宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 201… 宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 2019年11月24日)は、日本出身のネパールの実業家、政治家。 長野県小県郡青木村出身。長野県上田高等学校、日本大学理工学部工業化学科、機械工学科(二部)卒業。在学中は山岳部に所属していた。 理研ビニル工業、千代田化工建設に勤務。1958年に南極地域観測隊第4次隊、1962年にヒマラヤ登山隊、1965年にグリーンランド遠征隊(隊長)に参加。1966年、自転車でインドからネパールに入る。同年ネパール政府通商産業省中小企業局に勤務。1968年にトランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年にヒマラヤ観光開発株式会社(本社・東京)を設立。
深瀬 昌久(ふかせ まさひさ、本名・よしひさ、1934年2月… 深瀬 昌久(ふかせ まさひさ、本名・よしひさ、1934年2月25日 - 2012年6月9日)は、日本の写真家。北海道中川郡美深町生まれ。写真表現を通して「私性」と「遊戯」を追求した写真家として知られる。 1908年に祖父・庸光が美深町に創設した深瀬写真館の長男として誕生したため、3代目跡継ぎとして期待された。6歳になるとプリント水洗の仕事を手伝わされ、外に遊びにいきたい気持ちをじっと我慢しながら従事したという。深瀬はのちに「私の写真への怨恨はたぶんこのころ芽生えたものであろう」と記すほどであった。日本大学芸術学部写真学科に入学するために上京し、その後は東京の広告会社である第一宣伝社に就職。これをきっかけに写真家としての道を歩むこととなり、深瀬写真館は後に弟の了暉が継ぐことになる。
ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2… ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2月25日 - 2019年〈平成31年〉4月8日)は、日本のコメディアン、タレント・俳優。本名:門脇 貞男(かどわき さだお)。主なギャグに、インターンからUターンして、セニュール、グラッチェ、よし子、などがある。 白衣姿で黒板やホワイトボードを用いる医事漫談の創始者だった。『笑点』など、テレビのお笑い/寄席番組でも人気を博した。俳優としても活躍した。シングル、アルバムもリリースしている。 山形県最上郡最上町出身。母方は先祖代々医師の家系であり、母・シヅエは生涯現役で診察を務めた産婦人科医であり、ケーシーの姉も医師、父は海外出張の多い商社マンで、レコードの収集家だった。
島津 四郎(しまづ しろう、1934年 - )は、群馬県出身… 島津 四郎(しまづ しろう、1934年 - )は、群馬県出身のアマチュア野球選手。ポジションは投手。 桐生工業高等学校では、エースとして1952年の春の選抜に出場。2回戦(初戦)で豊橋時習館高を完封するが、準々決勝では鳴尾高の中田昌宏と互いに無失点で投げ合い、延長12回の末に0-1でサヨナラ負けを喫する。同年夏の甲子園予選でも北関東大会準決勝に進出するが、豊田泰光、加倉井実のいた水戸商に惜敗。高校同期に高野价司がいた。 日本大学へ進学。東都大学野球リーグでは在学中に5回優勝。1955年春季リーグで優勝に貢献し、同季の最優秀投手賞を獲得。直後の大学野球選手権は決勝に進み、明大の秋山登とのアンダースロー対決が話題となるが、0-1で完封され準優勝に終わる。
片野 満(かたの みつる、1934年 - )は、日本の映画脚… 片野 満(かたの みつる、1934年 - )は、日本の映画脚本家・演出家・監督・プロデューサー。 東京都出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、日本大学芸術学部卒業。岩波映画製作所にて科学映画、教育放送番組の脚本・演出・監督・プロデューサーを歴任し、内閣総理大臣賞ほか多数の受賞作品に携わった。安井電子出版取締役制作本部長を務めた。
平山 善吉(ひらやま ぜんきち、1934年 - )日本山岳会… 平山 善吉(ひらやま ぜんきち、1934年 - )日本山岳会名誉会員。日本山岳会第21代会長。局地建築学者。建築工学者。日本大学名誉教授。工学博士。日本建築学会名誉会員。 国立極地研究所顧問、最高裁判所建築関係訴訟委員会委員、鑑定、調停、専門委員。日本極地研究振興会常務理事、日本文理大学客員教授などを歴任。 千葉県生まれ。1956年、日本大学旧工学部(現・日本大学理工学部)建築学科卒業後、同大学大学院旧工学研究科に進学、第1次南極観測隊(南極地域観測隊)に最年少隊員として参加。大学院修士課程修了後の1960年第2、第3次南極観測隊(南極地域観測隊)にも加わる。文部省勤務。昭和基地の設計と建設で大きな役割を果たす。
