松下 歩叶(まつした あゆと、2003年4月14日 - )は… 松下 歩叶(まつした あゆと、2003年4月14日 - )は、神奈川県南足柄市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 南足柄市立南足柄小学校で1年生の時に狩野エンゼルスで野球を始める。6年生時には横浜DeNAベイスターズジュニアに選出された。南足柄市立南足柄中学校在学時は硬式野球のクラブチームである静岡裾野シニアでプレーし、全国大会で優勝した。 桐蔭学園高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。2年秋から4番を務めたが、3年間で甲子園大会出場はなかった。二学年上に森敬斗がいる。 高校卒業後は法政大学へ進学。二塁手や三塁手のレギュラーを務め、2年秋から3季連続でリーグ戦ベストナインに選出された。
是澤 涼輔(これさわ りょうすけ、2000年4月19日 - … 是澤 涼輔(これさわ りょうすけ、2000年4月19日 - )は、三重県いなべ市出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。埼玉西武ライオンズ所属。 暁中学校時代は三重川越ヤングでプレー。 柘植世那に憧れて進学した健大高崎高校では2番手の控えとして過ごし、2年春に甲子園出場も自身はメンバーに入れず実績はなかった。高校の1学年先輩に湯浅大、同級生に山下航汰、2学年後輩に下慎之介、麦谷祐介(※ 1年次に大崎中央高等学校へ転校)がいる。 指定校推薦で進学した法政大学では、3番手の控え捕手であり試合ではもっぱらブルペン捕手を務めていた。4年春に東京六大学リーグ戦デビューし、通算4試合で3打数0安打。 2022年10月20日に開催された2022年度ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから育成4巡目で指名を受けた。
高田 孝一(たかだ こういち、1998年6月3日 - )は、… 高田 孝一(たかだ こういち、1998年6月3日 - )は、神奈川県綾瀬市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 綾瀬市立綾北小学校2年の時に野球を始める。 平塚学園高等学校では1年夏に控え投手としてベンチ入りし、秋からはエースの座を掴んだ。秋は関東大会8強、夏は県大会5回戦敗退が最高で、甲子園出場経験はなかった。 法政大学では2年春からリーグ戦に出場する。大学時代の通算成績は31試合に登板し、7勝3敗、防御率3.22。 2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、東北楽天から2位指名を受け、11月22日に契約金7000万円、年俸1000万円(推定)で仮契約した。背番号は29。
宇草 孔基(うぐさ こうき、1997年4月17日 - )は、… 宇草 孔基(うぐさ こうき、1997年4月17日 - )は、東京都墨田区出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。コトラーシュカ・プラハ(チェコ語版)所属 墨田区立向島中学校卒。墨田リトルリーグ、シニアを経て常総学院高等学校に入学。在学中の2015年には第87回選抜高等学校野球大会に出場し準々決勝に進出、2015 WBSC U-18ワールドカップに出場するU-18代表に選出された。法政大学進学後3年生の秋季にレギュラーとなり、4年生の春季にはベストナインに選出、第43回日米大学野球選手権大会にも選出されている。高校・大学の1年後輩に鈴木昭汰がいる。 2019年10月17日に行われたドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け、11月19日に契約金8000万円、年俸1200万円(金額は推定)で入団に合意した。
石田 健大(いしだ けんた、1993年3月1日 - )は、横… 石田 健大(いしだ けんた、1993年3月1日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する広島市南区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。
木下 拓哉(きのした たくや、1991年12月18日 - )… 木下 拓哉(きのした たくや、1991年12月18日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(捕手)。
