大川 政三(おおかわ まさぞう、1923年1月3日 - 20… 大川 政三(おおかわ まさぞう、1923年1月3日 - 2007年3月21日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。専門は財政学。勲三等旭日中綬章受章。 日本財政学会代表理事、日本経済政策学会理事、日本地方自治研究学会理事、国際財政学会理事、財政制度審議会委員、大学設置審議会委員、日本学術会議会員、国税審議会会長などを歴任。 指導学生に堀場勇夫(青山学院大学名誉教授)、内藤忠顕(元日本郵船社長)、永田雄志(元東洋エンジニアリング会長)、伊藤隆敏(コロンビア大学教授)、金田勝年(元法務大臣)、進藤孝生(日本製鉄会長)、塚原治(元国税庁国税審議官)、鹿取克章(元駐インドネシア大使)、吉國眞一(元国際決済銀行アジア太平洋総代表)、星野茂夫(元国土交通省海事局長)など。
内田 芳明(うちだ よしあき、1923年 - 2014年7月… 内田 芳明(うちだ よしあき、1923年 - 2014年7月8日)は、日本の社会思想研究者。大塚久雄と親しく、マックス・ヴェーバー『古代ユダヤ教』の翻訳・研究により1999年にレッシングドイツ連邦政府翻訳賞受賞。元比較法文化学会会長、日本景観学会名誉会員。 東京生まれ。1952年東京商科大学(現一橋大学)卒業、1957年同特別研究生修了。 1989年に横浜国立大学経済学部教授を定年退官。その間、ドイツ・マールブルク大学客員教授、テュービンゲン大学客員教授、ベルリン大学客員教授等を歴任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小林 正興(こばやし まさおき、1922年11月13日 - … 小林 正興(こばやし まさおき、1922年11月13日 - 2002年9月9日)は、日本の運輸官僚。運輸省自動車局長を経て、日本地下鉄協会理事長などを務めた。 1945年東京商科大学(現一橋大学)卒業。1959年運輸審議会審理官。1960年運輸省鉄道監督局国有鉄道部業務課長。1963年運輸省観光局計画課長。1964年運輸省自動車局総務課長。1966年運輸省大臣官房政策課長。同年仙台陸運局長。1968年東京陸運局長。1970年運輸省自動車局業務部長。 1972年運輸省自動車局長。1973年退官、日本国有鉄道常務理事。1979年運輸審議会委員。1985年日本国有鉄道監査委員会委員。1987年日本地下鉄協会理事長。
伊東 政吉(いとう まさきち、1922年9月30日 - 20… 伊東 政吉(いとう まさきち、1922年9月30日 - 2021年10月2日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授。日経・経済図書文化賞受賞。 神奈川県出身。横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)塩野谷九十九ゼミ出身。東京商科大学(現一橋大学)卒、1950年一橋大学経済研究所アメリカ経済研究部門で、都留重人教授や小原敬士教授の下で助手に就任。1966年「アメリカの金融政策 その論争点の分析」で経済学博士(一橋大学)。一橋大学経済研究所教授を経て、1974-1976年一橋大学経済研究所所長、1986年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授、成城大学教授を務めた。 1998年勲三等旭日中綬章受章。
平田 清明(ひらた きよあき、 1922年8月17日 - 1… 平田 清明(ひらた きよあき、 1922年8月17日 - 1995年3月1日)は、日本の経済学者。専門は、経済史・マルクス経済学。京都大学名誉教授。正四位勲二等瑞宝章。高島善哉ゼミ出身。 市民社会論を展開。元経済理論学会全国幹事。京都西山の自然と文化を守る会会長、フォーラム90s呼びかけ人、トロツキー50周年実行委員会世話人等も務めた。 杉本苑子が直木賞を受賞した「孤愁の岸」で描いた宝暦の木曾三川の大治水普請(宝暦治水事件)の総奉行、薩摩藩家老平田靱負の末裔。 名大時代の弟子に山田鋭夫名大教授、八木紀一郎京大教授、植村邦彦関西大名誉教授、若森章孝関西大名誉教授が、斉藤日出治大阪産業大名誉教授、神奈川大学時代の弟子に丹野清人東京都立大学教授がいる。
藤原 彰(ふじわら あきら、1922年7月2日 - 2003… 藤原 彰(ふじわら あきら、1922年7月2日 - 2003年2月26日)は、日本の歴史学者。日本近代史専攻。一橋大学名誉教授。1980年日本学術会議会員。元歴史学研究会委員長。
