菅原 信海(すがわら しんかい、1925年10月10日 - … 菅原 信海(すがわら しんかい、1925年10月10日 - 2018年2月11日)は、日本の仏教学者、早稲田大学名誉教授、天台宗僧侶(勧学・大僧正・日光山輪王寺執綱・妙法院門跡門主)。栃木県日光市生まれ。 天台宗庶務部長・教学部長菅原英信の子に生まれる。昭和26年(1951年)、早稲田大学第一文学部東洋哲学専修卒業。同大講師・助教授を経て、昭和47年(1972年)教授。1991年「山王神道の基礎的研究」で大正大学文学博士。早稲田大学仏教青年会第7代会長も務める。 2000年に妙法院門跡に就任し、2001年には坂本・東南寺で戸津説法を務める。 2018年2月11日午前9時25分、転移性肝癌のため栃木県日光市の病院で死去した。
大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月1… 大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉6月12日)は、日本・沖縄の政治家・社会学者。元沖縄県知事(2期)、元社会民主党参議院議員(1期)。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。 沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 母校の小学校の用務員などを経て、東京の工学院へ特待生で進学する予定であったが、親戚のつてで沖縄師範学校に進学する。在学中の1945年(昭和20年)3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦の中、九死に一生を得るが多くの学友を失う(同期125人中生存は大田を含めて37人)。
中村 尚美(なかむら なおよし、1925年5月16日 - )… 中村 尚美(なかむら なおよし、1925年5月16日 - )は、日本の日本近代史学者。 茨城県出身。早稲田大学文学部国史学科卒。早稲田大学助教授、社会科学部教授。1996年定年、名誉教授。
加藤 一郎(かとう いちろう、1925年5月2日 - 199… 加藤 一郎(かとう いちろう、1925年5月2日 - 1994年6月19日)は、日本のロボット工学者。 日本のロボット工学、バイオメカニクス、ヒューマノイド研究の第一人者で、義手の研究から人型ロボット研究に入り、1973年に世界初の二足歩行可能なフルスケール人間型ロボット「WABOT-1」、1984年に音楽演奏ロボット「WABOT-2」、動完全歩行する「WL-10RD」等を製作した。千葉工業大学講師、早稲田大学助教授、教授、理工学部長を歴任。バイオメカニズム学会、日本ロボット学会、日本IFToMM会議の創立者、会長。早稲田大学教授在職中に逝去し、加藤研究室は弟子の高西淳夫、菅野重樹に受け継がれた。
小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )… 小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1949年早稲田大学文学部哲学科心理学卒業。1974年「乳幼児における自己制御機構の発達的研究」で文学博士。早大講師を経て、1959年文学部教授。家庭裁判所研修や国立公衆衛生院の講師も併任した。1995年定年退官、名誉教授。
岡崎 晋(おかざき すすむ、1925年3月8日 - )は、日… 岡崎 晋(おかざき すすむ、1925年3月8日 - )は、日本の北欧文学者、東海大学名誉教授。 島根県益田市出身。1945年陸軍特別幹部候補生水上特攻隊除隊、1949年京都府農林専門学校農学科卒業、1951年早稲田大学文学部卒業、54年同大学院修士課程修了。55-59年デンマークのコペンハーゲン大学およびアイスランド大学で一般言語学、デンマーク語、アイスランド語を学ぶ。1967年東海大学文学部北欧文学科専任講師となり、助教授、教授。95年定年退職、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