西浦 直亨(にしうら なおみち、1991年4月11日 - )… 西浦 直亨(にしうら なおみち、1991年4月11日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(内野手)。
安田 裕希(やすだ ゆうき、1990年6月18日 - )は、… 安田 裕希(やすだ ゆうき、1990年6月18日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身のプロ野球選手(内野手)。アメリカ合衆国やオーストラリアの独立リーグやサマーリーグなどでプレーした。 高校時代は横浜市立桜丘高等学校野球部の内野手としてプレーし、大学進学後は法政大学第二体育会準硬式野球部にてプレーした。大学在学中に千葉熱血MAKINGに入団。その後はアメリカで行われているカリフォルニア・ウィンターリーグ(スカウティングリーグ)に参加し、アメリカ独立リーグやサマーリーグなどでプレーをした。 2014年はアメリカ独立リーグのひとつであるペコス・リーグのダグラス・ディアブロスにてプレーし内野手として3割を超える打率を残した。
三嶋 一輝(みしま かずき、1990年5月7日 - )は、横… 三嶋 一輝(みしま かずき、1990年5月7日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手)。
三上 朋也(みかみ ともや、1989年4月10日 - )は、… 三上 朋也(みかみ ともや、1989年4月10日 - )は、岐阜県多治見市出身のプロ野球選手(投手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
山本 翔也(やまもと しょうや、1988年10月12日 - … 山本 翔也(やまもと しょうや、1988年10月12日 - )は、阪神タイガースに所属する福井県武生市(現:越前市)出身のプロ野球選手(投手)。
岩下 健吾(いわした けんご、1988年9月23日 - )… 岩下 健吾(いわした けんご、1988年9月23日 - )は、神奈川県出身のプロ野球審判員。袖番号は55。神奈川県大和市在住(2016年時点)。 神奈川県綾瀬市出身。父の転勤に伴い各地に移り住んだ後、5歳より大和市に在住。大和市立福田小学校時代に少年野球チームに所属し、野球を始める。大和市立引地台中学校、法政大学第二高等学校を経て法政大学に進学するが、大学3年生時に右肘を負傷し、プロ野球選手への道を断念する。アマチュア審判として2000年シドニーオリンピックなどの国際大会でも活躍する高校、大学の先輩から、プロ野球の審判員という道を紹介され、2011年2月に日本野球機構(NPB)審判員となる。 2015年9月26日の横浜DeNAベイスターズ対中日ドラゴンズ25回戦(横浜スタジアム)の二塁塁審にて一軍初出場。
加賀美 希昇(かがみ きしょう、1988年9月5日 - )は… 加賀美 希昇(かがみ きしょう、1988年9月5日 - )は、神奈川県鎌倉市出身の元プロ野球選手(投手)。2016年シーズンからは、社会人野球のJR西日本でプレーを続ける。
武内 久士(たけうち ひさし、1987年11月29日 - )… 武内 久士(たけうち ひさし、1987年11月29日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手(投手)。 藍住町立藍住南小学校4年時に藍住南タイガースで軟式野球を始め、6年の時のポジションは投手兼外野手。藍住町立藍住中学校では硬式の藍住シニアに入り、投手兼一塁手。 徳島県立城東高等学校では、2年春にはエースナンバーをつけ、3年夏に全国選手権徳島県大会ベスト8。高校時代から140km/h後半の速球で数球団のスカウトが注目するも、法政大学(経営学部経営学科)に進学。 大学2年時から150km/hを越すストレートで一躍注目を集め、3年時には法政のリリーフエースとして最速154km/hをマーク。下級生時には四死球を連発するなどアバウトだった制球も、3年時以降には安定した向上が見られ、角度のある高さから投げ下ろす持ち前の速球と、ストレートの軌道のまま鋭く沈む縦スライダー、フォークボール、カーブで、1学年上の小松剛、同学年で阪神のドラフト1位指名された二神一人、1学年下の加賀美希昇らと形成した投手王国法政でクローザーを担い、リーグでも屈指の奪三振率を誇った。
