襟川 恵子(えりかわ けいこ、1949年1月3日 - )は、… 襟川 恵子(えりかわ けいこ、1949年1月3日 - )は、日本の実業家、ゲームデザイナー。株式会社コーエーテクモホールディングス取締役名誉会長。株式会社コーエーテクモコーポレートファイナンス代表取締役社長。ソフトバンクグループ社外取締役。投資家。神奈川県横浜市出身。夫の襟川陽一は同社社長。夫との間に2子あり、長女の襟川芽衣は同社取締役、次女の襟川亜衣は株式会社光優ホールディングス(襟川家の資産管理会社)監査役。 コーエーでは、ゲームデザイナーであり職人気質の夫に対し、総務・経理・人事に目を配り、また他社との交渉の多くを担ってきた。 コーエーテクモゲームスの開発チーム“ルビーパーティー”を立ち上げ、女性向けゲームのシリーズ、ネオロマンスゲームの生みの親でもある。
田島 照久(たじま てるひさ、1949年 - )は、日本のア… 田島 照久(たじま てるひさ、1949年 - )は、日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、写真家。デザイン・プロダクション「Thesedays」主宰。 1949年、福岡県に生まれる。多摩美術大学グラフィック・デザイン科卒業。 大学卒業後、CBS・ソニーに入社し、デザイン室に勤務する。矢沢永吉やマイルス・デイヴィスのジャケット・デザインを担当。1980年にCBS・ソニーを退社しフリーランスとなり、自身のデザイン・プロダクション「Thesedays」を設立。 その後、浜田省吾や尾崎豊を始めとする数多くのアーティストのジャケット・デザインを担当。音楽関係以外でも、ポスターや広告、カレンダー、写真集、小説や文庫本の装丁など幅広い分野の仕事を手掛けている。
石川 源(いしかわ みなと、男性、1948年 - )は、東京… 石川 源(いしかわ みなと、男性、1948年 - )は、東京都出身の日本のクリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナー、パッケージデザイナー、写真家、アーティスト。 美術大学卒業後、外資系広告代理店のADとして新聞・雑誌広告、TVCFを担当。独立後グラフィックデザインを中心に生活雑貨店のプロデュース、雑誌にインタビューコラム連載、講義講演、自身のアートによる個展、写真撮影・動画制作など多岐に渡って活躍。日本グラフィックデザイナーズ協会会員、日本パッケージデザイン協会会員。日本広告写真家協会正会員
古村理(ふるむら おさむ、1945年 - )は京都市出身のグ… 古村理(ふるむら おさむ、1945年 - )は京都市出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、日本を代表するブランディングディレクター。愛称「ロングセラーの古村」と呼ばれている。 1945年京都市嵯峨野に生まれる。1968年多摩美術大学卒。日本デザインセンター入社。 1978年シーソーアソシエイツを設立(2009年、ブランドニュー株式会社に改称)。 グラフィックデザイン この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2… 五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2025年2月12日)は、日本の彫刻家、デザイナー。多摩美術大学名誉教授。 北海道滝川市生まれ。中学入学時に上京。グラフィック・プロダクトデザイナーとして活動後、1994年以降は本拠をロサンゼルスへ移し彫刻制作に専念、その後2004年6月に帰国した。代表作はニューヨーク近代美術館をはじめ、世界30カ所以上の公立美術館に永久保存され、個人作品集は現在までに、日本、中国、韓国、ドイツ、スイス、英国、米国で出版されている。 おじは建築家の五十嵐正。元新十津川町応援大使。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
児玉 英雄(こだま ひでお、1944年 - ) は、日本人カ… 児玉 英雄(こだま ひでお、1944年 - ) は、日本人カーデザイナー。ゼネラルモーターズ(以降、GM)傘下のオペルでデザイナーとして約40年在籍していた経歴を持つ日本以外の自動車メーカーで活動する日本人カーデザイナーの草分け的存在でもある。2012年現在、ドイツ在住。 車と触れ合うきっかけは中学生の頃、父親の仕事の送り迎えで使われていたシトロエンの11CVを見たことであり、この頃からカーデザイナーになりたいという願望を持つようになる。 オペル入社のきっかけは多摩美術大学在籍中にGMに直筆の手紙を送ったことであり、児玉は描きためていたデッサンをGMに送ったところ、あっさりと内定の返事をもらった。
新谷 雅弘(しんたに まさひろ、1943年 - )は、日本の… 新谷 雅弘(しんたに まさひろ、1943年 - )は、日本のエディトリアルデザイナー、アートディレクター。 大阪市立工芸高校、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。多摩美術大学入学直後に装幀家の菊地信義と出会い、共同制作を繰り返したのち、たどり着いたのが本のデザインだった。卒業後は恩師の福田繁雄の紹介で、アド・センターに入社。グラフィックデザイナーで絵本作家の堀内誠一の助手となる。1970年、堀内誠一とともに雑誌「an・an」(平凡出版・現マガジンハウス)の創刊に参加し、170号まで携わる。1975年、「Made in U.S.A.1-2」(読売新聞社)、「POPEYE」(マガジンハウス)を1976年の創刊から80号まで手がける。