清水 司(しみず つかさ、1925年(大正14年)1月22日… 清水 司(しみず つかさ、1925年(大正14年)1月22日 - 2017年(平成29年)10月21日)は、日本の工学者。早稲田大学第11代総長。早稲田大学名誉教授。学校法人渡辺学園名誉理事長。専門は電波工学。1997年文化功労者。新潟県新潟市出身。位階は従三位。 1948年早稲田大学理工学部電気通信学科を卒業、1953年から同大にて大学院文部省特別研究生(1958年3月まで)。1960年工学博士(博士論文「フェライトを用いたマイクロ波回路素子の設計に関する研究」)。1953年同大助手に採用。専任講師、助教授を経て1965年から同大教授(1984年3月まで)。この間、1970年から常任理事(8年間)、1978年11月から第11代総長(4年間)を歴任。
昌子 武司(しょうじ たけし、1925年 - )は、日本の教… 昌子 武司(しょうじ たけし、1925年 - )は、日本の教育学者。 島根県生まれ。早稲田大学文学部心理学科、同大学院修士課程修了。アイオワ州立大学附属小児精神医学センター、東京都立教育研究所相談部、国立特殊教育総合研究所、大妻女子大学児童学科教授、兼児童臨床センター教授、エルベ臨床心理研究センター所長。乗馬を趣味とし、大学へ馬で通い、東海道を騎馬旅行した。
山本晴義(やまもと はるよし、1925年 - 2017年4月… 山本晴義(やまもと はるよし、1925年 - 2017年4月2日 )は、日本の哲学者、大阪経済大学名誉教授。専攻は社会思想史・哲学。 大阪市生まれ。1948年早稲田大学文学部卒業。大阪経済大学助教授、教授、96年定年退任、名誉教授、大阪哲学学校校長。
原 子朗(はら しろう、1924年12月27日 - 2017… 原 子朗(はら しろう、1924年12月27日 - 2017年7月4日)は、日本の詩人、日本近代文学研究家、早稲田大学名誉教授、元宮沢賢治イーハトーブ館館長、早稲田大学出版部取締役。宮沢賢治、文体論などを研究する。 長崎県出身。早稲田大学文学部卒業、早稲田大学大学院中退。 日夏耿之介、吉田一穂に師事。1950年『詩世紀』創刊に参加。『文藝首都』編集同人として近代詩論などを執筆。立正女子大学、早稲田大学政治経済学部教授を歴任。 1986年『石の賦』で現代詩人賞受賞。 1993年『宮沢賢治語彙辞典』で宮沢賢治賞受賞。 1995年、早稲田大学を定年退職し、名誉教授。昭和女子大学教授に転じる。 2012年、瑞宝小綬章受章。
相場 均(あいば ひとし、1924年12月5日 - 1976… 相場 均(あいば ひとし、1924年12月5日 - 1976年9月3日)は、日本の心理学者。専門は、臨床心理学・精神病理学。学位は、医学博士(慶應義塾大学・1960年)。早稲田大学教授・コロンビア大学教授を歴任。妻は女優の高田敏江。妹は宗教哲学者の川中なほ子。 東京生まれ。1950年早稲田大学文学部心理学科卒。桜ヶ丘保養院神経科勤務、慶應義塾大学医学部神経科助手を経て、1951年米国テキサス大学オースティン校、1954年西ドイツテュービンゲン大学客員研究員。1956年早稲田大学文学部助教授。1960年医学博士(慶應義塾大学)。後にコロンビア大学客員教授、早稲田大学文学部心理学科教授。1976年急性心不全により長野県松本市で死去。
清水 望(しみず のぞむ、1924年(大正13年)11月15… 清水 望(しみず のぞむ、1924年(大正13年)11月15日 - 2014年(平成26年)12月3日[要出典])は、日本の法学者、早稲田大学名誉教授。 内村鑑三の弟子・清水繁三郎の子として長崎県長崎市に生まれる。1948年早稲田大学政経学部政治学科卒、助手、講師、助教授、1960年教授。1970年「西ドイツの政治機構」で政治学博士(早稲田大学)。1995年定年退任、名誉教授。妻の義弟が松澤弘陽。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大島 清次(おおしま せいじ、1924年(大正13年)11月… 大島 清次(おおしま せいじ、1924年(大正13年)11月13日 - 2006年(平成18年)11月23日)は、昭和から平成にかけての日本の美術史家、美術評論家。 栃木県宇都宮市生まれ。1951年(昭和26年)に早稲田大学文学部を卒業。その後、栃木県立高等学校教諭や法政大学文学部講師を経て、1972年(昭和47年)に栃木県立美術館副館長、1981年(昭和56年)に同館長となった。1986年(昭和61年)に世田谷美術館長となり、2005年(平成17年)まで務めた。2006年(平成18年)11月23日、肺炎のため栃木県下野市の病院で死去した。 フランス絵画史やジャポニスムの研究を専門とし、特にジャポニスム研究においては先駆的で本格的な研究業績を残した。