小林 靖雄(こばやし やすお、1922年7月1日 - 200… 小林 靖雄(こばやし やすお、1922年7月1日 - 2003年10月6日)は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(神戸大学・論文博士・1962年)(学位論文「原価管理に関する研究」)。東京工業大学名誉教授。第3期日本中小企業学会会長。勲三等旭日中綬章受章。 東京出身。東京商科大学(現一橋大学)卒。1962年「原価管理に関する研究」で経営学博士(神戸大学)の学位を取得。1947年東京工業大学経営工学科助手(磯部喜一研究室)、1953年助教授、1962年教授、1976年工学部長、1983年定年退官、名誉教授、放送大学副学長、西東京科学大学(帝京科学大学)教授、1995-2000年同学長。2003年帝京大学医学部附属病院で死去。
高橋 壽常(たかはし としつね、1922年5月28日 - 1… 高橋 壽常(たかはし としつね、1922年5月28日 - 1996年2月8日)は、日本の実業家。日本生命保険元副社長。関西経済同友会元代表幹事。 神奈川県横浜市出身。東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学卒業後、日本生命保険に入社したのちも、経済学の勉強を続けた。日本生命保険副社長や、日本生命財団理事長を歴任し、1985年から1987年にかけては弘世現に続き日本生命保険出身者としては歴代2人目となる関西経済同友会代表幹事を務め、太平洋経済協力会議バンクーバー総会に参加するなどした。1994年企業メセナ協議会メセナアワードを日本生命財団が受賞し理事長として登壇した。 1996年2月8日、呼吸不全のため死去。
鈴木 精二(すずき せいじ、1922年5月25日 - 200… 鈴木 精二(すずき せいじ、1922年5月25日 - 2000年6月1日)は日本の実業家。三菱化成(現三菱ケミカル)代表取締役社長や、同社取締役会長、経団連副会長、石油化学工業協会会長、日本化学工業協会会長などを務めた。勲一等瑞宝章受章。 東京府(現・東京都)出身。旧制京北中学校を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。陸上競技部出身。三菱化成(のちの三菱化学、現在の三菱ケミカル)代表取締役社長、同社取締役会長、同社相談役、三菱化成生命科学研究所代表取締役、経済団体連合会(現日本経済団体連合会)副会長、石油化学工業協会会長、日本化学工業協会会長などを務めた。1986年藍綬褒章受章。1993年ダイヤ高齢社会研究財団初代理事長。
米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 201… 米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 2015年12月6日)は日本の実業家。伊藤忠商事の社長・会長、経済団体連合会副会長を務めた。勲一等瑞宝章、藍綬褒章、トルコ共和国功労勲章受章。
青木 秀(あおき しげる、1922年5月17日 - 2011… 青木 秀(あおき しげる、1922年5月17日 - 2011年9月12日)は、日本の経営者。西日本新聞社社長を務めた。 宮崎県延岡市出身。1946年に東京産業大学(現在の一橋大学)を卒業し、1947年に西日本新聞社に入社。1973年に取締役に就任し、1975年に常務、1977年に専務、1983年に副社長を経て、1985年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任し、2000年6月に取締役相談役を経て、2001年6月には相談役に就任した。 テレビ西日本会長、テレビ宮崎取締役も務めた。 2011年9月12日肺炎のために死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中島 省吾(なかじま せいご、1922年5月8日 - 201… 中島 省吾(なかじま せいご、1922年5月8日 - 2013年12月24日)は、日本の会計学者。商学博士(一橋大学・論文博士・1971年)。国際基督教大学名誉教授。第5代日本会計研究学会会長。第2代国際会計研究学会会長。初代International Association for Accounting Education & Research副会長。キリスト教功労者。 東京府東京市生まれ。1943年12月、武山海兵団に入団。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、第22海軍航空廠付総務課労務係官に就任。同年12月、海軍主計少尉に任官。
