渡辺 実(わたなべ みのる、1926年8月19日 - 201… 渡辺 実(わたなべ みのる、1926年8月19日 - 2019年12月6日)は、日本の国語学者・国文学者。京都大学名誉教授。文学博士。 京都市生まれ。1948年、京都大学文学部卒業。1962年、「国語構文論」で文学博士(京都大学)。大阪女子大学助教授、京都大学教養部助教授、教授、1985年退官、名誉教授、上智大学教授、1997年退任。1991年6月から3年間、国語学会代表理事を務めた。 2019年12月6日20時56分、肺炎のため、神奈川県藤沢市の病院で死去。93歳没。
藤原 菊男(ふじわら きくお、1926年8月13日- 201… 藤原 菊男(ふじわら きくお、1926年8月13日- 2012年8月13日 )は、日本の経営者。島津製作所社長、会長を務めた。 京都府竹野郡丹後町出身。1952年に京都大学経済学部を卒業し、同年に島津製作所に入社。1979年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1992年6月には社長に昇格した。1998年6月から会長を務め、2002年6月から相談役を務めた。 日本経済団体連合会常任理事、関西経済連合会常任理事なども歴任した。 1992年11月には藍綬褒章を受章し、1998年4月には勲二等瑞宝章を受章した。 2012年8月13日、京丹後市の海岸で遊泳中に死去。86歳没。
八木 大介(やぎ だいすけ、1926年8月9日 - 2012… 八木 大介(やぎ だいすけ、1926年8月9日 - 2012年4月20日)は、日本の作家、政治家。位階は正五位。参議院議員(1期)。本名は木本 平八郎(きもと へいはちろう)。 大阪府枚方市出身。1951年、京都大学経済学部を卒業し、協和交易(後の三菱商事)へ入社。コロンビア三菱商事副支配人や機械総括部次長などを務める。1981年3月に『青年重役』が日本経済新聞の懸賞経済小説に当選し、著述業にも手を広げた。 1983年5月1日、定年まで1年半を残して退社。翌月の第13回参議院議員通常選挙に家族の反対を押し切って立候補し、サラリーマン新党から比例区で当選を果たす。この時、数年の間に大きく境遇が変化したことを「経済学部から文学部に移って、今度は法学部に来てしまったようなもの」と喩えた。
千畑 一郎(ちばた いちろう、1926年8月6日 - 201… 千畑 一郎(ちばた いちろう、1926年8月6日 - 2015年10月2日)は、日本の経営者、農学博士。田辺製薬(現在の田辺ファーマ)社長、会長を務めた。 大阪府出身。1948年に京都大学農学部農芸化学科を卒業し、同年に田辺製薬に入社。1981年7月に取締役に就任し、1983年7月に常務、1985年7月に専務を経て、1987年1月に副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格。1997年6月に会長に就任。 2000年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2015年10月2日に死去。89歳没。
北村 昌美(きたむら まさみ、1926年7月30日 - 20… 北村 昌美(きたむら まさみ、1926年7月30日 - 2012年8月13日)は、日本の林学者、山形大学名誉教授。 兵庫県生まれ。京都大学農学部林学科卒業。1964年「一致高和による林分材積の推定に関する理論的研究」で京大農学博士。山形大学農学部助教授、教授、ドイツ・フライブルク大学客員教授。1989年定年退官、名誉教授。鶴岡致道大学学長、山形県鶴岡市名誉市民。
竹沢 哲夫(たけざわ てつお、1926年7月25日 - 20… 竹沢 哲夫(たけざわ てつお、1926年7月25日 - 2012年4月24日)は、日本の弁護士である。富山県生まれ。家業は薬局。 京都大学法学部卒。弁護士となる。松川事件弁護団、多摩川水害訴訟弁護団長。白鳥決定や刑事確定訴訟記録法の制定に尽力した。また、帝銀事件の平沢貞通とは長く交流があった。 2012年4月24日、心不全のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
青山 俊治(あおやま しゅんじ、1926年(大正15年)7月… 青山 俊治(あおやま しゅんじ、1926年(大正15年)7月13日 - )は、日本の実業家。トミヤアパレル元会長。 元オウム真理教幹部で元弁護士の青山吉伸は長男。 大阪府出身。1951年(昭和26年)京都大学経済学部卒業。同年トミヤアパレル入社。 1967年(昭和42年)2月同社社長、1994年(平成6年)3月同社会長に就任。 1995年(平成7年)4月11日、体調不良を理由に会長の職を辞任した。 なお、トミヤアパレルは2009年(平成21年)に経営破綻し、現在は愛知県を本社とするミツワ株式会社が「トミヤアパレル事業部」として継承している。