湯村 輝彦(ゆむら てるひこ、1942年11月1日 - )は… 湯村 輝彦(ゆむら てるひこ、1942年11月1日 - )は、イラストレーター、デザイナー、漫画家、音楽評論家。ヘタウマなイラストと、スウィート・ソウルなどのR&Bや、Gラップのフリークとしても知られる日本グラフィック界のベテランである。東京都新宿区角筈(現在の西新宿)生まれ。ペンネームはTerry Johnson(テリー・ジョンスン)、ゴンゾ。また、かつては、「FLAMINGO TERRY」、「FRAMINA TERRENO GONZO」、「TERRINO FLAMINI' GONZAREZ」、「紅鶴照万太」などのペンネームも用いていた。愛称は「キング・テリー」(略して、「キンテリ」とも)。
清水 忠男(しみず ただお、1942年 - )は、千葉県千葉… 清水 忠男(しみず ただお、1942年 - )は、千葉県千葉市出身のデザイナー。アメリカの事務所や大学で勤務後、千葉大学工学部助教授に就任し、デザインスタジオTADを設立。2014年から金沢美術工芸大学の大学院専任教授を務める。千葉大学名誉教授。インテリアデザイン、環境デザインを専門にしている。 ほか国内外での受賞多数。 ほか著書・論文多数。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
舟橋 全二(ふなばし ぜんじ、1942年- 2023年12月… 舟橋 全二(ふなばし ぜんじ、1942年- 2023年12月19日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー。イラストレーターのささめやゆきとは従兄弟関係。 1942年神奈川県生まれ。65年、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。70年からカナダ、アメリカに移住。80年に帰国、以後フリー。TIS会員。 1968年、日宣美出品作品「チャップリン」にて特選受賞。この作品は、つや消し銀紙にシルクスクリーンで刷ったものであった。その後大塚清六の事務所でアシスタントをする。1970年にカナダへ。「デザイナーとしてやって行く前に、できたら2〜3年外国で暮らしてみたい」という単純な同期であった。カナダでデザイナーとして計7年過ごした後、映画監督のジョン・コーティーからアニメーションの仕事を誘われ、カリフォルニアに移る。
大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、… 大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、日本のイラストレーター、デザイナー。週刊「平凡パンチ」の表紙のイラストを創刊号から担当したことで知られる。本名、石井久美子。夫は彫刻作家の石井厚生。 三重県津市出身。三重県立四日市高等学校卒業。1959年、多摩美術大学絵画科油絵専攻入学。大学3年生の時、河原淳のゼミナールに入る。 1963年、イラストレーターを目指していた大橋は、大学4年生の時に同級生の紹介でヴァンヂャケットにデザイン画を持ち込む。そのとき会ったのが石津謙介の長男で企画部長の石津祥介で、その場で「メンズクラブ」のイラストを依頼される。1964年1月、「メンクラ」3ページに初めてイラストが掲載される。
頓所 修身(とんしょ おさみ、1939年2月20日 - )は… 頓所 修身(とんしょ おさみ、1939年2月20日 - )は、日本映画の美術デザイナー。岩手県出身。多摩美術大学洋画科卒業。東宝スタジオ所属。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
大野 美代子(おおの みよこ、1939年 - 2016年8月… 大野 美代子(おおの みよこ、1939年 - 2016年8月)は、日本の建築家・橋梁デザイナー。 株式会社エムアンドエムデザイン事務所(M+M Design Office)の主宰を務め、橋梁や道路、その付属施設の景観デザインなどを手がける。愛知県立芸術大学と東京工業大学の非常勤講師を歴任。 岡山県出身。1958年、岡山県立岡山朝日高等学校卒業。1963年、 多摩美術大学美術学部デザイン科卒業。
太田 幸夫(おおた ゆきお、1939年 - )は、日本のサイ… 太田 幸夫(おおた ゆきお、1939年 - )は、日本のサイン・デザイナー、グラフィックデザイナー。日本サイン学会元会長。愛知県刈谷市出身。 多摩美術大学教授を経て現在、太田幸夫デザインアソシエーツ代表、NPO法人サインセンター理事長。ISO国内委員会委員。企業のCI(シンボルマークとデザイン計画)やピクトグラム、公共の案内サイン等を設計するデザイナーであり、国際規格検討デザインである非常口サインをデザインしたことで知られる。
