上田 大河(うえだ たいが、2001年11月15日 - )は… 上田 大河(うえだ たいが、2001年11月15日 - )は、三重県尾鷲市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 三重県尾鷲市で生まれ、尾鷲市立宮之上小学校1年生のときに『尾鷲野球少年団』で野球を始めた。小学校時代のチームメイトには2学年上に湯浅京己、1学年上に石伊雄太が居た。中学1年夏に大阪府へ引っ越し、大阪市立東生野中学校では硬式野球の『ナガセボーイズ』でプレーした。 大阪商業大学高校では1年春からベンチ入りし、2年秋から背番号1。3年春は大阪大会で優勝したが、3年夏は大阪大会3回戦で大商大堺に敗れた。 大阪商業大学に進学すると、1年秋からリーグ戦に登板し、2年春は4勝を挙げて平古場賞(新人賞)を獲得。
大西 広樹(おおにし ひろき、1997年11月8日 - )は… 大西 広樹(おおにし ひろき、1997年11月8日 - )は、奈良県香芝市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学校から双子の弟と軟式野球を始める。 大阪商業大学高等学校では2年秋からエースとなるが、甲子園大会出場はなかった。大学に進学することを決め、「絶対プロの世界にいきたい」と語った。 大阪商業大学に進学し、1年から公式戦に出場する。関西六大学野球連盟の大学時代のリーグ通算成績は27勝2敗で、ベストナインを2度受賞し、最優秀投手を3度獲得した。大阪商業大学時代の2学年先輩には日下部光、同期には、橋本侑樹、小野寺暖がいる。 2019年度新人選手選択会議で、東京ヤクルトスワローズから4位指名を受け、11月26日に契約金4700万円、年俸720万円で仮契約を結んだ。
太田 光(おおた ひかる、1996年10月14日 - )は、… 太田 光(おおた ひかる、1996年10月14日 - )は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 倉敷市立連島東小学校2年時に西浦少年野球から軟式野球を始め、小学5年時に捕手を始める。倉敷市立連島中学校では倉敷ドリームボーイズに所属した。 広陵高校進学後、2年秋から4番キャッチャーに定着し、3年夏は決勝で今春の甲子園に出場した広島新庄高校を破り第96回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、初戦の三重高校戦で延長11回サヨナラ負けを喫した。同期に吉川雄大がいる。 大阪商業大学では、1年春から正捕手としてレギュラーを獲得し1年春は打率1割だったが岡田明丈らをリードし、チーム防御率1.50を記録して投手陣を盛り立て、関西六大学野球リーグ優勝に貢献。
日下部 光(くさかべ ひかる、1996年2月28日 - )は… 日下部 光(くさかべ ひかる、1996年2月28日 - )は、日本のプロ野球選手(内野手)、野球指導者。 福知山成美高等学校に進み、2013年の第95回全国高等学校野球選手権大会に出場した。高校卒業後は大阪商業大学に進む。野球部では1年生の時から試合に出場したが、負傷に悩まされた。 大学卒業後にNTT西日本硬式野球部に入り、入部初年から打線の中軸を担って第44回社会人野球日本選手権大会では1回戦の三菱日立パワーシステムズ戦でタイブレークの延長12回に決勝となる3ラン本塁打を放った。2021年には主将も務め、5年間在籍した。 2023年2月15日にベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の群馬ダイヤモンドペガサスに練習生として入団した。
岡田 明丈(おかだ あきたけ、1993年10月18日 - )… 岡田 明丈(おかだ あきたけ、1993年10月18日 - )は、東京都練馬区出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。 東京都練馬区の強豪・大泉第二中学校の軟式野球部で三塁手として野球を始める。中学3年の時に両親が離婚し、高校入学のタイミングで母の実家がある大阪へ転居する。 大阪商業大学高等学校で投手に転向。3年夏にストレートの球速が140km/hを記録し背番号10ながら先発を任される。準々決勝の大阪桐蔭戦で先発したが5回で0対10とコールド負けを喫し、甲子園出場はなかった。 大阪商業大学に進学し、1年春からリーグ戦に出場するも、その後3年の春まで登板機会がなかった。登板機会がなかった原因としては故障などではなく、絶対的エース(近藤大亮)を起用して好成績を残したいというチーム事情と岡田の実力不足という要因があった。
