堀越 啓仁(ほりこし けいにん、1980年3月28日 ‐ )… 堀越 啓仁(ほりこし けいにん、1980年3月28日 ‐ )は、日本の政治家、僧侶。立憲民主党所属の元衆議院議員(1期)。 群馬県甘楽郡下仁田町の常光寺に生まれる。群馬県立下仁田高等学校、大正大学人間学部仏教学科、東京福祉専門学校作業療法士科卒業。僧侶として実家の手伝いをしながら12年間、作業療法士としてリハビリに従事した。堀越は衆議院議員在職中は自治労群馬県本部の組織内議員であった。 2015年9月19日、安全保障関連法が可決成立。危機感を持った堀越は同法の廃止を目的に市民団体「かたつむりの会」を設立。次期参院選に向け、野党共闘の橋渡し役になろうと活動を始める。しかし候補者がなかなか決まらず、最終的に自らが出馬することを決断した。
大沼 瑞穂(おおぬま みずほ、1979年1月8日 - )は、… 大沼 瑞穂(おおぬま みずほ、1979年1月8日 - )は、日本の政治家、政治学者。大正大学社会共生学部公共政策学科准教授。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。大沼は旧姓で、本名は亀 瑞穂(かめ みずほ)。 厚生労働大臣政務官(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)を務めた。 東京都出身。父は法学者の大沼保昭。白百合学園小学校、白百合学園中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科修士課程修了後、NHKに報道記者として入局し、仙台放送局へ赴任。その後、外務省専門調査員として香港総領事館に2年間赴任。赴任中は尖閣諸島に出航する中国船の確認や情報提供者との接触を担当していた。
藤本 淨孝(ふじもと きよたか、1974年6月13日 - )… 藤本 淨孝(ふじもと きよたか、1974年6月13日 - )は、日本の政治家、僧侶。山口県大島郡周防大島町長(1期)。 実家は周防大島町内の東屋代にある西蓮寺(現住職は藤本淨彦)。大正大学大学院修了。 輸入車販売会社勤務、大正大学副手を経て、2009年から西蓮寺の副住職を務める。2016年に周防大島町議会議員に初当選した。2020年6月30日に町長選立候補の意向を正式表明し、同年9月に議員を辞職した。 2020年10月20日告示の周防大島町長選で、自民、公明両党の推薦と前職の椎木巧町長や柳居俊学山口県議会議長(同じ浄土宗の僧侶)の支援を受け無所属で出馬し、無投票で初当選を果たした。46歳で3代目の周防大島町長となり、2020年11月16日に町役場に初登庁した。
高松 義行(たかまつ ぎぎょう、1954年12月2日 - )… 高松 義行(たかまつ ぎぎょう、1954年12月2日 - )は、日本の政治家、僧侶。福島県本宮市長(4期)。 大正大学卒業。本宮町役場に5年間勤務。1995年(平成7年)から本宮町議会議員を3期務めた。 2007年(平成19年)1月1日、本宮町と白沢村が合併し本宮市が発足。同市議を2期務め、初代議長も務めた。また、もとみや青年会議所第7代理事長も務めている。 2011年(平成23年)1月16日に行われた本宮市長選挙に初当選した。投票率は43.73%。2月4日、市長就任。 2015年(平成27年)、再選。投票率は59.75%。 2019年(平成31年)、無投票により3選。 2023年(令和5年)、無投票により4選。
山尾 順紀(やまお じゅんき、1952年(昭和27年)8月3… 山尾 順紀(やまお じゅんき、1952年(昭和27年)8月30日 - )は、日本の政治家、僧侶。元山形県新庄市長(4期)、元新庄市議会議員(2期)。 山形県新庄市の真言宗智山派の円満寺に生まれる。新庄市立沼田小学校、新庄市立明倫中学校、山形県立新庄北高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、大正大学仏教学部卒業。同年4月、新庄市役所に入庁。1998年(平成10年)12月31日、同市役所を退職。 1999年(平成11年)5月、新庄市議会議員に就任。2003年(平成15年)、再選。同年12月、円満寺の住職となる。 2007年(平成19年)8月9日、新庄市長の高橋榮一郎が膵腫瘍のため任期中に死去。これに伴って9月30日に行われた市長選挙に出馬し、前副市長の八鍬長一を破り初当選を果たした(山尾:12,460票、八鍬:10,491票)。
木津 雅晟(きづ まさあき、1946年(昭和21年)7月13… 木津 雅晟(きづ まさあき、1946年(昭和21年)7月13日 - )は、日本の政治家、僧侶。埼玉県三郷市長(5期)。元三郷市議会議員(3期)。父親は元三郷市長の木津三郎。 埼玉県北葛飾郡早稲田村(現・三郷市半田)生まれ。父親は元三郷市長の木津三郎。足立学園高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、大正大学文学部社会学科卒業。同年4月、三郷町役場に採用される。 1995年(平成7年)12月、三郷市半田にある萬音寺(真言宗豊山派)の住職となる。1996年(平成8年)9月、三郷市役所を退職。 1997年(平成9年)の三郷市議会議員選挙に立候補し初当選。市議を計3期務めた。 2006年(平成18年)10月の三郷市長選挙に立候補し、現職の美田長彦市長らを破り初当選を果たした。