二神 一人(ふたがみ かずひと、1987年6月3日 - )は… 二神 一人(ふたがみ かずひと、1987年6月3日 - )は、高知県幡多郡大月町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
小松 剛(こまつ たけし、1986年9月26日 - )は、高… 小松 剛(こまつ たけし、1986年9月26日 - )は、高知県室戸市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現役引退後は広島東洋カープの二軍マネージャー兼広報を務めた。2022年からは人材紹介会社に転職。 1986年に高知県高知市で生まれる。小学3年生の時に室戸市へ転居すると、室戸市で知り合った友人や友人の保護者の影響で野球を始める。小学5年生から投手を始め、室戸市立佐喜浜中学校を経て高知県立室戸高等学校に進学、3年生でエース・主将を務めた。 高校卒業後は法政大学へ進学し、2年春にリーグ戦デビューするといきなり3勝を挙げ、優勝決定戦でも完投して胴上げ投手となった。その後もチームの主戦投手の一角を任せられるが勝ち星が伸び悩み、4年生秋季では背筋痛で出遅れるが、対早稲田大学1回戦で斎藤佑樹に完投勝利するなど、復調した。
平野 貴志(ひらの たかし、1985年6月4日 - )は、社… 平野 貴志(ひらの たかし、1985年6月4日 - )は、社会人野球の選手(投手、右投げ右打ち)。JX-ENEOS所属。174cm、78kg。
大引 啓次(おおびき けいじ、1984年6月29日 - )は… 大引 啓次(おおびき けいじ、1984年6月29日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(内野手)。
西川 明(にしかわ あきら、1984年4月2日 - )は、三… 西川 明(にしかわ あきら、1984年4月2日 - )は、三重県多気郡明和町出身の元プロ野球選手(内野手)。
下敷領 悠太(しもしきりょう ゆうた、1983年5月4日 -… 下敷領 悠太(しもしきりょう ゆうた、1983年5月4日 - )は、大阪府大阪市東成区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
村上純平(むらかみ じゅんぺい、1983年4月11日 - )… 村上純平(むらかみ じゅんぺい、1983年4月11日 - )は、鷺宮製作所所属の社会人野球選手。
普久原 淳一(ふくはら じゅんいち、1983年1月13日 -… 普久原 淳一(ふくはら じゅんいち、1983年1月13日 - )は、神奈川県大和市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は、中日ドラゴンズの球団職員(一軍サブマネージャー)。
松坂 恭平(まつざか きょうへい、1982年11月23日 -… 松坂 恭平(まつざか きょうへい、1982年11月23日 - )は、東京都江東区出身の元野球選手(内野手)。社会人野球のTokyo Bay lustersに所属していた。 兄は元プロ野球選手の松坂大輔、妻はフリーアナウンサーの廣川明美。 小学1年生で野球をはじめ、江戸川南リトル時代は投手兼遊撃手として全国3位に輝く。中学時代は軟式野球で投手として活躍。実兄・大輔に遜色なき実力を見込まれ、中学卒業直前に幾校もの強豪私学野球部から勧誘があったものの、2歳上の兄が私立横浜高等学校進学したあと、実父が失業するなどの経済的事情から東京都立篠崎高等学校に進学。高校時代は投手として1年生の夏から先発投手として出場するが、故障に悩まされ甲子園出場はできなかった。
植山 幸亮(うえやま こうすけ、1981年4月30日 - )… 植山 幸亮(うえやま こうすけ、1981年4月30日 - )は、大阪府東大阪市出身の元社会人野球選手(内野手)。野球指導者。右投右打。 東大阪市立縄手北中学校卒業後はPL学園高等学校に進学し、3年春(1999年)にエースとして第71回選抜高等学校野球大会に出場している。同学年には田中一徳、田中雅彦らがいる。 法政大学入学後は内野手に転向し、大柄ながら細かな守備ができ、さらにパンチ力を兼ね備えた内野手として活躍した。全日本大学野球選手権大会にも出場している。大学では新里賢と同期だった。 大学卒業後の2003年に三菱ふそう川崎に入社したが、チームは前年に起きた不祥事の影響を受け、5月に活動を自粛。新人のシーズンはほとんど出場できずに終わった。
