝。足利市立小俣小学校では県大会に出場した。群馬県立前橋工業高等学校に進学後は2年夏と3年夏に甲子園に出場してともにベスト4。3年夏は準々決勝で三上真司、東出輝裕を擁する敦賀気比高等学校に延長10回サヨナラで勝利。準決勝で川口知哉の平安高等学校に敗退。甲子園通算31打数9安打.290を記録。 在学中は大型内野手として高校通算20本塁打を記録。また高校日本選抜にも選ばれるなど、ドラフト指名も噂されたが東北福祉大学に進学することとなった。 同大学では1年春からレギュラーとして活躍し、その年には日米大学野球代表にも選出された。
佐藤 崇明(さとう たかあき、1980年2月27日 - )は… 佐藤 崇明(さとう たかあき、1980年2月27日 - )は、元社会人野球選手である(投手、右投右打)。鷺宮製作所に所属していた。
斎藤 義典(さいとう よしのり、1978年7月10日 - )… 斎藤 義典(さいとう よしのり、1978年7月10日 - )は、群馬県館林市出身の元社会人野球選手(投手)。左投左打。 斉藤 義典と表記される場合もある。 館林市立第四中学校を経て前橋工業高校に進学。前橋工業高校では1年生の秋からエースになり、2年生だった1995年にはセンバツでベスト8に進出した。3年生だった1996年の夏の甲子園ではベスト4に進出。同大会は左投手に好投手が多かったが、斎藤は甲子園大会のベストナインを『スポーツニッポン』の記者が選ぶ「スポニチベストナイン」で同大会の投手部門第1位に選出された。全日本高校野球選抜にも選出され、ロサンゼルスで開催された4か国親善大会に日本代表のエースとして出場し、最高球速147 km/hを記録するなどして活躍。
稲村 好将(いなむら よしのぶ、1975年7月24日 - )… 稲村 好将(いなむら よしのぶ、1975年7月24日 - )は、日本の競輪選手。日本競輪選手会群馬支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第81期生。 稲村雅士(16期)は実父であり師匠。稲村成浩(69期)は実兄。 群馬県立前橋工業高等学校時代の1992年、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(インターハイ、宮崎県自転車競技場)のイタリアンチームレースで、手島慶介らとともに優勝に貢献。その後は競輪学校に入校し、同校の在校競走成績は9位(10勝)。主な同期生には加藤慎平、合志正臣、長塚智広らがいる。 1998年8月6日、ホームバンクである前橋競輪場でデビューし、初勝利を挙げた。 グレードレースでの優勝歴はGIIIで1回のみだが安定してS級で活躍を続けており、2023年上期よりS級1班に昇格する。
高見澤 考史(たかみざわ こうじ、1975年4月30日 - … 高見澤 考史(たかみざわ こうじ、1975年4月30日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(外野手)。アーデルバッティングドーム代表取締役社長。 長男は横浜DeNAベイスターズ育成選手の高見澤郁魅。 前橋工では2年の夏から一塁手のレギュラーを獲得し、3年次には主将を務めて春の群馬県大会で優勝したが関東大会では横浜高の白坂勝史、矢野英司の前に敗退、夏の県大会は準々決勝で桐生第一高等学校に敗れた。 卒業後は東京ガスに入社。同じ外野手には大友進がいた。1999年には日本代表として4ヵ国国際大会に出場、同年は都市対抗野球で3番を打ったほか同大会にはそれまで補強選手で2回出場。2000年度ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから6位指名を受けて入団。
手島 慶介(てじま けいすけ、1975年2月14日 - 20… 手島 慶介(てじま けいすけ、1975年2月14日 - 2009年1月25日)は、群馬県佐波郡玉村町出身の競輪選手。日本競輪学校第75期卒業。日本競輪選手会群馬支部所属。師匠は高橋祥一(引退)。初出走は1995年4月8日の宇都宮競輪場で初勝利は同開催の4月10日。血液型はO型。 弟の手島之憲(-ゆきのり 後に志誠と改名)も競輪選手である(群馬・83期)。 プロ野球選手が夢だったが、実家の隣人の競輪選手だった人との出会いをきっかけに、この職業を目指す。 群馬県立前橋工業高等学校在学時から自転車競技を行っており、卒業後に入学した競輪学校では、太田真一、十文字貴信、伏見俊昭、金子貴志ら逸材揃いの75期の中で卒業記念レースを優勝する。