榎本 敏夫(えのもと としお、1926年3月24日 - 20… 榎本 敏夫(えのもと としお、1926年3月24日 - 2017年7月2日)は、政治家秘書。田中角栄の秘書として知られている。タレントの榎本三恵子は元妻。元北区議会議員の榎本 一(えのもと はじめ)は長男。 東京府東京市北区の質屋の息子として生まれる。大正大学文学部哲学科卒後に民主自由党(後の自由民主党)の職員になる。1955年5月から1962年7月まで東京都の北区区議会議員を務めた。1956年に日本電建に総務部長として入社し、1965年に田中角栄衆議院議員の秘書となった。1971年から1972年まで通商産業大臣秘書官、1972年から1974年まで内閣総理大臣秘書官であった。 1976年に発覚したロッキード事件において、田中角栄首相の秘書(首相秘書官)としてロッキード社の代理人であった丸紅から5億円を受け取ったとして同年7月に外国為替法違反で逮捕され、同年8月に起訴された(田中角栄は外国為替法違反だけでなく受託収賄罪でも起訴された)。
他阿 真円(たあ しんえん、本名:加藤 円住(かとう えんじ… 他阿 真円(たあ しんえん、本名:加藤 円住(かとう えんじゅう)、1919年〈大正8年〉6月10日 - 2021年12月9日)は、日本の僧、政治家。時宗の74世法主(遊行上人)、藤沢清浄光寺57世住職(藤沢上人)。岡崎市議会議員を通算4期、市議会議長を1期歴任した。 愛知県碧海郡矢作町(現・岡崎市矢作町馬場4番地)の誓願寺に生まれる。1932年(昭和7年)、出家得度。1941年(昭和16年)、大正大学専門部を卒業し、龍谷大学に編入。 軍部に徴集され東南アジアに派遣される。マラリアに感染し入院。1943年(昭和18年)、誓願寺住職に就任するも、再び徴集され、東南アジアに派遣される。陸軍少尉として輜重を担う。
崔 凡述(チェ・ボムスル、朝鮮語: 최범술、1904年5月2… 崔 凡述(チェ・ボムスル、朝鮮語: 최범술、1904年5月26日 - 1979年7月10日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、仏教の僧侶、教育者、政治家、茶人。制憲韓国国会議員。 俗名は英煥。堂号は錦峯、法号は暁堂(ヒョダン、효당/曉堂)。 慶尚南道昆陽郡両浦面(後の泗川郡西浦面)出身。昆陽普通学校卒業後、1916年に地元の多率寺(朝鮮語版)で出家した。1917年に海印寺の地方学林に入学した。三・一運動の時は独立宣言文を配布したため、日本の警察に逮捕された。1922年に渡日し大正大学予科を経て、1933年に同大仏教学科卒。特に1923年以降は朴烈、朴興坤、陸洪均、韓龍雲、金法麟らと「不逞鮮人社」「黒友会」「卍党」などの運動に参加して、いわゆる「朴烈事件」の大逆事件で上海への爆弾運搬役として検挙され、8か月間投獄された。
許 永鎬(ホ・ヨンホ、朝鮮語: 허영호、1900年12月21… 許 永鎬(ホ・ヨンホ、朝鮮語: 허영호、1900年12月21日 - 1952年1月30日?)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、社会運動家、仏教の僧侶・宗教家、大韓民国の教育者、政治家。制憲国会議員。 別名に許 允(ホ・ユン、허윤)などがある。号は玄州(ヒョンジュ、현주)。法名は鏡湖(キョンホ、경호)。日本名は徳光 允、徳光 翼。 慶尚南道釜山府(現・釜山広域市)出身。東萊高等普通学校(現・東萊高等学校)、東洋大学、大正大学仏教学科卒。 梵魚寺が運営する中等学校の3年在学中に三・一運動に関連する東莱市場の独立万歳デモを主導したため、逮捕され1年間投獄された。出獄後は日本留学を経て、朝鮮に帰り講演活動を行った。
落合 寛茂(おちあい かんも、1897年(明治30年)11月… 落合 寛茂(おちあい かんも、1897年(明治30年)11月5日 - 1972年(昭和47年)4月15日)は、明治末から昭和期の僧、政治家。衆議院議員(1期)、天台宗大僧正。 長野県小県郡傍陽村(真田町を経て現上田市真田町傍陽)出身。12歳で得度受戒。天台宗中学(現駒込中学校・高等学校)を経て、1919年(大正8年)天台宗大学(現大正大学)専門部を卒業した。その後、東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科で学んだ。 実相院(上田市)住職に就任。天台宗宗務庁教学部で勤務し、信濃毎日新聞社客員として漫画、漫文などを掲載した。1935年(昭和10年)茨城県結城郡大花羽村大輪(水海道市を経て現常総市大輪町)の安楽寺特命住職に転任。
小林 橘川(こばやし きっせん、1882年〈明治15年〉10… 小林 橘川(こばやし きっせん、1882年〈明治15年〉10月1日 - 1961年〈昭和36年〉3月16日)は、日本のジャーナリスト、政治家。名古屋市長を3期務めた。 滋賀県野洲郡守山町(現・守山市)にて漢方薬商、山本藤右衛門の三男として生まれた。幼名は音次郎。1884年(明治17年)、滋賀県野洲市北桜の浄土宗多門寺の小林麗海の養子となり海音と改名した。その後、浄土宗高等学院(現大正大学)入学するが中退。小学校教員、京都府内の極楽寺住職を経て、ジャーナリストとしての才覚を発揮し1905年(明治38年)には「近江新報」主筆となり、県政批判の筆を揮った。1911年(明治44年)名古屋新聞に転じ1914年(大正3年)より「名古屋新聞」主筆を経て、1942年(昭和17年)政府の指導で「新愛知新聞」と合併した「中部日本新聞(現中日新聞)」の取締役となった。