伊藤 敦基 (いとう あつき 1968年1月16日 - )は… 伊藤 敦基 (いとう あつき 1968年1月16日 - )は、CBCテレビ(中部日本放送)のスポーツ部員で、元アナウンサー。 埼玉県北本市の出身で、血液型はO型。山羊座。趣味はスキー、ゴルフ、読書、ボウリング。 埼玉県立蕨高等学校から早稲田大学法学部へ進学。早稲田大学での同期生には、NHKアナウンサーの阿部渉と元フジテレビアナウンサーの長坂哲夫が伊藤と同じ法学部、毎日放送(MBS)報道局局員の千葉猛(元アナウンサー)が教育学部、文化放送アナウンサーの斉藤一美が商学部、スポーツジャーナリストの生島淳(TBS出身のフリーアナウンサー・生島ヒロシの実弟)が社会科学部にいた。また、千葉が現在も勤務している毎日放送元社長の柳瀬璋とも同じ大学法学部の先輩と誕生日(1月16日)が一緒にあたる。
中條 現子(なかじょう あきこ、旧名仲條 亮子、本名中条 亮… 中條 現子(なかじょう あきこ、旧名仲條 亮子、本名中条 亮子、1967年12月26日 - )は、日本のフリーアナウンサー、元ブルームバーグテレビジョン(旧名ブルームバーグ情報テレビ)代表取締役社長。早稲田大学大学院ファイナンス研究科非常勤講師。
柳川 薫(やながわ かおる、1967年12月1日 - )は、… 柳川 薫(やながわ かおる、1967年12月1日 - )は、元中部日本放送のアナウンサー。愛知県豊橋市出身。早稲田大学卒業。血液型B型。 大学卒業後、1990年に中部日本放送に入社。同期に同局アナウンサーの伊藤敦基と元同局アナウンサーの河野夏紀がいる。1999年3月に中部日本放送を退社。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
奥富 亮子(おくとみ りょうこ、1967年〈昭和42年〉10… 奥富 亮子(おくとみ りょうこ、1967年〈昭和42年〉10月23日 - )は、RSK山陽放送の元アナウンサー兼アナウンス部長。
山口 豊(やまぐち ゆたか、1967年10月22日 - )は… 山口 豊(やまぐち ゆたか、1967年10月22日 - )は、埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)出身の日本の男性アナウンサー。テレビ朝日所属。
高橋 浩由(たかはし ひろよし、1967年10月21日 - … 高橋 浩由(たかはし ひろよし、1967年10月21日 - )は、あいテレビ (ITV) のアナウンサー。東京都江東区出身。 早稲田大学高等学院、早稲田大学を卒業後、現・ADKグループの会社勤務を経て、1995年10月にあいテレビ(当時の社名:伊予テレビ)に入社。 既婚者で、娘2人と息子がいる。
阿部 渉(あべ わたる、1967年10月7日 - )は、NH… 阿部 渉(あべ わたる、1967年10月7日 - )は、NHKのエグゼクティブアナウンサー。 岩手県水沢市(現奥州市)出身。幼少期はテレビっ子だった。 水沢市立水沢中学校、岩手県立水沢高等学校、早稲田大学法学部卒業。 就職活動ではディレクター志望でNHKに応募したがアナウンサー職で内定。 NHKに入局。1990年6月より1993年7月まで、NHK秋田放送局で勤務。 1993年8月より1996年7月まで、NHK横浜放送局で勤務。 1996年8月より、東京アナウンス室で勤務。2017年6月9日付けで、NHK管理職異動によりエグゼクティブ・アナウンサーへ昇格。 東京での出演番組については、「#東京アナウンス室時代(1996年8月 - 2021年度)」の節で説明。
大藤 晋司(だいとう しんじ、1967年8月23日 - )は… 大藤 晋司(だいとう しんじ、1967年8月23日 - )は、テレビ北海道 (TVh) のアナウンサー、報道制作局アナウンス部チーフプロデューサー兼報道部副部長。茨城県高萩市出身。茨城県立水戸第一高等学校卒業。明治大学中退。早稲田大学人間科学部卒業。 大学卒業後、1991年4月に中京テレビにアナウンサーとして入社。同局では、ミニ番組ながら入社2年目にして自身初の冠番組を任されたり、1995年3月からは佐藤啓とともに『ズームイン!!朝!』で東海地区のキャスターを務めたりしていたが、2001年7月1日付で同局スポーツ部へ異動した。 アナウンサーの仕事を捨て切れず、かつてファンだった日本ハムファイターズが北海道へ移転するとの情報と、TVhが将来ファイターズ戦実況アナウンサーを募集するとの情報を得てTVhへの移籍を決意。
