三辻富貴朗(みつじ ふきお、1960年8月6日 - 2008… 三辻富貴朗(みつじ ふきお、1960年8月6日 - 2008年12月11日)は日本のゲームデザイナー。東京都港区出身。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。 タイトーに入社、アーケードゲームの企画・ディレクション・グラフィックを担当。関与したタイトルでは、スタッフロールや初期状態でのスコアランキングに「MTJ」という名称を用いていた。スタッフロールでは本名を併記することもあった。 『バブルボブル』や『レインボーアイランド』、『サイバリオン』といったヒット作を生みだした。その傍ら、雑誌「ゲーメスト」において、No.30(1989年3月号)より水谷潤名義で「ゲームデザイナー入門」を連載。一年間に渡り、現役のゲームデザイナーが制作手法を公開するという、当時としては異例の記事となった。
パンツェッタ 貴久子(パンツェッタ・キクコ、旧姓谷澤、196… パンツェッタ 貴久子(パンツェッタ・キクコ、旧姓谷澤、1960年7月24日 - )は、日本の料理研究家。 東京生まれ。多摩美術大学日本画科卒業後、イタリア・ナポリに渡り、国立カポディモンテ磁器学校に留学。1988年、来日中だったイタリア人のパンツェッタ・ジローラモと結婚。 イタリア料理教室「ラ・ターヴォラ・ディ・タータ」主宰兼イタリア料理店「コチネッラ(coccineLLA・てんとう虫のイタリア語訳)」(東京・中目黒)のオーナー。著書に『ジローラモさんちの嫁入りレシピ』等がある。他にもジローラモとの共著や著書を翻訳したりしている。
篠塚 正典(しのづか まさのり、1960年4月2日 - )は… 篠塚 正典(しのづか まさのり、1960年4月2日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。 東京都江東区出身。歌手・松本ちえこのLPジャケットのデザイン一般公募で1位は逃したものの入選して、ジャケット裏部分に篠塚のデザインが採用された。これが篠塚にとって世の中に出た最初の作品ではないかという。1979年に東京都立九段高等学校を卒業。 進学した多摩美術大学グラフィックデザイン科を1984年に卒業後、渡米。アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン(ゼミの恩師でもある咽原省三の出身校)で、グラフィックデザインとパッケージデザインを学び、首席で卒業。その後、ランドーアソシエイツに入社しデザイナーとなる。
森 司(もり つかさ、1960年 - )は、公益財団法人東京… 森 司(もり つかさ、1960年 - )は、公益財団法人東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京事業部事業調整課長。 愛知県生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業。 水戸芸術館現代美術センター学芸員時代(1989 – 2009)には、川俣正、日比野克彦、宮島達男などの個展を企画する。 2009年より現職。
本宮 健史(もとみや たけし、英語: Takeshi Mot… 本宮 健史(もとみや たけし、英語: Takeshi Motomiya、1959年12月5日 - )は、日本・東京都渋谷区出身でスペイン・バルセロナ在住の現代アーティスト。 多摩美術大学大学院を修了後渡欧し、絵画、版画、彫刻などの様々な視覚芸術分野で活動している。抽象画を中心に、日本の神話、聖書、ギリシャ・エジプト神話などを主にモチーフにした作品を制作している。自然の顔料を用いた質感と自然な色彩が特徴である。多くの作品は母国の日本国内で展示されてきたが、バルセロナ、パリ、アムステルダム、メノルカ島などヨーロッパ各地でも展示されている。 大学時代から培った銅版画の専門知識とTaller Nouスタジオの設立を通じて、アントニ・タピエス、バリー・フラナガン、バルトゥス、ミゲル・バルセロ、ペレハウメ(英語版)など、スペイン国内外のアーティストと協力してきた。
つかもと 景子(つかもと けいこ、1959年5月28日 - … つかもと 景子(つかもと けいこ、1959年5月28日 - )は、日本の女優、声優。本名・旧芸名は塚本 景子(読み同じ)。兵庫県出身。文学座所属。 多摩芸術学園(現:多摩美術大学)卒業。身長154cm、体重46kg。特技は、地歌/上方舞/長唄である。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