金子 丈(かねこ たけし、1993年2月25日 - )は、大… 金子 丈(かねこ たけし、1993年2月25日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(投手)、スコアラー。右投右打。 大阪商業大学では先発・中継ぎ共にこなせる投手として活躍。関西六大学リーグでは1年春の2011年、平古場(新人)賞。3年春の2013年、4試合連続完封を記録しベストナインを受賞。同13年秋、4年近藤大亮投手の活躍もあり秋季リーグ優勝。続いて第44回明治神宮大会に進出。同大会準決勝で明治大に敗れベスト4に留まる。リーグ通算65試合登板、23勝17敗、防御率1.85の成績を残した。近藤大亮投手、桂依央利捕手、橋爪大佑らは大学の1年先輩に当たる。 2014年度新人選手選択会議において、中日ドラゴンズより9位指名(育成選手を除き12球団で最後の指名)を受け入団し、契約金1500万円、年俸600万円(推定)で仮契約した。
橋爪 大佑(はしづめ だいすけ、1992年3月30日 - )… 橋爪 大佑(はしづめ だいすけ、1992年3月30日 - )は、大阪府出身のプロ野球選手(内野手)。
桂 依央利(かつら いおり、1991年7月9日 - )は、大… 桂 依央利(かつら いおり、1991年7月9日 - )は、大阪府大阪市東住吉区出身の社会人野球選手、コーチ、元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 小学校2年から、南百済ファイターズでソフトボールを始め、中野中学校時代は東住吉ボーイズに所属。太成学院大学高等学校では1年秋から背番号5でベンチ入り。高校の2年後輩に今村信貴がいる。 大阪商業大学では2年春に正捕手となる。4年春秋と首位打者、ベストナイン。第44回明治神宮野球大会では準決勝で敗退。関西六大学リーグでは72試合出場で通算65安打、打率.290、1本塁打、20打点。 2013年度プロ野球ドラフトで中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。背番号は40。
近藤 大亮(こんどう たいすけ、1991年5月29日 - )… 近藤 大亮(こんどう たいすけ、1991年5月29日 - )は、オリックス・バファローズに所属する大阪府堺市出身のプロ野球選手(投手)。
弦本 悠希(つるもと ゆうき、1989年6月16日 - )は… 弦本 悠希(つるもと ゆうき、1989年6月16日 - )は、大阪府和泉市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 和泉市立池上小学校・和泉市立富秋中学校と、地元の小中学校で学び、高校は徳島県の生光学園高校へと進学した。 生光学園では、3年次にはエースナンバーを背負う。最後の夏は徳島大会で準決勝へ進出するも、この年の優勝校である徳島商高に延長13回にも及ぶ激闘の末に敗退した。高校卒業後は大阪商業大学に入学するも中退。 2009年に四国・九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団。2009年は12試合に登板して勝敗・セーブなしで防御率2.38、2010年は主にリリーフとして37試合に登板し、1勝3敗13セーブ、防御率2.32の成績だった。
福山 博之(ふくやま ひろゆき、1989年3月27日 - )… 福山 博之(ふくやま ひろゆき、1989年3月27日 - )は、島根県雲南市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 雲南市立大東中学校時代に、野球部の二塁手として島根県大会での優勝を経験。島根県立大東高等学校への進学後も、二塁手として1年春からレギュラーの座を確保すると、2年秋に県大会3位で中国大会へ出場している。しかし、高校在学中は、春夏とも甲子園球場の全国大会へ出場できなかった。 大阪商業大学に一般入試で進学すると、二塁手から投手へ転向。「高校時代は投手だった」と嘘をついた末の転向ながら、1年時の秋から関西六大学野球のリーグ戦で登板した。3年時には、春季リーグ戦を3勝無敗で終えると、秋季リーグ戦ではエースとして6勝3敗を記録。
山村 裕也(やまむら ひろや、1987年6月24日 - )は… 山村 裕也(やまむら ひろや、1987年6月24日 - )は、日本のプロ野球審判員。審判員袖番号は18(2016年までは56)。父は元プロ野球選手、元プロ野球審判員の山村達也。元プロ野球選手であり、現役時代のポジションは捕手。 八木学園高等学校時代は高校通算34本塁打、強肩強打の捕手として活躍。高校卒業後は大阪商業大学に進む。大阪商業大学硬式野球部時代は関西六大学リーグで4回ベストナインに選出され、NPBドラフト指名候補と目されるも、指名はかなわなかった。 2010年2月には、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結ぶと発表されたが頓挫し、同年四国・九州アイランドリーグ(2011年より四国アイランドリーグplus)の徳島インディゴソックスに入団。
