立花 綾香(たちばな あやか、1992年4月2日 - )は、… 立花 綾香(たちばな あやか、1992年4月2日 - )は、日本のシンガーソングライターであり、アニメーション作品の音楽を総合的に手掛けるクリエイティブ・ユニット(K)NoW_NAMEのボーカルでもある。熊本県山鹿市出身。2019年11月20日にメジャーデビュー。
熊本県立鹿本高等学校:26人
※有名人ナビに登録されている26人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
立花 綾香(たちばな あやか、1992年4月2日 - )は、… 立花 綾香(たちばな あやか、1992年4月2日 - )は、日本のシンガーソングライターであり、アニメーション作品の音楽を総合的に手掛けるクリエイティブ・ユニット(K)NoW_NAMEのボーカルでもある。熊本県山鹿市出身。2019年11月20日にメジャーデビュー。
池野 剛(いけの つよし、1990年7月24日 - )は、熊… 池野 剛(いけの つよし、1990年7月24日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションは、ディフェンダー。
肥後嵐 悠太(ひごあらし ゆうた、1989年8月20日 - … 肥後嵐 悠太(ひごあらし ゆうた、1989年8月20日 - )は、熊本県熊本市北区出身で、木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)に所属した元大相撲力士。本名は塚本 悠太(つかもと ゆうた)。身長182.5cm、体重127.2kg。最高位は東幕下2枚目(2014年3月場所)。 アマチュア相撲の実績を有する弟子が多い木瀬部屋にあって入門前には珍しく相撲経験がなかった。熊本市立北部東小学校1年から熊本県立鹿本高等学校まで柔道を続けるも、高校は1年生の10月に一身上の都合で中退。半年ほど途方に暮れていたところを当時九州場所で熊本県に宿舎を置いていた木瀬部屋と縁があって入門が決まった。本人は入門に不安があったものの自己改革のために決断したという。
江里口 匡史(えりぐち まさし、1988年12月17日 - … 江里口 匡史(えりぐち まさし、1988年12月17日 - )は、日本の元陸上競技選手で、専門は短距離走。熊本県菊池市出身。熊本県立鹿本高等学校、早稲田大学スポーツ科学部卒業。大阪ガス所属。 鹿本高校時代の2006年10月第61回国民体育大会少年男子100mで優勝。2007年に早稲田大学入学、1年目から日本インカレ100mで優勝を果たすなど活躍を見せた。その後故障に見舞われた時期があり、オリンピックへ出場はしていない。2008年9月27日の早慶対抗競技会では、4×200mリレーの1走を務めて1分22秒67の日本新記録を樹立した。大学3年に進級した後、2009年6月28日の第93回日本選手権男子100m決勝で、10秒14のタイムで初優勝を飾った。
樋口 大輝(ひぐち だいき、1984年4月8日 - )は、熊… 樋口 大輝(ひぐち だいき、1984年4月8日 - )は、熊本県八代市出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。 高校時代には九州ユース選抜に、大学時代には九州大学選抜に選ばれるなど、九州学生サッカー界を代表するサイドプレーヤーとして活躍。JFL合同セレクションでのプレーが認められ、2007年シーズンよりJリーグ準加盟チームとなったガイナーレ鳥取に加入。開幕からスターティングメンバーに名を連ね、その後も主力選手として活躍する。 しかし2008年になると出場機会が激減。同年8月4日にガイナーレ鳥取からの退団が発表された。9月30日に佐川印刷SCへの移籍が決定した。 佐川印刷SC移籍後すぐにレギュラーとなり、以降もチームの主力として活躍。