武田 實(たけだ みのる、1922年3月28日 - 2009… 武田 實(たけだ みのる、1922年3月28日 - 2009年3月6日)は、日本の外交官。駐アイルランド特命全権大使等を経て、迎賓館長を務めた。 東京府立第一商業学校(現東京都立第一商業高等学校)を経て、1944年東京商科大学(現一橋大学)卒業。科学技術庁原子力局国際協力課長、在トルコ日本国大使館一等書記官、同参事官等を経て、1967年在オーストラリア日本国大使館参事官。1969年在ブルガリア日本国大使館参事官。1972年参議院参事、参議院事務局渉外部長兼列国議会同盟課長事務取扱。1976年シドニー総領事。1978年駐ラオス特命全権大使。1982年駐アイルランド特命全権大使。1985年迎賓館長。
河野 豊弘(こうの とよひろ、1922年2月22日 - 20… 河野 豊弘(こうの とよひろ、1922年2月22日 - 2014年7月5日)は、日本の経営学者。 1922年2月22日山梨県巨摩郡豊村に生まれる。1943年東京商科大学予科入学、1944年商科大学(現一橋大学経済学部)へ、同年高等文官試験合格、1944年仮卒業のち学徒出陣、陸軍に召集されフィリピンセブ島へ、幹部候補生となり陸軍経理学校で学び経理将校となる。1946年日本国有鉄道勤務。1951年フルブライト第1回留学生として米国ピッツバーグ大学大学院に学ぶ。77年「長期経営計画の探究」で神戸大学経営学博士。1959年神奈川大学経済学部専任講師、助教授、62年教授、1963年学習院大学法経学部教授、64年経済学部教授。
土田 芳男(つちだ よしお、1922年2月15日 - 199… 土田 芳男(つちだ よしお、1922年2月15日 - 1993年10月25日)は、日本の経営者。 昭和電線電纜社長を務めた。東京都出身。 1946年に東京商科大学を卒業し、1947年に昭和電線電纜に入社。1972年に取締役に就任し、1976年7月に常務、1980年7月に専務を経て、1986年7月には社長に就任。1988年6月には会長に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章。 1993年10月25日急性循環不全のために死去。71歳没。
大塚俊二(おおつか しゅんじ、1922年2月9日 - )は日… 大塚俊二(おおつか しゅんじ、1922年2月9日 - )は日本の大蔵官僚。大臣官房日本専売公社監理官、国税不服審判所次長、大光相互銀行社長、日本専売公社監事、プロミス副社長、同社長、同会長などを務めた。 新潟県出身。1947年4月 高等試験行政科を合格。同年9月 東京商科大学(現一橋大学)商学部卒業。同年12月 大蔵省入省。主税局属。1950年5月 海南税務署長。1955年4月 造幣局東京支局総務課長。1956年2月 造幣局東京支局総務課長兼造幣局東京支局長心得。同年7月 造幣局東京支局総務課長。1963年10月 関東財務局東京証券取引所監理官。1964年7月 東京国税局調査第一部長。1966年8月 国税庁直税部審理課長。
坂井 晴彦(さかい はるひこ、1922年1月25日 - 20… 坂井 晴彦(さかい はるひこ、1922年1月25日 - 2002年)は、英米文学者、青山学院女子短期大学名誉教授。 東京生まれ。東京商科大学(のち一橋大学)卒。青山学院女子短大助教授、教授、1993年定年、名誉教授。英米児童文学を研究、翻訳をおこなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018… 鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018年10月28日)は、日本の経営者。兼松江商社長、会長を務めた。静岡県御殿場市出身。 1946年に東京商科大学を卒業し、同年に兼松江商に入社。1969年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年12月に社長に就任し、1989年6月には会長に就任し、1992年6月に相談役を経て、1994年6月から名誉顧問を務めた。 1983年5月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2018年10月28日老衰のために死去。96歳没。
韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は… 韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は、日本のジャーナリスト。日本共産党で赤旗編集局長等を歴任し、既存マスコミの報道におけるタブーへの批判などを展開した。 長野県小諸町生まれ。実家は洋服屋。小諸商業学校(現長野県小諸商業高等学校)を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)に進学。大学在学中金沢で陸軍に勤務。高島善哉ゼミ出身。 大学に復学後、共産党シンパの学生らで組織された民主主義科学研究会(民研)に本間要一郎(のちに横浜国立大学名誉教授)、岡稔(のちに一橋大学教授)、佐藤定幸(のちに一橋大学名誉教授)らとともに参加し、主要メンバーとして活動した。民研はのちに、学生自治会委員長となった弓削達(のちに東京大学名誉教授)から批判を受けるなどし解散して社会科学研究会に改組した。
富田 昭平(とみた しょうへい、1922年 - )は日本の実… 富田 昭平(とみた しょうへい、1922年 - )は日本の実業家。日本ケンタッキー・フライド・チキン設立の日本側責任者を務め、同社社長・会長、ジェフグルメカード初代社長、日本フードサービス協会会長等を歴任した。 1943年9月旧制東京商科大学付属商学専門部(のちの一橋大学)を繰り上げ卒業。1944年旧日本軍に入隊し、中国で従軍。 1946年5月に復員するも、職がなく、1946年9月に、父の友人であった神田啓三郎が主宰する大成水産に入社。その後事業が失敗。神田社長の世話で三陸油脂入社。専務を務めていた二村謙三(のちに三菱商事副社長)との知遇を得て、油脂の仕事の指導を受ける。 明光商事、不二商事、三菱商事を経て、日本ケンタッキー・フライド・チキン設立の三菱商事側の責任者を務め、1970年の会社設立時に常務取締役に就任。
永井 正(ながい ただし、1922年 - 2002年)は日本… 永井 正(ながい ただし、1922年 - 2002年)は日本の実業家。元三井ホーム社長。
新井 益太郎(あらい ますたろう、1921年11月28日 -… 新井 益太郎(あらい ますたろう、1921年11月28日 - 2009年4月12日 )は、日本の会計学者。1985年から1990年まで日本簿記学会会長。第13期・第15期日本学術会議会員。成蹊学園名誉理事、成蹊大学名誉教授。
佐藤吉男(さとう よしお、1921年8月24日 - 1972… 佐藤吉男(さとう よしお、1921年8月24日 - 1972年10月7日)は、日本の大蔵官僚。 大蔵省主税局総務課長、主計局総務課長、大阪国税局長、総理府人事局次長、主計局次長(末席)、主計局次長(次席)、大臣官房審議官(大臣官房担当)兼財務研修所長などを務めた。 広島県出身。東京商科大学(現在の一橋大学)商学部在学中の1943年7月に高等試験行政科を合格。1944年9月 東京商科大学商学部卒業。1945年8月 陸軍主計少尉となり、同年9月 召集解除。 同年10月 大蔵省入省。外資局属。1946年2月 理財局。1948年10月 倉敷税務署長。 1949年8月31日 主計局主計官補佐(大蔵係主査)。
木谷 忠(きたに ただし、1921年7月15日 - 2006… 木谷 忠(きたに ただし、1921年7月15日 - 2006年4月10日)は、日本の経営者。名古屋テレビ放送社長を務めた。和歌山県出身。 1944年に東京商科大学経済学部を卒業し、1948年に朝日新聞社に入社。1980年6月に取締役に就任し、1981年4月に常務、1983年10月に専務を経て、1985年6月に名古屋テレビ放送副社長に就任し、1988年7月守部政喜社長の急逝により社長昇格。1993年6月に代表取締役相談役に就任し、1995年6月に取締役相談役、1998年6月から相談役を経て、1999年6月に特別顧問に就任。 2006年4月10日肝不全のために死去。84歳没。
松浦 巖(まつうら いわお、1921年4月1日 - 1980… 松浦 巖(まつうら いわお、1921年4月1日 - 1980年2月18日)は、日本の経営者。東京都出身。 1941年に東京商科大学経済学部を卒業し、同年に兼松江商に入社。 1971年11月に取締役に就任し、1974年5月に常務に就任した。1977年に副社長に就任し、1978年6月に社長に昇格した。 1980年2月18日心筋梗塞のために死去。58歳没。 学生時代にはサッカー選手として活躍していた。