保坂 和拓(ほさか かずひら、1967年8月15日 - )は… 保坂 和拓(ほさか かずひら、1967年8月15日 - )は、朝日放送(ABC)所属のアナウンサー・報道記者。
森脇 淳(もりわき あつし、1967年8月13日 - )は、… 森脇 淳(もりわき あつし、1967年8月13日 - )は、東海テレビ放送のスポーツ局長で、元同局アナウンサー。 岡山県吉備郡真備町(現在の倉敷市真備町)出身。岡山県立倉敷青陵高等学校を経て、早稲田大学卒業後の1990年4月1日付で、アナウンサーとして東海テレビへ入社した。 入社後はスポーツアナウンサーとして、プロ野球中継などを担当。全国ネット向けの中日ドラゴンズ主催試合(ホームゲーム)中継で実況を任される機会が多かった一方で、フジテレビ系列他局の制作による中日ビジターゲーム中継でのベンチリポートや、他のスポーツ中継で応援実況を担当することもあった。 2004年には、第20回FNSアナウンス大賞で大賞を受賞した。
福原 直英(ふくはら なおひで、1967年7月24日 - )… 福原 直英(ふくはら なおひで、1967年7月24日 - )は男性のフリーアナウンサー。元フジテレビアナウンサーで、アナウンス室副部長を務めた。 東京都出身。東京都立九段高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業後、1992年入社。同期アナウンサーは小島奈津子、西山喜久恵。妻は元フジテレビアナウンサーの濱田典子。1男2女の父でもある。 入社後は『FNNスーパーニュース』、『スーパー競馬』、『うまなりクン』、『めざましテレビ』などを経て、2001年10月よりニューヨーク支局に川端健嗣の後任として特派員として異動。特派員時代には『めざましテレビ』・「Look at NewYork」水曜日「OH!MYニューヨーク」、『めざにゅ〜』・「朝イチめざニューヨーク」のコーナーでニューヨークからの中継を担当し、2004年8月に帰国。
河村 亮(かわむら りょう、1967年〈昭和42年〉6月26… 河村 亮(かわむら りょう、1967年〈昭和42年〉6月26日 - 2022年〈令和4年〉5月14日)は、日本テレビのエグゼクティブアナウンサー。 神奈川県茅ヶ崎市に生まれ、その後父の転勤で新潟県新潟市に転居。新潟大学教育学部附属新潟小学校、新潟大学教育学部附属新潟中学校、新潟県立新潟高等学校(松井みどり、伊藤聡子と同期)、早稲田大学政治経済学部卒業。 1991年(平成3年)に日本テレビに入社。報道、スポーツ、バラエティ番組などを担当し、バラエティでは『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』『電波少年』シリーズなどで進行役・レポーターを務めた。 2004年からはプロ野球中継『Dramatic Game 1844』の実況・ベンチリポーターなど、スポーツ中継の担当がメインであるが、スポーツ以外の番組に出ることもある。
田中 崇裕(たなか たかひろ、1967年5月12日 - )は… 田中 崇裕(たなか たかひろ、1967年5月12日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 千葉県生まれの愛知県出身。愛知県立千種高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部を卒業後、1990年入局。主にスポーツ実況の現場で活躍していた。オリンピックの実況やプロ野球実況、2010年の夏の甲子園のテレビの決勝戦の実況を担当した経験を持つ。岐阜局に異動してからは、報道分野に転身している。 1998年、NHKがBS1でMotoGPの放送を始めるにあたり、全局規模で実況アナウンサーが募集された際これに応募して担当となった。 当初は中継ノウハウの蓄積不足から来る実況ミスが指摘されていたものの、まもなくその独自の情報収集力や競技の魅力を引き立てる裏方に徹した番組進行を行い、やがてはレース中に転倒したライダーはもちろんのこと、開発中のマシンやライディング技術のちょっとした違いまで瞬時に見抜き、リアルタイムの順位やタイム差、パーツの特徴、ライン取りや挙動の変化に至るまで的確に伝えるその実況技術を見せるようになっていた。