田中 正大(たなか まさひろ、1926年7月5日- )は、日… 田中 正大(たなか まさひろ、1926年7月5日- )は、日本の造園学者。東京農業大学名誉教授。農学博士(京都大学)。 和歌山県に生まれる。1949年に、京都大学農学部林学科を卒業する。 東京に移り、1950年1月に東京都世田谷区立富士中学校教諭となる。以後、世田谷区立八幡中学校(1954年5月)、 豊島区立大塚中学校(1961年4月)、 清瀬市立清瀬第二中学校(1971年4月)でそれぞれ教諭を務めた。 1973年から1978年まで、東京都「緑の監視員」となる。その傍ら、1976年から1978年まで「清瀬の自然を守る会」の副会長も務めた。 1978年4月、東京農業大学短期大学農業科教授に就任する。
広岡 隆(ひろおか たかし、1926年6月29日 - 200… 広岡 隆(ひろおか たかし、1926年6月29日 - 2009年)は、日本の法学者。専門は、行政法・行政代執行。 大阪府河南町生まれ。1949年京都帝国大学法学部卒。1962年「行政上の強制執行の研究」で、京都大学より法学博士の学位を授与される。 大阪学芸大学助教授、関西大学法学部助教授、関西学院大学法学部助教授、教授、96年定年、名誉教授、関西外国語大学教授。『アメリカ現代詩におけるホイットマン像』の著者、廣岡實は実弟。
萩原 宏(はぎはら ひろし、1926年6月27日 - 201… 萩原 宏(はぎはら ひろし、1926年6月27日 - 2014年1月8日)は、日本の工学者。京都大学名誉教授。京都情報大学院大学初代学長。 石川県金沢市生まれ。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大槻 真一郎(おおつき しんいちろう、1926年6月21日 … 大槻 真一郎(おおつき しんいちろう、1926年6月21日 - 2016年1月1日)は、日本の科学史家。明治薬科大学名誉教授。 京都府生まれ。京都大学大学院博士課程(古代ギリシア哲学専攻)満期退学。明治薬科大学教授、1997年定年、名誉教授。古代ギリシアから中世錬金術、近代科学までを研究する。2016年1月1日、満89歳死去。
小暮 智一(こぐれ ともかず、1926年6月10日 - 20… 小暮 智一(こぐれ ともかず、1926年6月10日 - 2025年5月22日)は、日本の天文学者。専門は天体物理学、天体分光学。京都大学名誉教授。美星天文台名誉台長。第35代日本天文学会理事長。群馬県桐生市出身。 1926年群馬県桐生市生まれ。父は開業医。9人兄弟。桐生市立昭和尋常高等小学校、旧制・群馬県立桐生中学校、旧制・浦和高等学校(理科甲類)を経て、1950年に京都大学理学部(宇宙物理学専攻)を卒業。数少ない同期の一人に寿岳潤がいた。大学卒業後、大阪市立高校で数学、京都府立高校で地学の高等学校教員を務める。 1961年京都大学理学部助手。1969年茨城大学理学部助教授。1969年茨城大学理学部教授。
岡崎 義人(おかざき よしひと、1926年5月28日 - 2… 岡崎 義人(おかざき よしひと、1926年5月28日 - 2005年2月25日)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長。大阪府大阪市出身。 1949年京都大学法学部を卒業し、1949年に阪神電気鉄道に入社した。 1976年には球団常務に就任し、1978年から球団代表を務め、1978年のドラフト会議では江川卓、翌年のドラフト会議では岡田彰布の抽選を引き当てた。1985年10月に日本航空123便墜落事故で死去した中埜肇の後継として球団社長に就任した。その年の11月には阪神タイガースは球団初の日本一を果たした。1988年に退任した。 2005年2月25日に心不全ため死去。78歳没。 大学時代には野球部に所属して二塁手として活躍しており、現場に理解がある球団幹部とも言われていた。