後藤 淑(ごとう はじめ、1924年9月26日 - 2010… 後藤 淑(ごとう はじめ、1924年9月26日 - 2010年1月)は、日本演劇研究者、昭和女子大学名誉教授。 愛知県生まれ。1946年旧制早稲田大学文学部演劇学科卒。1976年「能楽の起源」で日本演劇学会河竹賞受賞。1977年「能楽の起源」で早稲田大学文学博士。昭和女子大学教授、同女性文化研究所所長、同特任教授、同名誉教授。
野崎 直治(のざき なおじ、1924年8月12日 - 200… 野崎 直治(のざき なおじ、1924年8月12日 - 2009年4月21日)は、日本の西洋史学者。専門は西洋中世社会経済史。早稲田大学名誉教授。 埼玉県川口市生まれ。1951年早稲田大学文学部西洋史学科卒業。1954年早稲田大学大学院文学研究科史学修士課程修了。ドイツなどヨーロッパ中世社会経済史が専門。1988年、「ドイツ中世農村史の研究」により文学博士の学位を授与。 早大文学部専任講師、助教授をへて、教授。早稲田大学史学会会長、日本歴史学協会監事、社会経済史学会理事・顧問等を歴任。1995年定年、同大学名誉教授となる。2002年、勲三等瑞宝章を受章。
石丸 俊彦(いしまる としひこ、1924年6月28日 - 2… 石丸 俊彦(いしまる としひこ、1924年6月28日 - 2007年4月1日)は、日本の裁判官、法学者。専門は刑事法。元東京高等裁判所総括判事。元早稲田大学法学部客員教授。 16歳で陸軍予科士官学校に入学する。 1944年、陸軍士官学校を卒業し、歩兵部隊の少尉に任ぜられ、ビルマの戦地に送られる。敗北で撤退の後、帰国して本土決戦要員に任じられた状態で日本の敗戦を迎えた。当時の上官は敗戦が決まった後、「諸君らは生きて、この国を立て直して欲しい」と言い残して割腹自決したという。 1951年、早稲田大学法学部(旧制)を卒業、同年司法修習生となる。1953年に判事補に任官した。 以降、裁判官として福岡地方裁判所、東京地方裁判所、最高裁判所調査官、司法研修所教官、裁判所書記官研修所長、佐賀地方裁判所所長等を歴任した。
鳥羽 欽一郎(とば きんいちろう、1924年4月3日 - )… 鳥羽 欽一郎(とば きんいちろう、1924年4月3日 - )は、日本の経営学者、早稲田大学名誉教授。
鈴木 英寿(すずき ひでとし、1924年1月1日 - 200… 鈴木 英寿(すずき ひでとし、1924年1月1日 - 2002年3月20日)は、日本の経営学者。早稲田大学名誉教授。ドイツ経営学が専門。 東京出身。早稲田大学商学部卒。1966年「経営学の方法 西ドイツ経営学を中心として」で商学博士。早稲田大学商学部助教授、教授を務め、1994年定年、名誉教授となった。2000年、勲三等旭日中綬章受章。
小林 太三郎(こばやし たさぶろう、1923年(大正12年)… 小林 太三郎(こばやし たさぶろう、1923年(大正12年)11月13日 - 2012年(平成24年)9月20日は、日本の経営学者。欧米やアジアの大学には日本と違って広告学部や広告学科があり、多くの研究者がいるが、広告研究においては日本の第一人者。商学博士、早稲田大学名誉教授(大学院商学研究科、商学部)。広告研究で博士号を取り、大学院で広告研究の講義をし、広告研究のゼミナールを持った日本最初の人物。著書である『広告管理の理論と実際』同文舘(1968)は669ページに及ぶ大著。露出、認知、態度といった消費者行動の段階を明確に定義づけ、学会業界で使用する広告関連用語の標準化に貢献した。また、多くの広告研究者を世に送り出した(亀井昭宏、小林保彦、嶋村和恵、中山勝己、清水公一、松井陽通、石崎徹、小泉眞人)。日本広告学会設立に尽力し、長年会長を務め、日本学術会議会員として活躍した。アメリカ広告学会、アメリカ・マーケティング協会、アメリカ・ダイレクトメール/マーケティング協会(AMA)、アメリカ広告調査財団(ARF)会員。ミシガン州立大学ゴードン・E・ミラクルは友人。IAA世界広告会議が東京で開催された折、司会を務め、慰労のため東宮御所に招かれる。