冨坂 和男(とみさか かずお、1967年5月8日 - )は、… 冨坂 和男(とみさか かずお、1967年5月8日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 長野県長野高等学校、早稲田大学教育学部卒業後1990年入局。好きな食べ物は手巻き寿司。
茅野 正昌(かやの まさよし、1967年4月17日 - )は… 茅野 正昌(かやの まさよし、1967年4月17日 - )は、RKB毎日放送のアナウンサーで、RKBアナウンススクールの講師。2014年には、JNN・JRNの加盟局から優秀なアナウンサーを毎年表彰するアノンシスト賞で、「グランダ・プレミオ」(最優秀賞)に選ばれた。 福岡県福岡市出身。福岡県立修猷館高等学校から水城学園を経て早稲田大学へ進学。大学卒業後の1991年に、アナウンサーとしてRKBへ入社した。同期入社のアナウンサーは、気象予報士でもある龍山康朗。 入社後は、野球、柔道、マラソンなどのスポーツ中継で実況を担当。全国向けの放送でも実況を任されている一方で、大の鉄道好きでもあることから、ラジオでは『旅ラジ 出発進行!』(自身の企画による鉄道情報番組)のパーソナリティを務めている。
鹿野 睦(かの むつみ、1967年4月15日 - )は、日本… 鹿野 睦(かの むつみ、1967年4月15日 - )は、日本放送協会(NHK)のシニアアナウンサー。 東京都立府中高等学校、早稲田大学を卒業後[要出典]、1991年にNHKに入局。北海道の函館放送局でデビュー。 趣味は天体観測、寺社巡り。
上野 智広(うえの ともひろ、1967年4月15日 - )は… 上野 智広(うえの ともひろ、1967年4月15日 - )は、千葉県出身のフリーアナウンサー。元文化放送アナウンサー。オフィスキイワード、エル・ファクトリーなどと業務提携。 早稲田大学法学部卒業後の1991年に、アナウンサーとして文化放送に入社。入社後は、『文化放送ライオンズナイター』『文化放送ホームランナイター』などのプロ野球中継を中心に、スポーツアナウンサーとして活躍した。また、2008年の北京オリンピックでは、ラジオ中継の実況アナウンサーとしてジャパンコンソーシアムへ派遣。野球、サッカー、ソフトボール、バレーボール、男子マラソンの中継で実況を担当した。 2010年12月1日付の人事異動で、スポーツ部所属のアナウンサーから、制作部のディレクターに転身した。
千葉 猛(ちば たけし、1967年4月9日 - )は、毎日放… 千葉 猛(ちば たけし、1967年4月9日 - )は、毎日放送(MBS)報道情報局の報道業務部員で、同局の元・アナウンサー。 宮城県仙台市の出身で、宮城県仙台第二高等学校から早稲田大学教育学部教育学科への在学中に、中学・高校の教員免許を取得。また、『クイズ百点満点』(NHK総合テレビ)に解答者として出演した経験を持つが、途中で脱落した。 その一方で、大学生時代には、早稲田大学放送研究会で活動。直系の先輩に伊藤雄彦(NHKアナウンサー)、後輩に荘口彰久(ニッポン放送出身のフリーアナウンサー)などがいた。また、出身学部は異なるが、CBCテレビ(毎日放送と同じくJNN・JRNの加盟局)スポーツ部員(元・スポーツアナウンサー)の伊藤敦基、NHKアナウンサーの阿部渉、元フジテレビアナウンサーの長坂哲夫、文化放送アナウンサーの斉藤一美、同郷でもあるスポーツジャーナリストの生島淳(TBS出身のフリーアナウンサー・生島ヒロシの実弟)はいずれも大学での同期生に当たる。
宮永 真幸(みやなが まさゆき、1967年3月25日 - )… 宮永 真幸(みやなが まさゆき、1967年3月25日 - )は、札幌テレビ放送(STV)の男性アナウンサーである。兵庫県出身。ニックネームは「ミヤーゴ」。
金澤 利夫(かなざわ としお、1967年3月3日 - )は、… 金澤 利夫(かなざわ としお、1967年3月3日 - )は、NHKのシニアアナウンサー、ラジオプロデューサー。 東京都立小山台高等学校を経て早稲田大学を卒業後、1991年入局。 広島放送局時代(2度目)には、2015年6月より岸慎治の後任として、3年間放送部アナウンス専任部長を務めた。