新里 賢(しんざと けん、1981年4月12日 - )は、大… 新里 賢(しんざと けん、1981年4月12日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 1年秋は府大会準々決勝で関大一高の久保康友に完投で敗れた。2年夏の南大阪大会ベスト4。法政大学では2年上の浅井良の卒業で正捕手を継ぎ、4年時に主将を務めるなど、人望が厚いことで知られている。大引啓次は高校、大学の3年後輩。 2003年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから5巡目指名を受け入団。 2004年オフ、オリックス・ブルーウェーブとの合併に伴う選手分配ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。 2006年途中、川井貴志とのトレードで東北楽天ゴールデンイーグルスから千葉ロッテマリーンズに移籍。
土居 龍太郎(どい りょうたろう、1981年1月11日 - … 土居 龍太郎(どい りょうたろう、1981年1月11日 - )は、高知県吾川郡春野町(現:高知市)出身の元プロ野球選手(投手)。2005年から2007年の登録名は龍太郎。
河野 友軌(こうの ゆうき、1980年11月1日 - )は、… 河野 友軌(こうの ゆうき、1980年11月1日 - )は、埼玉県狭山市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学3年生の時、地元の軟式少年野球チームに入り、中学でも軟式野球部に入った後、強豪校からの誘いがあったが埼玉県立狭山清陵高等学校へ進む。1年秋から三塁手で出場し、2年秋に正捕手が負傷して代役になると地区予選でサイクル安打を記録。主将で4番の3年夏に埼玉県大会で4回戦まで勝ち残り鳥谷敬のいた聖望学園に惜敗。大学関係者の目にとまり、法政大学野球部のセレクションの受験権利を得て合格する。 大学入学後は1年上に浅井良らがいて、外野へ回る。その後、打撃を活かして出場機会を得ると3年春にベストナイン獲得。
後藤 武敏(ごとう たけとし、1980年6月5日 - )は、… 後藤 武敏(ごとう たけとし、1980年6月5日 - )は、静岡県浜松市中央区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、プロ野球コーチ。右投右打。 愛称は「ゴメス」など(後述)。 中学校時代にはシニアリーグの「浜松シニア」に所属し、チームメイトで1年後輩の野久保直樹らと共に全国大会で準優勝している。 横浜高等学校では、1年生時からベンチ入りし、第78回全国高等学校野球選手権大会では、3回戦の9回に代打で起用され安打を放った。 1998年、松坂大輔、小池正晃、小山良男らと共に第70回選抜高等学校野球大会に出場し全国制覇を果たすと、第80回全国高等学校野球選手権大会に主に3番打者として出場し、準々決勝では上重聡、平石洋介らを擁するPL学園、準決勝では寺本四郎を擁する明徳義塾高校、決勝では吉見太一を擁する京都成章高校に勝利し、春夏連覇を果たした。
浅井 良(あさい りょう、1979年7月19日 - )は、神… 浅井 良(あさい りょう、1979年7月19日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)、現役引退後は飲食店経営者。
藤井 了(ふじい さとる、1979年5月5日 - )は、和歌… 藤井 了(ふじい さとる、1979年5月5日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(投手)。 和歌山県立田辺高等学校から法政大学に進学。2学年上に安藤優也、1学年下に土居龍太郎らがおりリーグ戦登板は少なかったが、3年秋の対明大2回戦で救援登板すると、主将の廣瀬純のサヨナラ安打で勝利投手となった。 大学卒業後の2003年に渡米し、独立リーグであるセントラル・ベースボール・リーグのサンアンジェロ・コルツと契約するも、1試合(1イニング)のみの登板で自由契約となった。 その後、2005年にオランダに渡り、現地のプロ野球リーグであるホーフトクラッセのスパルタ・フェイエノールト(英語版)と契約。2シーズン在籍した。
廣瀬 純(ひろせ じゅん、1979年3月29日 - )は、大… 廣瀬 純(ひろせ じゅん、1979年3月29日 - )は、大分県臼杵市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。野球解説者。現役時代は広島東洋カープに所属した。