祖父江 慎(そぶえ しん、1959年 - )は、愛知県生まれ… 祖父江 慎(そぶえ しん、1959年 - )は、愛知県生まれのブックデザイナー。 人文書、小説、漫画などの書籍の装幀やデザインを幅広く手がける。吉田戦車の漫画本をはじめとして、意図的な乱丁や斜めの裁断など、装幀の常識を覆すデザインで注目を集める。コズフィッシュ代表。 電話の声で女性と間違われるほど女性っぽい振舞いや話し方をするが、既婚で一女あり。妻は理論社(のちイースト・プレス)の『よりみちパン!セ』編集長の清水檀。 愛知県立旭丘高校美術科卒業。浪人時代に味岡伸太郎の影響を受ける。 多摩美術大学グラフィックデザイン科入学。漫画研究会の先輩にしりあがり寿、喜国雅彦がいた。在学中の1981年から杉浦康平のデザインにひかれ、工作舎でアルバイトを始め大学を中退。
山下 英愛(やました よんえ、1959年 - )は、韓国女性… 山下 英愛(やました よんえ、1959年 - )は、韓国女性学の研究者。文教大学文学部教授。 旧名は崔英愛。元挺対協。内縁の夫は慰安婦問題で有名な戸塚悦朗弁護士。 朝鮮総聯元幹部である父・崔碩義と日本人の母の間に東京都で生まれたハーフ。初級学校の6年間、皆勤賞を受賞。父親が総連から離脱したため、中学から公立学校に通う。1982年3月、多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻、1984年3月、津田塾大学学芸学部国際関係学科を卒業。 1987年3月、同大学大学院前期課程修了後、1988年に梨花女子大学校に留学し、そこで挺対協の初代代表の尹貞玉と出会い、1990年、盧泰愚大統領訪日時に挺身隊に関する声明を出したことをきっかけに挺対協へ加わり、研究班のひとりとなった。
川俣 しのぶ(かわまた しのぶ、1958年12月18日 - … 川俣 しのぶ(かわまた しのぶ、1958年12月18日 - )は、埼玉県出身の女優。オフィスPSC所属(以前はイイジマルーム所属)。身長157cm、体重47kg。埼玉県立飯能高等学校、多摩美術大学デザイン学科卒業。 野田秀樹主宰の夢の遊眠社に参画。
喜国 雅彦(きくに まさひこ、1958年10月17日 - )… 喜国 雅彦(きくに まさひこ、1958年10月17日 - )は、日本の漫画家。香川県高松市出身。香川県立坂出高等学校を経て多摩美術大学油絵学科卒業。妻は同じく漫画家の国樹由香。 高校時代に、萩尾望都やガロ系の漫画を読み、漫画家を志望する。多摩美術大学在学中、漫画研究会でしりあがり寿、祖父江慎、しゅりんぷ小林らと知り合う。 1981年風雅名義にて、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)に「ふぉ~てぃん」が掲載されデビュー。しかしその後は作品が雑誌に掲載されることはなく、しりあがりらと多摩美OB何名かで同人誌を刊行したところ、他の漫画家の作品と間違われて編集者に評価され、本人はまったく描いたことがなかったギャグ4コマを描き、『ビッグコミックスピリッツ』増刊号に読み切り作品「大人は分かってくれない」で再デビューする。
山崎純(やまざき じゅん、1958年9月8日 - )は、東京… 山崎純(やまざき じゅん、1958年9月8日 - )は、東京都出身の放送作家、劇作家、実業家。株式会社ブルーマウンテン代表取締役社長。日本放送作家協会理事、日本脚本家連盟会員。埼玉県立所沢高校卒業(バレーボール部所属)。 1982年、「闇夜のエトランゼ」にて文化庁舞台芸術創作奨励特別賞を受賞(「日高瞬」名義)。 東放学園講師(企画に関する授業)、多摩美術大学特別講師、エファップ・ジャポン講師、カルチャースクール 東急セミナーBE講師。 「山ちゃんの調べてミソヅケ」(鎌倉書房)
東陽 片岡(とうよう かたおか、1958年6月16日 -)は… 東陽 片岡(とうよう かたおか、1958年6月16日 -)は、日本の漫画家、イラストレーター。東京都板橋区出身。 多摩美術大学美術学部デザイン科卒業後、雑誌のデザイナーをしていたが、並行して個人漫画のミニコミを発行。その特異さと完成度の高さから、評判になる。1994年、雑誌「ガロ」に投稿し入選。「長井勝一が選んだ最後の新人」とされる。 「東陽片岡」というペンネームの由来は、彼が夢で渡された名刺にあった名前だという。 四谷三丁目のスナック「秋田ぶるうす」のマスターを務めている。 昭和を感じさせる、下町に暮らす人々とその生活をテーマとして、下品とシュールを織り交ぜたエロ・グロ・ナンセンスでありながら、ダウナーで妙にリアリティを感じさせる独自の世界を描いている。