田中 益夫(たなか ますお、1926年5月28日 - 200… 田中 益夫(たなか ますお、1926年5月28日 - 2007年5月14日)は、日本の経営者。関西ペイント社長を務めた。 大阪府出身。1957年に京都大学経済学部を卒業し、同年に関西ペイントに入社。1971年5月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1995年6月には会長に就任し、1997年6月から相談役を務めた。 1998年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2007年5月14日に肺炎のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三輪正(みわ まさし、1926年5月20日- )は、日本の哲… 三輪正(みわ まさし、1926年5月20日- )は、日本の哲学者。大阪大学名誉教授。 鳥取県生まれ。1948年京都帝国大学文学部哲学科卒、1950年大阪大学文学部助手、1954‐56年パリ大学で学び、哲学博士、1958年奈良県立医科大学助教授、1963年京都大学教養部助教授、1967年大阪大学文学部助教授、70年教授、1990年定年退官、神戸学院大学教授。
太壽堂 鼎(たいじゅどう かなえ、1926年5月14日 - … 太壽堂 鼎(たいじゅどう かなえ、1926年5月14日 - 1996年8月28日)は、日本の法学者。専門は国際法。京都大学名誉教授。元姫路獨協大学教授。 1926年5月14日、京都市に生まれる。1939年から3年間、宗教家の大谷光瑞の門下生として京都、台湾にて修業を積み、1943年10月、専門学校入学者検定試験に合格。同年12月より1945年10月まで、徴用工および現役兵として勤務した。 旧制第三高等学校を経て1953年に京都大学法学部を卒業し、同大学法学部助手として国際法の研究を開始した。最初に取り組んだのは領域法の理論であり、1955年の助手論文「国際法上の先占について――その歴史的研究」においては思想史や経済史を参照しつつ、縦断的に国際先占原則の成立と展開の跡を研究した(領域法の社会学的研究)。
伊谷 純一郎 (いたに じゅんいちろう、1926年(大正15… 伊谷 純一郎 (いたに じゅんいちろう、1926年(大正15年)5月9日 - 2001年(平成13年)8月19日)は、日本の生態学者、人類学者、霊長類学者。京都大学名誉教授、神戸学院大学名誉教授。 1926年、鳥取県鳥取市西町で、画家・伊谷賢蔵の長男として生まれた。生後約1ヵ月で両親の居宅があった京都市日ノ岡に移り、以後は京都市で育つ。1939年、旧制京都府立京都第三中学校(現・京都府立山城高等学校)に入学。1944年、京都第三中学校を卒業し、旧制鳥取農林専門学校獣医畜産学科に入学。1945年、学徒動員令により兵庫県川西市の陸軍獣医資材支廠で働く。1947年、鳥取農林専門学校を卒業。京都大学理学部動物学科を受験したが不合格。
三島 康雄(みしま やすお、1926年5月3日 - 2011… 三島 康雄(みしま やすお、1926年5月3日 - 2011年5月21日)は、日本の経営史学者。 名古屋市出身。1952年京都大学経済学部卒、1956年同大学院博士課程満期退学、1970年「ロシア領漁業における巨大企業の発展過程」で大阪大学より経済学博士の学位を取得。中京大学商学部講師、助教授、1960年東京水産大学(現・東京海洋大学)講師、助教授、1970年甲南大学教授、1993年奈良県立商科大学(現・奈良県立大学)教授、学長、2000年退職。1972年漁業経済学会賞受賞。1981年イリノイ大学客員教授。2004年4月瑞宝中綬章受章。
田口 圭太(たぐち けいた、1926年(大正15年)5月1日… 田口 圭太(たぐち けいた、1926年(大正15年)5月1日 - 2017年(平成29年)2月16日)は、昭和から平成時代の実業家。ユニチカ社長、同会長。 京都府宇治市出身。田口寛・露子の長男。1948年(昭和23年)京都大学工学部繊維化学科を卒業後、日本レイヨンに入社。1973年(昭和48年)5月、ユニチカ取締役、常務、専務、副社長を経て、1989年(平成元年)6月、社長に就任した。 この間、ユニチカテキスタイル常務、ユニチカレーヨン社長、同会長を歴任した。1991年(平成3年)4月、藍綬褒章を受章した。2017年(平成29年)2月16日、老衰により死去した。90歳没。
三好寿(みよし ひさし、1926年4月24日 - )は、日本… 三好寿(みよし ひさし、1926年4月24日 - )は、日本の海洋学者、東京水産大学名誉教授。 岡山県出身。東京大学大学院出身。1961年「明神礁爆発による津波の研究」で京都大学・理学博士。東京水産大学講師、助教授、教授。定年退官後、名誉教授。津波の研究で知られる。
