谷岡 登(たにおか のぼる、1894年12月17日 - 19… 谷岡 登(たにおか のぼる、1894年12月17日 - 1974年11月22日)は、日本の学校経営者。大阪城東大学(現・大阪商業大学)初代学長、学校法人谷岡学園理事長などを務めた。 奈良県磯城郡朝倉村黒崎(現・桜井市黒崎)に、谷岡角松・きんの長男(弟四人、妹二人)として生まれた。谷岡家は、三町歩の田畑と山林を所有する裕福な農家で、父は村の総代を務める地域の有力者であり、製粉所の経営も行う実業家であった。生来の負けず嫌いから小学校では首席だった。それ以外にも生家の隣にある大日寺の住職から論語や四書を習い、少し長じて長谷寺方丈の漢学院で漢学を学んだ。1920年、常岡米蔵の長女・花枝と結婚。妻と兵庫県武庫郡住吉村呉田(現・神戸市東灘区住吉南町)に居を構え、大阪府西成郡役所に勤務。
松尾 高一(まつお たかいち、1888年 <明治21年> 7… 松尾 高一(まつお たかいち、1888年 <明治21年> 7月5日 - 1973年 <昭和48年> 5月19日)は、日本の実業家。尼崎信用金庫理事長を務めた。位階は正五位。 岡山県英田郡作東町(現在の美作市)出身。1912年に関西大学専門部経済科を卒業した。 大阪市役所、日本木管での勤務を経て、1921年1月に尼崎信用組合(現在の尼崎信用金庫)を創立し、理事に就任した。1944年5月には組合長(1951年の尼崎信用金庫への改組後は、理事長)に就任した。1954年1月には尼崎商工会議所会頭にも就任した。 1952年に緑綬褒章を受章し、1959年に紺綬褒章を受章し、1965年11月に勲四等旭日小綬章を受章し、1968年には尼崎市名誉市民の表彰を受けた。
福田 関次郎(ふくだ せきじろう、1882年(明治15年)3… 福田 関次郎(ふくだ せきじろう、1882年(明治15年)3月18日 - 1979年(昭和54年)7月14日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(通算3期)。 山口県出身。1904年、関西法律学校(現・関西大学)卒。朝鮮で小学校校長をした後、京都製薬所長、七寿肥料(株)社長などを務め、京都市議、京都府議を経て、1932年の第18回衆議院議員総選挙において京都1区(当時)から中立(無所属)で立候補して初当選した。以来3回連続当選。当選後の会派は第一控室を経て、立憲民政党に入った。民政党解党後は鳩山一郎率いる同交会に入り、1942年の翼賛選挙では非推薦で立候補したが落選した。 戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙と翌1947年の第23回衆議院議員総選挙(京都1区)に日本自由党公認で立候補したがいずれも落選し、政界から引退した。
和田 義為(わだ よしため、1875年12月 - 没年不明)… 和田 義為(わだ よしため、1875年12月 - 没年不明)は、日本の実業家。共同酒造株式会社社長、大倉恒吉商店(現・月桂冠)株式会社取締役。族籍は兵庫県士族。 京都府士族、和田重為の長男として、1875年(明治8年)12月に生まれる。尚、尊皇派志士・正五位の和田義亮は祖父である。 1895年(明治28年)に家督を相続し、1897年(明治30年)、関西法律学校(現・関西大学)法科を卒業する。卒業後は大倉恒吉商店に勤務。その後、共同酒造株式会社社長、大倉恒吉商店(現・月桂冠)株式会社取締役を歴任した。
阿川 甲一(あがわ こういち、1870年(明治3年)11月 … 阿川 甲一(あがわ こういち、1870年(明治3年)11月 - 1948年(昭和23年)6月)は、日本の実業家。満洲阿川組社長、長春倉庫運輸株式会社社長、長春日本人商工会議所会頭などを務めた。 作家阿川弘之の父で、法学者阿川尚之、エッセイスト阿川佐和子の祖父。 山口県美祢郡伊佐村(現美祢市伊佐町)の農家に生まれる。父は阿川利七(阿川家の7代目)、母はのし。阿川家について阿川弘之によると「我が阿川家からは、朱子学蘭学を学んだ者も、勤皇の志士も、郷土史に名を残すほどの篤農家も出てゐないらしい。要するに代々平々凡々たる中くらゐの自作農であつたと思はれる」という。甲一は8代目を継ぐ立場だったが、数え20歳になって早々、代言人(いまの弁護士)を志して郷里をはなれ、家督を甥の太七に譲る。