内原智史(うちはら さとし、1958年6月1日 - )は、日… 内原智史(うちはら さとし、1958年6月1日 - )は、日本のライティングデザイナー。京都府出身。多摩美術大学デザイン科卒。内原智史デザイン事務所・所長。 六本木のクリスマスイルミネーション、表参道ヒルズ、羽田空港ターミナルの照明、金閣寺、銀閣寺、平等院鳳凰堂のライトアップなどを手がけ、『光の魔術師』と呼ばれる。福島市飯坂温泉の十綱橋のライトアップも指導した。 建物を照らさず本質を照らす事を信念とし、建物だけでなく周囲の街を自らの足で入念にリサーチし照明方法を決める。 この信念にたどり着いた転機は平等院鳳凰堂の仕事をした際。初めは鳳凰堂自体を照らそうと思ったが、悠久の歴史をなんとか表現できないかと考え、鳳凰堂の前の池に照明を当てた。
東泉 一郎(ひがしいずみ いちろう、1958年1月4日 - … 東泉 一郎(ひがしいずみ いちろう、1958年1月4日 - )は、日本・東京都出身のクリエイティブ・ディレクター、デザイナー。Higraph Inc.Tokyo 代表。 早稲田大学理工学部を中退ののち、多摩美術大学美術学部デザイン科卒業。流行通信社にて雑誌『STUDIO VOICE』を中心にグラフィックデザインを手掛ける。プロダクション勤務やフリーランスを経て、1994年にHigraph Inc.Tokyoを設立。 アルスエレクトロニカ(1997年)でゴールデン・ニカを受賞した“Sensorium project”のディレクターとして世界各地で実験的インスタレーションを行うほか、日本科学未来館「インターネット物理モデル」、「インターネット物理モデル2017」のクリエイティブ&デザインディレクション、2002 FIFAWorld Cupのための演出デザインワーク、KDDI「AUdesign project」コンセプトモデル、JAXA「moonbell」、「OoA-creature with TOYOTA HEART PROJECT」などエモーショナル・フィジカルインターフェイスの開発などを手がける。
しりあがり 寿(しりあがり ことぶき、1958年1月1日 -… しりあがり 寿(しりあがり ことぶき、1958年1月1日 - )は、日本の漫画家。静岡県静岡市葵区出身。男性。神戸芸術工科大学特任教授、元横浜美術短期大学、元日本大学藝術学部講師。本名は望月寿城(もちづき としき)。妻は漫画家の西家ヒバリ。
平井 一嘉(ひらい かずよし、1958年 - )は、埼玉県秩… 平井 一嘉(ひらい かずよし、1958年 - )は、埼玉県秩父市出身の彫刻家。 主に大理石や御影石による野外彫刻作品を制作している。イタリアに留学し、大理石技術の星取り等を学ぶ。日本国内のコンクールで多数受賞、作品は日本、イタリア各地に展示されている。「豆」をテーマに、生命力や自然の営々としたつながりを大切にし、普段の生活の流れの中で目に留まらないもの、見えないものを、彫刻という三次元に構成して表現するというコンセプトに沿って制作している。 代表作に、「ハッピーバード」(山口県美祢市)、「NYMPH」(東京都調布市)、「豆物語」(茨城県桜川市)などがある。 現在 東北芸術工科大学非常勤講師。アトリエは埼玉県川越市に持つ。
大貫 卓也(おおぬき たくや、1958年 - )は、日本のク… 大貫 卓也(おおぬき たくや、1958年 - )は、日本のクリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナー。大貫デザイン代表。多摩美術大学教授。 東京都出身。桐朋高校、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業(1980年)。同年博報堂入社。新人の頃に任されたとしまえんの仕事でいきなり東京ADC賞を受賞。以降次々と話題作を世に出し「クリエイティブの博報堂」の象徴的存在となる。当時大貫が在籍していた同社の「宮崎グループ」は金鳥のCMなどで知られる電通関西「堀井組」と並ぶ名物チームとして業界にその名を轟かせ、優秀な美大生たちが次々と就職した。そのシンプルで強力な作風は佐藤可士和を初めとする多くのグラフィックデザイナーに影響を与えた。
高野 勝(たかの まさる、1957年9月25日 - )は、日… 高野 勝(たかの まさる、1957年9月25日 - )は、日本画家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
岡崎 二郎(おかざき じろう、1957年3月9日 - )は、… 岡崎 二郎(おかざき じろう、1957年3月9日 - )は、日本の漫画家。兵庫県西宮市出身。1980年に多摩美術大学デザイン学科卒業後、広告代理店を経て、1986年に「仏陀降臨す」がビッグコミック賞佳作に入選してデビューし、フリーの漫画家となる。2023年、自身のサイトを開設し新作漫画を発表。俳優の沙倉ゆうのは姪。 科学や歴史等の幅広い知識を活かしたSF作品を主に、スローペースながら数多く描いている。特に代表作とも言える『アフター0』のような短編オムニバスを得意としている。 先端科学や超常現象、宗教等まで幅広い分野からアイデアを引き出すが、特に生命の生態系に関しては詳しく、人類による環境破壊に対する警鐘、絶滅生物や絶滅危惧生物を扱った話が多くみられる。