大塚 光信(おおつか みつのぶ、1926年4月20日 - 2… 大塚 光信(おおつか みつのぶ、1926年4月20日 - 2016年3月3日)は、日本の国語学者。京都教育大学名誉教授。 岡山県生まれ。1952年京都大学文学部卒業。卒業論文は「ドチリナ・キリシタン考」。「中世国語の国語史的研究」を研究課題として同大学大学院に進学し、1956年に修了。その後、尾道女子短期大学講師、京都教育大学教授、1990年定年退官、名誉教授。梅花女子大学教授、1992年から1995年まで学長。2004年春瑞宝中綬章受勲。
松阪 輝久(まつさか てるひさ、1926年4月5日 - 20… 松阪 輝久(まつさか てるひさ、1926年4月5日 - 2006年3月4日)は、日本出身の数学者。ブランダイス大学教授。後にアメリカ国籍を取得した。代数幾何学に業績を残した。アンドレ・ヴェイユの弟子。 1952年、京都大学理学博士。ヴェイユの代数幾何学の研究を継続し、ヴェイユの在籍していたシカゴ大学で1954年から1957年まで研究者として在籍した。 その後、ノースウェスタン大学やプリンストン高等研究所(IAS)に在籍。 1958年にはエジンバラで開催された国際数学者会議に招待される。 1959年から60年までグッゲンハイム・フェロー。 1961年、ブランダイス大学数学科に赴任。1966年、アメリカ芸術科学アカデミー会員に選出された。
森井 清二(もりい きよじ、1926年 <大正15年> 3月… 森井 清二(もりい きよじ、1926年 <大正15年> 3月31日 - 2019年 <平成31年> 3月2日)は、日本の実業家。関西電力元社長、会長。京都府京都市出身。第2代社長を務めた芦原義重の娘婿でもある。位階は従三位。 1949年に京都大学工学部を卒業し、関西配電(のちの関西電力)に入社した。 1977年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1982年6月に専務、1983年6月に副社長を経て、1985年11月からは社長を務め、大飯原発3、4号機の建設を推進した。1987年の関電二・二六事件の際には、動議の議決を棄権した。1991年2月に美浜原発2号機における蒸気発生器細管破断事故を受けて、事故原因をほぼ解明してから、同年11月に社長を辞任した。
翠川 修(みどりかわ おさむ、1926年3月25日 - 20… 翠川 修(みどりかわ おさむ、1926年3月25日 - 2017年11月6日)は、日本の医学者。京都大学名誉教授。専門は病理学。 長野県小県郡出身。父は、京城帝国大学助教授の翠川磐。旧制長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、旧制静岡高等学校を経て、1949年京都大学医学部卒業。1958年同大学医学部助教授。1959年ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン医学部に留学。1962年岐阜県立医科大学(現・岐阜大学医学部)教授。1963年京都大学医学部教授。1978年フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞選考委員。1983年ドイツ病理学会名誉会員。1989年京都大学退官、同大学名誉教授。
土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年… 土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年5月4日)は、日本の演劇研究者。専門は近世期の演劇。大阪女子大学名誉教授。河竹賞受賞。 大阪市生まれ。1948年京都帝国大学文学部国文科卒業、大阪府立池田高等学校教諭。1961年京都大学文学部大学院退学、愛媛大学文理学部助教授。1971年同教授。1975年大阪女子大学学芸学部教授、1989年退職、名誉教授、佛教大学教授。 1989年『歌舞伎絵尽し年表』(須山章信共編)で河竹賞受賞。2004年4月、瑞宝中綬章受章。
中川 米造(なかがわ よねぞう、1926年3月23日 - 1… 中川 米造(なかがわ よねぞう、1926年3月23日 - 1997年9月30日)は、日本の医師・医学者。 朝鮮・京城生まれ。穀物取引業を営む中川泰治の長男。京都府出身。旧制松江高等学校を経て1949年京都大学医学部卒、1955年医学博士。1950年京都大学附属病院耳鼻科助手、1955年大阪大学医学部講師、80年教授。89年定年退官し、名誉教授。滋賀医科大学教授、大阪国際女子大学教授を経て、1996年仏教大学教授。1970年阪大医学部の森永ヒ素ミルク中毒症追跡調査会代表を務め、訴訟では原告側証人として因果関係を証言。68年に札幌医科大学で実施された日本初の心臓移植(和田心臓移植事件)については告発する会を結成し、「病者のための人権宣言」を発表。