宮崎 光平(みやざき こうへい、1981年2月6日 - )は… 宮崎 光平(みやざき こうへい、1981年2月6日 - )は、熊本県山鹿市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 平小城保育園、平小城小、山鹿鶴城中、鹿本高普通科 体育コース(2期生)を経て1999年にサンフレッチェ広島に加入。高校3年の選手権県予選では、FW巻誠一郎を擁する大津高校に準決勝で1-0で勝利した。決勝で国府高校に敗れるも準優勝した。国体の熊本県代表としても活躍。プロ同期入団は、高橋泰、池田学徳、吉田幸生。広島では出場機会が与えられず、2002年にアビスパ福岡へ移籍。2003年にはチームでただ1人全試合出場を果たすなど、左右こなせるサイドアタッカーとしてチームに貢献したが、2007年シーズン終了後に戦力外通告受け、当時GMであった小林伸二(後の山形監督)とともに2008年シーズンからはモンテディオ山形でプレーしており、開幕からベンチ入りしている。
浦田 理恵(うらた りえ、1977年7月1日 - )は、日本… 浦田 理恵(うらた りえ、1977年7月1日 - )は、日本の女子ゴールボール選手。ゴールボール女子日本代表。シーズアスリート(総合メディカル株式会社)所属。 熊本県玉名郡南関町出身。小学校教師を目指していた20歳の時に、網膜色素変性症に罹り両眼を失明する。ショックで引きこもりとなり、後に両親に告白すると、「自分で出来ることを捜しなさい。頑張りなさい」と励まされたという。 鍼灸マッサージの免許取得で視力センターに入所した際、クラブ活動でゴールボールを始めた。国際大会への初参加は2006年7月のIBSA世界選手権大会。ロンドンパラリンピックでは、日本初となる団体競技での金メダルを獲得した。 浦田が有名になったきっかけは九州朝日放送の『ドォーモ』であった。
波多野 貴文(はたの たかふみ、1973年9月3日 - )は… 波多野 貴文(はたの たかふみ、1973年9月3日 - )は、日本のテレビドラマの演出家、映画監督。 熊本県山鹿市出身。熊本県立鹿本高等学校、日本大学生産工学部建築工学科卒業。2005年に『逃亡者 木島丈一郎』でテレビドラマ初演出。2010年に『SP THE MOTION PICTURE』で映画監督デビュー。
久島 健一(くじま けんいち、1969年〈昭和44年〉9月2… 久島 健一(くじま けんいち、1969年〈昭和44年〉9月25日 - )は、熊本放送(RKK)の社員。同社メディア総局コンテンツ制作部所属のラジオプロデューサー兼ディレクターで、くーじー名義でラジオパーソナリティも務める。 熊本県鹿本郡植木町(現熊本市北区)出身。 植木町立鹿南中学校、熊本県立鹿本高等学校、熊本商科大学商学部経営学科(現:熊本学園大学)を卒業後の1992年、熊本放送に入社。 入社時はラジオ営業部の営業職で、24歳の若さで東京支社テレビ営業部配属と東京転勤になるが、28歳だった1998年に念願の制作部門(ラジオ制作部)に異動し帰熊、ラジオディレクターとなり、先述の通り「くーじー(Coozy)」等の名義でラジオパーソナリティとしても活動していた。
松野 明美(まつの あけみ、本名:前田明美、1968年4月2… 松野 明美(まつの あけみ、本名:前田明美、1968年4月27日 - )は、日本の政治家、タレント、元陸上競技長距離走・マラソン選手。 1988年・ソウルオリンピック女子10000m日本代表。その後、女子マラソンでもオリンピックを目指したが、マラソンの種目で五輪代表に選出されることは一度も無かった。 選手引退後はタレント活動を経て政界入りし、熊本市議会議員(2期)、熊本県議会議員(2期)を経て、第26回参議院議員通常選挙に日本維新の会比例代表候補として出馬し当選した。 1968年、スイカ・メロンの全国一の産地である熊本県鹿本郡植木町(現:熊本市北区)の農家に生まれる。小学生の頃は無口でいじめられっ子だったが、小学校5年生の時に市内のマラソン大会で優勝。