七代目 嵐 徳三郎(しちだいめ あらし とくさぶろう、193… 七代目 嵐 徳三郎(しちだいめ あらし とくさぶろう、1933年(昭和8年)12月20日 - 2000年(平成12年)12月5日)は上方の歌舞伎役者。屋号は葉村屋。定紋は三つ橘、替紋は九枚笹。本名は横田 一郎(よこた いちろう)。 香川県高松市生まれ。会社員の父と結髪師の母との間に生まれる。日本大学芸術学部に在学中、国劇研究会の公演で歌舞伎を演じた事が松竹会長の大谷竹次郎に認められ、学士俳優の第一号の一人として大谷ひと江の名で昭和31年 (1956) 4月中座の『五十年忌歌念仏』(お夏清十郎)で初舞台。会長の苗字を芸名にするという破格の待遇だった。 この頃までに関西歌舞伎は凋落の一途をたどっていたが、その中にあっても有望な若手俳優として力をつけ、昭和39年 (1964) 9月の仁左衛門歌舞伎公演で片岡孝夫の相方をつとめた『女殺油地獄』のお吉で大阪府民劇場奨励賞を受賞。
宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1… 宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1933年〈昭和8年〉12月6日 - 2020年〈令和2年〉1月18日)は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は「エースのジョー」。 妻はエッセイスト、宍戸游子。宍戸開は長男、宍戸史絵(現・紫しえ)は長女、郷鍈治は実弟、ちあきなおみは義妹(実弟・郷鍈治の妻)。大阪府桜宮(現在の大阪市都島区)出身。宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。 父の左義右は1898年9月、現在の福島県伊達市に生まれた。兄に義一郎がいた。錠によれば母の文は神奈川県横浜市出身だが、母親自身の話では父(錠の祖父)が台湾総督の副官であり、台湾で生まれ、父の転勤で日本へ戻り、静岡県浜松市で育ったと述べている。
富永 美沙子(とみなが みさこ、1933年11月30日 - … 富永 美沙子(とみなが みさこ、1933年11月30日 - 1975年5月2日)は、日本の女優、声優。東京市豊島区雑司が谷町(現東京都豊島区雑司が谷)出身。父親は挿絵画家の富永謙太郎。 日本大学第二高等学校を経て、1949年、敷島高校を中退し松竹歌劇団に5期生として入団。同期には草笛光子がいる。その後はテアトル・エコー、現代座、劇団新劇場、赤坂プロに所属していた。 1955年頃からはテレビで活躍。初出演作はラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)の『おやゆび姫』。1959年に始まった『うちのママは世界一』で主役のドナ・リードを吹き替えて以降は声優としても活動し、ソフィア・ローレンやドリス・デイなどを吹き替えた。
田平 英二(たびら えいじ、1933年10月28日 - 20… 田平 英二(たびら えいじ、1933年10月28日 - 2008年7月5日)は、日本の経営者。近畿日本ツーリスト社長を務めた。 長崎県出身。1957年に日本大学法学部政経学科を卒業し、同年に近畿日本ツーリストに入社。1990年3月に取締役、1992年5月に常務を経て、1997年3月に社長に就任。2000年9月に取締役相談役に就任し、2001年3月には相談役に就任。 2008年7月5日に心不全のために死去。74歳没 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
平山 綽保(ひらやま のぶやす、1933年10月9日 - )… 平山 綽保(ひらやま のぶやす、1933年10月9日 - )は、日本の元競泳選手。日本大学出身。1951年(昭和26年)の日本学生選手権男子100m平泳ぎで優勝している。第15回ヘルシンキオリンピック競技大会代表選手選考会を兼ねた第28回日本選手権水泳競技大会の100m平泳ぎで2位となり、オリンピック代表選手に選出された。その後1952年ヘルシンキオリンピックの競泳競技・男子200m平泳ぎに出場し、4位入賞した。
桜本(櫻本) 富雄(さくらもと、とみお、1933年9月28日… 桜本(櫻本) 富雄(さくらもと、とみお、1933年9月28日 - 没年不明)は、日本の詩人・評論家。 長野県小諸市生まれ。1952年東京都立上野高等学校卒業、1957年日本大学法学部法律学科卒業。「かつしか幼稚園」を姉弟で経営し、1972年から92年まで理事長。93年から99年まで東京学芸大学非常勤講師。1979年から個人通信誌『空席通信』を発行、戦時中の文学者の動向などを研究・調査してきた。2020年9月『空席通信』休載。「空席通信・余話」のSeesaaブログのみ継続。