森 護(もり まもる、1923年10月6日 - 2000年)… 森 護(もり まもる、1923年10月6日 - 2000年)は、日本の紋章学者。専攻は西洋紋章学、英国王室史。大阪港紋章の製作を指導・監修し、その生みの親として大阪市から紹介されている。 1923年に奈良県で生まれた森は、1946年に早稲田大学商学部を卒業し、同年NHKに入社した。NHKでは、政治部記者、神戸放送局放送部長、国際局報道主管などを経て、1980年にNHKを定年退職した。その後文教大学講師も務め、文筆家として多くの著作を残す。また、退職の同年、大阪港紋章製作に協力した。 森は、大阪市にある大阪港の紋章のデザインに関わっている。世界の港湾都市の間では、「姉妹港都」の友好を結ぶ際にお互いの港の紋章を描いたレリーフを交換する風習がある。
掛下 栄一郎(かけした えいいちろう、1923年〈大正12年… 掛下 栄一郎(かけした えいいちろう、1923年〈大正12年〉9月13日 - 2011年〈平成23年〉8月6日)は、日本の哲学者、早稲田大学名誉教授。専門は哲学及び美学。 佐賀県大牟田市に生まれ、数ヶ月後に和歌山県和歌山市に移る。和歌山県立和歌山中学校を経て、1942年4月に第二早稲田高等学院文科に入学する。1943年12月、学徒出陣により大阪の高射砲隊に入隊し、満州にて幹部候補生としての教育を受ける。1946年1月、早稲田大学文学部哲学科(西洋哲学専修)に復学する。1947年10月に卒業した後、大学院において樫山欽四郎の指導を受け、また、早稲田大学図書館書記に嘱託される。 1949年4月、早稲田大学高等学院の助手となる。
杉浦 宏(すぎうら ひろし、1923年9月10日 - 200… 杉浦 宏(すぎうら ひろし、1923年9月10日 - 2005年5月6日)は、日本の教育学者。 東京出身。早稲田大学教育学部卒。北里大学助教授、教授、東京国際大学教授。ジョン・デューイを主として研究した。 2005年5月6日、前立腺癌のため死去。
中嶋 博(なかじま ひろし、1923年6月12日 - )は、… 中嶋 博(なかじま ひろし、1923年6月12日 - )は、教育学者、早稲田大学名誉教授。
染谷 恭次郎(そめや きょうじろう、1923年4月15日 -… 染谷 恭次郎(そめや きょうじろう、1923年4月15日 - 2000年1月3日)は、日本の会計学者。東京都出身。早稲田大学名誉教授。専門分野は財務会計であるが、管理会計・経営分析・原価計算・監査に関する書物や論文も多い。 早稲田大学商学部卒業。早稲田大学では佐藤孝一博士の下で会計学を学ぶ。1946年卒業後商学部助手に採用され、専任講師・助教授を経て1955年に教授。 1962年には商学博士の学位を授与される。早稲田大学教務部長・商学部長・早稲田大学大学院商学研究科委員長等を歴任。1984年に設立された国際会計研究学会では発起人を務め、初代会長となる。1985年から1988年にかけて日本会計研究学会の会長等を務めるなど、日本における会計学の発展に貢献した。
山口 年一(やまぐち としかず、1923年1月26日 - 2… 山口 年一(やまぐち としかず、1923年1月26日 - 2006年2月12日)は、日本の会計学者。亜細亜大学名誉教授。 神奈川県足柄下郡生まれ。1954年早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。 1957年亜細亜大学商学部専任講師、62年助教授、65年教授、70年経営学部教授。93年定年、名誉教授となる。
佐口 卓(さぐち たかし、1923年1月2日 - 2000年… 佐口 卓(さぐち たかし、1923年1月2日 - 2000年3月11日)は、日本の社会制度学者。学位は、商学博士(早稲田大学・論文博士・1978年)(学位論文『日本社会保険制度史』)。早稲田大学名誉教授。 東京都生まれ。早稲田大学商学部卒、早稲田大学商学部助教授、教授を歴任し、1993年には早稲田大学名誉教授となる。 2000年3月11日、多臓器不全のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