金子 真也(かねこ しんや、1972年7月4日 - )は競輪… 金子 真也(かねこ しんや、1972年7月4日 - )は競輪選手。日本競輪選手会群馬支部に在籍。 群馬県立前橋工業高等学校時代の1990年、稲村成浩らとのカルテットで全国高等学校総合体育大会自転車競技大会のイタリアンチームレースの優勝に貢献。 1991年、稲村とともに日本競輪学校第69期生として同校に入学。師匠は稲村の父・稲村雅士。 1992年4月9日、一宮競輪場でデビューし初勝利も同日。 1998年の高松宮記念杯競輪において、特別競輪(現在のGI)初優出(9着)。 その2年後の2000年の同大会決勝では、最終4角9番手の位置から、当時選手間でよく言われていた、大津びわこ競輪場の『びわこ道』を利して直線で一気に伸び、2着の太田真一に2車身の差をつける快勝で、特別競輪初制覇を果たした。
稲村 成浩(いなむら なりひろ、1971年12月18日 - … 稲村 成浩(いなむら なりひろ、1971年12月18日 - )は、群馬県前橋市出身の競輪評論家。元競輪選手、自転車競技選手。現役時代は日本競輪選手会群馬支部所属、ホームバンクは前橋競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第69期生。師匠は実父の稲村雅士で、同じく選手の稲村好将は実弟。血液型はA型。 偉大な競輪選手である稲村雅士を父に持っていたため早くから自転車に慣れ親しんでおり、群馬県立前橋工業高等学校の自転車部に入部してからは高校総体などで数度優勝する。その実績から高校在学中の1990年8月にグリーンドーム前橋で開催された世界選手権自転車競技大会では、1学年下の斎藤登志信とのペアでトラックレース・タンデムスプリント(アマチュア部門)に出場。
渡辺 久信(わたなべ ひさのぶ、1965年8月2日 - )は… 渡辺 久信(わたなべ ひさのぶ、1965年8月2日 - )は、群馬県勢多郡新里村(現:桐生市)出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、元プロ野球監督、野球解説者、野球評論家。 前橋工業高校から1983年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)に1位指名されて入団。最多勝利を3回獲得するなどパシフィック・リーグを代表する本格派右腕として活躍した。現役時代の通算成績は125勝110敗27セーブ。引退後は2005年から2007年まで西武二軍の監督、2008年から2013年まで一軍監督を務めた後、2019年から2024年まで同球団のゼネラルマネージャー (GM) を務めた。2024年5月27日から同シーズン終了までは、成績不振で休養した松井稼頭央監督に代わって監督代行を務めた。
小川 博(おがわ ひろし、 1962年4月2日 - )は、栃… 小川 博(おがわ ひろし、 1962年4月2日 - )は、栃木県足利市出身、群馬県育ちの元プロ野球選手(投手)。現役引退後の2004年、強盗殺人事件を起こして無期懲役の判決を受け、現在は受刑者となっている。 出生は栃木県であるが、1歳時に子供に恵まれなかった群馬県在住の大工・清掃作業員夫婦の養子となり、以後養父母の元で育つ。栃木県足利市の足利市立第一中学校から前橋工高に進学し、同高ではエースとして活躍、甲子園に3回(1979年の春・夏、1980年の夏の選手権)出場した。1979年春の選抜では、1回戦で田辺商を6回3分の1を零封、3投手完封リレーの勝利をするが、続く2回戦で川之江高の鍋島博(駒大-電電東京)に抑えられ完封負け。