笠原 正行(かさはら まさゆき、1933年9月7日 - 20… 笠原 正行(かさはら まさゆき、1933年9月7日 - 2009年5月10日)は、北海道函館市出身のプロ野球選手(投手)。 北海道函館工業高等学校から1952年に読売ジャイアンツへ入団。1953年に一軍初登板し、1954年には9勝を記録。1956年に大映スターズへ移籍し、同年引退した。 2009年5月10日、肺がんのため死去。75歳没。実子は土浦日本大学高等学校の投手として、第68回全国高等学校野球選手権大会に出場した。
長谷雄 幸久(はせお ゆきひさ、1933年8月14日 ‐ 2… 長谷雄 幸久(はせお ゆきひさ、1933年8月14日 ‐ 2013年12月3日) は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。弁護士。 大分県別府市出身。1961年日本大学法学部卒。卒業後は東京銀行に勤務する。その後、司法試験に合格し、弁護士になる。1976年の第34回衆議院議員総選挙で東京11区から公明党公認で立候補して初当選。2期務める。1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。政界を引退した。落選後は特許事務所を開いた。 2007年3月に中央選挙管理会予備委員、その後2013年3月より中央選挙管理会委員に任命されたが、同年12月3日に死去した。80歳没 。
加藤 太郎(かとう たろう、1933年7月7日 - )は、神… 加藤 太郎(かとう たろう、1933年7月7日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手。 日本大学高校から1952年に阪急ブレーブスへ入団。 1954年に東映フライヤーズへ移籍。1955年に引退。
五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2… 五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2013年8月31日)は、日本の俳優。長野県諏訪市出身。愛称はゴミリュウ。別名義に五味 竜太郎(読みは同じ)。旧芸名に五味 勝雄(ごみ かつお)、五味 勝之介(ごみ かつのすけ)。本名は山本 勝雄(やまもと かつお)。旧姓は五味。 1952年(昭和27年)、長野県岡谷南高等学校を卒業して日本大学藝術学部映画学科に進学。1954年(昭和29年)に大学を中退し、松竹音楽学校付属研究所を経て1955年(昭和30年)に第2期東映ニューフェイスとして東映へ入社。同期には高倉健・丘さとみ・今井健二らがいる。入社して半年後、劇団俳優座養成所の委託生として更に半年を過ごし、翌1956年(昭和31年)に東映京都撮影所専属で片岡千恵蔵主演の『三つ首塔』でデビューを果たす。
立石 友男(たていし ともお、1933年6月4日 - 201… 立石 友男(たていし ともお、1933年6月4日 - 2017年7月11日)は、日本の地理学者。日本大学名誉教授。 1933年、長野県に生まれた。1952年に長野県諏訪清陵高等学校を卒業し、日本大学文学部人文地理学科に入学。1956年に同大学を卒業し、翌1957年に同大学大学院に進んだ。 1959年に日本大学文理学部副手に採用。1960年に助手、1970年に専任講師、1973年に助教授、1981年に教授へと昇任した。1982年、学位論文『庄内砂丘における海岸砂丘林に関する研究』を日本大学に提出して理学博士号を取得した。学界では、1999年から2002年まで歴史地理学会会長を務めた。2003年に日本大学を定年退職し、名誉教授となった。
上野 秀夫(うえの ひでお、1933年5月15日 - 202… 上野 秀夫(うえの ひでお、1933年5月15日 - 2023年5月30日)は、日本の中国経済学者、近畿大学名誉教授。 1933年、東京市(現目黒区)で生まれた。日本大学法学部政治学科を卒業し、同大学院経済学研究科に進んだ。1958年に修士課程を修了。 近畿大学世界経済研究所所員となり、1960年より商経学部専任講師、1963年より助教授、1969年より教授。1984年、学位論文『現代中国の外国貿易組織に関する理論的および実証的研究』を近畿大学に提出して商学博士号を取得。1996年からは商経学部長を務めた。1999年、近畿大学副学長に就任。2003年に近畿大学を定年退任して特任教授となり、2005年に名誉教授となった。