植田 重雄(うえだ しげお、1922年12月24日 ‐ 20… 植田 重雄(うえだ しげお、1922年12月24日 ‐ 2006年5月14日)は、日本の宗教学者、早稲田大学名誉教授。 静岡県生まれ。早稲田大学文学部卒。1976年、「宗教現象における人格性・非人格性の研究」で文学博士(早大)。早稲田大学商学部助教授を経て、教授。1983年に定年退任、名誉教授。1999年、勲三等瑞宝章受章。 ヨーロッパの宗教民俗学や、キリスト教神秘主義を研究した他、師事した会津八一の著作の編纂・多くの評伝研究を著した。 2006年5月14日、胃癌のため死去。
小林孝輔(こばやし たかすけ、1922年11月11日 - 2… 小林孝輔(こばやし たかすけ、1922年11月11日 - 2004年11月19日)は、日本の法学者。専門は、憲法学(日本憲法史・ドイツ憲法史)。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1981年)(学位論文「近代ドイツ国法思想の史的研究」)。青山学院大学名誉教授。 大雲山金龍寺(調布市)住職の長男として、1922年に東京市神田区で誕生。旧制世田谷中学(現在の世田谷学園中学校・高等学校)で学び、僧籍を得た後に早稲田大学に進学。1944年早稲田大学法学部独法科卒業。兵役をへて1950年早稲田大学大学院(旧制)修了。 1950年立正大学経済学部講師。1951年青山学院大学経済学部講師、1953年青山学院大学経済学部助教授、1959年青山学院大学法学部教授、1969年青山学院大学法学部長。
高島 平蔵(たかしま へいぞう、1922年10月6日 - 2… 高島 平蔵(たかしま へいぞう、1922年10月6日 - 2009年8月21日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1970年)(学位論文『近代的物権制度の展開と構成』)。早稲田大学名誉教授。東京都生まれ。 物権法・担保物権法を中心に研究し、同分野では確固たる学問的地位を確立した。また、方法論としての民法解釈学についても大きな足跡を残し、早稲田大学法学部の最終講義では「民法解釈学について」というテーマで記念講義をした。法学教育にも熱心で、早稲田大学法学会傘下の学生研究サークル「民法研究会」を30年余りにわたって顧問として指導し、同会の主催する模擬裁判は早稲田大学法学部の伝統を築いた。
菊池幸子(きくち さちこ、1922年7月25日-2004年2… 菊池幸子(きくち さちこ、1922年7月25日-2004年2月7日)は、日本の教育社会学者。文教大学名誉教授。 青森県出身。早稲田大学文学部社会学科卒、1948年同大学院修了、1950年宮城県立教育研究所研究員、つづいて川崎市教育研究所、東京都立教育研究所指導主事を経て、1966年立正女子大学助教授、校名変更で文教大学教授となり、92年定年、名誉教授、聖徳大学教授を務めた。1978年に社団法人福祉社会研究所の設立以来、20年間に亘って所長・理事長を務めた。2001年勲四等宝冠章受勲。
新谷 敬三郎(あらや けいざぶろう、1922年3月20日 -… 新谷 敬三郎(あらや けいざぶろう、1922年3月20日 - 1995年11月6日)は、日本のロシア文学者、早稲田大学名誉教授。 北海道小樽市色内町で生まれる(生家は漁網の卸し問屋)。1949年3月早稲田大学文学部露文科卒業。大学院に進んだのち1950年6月早稲田大学文学部副手、1954年小樽商科大学講師、1957年早稲田大学第一文学部・第二文学部専任講師、1960年早稲田大学助教授、1965年教授、1992年定年、名誉教授。ドストエフスキーが専門で、バフチンのドストエフスキー論を訳した。 1995年11月6日、胃癌のため小金井市の聖ヨハネ会桜町病院ホスピスにて死去。