G.G.佐藤(ジー・ジー・さとう)こと佐藤 隆彦(さとう た… G.G.佐藤(ジー・ジー・さとう)こと佐藤 隆彦(さとう たかひこ、1978年8月9日 - )は、千葉県市川市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
後藤 光尊(ごとう みつたか、1978年7月27日 - )は… 後藤 光尊(ごとう みつたか、1978年7月27日 - )は、 秋田県南秋田郡八郎潟町出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、野球指導者、野球解説者。 八郎潟町立八郎潟中学校時代は野球とラグビーを掛け持ちし、ラグビーでは県大会優勝経験がある。 秋田工業高等学校に1年からレギュラー確約条件にスカウトされたが、秋田県内有数の進学校である秋田高等学校に進学、3年時にエース投手として第68回選抜高等学校野球大会に出場する。 スポーツ推薦で法政大学に進学したが、上級生らによりいじめを受けて留年が確定し、そのまま大学を中退する。 その後、1997年に同じ秋田高校OBで川崎製鉄千葉野球部監督の齋藤正直に誘われて同野球部に練習生として参加し、1998年に入社。
安藤 優也(あんどう ゆうや、1977年12月27日 - )… 安藤 優也(あんどう ゆうや、1977年12月27日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。 アテネオリンピック野球の銅メダリスト。 小学生の時、野球を始め「ふじが丘少年野球団」でプレー。ちなみに小中学校の後輩に鉄平がいる。大分雄城台高校時代は県大会ベスト8が最高成績で、比較的無名の存在だった。同郷の山中正竹監督率いる法政大学に進学後は2年時に慶応大学の高橋由伸にそれまで大学の先輩・田淵幸一が持っていた東京六大学リーグ通算本塁打記録を破る23本目の本塁打を打たれ、右肩の故障などもあって4年春に2勝、秋4勝したが大学通算7勝4敗の成績だった。 卒業後は地元の大分銀行に就職して軟式野球に転向する予定だったが、のちに夫人となる大学の同級生の勧めもあり「23本目を打たれた投手と言われ続けるのは嫌だ」と、内定を辞退して社会人野球のトヨタ自動車に入社。
福本 誠(ふくもと まこと、1976年7月14日 - )は、… 福本 誠(ふくもと まこと、1976年7月14日 - )は、東京都日野市出身の元プロ野球選手(内野手)。
鈴村 裕輔(すずむら ゆうすけ、1976年7月1日 - )は… 鈴村 裕輔(すずむら ゆうすけ、1976年7月1日 - )は、野球史研究家、名城大学外国語学部教授、博士(学術)。 東京都生まれ。東京都立青山高等学校、法政大学文学部哲学科、同大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程、同国際日本学インスティテュート社会科学研究科政治学専攻修士課程および同インスティテュート政治学研究科政治学専攻博士後期課程修了。2008年3月に法政大学より博士(学術)の学位を授与される。法政大学国際日本学研究所客員学術研究員を経て現職。 高校在学時から藤澤文洋に師事してアメリカ野球の研究を行い、1997年に『オールタイム大リーグ名選手101人』(日本スポーツ出版)にオジー・スミスの項目を担当して執筆活動を開始する。
矢野 英司(やの えいじ、1976年6月15日 - )は、神… 矢野 英司(やの えいじ、1976年6月15日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身の元プロ野球選手(投手)。 横浜高校時代は3度甲子園に出場。同期の選手に多村仁志、紀田彰一、斉藤宜之、山本哲也、若杉聖一などがいる。 1995年に法政大学入学。法政では入学早々リリーフエースとして活躍。同年春の第44回大学選手権では全試合に登板し、先発の真木将樹や伊達昌司(1学年上)らの投手陣を支え、決勝で東北福祉大学を9-5で下し大学選手権で7度目の優勝に貢献した。高校でも1年先輩の2年平馬淳もレギュラーとして出場していた。1997年、大学3年秋の第28回明治神宮大会準決勝の創価大学戦で、毎回先発全員から当時大会新記録となる18奪三振を奪い3-0で下し大学公式戦での初完封を記録。