高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 19… 高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 1981年1月3日)は、日本の歴史学者・民俗学者。専攻は、日本文化史・民俗学。元京都女子大学教授。 1926年、愛知県名古屋市で生まれた。愛知県立明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、京都大学文学部史学科に入学。1951年に卒業し、同大学大学院にて国史学を専攻して柴田實に師事した。また先輩の竹田聴洲と出会い、民俗学を志した。 京都女子大学非常勤講師に就いた後、1961年に同大学助教授に就任。1966年に教授昇格。1977年より国立民族学博物館客員教授も務めた。 専門は民俗学で、宗教民俗学。没後には法藏館より『高取正男著作集』(全5巻)が刊行された。
鯖田 豊之(さばた とよゆき、1926年3月12日- 200… 鯖田 豊之(さばた とよゆき、1926年3月12日- 2001年10月25日)は、日本の歴史学者、評論家、京都府立医科大学名誉教授。 専攻は西洋中世史、比較史。 奈良県生まれ。1952年京都大学文学部史学科卒。島根大学助教授や京都府立医科大学教授を経て、1988年に定年退官し、名誉教授。 『肉食の思想』が話題となり、保守派評論家として知られた。
萩原 延壽(はぎはら のぶとし、1926年(大正15年)3月… 萩原 延壽(はぎはら のぶとし、1926年(大正15年)3月7日 - 2001年(平成13年)10月24日)は、日本の歴史家・作家。1976年から1990年まで、休載を挟みつつ1,947回にわたり朝日新聞に連載した『遠い崖――アーネスト・サトウ日記抄』(全14巻)の著者で知られる。姓の萩原は「はぎはら」と読むのが正しいが、間違って「はぎわら」と読まれることがある。名の「延壽」は「延寿」と表記されることがある。 東京・台東区浅草(現在の隅田公園周辺)出身。父宮治、母タケヨ(旧姓茂木)は共に群馬県群馬郡の人、父は8年間の兵役を退き、母は小学校教員の勤務を終え、1925年に結婚。1927年に東京府豊多摩郡淀橋町柏木(現在の新宿区西新宿成子坂周辺)に転居。
長村 義郎(ながむら よしろう、1926年3月3日 - 20… 長村 義郎(ながむら よしろう、1926年3月3日 - 2013年5月9日)は、日本の経営者。小糸製作所社長、会長を務めた。 富山県出身。1947年に京都大学経済学部を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1972年に小糸製作所常務に就任し、1979年6月に専務、1985年6月に副社長を経て、1992年7月には社長に就任。1997年6月に会長に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2013年5月9日肺炎のために死去。87歳没。
中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 200… 中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 2001年3月18日)は、日本の経営者、工学博士。日本板硝子社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に逓信省に入社。1982年7月に日本板硝子に転じ、1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務を経て、1988年6月に社長に就任。1992年6月に副会長に就任し、1994年6月には相談役に就任。 1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2001年3月18日心不全のために死去。75歳没。
植野 修司(うえの しゅうじ、1926年3月1日 - 200… 植野 修司(うえの しゅうじ、1926年3月1日 - 2008年5月13日)は、日本のロシア文学者。京都大学名誉教授。文学博士。 滋賀県出身。1949年3月京都大学文学部言語学科卒。同年8月、同大学院博士課程満期退学、同月京都大学第三高等学校講師。1950年3月京都大学講師(吉田分校,兼ねて宇治分校勤務)、1956年4月同教養部助教授、1967年「ロシア諸年代記に於ける「過ぎし年月の物語」研究」で京大文学博士。1968年4月同教授。1989年定年退官、名誉教授。 日本ロシア文学会の創設に参画し、理事や関西支部長を歴任した。日本におけるロシア文学研究と、ロシア語教育をリードした功績により、2006年11月、瑞宝中綬章を受賞。