後藤 武夫(ごとう たけお、1870年9月13日(明治3年8… 後藤 武夫(ごとう たけお、1870年9月13日(明治3年8月18日) - 1933年(昭和8年)2月25日)は、日本の実業家。帝国興信所(現・帝国データバンク)、日本魂社創業者。福岡県出身。 筑後国出身。1883年(明治16年)、福岡県立福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)を経て、1887年(明治20年)4月、上京して東京英語学校に入学するが、1890年(明治23年)に帰郷して井尻高等小学校 (現・福岡市立三宅小学校)の教員となる。1894年(明治27年)、妻子を伴って大阪市へ移り、 関西法律学校(現・関西大学)に入学し、勤めながら修学し、1897年(明治30年)に卒業する。福岡日日新聞記者を経て1898年(明治31年)上京の後、明治33年(1900年)に帝国興信所(現・帝国データバンク)を設立した。
成田 栄信(榮信、なりた しげのぶ、1869年12月16日(… 成田 栄信(榮信、なりた しげのぶ、1869年12月16日(明治2年11月14日)‐ 1946年(昭和21年)1月1日) は、日本の言論人、実業家、政治家。衆議院議員。 伊予国宇和郡下灘村(現愛媛県宇和島市) で、成田亀太郎の二男として生まれた。1897年(明治30年)に分家した。苦学して関西法律学校(現関西大学)、英吉利法律学校(現中央大学)で学び水産講習所(現東京海洋大学)を卒業した。 生命保険事業に従事し安田共済支店長を経て、東京社を創立して雑誌『東京』を発行し、1907年(明治40年)に東洋通信社を創立して社長に就任。その他、日本織物取締役を務めた。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙愛媛県郡部選挙区に立憲政友会(政友会)から出馬して当選したが、同年12月10日に衆議院議員選挙法違反事件の控訴を取下げて禁錮刑が確定したため議員を退職した。
津原 武(つはら たけし、1868年11月22日(明治元年1… 津原 武(つはら たけし、1868年11月22日(明治元年10月9日) - 1953年(昭和28年)5月20日)は、日本の弁護士・実業家・政治家。衆議院議員、加悦鉄道社長、宮津銀行監査役、丹後縮緬工業組合理事長。 1868年11月22日(明治元年10月9日)、因幡国鳥取に生まれた。関西法律学校、明治法律学校、和仏法律学校(現・法政大学)で学び、京都府与謝郡宮津町(現・宮津市)で弁護士を開業した。 与謝郡会議員・議長、宮津町長、京都府会議員などを経て、1915年(大正4年)に第12回衆議院議員総選挙に当選した。民政党に所属して5回の当選を果たしている。 また、加悦鉄道社長、宮津銀行・橋北汽船などの役員、丹後縮緬工業組合理事長などを歴任した。
山田 安民(やまだ やすたみ、前名・卯之吉、1868年2月2… 山田 安民(やまだ やすたみ、前名・卯之吉、1868年2月23日(慶応4年2月1日) - 1943年(昭和18年)4月13日)は、日本の実業家、薬剤師。族籍は奈良県平民。ロート製薬の創業者。私立奈良盲唖学校開設者。奈良県における障害児教育の先駆者。 姓は山田姓ではなく津村姓と異なってはいるが、津村重舎(津村順天堂創業者)、津村岩吉(津村敬天堂経営)は実弟。長男は山田輝郎(ロート製薬初代社長)。孫は山田安邦(元会長、輝郎の長男)、山田安廣(現・取締役兼アンズコーポレーション社長、輝郎の五男)。曾孫は山田邦雄(現・会長、安邦の長男)。 大和国宇陀郡池上村(のち奈良県宇陀郡伊那佐村池上、現・奈良県宇陀市)で、農家の父・安二郎と母・ナカの長男・卯之吉として生まれる。
平井 繁男(ひらい しげお、慶応3年2月3日〔1867年3月… 平井 繁男(ひらい しげお、慶応3年2月3日〔1867年3月8日〕- 大正14年〔1925年〕9月10日)は、日本の実業家、官吏、特許辨理士。推理作家・江戸川乱歩の父。 三重県津市出身。武士の家柄で津藩の藤堂家に仕えていた七代目平井杢右衛門(陳就)・後妻の和佐との間に生れた。関西法律学校(現・関西大学)第一回卒業生として卒業後、青年官吏として三重県名賀郡右名張町(名張市)役所に奉じた。この頃、津藩家臣の長女のきくと結婚し、1894年 (明治27年)第一子を儲け、太郎と命名。これが後の江戸川乱歩である。間もなく、鈴鹿郡へ転勤。1897年に東海紡績同盟会の職員となり、名古屋に移った。東海紡織同盟会書記長を歴任。