早田 順一(はやた じゅんいち、1966年〈昭和41年〉12… 早田 順一(はやた じゅんいち、1966年〈昭和41年〉12月15日 - )は、日本の政治家。熊本県山鹿市長(2期)。元熊本県議会議員(3期)、元山鹿市議会議員、元鹿北町議会議員。 熊本県山鹿市出身。鹿北町立広見小学校、鹿北町立鹿北中学校、熊本県立鹿本高等学校卒業。1985年(昭和60年)、拓殖大学に入学。1987年(昭和62年)、九州産業大学経営学部産業経営学科に編入。1991年(平成3年)、同大学卒業。 鹿北町議会議員、山鹿市議会議員を経て、2007年(平成19年)の熊本県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選した。その後、自民党に所属。 2021年(令和3年)1月31日に行われた山鹿市長選挙に立候補し、元市議の永田健ら2候補を破り初当選した。
鶴嶋 俊彦(つるしま としひこ、1955年 - )は、日本の… 鶴嶋 俊彦(つるしま としひこ、1955年 - )は、日本の考古学者、博士。 熊本県熊本市生まれ。熊本県立鹿本高等学校、1977年駒澤大学文学部地理学科卒業。1979年同大学大学院人文科学研究科地理学専攻修士課程修了、熊本県教育庁埋蔵文化財調査員。1985年に人吉市教育委員会入庁し学芸員。熊本県教育委員会、多良木町教育委員会などで荒毛遺跡、願成寺文書などの文化財調査に従事。人吉城跡の調査や史跡保存整備、青井阿蘇神社の国宝指定などの文化財の保存活用に関わる。 2002年4月、新設の熊本大学大学院社会文化科学研究科博士課程文化学専攻入学(第1期生)。2005年3月、同大学院修了。論文「戦国大名の領域支配と城郭」で文学博士の学位を取得。
中嶋 憲正(なかしま けんせい、1950年(昭和25年)7月… 中嶋 憲正(なかしま けんせい、1950年(昭和25年)7月11日 - )は、日本の政治家。元熊本県山鹿市長(4期)。 熊本県鹿本郡稲田村(現・山鹿市鹿本町)生まれ。熊本県立鹿本高等学校卒業。 1988年4月、鹿本町議会議員に初当選。1996年、鹿本町長に初当選。 2005年1月15日、旧山鹿市、鹿本郡鹿央町・鹿北町・鹿本町・菊鹿町が新設合併し、新市制の山鹿市が誕生。これに伴い同年2月20日に行われた山鹿市長選挙に立候補し初当選した。 2021年の市長選には立候補しなかった。2022年、旭日中綬章受章。
蒲島 郁夫(かばしま いくお、1947年〈昭和22年〉1月2… 蒲島 郁夫(かばしま いくお、1947年〈昭和22年〉1月28日 - )は、日本の政治家、政治学者。勲等は旭日大綬章。熊本県知事(公選第17・18・19・20代)、東京大学名誉教授、新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)運営委員。専門は政治過程論、計量政治学。 熊本県鹿本郡稲田村(現・山鹿市鹿本町)生まれ。熊本県立鹿本高等学校卒業。高校時代は「220人中200位」の劣等生だったが、政治家、小説家、牧場主のいずれかになることを夢見ていた。高校卒業後、自動車販売会社に勤めたが3週間で辞め、地元・稲田村の農業協同組合(のちのJA鹿本)に就職した。1968年からアメリカ合衆国で農業研修に従事し、1971年にネブラスカ大学農学部に入学して畜産学を修めた(専攻は豚の精子の研究)。
岩釣 兼生(いわつり かねお、1944年3月25日 - 20… 岩釣 兼生(いわつり かねお、1944年3月25日 - 2011年1月27日)は、日本の柔道家。七段。身長182 cm、体重105 kg(全盛期)。熊本県出身。晩年、雑誌などでは岩釣 兼旺を名乗ることが多かった。 熊本県立鹿本高等学校時代、木村政彦にスカウトされ拓殖大学に入学。当時の木村の指導方法は、気が向いたら真夜中だろうと部員を叩き起こすというもので、1日のうち24時間が練習時間と言っても過言ではないくらい厳しいものであったとされる。 岩釣は師匠ゆずりの独特の大外刈や腕緘(キムラロック)を身につけて、1965年の大学4年時、キャプテンとして部を率い、全日本学生柔道優勝大会決勝でそれまで4連覇していた明治大学を破って拓殖大学を戦後団体戦初優勝に導く。
森 清勇(もり せいゆう、1939年(昭和14年) - )は… 森 清勇(もり せいゆう、1939年(昭和14年) - )は、元陸上自衛官。 元星槎大学(主に社会人を対象とした通信制大学)の非常勤講師。熊本県鹿本郡(現:山鹿市)出身。 1958年(昭和33年)熊本県立山鹿高等学校(現・熊本県立鹿本高等学校)卒業、防衛大学校入校。1962年(昭和37年):防衛大学校卒業(第6期)、陸上自衛隊入隊。 1968年(昭和43年)京都大学大学院修士課程(核融合専攻)修了。1975年(昭和50年)アメリカ陸軍武器学校幹部上級課程修了。 1979年(昭和54年)陸上自衛隊幹部学校技術高級課程修了、第3高射特科群第104高射直接支援隊長。1990年(平成2年)東北方面武器隊長。