杉山 忠平(すぎやま ちゅうへい、1921年3月7日 - 1… 杉山 忠平(すぎやま ちゅうへい、1921年3月7日 - 1999年3月21日)は、日本の経済学者。英国経済学史専攻。一橋大学社会科学古典資料センター第2代主任教授、経済学史学会代表幹事、経済資料協議会会長等を歴任。東京経済大学名誉教授、静岡大学名誉教授。日本学士院賞受賞。 静岡県沼津市出身。旧制沼津中学(現静岡県立沼津東高等学校)を経て、東京商科大学(現一橋大学)在学中、学徒出陣で第3師団野戦重砲兵第3連隊入隊。結核で除隊後、1945年に大学を卒業し、沼津の芝浦工作機械(現芝浦機械)入社。吹田順助ゼミ出身。 1947年退社、日本大学専任講師。専門部教授、教養部助教授、静岡大学助教授を経て、一橋大学大学院に内地留学し大塚金之助に師事。
辻野 知宜(つじの ともよし、1921年3月2日 - 200… 辻野 知宜(つじの ともよし、1921年3月2日 - 2000年4月17日)は、日本の経営者。同和火災海上保険社長、会長を務めた。広島県出身。 1943年に東京商科大学を卒業し、1949年8月に同和火災海上保険に入社。1973年6月に取締役に就任し、1977年7月に常務を経て、1979年3月に社長に就任。1985年7月荒1986年6月までに会長を務めた。 2000年4月17日呼吸不全のために死去。79歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
佐々木 誠二(ささき せいじ、1921年〈大正10年〉1月2… 佐々木 誠二(ささき せいじ、1921年〈大正10年〉1月25日 - 2018年〈平成30年〉8月23日)は、日本の実業家。テレビ大阪初代社長を務めた。位階は正五位。 群馬県沼田市出身。旧制沼田中学校から旧制九段中学校へ転校。1941年(昭和16年)に東京商科大学専門部を卒業し、日本経済新聞社の前身である中外商業新報に入社。1942年(昭和17年)高崎の歩兵第15連隊に入隊し、中国・フィリピン・ボルネオ・シンガポールなどを転戦した。 1947年(昭和22年)に復員。その後1968年(昭和43年)労務担当取締役に就任。1972年(昭和47年)から常務大阪本社代表を務め、1980年(昭和55年)から専務に就任。
杉本 悌二郎(すぎもと ていじろう、1921年1月18日 -… 杉本 悌二郎(すぎもと ていじろう、1921年1月18日 - 1988年10月25日)は、日本の実業家。元ノリタケカンパニーリミテド社長・会長。 愛知県生まれ。旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、1942年日本陶器入社。 通算15年の米国生活を経て、副社長就任。1971年には米国ノリタケ社長として、磁器製食卓用品に関する米国関税委員会公聴会で証言する。 1977年日本陶器代表取締役社長就任。積極経営を進め1981年に社名をノリタケカンパニーリミテドに変更。同年脳血栓で倒れ、1982年倉田隆文を後任社長とし社長を退き、代表取締役会長就任。1984年会長を退任し、相談役に就任。これまで務めていた森村グループ企業の日本碍子、日本特殊陶業、東陶機器(現・TOTO)などの役員からも退く。
江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12… 江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12日 - 2011年12月22日)は日本の経済学者。財政学専攻。生存科学研究所理事長。一橋大学・帝京大学名誉教授。
岡本 則一(おかもと のりかず、1921年 <大正10年> … 岡本 則一(おかもと のりかず、1921年 <大正10年> 1月3日 - 1994年 <平成6年> 6月3日)は、日本の経営者。安田生命保険社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1943年に東京商科大学を卒業し、1946年に安田生命保険に入社。1965年に財務部長に就任し、1969年5月に取締役、1972年12月に常務、1979年7月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1985年7月には社長に昇格。1993年4月には会長に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1994年6月3日急性心不全のために死去。73歳没。死没日付をもって正七位から従四位に進階した。
小山 路男(こやま みちお、1921年1月3日 - 1995… 小山 路男(こやま みちお、1921年1月3日 - 1995年1月10日)は、日本の社会保障学者。学位は、経済学博士(関西学院大学)。横浜市立大学経済研究所所長、上智大学社会福祉学科教授、社会保障研究所(現国立社会保障・人口問題研究所)所長などを歴任。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。1941年(昭和16年)東京商科大学(現一橋大学)予科卒、1943年(昭和18年)同学部卒、1945年(昭和20年)同大学院特別研究生修了、東京産業大学助手。 1950年(昭和25年)横浜市立大学経済研究所助教授、1964年(昭和39年)教授。 1965年(昭和40年)「イギリス救貧法史論」で関西学院大学より経済学博士の学位を取得。