高橋 一彦(たかはし かずひこ、1961年6月12日 - )… 高橋 一彦(たかはし かずひこ、1961年6月12日 - )は、栃木県塩谷郡藤原町出身の元プロ野球選手(投手)。愛称は「ぴんさん」。 前橋工業高では外野手として小川博、番場覚らの投手陣を擁し、1979年春夏の甲子園に出場。春の選抜では2回戦で川之江高に敗退。夏の選手権は3回戦に進むが、比叡山高に敗れる。 高校卒業後は、社会人野球の日本石油に進み投手に転向。1982年の都市対抗野球に出場し、1回戦で先発するが川崎重工に敗退。1984年の都市対抗野球では日産自動車の補強選手として出場。2回戦ではプリンスホテルを相手に好リリーフを見せ勝利投手となる。準々決勝では先発して新日本製鐵大分に勝利、決勝でも登板し日本鋼管を降し優勝を飾る。
高橋 忠一(たかはし ちゅういち、1960年5月31日 - … 高橋 忠一(たかはし ちゅういち、1960年5月31日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 前橋工業高では、1978年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、エース木暮洋を擁する桐生高に惜敗し甲子園出場を逸する。 高校卒業後は、社会人野球の東京ガスに入社。1980年の都市対抗野球からチームは同大会に3年連続出場し、1981年からメンバー入り。 1983年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名を受け入団。 プロ1年目の1984年は、新人ながら主に左翼手として25試合に先発出場、打率.280の好成績を記録した。しかし翌1985年春に肩を故障し、出場機会が減少。1989年に復活し、外野手の準レギュラーとして起用されるが、1990年限りで現役を引退。
関口 功一(せきぐち こういち、1959年 - )は、日本の… 関口 功一(せきぐち こういち、1959年 - )は、日本の歴史学者。専門は毛野古代史。 群馬県前橋市生まれ。1988年立教大学大学院文学研究科史学専攻博士課程満期退学。2014年「古代「東国」の史的位置」で専修大学・博士(歴史学)。群馬県立前橋工業高等学校教諭を務める。
中村 孝生(なかむら たかお、1958年1月22日 - )は… 中村 孝生(なかむら たかお、1958年1月22日 - )は、日本の元陸上競技選手。群馬県出身。群馬県立前橋工業高等学校、日本体育大学体育学部体育学科卒業。 1970年代から1980年代にかけて長距離種目で活躍した。モスクワオリンピック代表、アジア大会2冠などの実績を誇る。瀬古利彦らとしのぎを削った名ランナーである。1980年ヱスビー食品入社。モスクワオリンピック代表に選出されるも、ソ連のアフガニスタン侵攻の影響で日本選手団は不参加を決定。不運に泣いた。ヱスビー食品陸上競技部競技部長を務めた。立正大学陸上競技部駅伝部門の初代監督を経てアドバイザーとなる。 インターハイ(2年生時)では800m・1500m優勝の瀬古をおさえ5000m優勝した。
向田 佳元(むかいだ よしもと、1956年4月11日 - )… 向田 佳元(むかいだ よしもと、1956年4月11日 - )は、群馬県桐生市出身の元アマチュア野球選手(投手)である。 前橋工業高校では1973年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で福井商に完封負け。この試合はリリーフで甲子園初登板を果たす。翌1974年夏の甲子園にエースとして連続出場。準々決勝では静岡商の高橋三千丈と投げ合い1-0で完封勝ち。準決勝に進むが、銚子商の土屋正勝に完封負けを喫する。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは1年生から起用される。1976年の明治神宮野球大会では、決勝で法大の江川卓と投げ合うが完封負けを喫する。北口勝久(松下電器)との二本柱で1978年秋季リーグ優勝に貢献。