赤江 瀑(あかえ ばく、本名:長谷川 敬(はせがわ たかし)… 赤江 瀑(あかえ ばく、本名:長谷川 敬(はせがわ たかし)、1933年4月22日 - 2012年6月8日)は、日本の小説家。歌舞伎や能などの伝統芸能を題材にした小説や、京都を舞台にした作品を数多く発表。耽美的、伝奇的な作風で、熱烈な支持者を持つ。 2度候補となった直木賞受賞はならなかったものの、『オイディプスの刃』で第1回角川小説賞、『海峡』『八雲が殺した』で第12回泉鏡花文学賞を受賞している。 1933年、山口県下関市で教員の両親の間に6人兄弟の次男として生まれる。本名:長谷川敬。戦争中は豊浦郡豊東村(現・下関市菊川町)に疎開した。 1946年、山口県立豊浦中学校(現・山口県立豊浦高等学校)に入学。
馬淵 良(まぶち りょう、1933年3月12日 - 2021… 馬淵 良(まぶち りょう、1933年3月12日 - 2021年11月22日)は、石川県出身の元飛込競技選手。 石川県出身。金沢市立工業高等学校を経て、日本大学経済学部卒。 1958年のアジア大会飛込競技10m高飛込みで金メダルを獲得。 1956年と1960年の夏季オリンピックでは、妻の馬淵かの子(旧名:津谷鹿乃子)とともに出場し、12〜18位。 娘の馬淵よしのもオリンピック選手。 現役引退後は妻・かの子と共にJSS宝塚スイミングスクールを立ち上げ、同スクールからは数多くの選手を輩出している。 2021年11月22日死去。88歳没。
浦野 起央(うらの たつお、1933年(昭和8)3月11日 … 浦野 起央(うらの たつお、1933年(昭和8)3月11日 - )は、日本の政治学者。日本大学名誉教授。専門は国際政治学。 愛知県豊川市生まれ。日本大学法学部卒業、同大学院修了。1990年「現代における革命と自決の研究」で、政治学博士(東海大学)。日本大学法学部教授を経て、2003年定年、名誉教授となる。
伊藤 惣助丸(いとう そうすけまる、1933年(昭和8年)3… 伊藤 惣助丸(いとう そうすけまる、1933年(昭和8年)3月8日 - 1998年(平成10年)2月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期、公明党)。 東京都出身。福島県の労働基準局の給仕をしながら定時制高校を卒業し上京。1957年に創価学会入信。1965年日本大学法学部政経学科修了。豊島区議会議員となり。1967年の第31回衆議院議員総選挙において東京5区から公明党公認で立候補して初当選した。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選。以後は同選挙区からは長田武士が立候補した。 この他、山一堂を創立し、社長となった。 1998年2月16日、死去した。64歳没。同年3月10日、特旨を以て位記を追賜され、死没日をもって正五位勲三等に叙され、瑞宝章を追贈された。
上野山 功一(うえのやま こういち、1933年3月7日 - … 上野山 功一(うえのやま こういち、1933年3月7日 - 2023年1月22日)は、日本の俳優。本名は、上野山 貢之介(こうのすけ)。 東京市中野区沼袋出身。日本大学藝術学部映画学科中退。グループ71、オールスタッフ、小市事務所を経て、ダテ企画所属。 父は日本画壇の鬼才と呼ばれた洋画家の上野山清貢。戦時中は福島県三春町に疎開する。 劇団手織座を経て、1958年に日活入社。その時に鈴木清順監督から「君はワルに向いている」と言われたことがきっかけで悪役俳優の道へ進む。1959年に映画『昼下がりの暴力』で正式デビュー。『刑事物語 知り過ぎた奴は殺す』『刑事物語 犯行七分前』(ともに1960年)の犯人として準主役を演じ、1965年に日活を離れるまで『流れ者』シリーズなどの日活暗黒街の常連悪役として定着。
島崎 博(しまざき ひろし、1933年3月 - 2022年6… 島崎 博(しまざき ひろし、1933年3月 - 2022年6月19日)は、台湾生まれの編集者、評論家、書誌研究者。本名は傅金泉(ふ きんせん、フー ジンチュアン)。1979年まで日本で活動し、その後は2010年現在まで台湾(中華民国)在住。台湾での筆名は傅博(ふはく、フーボー)。傳博(伝博)と書かれることがあるが、誤り。 1955年に来日。日本では、『定本 三島由紀夫書誌』(三島瑤子と共編、1971年・1972年)を始めとする書誌作りや、探偵小説専門誌『幻影城』(1975年 - 1979年)の編集長を務めたことで知られる。 1979年に台湾に戻った後は、1984年の『推理雑誌』の創刊や、「日本十大推理名著全集」(序文と解説を執筆、1987年)などの刊行により台湾の第1次推理小説ブームを牽引した。