福山 龍太郎(ふくやま りゅうたろう、1976年4月21日 … 福山 龍太郎(ふくやま りゅうたろう、1976年4月21日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(投手)。
真木 将樹(まき まさき、1976年2月13日 - )は、福… 真木 将樹(まき まさき、1976年2月13日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
伊達 昌司(だて まさし、1975年8月23日 - )は、神… 伊達 昌司(だて まさし、1975年8月23日 - )は、神奈川県川崎市高津区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は東京都立雪谷高等学校教諭、同校野球部の助監督を経て監督。父は元プロ野球選手の伊達泰司。 小学1年で野球を始める。法政二高時代は同期の田中亮司(法大-鷺宮製作所)と主戦投手の2本柱として2年秋に関東大会ベスト8、春は同大会準優勝。父と同じく法政大学に進み、同期の真木将樹や1学年後輩の矢野英司らと共に投手陣を支えた。当時、父がロッテスカウトとして活躍を見守っていた。3年春は真木らが不調のなかでリーグ戦の防御率1位で優勝に貢献。4年秋はリーグ戦1試合の登板ながら1学年後輩の矢野、福山龍太郎らの活躍で優勝すると明治神宮大会は決勝でこの年の大学選手権を制した近大に先制されると福山の後を受けて5回2/3を投げて無失点に抑えるが清水章夫に完封負けで準優勝。
平馬 淳(へいま じゅん、1975年7月4日 - )は、日本… 平馬 淳(へいま じゅん、1975年7月4日 - )は、日本の元社会人野球選手(内野手)。 横浜市瀬谷区にある少年野球レッドホープスにて野球を始め、中学時代は瀬谷シニアに所属。その後、横浜高校へ進学。高校時代には1年生時からレギュラーとして活躍。2、3年生時ではセンバツに出場するも初戦敗退。3年時は主将を務めた。夏は3年間全て県大会決勝で敗退し、夏の選手権出場はなし。高校時代の同期には中日ドラゴンズに入団した白坂勝史、高橋光信などがいる。 進学した法政大学の野球部では下級生時代からクリーンアップを任されるなど主力選手として活躍した。2年次の大学選手権では副島孔太や高校からの1学年先輩である鈴木章仁や1学年後輩の矢野英司らと優勝、同期に真木将樹、伊達昌司、3学年後輩には高校の後輩でもある阿部真宏がいる。
宮﨑 一彰(みやざき かずあき、1975年4月24日 - )… 宮﨑 一彰(みやざき かずあき、1975年4月24日 - )は、高知県四万十市出身の元プロ野球選手(内野手)で、現在は日本競輪選手会高知支部所属の競輪選手。 明徳義塾高校では2年夏に甲子園出場、星稜高校との松井秀喜5打席連続敬遠があった試合でも、控え選手としてベンチ入りしていた。 高校卒業後は法政大学に入学、同期には真木将樹らがおり、4年生の時にレギュラーを獲得。4年秋にはベストナインに選出され第28回明治神宮野球大会で準優勝したが、ドラフト会議では指名されなかった。 大学卒業後は社会人野球のいすゞ自動車に進んだが、約半年で退社し、1999年にアメリカ独立リーグ・ノーザンリーグのアディロンダック・ランバージャックス(英語版)に入団。
開田 博勝(ひらきだ ひろかつ、1975年2月10日 - )… 開田 博勝(ひらきだ ひろかつ、1975年2月10日 - )は、福岡県柳川市出身の元社会人野球選手(外野手)。 2011年12月から2019年まで三菱重工長崎の監督を務めた。 柳川高校では2年の夏に第73回全国高等学校野球選手権大会に出場。2回戦から6打席連続安打を記録し、チームも2回戦で木立章成や井上浩司を擁する専大北上高、3回戦では岸川雄二を擁する佐賀学園をそれぞれ破ってベスト8に進出した。3年夏は県大会準決勝で甲子園優勝を果たす西日本短大付高に敗退。1学年後輩に大畑裕勝がいた。法政大学では野球部の2学年上に稲葉篤紀、同期に副島孔太、1学年下に真木将樹らがおり、3年生の時に大学選手権で優勝を経験している。
松田 匡司(まつだ まさし、1974年11月16日 - )は… 松田 匡司(まつだ まさし、1974年11月16日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 星林高では1年夏に甲子園に出場。その後は投手となって、2年夏は県大会準優勝。 法大では、投手で1年秋にリーグ戦4試合に登板した後に外野手へ転向。投手としては高橋由伸にリーグ通算2号本塁打を浴びた。3年次に全日本大学野球選手権大会優勝、4年秋に東京六大学野球リーグのベストナインにも選ばれた。同期には副島孔太がいた。野手ではリーグ戦通算20試合、48打数26安打11打点、打率.546。 社会人野球チームシダックスでは、都市対抗野球に補強を含めて3年連続出場してベスト4も経験。1999年の日本選手権初優勝に大きく貢献し、同年のドラフトで阪神タイガース7位指名を受けて入団。