島崎 健(しまざき たけし、1957年 - )は、日本のアー… 島崎 健(しまざき たけし、1957年 - )は、日本のアートディレクター、美術家。特定非営利活動法人美術保存修復センター横浜理事。凸版印刷の企画制作部門部長、凸版印刷関係会社の制作部門長などを歴任。 東京都生まれ。1981年多摩美術大学卒業、凸版印刷入社。トッパンアイデアセンター企画制作部門に所属し、アートディレクターとして企業活動・販促・広報関係の企画制作と、これらの実施・運営に従事。後年は、コーポレートコミュニケーション計画立案や関連コンサル業務、組織管理、人材育成に携わっている。企業カレンダーの企画制作において、1980年代から1990年代の作品が高く評価されている。この時期、日本画家の髙山辰雄、写真家の細江英公、グラフィックデザイナーの田中一光などと仕事をしており、幅広いジャンルのクリエイターから薫陶を受けたと語っている。
那須 弘道(なす ひろみち、1957年 - )は日本の造形芸… 那須 弘道(なす ひろみち、1957年 - )は日本の造形芸術家。広告デザイナー、グラフィックデザイナー、Webデザイナー、イラストレーター、コピーライター、画家などの肩書を持つ。イラストからはしばらく離れていたが、その後いろいろの画法で絵を数千点描く。現在は墨絵を中心に創作活動を行っている。 1957年、東京都に生まれる。子供の頃から絵を描くのが好きだったが、進学を選び駒場東邦中学校・高等学校を経て多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科に入学。卒業後、広告代理店でデザイナー及びアートディレクターの職務に従事し、30年間勤める。会社における勤務経験を通し、大学では得られなかった「カラーコーディネーター」の知識を得る。
上田 義彦(うえだ よしひこ、1957年 - )は日本の写真… 上田 義彦(うえだ よしひこ、1957年 - )は日本の写真家、映画監督。2014年4月から2025年3月まで、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科教授。 兵庫県出身。1979年ビジュアルアーツ専門学校・大阪校卒業。1979 - 81年にかけ写真家の福田匡伸、有田泰而に師事。1982年に独立。主な仕事はサントリーのウーロン茶、伊右衛門、無印良品、資生堂、日本郵政グループ、NTTdocomo、UNIQLO、TOYOTA、Canon、の広告など。これまで日本写真協会 作家賞、東京ADC賞最高賞、ニューヨークADC賞、朝日広告賞など数多くの様々な賞を受賞。2025年に神奈川県立近代美術館葉山にて40年の大規模個展「いつも世界は遠く、」を開催。
宮沢 章夫(みやざわ あきお、1956年12月9日 - 20… 宮沢 章夫(みやざわ あきお、1956年12月9日 - 2022年9月12日)は、日本の劇作家、演出家、作家。遊園地再生事業団主宰。早稲田大学文学学術院教授。 1956年、静岡県掛川市生まれ。多摩美術大学美術学部建築科中退。大学在学中、映像演出研究会で8ミリ映画の制作をする。大学を中退し、それからしばらく定職に就かなかったものの、24歳になってから執筆活動を開始した。吉田照美のてるてるワイドの構成作家を経て、1985年、大竹まこと、きたろう、斉木しげる、いとうせいこう、竹中直人、中村ゆうじらとパフォーマンスユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成して活動した。1988年、放送関連の仕事などそれまでしていた仕事をすべて辞め、マダガスカルに数ヶ月滞在した。
後藤田 三朗(ごとうだ みつお、1956年7月5日 - 20… 後藤田 三朗(ごとうだ みつお、1956年7月5日 - 2012年4月1日)は、日本の写真家、「手話の日」の提唱者。 岡山県倉敷市出身。3歳のとき薬禍(薬害)により聾唖となる。1980年多摩芸術学園写真科(現 多摩美術大学芸術部写真科)卒業。1983年に町のスナップ写真を集めた初個展「写真機無音」を東京、名古屋、大阪、広島、岡山で開催。1989年には写真集『盗と夢と写・1977~1988』で第39回日本写真協会を受賞。 ユーモア&ウィットに富んだ表現と、トリミングを行わないフレーミングの正確さが後藤田作品の特徴である。国内外で個展多数。 自身が聾唖であることから手話の普及活動にも取り組んだ。『手話の日』(5月5日、手話は両手の5本の指を使うことから)の提唱者でもある。