戸田 皓久(とだ あきひさ、1933年2月26日 - 198… 戸田 皓久(とだ あきひさ、1933年2月26日 - 1981年9月1日)は、日本の俳優、声優。神奈川県鎌倉市出身。東京演劇アンサンブルに所属していた。 1951年に日本大学第三高校を卒業し、俳優座養成所三期生となる。同期には、小山田宗徳や穂積隆信、楠侑子などがいる。 翌1954年、卒業と同時に同期生の本郷淳らと劇団三期会を結成。演劇活動に乗り出す一方、劇団ユニットで『スーパーマン』など多くの吹き替えに出演し声優としても活動。その後はテレビドラマにも出演するようになる。 1967年、劇団三期会を東京演劇アンサンブルと改称し舞台公演を行う一方で声優、俳優としての活動も続け、主に味のある脇役、悪役として助演した。
高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は… 高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は、日本の法学者。日本大学名誉教授。専門は法哲学、基礎法学、日本近代法史。明治期の政治家である金子堅太郎研究の第一人者とされる。 日本大学大学院法学研究科私法学専攻修了。日本大学法学部教授を務め、筑波大学第三学群講師、埼玉大学経済学部講師を兼任した。
佐々木忠次(ささき ただつぐ、1933年2月13日 - 20… 佐々木忠次(ささき ただつぐ、1933年2月13日 - 2016年4月30日 )は、日本のインプレサリオ(impresario)、著作家。東京バレエ団総監督、日本舞台芸術振興会(略称 NBS)専務理事を務める。
千葉 茂樹(ちば しげき、1933年2月12日 - )は、日… 千葉 茂樹(ちば しげき、1933年2月12日 - )は、日本の映画監督、脚本家、教育者。市民グループ「地球家族の会」代表、日本映画学校校長、日本映画大学特任教授。キリスト教徒。川崎市のみやまえ映像コンクール審査委員長。 1933年2月12日、福島県福島市に9人兄妹の次男として生まれる[1]。福島県立福島高等学校卒業。高校時代は元総務官僚で川崎市長を務めた阿部孝夫と同窓。福島大学経済学部に入学し、役場で働きながらの学生生活を送る。仕事の合間に訪れた映画館で黒澤明監督の「生きる」を観た影響で映画監督を目指すことを決意。福島大学から日本大学へ編入をし、1956年に日本大学芸術学部映画学科を卒業。 大学卒業時に応募をした「新人シナリオコンクール」で入賞(千葉は最年少入賞、受賞者6人の中には既に助監督として働いていた深作欣二もいた。
沢田 敬也(さわだ よしなり、1933年2月9日 - )は、… 沢田 敬也(さわだ よしなり、1933年2月9日 - )は、日本の英語学者。 日本大学文学部英文科卒、明治学院大学大学院修士課程修了、北海道教育大学講師、静岡大学法経学部助教授、日本大学農獣医学部教授、生物資源科学部教授。2003年定年退任。1978 - 1979年、ニュージーランドのヴィクトリア大学客員研究員となり、ニュージーランドの英語が違うことに気づき『ニュージーランドの英語』を刊行する。
天野 利彦(あまの としひこ、1933年2月3日 - 201… 天野 利彦(あまの としひこ、1933年2月3日 - 2019年4月18日)は、日本の演出家。 愛知県出身。日本大学藝術学部を卒業後、東映東京撮影所に入社。『特別機動捜査隊』などの東映テレビプロ作品に助監督として参加し、1967年12月20日放送の第321話『八人の女』で監督デビューを果たし、番組終了まで86本以上を演出。続く『特捜最前線』ではメイン監督として132本演出した。 『特捜』終了後は約1年ブランクを置いたあとに『ベイシティ刑事』(2本担当)で同枠に復帰、後続の『はぐれ刑事純情派』(87本担当)、『さすらい刑事旅情編』(50本担当)、『風の刑事・東京発!』(8本担当)といった刑事ドラマシリーズに長期に携わった。
西野 善雄(にしの よしお、1933年(昭和8年)2月1日 … 西野 善雄(にしの よしお、1933年(昭和8年)2月1日 - )は、日本の元政治家。大田区長等を歴任。 東京都大田区生まれ。1951年12月、大田区役所に臨時吏員として雇用される。その後働きながら日本大学法学部の夜間部に通い、東京都の幹部試験を受験。都職員となり大田区役所に正式配属された。 大田区役所内の要職(大田区議会事務局長、企画調整課長、企画部長、1980年助役)を歴任して、1987年から2007年までの5期20年、大田区長を務めた。1999年と2006年の2回にわたって特別区長会会長。 区長辞任後、特別区人事委員会委員長及び大田区体育協会会長を務めていた。趣味は読書・囲碁。