藤井 克典(ふじい かつのり、1967年3月1日 - )は、… 藤井 克典(ふじい かつのり、1967年3月1日 - )は、NHKのエグゼクティブアナウンサー。 山口県立山口高等学校を経て早稲田大学第一文学部卒業後、1990年入局。 松江放送局時代(1990年度 - 1992年度) 東京アナウンス室時代(1度目)(1993年度 - 1997年度) 松山放送局時代(1998年度 - 2000年度) 東京アナウンス室時代(2度目)(2001年度 - 2005年6月) 山口放送局時代(2005年6月 - 2009年6月) 東京アナウンス室時代(3度目)(2009年6月 - 2012年度) 編成局計画管理部時代(2013年度 - 2015年6月) 札幌放送局時代(2015年6月 - 2019年6月) 東京アナウンス室時代(4度目)(2019年6月 - 2023年6月)
徳光 雅英(とくみつ まさひで、1967年2月18日 - )… 徳光 雅英(とくみつ まさひで、1967年2月18日 - )は、福島中央テレビの元アナウンサー。 千葉県千葉市出身。早稲田大学卒業。 1990年に福島中央テレビに入社し、同局のアナウンサーになる。サッカー中継をライフワークにしており、特に高校サッカーに関しては入社以来20年以上実況を担当した。 2012年3月時点では報道制作局アナウンス部長を務めていた。 大学時代には教員を目指しており、教壇に立った日のことを考えてアナウンス研究会に入会した。そこでの活動を通じ、次第に関心がアナウンスそのものへ移っていったことからアナウンサーの道を選んだ。 フリーアナウンサーのジャックあまのは先輩にあたる。 2011年3月11日の東日本大震災発生直後の14時52分、わずか6分で報道スタジオから第一報を伝え、福島県内各地の被災状況や給水・支援物資についての情報などを暫く伝えた。
荒井 匡(あらい ただし、1967年〈昭和42年〉1月24日… 荒井 匡(あらい ただし、1967年〈昭和42年〉1月24日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 埼玉県朝霞市出身。埼玉県立朝霞高等学校を経て、早稲田大学卒業後、1993年入局。
武田 涼介(たけだ りょうすけ、1967年1月24日[要出典… 武田 涼介(たけだ りょうすけ、1967年1月24日[要出典] - )は、NHKの元チーフアナウンサー、研究職。 和歌山県立桐蔭高等学校、京都府立山城高等学校、早稲田大学法学部卒業後[要出典]、1991年入局。 神戸放送局時代、入局は違うがラジオセンターの荒井匡と一緒だったが偶然に誕生日が1967年1月24日だった[要出典]。
長坂 哲夫(ながさか てつお、1967年〈昭和42年〉1月2… 長坂 哲夫(ながさか てつお、1967年〈昭和42年〉1月20日 - )は、日本のフリーアナウンサー。フジテレビの元アナウンサー、元記者。 東京都渋谷区出身。身長175cm。東京都立戸山高等学校、1990年3月、早稲田大学法学部卒業後、同年4月、アナウンサーとしてフジテレビに入社。 在学時代は企画サークルとも〜るに所属し、同期は、吉田伸男、大坪千夏、松井みどり。大学時代は法曹を志し、記念受験で受けたフジに合格。 早朝番組のキャスターを経て、ボクシング担当に配属された後、主にスポーツ中継(野球、サッカー、K-1など)を担当。 「サッカー日本代表の試合をフジテレビで中継すると負けない」(勝利か引き分け)という不敗神話が生まれ、1997年11月16日のFIFAワールドカップフランス大会出場をかけたプレーオフのイラン戦(ジョホールバルの歓喜)の中継がフジテレビの担当となり、不敗神話の全試合を実況していたため、この試合の実況を担当した。
永井 公彦(ながい きみひこ、1967年1月5日 - )は、… 永井 公彦(ながい きみひこ、1967年1月5日 - )は、札幌テレビ放送(STV)アナウンサー、元編成局アナウンス部担当部長。早稲田大学高等学院、早稲田大学法学部卒業。 1989年入社。同期のアナウンサーは谷口祐子(2013年3月退社)、河野好信(現・報道部)、船守さちこ(現・フリーアナウンサー)。 2004年に北海道へ移転したプロ野球チーム・北海道日本ハムファイターズと自身の名前にちなんで、「永井ハム彦」(名前の「公」を分解)と紹介されることがある。