竹中 直人(たけなか なおと、1956年〈昭和31年〉3月2… 竹中 直人(たけなか なおと、1956年〈昭和31年〉3月20日 - )は、日本の俳優、映画監督、声優、タレント、コメディアン、歌手。 神奈川県横浜市金沢区出身。多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。レディバード所属。多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科客員教授。妻は元アイドル歌手、女優の木之内みどり。 神奈川県横浜市金沢区富岡にて、横浜市役所に勤務する地方公務員夫妻の一人息子として誕生する。 幼少期は家で一人遊びすることを好む内気な性格であったが、両親と共にしばしば映画鑑賞に足を運んでいたことなどがきっかけで映画業界に関心を持つようになる。横浜市立富岡小学校後、関東学院六浦中学校入学を機に、内気な性格を克服すべく習得したモノマネ芸で同級生からの注目が集まるようになる。
スージー 甘金(スージー あまかね、1956年3月20日 -… スージー 甘金(スージー あまかね、1956年3月20日 - )は、日本のマンガイラストレーター、コミック画家。 過去にスージィ甘金と表記していた時期もあった。男性。 ペイント作風のコマ割りマンガを作風としマンガイラストレーターの元祖と言われている。 現代美術のパロディ作家としても知られている。東京都三鷹市出身。 少年時代は藤子不二雄や赤塚不二夫のファンで、漫画家志望だった。フリーターを経て、東京藝術大学と桑沢デザイン研究所と多摩美術大学を受験。22歳で多摩美術大学グラフィックデザイン学科に入学。在学中、ナイロン100%店長の中村直也の「100%プロジェクト」に関わるようになり、主に当時の『宝島』の仕事を手がける。
石倉 ヒロユキ(いしくら ヒロユキ、1956年 - )は、日… 石倉 ヒロユキ(いしくら ヒロユキ、1956年 - )は、日本の絵本作家、エッセイスト。園芸書、料理書、児童書のプロデュースを数多く手がける。
原 雅幸(はら まさゆき、1956年 - )は、日本の洋画家… 原 雅幸(はら まさゆき、1956年 - )は、日本の洋画家。 大阪府出身。写実を基調とした作風で知られ、記憶に基づく風景を丹念に描写することで独自の世界観を築いている。ヨハネス・フェルメールの絵画に触発され、学生時代からバランスの取れた構図に関心を寄せていた。雲の流れ、川面の波形、巨樹の樹皮など、日常の風景に見られる自然の細部を題材とし、計算された構図と超細密な描写技法を用いて、光や空気感の表現を追求している。写実絵画の分野において独自の地位を築き、多くの画家に影響を与えている。 原は、住み慣れた日常を通じて記憶に残る風景と向き合い、それを意味ある風景として描くことにより、鑑賞者との記憶の共鳴を生み出すことを目指している。
連 健夫(むらじ たけお、1956年 - )は、日本の建築家… 連 健夫(むらじ たけお、1956年 - )は、日本の建築家。一級建築士・まちづくりコンサルタント。芝浦工業大学、早稲田大学非常勤講師。(一社)日本建築まちづくり適正支援機構代表理事。息子は建築家の連勇太朗。 京都府立洛北高等学校、多摩美術大学美術学部建築科(現:環境デザイン学科)卒業。東京都立大学大学院修了後、建設会社に勤務、10年間、建築設計実務に携わる。 1991年に渡英、ロンドンにあるAAスクールに入学、大学院優等学位取得の後、同校助手、東ロンドン大学非常勤講師、在英国日本国大使館嘱託を経て96年に帰国、有限会社連健夫建築研究室・一級建築士事務所を設立する。(「心と対話する建築・家」参照)「心と対話する建築」を目指しコラージュを用いた参加の設計等、施主とのコミュニケーションを大切にした設計活動を行なっている。
深澤 直人(ふかさわ なおと、1956年 - )は、日本のプ… 深澤 直人(ふかさわ なおと、1956年 - )は、日本のプロダクトデザイナー。日本民藝館館長。多摩美術大学副学長。2022年、一般財団法人THE DESIGN SCIENCE FOUNDATION 設立。 山梨県出身。山梨県立甲府工業高等学校卒業。御茶の水美術学院で浪人生活を送る。多摩美術大学美術学部プロダクトデザイン科卒。 人の想いを可視化する静かで力のあるデザインに定評があり、国際的な企業のデザインを多数手がける。電子精密機器から家具、 インテリアに至るまで手がけるデザインの領域は幅広く多岐に渡る。デザインのみならず、その思想や表現などには国や領域を超えて高い評価を得ている。 ±0デザイナー。