副島 孔太(そえじま こうた、1974年5月17日 - )は… 副島 孔太(そえじま こうた、1974年5月17日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
藤澤 英雄(ふじさわ ひでお、1973年11月30日 - )… 藤澤 英雄(ふじさわ ひでお、1973年11月30日 - )は、元社会人野球選手(内野手)、野球指導者。 大分県出身。大分東高では甲子園に出場することができなかったが、法大に進学し、持ち前の機敏な守備と巧打でレギュラーをつかみ、1995年の大学選手権優勝にも貢献した。 1996年、いすゞ自動車に入社。背番号は3。入社してしばらくしてショートのレギュラーを獲得し、自チームのみならず列強居並ぶ神奈川地区で他チームの補強選手として都市対抗野球大会に出場を続けた。入社5年目の2000年シーズンから主将としてチームを引っ張っていたが、2002年、シーズンが始まってすぐにこの年限りでの休部がチームに告げられ、動揺が広がった。
根鈴 雄次(ねれい ゆうじ、1973年8月9日 - )は、元… 根鈴 雄次(ねれい ゆうじ、1973年8月9日 - )は、元プロ野球選手(外野手)、コーチ。 日大藤沢高校では1年生時からレギュラーで4番を務めるほどの実力があったが、体育会系部活にありがちな上下関係に対する嫌悪感や、家庭内でも両親が離婚するなど多くの問題を抱えていた。そのことから自律神経失調症を患い、不登校→留年→退学となる。留年後の学業では留年したことから野球部に戻れないこともあり、16歳から18歳まで野球をしないで過ごす。 高校を中退後、10代で渡米。地元の高校入学を目指したものの、留学斡旋の会社に騙され入学は許可されず、語学学校に通いながらバッティングセンターに通う日々を送る。バッティングセンターのオーナーから大学の監督を紹介されたり、オープントライアウトでスカウトの目に留まるが、学生ビザが切れたため、高卒の資格を取得するため日本に戻る決心をする。
深谷 篤(ふかや あつし、1973年5月27日 - )は、愛… 深谷 篤(ふかや あつし、1973年5月27日 - )は、愛知県幡豆郡幡豆町(現西尾市)出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は23。 愛工大名電高では2年夏に続き3年春は主将で甲子園に出場して本塁打。法政大学(1995年の大学選手権優勝に正選手として貢献)、卒業後三菱自動車岡崎でいずれも主に二塁手としてプレーし、1999年にセントラル・リーグ東京審判部に入局。 2009年にオールスターゲームに初出場した。 2014年には、同期入局の嶋田哲也と共に日本シリーズ(阪神対ソフトバンク戦)に初出場を果たし、10月29日の第4戦(ヤフオクドーム)で球審を務めた。 2017年7月14日、地元愛知のナゴヤドームで行われたオールスターゲーム第1戦で球審を務めた。
稲葉 篤紀(いなば あつのり、1972年8月3日 - )は、… 稲葉 篤紀(いなば あつのり、1972年8月3日 - )は、愛知県北名古屋市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、左投左打)・コーチ。
鈴木 秀範(すずき ひでのり、1970年12月31日 - )… 鈴木 秀範(すずき ひでのり、1970年12月31日 - )は、千葉県袖ケ浦市出身の元社会人野球の選手(内野手)・監督。 中学時代は学校の軟式野球部に所属。 拓大紅陵高では1986年と1988年の2度、夏の甲子園への出場経験を有する。同期のプロ選手に高橋憲幸と和田孝志がいる。 高校卒業後は、法政大学へ進学し野球部に入部する。4番打者として田淵幸一・小早川毅彦に次ぐ通算11本塁打を記録し、1992年春季リーグ戦においてはシーズン記録の10二塁打を記録。これは未だに破られていない。2年後輩の稲葉篤紀と共にクリーンアップを組み、全日本大学野球選手権に出場した。同期生には青山正克がいる。 大学卒業後は新日本製鐵に入社、君津野球部に所属。