有希 俊彦(ゆうき としひこ、1953年2月19日 - )は… 有希 俊彦(ゆうき としひこ、1953年2月19日 - )は、日本の元俳優。 群馬県前橋市出身。身長184cm。かつてスペースクラフトに所属していた。 群馬県立前橋工業高等学校から群馬大学工学部電気工学科卒業(1979年3月卒業)。中学生時代は天文学に凝っていたことがあった。 大学浪人中の19歳の時にモデルとしてスカウトされる。1974年から1977年まで、日産・スカイライン『ケンとメリー』のCMで二代目のケンで出演する。その後1978年4月から1979年3月までTBSの平日午前11時から放送されていた生活情報番組『11時にあいましょう』でカバー・ボーイ(アシスタント)としてレギュラー出演した。
柚木 秀夫(ゆき ひでお、1951年12月18日 - )は、… 柚木 秀夫(ゆき ひでお、1951年12月18日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代から投手として活躍。中学時代の実績を評価して誘いのあった前橋工業高に進学する。高校時代は1968年、2年の時に控え投手として夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で智辯学園高に敗退するが、リリーフ投手として登板した。3年の夏は北関東大会準決勝に進出するが、宇都宮学園高に敗れる。高校同期に佐野仙好三塁手、片貝義明捕手がいた。 高校卒業後は、社会人野球の電電東京に入団。スリークォーターからのストレートに威力があり、コントロールもよかったことから、南海ホークスがスカウトし1970年オフにドラフト外で入団した。
片貝 義明(かたがい よしあき、1951年9月27日 - )… 片貝 義明(かたがい よしあき、1951年9月27日 - )は、群馬県吾妻郡中之条町出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。息子はスタイリストの片貝俊。 前橋工業では2年次の1968年にチームが夏の甲子園に出場するが、片貝の出番は無かった。3年次の1969年夏は正捕手として北関東大会準決勝に進出するが、宇都宮学園に敗れ、甲子園出場はならなかった。高校同期に佐野仙好、柚木秀夫がいた。卒業後は1970年に日本石油へ入社し、2年目の1971年から都市対抗に2年連続出場。 1972年のドラフトで中日ドラゴンズから2位指名を受け、1973年シーズン後に入団。しかし当時の中日捕手陣は木俣達彦、新宅洋志と実力者が揃っており、一軍での出番はほとんどなかったため、小松辰雄や牛島和彦が入団して来たころには若手投手の「教育係」的存在となった。
佐野 仙好(さの のりよし、1951年8月27日 - )は、… 佐野 仙好(さの のりよし、1951年8月27日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ、野球解説者。 日本プロ野球(NPB)では一貫して阪神タイガースに在籍。1997年のコーチ退任を機に現場を離れてからも、球団本部のアマスカウト部門に籍を置きながら、関東地区の担当や顧問を務めた。 愛称は名前を音読みした「センコー」。 前橋工業高校では1968年、2年の時に三塁手として夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で智辯学園のエース上田容三に完封を喫する。3年の夏は北関東大会準決勝に進出するが、宇都宮学園に敗れる。高校同期に柚木秀夫、片貝義明がいた。 卒業後は中央大学へ進学、東都大学野球リーグでは3度優勝。
滋野 文夫(しげの ふみお, 1949年7月4日 - )は、… 滋野 文夫(しげの ふみお, 1949年7月4日 - )は、群馬県前橋市出身の水泳選手。「国体男」として知られる。通算17回の出場は史上最多。 1949年7月4日、群馬県前橋市に生まれる。群馬県立前橋工業高等学校に入学し、高校総体や群馬県選手権で入賞する。法政大学入学後、水泳部の主将として、インターカレッジ3位の記録を残す。1965年の岐阜国体から1990年の福岡国体の間に、国体出場17回の記録を打ち立てる。2009年1月現在、前橋市水泳協会会長。2020年4月現在前橋市スポーツ協会会長。