高田 明美(たかだ あけみ、1955年3月31日 - )はア… 高田 明美(たかだ あけみ、1955年3月31日 - )はアニメや装幀画で活動する日本のイラストレーター、宝飾デザイナー。
鳥海 修(とりのうみ おさむ、1955年3月13日 - )は… 鳥海 修(とりのうみ おさむ、1955年3月13日 - )は、日本の書体設計士。字游工房設立者の1人で、第2代代表取締役。文字塾塾長。京都精華大学特任教授、武蔵野美術大学非常勤講師。 山形県遊佐町出身。物心ついた時から自動車が好きで、酒田工業高校3年の時にカーデザイナーになりたいと思い立ち、美術大学受験を決める。1975年、多摩美術大学グラフィックデザイン学科に入学。在学中、文字デザインのゼミを担当していた篠原榮太による引率で、毎日新聞社東京本社でフォント製作課を見学。活字の元になる原字のレタリングを目の当たりにする。帰り際に案内役を務めた小塚昌彦が発した「日本人にとって文字は水であり、米である」との言葉に郷里の風景を重ね、書体制作の道に進むことを志す。
永井 郁子(ながい いくこ、1955年 - )は、日本の挿絵… 永井 郁子(ながい いくこ、1955年 - )は、日本の挿絵画家。寺村輝夫の挿絵を多数担当した事で知られる。 広島県豊田郡本郷町(現:三原市)生まれ。本郷町立本郷中学校、広島県立三原東高等学校卒業。1978年、多摩美術大学油絵科卒業。1979年、『ピノッキオ』(高橋久訳、集英社)で、挿し絵画家としてデビュー。 現在は単に絵本製作のみならず、人形劇や上映会等も各地で自ら率先、童話を媒体とした情操教育に取り組んでいる。 永井は池袋コミュニティ・カレッジで、寺村が講師をつとめる童話創作入門講座に1986年参加。この時寺村が永井に「童話より絵本を選びなさい」と話した際、永井の絵に注目したのがきっかけとなった。
中山 眞琴(なかやま まこと、1955年 - )は、日本の建… 中山 眞琴(なかやま まこと、1955年 - )は、日本の建築家・インテリアデザイナー。北海道出身。株式会社中山眞琴アーキテクツ代表。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
湯山 俊久(ゆやま としひさ、1955年 - )は日本の洋画… 湯山 俊久(ゆやま としひさ、1955年 - )は日本の洋画家。日展理事。 1955年に静岡県駿東郡小山町で生まれる。その後1980年に多摩美術大学油画科を卒業。同年白日会展にて佳作賞受賞。1981年白日会展にて会友奨励賞を受賞、1983年に白日会展にて準会員奨励賞 受賞、日展入選をし、1984年に白日会展にてM賞を受賞した。 1990年に日展にて「悠想」、1998年に「想春」で特選を受賞し、画家の旅から 美しき東日本展(東京ステーションギャラリー)に1993年出展。2000年に白日会にて三洋美術賞を受賞。 2002年第34回日展審査員就任、2003年に日展会員推挙、2008年に日展評議員に就任した。
鶴田 一郎(つるた いちろう、1954年4月13日 - )は… 鶴田 一郎(つるた いちろう、1954年4月13日 - )は日本の画家。独特のタッチで描かれた日本女性の美人画で有名である。 1987年5月から1998年5月まで続いたノエビアのCM「コスメティックルネッサンス」シリーズで起用されたことで有名となった。近年は美人画のみならず、現代の鶴田流琳派をテーマに「雪」「月」「花」や「海を渡る」、仏画などの大作にも挑んでいる。 独特の一重で切れ長の美人画は仏教美術に影響を受けたものだという。京都下京区に事務所兼ギャラリーを兼ねる仕事場を持つ。
天野 裕夫(あまの ひろお、1954年3月1日 - )は、日… 天野 裕夫(あまの ひろお、1954年3月1日 - )は、日本の彫刻家。巨大な陶作品なども制作する。 1995年 – 曼陀羅鯨, 伊藤信之
勅使川原三郎(てしがわら さぶろう、1953年9月15日 -… 勅使川原三郎(てしがわら さぶろう、1953年9月15日 - )は、日本のダンサー、振付家、演出家、俳優。立教大学現代心理学部教授を経て、2014年より、多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科教授。東京都出身。 1981年より独自の創作活動を開始。パントマイムやクラシック・バレエ、彫塑を修得した後、1985年に宮田佳と共にコンテンポラリー・ダンスのカンパニー、KARASを設立。2006年、立教大学現代心理学部映像身体学科教授。2014年、多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科教授。2019年、愛知県芸術劇場アドバイザー。2020年、愛知県芸術劇場芸術監督。 代表作は「月は水銀」「青い隕石」「石の花」「メランコリア」「NOIJECT」「I was Real-Documents」「Absolute Zero」「ルミナス」など。