小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、… 小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、日本の男性声優、俳優。奈良県出身。『W3』のノッコ役で知られる。 日本大学卒業後、東宝芸能学校演技科を経て、東宝劇団に所属。『恋すれど恋すれど物語』が初舞台。その後、シバプロ、鷹の会を経て、1969年4月、六芸社に所属。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は… 小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属。創立メンバーの一人でもある。主な出演作は『妖怪人間ベム』(1968年)のベム、『ルパン三世』シリーズの次元大介など。また、『SASUKE』、『中居正広の金曜日のスマたちへ』、『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』等のナレーションも多く担当。洋画ではジェームズ・コバーン、リー・マーヴィンの専属吹き替えをしている。
木澤 博司(きざわ ひろし、1933年1月7日 - 2007… 木澤 博司(きざわ ひろし、1933年1月7日 - 2007年9月14日)は東京都中野区生まれ、岡山県出身の自動車エンジニア。 本田技研工業の開発部門である本田技術研究所の元専務。日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)卒。 ホンダ四輪の草創期からのメンバーで、シビックの開発責任者としても知られる。その後もアコードなどの基幹車種に携わり、今日のホンダの経営に貢献した。 大学卒業後、日野自動車系列でオリエントブランドでオート3輪の製造・販売を行っていた三井精機工業に入社。埼玉県の桶川工場にあった実験課に5年間勤務した。この頃に所属していた小型自動車協会で海外の小型車に触れる機会を得るとともに、後のホンダF1の監督である中村良夫と出会い、中村の誘いで1963年に四輪に進出して間もない本田技研工業に中途入社。
米内 義人(よない よしと、1933年1月5日 - 2017… 米内 義人(よない よしと、1933年1月5日 - 2017年6月13日)は日本の教育・文化映画の脚本・演出家、シナリオライター、監督。代表作に「振動の世界」、「日本住血吸虫」や「水車から電気へ」などがある。父は日本画家の米内穂豊。兄は米内貞弘。 米内義人は、1933年(昭和8年)1月5日、東京市本郷区に生まれる。東京学芸大学学芸部史学科中退。日本大学芸術学部映画学科卒業。1958年(昭和33年)に監督として第一作の「美和ダム建設記録」を発表、同年から東映株式会社専属契約監督。1963年(昭和38年)から株式会社桜映画社で脚本・演出家として活躍。1967年(昭和42年)、東京文映株式会社に入社、取締役に就任、1979年(昭和54年)同社退社。
石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日… 石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日 - 2018年〈平成30年〉12月19日)は、日本の俳優、空手家。段位は剛柔流九段・極真カラテ七段。本名:石橋 雅美()。 台湾花蓮港庁花蓮港街で生まれ、福岡県柳川市へ転居。福岡県立伝習館高等学校、日本大学藝術学部演劇学科卒業。竹内事務所に所属していた。 父は職業軍人で、弟が二人いる。終戦で福岡県柳川市へ引き揚げ、高校卒業まで過ごす。 1956年、大学卒業と同時に文化座演劇研究所、文学座付属演劇研究所に入り俳優の道を進む。やがて文化座の劇団員となるが、八百屋の小僧、パチンコ屋の店員、荷かつぎ人夫、学生時代から修行をしている空手では大山道場と草創期の極真会館で師範代をして生活費を稼ぎ、演劇『その人を知らず』(1957年)、『炎の人』(1958年)などの舞台に立つ。
小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2… 小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2012年11月15日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。フジテレビジョンなどで活躍した。 山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校を経て日本大学芸術学部卒業。フジテレビジョンに1期生として入社。 1967年に渥美清とともに、コメディドラマ『おもろい夫婦』を成功させた。 渥美清を山田洋次に紹介し、連続ドラマの脚本執筆を依頼した、いわばドラマ・映画『男はつらいよ』の「生みの親」である。 1968年のテレビドラマ『男はつらいよ』で演出を手掛けた。同年8月27日、作詞家の星野哲郎に、渥美清が歌う主題歌『男はつらいよ』の作詞を依頼した。1969年公開の映画『続・男はつらいよ』では、山田洋次、宮崎晃と共同で脚本を書いた。