三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、19… 三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、1938年〈昭和13年〉4月22日 - 2022年〈令和4年〉8月5日)は、日本のファッションデザイナー。広島県広島市東蟹屋町(現在の同市東区)出身。 広島市立尾長小学校在学中7歳のとき被爆。広島大学附属東雲中学校~広島県立広島国泰寺高等学校卒業。小学校高学年のときの担任が絵の先生で、絵を描く楽しさを教えてもらう。広島の美術館や岡山県倉敷の大原美術館にもよく通った。ルオーが好きだったという。周囲から「将来は絵描きになるの?」とよく聞かれたが、絵描きは貧乏イメージがあったから、大人になってからの職業にしようとは考えなかった。また当時は被爆都市を励ますという意味での宝塚の広島公演がよくあり、5歳上の姉に連れて行ってもらった。
山下 勇三(やました ゆうぞう、1936年5月30日 - 2… 山下 勇三(やました ゆうぞう、1936年5月30日 - 2008年1月31日)は、グラフィックデザイナー。広島県広島市観音(現・広島市西区)出身。 広島市立観音小学校、山陽中学校(現・山陽高等学校)、崇徳高等学校を経て、1960年多摩美術大学図案科卒業、ライトパブリシティに入社。和田誠は大学の同窓でデザイン会社も同僚の盟友。1963年に独立して「山下勇三事務所」を設立した。1969年、矢崎泰久の推薦により、日本のタウン誌第一号と呼ばれる「新宿プレイマップ」のアートディレクターとなる。「新宿PLAY MAP」というタイトルとロゴ文字を作成し、創刊号に斬新なイラストレーションの表紙画を書いた。「新宿プレイマップ」は第3号で降板したが、「話の特集」では、井上ひさしが15年にわたって長期連載した小説「江戸紫絵巻源氏」のイラストレーションを担当したほか、同誌に30年間掲載された永六輔との「せきこえのどに浅田飴」の広告を手がけた。
和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 … 和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 - 2019年〈令和元年〉10月7日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督。大阪府生まれ。 実父は築地小劇場の創立者メンバーの1人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精。日劇レビューで演出家を担った山本紫朗は伯父にあたる。 妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。長男はロックバンド・TRICERATOPSの和田唱で、その妻は上野樹里。次男の和田率は元電通勤務で、現在は母・平野レミの料理サイト「remy」のクリエイティブ・ディレクター。率の妻は和田明日香。 父である精が勤務していたJOBK(現在のNHK大阪放送局)の当時の赴任地である大阪市東住吉区で生まれる。
鈴木 儀雄(、1935年〈昭和10年〉 - )は、日本の映画… 鈴木 儀雄(、1935年〈昭和10年〉 - )は、日本の映画美術監督、娯楽デザイナー。東京都出身。 多摩美術大学彫刻科に在学中(1年生、19歳)の1954年に東宝のアルバイト募集を見て、開米栄三の造形助手として初代ゴジラのスーツ製作に参加する。1959年に大学を卒業し、3か月契約で東宝特殊技術課の撮影助手となる。その後、1961年より美術スタッフに転向する。 1968年に円谷英二に抜擢され、『マイティジャック』より円谷プロに美術監督(本編)として出向する。それ以降、『戦え! マイティジャック』や『恐怖劇場アンバランス』『独身のスキャット』『ウルトラマンA』『ウルトラマンタロウ』『ウルトラマンレオ』といった一連の円谷プロ作品の美術監督を担当する。
水野 卓史(みずの たくし、1933年11月21日 - )は… 水野 卓史(みずの たくし、1933年11月21日 - )は日本のグラフィックデザイナー、アートディレクター。元・資生堂宣伝文化部顧問。水野デザイン事務所主宰。大阪府大阪市西区靭町出身。多摩美術大学卒業。子に川柳家の水野タケシ。 日本画家の父を持つ家庭に生まれる。のちに大阪府立寝屋川高等学校に進学後、美術部に入部し、デッサンを学んだことから、本格的なデザインへの道を志すと共に、そのまま多摩美術大学に進学。1955年、多摩美術大学図案科を卒業後、資生堂に入社。大阪支社宣伝文化部別室に配属される。 元々は大阪支社の別室チーフになるべき存在であったが、その当時、宣伝部に所属していた主任デザイナーが交通事故で物故したことから、急遽1959年に東京へ異動。