竹地 祐治(たけち ゆうじ、1966年9月26日 - )は、… 竹地 祐治(たけち ゆうじ、1966年9月26日 - )は、CBCテレビのアナウンサー(総合編成局兼務)。岐阜県美濃加茂市出身。岐阜県立加茂高等学校を経て、早稲田大学教育学部卒業。 1989年4月にCBCへアナウンサーとして入社。 1996年11月に同局アナウンサーの小高直子と結婚。以降、2児の父である。 リトアニア・カウナス日本領事館元領事代理で、第二次世界大戦時にユダヤ人に命のビザを発行した杉原千畝は大叔父にあたり(竹地の祖母が杉原千畝の妹)、大学在学中には鎌倉市在住の杉原の元を訪れている。自身がメインパーソナリティを務めた『おはよう竹地祐治です』で、杉原千畝のエピソード(親族しか知らない内容もあった)を語るコーナーがあった。
桑本 充悦(くわもと みつよし、1966年6月21日 - )… 桑本 充悦(くわもと みつよし、1966年6月21日 - )は、山陰放送 (BSS) のアナウンサー。 鳥取県倉吉市出身。高校在学時にアメリカ合衆国へ留学した経験あり。アメリカ合衆国ワシントン州リンデン・ハイ・スクール、鳥取県立倉吉東高等学校、早稲田大学法学部 卒業。 大学を卒業後、1991年に山陰放送に入社。同局アナウンサーの谷口篤史や山根伸志と同様に、報道番組以外への出演時には名前をひらがなにした桑本 みつよし名義で活動している。 2015年、桑本が制作とナレーションを手掛けたラジオ特集『さようなら!専攻科』が日本民間放送連盟賞に出品され、番組部門(ラジオ報道番組)で優秀賞を受賞した。 既婚者で、3人の子供がいる。
吾妻 秀謙(あづま ひでのり、1966年2月23日 - )は… 吾妻 秀謙(あづま ひでのり、1966年2月23日 - )は、ミヤギテレビの元アナウンサー、元報道制作局アナウンス部長。 埼玉県出身。早稲田大学を卒業後、1989年にミヤギテレビに入社する。 趣味は競馬で、競走馬についての解説ができるほどである。 2005年8月16日の宮城県沖地震の際、ニューススタジオ内で宮城県内ニュースを読んでおり、テレビを通じて各家庭に消火を呼びかけ、また『午後は○○おもいッきりテレビ』の「情報特急便」のコーナーでも宮城県内の被害情報を伝えた。 2012年4月から2019年3月までは報道制作局アナウンス部長も務めた。
渡辺 裕之(わたなべ ひろゆき、1966年2月1日 - )は… 渡辺 裕之(わたなべ ひろゆき、1966年2月1日 - )は、NHKの元アナウンサー。 旧浦和市出身。埼玉県立浦和高等学校を経て早稲田大学卒業後、1989年入局。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
長谷川 努(はせがわ つとむ、1965年9月2日 - )は、… 長谷川 努(はせがわ つとむ、1965年9月2日 - )は、中国放送(RCC)のアナウンサー。神奈川県横浜市出身。 早稲田大学第一文学部英文学科卒業後、1989年に中国放送へ入社(同期に横山雄二)。スポーツアナウンサーとしてプロ野球(広島東洋カープ)やサッカー(サンフレッチェ広島)、陸上競技などの実況中継、リポーターなどを担当。 広島東洋カープ・佐々岡真司のノーヒットノーラン(1999年5月8日、広島対中日)、読売ジャイアンツ・清原和博の通算500号ホームラン達成(2005年4月29日、広島対巨人)、広島東洋カープ・鈴木誠也の史上10人目となる2試合連続サヨナラホームラン(2016年6月18日、広島対オリックス)を実況した。
青嶋 達也(あおしま たつや、1965年8月12日 - )は… 青嶋 達也(あおしま たつや、1965年8月12日 - )は、日本のフリーアナウンサー。フジ・メディア・テクノロジー所属。元フジテレビアナウンサーで、フジテレビ所属時代はスポーツ統括担当部長を務めた。 父は、元オートレーサーの青嶋守隆(期前、元浜松所属)。 静岡県浜松市富塚町(現在の浜松市中央区)出身。静岡県立浜松北高等学校、早稲田大学第一文学部国文学専修卒業。卒論は「放送の敬語的表現」であった。同大卒業後の1988年フジテレビ入社。同期アナウンサーは、当時三人娘と称された有賀さつき、河野景子、八木亜希子。アナウンサー以外の同期には片岡飛鳥、中江功がいる。本人によれば、元々はラジオ局志望で、ニッポン放送が第一志望だったが同社の試験に3回落ち、ダメ元で受けた系列のフジテレビにたまたま受かったという。