勝木敏之(かつき としゆき、1933年 - )は、青森県出身… 勝木敏之(かつき としゆき、1933年 - )は、青森県出身の元俳優。本名は長内章蔵。昭和30年代に放送されて人気を博した連続テレビドラマ『快傑ハリマオ』のハリマオ役として知られる。 1933年、青森市に生まれる。 1952年、青森県立青森工業高等学校電気科を卒業後、日本大学芸術学部映画学科に進学。 1956年、劇団俳優座の演劇研究所付属俳優養成所の第8期生となる。同期には山﨑努・水野久美・山本耕一・河内桃子・柳川慶子などがいる。 1960年から1961年まで日本テレビ系列で放送された宣弘社製作のテレビドラマ『快傑ハリマオ』では、一般公募による200人の中から主役に選ばれてハリマオを演じた。芸名は、LP「なつかしの少年映画名作劇場 快傑ハリマオ」に寄せた安井ひさしの紹介によると、宣弘社社長の小林利雄が自分の名前の「利」を「敏」に変えて命名したと言う。
豊原 路子(とよはら みちこ、1933年 - )は、日本の作… 豊原 路子(とよはら みちこ、1933年 - )は、日本の作家である。女優として映画に出演もした。旧筆名家嶋 芙美子(いえしま ふみこ)。本名・出生名等不明。 1933年(昭和8年)に生まれる。日本大学法学部政治経済学科を卒業後、英文タイピスト、ホステスを経験する。 1958年(昭和33年)、東京ライフ社から「家嶋芙美子」名義で、最初の著書『銀座のエロス』を上梓する。翌1959年(昭和34年)、朱雀社から、「豊原路子」名義での最初の著書『マンハント』を上梓する。第二書房から、1960年(昭和35年)10月には『体当たり男性論』、翌1961年(昭和36年)8月には『体当りマンハント旅行記』を上梓している。
脇 リギオ(わき りぎお、1933年 - )は多摩美術大学教… 脇 リギオ(わき りぎお、1933年 - )は多摩美術大学教授(2004年定年退官)で、写真家。京都生まれ。 日本大学芸術学部卒業。脇色彩写真研究所(1973年設立)を主宰。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
谷川 禎次郎(たにかわ ていじろう、1932年〈昭和7年〉1… 谷川 禎次郎(たにかわ ていじろう、1932年〈昭和7年〉12月20日 - 2025年5月13日)は、日本の元競泳選手。1952年ヘルシンキオリンピック男子800mフリーリレー銀メダリスト。大分県出身。メディアによっては谷川 禎治郎とも表記される。日本大学経済学部卒業。 1952年のヘルシンキオリンピック男子800mフリーリレーで鈴木弘、浜口喜博、後藤暢とともに銀メダルを獲得。 2025年5月13日、急性大動脈解離により死去。92歳没。
田口 周(たぐち いたる、 1932年12月18日 - 20… 田口 周(たぐち いたる、 1932年12月18日 - 2006年7月19日)は、日本のスポーツライター、高校野球指導者、プロ野球監督・球団経営者。東京都出身。 日本大学第三高等学校、日本大学卒業。共に野球部に所属し、一塁手、投手として活躍。右投右打。 1956年、日刊スポーツ野球記者となる。 1960年、母校の日本大学第三高等学校野球部監督に就任。1962年の選抜高等学校野球大会では準優勝に導く。 その後、日刊スポーツ野球記者に復帰後、1968年2月、高校野球での実績を買われ、プロ経験はないもののサンケイアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)二軍監督に就任。1971年・1972年と2年連続でイースタン・リーグ優勝を果たした。
吉川 文夫(よしかわ ふみお、1932年12月18日 - 2… 吉川 文夫(よしかわ ふみお、1932年12月18日 - 2007年8月11日)は、日本の鉄道研究家。 東京本郷の尚工舎(現・シチズン時計)の工場を運営する家に生まれる。祖父は元工場長の吉川政吉、父は元NHK芸能局長の吉川義雄。幼少時東京都世田谷区に住み、近所の井の頭線、小田急線、東急線などを見て育ち、東急は小学校の通学にも使った(都市名・社名・路線名は現在のもので表現)。1955年(昭和30年)3月日本大学第二工学部電気工学科卒業。 のちに神奈川県鎌倉市に家を構え、本業は池貝鉄工勤務、累進して溝の口工場長を最後に退職。その後、大和電業に勤務し、関東学院大学、神奈川大学(いずれも工学部)で非常勤講師も務めた。
久島 正(ひさじま ただし、1932年(昭和7年)11月26… 久島 正(ひさじま ただし、1932年(昭和7年)11月26日 - 2005年(平成17年)2月26日)は、日本の政治家・地方公務員だった人物。 北海道北見市長(1987年-1995年、2期)。北見工業大学教授を歴任した。 北海道常呂郡訓子府町出身。北見市で育つ。 1956年(昭和31年)に日本大学旧工学部建築学科卒業。卒業後、市の職員として技師に就く。その後、北見市商工部長、同建設部長、同企画部長、同総務部長を歴任し、1983年(昭和58年)に同助役に就く。1987年(昭和42年)に寺前武雄の勇退を受けて、北見市市長選挙に出馬し初当選する。2期8年を務め、1995年(平成7年)に新人の小山健一に敗れ落選した。