国原 吉之助(國原 吉之助、くにはら きちのすけ、1926年… 国原 吉之助(國原 吉之助、くにはら きちのすけ、1926年2月27日 - 2017年4月25日)は、日本の言語学者・西洋古典学者。名古屋大学名誉教授。広島県生まれ。 専門はラテン語とラテン文学で、多数の原典史書を訳し専門辞書の編纂を行った。 1953年京都大学文学部卒業。京都学芸大学(現:京都教育大学)助教授を経て、名古屋大学文学部教授、1988年に定年退官し名誉教授、その後は椙山女学園大学教授も務めた。
町田 茂(まちだ しげる、1926年〈大正15年〉2月22日… 町田 茂(まちだ しげる、1926年〈大正15年〉2月22日 - 2019年〈平成31年〉1月16日)は、日本の物理学者。専門は量子力学。理学博士(1959年)。京都大学名誉教授。 群馬県前橋市に生まれる。小学2年のときに千葉県へ移り、さらに東京へ転居。旧制武蔵高等学校を経て、1949年東京大学理学部物理学科卒、1959年理学博士。1952年広島大学講師、1955年立教大学助教授、1961年同教授、1966年京都大学理学部教授、1990年定年退官、名誉教授となる。1976年より日本学術会議員。
後藤 靖(ごとう やすし、1926年2月22日 - 1998… 後藤 靖(ごとう やすし、1926年2月22日 - 1998年3月4日)は日本の経済学者、歴史学者。立命館大学経済学部名誉教授。専攻は近代経済史。日本資本主義の展開と近代天皇制国家の形成過程を研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
片山 泰久(かたやま やすひさ、1926年2月18日 - 1… 片山 泰久(かたやま やすひさ、1926年2月18日 - 1978年1月24日)は、日本の理論物理学者。 京都大学工学部原子力工学教授。学位は理学博士。素粒子論専攻。湯川秀樹の共同研究者。 長野県小県郡丸子町(現上田市)生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、旧制松本高等学校理科甲類卒業。旧制京都帝国大学理学部卒業。1947年学術図書出版社に任務後、1957年7月京都大学基礎物理学研究所助教授、1961年4月同教授(1966年10月まで)、京都大学工学部に異動。
横山 浩一(よこやま こういち、大正15年(1926年)2月… 横山 浩一(よこやま こういち、大正15年(1926年)2月18日 - 平成17年(2005年)4月7日)は、日本の考古学者。九州大学名誉教授。 1926年、大阪府に生まれた。京都大学文学部で考古学を専攻し、1948年に卒業。 奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長などを務めた。1977年、九州大学教授に転じた。また、福岡市博物館館長。学界では、1992年から1996年まで、日本考古学協会会長をつとめた。
清水 克彦(しみず かつひこ、1926年2月16日 - )は… 清水 克彦(しみず かつひこ、1926年2月16日 - )は、日本の国文学者、京都女子大学名誉教授。妻は国文学者で関西大学名誉教授の清水好子。 京都府出身。1948年京都帝国大学文学部国文科卒。京都女子大学講師、助教授、教授、91年定年退任、名誉教授、佛教大学教授。96年退職。『万葉集』を専門とする。
樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年(大正15年)1… 樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年(大正15年)1月25日 - 2012年(平成24年)9月16日)は、日本の実業家。アサヒビール中興の祖。位階は従三位。 京都市出身。京都市立第二商業学校(のちの京都市立西陣商業高等学校、廃校)、彦根経済専門学校(現:滋賀大学経済学部)を経て野村證券に就職。京都支店から祇園支店に転勤後、上司の紹介で野村銀行(後の大和銀行、現:りそな銀行)に転職。同行では大阪本店(現・りそな銀行大阪営業部)に配属されたが数日で退社し、1946年(昭和21年)に京都大学経済学部に再入学。同大学卒業後、1949年(昭和24年)4月に住友銀行(現:三井住友銀行)に入行。代表取締役副頭取まで昇進したが、当時の磯田一郎頭取と対立し、大阪建物社長職や新大阪ホテル(現・ロイヤルホテル)社長職への出向を打診されるも断り、辞職を決意する。