村田 倉夫(むらた くらお、1921年(大正10年)1月1日… 村田 倉夫(むらた くらお、1921年(大正10年)1月1日 - 2015年(平成27年)3月21日)は、日本の実業家。京成電鉄第7代社長。 東京府豊多摩郡杉並村(現・東京都杉並区)高円寺に生まれる。 東京府立第二中学校(現東京都立立川高等学校)を経て、1940年東京商科大学(現一橋大学)予科へ。 1942年東京商科大学学部を卒業し、日本興業銀行に入行。翌年応召、東部軍経理部から南支方面へ主計将校として派遣される。 1947年に興銀復帰するが、最初の出向として1953年から1956年、旧中島飛行機グループなど5社が出資し、発足した直後の富士重工業へ。 2度目の出向は1964年、大商証券へ取締役として。
鈴木 秀勇(すずき ひでお、1921年 - 2011年 )は… 鈴木 秀勇(すずき ひでお、1921年 - 2011年 )は、日本の思想史家、教育学者。専門は教育思想史。一橋大学名誉教授、元札幌大学学長。社会思想史研究から教育思想史研究に進み、一橋大学社会学部で教育社会学講座を創設した。 1938年旧制東京商科大学(現一橋大学)予科入学。高島善哉門下。大学卒業後、同大非常勤講師を経て、1951年一橋大学社会学部助教授。1965年一橋大学社会学部教授。1969年から西順蔵の後任として第7代社会学部長を務めた。1970年、学部長を退任し増淵龍夫と代わる。1984年一橋大学定年退職。 社会思想史の研究から始め、教育思想史研究に進み、一橋大学社会学部で教育社会学講座を創設。
大畑 忠義(おおはた ただよし、1920年12月13日 - … 大畑 忠義(おおはた ただよし、1920年12月13日 - 2005年7月20日)は、日本の経営者。時事通信社社長を務めた。 広島県出身。1944年に東京商科大学を卒業。召集され大竹海兵団に入団。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、光海軍工廠に配属。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1946年1月に時事通信社に入社。1972年5月に取締役に就任し、1977年6月に代表取締役を経て、1978年6月に社長に就任。1984年6月に相談役に就任し、1986年6月から顧問を務めた。
太田 正己(おおた まさみ、1920年 〈大正9年〉11月2… 太田 正己(おおた まさみ、1920年 〈大正9年〉11月28日 - 2004年〈平成16年〉1月24日)は、日本の外交官。OECD環境委員会議長、駐ケニア特命全権大使兼国連環境計画政府代表、外務省参与兼ユネスコ執行委員会委員・政府代表などを務めた。 1942年東京商科大学(現一橋大学)卒業、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。 1946年終戦連絡中央事務局総裁官房連絡官。1949年外務省総務局経済課外交官補。 1951年外務省条約局条約課外務事務官。
今西 晃(いまにし あきら、1920年11月27日 - 20… 今西 晃(いまにし あきら、1920年11月27日 - 2007年3月29日)は、日本の実業家。丸美屋食品工業社長。 岐阜県出身。旧制豊橋中学(のちの愛知県立時習館高等学校)を経て、旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業[要出典]。 1962年丸美屋食品工業入社。1966年に資金難に陥り三井物産と国内総代理店契約を締結し資金援助を受け、4年後に完済。ふりかけトップの丸美屋を、1978年にふりかけに参入した永谷園が追い上げてくる中、需要層の9割を占める中学生以下の子供向けに「Dr.スランプふりかけ」、「忍者ハットリくんふりかけ」、「ドラゴンボールふりかけ」のほか、大人向けふりかけ「是はうまい」、学校給食向け「いわしくん」などを販売し、首位攻防戦を展開する。