清水 正己(しみず まさみ、1953年1月17日 - )は日… 清水 正己(しみず まさみ、1953年1月17日 - )は日本のクリエイティブディレクター・アートディレクター・グラフィックデザイナー。長野県佐久市出身。広告・雑誌・書籍・ロゴ制作などの第一人者。清水正己デザイン事務所代表。 1975年、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン科卒業。 1979年、流行通信社に入社し、デザインチームを率いる。 1985年に『STUDIO VOICE(スタジオ・ボイス)』でエディトリアルデザインADC賞を受賞。 1986年に独立し清水正己デザイン事務所を設立。広告・エディトリアルデザイン・ポスター・ロゴ制作などで数々の賞を受賞。その後もクリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナーとして、数多くの作品を生み出す。
内海 信彦(うつみ のぶひこ、1953年 - )は、日本の美… 内海 信彦(うつみ のぶひこ、1953年 - )は、日本の美術家。ペルー国立美術学校(英語版)名誉教授。 1953年、東京都生まれ。1972年、慶應義塾高等学校卒業。1974年、慶應義塾大学法学部政治学科中退。1981年、多摩美術大学美術学部絵画科卒業。『季刊クライシス』編集者を経て、アメリカ、ペルー、韓国、ポーランドなど諸外国からの招待により現地での滞在制作を行い、内外で107回の個展を開く。 駿台予備学校、河合塾COSMO講師。千葉商科大学で非常勤講師の任にある。駿台では論文科講師として人文系論文・芸術系論文を28年指導し、現在は人文社会総合論文講師として、映像も交えながら講義を進める。河合塾COSMOでは2000年から「芸術の可能性ゼミ」、美学校では2000年から2014年まで「現代絵画の可能性 絵画表現研究室」を担当した。
柘植 喜治(つげ きはる、1953年 - )は、日本の都市と… 柘植 喜治(つげ きはる、1953年 - )は、日本の都市と環境のデザイナー。海外での経験もあり環境デザイン、都市デザインや都市環境のプロデュースをする。現在、千葉大学名誉教授、多摩美術大学非常勤講師。 多摩美術大学建築・環境デザイン学科のホームページより引用。 多摩美は生意気だ。多摩美は元気だ。そこが良い。と、かつてここに書いた。ところが最近少し変わってきた。生意気というより優等生で大人しい普通の日本人学生だ。今世界のデザイン界は、情報通信やエネルギー分野等との吸収合併により再編が進む。著名な建築事務所やデザイン企業もこうした波に飲まれデザインや開発の業務が拡大している。そこで注目されるのがプロデューサーの空間としてまとめる技術だ。
生田 宏司(いくた こうじ、1953年 - )は、日本のメゾ… 生田 宏司(いくた こうじ、1953年 - )は、日本のメゾチント技法による銅版画家。元東北芸術工科大学講師。「ふくろう」、「猫」、「花」をテーマとした作品が特に人気がある。 1953年、山形県鶴岡市に生まれる。千葉県立佐倉高等学校を経て多摩美術大学絵画科日本画専攻を卒業。上野泰明、加山又造、堀文子に師事。 1986年国際ミニチュア版画展グランプリ(アメリカ)、1987年カンピナス国際版画ビエンナーレ受賞(ブラジル)、1987年 - 1988年ワークスオンペーパー展買上賞(アメリカ)、1990年インタープリント国際版画美術展大賞(ソ連)、2003年フランス・フォルバック市・メディアテルクギャラリー個展(フランス)、2007年ストラスブール ジャパンフェスティバル「花」個展(フランス)、2011年第23回国際蔵書票版画ビエンナーレ展(名誉メダル賞)(ポーランド)、2013年喜多方市美術館にて個展開催・図録刊行(福島県)、2015年 パリ・サンシュルピス広場「版画の日」個展開催(フランス)など国際的に活動。
秋山 孝(あきやま たかし、1952年5月18日 - 202… 秋山 孝(あきやま たかし、1952年5月18日 - 2022年1月18日)は日本のイラストレーター・グラフィックデザイナー・イラストレーション学研究家。新潟県立長岡商業高等学校、多摩美術大学を卒業し東京藝術大学大学院を修了。多摩美術大学教授。秋山孝ポスター美術館長岡館長を務めた。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
