小松崎 弘子(こまつざき ひろこ、1981年3月2日 - )… 小松崎 弘子(こまつざき ひろこ、1981年3月2日 - )は、茨城県出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。身長164cm。得意技は背負投。 柔道は6歳の時に始めた。土浦第四中学3年の時には全国中学校柔道大会の56kg超級で3位になった。千葉県の市立柏高校に進むと菊川慶一の指導の下でさらに力を付けて、2年の時には金鷲旗で3位、インターハイ団体戦では2位となった。全国高校選手権78kg超級では優勝を飾った。3年の時には金鷲旗で2位だったものの、インターハイの団体戦ではチームの初優勝に貢献した。全日本ジュニアでは2位となった。拓殖大学へ進むと、1年の時には全日本ジュニアの決勝で土浦日大高校3年の塚田真希に敗れて2位だった。
水谷 有希(みずたに ゆき、1977年6月16日 - )は愛… 水谷 有希(みずたに ゆき、1977年6月16日 - )は愛知県出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。現役時代は身長165cm。体重98kg。 八開中学2年と3年の時に全国中学校柔道大会56kg超級で5位になった。桜丘高校に進むと、2年の時に全国高校選手権72kg超級で優勝を飾った。1996年に拓殖大学へ進むと、1年の時に優勝大会で3位となった。2年の時には選抜体重別で決勝まで進むが、日体大4年の二宮美穂に敗れて2位だった。3年の時には正力杯で3位にとどまるも、無差別で争われる全日本学生選手権で優勝を飾った。さらには、世界学生の無差別でも優勝を成し遂げた。 (出典、JudoInside.com)
妹尾 ひでみ(せお ひでみ、1975年8月8日 - )は鹿児… 妹尾 ひでみ(せお ひでみ、1975年8月8日 - )は鹿児島県阿久根市出身の日本の柔道家。72kg超級の選手。現役時代は身長185cm。体重120kg。足のサイズは30cm。兄は伊勢ノ海部屋の元力士であった。 阿久根小学校5年の時に兄の影響で三笠少年柔道団で柔道を始めた。阿久根中学時代は九州大会で3位になるが、その当時の体重は実に173kgもあったという。私立柳川高校に入学すると体重は120~130kgで落ち着くことになったが、2年までは巨体をもてあまして練習も捗らず、また部内の層が厚いこともあって控えだった。3年になってようやくレギュラー選手になり、金鷲旗とインターハイ団体戦では同級生の全国高校選手権72kg級チャンピオンの佐藤和恵や、1年後輩で超高校級の全日本選手権チャンピオンの阿武教子らとともに活躍して優勝に貢献した。
中市 陽子(なかいち ようこ、1974年(昭和49年)12月… 中市 陽子(なかいち ようこ、1974年(昭和49年)12月3日 - )は大阪府出身の日本の柔道家。66kg級及び70kg級の選手。身長163cm 箕面第一中学から箕面学園高校へ進むと、1年と2年の時に高校選手権66kg級の決勝で、柳川高校の佐野奈津子に有効と判定でそれぞれ敗れた。 1993年に拓殖短期大学へ進学すると、1年の時に正力杯と強化選手選考会で3位になった。2年の時にはイギリス国際に出場するが、決勝で地元イギリスのカレン・ロバーツに敗れた。体重別で3位になるが、強化選手選考会では決勝で住友海上の木本奈美に敗れて2位だった。 1995年には拓殖大学に編入することになった。3年の時には体重別の決勝であさひ銀行の石橋千里に敗れた。
宮家 江美(みやけ えみ、1972年4月24日 - )は熊本… 宮家 江美(みやけ えみ、1972年4月24日 - )は熊本県出身の日本の柔道家。61kg級の選手。身長167cm。 城南中学から熊本西高校へ進むと、2年の時に当時無差別の個人戦で争われていた金鷲旗で3位となった。全国高校選手権の66kg級では決勝まで進むも、松戸馬橋高校1年の藤本哲子に送足払の技ありで破れて2位だった。3年の時には全日本選手権に出場するも、3回戦で筑波大学3年の鈴木香に崩袈裟固で敗れた。1991年には拓殖短期大学へ進み木村政彦や岩釣兼生の指導を受けることになると、1年の時には強化選手選考会61kg級決勝で住友海上の西野弘子を腕緘で破って優勝を飾った。2年の時には選抜体重別の準決勝でミキハウスの小林貴子に判定で敗れて3位だった。
蔵本 孝二(くらもと こうじ、1951年8月14日 - )は… 蔵本 孝二(くらもと こうじ、1951年8月14日 - )は、大分県日田市出身の日本の柔道家。身長174cm。 福岡県久留米市立南筑高校、拓殖大学、神奈川県警察の経歴。1976年神奈川県警当時に出場したモントリオールオリンピックの男子柔道軽中量級銀メダリスト。