石原 勝記(いしはら かつき、1938年2月2日 - )は、… 石原 勝記(いしはら かつき、1938年2月2日 - )は、日本の元競泳選手。熊本県出身。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピック日本代表。50m自由形の元日本記録保持者。 熊本県立鹿本高等学校、日本大学卒。 1960年ローマオリンピックに初出場。100m自由形では準決勝敗退、400mメドレーリレーでは予選のみ出場した。 1964年東京オリンピックでは400mフリーリレーに出場し、3位と0.6秒差の4位に終わった。
青木 行義(あおき ゆきよし 1934年9月15日 - 19… 青木 行義(あおき ゆきよし 1934年9月15日 - 1996年4月19日)は、日本の競泳選手。種目は自由形。熊本県出身。 熊本県立鹿本高等学校在学中の1952年のヘルシンキオリンピックの1500m自由形では19分27秒0で予選敗退、日本大学に在学中の1956年のメルボルンオリンピック1500m自由形では18分38秒3で7位となった。 また1954年アジア競技大会1500m自由形では金メダルを獲得した。 菊鹿町の名誉町民となっている。1996年、61歳で死去した。 1972年ミュンヘンオリンピックの女子100mバタフライで金メダルを獲得した青木まゆみはいとこにあたる。
大津 皓一(おおつ こういち、1929年 - )は、日本の脚… 大津 皓一(おおつ こういち、1929年 - )は、日本の脚本家・放送作家。熊本県山鹿市大字山鹿出身。全州公立尋常小学校、全州公立南中学校、熊本県立鹿本中学校、文化学院大学部美術科卒業。
松尾 敬宇(まつお けいう / よしたか、1917年〈大正6… 松尾 敬宇(まつお けいう / よしたか、1917年〈大正6年〉7月21日 - 1942年〈昭和17年〉5月31日)は、日本の海軍軍人。海兵66期。太平洋戦争におけるシドニー湾攻撃で特殊潜航艇「甲標的」艇長として戦死。二階級特進により最終階級は海軍中佐。 熊本県鹿本郡三玉村久原(現・山鹿市久原)出身。松尾鶴彦、まつ枝の次男として生まれる。父は八幡小学校校長、母も元小学校教師であり、厳格な家風で育った。 鹿本中学を経て、1938年(昭和13年)9月、海軍兵学校を卒業(66期)。特殊潜航艇(以下「特潜」 )艇長として訓練を受け、日米開戦前に真珠湾を視察している。真珠湾攻撃においては予備指揮官として現地まで赴いた。
大塚 耕二(おおつか こうじ、1914年(大正3年)9月28… 大塚 耕二(おおつか こうじ、1914年(大正3年)9月28日 - 1945年(昭和20年)7月30日)は、洋画家、前衛芸術家日本前衛絵画の草分け的存在として評価される画家の一人である。 熊本県菊池市隈府下町の大塚書店の次男として生まれる。旧制鹿本中学(現在の熊本県立鹿本高等学校)を卒業後、帝国美術学校の学生であった、坂本善三(後に抽象画家となる)に師事する。 1934年、帝国美術学校西洋画科(現武蔵野美術大学)に入学。 1935年、浅原清隆、小田正春、森堯之ら学生仲間と絵画グループ「表現」を結成、同年、創立者兼初代校長で後に政治家・衆議院議員へ転身する北昤吉と学生らの対立より起きた同盟休校事件(学生ストライキ)が発生し、帝国美術学校より多摩帝国美術学校(現多摩美術大学の前身)が分離独立。
立花 止(たちばな いたる、1903年(明治36年)3月29… 立花 止(たちばな いたる、1903年(明治36年)3月29日 - 1954年(昭和29年)6月7日)は、日本の海軍軍人。米国駐在時代に情報活動に従事しFBIに逮捕され国外追放処分を受ける(立花事件)。最後の連合艦隊参謀の一人である。最終階級は海軍大佐。 熊本県出身。鹿本中学を経て海軍兵学校に進む。海兵52期で源田實、内藤雄、淵田美津雄らが同期生である。1925年(大正14年)少尉任官。立花は運用術航海学生を修了した航海科専攻の士官で、駆逐艦「吹雪」、「漣」、軽巡洋艦「川内」、重巡洋艦「三隈」の航海長を務めている。 大尉時代は練習艦隊参謀兼副官として、海兵60期(板谷隆一クラス)らの遠洋航海に参加。