垂石 眞子(たるいし まこ、1952年 - )は、日本のイラ… 垂石 眞子(たるいし まこ、1952年 - )は、日本のイラストレーター・児童文学作家。 神奈川県茅ヶ崎市出身。多摩美術大学卒業。垂石真子、たるいしまこ名義でも活動している。 大学卒業後、サンリオに入社、資料室にあった外国の絵本を見て感銘を受ける。退社後に出産、育児で絵本に再び出会い児童文学の道へと進む。 1984年「あっぱれしゅじゅどん」のイラストでデビュー。作画する時は、パステル・水彩・クレヨン・色鉛筆・筆・竹ペンなどを使用している。 末吉暁子作「ぞくぞく村のおばけシリーズ」や、ディビッド・アドラー(英語版)作「名たんていカメラちゃん」、角野栄子作品などの絵本イラストを手がけているが、イラストのみではなく絵本作家としての活動も行っている。
西岡 文彦(にしおか ふみひこ、1952年 - )は、日本の… 西岡 文彦(にしおか ふみひこ、1952年 - )は、日本の版画家、多摩美術大学教授。 山口県生まれ。1971年神奈川県立川崎高等学校卒業。版画家森義利に師事。1977年、日本版画協会展新人賞。1978年、国展新人賞受賞。雑誌「遊」(工作舎)の装画を機に、出版分野でも活動。著書も多い。1996年、多摩美術大学講師。2003年造形表現学部デザイン学科助教授、2007年准教授、2009年教授。
山地正倫周(やまじりんしゅう、1951年12月17日 - )… 山地正倫周(やまじりんしゅう、1951年12月17日 - )は、日本のファッションデザイナー。香川県高松市出身。多摩美術大学グラフィック科卒業。 RYNSHU(リンシュウ)の名でプレタポルテ(高級既製服)ブランドを展開している。 MAJI STYLED BY RYNSHU、MA-JI MASATOMO、MAJI MAJI、MAJI君等のライセンスブランドのクリエイティブを展開している。 1985年、有限会社MA-JI CREATION設立。 1986年、MAJI MASATOMO、MASATOMO 1992年、株式会社MASATOMO設立。 2010年、RYNSHU 2017年、株式会社RYNSHU設立。
福市得雄(ふくいちとくお、1951年10月15日 - )は、… 福市得雄(ふくいちとくお、1951年10月15日 - )は、日本のカーデザイナー。2011年4月にトヨタ自動車デザイン本部長に就任し、2018年にサイモン・ハンフリーズに譲るまで同職を務めた。ピンク色で話題となった14代目クラウンを手掛けたことで知られる。2018年現在、トヨタ自動車チーフブランディングオフィサー (CBO) およびエグゼクティブアドバイザー、多摩美術大学美術学部生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻客員教授。 「デザインには訳があり、スタイルには意味がある」をモットーに、トヨタおよびレクサスのデザインチーム(アメリカやヨーロッパにもスタジオがあり、17か国から集まったデザイナー)を統括し、レクサスを日本発のラグジュアリーブランドにすべくデザイン改革に力を注いできた。
上田 雄三(うえだ ゆうぞう、1951年6月4日 - )は、… 上田 雄三(うえだ ゆうぞう、1951年6月4日 - )は、日本のキュレーター。多摩美術大学芸術学科非常勤講師(2008-2012)、同大学校友会理事(副会長)を務める。
佐藤 二郎(さとう じろう、1951年4月30日 - )は、… 佐藤 二郎(さとう じろう、1951年4月30日 - )は、日本の俳優。静岡県出身。身長 165cm、体重 68kg。 1972年 - 多摩美術大学多摩芸術学園演劇科卒業。 1972年 - グループ・ナック入団。 1976年 - 劇団ナック結成。 1984年 - 劇団ナック解散。フリーとなる。 1988年 - 劇団「風の街」創立。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
中原 道夫(なかはら みちお、1951年4月28日 - )は… 中原 道夫(なかはら みちお、1951年4月28日 - )は、日本の俳人。卓抜な機知を駆使し21世紀の風狂の俳諧師と呼ばれる。代表句に「白魚のさかなたること略しけり」「飛込の途中たましひ遅れけり」「瀧壺に瀧活けてある眺めかな」など。 新潟県西蒲原郡岩室村(現・新潟市西蒲区)出身。1974年に多摩美術大学卒業、博報堂に入社。アートディレクターとして勤務。1980年ごろより社内の俳句同好会で、俳句を始める。翌年「馬酔木」編集長だった福永耕二の指導を受ける。福永耕二没後、1982年に能村登四郎(「沖」主宰)に師事。1984年、第12回沖新人賞受賞、「沖」同人。1986年、第1回俳句研究賞で、上田五千石、藤田湘子の推挙を得たことにより俳壇の注目を浴びる。