京谷 好泰(きょうたに よしひろ、1926年1月24日 - … 京谷 好泰(きょうたに よしひろ、1926年1月24日 - )は、鉄道技術者、元日本国有鉄道浮上式鉄道技術開発推進本部長。リニアモーターカーの開発者で、リニア技術の今日的な基礎を築いた技術者、「リニアの父」。 広島県福山市生まれ。子供の頃から家族の時計をばらしてはまた組み立てたり、理科の実験に熱中した。戦時中は高校生ながら学業を休み、三井造船の艦艇電気工場で潜水艦に関する仕事に従事した。第六高等学校を経て1948年、京都大学工学部(旧制)卒業。最初は船の仕事を希望したが、母親に「船に乗ったらどこかへ行ってしまう」と泣きつかれ運輸省に入省。1年後国鉄が出来たので国鉄に移籍。戦争でやられた機関車を日本の復興のためにと徹夜で修理した。
榎原 猛(えはら たける、1926年(大正15年)1月22日… 榎原 猛(えはら たける、1926年(大正15年)1月22日 - 2004年(平成16年)6月28日)は、日本の憲法学者。大阪大学名誉教授。元甲子園短期大学長。法学博士。大阪府吹田市出身。
黒田 俊雄(くろだ としお、 1926年1月21日 - 19… 黒田 俊雄(くろだ としお、 1926年1月21日 - 1993年1月26日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。専門は日本中世史。文学博士。『黒田俊雄著作集』全8巻(法藏館)がある。 1926年、富山県生まれ。第四高等学校文科甲類卒業。1948年、京都大学文学部史学科を卒業。 1955年、神戸大学教育学部専任講師に着任。1961年、大阪大学文学部助教授となった。1975年、同大教授に昇進。1981年から3期学術会議会員を務めた。1983年、学位論文『日本中世の国家と宗教』を大阪大学に提出して文学博士号を取得。1989年、大阪大学を定年退任し、名誉教授となった。その後は同年より大谷大学教授として教鞭をとった。
上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 20… 上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 2019年6月28日)は、日本の哲学者。専門はドイツ哲学・宗教哲学。京都大学名誉教授。京都学派を継承し、禅、東西神秘主義、エックハルト、ハイデッガー、京都学派思想などの研究を行った。 1926年、高野山真言宗僧侶の父・上田天瑞の長男として東京都で生まれた。横浜市立間門小学校、神奈川県立横浜第一中学校で学んだ。1943年に中学を卒業し、第一高等学校に入学。太平洋戦争の戦局悪化により就学期間が2年短縮され、1945年3月に卒業。京都帝国大学文学部に進学したが、4月中に召集し、本土防衛の任に就いた。戦後、1946年に京都帝国大学文学部に復学。哲学科で宗教学を専攻した。
森 一久(もり かずひさ、1926年1月17日 - 2010… 森 一久(もり かずひさ、1926年1月17日 - 2010年2月3日)は元日本原子力産業会議副会長、ジャーナリスト。日本で原子力研究開発の推進に貢献した。中央公論の編集者をしながら、1955年から毎日新聞出版の『エコノミスト』に間弘明(はざまひろあき)の筆名で記事を書き、『自然』や岩波書店『世界』で匿名記事を書いた。 京都大学物理学科で素粒子論を専攻し湯川秀樹のもとで理論物理を学んだ。中央公論社に9年間記者として在籍し、東京12チャンネル(現テレビ東京)、電源開発を経て日本原子力産業会議に入社。同会議の設立にも関与しており、電源開発からの出向の形で事務方として同会議に入社し、後に専務理事を務め、1996年から2004年まで副会長を務めた。
稲畑 勝雄(いなばた かつお、1926年1月14日 - 20… 稲畑 勝雄(いなばた かつお、1926年1月14日 - 2021年4月19日)は、日本の経営者。稲畑産業社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1947年に京都大学法学部を卒業。住友商事での勤務を経て、1955年に稲畑産業に転じ、1958年4月に取締役に就任し、1961年3月に常務、1966年4月に専務、1969年5月に副社長を経て、1972年12月には社長に就任。1998年6月から2009年6月までに会長を務めた。1984年10月から1986年2月までに住友製薬会長も務めた。 1973年からポルトガル大阪駐在名誉領事を務めた。 2021年4月19日、誤嚥性肺炎のために死去。95歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