金村 大裕(かねむら だいゆう、1983年6月13日 - )… 金村 大裕(かねむら だいゆう、1983年6月13日 - )は、大阪府大阪市平野区出身のプロ野球選手(投手)。在日韓国人3世で、本名は金 大裕(キム・デユ、김대유)。
十川 孝富(そがわ たかとみ、1977年5月29日 - )は… 十川 孝富(そがわ たかとみ、1977年5月29日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(内野手)。 香川西高では1年夏から活躍し、投手で4番、2年秋は県大会準決勝へ進むが翌春の選抜で優勝する観音寺中央高に敗れ、3年夏も同校に敗退。大商大では1年生の春季のリーグ戦でいきなり開幕投手をまかされ1勝3敗の成績を残すが右ヒジを骨折し、内野手に転向。関西六大学リーグで通算89試合に出場し、331打数97安打、打率.293、7本塁打、40打点。1998年春季のリーグ戦で首位打者になる。ベストナイン2度受賞。1999年のドラフトで読売ジャイアンツ(以下:巨人)から6位指名され入団。 3年目の2002年に初めて1軍に昇格し同年は13試合に出場。
谷 佳知(たに よしとも、1973年2月9日 - )は、大阪… 谷 佳知(たに よしとも、1973年2月9日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。
佐伯 貴弘(さえき たかひろ、1970年4月18日 - )は… 佐伯 貴弘(さえき たかひろ、1970年4月18日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。2014年から2016年にかけて中日の二軍監督、一軍守備コーチなどを務めた。現役時代は横浜と中日に所属していた。
南出 仁(みなみで ひとし、1964年4月3日 - )は、大… 南出 仁(みなみで ひとし、1964年4月3日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(捕手)。 大商大堺高から大阪商業大学へ進学。関西六大学野球では3年秋~4年秋まで3季連続でベストナインを獲得。3年秋には首位打者となっている。リーグ戦通算83試合出場、266打数90安打、打率.338、7本塁打、47打点。 1986年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから4位指名を受け入団。プロ3年目の1989年には練習生扱いとなり、一軍出場のないまま同年限りで退団。
川原 新治(かわはら しんじ、1962年2月5日 - )は、… 川原 新治(かわはら しんじ、1962年2月5日 - )は、大阪府大阪市鶴見区出身の元プロ野球選手(投手)。 太成高から大阪商業大学へ進学。関西六大学野球リーグでは、同期の清川栄治との二本柱で1982年春季リーグから3連覇を果たす。同年春季から秋季リーグにかけ、現在でもリーグ記録である7試合連続完封勝利と77イニング連続無失点を記録した。同年の明治神宮大会は決勝で東海大に2-3で惜敗するが準優勝と健闘。翌1983年秋季リーグでは、リーグ再編後初のノーヒットノーランを達成した。3季連続で最優秀選手に選ばれ、4年春はベストナイン。リーグ通算48試合に登板し23勝8敗、防御率0.97。 1983年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから4位指名を受け入団。
清川 栄治(きよかわ えいじ、1961年9月21日 - )は… 清川 栄治(きよかわ えいじ、1961年9月21日 - )は、京都府京都市上京区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
豊原 豊(とよはら ゆたか、1961年2月28日 - )は、… 豊原 豊(とよはら ゆたか、1961年2月28日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(外野手)。
服部 浩一(はっとり こういち、1959年7月9日 - )は… 服部 浩一(はっとり こういち、1959年7月9日 - )は京都府京都市伏見区出身の元プロ野球選手。