憂(ゆう、Yuu、11月4日 - )は、日本のイラストレータ… 憂(ゆう、Yuu、11月4日 - )は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー。群馬県出身、多摩美術大学卒業。ファンタジー小説の装画やボーカロイド関連のイラストレーション制作を手掛けている。 このほか、スターツ出版、ピッコマノベルズ、株式会社パルプライド、株式会社コサエルワーク、株式会社indent、文芸社、たちばな新書、サイドランチなど文芸作品の装画・挿絵を担当。 このほか、MdN、エンターブレイン各誌などの技法書・商業ムックに寄稿。 このほか、各種CDジャケット、イベントビジュアル、販促用アートワークを担当。 このほか、スマートフォン向けゲームを中心に、キャラクターイラスト、イベントビジュアルなどを担当。
内田和美(うちだ かずみ)は、トランスポーテーションデザイン… 内田和美(うちだ かずみ)は、トランスポーテーションデザインを専門にしている日本のプロダクトデザイナー。フォルクスワーゲン・スタジオチーフデザイナー、アウディ・シニアデザイナーやポルシェ・プロジェクトデザインチーフを勤めポルシェ・カイエンのデザインを担当する。富山大学芸術文化学部教授。
岡田 世郎 (おかだ せろう)は、日本の建築家・インテリアデ… 岡田 世郎 (おかだ せろう)は、日本の建築家・インテリアデザイナー。(株)佐藤総合計画 設計取締役。教育施設や医療福祉関係の設計を中心に従事している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
佐野 研二郎 は、東京都出身のグラフィックデザイナー、アート… 佐野 研二郎 は、東京都出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、クリエイティブディレクター。多摩美術大学美術学部統合デザイン学科教授。
武石 正宣(たけいし まさのぶ)は、ライティングデザイナー、… 武石 正宣(たけいし まさのぶ)は、ライティングデザイナー、有限会社 ICE 都市環境照明研究所 所長。武蔵野美術大学 空間演出デザイン科 非常勤講師、愛知県立芸術大学 デザイン科 非常勤講師。都市や建築、インテリア等の照明は、物を明るく見せる役割にとどまらず、空間や時間の見え方に大きく係っていると考えている。星のや 東京、COREDO 室町、キャピタルゲートプレイス、東急プラザ銀座などの照明デザインを担当している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
寺田千加子(てらだちかこ)は、日本の建築家・インテリアデザイ… 寺田千加子(てらだちかこ)は、日本の建築家・インテリアデザイナー。東京出身。 学校や公共施設を始め、一般住宅などあらゆる建築を手掛けている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
土方弘克(ひじかた ひろかつ)は、日本のグラフィックデザイナ… 土方弘克(ひじかた ひろかつ)は、日本のグラフィックデザイナー。東京都出身。 1967年から今日までの40年余、核兵器廃絶をはじめ、平和の希求や環境をテーマにしたポスターを自主制作。 1990年バブル経済崩壊後より中小・零細企業のロゴマークを多数制作。
桜田秀美(さくらだ ひでみ )は、デザイン会社D&Dスタジオ… 桜田秀美(さくらだ ひでみ )は、デザイン会社D&Dスタジオのデザイナー兼代表取締役現社長である。主な作品は比叡山延暦寺のケーブルカー、琵琶湖大津港のびわこ花噴水(噴水の項目参照)など。 デザイン業の傍ら、1999年に地域全体の教育機関が一丸となって通学路の問題を考えることを目的とした『せた文教サミット』を発足させ、ボランティアで世田谷区のデザイナー体験講座を区の中学生に教えている。 尚、多摩美術大学の非常勤講師も行っている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
佐藤 孝(さとう たかし)は建築家・デザイナーである。北海道… 佐藤 孝(さとう たかし)は建築家・デザイナーである。北海道科学大学建築学科教授を務める。 1978年、多摩美術大学美術学部建築科卒業。1981年、多摩美術大学大学院修了、芸術学修士。大学院に在学中、設計事務所UrbanHeads共同設立(東京都)。建設省建築研究所瀬尾文彰環境構造研究会に参加。1984年、北海道工業大学建築工学科助手。講師、助教授を経て、2001年、北海道工業大学(旧称、現・北海道科学大学)建築学科教授。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
田村 篤(たむら あつし)は、日本のアニメーター、キャラクタ… 田村 篤(たむら あつし)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。スタジオジブリ出身。 多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン科卒業。 1996年、スタジオジブリに研修生として入社。同期に米林宏昌がおり、研修期間中は共に近藤喜文から指導を受ける。1997年の『もののけ姫』で動画デビュー。以後、スタジオジブリで数多くの作品で原画を担当する。なかでも高畑勲監督の『かぐや姫の物語』がターニングポイントになり、自身のキャラクター作りに大きな影響を与えていると語る。 2014年、米林宏昌監督の『思い出のマーニー』を最後に、スタジオジブリの制作部門が解散。ジブリとの専属アニメーター契約の解除に伴い退社。