廣田 直敬(ひろた なおたか、1965年6月26日 - )は… 廣田 直敬(ひろた なおたか、1965年6月26日 - )は、NHKの元エグゼクティブ アナウンサー。NHK財団職員。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立柏陽高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業後、1990年(平成2年)4月に入局。2023年7月以降はNHKラジオニュース(日勤や夜勤)に出演することがあるほか、NHK財団 放送研修センター・ことばコミュニケーションセンターで講師を務める。
角野 達洋(かどの たつひろ、1965年5月22日 - )は… 角野 達洋(かどの たつひろ、1965年5月22日 - )は、北陸放送(MRO)の社員、元アナウンサー。 金沢市立金石中学校・石川県立金沢泉丘高等学校を経て早稲田大学卒業後、1989年にMRO入社。同期に川瀬裕子、河内孝博(現声優)などがいる。ニックネームは自他ともに認めるように「エロガッパ」である。生放送中の番組内でもリスナーやパーソナリティからそう呼ばれることがある。なお、公式サイト上では「たっぽぽ」と記載されていた時期もあったが、のち削除されている。 2020年3月23日放送のあさ☀ダッシュ!にて2020年3月31日付けでアナウンス部から東京支社に異動することを報告。31年間のアナウンサー人生にピリオドを打つことになった。
田中 大士(たなか だいし、1965年5月5日 - )は、日… 田中 大士(たなか だいし、1965年5月5日 - )は、日本のアナウンサー。 福岡県田川郡出身。血液型B型。福岡県立田川高等学校、早稲田大学卒業。1980年代後半、tvkへプロパーとして入社。 入社後は、主にプロ野球横浜ベイスターズやスポーツ中継などを担当した後、WOWOWへ移籍。以後、主にサッカーやバスケットボール中継などを中心にスポーツ実況を担当している。 妻は、tvk時代の同僚だった有田真子。
清原 正博(きよはら まさひろ、1965年4月30日 - )… 清原 正博(きよはら まさひろ、1965年4月30日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。 大分県出身。大分県立杵築高等学校、早稲田大学第一文学部美術史学専修卒業後、1988年4月TBSにアナウンサー24期生として入社。 以後、主にスポーツ中継(野球、ゴルフ、競馬、競輪、サッカー)を担当。 2025年4月30日に60歳の誕生日および正社員定年を迎えたが、翌日以降もアナウンサーのまま嘱託社員として引き続き勤務。TBSでは正社員定年後の嘱託雇用自体は珍しくないものの、「アナウンサーのまま嘱託移行」という例は過去にほぼ皆無だった。
伊藤 雄彦(いとう たけひこ、1965年4月3日 - )は、… 伊藤 雄彦(いとう たけひこ、1965年4月3日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 東京都立三鷹高等学校を経て早稲田大学卒業後、1990年入局。将来の夢は鉄道の運転士。
加藤 康裕(かとう やすひろ、1965年2月4日 - )は、… 加藤 康裕(かとう やすひろ、1965年2月4日 - )は、毎日放送(MBS)の元アナウンサーで、ティプラムアナウンススクール の代表。 MBSへの在籍中には、2011年7月から6年間アナウンスセンター長を兼務した後に、2017年7月から1年間事業局でコマース事業部長を務めていた。早期定年退職後の2020年からは、南気象予報士事務所にも所属。 北海道小樽市 での出生後に、愛知県尾張旭市で生活(本籍は愛知県)。日本各地のラジオ局に向けて受信状況を報告したり、報告を受けた局が発行するベリカードを集めたりするほど、学生時代にラジオ番組を愛聴していたことがアナウンサーを志すきっかけになった。 早稲田大学第一文学部への進学後は、学内の劇団で演劇に熱中する一方で、東京アナウンスアカデミーでアナウンス技術の基礎を積んでいた。