永田 仁助(ながた にすけ[要出典] / じんすけ、1863… 永田 仁助(ながた にすけ[要出典] / じんすけ、1863年5月9日(文久3年3月22日)- 1927年(昭和2年)3月10日)は、明治・大正期の実業家、政治家。浪速銀行頭取、貴族院勅選議員。 摂津国西成郡(後の大阪市南区高津町四番丁。現在の大阪市中央区高津)で、米穀商・永田仁左衛門の長男として生まれる。藤沢南岳の泊園書院(現在の関西大学)で漢籍を学んだ。その後、家業を廃し、1889年(明治22年)第1回大阪市会議員選挙で当選。その後、大阪府会議員にも選出された。 その後、大阪の経済発展の必要性を考え、1894年(明治27年)8月、大阪明治銀行の設立に際して取締役に就任。その後、大阪市中銀行の合同の計画を推進し、1898年(明治31年)に浪速銀行が設立されると常務取締役となり、1908年(明治41年)第3代頭取に就任し、1913年(大正2年)まで在任した。
石濱 豊蔵(いしはま とよぞう、1861年 - 1910年)… 石濱 豊蔵(いしはま とよぞう、1861年 - 1910年)は、日本の実業家。 丸石製薬創業者で、石濱純太郎の父。淡路松帆(淡路市)の人。豊蔵の父は広瀬淡窓の咸宜園(大分県日田市)で漢学を、長崎で蘭学を学んだ勝蔵。豊蔵は、オランダ人薬学者のドワルスに製薬法を学んだ西山良造の門に入って製薬業を修得、明治21年(1888年)、大阪淡路町にガレヌス製剤の製造販売会社「丸石商会」を設立、明治35年(1902年)には大阪製薬同業組合初代組長となった。また明治30年(1897年)、10歳の純太郎を泊園書院(現・ 関西大学)に入学させる。 豊蔵の死後、会社は井上治兵衛が引き継ぎ、昭和11年(1936年)丸石製薬株式会社となり現在に至っている。
岸田 吟香(きしだ ぎんこう、天保4年4月28日〈1833年… 岸田 吟香(きしだ ぎんこう、天保4年4月28日〈1833年6月15日〉、一説に天保4年4月8日〈1833年5月26日〉 - 1905年〈明治38年〉6月7日)は、日本の新聞記者、実業家、教育家。美作国久米北条郡垪和村(現岡山県久米郡美咲町)出身。目薬「精錡水」を販売するなど、薬業界の大立者としても知られる。 幼名を辰大郎。名前は大郎、大郎左衛門、達蔵、称子麻呂、清原桜、作良(さくら)、さくら、まゝよ、銀次あるいは銀次郎などがある。また墨江岸国華、墨江桜、墨江岸桜、岸国華、岸吟香、岸大郎、岸桜、小林屋銀次、岸田銀治、岸田屋銀治、京屋銀治郎、桜井銀治郎などとも名乗った。号は吟香、東洋、桜草。筆名には吟道人がある。
前田 正 は、日本の政治家・実業家。
上原光徳(うえはら みつのり)は、愛媛県出身の経営者である。… 上原光徳(うえはら みつのり)は、愛媛県出身の経営者である。2005年bjリーグ(現B.LEAGUE)大阪エヴェッサを運営するヒューマンスポーツエンターテインメントの代表取締役に就任。リーグ初年度から3連覇を果たす。2010年5月には、スポーツによる大学改革のため芦屋大学入学戦略部長(入学事務室長兼任)、2016年12月学校法人芦屋学園理事・事務局長に就任(2017年8月退職)。2017年8月、プロバスケットボールリーグ(Bリーグ)1部西宮ストークス代表取締役に就任(2018年8月退任)。2018年11月、スポーツと教育をドメインにした事業展開のため株式会社立成社を設立、代表取締役に就任。 1961年愛媛県生まれ。
桐山 徹郎(きりやま てつろう、1950 - )は、日本の政… 桐山 徹郎(きりやま てつろう、1950 - )は、日本の政治家、実業家。生野町長、全但バス社長、但馬空港ターミナル社長。 兵庫県出身。兵庫県立生野高等学校を経て1973年関西大学経済学部経済学科卒。 1973年神姫バス入社。1999年4月、朝来郡生野町長に就任。2005年6月に生野町教育長、2009年全但バス社長を歴任し、2020年4月但馬空港ターミナル社長に就任した。
沢野 弘(さわの ひろむ)は、日本の実業家。 NPO法人日本… 沢野 弘(さわの ひろむ)は、日本の実業家。 NPO法人日本サービスマナー協会理事長、NPO法人 日本メンタルヘルスケアサポート協会 理事、株式会社ワイズプラス 代表取締役、エアラインスクール。5420斷翼破曉 関西大学商学部卒業。 大学卒業後、トヨタ自動車のセールスを3年経験。 営業力を買われ映像分野の専門学校へ引き抜かれ転職。 その後語学系の専門学校に移り、学生募集の責任者として様々な企画とWEBでの戦略学生募集を成功させる。 2005年に株式会社ワイズプラスを設立。 WEB戦略をベースとしたホームページ作成やインターネット広告の分野での独自企画で専門学校や大学を中心としたクライアントのコンサルティング業務を中心に活動。