谷 喬夫(たに たかお、1947年12月 - )は、日本の政… 谷 喬夫(たに たかお、1947年12月 - )は、日本の政治学者。新潟大学名誉教授。専攻は、政治哲学・西洋政治思想史。 群馬県前橋市生まれ。1966年群馬県立前橋工業高等学校機械科卒業。1971年中央大学法学部政治学科卒業、1974年東北大学大学院法学研究科修士課程修了、1979年中央大学大学院法学研究科博士課程満期退学。 その後、中央大学法学部通信教育課程インストラクター、埼玉大学教養部・早稲田大学教育学部の兼任講師を経て、1983年日本福祉大学社会福祉学部専任講師(福祉政治論担当)。1989年同社会福祉学部助教授。同社会科学研究所長。1992年新潟大学法学部教授(西洋政治思想史など担当)。
深谷 憲一(ふかや けんいち、1947年5月29日 - )は… 深谷 憲一(ふかや けんいち、1947年5月29日 - )は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官などを務めた。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、1971年に京都大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。1980年より在タイ日本国大使館書記官を務める。1997年に大臣官房審議官、2000年6月に航空局長を歴任し、2002年8月に海上保安庁長官に就任。2004年7月に日本政策投資銀行理事に就任。 2018年11月に瑞宝重光章を受章。
荒井 穣吉(あらい じょうきち、1938年5月21日 - )… 荒井 穣吉(あらい じょうきち、1938年5月21日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。 前橋工業高校から1958年に大毎オリオンズへ入団。同年退団。
速川 治郎(はやかわ じろう、1928年3月 - )は、日本… 速川 治郎(はやかわ じろう、1928年3月 - )は、日本の哲学研究者。早稲田大学名誉教授。 群馬県群馬郡豊秋村(現・渋川市)生まれ。1945年3月、群馬県立前橋工業学校(群馬県立前橋工業高等学校の前身)建築科卒。1948年、運輸省立三島鉄道教習所専門部建設土木科卒、運輸省施設局企画課入省。1951年、国鉄東京鉄道管理局品川客車区(夜間勤務)。1955年、早稲田大学第一文学部西洋哲学科卒。1960年、同大学院博士課程満期退学。1962年、早稲田大学高等学院教諭(ドイツ語)。1972年、早稲田大学社会科学部専任講師となり、1973年に助教授、1978年に教授。1998年、定年退職、名誉教授。この間1978年から1979年、デュッセルドルフ大学哲学研究所客員教授。
佐田 武夫(さた たけお、1925年〈大正14年〉6月16日… 佐田 武夫(さた たけお、1925年〈大正14年〉6月16日 - 2008年〈平成20年〉11月9日)は、日本の実業家。元佐田建設社長。佐田一郎元参議院議員の娘婿で、息子は佐田玄一郎元衆議院議員。 バブル期には勢いに乗って好調な業績を維持したが、不幸にも建設業界の不況の波に飲み込まれてしまった。スポーツ社長として知られ、特にバスケットボールには造詣が深く、自社でチームを運営する傍ら、日本クラブバスケットボール連盟では会長を長年務めていた(晩年は名誉会長)。 1925年(大正14年)、群馬県勢多郡粕川村(現・前橋市)に、松村瑳一郎の五男として生まれる。1942年(昭和17年)群馬県立前橋工業学校を卒業。
土屋 秀人(つちや ひでと)は、日本の空手家。 中学時代は空… 土屋 秀人(つちや ひでと)は、日本の空手家。 中学時代は空手部がないため陸上部に所属、群馬県立前橋工業高等学校から帝京大学に進学。卒業後はシャインに所属。 1995年、1997年、1998年、全日本選手権成年男子形で準優勝、1998年、フランスで行われた第1回世界大学空手道選手権大会に出場し男子形で優勝。1999年、全日本選手権成年男子形で3位。 2000年~2004年、全日本選手権成年男子形で5年連続優勝。その間、2001年、マレーシア・クアラルンプールで行われた第5回アジア選手権に日本代表として出場し男子形で優勝。2003年、国民体育大会に群馬県代表として出場し、一般男子個人型の部優勝。日本空手松涛会全国大会で成年男子個人形で優勝。