宇野政雄(うの まさお、1922年3月4日 - 2009年4… 宇野政雄(うの まさお、1922年3月4日 - 2009年4月27日)は、日本の経営学者。早稲田大学名誉教授。日本学術会議会員。 商品学、流通機構、消費者問題などを早くから手がけた。 東京(現目黒区)出身。1943年早稲田大学商学部卒。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入校。1944年3月、経理学校を卒業し、海軍主計中尉に任官。広島監督官事務所に配属され、原価計算、会計監査など軍需工場の指導に従事。1945年3月、主計大尉に進み終戦を迎えた。1946年早稲田大学商学部講師、49年同商学部助教授、53年同教授。同社会科学研究所長、システム科学研究所長。92年定年、名誉教授、城西国際大学経営情報学部教授、学部長。
谷 資信(たに すけのぶ、1922年2月8日 - 1999年… 谷 資信(たに すけのぶ、1922年2月8日 - 1999年5月10日)は、日本の建築構造学者、構造家。早稲田大学名誉教授。 1922年、東京に生まれる。1945年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、早稲田大学専門部工科専任講師。1949年早稲田大学理工学部専任講師に転任。1953年同大学助教授就任。1960年工学博士。1963年同教授就任。1981年、早稲田大学専門学校校長兼務。1992年退職。1979年「耐震要素の配置と復元力特性に関する研究」にて日本建築学会賞受賞。1987年から1988年まで日本建築学会会長。1995年日本建築学会賞大賞受賞。1997年、勲三等瑞宝章受章。 構造設計にスカイハウス(1958年建設,東京都文京区大塚)、古川市民会館(1966 年建設,宮城県古川市)、鎌倉商工会議所会館など多数。
有田 潤(ありた じゅん、1922年1月24日 - 2011… 有田 潤(ありた じゅん、1922年1月24日 - 2011年4月11日)は、日本の哲学・語学研究者。 東京出身。1946年に早稲田大学文学部哲学科、1951年にアテネ・フランセを卒業、早稲田大学商学部助教授、教授(ドイツ語)を歴任し、1992年に定年退任、名誉教授。ギリシア哲学・ヘレニズム哲学、ドイツ語学、対照文法、ショーペンハウアーなどを研究し、翻訳も行なった。
関根鎮彦(せきね しずひこ、1922年- )は、日本の地理学… 関根鎮彦(せきね しずひこ、1922年- )は、日本の地理学者。 東京市深川生まれ。兵役ののち、1949年早稲田大学文学部人文地理専攻卒。同助手をへて、各大学非常勤講師を務めた。
川原 栄峰(かわはら えいほう、1921年10月10日 - … 川原 栄峰(かわはら えいほう、1921年10月10日 - 2007年1月23日)は、日本の哲学者。僧侶、早稲田大学名誉教授。主としてハイデッガー哲学を研究した。 徳島県の真言宗の寺に生まれる。1943年早稲田大学文学部哲学科卒業。卒業直後、砲兵隊に入隊。戦後は高野山で修行に励み、そのまま高野山大学の教員となった。1957年早稲田大学法学部に移り、1973年同大学文学部教授。1977年「ハイデッガーの思惟」で早稲田大学文学博士。 1955年頃からドイツへの留学をかさね、カール・ヤスパースやマルティン・ハイデッガーといった人物と交友を持った。ハイデルベルク大学(1956-1957年、1977-1978年)やマインツ大学(1982-1983年)に学ぶ。
牛島 盛光(うしじま もりみつ、1921年6月23日 - 2… 牛島 盛光(うしじま もりみつ、1921年6月23日 - 2004年10月27日)は、日本の民俗学者。 熊本県人吉市生まれ。早稲田大学文学部卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 アトランタ大学(英語版)大学院修了。熊本短期大学助教授、教授、熊本商科大学教養部教授、1991年定年、熊本学園大学名誉教授。 2004年10月27日、膵臓癌のため死去。