新田 庚一(にった こういち、1920年10月16日 - 1… 新田 庚一(にった こういち、1920年10月16日 - 1983年10月2日)は、日本の経企官僚。元経済企画事務次官。地域振興整備公団副総裁在任中死去。 山形県出身。1943年に高等試験行政科試験に合格し、同年東京商科大学(現在の一橋大学)学部を卒業し、商工省に入省した。物価局に配属。通商産業省企業局企業第一課長等を経て、中小企業庁次長、経済企画庁調整局長、経済企画事務次官を歴任。 1974年(昭和49年)通商産業省からの提案を受け電気料金の値上げの審査にあたった。また春闘について、賃上げ率が下がれば実質成長率が高くなるとの調査報告を、田中角栄内閣総理大臣に行った。1975年(昭和50年)経済企画庁顧問。
鈴木 和夫(すずき かずお、1920年9月27日 - 201… 鈴木 和夫(すずき かずお、1920年9月27日 - 2011年1月18日)は、日本の経営者。凸版印刷社長を務めた。 東京都出身。1944年に東京商科大学を卒業し、同年に凸版印刷に入社。1967年1月に取締役に就任し、1969年1月に常務、1971年1月に副社長を経て、1973年12月から1981年3月までに東京書籍社長を務めた。1978年8月に再び凸版印刷副社長に就任し、1981年2月には社長に昇格。1991年6月に会長に就任し、1993年6月に取締役相談役を経て、1998年6月に特別相談役に就任。 1985年4月に藍綬褒章を受章。 2011年1月18日に多臓器不全のために死去。90歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月2… 村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月24日 - 1975年(昭和50年)3月29日)は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。日本浪曼派に共感した。 東京で生まれ、父はホーリネス教会派のクリスチャンだった。栃木県宇都宮市で育つ。旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)予科に進学。高島善哉ゼミ出身。 1943年に大学を卒業後、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入校。小島直記らは同期生にあたる。1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 戦後は三菱化成(現三菱ケミカルホールディングス)に入社したがやがて退社。
齋藤 裕(さいとう ひろし、1920年 <大正9年> 9月1… 齋藤 裕(さいとう ひろし、1920年 <大正9年> 9月18日 - 2000年 <平成12年> 10月6日)は、日本の実業家。位階は従三位。 1987年から1993年まで新日本製鐵(新日鉄、現日本製鉄)社長、1993年から1998年まで新日鉄会長、1994年から1998年まで経済団体連合会評議員会議長を務めた。国際鉄鋼協会会長等も歴任した。 東京市日本橋大伝馬町出身。1938年に東京府立第一中学校を卒業後、東京商科大学(現・一橋大学)に進学した。八幡製鐵に入社。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。
小川 弘(おがわ ひろし、1920年6月 - 2010年7月… 小川 弘(おがわ ひろし、1920年6月 - 2010年7月17日)は、日本の哲学者・大学教授。 日本統治下の台湾・台北市に生まれる。1944年に東京商科大学を卒業。1954年に東京教育大学文学部哲学科哲学の助教授になる。認識論を研究する。1978年に筑波大学教授になる。1984年に筑波大学を定年退職。1988年に八千代国際大学政治経済学部哲学担当教授になる。1996年に八千代国際大学を退職。2010年7月17日に死去、90歳没。 東京教育大学の筑波移転問題にからんで、慎重な姿勢を取った文学部と、積極的だった理学部を中心とする部分の間には、大学の意思決定機関だった評議会の運営をめぐる軋轢があった。
小島 清(こじま きよし、1920年5月22日 - 2010… 小島 清(こじま きよし、1920年5月22日 - 2010年1月7日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。専門は国際経済学。 1920年愛知県名古屋市中区流町の困窮小売商・瀬見井家に生まれる。1938年愛知県商業学校(現愛知県立愛知商業高等学校)卒業(首席)。同年小島家の養子となる。1938年名古屋高等商業学校(現名古屋大学)に無試験入学、1941年同卒業、1943年9月東京商科大学(現一橋大学)(赤松要ゼミナール)を繰り上げ卒業、同年同大特別研究生となる。大学附属東亜経済研究所所員時代、江口定条初代如水会理事長が軍需省から大学キャンパスを守るため、キャンパス内に学生などが住めるよう設立した如水寮に居住。
