小野 信次(おの しんじ、1948年〈昭和23年〉7月11日… 小野 信次(おの しんじ、1948年〈昭和23年〉7月11日 - )は、日本の政治家。音更町長(3期)。 音更町議会議員(5期)などを歴任した。 1948年(昭和23年)7月11日、北海道河東郡音更町で生まれる。 北海道帯広農業高等学校を経て酪農学園短期大学を卒業。 1999年(平成11年)5月、音更町議会議員選挙に出馬し、初当選。2011年5月より音更町議会議長を務めた。 2017年(平成29年)3月28日、寺山憲二の任期満了に伴う音更町長選挙に出馬し、無投票で初当選。 2021年(令和3年)3月23日、自身の任期満了に伴う音更町長選挙に出馬し、無投票で再選。 趣味は音楽、絵画鑑賞、読書、ボウリング。
北村 直人(きたむら なおと、1947年〈昭和22年〉7月7… 北村 直人(きたむら なおと、1947年〈昭和22年〉7月7日 - )は、日本の政治家、獣医師。日本獣医師会顧問、日本獣医師政治連盟委員長、農場管理獣医師協会会長、日本獣医生命科学大学客員教授、酪農学園大学特別講師。 農林水産副大臣(第1次小泉第1次改造内閣)、内閣官房副長官(羽田内閣)、北海道開発政務次官(宮澤改造内閣)、衆議院農林水産委員長、衆議院議員(6期)等を歴任。 元衆議院議員の北村義和は父。 北海道鶴居村生まれ。鶴居村立鶴居小学校、鶴居村立鶴居中学校、釧路第一高等学校(1978年廃校)、酪農学園大学獣医学部獣医学科卒業。獣医師免許を取得している。 1980年から父・北村義和及び小沢辰男(いずれも衆議院議員)の秘書を務める。
土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 200… 土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 2009年8月28日)は、日本の政治家・酪農家。満洲出身。酪農学園短期大学通信課程卒。青森県六ヶ所村村長(1989年-1997年)。 山形県立酒田東高等学校卒業後、18歳で青森県上北郡六ヶ所村の「庄内地区」に入植。酪農業を手がけ、青森県酪農協会連合会会長や庄内酪農協同組合理事長も務めた。1975年から六ヶ所村村議会議員を連続4期務め、1989年に核燃料サイクル施設の工事凍結を公約に六ヶ所村長選挙に無所属で出馬し六ヶ所村長に初当選。以後連続2期8年を務めた。村長就任後は、使用済み核燃料再処理工場など核燃料サイクル事業推進へ方針転換し、ITER(国際熱核融合実験炉)の誘致にも関わった。
北 二郎(きた じろう、1918年9月13日 - 1950年… 北 二郎(きた じろう、1918年9月13日 - 1950年1月29日)は、日本の政治家、農業経営者。父は衆議院議員を4期、参議院議員を1期務めた北勝太郎。弟に北海道開発庁長官・開発庁長官を務めた北修二、奈井江町長の北良治がいる。 北海道空知郡奈井江村生まれ。1937年旧制北海道庁立岩見沢中学校(現・北海道岩見沢東高等学校)卒業。酪農義塾(現・酪農学園大学)、町村農場で農業・畜産を修得し、その後農業を営む。奈井江村酪農振興会会長。 父・勝太郎が第二次世界大戦後公職追放されると、その身代わりとして1947年の第23回衆議院議員総選挙において北海道4区から立候補し初当選。政界に入り、日本農民党・農民新党・農民協同党に所属した。
船木 長一郎(ふなき ちょういちろう、1915年〈大正4年〉… 船木 長一郎(ふなき ちょういちろう、1915年〈大正4年〉8月20日 - 2003年〈平成15年〉7月11日)は、日本の政治家。元佐呂間町町長。位階は従五位。家族は兄に船木長蔵(元佐呂間漁業協同組合組合長、北海道漁業協同組合連合会副会長)、息子に元椴法華村村長の船木英秀。 佐呂間町出身。漁師の家系に生まれ、1934年に北海道酪農義塾を卒業し佐呂間村産業組合に入職、その後有志とともに運送業者を起業し1940年まで経営するも、ガソリン配給制が敷かれたことにより廃業を余儀なくされ地元農協を経て佐呂間村役場に入職。 1941年の役場入職後は書記補を経て36歳で助役、国鉄湧網線建設の陳情や町内の電力供給を改善すべく自家発電設備の建設・送電線改良や変電所設置に尽力。
黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年(明治18年)3月… 黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年(明治18年)3月28日 - 1982年(昭和57年)2月6日)は、茨城県出身の実業家、酪農家、政治家、教育者、環境運動家。衆議院議員。北海道製酪販売組合連合会(のちの雪印乳業、現在の雪印メグミルク)創業者、北海道酪農義塾(現在の酪農学園大学)設立者。日本の酪農業の発展と北海道開発に功績を残し、日本酪農の父、北海道開発の父と呼ばれる。 1885年(明治18年)3月28日、茨城県久慈郡世矢村小目(現:常陸太田市小目町)で貧しい農家の四人兄弟の長男として生まれる。父母の家ともかっては相当な資産家であったが、黒澤の代には零落しており、又、父による過度の飲酒がもとで負債をつくり、家計は常に苦しかった。