富田 至誠(とみた しせい、1897年(明治30年)3月6日… 富田 至誠(とみた しせい、1897年(明治30年)3月6日 - 1949年(昭和24年)5月31日)は、日本の洋画家であり、美術教師。熊本県出身。 旧姓松尾至誠。東京美術学校西洋画科、(現東京藝術大学油画専攻)卒業後すぐに、新設された熊本県立御船中学校、現在の熊本県立御船高等学校に図画教師(美術教師)として赴任。以後、学制改革により御船中学校が御船高等学校となった翌年(昭和24年)に病没するまでの間、同校で教鞭をとり続ける。昭和6年11月の天皇行幸、陸軍大演習に際して休憩所に飾る天覧の絵を描くなど優れた画力を持ちながら、文展、帝展等の公募展には一切出展せず、生涯一美術教師を通す。 井手宣通・浜田知明ら、日本を代表する美術家や美術教師を多数育てる。
松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月2… 松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月29日 - 1995年(平成7年)11月6日)は、日本の海軍軍人。海兵44期。戦艦「大和」第3代艦長。最終階級は海軍少将。妻コマは詩人丸山薫の妹。 1896年(明治29年)9月29日、熊本県菊池郡加茂川村大字菰入(現・七城町菰入)に生まれる。旧制熊本県立鹿本中学校を経て、1913年(大正2年)9月3日、海軍兵学校44期に100名中89番の成績で入学。同期に柳本柳作、西田正雄、朝倉豊次、黒島亀人らがいる。1916年(大正5年)12月11日、95名中14番の成績で卒業。少尉候補生となり装甲巡洋艦「常磐」に乗り組み、練習艦隊近海航海に出発し、1917年(大正6年)3月3日に帰着。
原田 敏明(はらだ としあき、1893年11月1日 - 19… 原田 敏明(はらだ としあき、1893年11月1日 - 1983年1月17日)は、日本の民俗学者、宗教学者。東海大学名誉教授。熊本県出身。 1893年、熊本県山本郡吉松村(現在の熊本市北区(鹿本郡植木町))に原田官太の二男として生れる。吉松尋常高等小学校、熊本県立鹿本中学校(現在の熊本県立鹿本高等学校)を卒業の後、1919年、神宮皇學館本科を卒業。東京帝國大學文学部宗教学宗教史学科選科に入学。姉崎正治の指導のもと、「ヘブライの宗教意識の発達」を研究テーマとする。1922年に選科、1927年に本科を卒業。東大在学中には宗教学研究調査を委嘱され、雑誌『宗教研究』の編集などにも携わっている。 青山学院、東洋大学、大谷大学、龍谷大学、九州帝國大學、日本大学、東京帝國大學、京都帝國大學、東京文理科大学、大正大学などに出講、また帝国学士院からの研究費補助、「本邦農耕儀礼の宗教民族学的研究」のテーマで有栖川宮記念奨学金を受けるなどして、研究生活に従事。
坂本 末雄(さかもと すえお、1890年(明治23年)12月… 坂本 末雄(さかもと すえお、1890年(明治23年)12月16日 - 1966年(昭和41)9月28日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第35期卒業 1890年(明治23年)に熊本県菊池郡田島村で生まれた。熊本県立鹿本中学校(現・熊本県立鹿本高等学校)卒業後、海軍経理学校に合格したが陸軍への道を選び、1911年12月に士官候補生として歩兵第53連隊に入隊。なお、この時経理学校に補欠合格した林義秀も同じく入学を辞退し、陸士・陸大で同期となっている。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第35期卒業。1938年(昭和13年)3月1日に陸軍歩兵大佐に進級、6月30日に歩兵第53連隊長(中支那派遣軍・第17師団・第17歩兵団)に就任し、日中戦争では、武漢攻略に参加した。