森 茂(もり しげる、1920年5月6日 - 2002年5月… 森 茂(もり しげる、1920年5月6日 - 2002年5月10日)は、日本の実業家。京王百貨店代表取締役相談役。東京都出身。 1943年に東京商科大学を卒業と同時に鉄道省に入省。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。第22戦隊3艦視艇隊・同戦隊司令部(横浜市中区山下町)に配属。1945年(昭和20年)3月、主計大尉に昇進。同年6月、海軍省軍務局第3課に転任し終戦を迎えた。海南島に進出した商社の監督・終戦処理を担当し、1945年10月、予備役に編入され解員(復員)した。 戦後の1945年11月、鉄道省に復帰。
久保田 美文(くぼた よしふみ、1920年4月14日 - 2… 久保田 美文(くぼた よしふみ、1920年4月14日 - 2005年1月24日)は、日本の経営者。ダイセル化学工業(現在のダイセル)社長、会長を務めた。和歌山県出身。 1943年に東京商科大学を卒業。大蔵省理財局での勤務を経て、1951年に大日本セルロイドに入社。1967年1月に取締役に就任し、1971年1月に常務、1974年11月に専務を経て、1977年6月に副社長に就任し、1979年9月には社長に昇格。1988年6月に会長に就任し、1993年6月に取締役相談役を経て、1995年6月には相談役に就任。 1981年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2005年1月24日くも膜下出血のために死去。
中村 伊一(なかむら いいち、1920年4月7日 - 200… 中村 伊一(なかむら いいち、1920年4月7日 - 2005年4月14日)は日本の実業家。ワコール創業メンバーで、同社副社長や、社団法人京都経済同友会代表幹事、京都証券取引所理事長を務めた。 滋賀県近江八幡市出身。八幡商業(現滋賀県立八幡商業高等学校)首席卒業を経て、横浜高等商業学校(現横浜国立大学)卒業、1944年東京商科大学(現一橋大学)卒業。 学徒出陣で満州に渡る。シベリア抑留を経て、母校八幡商業で教鞭をとっていたところ、八幡商業の同級生塚本幸一にさそわれ、相学の先生からの託宣もあり、1949年にワコールの前身である和江商事に入社。1963年から1984年まで副社長を務め、同年取締役相談役に退く。
細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011… 細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011年9月21日)は、日本の国際政治学者。一橋大学名誉教授、国際大学名誉教授、日本学士院会員、英国学士院客員会員、元日本国際政治学会理事長。専門は外交史。ちなみに、国際政治学者の細谷雄一との血縁関係はない。
中川 幸次(なかがわ ゆきつぐ、1920年3月11日 - 2… 中川 幸次(なかがわ ゆきつぐ、1920年3月11日 - 2015年12月28日)は、日本のエコノミスト。元野村総合研究所社長。中曽根康弘元総理大臣のブレーンとして知られた。 山口県出身。高松高等商業学校を経て、1943年9月旧制東京商科大学(のちの一橋大学)本科を卒業し、日本銀行入行。大学では山田雄三ゼミナールに所属。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 戦後、日本銀行に復帰し、調査局次長、総務部長を経て、1973年営業局長、1975年理事を歴任。
柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本… 柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本の経済学者。 山形県酒田市出身。1942年東京商科大学(現一橋大学)卒。1969年「多数国貿易の理論」で大阪市立大学経済学博士。富山大学経済学部助手、講師、助教授、教授。大阪市立大学教授、84年定年退官、名古屋学院大学教授、日本大学国際関係学部教授。
矢野 宏(やの ひろし、1920年2月25日 - 1986年… 矢野 宏(やの ひろし、1920年2月25日 - 1986年4月2日[要出典])は、日本の経営学者。 香川県出身。1942年東京商科大学卒。海軍に属し主計大尉。1942年三菱重工業勤務。70年三菱自動車に移る。1975年京都産業大学教授。