山田 和英(やまだ かずひで、1958年12月5日 - )は… 山田 和英(やまだ かずひで、1958年12月5日 - )は、大阪府富田林市出身の元プロ野球選手(投手)。 イタリア系アメリカ人の父と日本人の母を持つ二世で、現役時代は、そのスタイルとマスクで阪神タイガースファンに人気があった。 大阪・柏原高校(現・東大阪大学柏原高等学校)では高校三年生から本格的に投手をはじめエースとして活躍。1975年(昭和50年)秋季大阪府大会準々決勝に進むが、山田勉らを擁する大鉄高校(現・阪南大学高等学校)に敗退ベスト8に終わる。非常に優れた身体能力と運動神経を持ち、人並み外れたバネを生かした投球フォームで、球威ある快速球に加えてドロップ(縦に割れるカーブ)を武器に投げ込み、当時の関西No.1本格右腕として脚光を浴び、12球団のスカウトマンが連日、学校や家へ挨拶に来たほどの逸材であった。
堀井 恒雄(ほりい つねお、1958年11月15日 - )は… 堀井 恒雄(ほりい つねお、1958年11月15日 - )は、京都府城陽市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。1984年から1990年の登録名は「堀井 幹夫」(読み同じ)。 実家は1887年代々続く宇治茶の栽培農家で、幼少の頃から玉露や煎茶を当たり前のように飲み、ジュースは飲んだことが無かった。「体を動かすのが好きで」と小学校まで柔道、中学ではクラスメートに誘われて野球部に入部し、入部後間もなく肩の強さを買われ、投手に転向。ノーヒットノーランを達成するなど才能を開花させ、大谷高校卒業後の1977年に大阪商業大学へ進学。 関西六大学リーグでは1年次の同年からマウンドに上がったが、3年次の1979年にはベンチ入りメンバーからも外れてしまった。
大川 章(おおかわ あきら、1957年9月27日 - )は、… 大川 章(おおかわ あきら、1957年9月27日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元プロ野球選手(投手)。
柳原 隆弘(やなぎはら たかひろ、1955年6月12日 - … 柳原 隆弘(やなぎはら たかひろ、1955年6月12日 - )は、奈良県吉野郡大淀町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
田中 昌宏(たなか まさひろ、1954年9月28日 - )は… 田中 昌宏(たなか まさひろ、1954年9月28日 - )は奈良県五條市出身の元プロ野球選手。
山本 晴三(やまもと せいぞう、1948年4月6日 - )は… 山本 晴三(やまもと せいぞう、1948年4月6日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。 小野高から大阪商業大学に進学。関西六大学野球リーグでは優勝に届かず、下部リーグへの陥落も経験。 1970年にドラフト外で南海ホークスに入団。1年目の1971年から一軍に上がり、1972年には8月から外野手として3試合に先発出場。同年のジュニアオールスターにも選出される。 1973年オフに自由契約となり、阪神タイガースに移籍。移籍1年目の1974年には、主に左翼手として6試合に先発。二番打者としても3試合に起用される。しかし打撃面で実績を残せず、同年限りで現役を引退。 引退後は、スコアラーを経て、大阪体育大学で聴講生として学び、1982年からトレーニングコーチになる。
松本 幸行(まつもと ゆきつら、1947年6月5日 - )は… 松本 幸行(まつもと ゆきつら、1947年6月5日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。 名は昭和天皇が大阪に行幸された年に生まれたことにちなむ。大阪市立鶴橋小学校、大阪市立鶴橋中学校、大阪商業大学附属高等学校からデュプロ印刷機に入社。 1969年の第40回都市対抗野球大会へのチーム初出場に貢献。2回戦(初戦)で先発し、この大会に優勝した電電関東の若宮秀雄と投げ合うが完封負けを喫する。1969年のドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。1970年から一軍に上がる。1971年には先発陣の一角に定着。1972年には稲葉光雄に次ぐチーム2位の13勝を記録し、初めて規定投球回(12位、防御率3.14)にも達する。
瓦谷 嘉宏(かわらたに よしひろ、1936年3月21日 - … 瓦谷 嘉宏(かわらたに よしひろ、1936年3月21日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。 尼崎北高校から大阪商業大学を経て1958年に近鉄パールスへ入団。1966年に引退。