坂橋 克明(さかはし かつあき、1965年1月29日 - )… 坂橋 克明(さかはし かつあき、1965年1月29日 - )は信越放送(SBC)ラジオ局ラジオ編成部に所属していたラジオパーソナリティで、フリーアナウンサー兼タレント。 長野県長野市出身。長野県長野吉田高等学校、早稲田大学商学部卒業。愛称は坂ちゃん。 1988年同局に一般職として入社した後アナウンサーとなる。 1998年4月からの1年間、SBCテレビの夕方ワイド番組「ほっとスタジオSBC」の司会を務める。 「ほっとスタジオSBC」降板後は再びラジオに活躍の場を移しラジオ編成部に異動。「坂ちゃんのずくだせえぶりでい」のパーソナリティを務めるほか、平日朝のワイド番組「モーニングワイド ラジオJ」ではディレクターも務めていた。
加瀬 征弘(かせ ゆきひろ、1965年1月20日 - )は、… 加瀬 征弘(かせ ゆきひろ、1965年1月20日 - )は、朝日放送テレビ(ABCテレビ)の社員で元・アナウンサー。スカイ・エー(関連会社)への出向などを経て、朝日放送(旧法人)の最後にして、ABCテレビで最初のアナウンス部長を2023年5月31日まで務めていた。 東京都出身。東京都立駒場高等学校、早稲田大学商学部を卒業し、1987年にアナウンサーとして入社。同期に宮根誠司がいる。スポーツ実況アナとして近鉄バファローズ戦を中心に野球、ラグビー、バレーボール、駅伝などを担当。2001年の近鉄優勝決定試合ではテレビ地上波の実況を務めた。 そのほかにはテレビ朝日系列全国ネット番組『土曜だエブリバディ!』、テレビ番組『おはよう朝日です』(リポーター)、ラジオ番組『近鉄バファローズアワー』に出演した。
吉井 祥博(よしい よしひろ、1964年10月25日 - )… 吉井 祥博(よしい よしひろ、1964年10月25日 - )は、日本のアナウンサー。東京都出身。 IBC岩手放送、テレビ神奈川(以下、tvk)に在職。tvkではアナウンス部長を務めていた。 市川高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。大学在学中に放送研究会サークルの一員としてtvkの『TVグラフィックおしゃべりトマト』に出演。tvkが輩出したアナウンサー第1号であると同時に、唯一tvkにアナウンサーとして復帰した人物でもある。 IBC岩手放送時代は主に競馬中継を担当しており、1995年の第8回マイルチャンピオンシップ南部杯のテレビ中継でライブリマウントに騎乗して優勝した石橋守へインタビューを行ったり、二代目盛岡競馬場が閉鎖される最終日に行われた第18回北上川大賞典のラジオ中継で実況を務めるなど節目に立ち会うことが多かった。
岡野 暁(おかの あかつき、1964年10月22日 - )は… 岡野 暁(おかの あかつき、1964年10月22日 - )は、NHK のシニアアナウンサー。 大阪府岸和田市生まれ。宮崎県立延岡東高等学校卒業[要出典]、岡山県立倉敷古城池高等学校、早稲田大学卒業後、1989年入局。
竹林 宏(たけばやし ひろし、1964年6月8日 - )は、… 竹林 宏(たけばやし ひろし、1964年6月8日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 秋田県立横手高等学校卒業。高校時代には野球部で活動。早稲田大学第一文学部卒業。1987年NHK入局。スポーツアナウンサーとして、主に球技系の競技の実況を多く担当している。2007年の全国高校野球の夏大会の決勝戦の実況も担当。春の大会の開会式の実況も担当。 安定した語り口調、滑舌、知識はスポーツファンの中では有名である。ファンも一定数居る。
斎藤 哲也(さいとう てつや、1964年6月3日 - )は、… 斎藤 哲也(さいとう てつや、1964年6月3日 - )は、TBSテレビの社員、元エグゼクティブアナウンサー。 茨城県出身。茨城県立竜ヶ崎第一高等学校を経て早稲田大学第二文学部社会学専修卒業。 大学在学中に東八郎が主宰する「笑塾」にてお笑いを学び、新宿コマ劇場を始め数々の舞台を経験するが、大学卒業と東の死去に伴い、お笑いからアナウンサーへ転身。 1989年4月、TBS(旧法人)にアナウンサー25期生として入社。同期には小林豊、小笠原保子、福島弓子、原山理一郎がいる。 1996年9月までは主に報道番組を担当していた。1995年、朝の情報番組『あなたにオンタイム』で秋沢淳子とともにメインキャスターを務める。