正木 照夫(まさき てるお、1947年10月10日 - )は… 正木 照夫(まさき てるお、1947年10月10日 - )は日本の柔道家(講道館8段)、レスリング選手。兵庫県出身。拓殖大学柔道部師範。 兵庫県神戸市出身。小中学校時代は野球少年だったが、個人競技に興味があったため神港学園高校入学と同時に柔道を始めた。 拓殖大学商学部に進学してからは同期の西村昌樹らと共に柔道王・木村政彦の元で猛稽古に励んで実力を磨くが、寝技を嫌い得意技の内股に固執していた正木は、木村から「寝技が弱過ぎる」「寝技ができなければ世界で通用しない」として大学2年次から柔道と並行してのレスリング修行を命じられた。レスリング部での修行後に柔道部の稽古に参加できるよう、木村の取り計らいにより柔道部の練習時間をわざわざ変更してもらったという。
岩釣 兼生(いわつり かねお、1944年3月25日 - 20… 岩釣 兼生(いわつり かねお、1944年3月25日 - 2011年1月27日)は、日本の柔道家。七段。身長182 cm、体重105 kg(全盛期)。熊本県出身。晩年、雑誌などでは岩釣 兼旺を名乗ることが多かった。 熊本県立鹿本高等学校時代、木村政彦にスカウトされ拓殖大学に入学。当時の木村の指導方法は、気が向いたら真夜中だろうと部員を叩き起こすというもので、1日のうち24時間が練習時間と言っても過言ではないくらい厳しいものであったとされる。 岩釣は師匠ゆずりの独特の大外刈や腕緘(キムラロック)を身につけて、1965年の大学4年時、キャプテンとして部を率い、全日本学生柔道優勝大会決勝でそれまで4連覇していた明治大学を破って拓殖大学を戦後団体戦初優勝に導く。
平野 時男(ひらの ときお、1922年8月6日 - 1993… 平野 時男(ひらの ときお、1922年8月6日 - 1993年7月27日)は、日本の柔道家(講道館8段)。 皇宮警察や綜合警備保障の柔道師範を務めたほか、欧州各国で柔道指導を行いアントン・ヘーシンクやウィレム・ルスカ等の世界チャンピオンを育てた事で知られる。 淡路島の洲本市に生まれ、旧制・洲本中学校に入学した直後の1935年4月より柔道を始めた。2年生で初段位を取得すると推薦により平安中学校へ転校し、大日本武徳会武道専門学校師範を務める福島清三郎8段(のち9段)の義方会塾に住みこんで4段・5段の猛者を相手に修行に励んだ。平安中学主将となった平野は1939年に全国中等学校大会で優勝すると、同年秋に講道館で開催された明治神宮国民体育大会(中学校の部)に団体戦の京都府代表として出場し、優勝に貢献。
木村 政彦(きむら まさひこ、1917年〈大正6年〉9月10… 木村 政彦(きむら まさひこ、1917年〈大正6年〉9月10日 - 1993年〈平成5年〉4月18日)は、日本の柔道家・プロレスラー。段位は講道館柔道七段。鬼の木村の異名を持つ。 全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、後々にも史上最強の柔道家と称されることが多い。身長170 cm、体重85 kgと小兵ながら、トレーニングにより鍛え抜かれた強靭な肉体、爆発的な瞬発力、得意技である切れ味鋭い大外刈りのスピードとパワー、高専柔道で身につけた寝技技術、またこれらを支える一日10時間を越える練習量と柔道に命を賭す強靭な精神力を武器に15年間不敗を成し遂げた。
大谷 晃(おおたに あきら、1906年10月9日 - 196… 大谷 晃(おおたに あきら、1906年10月9日 - 1963年2月22日)は日本の柔道家(講道館9段、大日本武徳会教士)。 1929年の明治神宮大会や1934年の天覧試合で選手権を獲得、後には拓殖大学や大阪府警察で後進の指導に当たるなどした、戦前・戦後の柔道界を牽引した柔道家の1人である。 広島県出身。中外商業学校(のちの県立尼崎北高校)、大日本武徳会大阪支部で柔道を学び、1924年17歳の時に講道館入門。入門半年後に初段、1925年1月に2段、1926年11月に3段、1927年2月に4段と、毎年順調に昇段を重ねた。身長157cmと上背はないものの、重心が低く巌のような体重89kgの体から繰り出す右の背負投と得意とし、1927年の第4回明治神宮大会柔道競技において青年団の個人戦・団体戦に出場。
秋本 勝則(あきもと かつのり)は熊本県牛深市出身の柔道選手… 秋本 勝則(あきもと かつのり)は熊本県牛深市出身の柔道選手である。1975年世界柔道選手権大会の軽中量級で銅メダル、1978年の嘉納治五郎杯東京国際柔道大会で優勝している。 牛深市立牛深中学校卒業後、柔道の名門である鎮西高等学校、拓殖大学に進学、当時の拓殖大学柔道部監督は木村政彦。現役時代の階級は軽中量級(65kg級)。現在は熊本県宇城市(旧下益城郡松橋町)で秋本整骨院を経営している。 バロン吉元作「現代柔侠伝」の主人公柳勘一のモデルといわれており、柔道の強さに反して人情味溢れる物腰の柔らかい人柄で、慕う大学の後輩も多い。 長男の秋本修平(鎮西高校・中央大学出身、元了徳寺学園職)は1999年インターハイ73kg級2位・全日本ジュニア柔道体重別選手権大会1999年73kg級優勝・2000年66kg級2位、次男の秋本啓之(桐蔭学園高等学校/筑波大学出身、了徳寺学園職)は2007年のフランス国際柔道優勝、2010年世界柔道選手権大会で金メダルを獲得し史上初の親子メダリストとなった。