滝沢 武雄(たきざわ たけお、正字体:瀧澤 武雄、1921年… 滝沢 武雄(たきざわ たけお、正字体:瀧澤 武雄、1921年4月12日 - 2022年6月6日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。日本貨幣史、東北史を研究した。 東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区)出身。1943年早大文学部史学科国史学卒、1947年同大学院中退。早大文学部助教授、1971年教授、1992年定年退任、名誉教授。1996年春、勲四等旭日小綬章受勲。
三崎良周(みさき りょうしゅう、1921年-2010年)は、… 三崎良周(みさき りょうしゅう、1921年-2010年)は、天台宗の僧、仏教学者。 埼玉県生まれ。早稲田大学文学部卒。1981年「台密の研究」で早稲田大学より文学博士。早稲田大学文学部助教授、教授。91年定年、名誉教授。1980-91年早稲田大学仏教青年会会長。
小堀 鐸二(こぼり たくじ、1920年11月15日 - 20… 小堀 鐸二(こぼり たくじ、1920年11月15日 - 2007年9月5日)は、日本の建築構造学者。構造家。京都大学名誉教授。(株)鹿島建設最高技術顧問。専門は、耐震工学・地震工学。 京都大学教授、建設省・通産省の建築部会長、鹿島建設代表取締役副社長を歴任、1986年11月株式会社小堀鐸二研究所を設立。高層ビルの制震構造を開発、実用化した。 1950年代に「制震理論」を提唱、「制震」という言葉を世に広めた。小堀は関東大震災を2歳9カ月で被災している。小堀は、地震に対して受け身の姿勢でなく、能動的に対処していく必要を説き、「難度が最も高い地震を制御できれば、風による振動や機械振動など他の振動の制御はよりたやすくなる」「制御技術の難易度からすれば、むしろ『制震』が『制振』を包含するとみなければならない」と述べている。
木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年… 木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年2月17日)は、日本の政治史学者。 埼玉県春日部市生まれ。1944年早稲田大学文学部史学科卒業。学徒出陣で入隊、復員後は早稲田大学高等学院教諭をへて、68年早稲田大学社会科学部教授。75-83年社会科学研究所長。91年定年退任、名誉教授。
松井 源吾(まつい げんご、1920年6月3日 - 1996… 松井 源吾(まつい げんご、1920年6月3日 - 1996年1月11日)は、日本の構造家。早稲田大学建築学科で長く教鞭をとりながら、菊竹清訓や黒川紀章など著名な建築家と数多くの建築を生み出してきた構造設計者の一人である。学外では、構造設計事務所ORS事務所を創設し、設計活動を展開した。また、現場打ち中空ボイドスラブ工法など、研究開発した工法も多数。早稲田大学退官後は、構造設計の賞として松井源吾賞を創設。構造エンジニア、構造設計者らの育成と地位の向上にも力を注いでいた。 代表作に、菊竹清訓や黒川紀章など一連の建築作品における構造設計、早稲田大学理工学部51号館(1967年)、中銀カプセルタワービル(1972年)、BIGBOX高田馬場(1973年)、世田谷美術館(1985年)、坂茂の紙の家(1995年)の構造設計など多数。
霜田 美樹雄(しもだ みきお、1920年3月30日 - 20… 霜田 美樹雄(しもだ みきお、1920年3月30日 - 2016年2月5日)は、日本の政治学者。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。1947年早稲田大学政治経済学部卒。名城大学助教授、早稲田大学政経学部教授。1989年退職、名誉教授、聖学院大学政治経済学部教授。1980年『キリスト教は如何にしてローマに広まったか』でマルコ・ポーロ賞受賞。1995年、勲三等瑞宝章受章。墓所は多磨霊園。
岩瀬 孝(いわせ こう、1920年1月7日- 2002年1月… 岩瀬 孝(いわせ こう、1920年1月7日- 2002年1月26日)は、日本のフランス文学者、演劇評論家、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。父は不二サッシ会長を務めた岩瀬悌。早稲田大学文学部仏文科卒。昭和25年(1950年)フランスのアンジェー・カトリック大学に留学の後、パリ大学文学部博士課程第一年度修了。フランス演劇の翻訳、演劇評論で活躍し、早大文学部助教授、教授、1990年定年退職、名誉教授。長女の夫・安川壮一は安川第五郎の孫。