杉本 孝一(すぎもと こういち、1964年4月15日 - )… 杉本 孝一(すぎもと こういち、1964年4月15日 - )は、静岡朝日テレビの元アナウンサー。報道制作局制作部次長。 静岡県沼津市出身。早稲田大学商学部卒業。大学時代は放送研究会に属し、アナウンサー養成学校にも通っていたが、ディレクター採用で入社。数年後、取材した事件のリポーターとして出演したことを契機に、裏方から表に出るようになった。制作部との掛け持ちであったため、アナウンサー採用された同僚とは離れた場所に机がある。2017年4月からはアナウンサー活動を縮小している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
早田 和泰(はやた かずやす、1964年〈昭和39年〉4月1… 早田 和泰(はやた かずやす、1964年〈昭和39年〉4月13日 - 2024年〈令和6年〉11月30日)は、日本のフリーアナウンサー。昭和プロダクション所属。血液型AB型。愛称は「早ちゃん」。 京都府京都市出身。早稲田大学第一文学部卒業後の1989年にRSK山陽放送へ入社(同期に本田祐美、安田敬一郎)。 1989年4月より『ジャックあまの』という謎のパーソナリティを演じる。 2006年3月に山陽放送を退社し、フリーへ転向。同年から関西に活動を移す。 かねてから病気療養中だったが、2024年11月30日、死去した。60歳没。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
境 鶴丸(さかい つるまる、1964年4月5日 - )は、元… 境 鶴丸(さかい つるまる、1964年4月5日 - )は、元フジテレビアナウンサー。 幼少時から習っていた日本舞踊が特技で、「花柳流名取花柳龍彦」という芸名を持つ。神奈川県立湘南高等学校卒業後、時代劇の俳優を志してTBSの俳優養成機関「緑山塾」に1年間通っていた。しかし、役者には向かないと感じ、早稲田大学政治経済学部政治学科へ進学。 フジテレビには事業部志望で採用試験を受ける予定だったが、面接の練習も兼ねてアナウンサーの試験を先行して受けたところ、カメラテストまで突破してアナウンサーとして採用が決まる。大学卒業後の1989年にフジテレビへ入社。以後、報道・情報番組を中心に担当した。 アナウンス室の副部長も務めていたが、在任中(52歳)だった2016年7月に、総務局適正業務推進室の内部監査部へ異動した。
塚田 恵子(つかだ けいこ、1964年3月21日 - )は、… 塚田 恵子(つかだ けいこ、1964年3月21日 - )は、元NBC長崎放送アナウンサー、元業務局長兼テレビ編成部長。2024年4月より、長崎ブリックホール(指定管理者:株式会社NBSソシア)館長。NBCソシア取締役。 福岡県北九州市出身。早稲田大学在学中は、ラジオたんぱ(現・日経ラジオ社)の報道番組「ニュース・オールナイト」のキャスターを務めていた。1986年にNBCに入社。 入社後は長らくラジオで活躍していたが、その後テレビの『UPるトゥディ』で司会を務めた。2005年以降は再び活躍の場をラジオに移している。毎時50分の『NBCラジオ50ニュース』には頻繁に登場する。 良くも悪くも存在感があり、チャレンジ精神旺盛な元気系おばちゃんキャラ。
羽塚 由(はねづか とおる、1964年2月4日 - )は、元… 羽塚 由(はねづか とおる、1964年2月4日 - )は、元NHKアナウンサー。
植木 圭一(うえき けいいち、1963年12月13日 - )… 植木 圭一(うえき けいいち、1963年12月13日 - )は、東海テレビ放送の元アナウンサー。 神奈川県横浜市出身。聖光学院中学校・高等学校卒業。早稲田大学卒業。1986年入社。愛称は部長、圭ちゃん、昼ドラ王子。血液型はA型。スポーツアナウンサーとして、中日ドラゴンズ戦を中心としたプロ野球中継、『ドリーム競馬』におけるレースなどの実況を担当した。吉村功の定年後は、当時中京競馬場唯一のGIレースであった高松宮記念の実況を1997年から2003年まで担当した。 2003年に東京支社へ異動、昼の帯ドラマの宣伝をしていた。同年の高松宮記念(勝ち馬はビリーヴ)において安藤勝己騎手が初めて中央GIを優勝した時の実況担当が最後のスポーツ中継だった。