中村 裕一(なかむら ひろかず、1926年1月9日 - 20… 中村 裕一(なかむら ひろかず、1926年1月9日 - 2012年6月4日 )は、日本の経営者、工学博士。三菱自動車社長、会長を務めた。 京都府京都市出身。1948年に京都大学工学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社した。1970年に三菱自動車工業に転じ、1983年6月に取締役に就任し、常務を経て、1988年6月に副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した。1995年6月から会長を務め、1997年に総会屋への利益給与事件における責任を取る形で辞任し、同年6月からは相談役に転じた。社長在任時には、2代目「パジェロ」、初代「パジェロミニ」などをヒットさせ、国内市場において、多目的レジャー車ブームの立役者となった。
澤村 治夫(さわむら はるお、1926年 <大正15年> 1… 澤村 治夫(さわむら はるお、1926年 <大正15年> 1月7日 - 2011年 <平成23年> 9月3日)は、日本の経営者。三井東圧化学(現在の三井化学)社長を務めた。位階は正四位。 熊本県出身。1950年に京都大学農学部農芸学科を卒業し、同年に東洋高圧工業(のちの三井東圧化学)に入社。1981年6月に取締役に就任し、1983年6月に副社長を経て、1985年6月には社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1997年11月には三井化学相談役に就任。 2002年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2011年9月3日に膵臓癌のために死去。85歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
遠藤 保成(えんどう やすしげ、1926年1月3日 - )は… 遠藤 保成(えんどう やすしげ、1926年1月3日 - )は日本の地方公務員。神奈川県下水道公社理事長、テレビ神奈川社長。勲三等瑞宝章。 神奈川県出身。旧制新潟高等学校、京都大学法学部政治学科卒業。1948年 神奈川県庁に入庁。1954年 横須賀県税事務所長。1957年3月 教育庁社会教育課長。1959年7月 企画渉外部企画広報課長。1961年12月 企画渉外部企画課長。1963年6月 神奈川県労働委員会事務局長。1967年6月 企業庁管理局長。1971年6月 企画調査部長。1973年7月 総務部長。1975年6月 企業庁長。1981年6月 下水道公社理事長。1982年6月 テレビ神奈川代表取締役社長(〜1994年)。
津田 禾粒(つだ かりゅう、1926年1月1日 - 1995… 津田 禾粒(つだ かりゅう、1926年1月1日 - 1995年12月30日)は、日本の古生物学者、地質学者。元新潟大学学長。 富山県上新川郡大沢野町(現・富山市)に生まれる。1949年に京都大学理学部を卒業。1951年、京都大学大学院を退学。同年3月、新潟大学理学部助手。1968年6月から同大学教授。1973年4月から同大学教養部教授。同年11月から10ヶ月間、ナイジェリアのイバダン大学招聘教授。1985年11月、新潟大学学長茂野六花の急死に伴い事務取扱学長。翌年2月より1992年1月まで、第10代新潟大学学長。 1992年1月に新潟大学を退官。1995年12月30日に食道がんにより、新潟大学医学部付属病院で死去。
浅野 一郎(あさの いちろう、1926年 - )は、日本の法… 浅野 一郎(あさの いちろう、1926年 - )は、日本の法学者。専門は立法学。元徳山大学学長。 岐阜県生まれ。1948年京都大学法学部卒業。参議院法制局第一部長、法制次長などを経て、1980年参議院法制局長に就任。1990年から関東学園大学教授、1993年から2001年まで徳山大学学長。2004年から2013年までLEC東京リーガルマインド大学総合キャリア学部の教授で学長顧問を務めた[要出典]。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。