田沢 智治(たざわ ともはる、田澤 智治、1932年(昭和7… 田沢 智治(たざわ ともはる、田澤 智治、1932年(昭和7年)11月23日 - 2006年(平成18年)11月21日)は、日本の政治家。位階は正四位。勲等は旭日重光章。参議院議員、法務大臣、日本大学理事、日本会理事長を歴任。 神奈川県横浜市出身。1956年に日本大学法学部を卒業。日大会頭・古田重二良の懐刀である。 日大評議員などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から出馬し、初当選。その後、比例区から立候補して、連続当選3回。党内では福田派→安倍派→三塚派に所属。 第2次中曽根内閣 (第1次改造)の通商産業政務次官、参議院文教委員長を経て、1995年の8月に村山改造内閣の法務大臣として初入閣したが、かねてから親密な関係にあった立正佼成会からの2億円借り入れ問題が発覚した。
石塚 貢(いしづか みつぐ、1932年11月22日 - 20… 石塚 貢(いしづか みつぐ、1932年11月22日 - 2020年11月16日)は、日本の科学技術官僚。私立大学出身者としては初となる科学技術事務次官や、海洋科学技術センター理事長、科学技術会議議員などを歴任した。 1959年日本大学理工学部機械工学科卒業、科学技術庁入庁、原子力局管理課。1971年外務省経済協力開発機構日本政府代表部一等書記官。1974年科学技術庁原子力局放射能課長。その後核燃料規制課長、調査国際協力課長、原子炉規制課長、総合研究課長と課長職を5つ務め、1983年科学技術庁長官官房秘書課長。1986年原子力委員会専門委員。1987年科学技術庁原子力安全局長。1988年科学技術庁科学技術政策局長。
葉山 良二(はやま りょうじ、1932年11月9日 - 19… 葉山 良二(はやま りょうじ、1932年11月9日 - 1993年1月3日)は、日本の俳優。千葉県鴨川市出身。本名は山口 良一郎。妻は浜田ゆう子。 日本大学経済学部在学中に1953年度ミスター平凡グランプリの栄冠に輝いたのが縁で、日活第2期ニューフェイスとなる。日活スターの一人として数々の映画に出演した。 映画産業の斜陽化後はテレビに活動の場を移し『非情のライセンス』の四方刑事、『特別機動捜査隊』の日高主任などを演じる一方、重厚な悪役としても活躍。時代劇の黒幕役などで憎々しい演技を見せた。また事業経営にも乗り出し、1977年に名古屋で舶来雑貨店、1980年に東京・銀座で宝石店を開くが、1985年に手形詐欺に遭い両店共に倒産した。
荒川 通 (あらかわ とおる、1932年11月 - 2015… 荒川 通 (あらかわ とおる、1932年11月 - 2015年6月20日)は、 和道流空手の達人。 公益財団法人全日本空手道連盟相談役、全日本空手道連盟 和道会 技術委員長、東京商船大学師範を歴任した。日本で全日本空手道連盟公認九段を取得された数少ない空手家の1人。 岐阜県出身。 荒川通は、18歳のときに日本大学で空手のトレーニングを開始。当時の日本大学空手部には、和道流の大塚博紀が師範を務め、1学年先輩に真野高一や鈴木達夫、同期に道原伸司や高島甫などが所属していた。1960年代初頭、 鈴木達夫 、 高島甫とともに欧米を旅し、欧米の空手人気を高めた。 荒川は1962年から1979年まで全日本空手道連盟マネージャーを務めた。
長浜 忠夫(ながはま ただお、1932年〈昭和7年〉9月26… 長浜 忠夫(ながはま ただお、1932年〈昭和7年〉9月26日 - 1980年〈昭和55年〉11月4日)は、日本のアニメ監督、舞台演出家。鹿児島県鹿児島市出身。あおいあきらのペンネームで作詞も手がけた。 中学生時代から演劇部で活動。鹿児島放送劇団に所属し、演出を担当する。日本大学芸術学部演劇学科に進学。舞台芸術学院、キリン座、青年俳優クラブ、劇団民藝(宇野重吉に師事)で演劇を学びながら、演劇雑誌『テアトロ』編集部でアルバイトをする。 1960年代前半、人形劇団ひとみ座の演出部に所属していた頃、テレビの人形劇(NHK『ひょっこりひょうたん島』、TBSテレビ『伊賀の影丸』)の演出を担当。その後、ひとみ座の同期で『伊賀の影丸』の製作者でもあった藤岡豊が設立したアニメ制作会社東京ムービーのアニメ制作を担当していたAプロダクションへ入社する。
坂本 登(さかもと のぼる、1932年9月20日 - 198… 坂本 登(さかもと のぼる、1932年9月20日 - 1989年1月27日)は、群馬県出身のプロ野球選手。 桐生工業高校から日本大学を経て1955年に阪急ブレーブスへ入団。