きむらとしろうじんじん(1967年 - )は、日本の美術家、… きむらとしろうじんじん(1967年 - )は、日本の美術家、陶芸家。 新潟県生まれ。京都市立芸術大学大学院(陶磁器)修了。 大学を出てからしばらく焼き物から離れ、1993年から友人たちとHIVとエイズに関するNGO活動を始め、その縁でコミュニティ+アート・センターの運営などを行う。その活動と関連して京都のクラブでパーティーを主催したりした。 旅まわりのお茶会「野点」は1995年からスタート。広く国内外で絶賛開催中。
和太 守卑良(わだ もりひろ、1944年7月26日 - 20… 和太 守卑良(わだ もりひろ、1944年7月26日 - 2008年9月7日)は日本の陶芸家。兵庫県西宮市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
栗木 達介(くりき たつすけ、1943年11月20日 - 2… 栗木 達介(くりき たつすけ、1943年11月20日 - 2013年10月12日)は日本の陶芸家。 愛知県瀬戸市出身。京都市立美術大学卒業。大学卒業後は瀬戸で作陶を続けていたが、1983年京都市立芸術大学美術部専任講師となり、京都に移転。1986年に助教授、1993年に教授。2007年退官。朝日陶芸展大賞受賞3回。「現代陶芸の鬼才」と呼ばれた。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
森野 泰明(もりの たいめい、1934年2月8日 - )は、… 森野 泰明(もりの たいめい、1934年2月8日 - )は、日本の陶芸家。社団法人日展理事などを歴任した。公益社団法人日展顧問、京都工芸美術作家協会顧問、日本芸術院会員、文化功労者。勲等は旭日中綬章。本名は森野 泰明(もりの ひろあき)。 京焼きの陶芸家の森野嘉光の子として誕生し京都府で育つ。 京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)陶磁器科、同大学専攻科卒。 1957年日展初入選。1960年日展特選・北斗賞受賞。1962年よりシカゴ大学で陶芸を講じる。1968年日本現代工芸美術展会員賞外務大臣賞受賞。1969年日展会員。1983年日本新工芸展で文部大臣賞受賞。1996年京都府文化賞功労賞受賞。
加守田 章二(かもだ しょうじ、1933年(昭和8年)4月1… 加守田 章二(かもだ しょうじ、1933年(昭和8年)4月16日 - 1983年(昭和58年)2月26日)は、日本の陶芸家。 伝統にとらわれないモダンなデザインを研究し独創的な器の形を創作し様々な形で広く展開した加守田の作品は、従来の陶芸の概念を超え多くの人を引きつけるとともに高い評価を受け、現在も多くの陶芸家たちに影響を与えている。 1933年(昭和8年)4月16日、大阪府岸和田市に加守田貞臣、八重子の長男として生まれる。 大阪府立岸和田高等学校在学中に油絵に興味を抱き、卒業後上京して学ぼうとしたがこれを断念し、1952年(昭和27年)に京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)工芸科陶磁器専攻に入学。
川尻 一寛(かわじり いっかん、1930年(昭和5年)12月… 川尻 一寛(かわじり いっかん、1930年(昭和5年)12月25日 - 2008年(平成20年)12月29日)は、京都府京都市日吉出身の日本の陶芸家。本名は宗裕。 作風は伝統的な京焼き磁器を守りつつも大胆な形態の作品を発表した。 1930年(昭和5年)12月25日、京都府京都市日吉に生まれる。物心ついた頃から近所に製陶関連業の多い環境で育った。陶芸家クラブで清水六兵衛に師事する。 生前は現代工芸美術家協会評議員、日展理事などを務めた。 日本芸術院の工芸美術部門で1984年(昭和59年)第16回日展、1988年(昭和63年)第20回日展の2回で特選受賞している。 2001年、「豊穰」が日本芸術院賞を受賞。
鈴木 治(すずき おさむ、1926年11月15日 - 200… 鈴木 治(すずき おさむ、1926年11月15日 - 2001年4月9日)は日本の陶芸家。馬や鳥、雲や太陽などをモチーフにした抽象的フォルムの詩情あふれる作品で高く評価される。戦後の陶芸界をリードした走泥社の創立メンバー。京都市立芸術大学名誉教授。 1926年千家十職の永樂工房で轆轤(ろくろ)職人をしていた鈴木宇源治の三男として京都市五条坂に生まれ、早くから父に轆轤の手ほどきを受ける。1943年京都市立第二工業学校(現・京都市立伏見工業高等学校)窯業科を卒業。 戦後1946年中島清を中心に、京都の若手陶芸家が集まって結成された青年作陶家集団に参加。1948年解散。 同1948年八木一夫、山田光らとともに、陶芸による新しい造形表現を目指す前衛陶芸家集団走泥社を結成。
八木 一夫(やぎ かずお、1918年(大正7年)7月4日 -… 八木 一夫(やぎ かずお、1918年(大正7年)7月4日 - 1979年(昭和54年)2月28日)は日本の陶芸家である。戦後復興期に前衛陶芸家集団「走泥社」を結成、器としての機能を持たない「オブジェ焼」と呼ばれる作品を発表し、現代陶芸に新分野を確立した。陶芸家八木一艸の長男。長男は陶芸家の八木明。 京都市五条坂に陶芸家八木一艸の長男として生まれる。1937年京都市立美術工芸学校彫刻科卒業の後、商工省設置の国立陶磁器試験所の伝習生となり、沼田一雅の「日本陶彫協会」に入会し陶彫を学んだ。1939年兵役で南支広東方面へ派遣されたが、病気のため翌年除隊。帰国後、日本画の前衛団体「歴程美術協会」などと関わりを持つなかでシュルレアリスムや抽象美術などの西洋の最先端美術への親しみを深めるが、戦時下の社会で前衛を否定して古典回帰を求める風潮が高まり、八木もまたしばらくは陶芸を中断して神戸や京都で教員として生活した。
清水 六和(きよみず ろくわ、1875年〈明治8年〉3月6日… 清水 六和(きよみず ろくわ、1875年〈明治8年〉3月6日 - 1959年〈昭和34年〉8月1日)は近代日本の陶芸家。5代目清水六兵衛。日本芸術院会員。 京都府京都市東山区五条坂八幡前に、4代目六兵衛の子として生まれる 。母はキタ 。次男であったが長男が夭逝したため実質的に長男として育つ 。祖父・3代六兵衛の幼名を受け継ぎ栗太郎を称した。1887年、日本画家の幸野楳嶺に師事し、さらに京都府立画学校に学ぶ。1895年に楳嶺が没した後は、谷口香嶠に指導を受けた。 陶法は父に師事。1895年の第4回内国勧業博覧会に花瓶を出品したのが自身初の陶芸作品出品となる。1896年、京都市立陶磁器試験場が設立されると同所で科学的釉薬、製陶法を研究する。