助野 健太郎(すけの けんたろう、1920年1月1日 - 1… 助野 健太郎(すけの けんたろう、1920年1月1日 - 1993年9月11日)は、日本史学者。 横浜出身。1942年早稲田大学文学部史学科卒。南方へ出征し、1946年復員、滋賀県の近江兄弟社に1948年まで参加する。大学院で学び、関東学院六浦中学校・高等学校教諭、聖心女子大学文学部助教授、教授。1991年定年、名誉教授。教え子に上皇后美智子。早大(非常勤)での教え子に小和田哲男がいた。統一教会員。日本キリシタン史が専門。
史 明(しめい、シーミン、1918年11月9日 - 2019… 史 明(しめい、シーミン、1918年11月9日 - 2019年9月20日)は、台湾の歴史家、台湾独立運動家。 中国国民党の弾圧を避けて日本に亡命し、『台湾人四百年史』を著した。台湾民主化後、帰国。台湾独立運動の指導者の一人で、「独立台湾会」の設立者。左目を失明している。本名は施朝暉(し・ちょうき、シー・ディアウフイ)。 1918年11月9日、日本統治時代の台北州士林にて出生。父の林済川は台湾の豊原出身で、若い頃に日本に留学して台湾文化協会の活動に関わり、また『台湾青年』の編集に携わる経験を持っていた。母は士林の富豪の施家の出身で、5人兄弟のうち史明だけが母の姓に従っている。 1937年に日本へ渡り、早稲田大学で政治学を学ぶ。
水野 祐(みずの ゆう、1918年7月25日 - 2000年… 水野 祐(みずの ゆう、1918年7月25日 - 2000年8月28日)は、日本の古代史学者。早稲田大学名誉教授。 1918年、東京生まれ。本名・水野正圀。石坂家の長男として生まれるが、母方の水野家の養子に入る。 東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)、第一早稲田高等学院を卒業。早稲田大学文学部史学科国史専攻で日本古代史と文化人類学を学び、1941年に卒業。1946年4月、復員。 1972年、文学博士。早稲田大学文学部教授を経て、1989年、定年、名誉教授となる。日本古代史について一般向け著書を多くなした。著作集全10巻がある。 門下生に金鉉球など。 『日本古代王朝史論序説』(1952年初版、1954年増訂版)において万世一系を否定し、日本の古代王朝は単一王朝ではなく、古王朝(先王朝と崇神王朝(崇神 - 仲哀))・中王朝(仁徳王朝(応神 - 雄略)と後仁徳王朝(飯豊))・新王朝(継体王朝)の三王朝が交替した、とする、いわゆる「三王朝交替論」を提唱した。
山崎 清(やまざき きよし、1918年5月9日 - )は、日… 山崎 清(やまざき きよし、1918年5月9日 - )は、日本の経済学者・経営学者。 東京生まれ。早稲田大学法学部仏法学科卒。三菱経済研究所、貿易研修センター勤務、東洋大学経営学部教授。89年杏林大学教授。
伊藤 毅(いとう たけし、1918年5月3日 - 1999年… 伊藤 毅(いとう たけし、1918年5月3日 - 1999年9月11日)は日本の音響工学者。 1964年東京オリンピックの開・閉会式の音響をまとめた功績等が評価され、NHK放送文化賞などを受賞した。
本明 寛(もとあき ひろし、1918年5月1日 - 2012… 本明 寛(もとあき ひろし、1918年5月1日 - 2012年12月6日)は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。1941年早稲田大学文学部心理学科卒業。1945年早稲田大学助教授、教授。1960年「刺激効果と認知特徴による自我機能診断の方法に関する研究」で早稲田大学文学博士。1989年定年退職、名誉教授。1983年紫綬褒章を受章。1988年11月勲三等旭日中綬章を受章 日本心理学会理事長(1983年 - 1989年)を務め、1988年には日本健康心理学会を創設して20年にわたり理事長を務めた。このほか、NPO健康心理教育実践センター理事長、日本認定心理士会顧問、日本心理職協会・現代QOL学会永世名誉顧問などを歴任した。